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第4回鎌倉時代の感染症との戦い創価大学法学部教授 小島 信泰さん 感染症は、鎌倉時代にも流行していたことが知られている。その中で、日蓮大聖人やその門下たちは、いかに立ち向かっていったのか。「危機の時代を生きる—創価学会学術部編」の第4回のテーマは、「鎌倉時代の感染症との闘い」。創価学会法学部教授で、日本法制史・仏教史が専門の小島信泰さんの寄稿を紹介する。 大聖人と門下が基準とした疫病に立ち向かう視座人類を何度も脅かしてきた感染症。日本の例外ではなく、古代から今日に至るまで、感染症との格闘の連続であった。しかし、学校教育で学ぶ歴史は、政治史が中心で、いかに多くの尊い命が感染症によって奪われてきたのかに目を向けることは少ない。そもそも、私たちは日ごろ、過去の歴史と、どう向き合っているのか。つらい過去は早く忘れて、未来を向いて生きた愛と思うのが常ではないだろうか。しかし、過去を変えられなくとも、過去に学ぶことの中から私たちがいま直面している現実の本質を知り、新しい未来を創造していくことができる。日蓮大聖人は、仏法の教えによって人々の幸福、社会の平和、国家の繁栄を説かれたが、大聖人御在世当時にも、疫病の流行という現実が大はだかっていた。その苦境の中で大聖人と弟子たちの奮闘を振り返ることは、これからの私たちの将来の糧となる。その意味から、ここでは、鎌倉時代の感染症との闘いに焦点を当てて考察したい。◆◇◆鎌倉時代は、武家社会が確立した時代であった。当時の書状や子文書には、「道理」という言葉が頻出する。道理とは、主従関係を中心とする武家社会の秩序を貫く生活基盤でもあり、鎌倉時代の武家法である「御成敗式目」も道理を成文化したものとされている。しかし、道理の根本を何に求めるべきかについて確たる基準がなかったと考えることができる。鎌倉時代職の天台僧・慈円は史論書「愚管抄」を著し、歴史上の出来事も道理によってもたらされているとした。乱れ始めた現世のありさまを、「末の世の道理」の現れとしており、いわゆる末法思想の端緒の一つとしている。◆◇◆平安時代の末期から鎌倉時代にかけて飢饉や疫病の他地震などの自然災害も頻発し、末法思想が現実味を帯びていった。そのことは、鴨長明の「方丈記」などにも記されている。人々の苦悩が充満する中、鎌倉幕府は疫病に対してなすすべがなく、仏教諸宗や神道による救済に頼るしかなかった。幕府は経典の書写供養、密教による祈とうや神社への奉幣などを進めていったが、人々の苦悩は一向に収まる気配がなかった。この時代の疫病は、天然痘や麻疹、近代以降に命名されたインフルエンザなどであったと考えられているが、当時は疫鬼・鬼霊・邪気といったものが原因と考えられており、そのため神仏への祈願が盛んに行われたのである。また鎌倉時代は改元が多かったことが知られている。そこには現在と同じく、天皇の即位に伴うものも含まれるが、当時は〝元号を変えることで穢れが払われ、災難がやむ〟と考えられており、天変地異や疫病などの理由で改元されることがあった。当時の諸宗も、それぞれの立場で疫病の対策をしたが、今世を否定的に見て死後の世界に救いを求めたり,他者を顧みずに自己中心的な教えに焼死したり、呪術的な祈とうによってその場限りの結果を求めたり、はたまた厳しい戒律一辺倒で非日常的な解決を図ったりといった内容で、このような対策では、ここの人間に平等に内在する尊極の生命を開花させることはできず、困難に立ち向かう勇気や決意を湧き立たせることもできず、ついには人々を混乱させ、かえって疫病を蔓延させることになってしまったのである。御書「仏法と申すは道理なり」これに対し、大聖人は法華経に説かれた「仏法の道理」にのっとった御教示をされている。具体的に言うと、あらゆる仏教経典を読破された大聖人は、法華経こそが一切衆生の苦音の生命を説いた尊極の経典であることを書きらかにされ、諸宗の迷走は全て法華経を第一にしていないことに起因していると破折された。所収の権威と幕府の権力は、たがいに依存しあい、仏法の道理を探求することもなく混迷していた。それはまさに「末世の僧等は仏法の道理をば・しらずして我慢に著して師をいやしみ檀那をへつらふ」(御書1056㌻)ような状況であった。そこで大聖人は、幕府の最高権力者・北条時頼に対し、その誤りを諫めるため、「立正安国論」を上程されたのである。◆◇◆大聖人は国家権力に対して勇敢に挑む一方、門下の一人一人に対しては個々に状況を応じた細やかな指導・激励に徹された。「仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり」(同1169㌻)とは、弟子の四条金吾が主君の勘気(とがめ)を受けた苦境の際に送られた言葉である。「御みやづかい(士官)を法華経とをばしめせ」(同1295㌻)との仰せにもある通り、「主に勝つ」とは、主君の信頼を勝ち得ることを意味する。今日の私たちにとっては職場や地域の信頼を得て社会に貢献することが仏法の道理であり、それは勇気ある祈りを通して勝ち取っていくものである。厄年の不安を訴えた金吾の妻に対しては、「弓よはければ弦ゆるし・風ゆるければ波ちゐさきは自然の道理なり」(同1135㌻)と、確信の祈りの中に仏界の生命が涌現すると、仏法の道理をもって激励されている。娘の病気を報告した門下に対しては、「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さは(障)りをなすべきや(中略)法華経の剣は信心のけな(勇)げなる人こそ用る事なれ」(同1124㌻)と激励された。何ものをも恐れぬ師子のように、病に立ち向かっていく勇気ある信心を進められている。 自らの健康を守り民衆に同苦する祈りを根本に希望を開く最善の努力を法華経の祈りは世間法の道理にも通じ、あらゆる智慧を生かしていく力を持っている。大聖人は、「天晴れぬれば地明らかなり法華を識る者は世法を得可きか」(同254㌻)と仰せである。大聖人の身延入山後の生活は、厳しさ寒さに耐え、長雨や降雪があれば、山中へ食糧の運搬も滞り、窮乏生活を余儀なくされた。また老齢のためか、健康を損なわれることもあったようだ。そのような状況下で、大聖人の治療も献身したのが、医術の心得があった四条金吾であった。大聖人は、金吾が処方した良薬によって病状が改善したことを、たびたび書状に記されており、「教主釈尊の入りかわり・まいらせて日蓮をたすけ給うか、地涌の菩薩の妙法蓮華経の良薬をさづけ給えるか疑い候なり」(同1179㌻)、「日蓮が死生をはば・まかせまいらせて候」(同1182㌻)と心温まる謝辞を送られている。また病に悩む門下には、金吾は「善医」(同985㌻)であると紹介されている。金墓は薬の処方だけでなく、秋の旬の時期には新鮮な柿を、月日のたった頃には、より滋養のある「串柿(干し柿)」を供養する細やかさであった。下記に感染症の予防効果があることは本連載の第3回(11月6日付)でも紹介された。まさに師弟一体となって、当時の医学と生活法を生かし切る智慧の闘いをされたのである。現代の私たちも、健康を勝ちとるために食事や睡眠、運動など、それぞれの置かれた環境で、最善の努力を地道に積み重ねていくことこそが、道理に貫かれた法華経の実践となる。◆◇◆大聖人が、「立正安国論」を上程された思いは、「安国論御勘由来」に「但偏に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず」(同35㌻)と記された通り、苦しむ民衆を救済せんが為であった。大聖人の祈りの根底には、常に民衆への同苦があった。その思いを「大悲とは母の子を思う慈悲の如し今日蓮等の慈悲なり」(同721㌻)とも表現されている。大聖人の慈悲と祈りの行動は、後世の日本人にも大きな影響を与えた。生涯、法華経信仰を貫いた宮澤賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『宮澤賢治全集12』所収「農民芸術概論綱要」筑摩書房)との言葉も切実に響いてくる。コロナ禍の中に置かれた私たちもまた、自身の健康だけでなく、県洗車の平癒と医療従事者の安全を真剣に祈っていきたい。これも、仏法の道理からの自然の発露なのである。◆◇◆今、私たちが置かれている状況がいかに厳しくとも、大聖人の行動や思想からは、人の命を支える内発的な力は全ての人に備わっていて、その力を信じ、涌現させていくことが真の信仰であるという真実を学ぶことができる。大聖人にとって、仏法とは「道理」である。ここで注目すべきは、道理とは私たちの信仰に根差しており、信仰とは日々の祈りにある。祈とは、現実を見据えていかなる困難をも乗り越えていく力であり、未来を切り開いていく希望である。 こじま・のぶやす 1957年生まれ。創価大学大学院法学研究科博士後期課程単位所得退学。博士(法学、東北大学)専門は日本法制史・仏教史。創価大学法学部専任講師、同助教授を経て現職。その間、駒澤大学法科学院非常勤講師、都留文学大学非常勤講師、英国ロンドン大学SOAS客員研究員を歴任。東洋哲学研究所委嘱研究員。創価学会学術部員。副支部長。 【危機の時代を生きる—創価学会学術部編】聖教新聞2020.12.3
December 2, 2021
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コロナ禍と社会の変容美馬 達哉 これまで人類を何度も脅かしてきた感染症だが、現在、新型コロナウイルスの脅威が世界を覆っている。その影響は医学や生物学の領域を超え、政治や経済など、社会にさまざまな変化を及ぼしている。こうした社会の変容に人文知の果たすべき役割は何か。『感染症社会』(人文書院)の著者で、医療社会学者の美馬達哉・立命館大学教授に聞いた。 医学だけでは見通せない事態新型コロナウイルス感染症(COVID-19)をウイルスによって広が苦病気という側面だけで見れば、それは医学の専門分野で、ワクチンや治療薬ができるかどうかの問題という話になります。しかし、医学の専門家だけに、これからの社会の進路もお任せするのかといえば、それは違うのではないでしょうか。同じウイルスでも、感染者が激増する地域もあれば、そうでない地域もあります。そこには遺伝的な形質の違いだけでなく、感染症に対する意識や清潔習慣、社会習慣も関係しています。従って医学的に見るだけでは、今起きているパンデミック(世界的大流行)の事態は見通せないのです。また、別の視点から考えましょう。日本で取られているクラスター対策には、県洗車を危険人物とみる管理の発想があります。その結果、手当され保護されるべき存在である感染者が排除の対象になり、感染者自身が検査拒否したり、症状を隠したりすることも生じています。感染症対策は感染者の生活と人権を守らない限りは不可能なのです。これは生物学や医学に偏った考えでは、どうしても抜け落ちがちな点です。そこで大事になるのが、人文知、つまり生物学や医学ではない学問や経験です。つまり、哲学や歴史学や社会学や人類学の視点を取り入れることの必要性です。 服従の巧妙な仕掛け細菌やウイルスといった病原体が病気の原因であるとみなされたのは19世紀末以降、日本でいえば明治維新の頃です。しかし、大規模な感染症は都市文明とともに始まりましたから、人類は細菌やウイルスの知識、ましてやワクチンのない時代から感染症と付き合ってきました。そこから学ぶべきものがあるのではないでしょうか。そのとき、私が手掛かりとしたのが、「コンスティチュ―ション」という語です。現在の医学からは忘れられている言葉ですが、医学士の中では重要な概念です。体質や大気組成という訳語が当てられます。病原体の知識がない過去の時代でも、同じ状態で人々が次々と倒れていくのを見れば、何らかの共通の原因があるはずだと多くの人々は気付きます。それを神の祟りや天罰と考えた人もいましたが、少し合理的に考える人の中には気候や空気のよどみなど、現在でいう社会環境要因に目を向けた人もいました。そうした様々な要素が、当時はコンスティチュ―ションと呼ばれました。その知恵を現代の人文知とつなげ直すことがいま、大切ではないかと考えています。次に、コンスティチュ―ションを社会制度や政治の面から見てみましょう。COVID-19対策では、外出制限等の公衆衛生的な手法は、なるべく「自粛」であることが日本では目指されました。そこで理想とされるのは、フランスの哲学者ミシェル・フーコーによって「生政治」と名付けられた社会の姿そのものです。「生政治」とは、生物としての人間の生命に目を向け、人々の健康を増進することを目的に社会の秩序を維持する政治です。従って感染症の予防を目的として政治を行うのも、「生政治」の一つの姿といえます。そのとき、理想とされるのが自発的な服従に基づいて自ら管理する社会です。フーコー自身は、その状態を、監視されているかどうか分からない不安の中で人々が「自発的」に服従させられる巧妙な仕掛けと考えて、監視社会の持つ不自由を批判していました。現代においては、情報通信基盤の発展によって、監視の社会的広がりは目を見張るほどになっています。中国、台湾、韓国ほどではありませんが、日本のスマートフォン用アプリCOCOAも、スマホ等のモバイル機器を通じた監視によって、自発的に人々を感染予防に服従させる仕組みを作り上げていると見ることができます。 基本的な変革の機会に忘れてはならないのは、「生政治」の上昇は単なる生命としての効率的な管理を人々に押し付ける危険性があることです。それは自律的に生きるのとは違います。その例が難民キャンプです。食事だけは与えられるけれど、自ら何かを決めて行動する自由は極端に制限されます。今形成されつつある緊急事態社会や自粛社会は、それに似たものになりつつあるように思えます。過去の感染症のパンデミックの歴史を見れば、ペストによる都市封鎖という非常事態が近代の監視の仕組みをつくり、これら対策が現在の都市環境の整備につながっています。COVID-19でも社会は大きく変わることでしょう。そのことで社会を根本的に変革するチャンスをいま、私たちは手にしているのではないかとも考えています。感染症は一国では解決できない問題で、全世界の人類が連帯して向き合う集団的行動が求められています。非常事態の宣言を待ち、それに従う受動的な生き方ではなく、一人一人が当事者となって、市民社会の側から関わっていくことが、コロナ禍の中では必要です。その意味では、新しい生活習慣ではなく、新しい政治参加こそが、グローバルな連帯を通して社会を変え、COVID-19対策を実効的にするのです。 みま・たつや 1966年、大阪府生まれ。京都大学准教授などを経て現職。医学博士。脳神経内科医。専門は医療社会学、脳科学。著書に『〈病〉のスペクタクル 生権力の政治学』『脳のエシックス』『リスク化される身体』などがある。 【文化Culture】聖教新聞2020.12.1
November 30, 2021
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第3回 鎌倉時代の「食」について疫病が猛威を振るった鎌倉時代、日蓮大聖人とその門下たちは、どのような食生活を心掛けていたのか。また、そこから見えてくるものは何か—。「危機の時代を生きる—創価学会学術部編」の第3回のテーマは「鎌倉時代の『食』について」。信州大学農学部特任教授で、食品の機能性などを研究してきた稲熊隆博さんの寄稿を紹介する。 信州大学農学部特任教授 稲熊 隆博さん 「食には三の徳あり、一には命をつぎ・二にはいろ(色)をまし・三には力をそ(添)う」(御書1598㌻)とは、日蓮大聖人の仰せである。つまり、「食」には生命を維持する働き、健康を増す働き、さらには身心の力を盛んにする働きがある、と。まさに〝食は命〟であり、近年の研究では、食生活が、私たちの健康と密接に関係し、病と闘う時にも重要な役割を果たしていることが次々と明らかになっている。新型コロナウイルスが蔓延する今、治療薬やワクチンの開発が急がれているが、確たる治療法は、まだ確立されていない。だからこそ、罹患しないように気を付けることはもちろん、たとえ罹患しても軽症で済むよう、体の準備を整えておく必要がある。その意味でも、私たちが日ごろから心掛けることができる「食」の重要性は増してきているのではないだろうか。◆◇◆それは、世界保健機構(WHO)も注目するところである。WHOがまとめた新型コロナウイルス感染症に対する成人への栄養指針では、「バランスの良い食事をとる人は、免疫力が強く、慢性疾患や感染症のリスクが低い」とし、いくつかの項目を挙げているが、毎日とる目安として示される数値は次の通りである。① 穀物を280~400㌘、野菜を訳50㌘。② 穀物180㌘、肉・豆160㌘。③ 8~10㌘の水を飲む。④ 塩分と砂糖を減らし、塩分摂取量は5㌘未満に。このほか、外食を避けて人との接触を減らし、カウンセリングやメンタルヘルスの心理社会的支援を受けることを奨励している。◆◇◆大聖人の御在世当時も疫病が起こっていた。例えば弘安元年(1278年)、大聖人は佐渡の門下へのお便りのなかで、こう仰せである。「去年、今年の疫病の流行のありさまを見ては、佐渡の皆さんは、どうなられたであろうかと心配であったので、懇ろに祈っておりました」(御書1314㌻、趣意)そして、門下たちが元気であることを聞かれ、「疫病が広範囲に広がり、同じ船に乗り合わせているので誰も助かるとは思えずにおりましたところ、難破して助け船にあったようなものでしょうか」(同)とつづられている。同2年のお手紙には、「去年の春より今年の二月中旬まで疫病国に充満す、十家に五家・百家に五十家皆やみ死し」(同1389㌻)とあり、多くの人が疫病で亡くなったことが分かる。では、こうした状況の中で、大聖人や門下たちは、どう立ち向かったのか。ここでは、「食」に焦点を当てて迫ってみたい。 好き嫌いなくバランス良く免疫力高める食事を御書の御消息文には、門下から送られた供養の数々がつづられている。その中の食品から、感染症への効能を考えてみた。果物では柑橘類のほか、柿やザクロなどが挙げられ、野菜のダイコンやゴボウ、ナス、さらにタケノコ、ショウガ、ミョウガなどが届けられている。当時は未開拓地が多かったことから、こうした品々の他にも、自生していた山菜や果物などを収穫していたことは当然、考えられる。果物と野菜には、ビタミンやミネラル、食物繊維など、「生きるため」に必要な成分が含まれている。「生きるため」としたのは、それらが欠乏すると死に至る可能性があるからである。明治時代、死に至る病は結核と脚気であったが、特に脚気はビタミン不足から起こる。ミネラルは、骨や血液など、体の構成成分になり、神経・筋肉機能などを正常に保つ重要な役割がある。そして、食物繊維は、消化・吸収されずに小腸を通って大腸まで達するが、町内の善玉菌を増やし、体の免疫力を高めるといわれる。その上で、注目すべきは、〝万病を治す力がある〟と古くから重宝されてきたショウガが、御供養の中に含まれていたことである。ショウガは、胃腸の消化・吸収を助けるほか、体温の上昇や血行改善の効果、さらには免疫力を大幅に向上させるとの研究もある。ただ、健康に良いからといって食べすぎには注意しなければならないが、感染症対策に有効な食品であることには間違いない。ショウガは供養された回数を見ると、少なくとも9回。そのうち4回が大聖人が健康を害され、「下痢(くだりばら)」(御書1179㌻)などに苦しめられていた建治3年(1277年)から弘安元年に集中していることから、腹痛などを抑えているためと考えられる。また、柿が届けられていることも興味深い。下記に含まれるタンニンには、ウイルスを不活化する効果があることが報告されており、感染症予防にも期待されている。◆◇◆供養されていた品々の中には、穀類(コメ、ムギ、アワ)、イモ類(サトイモ、ヤマイモ、コンニャク)のほか、ダイズやササゲなどもある。最近では、コメ、ムギなどを混ぜて食べる〝雑穀〟の良さが見直されているが、当時もアワとコメを混ぜて食べられていたことが知られている。イモといえば、ジャガイモやサツマイモを思い浮かべる人が多いかもしれないが、鎌倉時代には、まだ伝来しておらず、大聖人が主に食されたイモはサトイモだと考えられる。実は、このサトイモも感染症に有効である。ヌメヌメした質感をつくる成分が含まれており、それらには免疫力を上げ、粘膜を潤して細菌が侵入するのを防ぐ効果があるとされる。また供養されたアマノリ、ワカメなどの海藻類には、食物繊維やミネラルが豊富に含まれている。鎌倉時代は今のような冷蔵技術もなく、食材を発酵食品や乾燥食品にして保存するしかなかった。 仏法は生活法懸命な食生活に感染症に打ち勝つヒントがしかし、発酵食品は発行を促す善玉菌の作用が腸内を活発にし、免疫力や解毒力を高めてくれる。乾燥食品も調理して戻すことで、摂取量の向上につながる。いずれも、感染症対策から考えて効果的なのである。◆◇◆残念ながら、大聖人が口にされた量までは分からないが、品目から見れば、WHOの栄養指針からも外れていない。また私が研究対象とするトマトやピーマンの伝来しておらず、現在と比べて種類は乏しいと言わざるを得ないが、感染症に立ち向かうために必要な食材が多く入っていることに、深い意味が感じられてならない。鎌倉時代の人々は、食が病の治療に有効であることを経験的に会得しており、食べてよいもの、禁ずべきものを、それぞれの病にあって定めたといわれる。大聖人や門下たちも、そうしたことを重視していたのではないだろうか。また、人体の健康は、さまざまな栄養を取ることで保たれている。たとえ少ない種類であっても、逆に言えば、「好き嫌いをせず、何でも食べた」ことが健康につながったのではないかと考える。◆◇◆その上で、仏法の「食」の捉え方は、さらに深い。具体的には、「倶舎論」に説かれる「段食」「触食」「思食」「識食」の四つの「食」である。最初の「段食」は、実際に口にする食物のことで、〝段々とかみ砕く〟ことから、こう呼ばれるが、実は、咀嚼回数も、感染症予防に重要な役割を果たす。咀嚼回数は、唾液の分泌量と比例するが、唾液には消化酵素や抗菌成分などが含まれている。つまり、噛めば噛むほど、口から侵入するウイルスの感染症リスクを下げられる。また、かむことは消化に良いだけでなく、体の免疫機能を向上させることも知られている。1回の食事当たりの咀嚼回数は、鎌倉時代で早く2600回に対し、現代では600回程度といわれており、鎌倉時代の方が、免疫力が高かったともいえる。二つ目以降の「触食」は、素晴らしい音楽や美術などに触れ、喜びや楽しみを得ること。「思食」は、元気になる思想や希望を抱くこと。「識食」は、心に備わる生きようとする力のことである。これらは、心の面から生きる力を増強していくことを意味する。こうした心身両面から「食」を考える視点は、現代にあっても光る。WHOの栄養指針では、メンタルヘルスを挙げているが、むしろ時代が、仏法哲学に追い付いてきたことさえ感じさせる。◆◇◆こうして見ると、鎌倉時代、大聖人と門下たちは、巧みな智慧で感染症に立ち向かっていたことが分かる。「食」は毎日の暮らしにある当たり前の光景だが、そこに感染症に打ち勝つ一つの変化があることを教えてくれる。ましてや、仏法は「生活法」である。コロナ禍の今だからこそ、それぞれの場所で懸命な食生活を心掛けることが大切であろう。例えば、今の日本人は、果物と野菜の摂取量の基準を満たしておらず、特に野菜の摂取量は、昔の日本人よりも下がったといわれている。この原稿を読んでいただいた方が、〝日々の生活の中に、果物や野菜を一品でも多く取り入れていこう〟〝バランスの良い食生活を心掛けていこう〟と行動していただければ幸いである。 いなくま・たかひろ 1952年生まれ。同志社大学大学院工学研究科博士課程(前期)終了。農学博士、技術士(農産製造学)。主な研究分野は、野菜と果物の機能性研究と食品加工。大手食品メーカーの研究所で基礎研究部長、首席研究員を務め、帝塚山大学現代生活学部教授。京都光華女子大学健康科学部教授を経て現職。創価学会学術部員。副圏長。 【危機の時代を生きる】聖教新聞2020.11.6
October 29, 2021
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第2回文学から感染症を読み解く東洋哲学研究所研究員 山崎 達也さん 感染症を題材にした文学作品には、人間の生き方や信仰者のあるべき姿を教えるものがある。「危機の時代を生きる—創価学会学術部編」の第2回のテーマは、「文学から感染症を読み解く」。中背哲学・進学が専門で、西洋文学に詳しい東洋哲学研究所研究員の山崎達也さんの寄稿を紹介する。 他者の苦悩を受け止め共に立ち上がる「同苦」こそ良き信仰の本質突然のように降りかかった新型コロナウイルスの拡大に、社会は先行きが見えなくなり、不安が襲う中、人々は希望を見いだそうと必死に生きている。私たちは、この感染症の存在をどう捉え、どう立ち向かっていけばいいのか。歴史を振り返れば、過去にも感染症の脅威はあり、多くの歴史家や文学者、哲学者らの著作の中で取り上げてきた。そうしたことから学ぶとることも必要であろう。◇◆◇例えば、古代ギリシャの哲学者プラトンは晩年、こう述べた。「『不当な利得をむさぼること』(自分の分け前より多くをもつこと、過度)こそ、身体のなかに現れるなら『病気』と呼ばれ、季節や年月のなかに現れるなら『疫病』と呼ばれる」(森進一・池田美穂・賀来彰俊訳『プラトン全集13』岩波書店)と。つまり、むさぼる心が「病気」の原因となり、さらに「疫病」の原因になるということである。ウイルスや細菌が感染症の原因であることは、今日において医学の常識である。ゆえに、感染の原因をその患者個人の心の問題に帰することはできない。ただ、人類全体として見たときには、環境破壊によって野生動物のすみかが奪われ、野生動物由来のウイルスが人間社会に進出したとする説や、地球温暖化によって氷山が解けることで、そこに眠っていたウイルスの活動が始まるとする説も専門家から出ている。人間の欲望が環境破壊をもたらし、今日の感染症流行の原因となっているのだとすれば、それは、人類が地球環境の保全に真剣に取り組むべきことを告げる警鐘なのかもしれない。◇◆◇そもそも「パンデミック」(世界的流行)という言葉は、「全ての人々に関わる」を意味する古代ギリシャ語「パンデーモス」に由来する。これはパンデミックが、国籍や人種、性別、年齢に関係なく、誰もが感染者となる可能性を有しており、世界中のすべての人々に関わる問題であることを示す。一方、パンデミックによって感染した人や志望者は、数字情報として表示される。毎日更新されるこの情報に私たちは慣らされ、次第に個々の人間の死は「抽象化」されていく。そして、最初は〝感染したらどうしよう〟と緊張感を持って対応していた3密(密閉・密集・密接)の回避も、時間がたつうちに「単調」と感じるようになっていく。◇◆◇こうした「抽象化」「単調」という視点は、フランスの作家アルベール・カミュの小説『ペスト』からも読み取れる(以下の引用は、宮崎嶺雄訳『ペスト』創元社)。カミュはつづる。「ペストというやつは、抽象と同様、単調であった」と。—舞台は、アルジェリアにある実在の都市オラン。物語は、町中のネズミが次から次へと謎のうちに死んでいくことから始まり、やがてその死は人間にも及び、日がたつにつれて志望者も増えていく。この中で、主人公である医師リウーは一人、感染症に立ち向かう。 フランスの作家カミュ誰の胸中にも賛美すべきものが 「ペストと闘う唯一の方法は、誠実さということです」と語るリウー。それは、患者の苦痛を少しでも和らげ、その寿命を永らえようとする医師の職務を果たすことであった。自らの感染の危険をも顧みず、たとえほかの人があきらめても、全力で感染者の治療にあたるリウー。その姿に心動かされ、周囲の知人たちも協力し始める。カトリックのパヌルー神父は、教会で人々に〝ペストは人間が生まれなからにして背負った原罪に起因する〟と説き、悔い改めて信仰に励めと奨励した。この説教は当初、人々の苦しみを抽象化する教会の権威として、やや批判的に描かれる。だが、そのパヌルーもまた、リウーの奮闘に刺激を受け、患者への貢献を始める。やがて、物語に転機が訪れる。それはある少年の死であった。家族から離されて隔離病棟に移され、たった一人でペストと闘う少年。その様子を描くカミュの筆致はリアリティーに満ちている。少年が断末魔の苦しみに悶絶し、悲鳴を上げて息絶えるさまは、読者の胸をも締めつけるような鮮烈な描写だ。少年の最後をみとったリウーやパヌルーらは苦悩する。〝どう見ても、この子に罪があるとは思えない〟—リウーの言葉に絶句したパヌルーは、この経験によって抽象的な罪を説くことをやめ、患者の苦しみをわが苦しみとして受け止め、自らの感染を辞さずに患者への貢献を続けるのである。カミュは、パヌルーの信仰の純粋性を「理論」から「行動」へと変容させて描いてゆく。◇◆◇もちろん、これは現実の物語ではないが、重要な示唆を与えてくれる。それは、より良き信仰の本質とは、他者の苦しみを、リアリティーを持って受け止め、共に苦しみ、共に乗り越えようとする強さにある、ということである。「一切衆生の苦を受くるは悉く日蓮一人の苦なるべし」(御書758㌻)とは、日蓮大聖人の仰せである。仏の生命とは、苦しみのない境涯のことではなく、他者の苦しみを自らの苦しみとして受け止められる境涯のことだ。池田大作先生は、この仏界の生命の振る舞いを「同苦」という言葉で表現されている。カミュがリウーやパヌルーの姿を通して示したかったのは、「抽象化」「単調」を乗り越えて同苦する生き方ではなかっただろうか。私たちも〝人ごと〟になってしまいがちな、このパンデミックを捉え直し、感染者に同苦する生き方、そして医療従事者の尊い献身への共感を、この作品は喚起しているように思えてならない。◇◆◇ パンデミックを乗り越える力は「人間革命」の実践に! 小説の中で、リウーは語る。「僕が心を惹かれるのは、人間であるということだ」人間は人間を離れて人間とはなれない。語り合い、触れ合う中で人間となる。それは、同苦にあっても同じであろう。他者の苦痛を完全に理解することはできないかもしれない。しかし、同苦しようと思うことはできる。人間だから同苦するのではない。同苦しようと思うから人間なのである。人間には、いかなる苦境にあっても高邁な心を持ち、耐え忍ぶ賢明さがある。人間には、希望を見いだし、むしろ苦境をバネとしていく強さがある。そして何より、周囲を思い、共に支え合って乗り越えていく思いやりがある。そうした人間の持つ善性を信じ、人間の可能性を開花させてきたのが、学会の「人間革命」運動である。池田先生と対談集『哲学ルネサンスの対話』を編んだアメリカの哲学者であるルー・マリノフ博士は、先生との語らいを終えた際、対話から学んだこととして、こう述べた。「人間を人間タラ占める条件は何か。それは、自分自身の最大の価値を開発していこうとする成長の心」です」「その人間の条件を、具体的な運動として展開しているのが、創価学会の師弟と人間革命の実践であるといえます」人間革命とは「自己の欲望や感覚的喜びにとらわれている生命」への転換を意味する。その実践は、人間の中に飛び込み、自分を磨くことから始まる。そこには、パンデミックに巣くう「単調」を打ち破る力がある。そして、目の前の一人に寄り添い、同苦し、ともに立ち上がっていく作業である。ここには「抽象化」を乗り越える力がある。また人間革命とは、あらゆる物事を〝自分事〟と捉え直し、足元から変革してゆく運動である。そうした連帯を広げていくことは、感染症の教訓を生かしながら人類を分断から共生への方向へと導き、環境保全などにも取り組んでいく力となる。ここに私は、今置かれている現状を克服する大きな可能性があると信じる。希望の源泉は、私たち一人一人の中に厳然と存在している。最近は新型コロナウイルスの研究が進んだことで、マスクを着用するなどして感染リスクを下げられることも分かってきた。そうした知見を踏まえ、それぞれが懸命に地域の人々と関わりながら、人間革命の歴史を築いていく必要性を感じてならない。◇◆◇『ペスト』の最後、カミュはつづった。「天才のさなかで教えられること、すなわち人間のなかには軽蔑すべきものよりも賛美すべきものの方が多くあるということを」この〝人間らしさ〟を自ら体現し、他者のなかに輝くものをたたえ、励ましていく本源的な運動こそ、人間革命である。友のため、そして地域・社会のために行動する庶民の連帯は今、世界192カ国・地域に広がり、地球を包む。その登場からわずか10カ月で、人類の1割もの人が感染したとされる新型コロナウイルス。この未曽有のパンデミックを、後の歴史家は、世界史的転換の時代の幕開けとして位置付けるだろう。その中にあって、学会の草の根運動こそ、後世に語り継がれる歴史となるに違いない。 やまざき・たつや 1957年生まれ。創価大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。その後、ドイツ・ポーフム大学カトリック神学部に研究留学。現在、創価大学、都留文科大学非常勤講師。博士(文学、南山大学)。専門は中世哲学・神学。創価学会学術部員。 【危機の時代を生きる】聖教新聞2020.10.21
October 11, 2021
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パンデミックの倫理学児玉 聡 世界で猛威を振るう新型コロナウイルスの感染拡大。各地では外出や移動の禁止、都市封鎖など、拡大防止策がとられていたが、これらは個人の自由や経済活動の制限も伴うものである。こうした規制はどう正当化できるのか。「パンデミックの倫理学」について研究する児玉聡・東京大学大学院准教授に聞いた。 個人の自由は制限できるのか社会との根源的な問いが 正当化できる根拠は倫理学のテーマの一つに、個人の自由をどこまで尊重するのか、社会は個人の自由をどこまで制限してよいのかといった問いがあります。今回のパンデミック(世界的大流行)では、中国部間で都市封鎖が行われ、ヨーロッパ諸国でも外出や移動が禁止されましたが、こうした個人の自由の制限は何を根拠として正当化できるのか、倫理学は答える必要があると考えています。例えば、J・Sミルは個人の自由の制限が正当でありうるのは、他人に危害を加える場合に限られると、『自由論』で論じていますが、この他者気概言説によって、都市封鎖や外出禁止を正当化できるのかなど、倫理学視点からパンデミックの中で行われる政策について考える必要があると思います。感染が明らかで他者に感染させる可能性がある人を隔離し、自由を制限することは、他者気概原則からするとやむをえない措置と考えられます。しかし、この他者危害原則を感染していない人や感染しているか分からない人に当てはめようとすれば、拡大解釈ということになります。一方、本人の利益の観点から、「外出すると、他人から感染させられる危険があるから外出は止めなさい」というパターナリズム(父権主義)を根拠とすることもできます。しかし、重症化のリスクが高い高齢者や基礎疾患のある人には当てはまっても、重症化のリスクが低い若者に対しては説得力に欠けるでしょう。都市を封鎖し、外出や移動まで禁止するのであれば、社会全体の利益をその根拠とすることが最も納得できるものではないでしょうか。人々の健康が危機に瀕しているとき、市民の義務としての自らの自由を制限し、全体の利益に協力するということです。特に新型コロナウイルスの感染症では、無症状の人が感染を広げる可能性があるなど、皆が協力しなければ、拡大を妨げない感染症であることを認識しておく必要もあります。 実行に対する透明性の確保を 情報公開と説明責任全体の利益が個人の自由を制限する根拠となったとしても、なお配慮すべき点があります。それは制限の範囲を必要最小限にとどめることや、対策の手続き的正義—市民への情報公開と説明責任という透明性の確保です。さらに自由の制限によって市民が払う犠牲に見合う補償も必要でしょう。2月、横浜港で乗客・乗員に船内待機が要請されたクルーズ船のケースでは、下船禁止は国内の感染拡大防止のために取られた対策でしたが、船内では感染が拡大しました。下船を禁止された乗務・乗員の利益は適切に考慮されていたのか、自由の制限を最小化する選択肢は他になかったのか、さらに対策の決定、実行に対する透明性についても検証される必要があるでしょう。同じことは、特措法による緊急事態宣言の発令についてもいえます。発令までに専門家会議と政府との間でどのような議論があったのか、どのような選択肢が考えられ、最終的に宣言の発令が決定したのか、説明する必要があったと考えます。しかし、そのような課題はありましたが、宣言発令後、日本では東京や大阪などの都市部でも感染が大幅に岩礁し、感染症対策としては有効に機能したようです。 差別生まない対策も一方、緊急事態宣言後、自粛しない市民や店舗を取り締まる「自粛警察」といった現象が生じ、国の規制の在り方が問われました。法的強制力を持たない特措法が自粛警察などといった同調圧力を生んでいるという批判です。しかし、同調圧力という話は多義的で、良い方向にも悪い方向にも働く作用があります。周りの人に合わせマスクを着用する人が増えることで感染拡大の防止につながれば、それは社会にとっても個人にとっても利益になります。重要なことは誰もが納得し協力できる説明責任を果たすことです。また、罰則的の外出禁止令を発令した英国でも、都市部から別荘地に来る人々に対する自警団的な動きが問題になっていました。従って、法的強制力が自粛要請化といった選択ではなく、いずれの場合にも発生する同調圧力のコントロールが大切であるということです。そのためには、市民が市民を力ずくで従わせるということは許されない、そうした認識の共有も必要です。感染拡大の初期段階には、その防止策が感染者や家族、医療従事者への差別として向けられることもあります。こうした社会の副作用に対しても、政府が事前に議論しガイドライン等を準備しておく必要があると思います。パンデミックに限らず非常事態が生じたとき、個人の自由の制限はどこまで許されるのか、個人と社会との根源的な問いを立てて、考えておく必要があります。医療法界が迫るなかで、医療資源の配分を巡って個と全体の利益が相反する事態も生まれることがあるでしょう。医療法界に備えることは当然ですが、それを超える事態が起きたとき、人々に公平に、そして差別を生むことのないようにするには、どのような対策が必要か、その倫理的課題を見つけ、議論しておくことが大切です。 【文化Culture】聖教新聞2020.10.20
October 10, 2021
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第1回感染症を巡る宗教と社会創価大学文学部教授 井上 大介さん 幾多の感染症に立ち向かってきた人類。その中にあって、宗教は心の支えとなり、乗り越える力を与えてきた。新たな感染症が猛威を振るう今、宗教はどのような役割を果たし得るのか―。「危機の時代を生きる—創価学会学術部」では、過去の歴史や最先端の科学の知見を踏まえつつ、現代における仏法の価値などを論じていく。第1回は、社会における宗教の役割などを研究してきた創価大学文学部教授の井上大介さんの寄稿を紹介する。 新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)は、世界で100万人もの命を奪い、今この時も広がり続けている。人々の間にこうした不安が漂う中で、宗教はどのように位置づけられてきたか。WHO(世界保健機関)は4月、信仰コミュニティーに対する〝実践的な考察と提言〟を発表し、正確な情報の共有による恐怖や偏見の軽減、コミュニティーの強化、精神的連帯などの領域で、宗教団体が貢献し得るとして期待を寄せている。創価学会が科学的知見を重視して、人々の集う会合を速やかに中止し、電話やオンラインなどを使っての連携の強化や、機関誌などを通じて専門家による感染症予防対策の啓発活動を展開しているのは、その好例である。一方、韓国とフランスでは、宗教団体がクラスター(感染者集団)の中心となってしまった。それぞれの教団では〝信仰していれば感染しない〟といった幻想を人々に抱かせ、科学的・医学的知見を無視した結果、人々の「密集」状態が無反省に継続された。◆◇◆こうした二極化は、歴史を振り返っても起きていたことが分かる。時代をさかのぼった事例では、3世紀のローマ帝国。疫病が蔓延した時、ローマの人々の光明となったのは、キリスト教世あった。キリスト教団には医療の知識や技術があり、疫病に苦しむ人たちを看護師、救おうとしたのである。当時、ローマにそのような集団はなく、病人が快癒すれば、ローマ市民はそこに〝キリスト教の奇跡〟を見たのである。一方、そんなキリスト教も、ペストがヨーロッパに蔓延した14世紀の半ばには、社会不安のスケープゴート(いけにえ)として、ユダヤ教徒にペストの責任を転嫁し、迫害したという歴史が知られている。さらに、それまで疫病にかかった患者を救済することで信者を獲得してきたキリスト教団も、ペストから人々を救済することは難しく、こうした出来事を通して既存の教団は弱体化し、ルターの宗教改革を筆頭とする〝伝統的権威ではなく、各個人の強固な信仰心を重んじる宗教的方向性〟が重視されていくことになった。これらの事例から理解できることは、感染症という社会不安に対し、宗教は一律の対応をしてきたのではなく、各時代の宗教者の解釈と行動によって、ポジティブにもネガティブにも作用してきたという事実である。現代は感染症の研究も進み、さまざまな感染症がどのような原因で広がるかもわかってきている。そうして知見を踏まえつつ、宗教としての価値をいかに発揮できるか。そこに宗教の未来もあろう。◆◇◆さて、感染症がその他の病と比較し、人々にとって大きな脅威となるのは、当然のことながら「人から人に伝染する」という事実である。そのことが人々を社会空間に中で「正常」と「以上」に分離し、後者は「隔離」するといった動向と結びついてきた。ちなみに、インドの階級制度であるカーストも、マラリアから身を守るための感染症対策として考え出されたとの説もある。古代インド人は階級の固定化をすることで人と人との交流を制限し、蔓延を限定的にしようとしたのだろう。もちろん感染症対策において、「隔離」は有効な手段の一つである。しかし、その「隔離」が身体的なものだけに限らず、差別や精神的な隔離、排除になってしまうことは問題ではないだろうか。昨今の新型コロナウイルスを巡る報道からも、感染者や医療従事者への差別といった心的動向は、見てとれる。これは人間社会、人間文化というものが、その存在の危機に際し、常にスケープゴートを求め、異質なる他者にその責任を転嫁するという傾向を有しているからである。◆◇◆他方、宗教は歴史的に、こうした差別に抗する力となり、人々を連帯へと導いてきた。また病や老化、死をネガティブなものとして排除する傾向に対し、そこにこそ生命尊厳の最も重要な意味があるとするメッセージを発信し、人間の根源的悲嘆を乗り越える原動力となってきたことも事実である。感染症の話しとは異なるが、近年の福祉論では、「ホモ・クーランス(ケアする人)」という言葉が注目されている。人間は誕生時も、自分自身だけで済ますことはできないという考えが基になっており、〝人は他社からケアされ、他者をケアする中で生きていく〟との概念である。こうした人間像は、宗教実践における核心であり、時代が変化しても宗教的なものが求められるという証しではないだろうか。現在は、世の中に〝宗教は不要〟との風潮もある。しかし、私はそうは思わない。分断や対立、世別が蔓延するコロナ禍にあって、他者に尽くす心や一人一人が連帯していく大切さを教え、どのように生きるべきかをという根源的な問いに示唆を与える宗教の役割は、より大きなものになると考えている。また、宗教はそもそも、感染症の歴史の中で発展してきたともいえる。キリスト教、仏教、イスラム教などの世界に広がった宗教は、中東からインドにかけた地域で誕生したが、この地帯は古くから豊饒な大地である一方、マラリアや天然痘などの疫病の多発地帯であった。干拓が進んで人口が増加し、人の往来も盛んになると、やがて疫病の大流行に襲われるようになる。しかし当時、次々と人の命を奪う疫病がなぜ起こるのかは、誰にも分らなかった。そうした不安にさいなまれる人々の救いとなったのが、宗教であった。人々は、その中に希望を見いだそうとし、事実、与えてきたからこそ、今でも存在している。◆◇◆宗教は人類史において、重要な役割を果たしてきた。そうした点を踏まえ、これからの世界にはどのような宗教が求められていくのか。私は今、20世紀の高名な歴史学者アーノルド・J・トインビー博士の知見や態度に学ぶべき点が多いと感じている。博士は1972年と翌73年に池田大作先生と対談し、この内容は対談集『21世紀の対話』として結実した。博士は、ライフワークともいうべき大著『歴史の研究』を61年に完成したのちも改訂版を著しているが、文明評論家の謝世輝氏によれば、先生との語らいの後に、発刊された改訂版では、博士の歴史観に変化が表れているという。 歴史学者トインビー博士の主張覇権競争は人類のためならず世界宗教が世界を一つに結ぶ それは、「覇権競争によって生まれる世界国家が、世界宗教を生む」という考え、つまり、世界的な戦争によって、人類がその愚かさから目覚め、初めて世界宗教が生まれるという見方から、「世界宗教の共通の基盤の上に、世界国家(世界連邦)が建設されねばならない」と、従来の主張を変更したことである。謝氏は、この変化は、池田先生との対談によるところが大きいと述べている。いずれにせよ、歴史研究に人生を捧げた博士が、最晩年に世界国家建設のための宗教の重要性を強調したことは傾聴に値しよう。この対談集で、トインビー博士は、世界宗教が備えるべき条件として、「自己超克」を遂げた。これは利己主義に支配された〝小さな自分〟を乗り越え、周囲の人々の幸福のために尽くす〝大いなる自分〟を築くことである。人類がさまざまな危機を克服し、共生していくためにも、この自己超克を可能にする宗教が不可欠であるというのが、博士の洞察であった。そうした宗教には、他者を異質な存在として排除するような思想はない。弱者を包み込む全員類的価値に根差した道義性、倫理観が知見を学び、生かしていける哲学の深さがある。そして何より、相手から謙虚に学び、共通点を見いだし、自他共に高めていこうとする魂の触発作業がある。それは、まさに池田先生が世界一級の知性と対話をはじめ、自らの行動を通して示されてきた道ではないだろうか。◆◇◆創価学会のメンバーはコロナ禍の中、たとえ直接会えなくても、オンラインなどを使って一人一人に寄り添い、友情の絆を強めてきた。たとえ自分が苦境にあっても、友と励まし合い、ともに困難を乗り越えようとし奮起してきた。世界のあの地この地の友には、そうした自己超克の心があふれている。とりわけ、次代を担う世界の青年たちは先月27日、オンラインでつながり、世界青年部総会を開いた。〝大悪を大善に転じるために立ち上がろう〟〝一人一人が今いる場所で希望を広げよう〟と誓いを燃え上がらせる若人の姿に鼓舞されるものを感じたのは、私だけではないだろう。世界が分断に向かう今、人類を結び、民衆の連帯をもたらす力の源泉は、世界宗教に求めるほかない。その連帯の中核として、創価学会への期待は、今後、ますます高まっていくに違いない。 【危機の時代を生きる■創価学会学術部編■】聖教新聞2020.10.7
September 23, 2021
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多様な不安を受け止めて共感を示すことから始める 長期化するコロナ禍にあって、私たちはそのように不安と向き合えばよいか—。今回の「危機の時代を生きる」では、社会心理学を専門とする新潟青陵大学大学院の碓井真史教授に、話を聞いた。(利き手=志村清志・村上進)新潟青陵大学大学院教授 碓井 真吏教授 インタビュー—新型コロナウイルスの流行は、社会にさまざまな不安を呼び起こしました。 心理学において、「不安」は、眼に見えないものや未知のものに対して抱く感情とされます。一方で「恐れ」は、対象のはっきりしたものに対して抱く感情です。人間は、ウイルスのように、肉眼で認識できないものに対しては、不安を強く抱きます。すると、その不安をかき消そうとそわそわしたり、適切な判断ができなくなったりして、非合理的な行動をとってしまいがちです。今回の感染が流行し始めた頃、ウイルスに関する情報が少なかったこともあり、社会全体が〝浮足立っていた〟印象があります。マスクやトイレットペーパーを必要以上に買い占めるような過剰な行動は、不安の裏返しであり、一時の安心を得るためのものという側面がありました。 「ゼロリスク」を求め過ぎない —コロナ禍の影響が、今後も続いていく中で、私たちは、不安とどのように対峙すればよいでしょうか。 危機的な状況下では、ある程度の不安は、自分の身を守るために必要です。むしろ、その不安を自分でコントロールできるかどうかが求められます。そのためには、リスクを完全になくす「ゼロリスク」のようなあり方を求め過ぎないことが大切でしょう。そもそも、ウイルスの感染症を完全に防ぐことは不可能に近い。身体的距離の確保や3密の会費など、感染リスクを抑える方法は提示されていますが、リスクを完全になくすことは難しいと思われます。にもかかわらず、「ゼロリスク」にこだわり続けると、かえって誤った情報に振り回され、感染者への差別といった過激な行動に走ることもあります。不安との適度な距離が必要でしょう。最近では、流行初期のような混乱は減っているようですが、感染リスクに対する不安の度合いに、大きな個人差が生じてきていると感じます。こうした感じ方の違いは、ライフスタイルの野となり、社会の分断にもつながりかねません。政府の提示する「新しい生活様式」は、義務ではなく、一つの実践例といえます。大切なのはそれぞれが、自他の健康に配慮しつつ、時々の状況に合わせて自らの清潔様式を生み出すていくことであって、他人に強制し、縛るためのものではありません。マスクを着用しない人に対するバッシングも問題になりました。着用しない人の中には、心肺や皮膚の疾患など、さまざまな事情で〝着用できない〟人もいます。また一方では、感染リスクに過敏になって、心身ともに余裕がなくなっている人がいることも理解する必要があります。いずれにしても、社会や地域には、さまざまな感じ方の人がいるという認識を大事にしてほしい。違う考えを持つ人に対して、責めたりしても何の解決にもなりません。真っ向から否定するのではなく、まずは共感を示すことから始めるのが大切だと思います。 正しさは刻一刻と変化する十何に対応する視点が必要 —不安をコントロールするうえで、情報との向き合い方も大切になります。具体的なポイントはありますか。 情報を発信する側には、感染症のような危機に直面した際のリスクコミュニケーションの質を高めることが求められます。情報の正確性は必要ですが、そのうえで相手が、その情報をどう理解するかという視点が大切です。例えば、「今夜、1時間に100㍉の雨が降る」と発信するだけでは、深刻さが伝わらない可能性がある。相手に伝わる情報でなければ、不安を取り除いたり、リスクへの対応を促したりすることはできません。その意味では、単に「正しい言葉」というより、「伝わる言葉」を使うように心掛けていきたいと思います。心理学の研究によれば、部屋を散らかした子どもに「お片付けしましょう」と言うより、あえて「散らかして遊ぶのって楽しいね!」と言った方が、子どもはきちんと片づけをするといわれます。たとえ一言であっても、相手の心情や状況を考慮した言葉使いが重要になってきます。また情報を受ける側にも注意すべき点があります。災害のような危機的な状況になると、デマ情報が拡散しやすい。ある研究によると、それらは2種類に大別されます。一つは「恐怖デマ」です。「こんな恐ろしいことが起きている」「今夜、もっと恐ろしいことが起きる」といった情報は、もし本当であれば大変なことになります。〝家族や友人に伝えなければ〟と思う人も少なくないでしょう。そうした心理から、恐怖を煽るようなデマが広がりやすくなります。もう一つは「希望デマ」です。危機的状況から抜け出す方法は、情報としての価値が高い。周囲に伝えたい心理が働きます。実際、今回のコロナ禍では「お湯を飲むと感染が防げる」といったデマ情報が拡散しました。SNSが普及している現代社会では、誰もが簡単に情報の「発信者」にも「受信者」にもなり得ます。一人一人が情報の取扱いには、慎重になるべきでしょう。 —正しい情報を見極めるために、私たちが気を付けるべき点は? そもそも新型コロナウイルスは、未知のウイルスです。科学的に正しいとされる情報は、まだ決して多くはありません。専門家の論文でも、それぞれの内容が食い違っている場合があります。現状の感染の防止策も、絶対正しいとは言えないかもしれない。コロナ禍にあって、「正しさ」は単一ではありません。刻一刻と変化するものだと考える方がよいでしょう。時々の状況によって、最適解を選択し、対処する「柔軟性」が求められます。もちろん「正しさ」を求める姿勢は大切ですが、「正しさ」を求めすぎてしまうと、情報に振り回され、デマを信じてしまう可能性もあります。メディアとの向き合い方や使い方を工夫し、意識的にテレビを消すなどして、心を整理する時間も必要でしょう。 こころの免疫力高める宗教に期待人間の本質再考させるコロナ禍 —当面の間、感染リスクがなくなることはなさそうです。その中で、不安な状況に柔軟に対応するために、心掛けるべきことはありますか。 今回のコロナ禍のように、長い間、不安にさらされると、本人でも気付かないうちに心身の健康を損なう恐れがあります。感染が流行してから約半年が経過し、少しずつ緊張が解けてきた分、今までの〝疲れ〟が出ることによるリスクも考える必要があります。ウイルスの感染を防ぐためには、体の免疫力を上げることが有効だとされますが、同様に、不安にさいなまれないためには「心の免疫力」を高めることが大切だといえます。「心の免疫力」が高ければ、多少の不安を抱えたとしても、平静を保つことができます。では、どのようにして高められるか—。日々の生活が充実しているか、良好な人間関係に恵まれているか、といった「日常の安心感」を持てるかが、大切になってくるでしょう。人々に「安心感」を提供するという意味で、私は、信仰の果たす役割は大きいと考えています。信仰は、不安や困難に立ち向かうための「心のよりどころ」になります。そうして得られる安心感は、「何とかなるから大丈夫」といった〝気休め〟とは違う感覚です。また創価学会のような地域に名指したネットワークの存在は、ソーシャルサポート(社会的支援)の役割も期待できます。悩みを相談できる存在が身近にいること、また自分自身も人のために行動切るという感覚も、「心の免疫力」を高めると思います。 —コロナ禍という、先行きの見えない状況にあって、私たちが前向きに生きるためには、何が重要となりますか。 心理学の研究によれば、「幸福」は特別なぜいたくから生まれるわけではなく、日常生活の「安定」から生まれます。しかし、その安定はいつまでも続くわけではありません。事実、コロナ禍の影響で、私たちの日常は大きく変わりました。経済的困難や心身の不調を経験した人も多いかと思います。変化の過程において、人間は不安や戸惑い、喪失感を抱く場合が多い。そうしたネガティブな感情を乗り越えるためには、「希望」が必要になります。ウイルスとの共存を想定した「新しい日常」に踏み出した今、多くの人が希望を求めていることでしょう。今回のコロナ禍は、一側面から見れば、哲学的な問題ともとらえられます。「生きる意味とは何か」「生命はどのような存在か」—新型コロナは、そうした人間の本質を再考するような問いを示しているような気もします。コロナ禍を機に、私たち人間の生き方に、新たな変化を生み出すことができると考えれば、そこに大きな希望見いだせるのではないでしょうか。感染症の流行という危機的な事態を、人類の「転換点」としていけるかどうか。それは私たちの行動にかかっていると思います。 うすい・まふみ 1959年生まれ。東京都出身。日本大学大学院文学研究科博士後期課程心理学専攻修了。専門は社会心理学。2006年から現職。新潟市のスクールカウンセラーとしても活動する。テレビやラジオにも出演多数。著書・監修に『あなたが死んだら私は悲しい—心理学者からの命のメッセージ』(いのちのことば社)、『史上最強図解 よくわかる人間関係の心理学』(ナツメ社)など。 【危機の時代を生きる】聖教新聞2020.9.26
September 9, 2021
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歴史の視点で見るコロナ禍「エゴ」や「敵意」の克服が鍵作家・歴史小説家 安部 龍太郎氏 —今回のコロナ禍による危機について、どのように捉えていますか。 新型コロナウイルスの発生源は正確には分かっていないものの、エボラウイルスと同様、コウモリが起源ではないかとされています。人類を脅かすウイルスの多くは、もともと自然の中で静かに存在し、野生動物などと共存していました。それを、人間が活動領域を広げるために自然を破壊し、野生動物を食用化したことなどを通して、人に感染するようになったといわれています。いわば、ウイルスと共存していた「自然の領域」に、人間が踏み込んだことによって、自ら感染症を引き起こしたのです。こうした背景には何があるのか。私は、人間の〝自分さえよければいい〟という「エゴイズム(利己主義)」が招いた結果だと考えています。エゴは、自然や他所、あげくは未来からの「収奪」もたらします。今の生活の豊かさを追求するあまり、地球の資源を搾取し、子や孫の代まで負担を押し続ける環境破壊は、自然や未来からの収奪の最たる例でしょう。また人類は、他者からの収奪のために、醜い争いを繰り返してきました。その根底には他者に抱く「敵意」があります。人狼の最大の弱点は、こうした「エゴ」や「敵意」といった感情を制御できないことにあると、私は長年、主張してきました。だから有史以来、戦争や紛争が絶えず、ついには核兵器の開発・使用にまで行き着いてしまったわけです。こうした感情を克服できなければ、人間自身が滅亡の危機を迎える。人類がエゴと敵意を克服しなければ、グローバルな時代の感染症越えられない—今回のコロナ禍は、そういった本質的な課題を突き付けているのではないでしょうか。 —国内ではどんな課題が現れているのでしょうか。 一つは、政治・経済・社会の問題が明るみに出たことです。インバウンド(訪日外国人客)や国際的なサプライチェーン(部品の調達・供給網)など、政府も企業も、グローバル経済に頼りすぎた成長戦略が行き詰っています。また歴史的に見れば、明治維新以降の富国強兵、戦後の高度経済成長を実現させるために、一貫して中央集権体制を強化してきた結果、大都市への人口の一極集中と過密状況が進みました。一方で、地方の過疎化や農林水産業等の衰退が深刻化し、地方消滅とまでいわれています。その中で近年、必要性が叫ばれながら遅々として進まない「食料自給率の向上」や「地方分権の推進」といった課題に、コロナ禍の今、改めて目を向けざるを得なくなりました。もう一つは、よって立つ思想・哲学・信仰の脆弱性が露呈したことです。平穏だった日常がかくも簡単に崩れ、社会のリーダーから市民に至るまで、多くの人が右往左往していると感じます。とりわけ今まで、幸せな人生を目指して掲げてきた「生きる目標」が揺らぎ、競争に勝ち抜き、物質的な充足を得ることだけでは、本当の幸福をつかめないことに、人々は気付いたのではないでしょうか。ただ歴史を振り返れば、「危機の時代」は決して悲観的な側面ばかりではありません。むしろ、既存の価値観を脱し、社会の変化に応じた、より幸福な生き方を築いていく変革のチャンスでもあります。今こそ先人たちの歴史に学び、現代に生きる知恵をくみ上げていくことが求められます。 多様なリスクを抱える時こそ民衆に根差した羅針盤が必要 —時代の転換点を生きていくうえで、教訓として活かしていける歴史の場面はアルマスでしょうか。 私は、織田信長、豊臣秀吉といった戦国時代を中心に小説を書いてきましたが、現在は、そこから江戸時代を切り開いた徳川家康にも力を注いでいます。時代の転換点という意味では、江戸・幕藩体制の構築に至るまでの過程は大きなものだったのです。戦国時代、日本は西洋文明を出あい、南蛮貿易の恩恵を受け、経済成長期を迎えました。おこの時、守護領制が崩壊し、強力かつ一元的に地域を支配する信長などの戦国大名が台頭し、覇権を争います。「エゴ」と「敵意」がむき出しの時代と言えます。信長の遺志を継いだ秀吉も、中央集権・重商主義の政策を強力に推進しました。しかし、明国への侵出を企て、2度の朝鮮半島出兵を行うも失敗。秀吉亡き後の疲弊した日本の復興や再建を、どう進めるのか。そこで、重商主義の利益きょうじゅ者である西日本の大名と、農本主義を主流とする東日本の大名が「関ヶ原の戦い」で激突します。天下分け目の決戦は、日本がどういう国になるべきかという方向性を決める「国家路線の選択の乱」だったわけです。家康は西軍に勝利。かつて関東移封後、地方分権・農本主義を軸に統治に成功した自らの体験をモデルとして、江戸幕府を開きました。そして、世界史でもまれといわれる、250年以上に及ぶ天下泰平の世の基盤を築きます。もちろん、家康のモデルを、そのまま現代に当てはめることは難しいかもしれません。しかし、コロナ禍によって、グローバル経済や大都市への一極集中リスクが顕在化し、地方では限界集落といった状況が進む昨今、家康の時代の知見から学べることはあると感じます。特にAI(人工知能)やビッグデータが活用される近年は、全国の中核都市等を軸に、地域ごとに経済や暮らしを充実させていくコンパクトシティ構想なども検討されています。感染症と共に生きる時代を見据え、過度なグローバル経済への依存や大都市一極集中から方向転換する道を開くことが必要だと思います。 —「危機の時代」を生きていくために、思想・宗教はどのような役割を果たし得るでしょうか。 8世紀前半の奈良時代には、天然痘が猛威を振るいました。諸説ありますが、朝鮮半島や新羅などに赴いた日本の使者が、帰国後、国内にウイルスを持ち込んだとされ、国政を握っていた藤原氏4兄弟は全員、疫病で死去。ある研究では、当時の日本の総人口の約3割が死亡したと推計されるほどです。国政の中心を担った聖武天皇は、混乱した世の中を治めるために仏教への帰依を一層深め、日本各地に国分寺・国分尼寺の建立を命じ、その中心である東大寺には、総力を結集して大仏造粒を推進。そうして庶民の間に仏教思想を広め、鎮護国家の構築を目指したとされます。私は仏教思想の一つの特徴は、執着を離れるところにあると考えています。未知の感染症に直面した時、〝自分さえよければいい〟というエゴへの執着をいかに克服するか。そこに、慈悲・寛容の精神が脈打つ仏教思想が支えとなったのではないか。また、仏教的な作法ともいえる距離を取った礼節などの習慣が、長い年月をかけて今日、世界的に見ても感染症予防に適しているといわれる日本人の生活様式を作り上げる基礎になったのではないかと、私は見ています。さらに日蓮の「立正安国論」にも記されているように、鎌倉時代にも疫病や自然災害、基金等が集中した危機の時代がありました。仏教の視点から見れば、当時は釈迦の教えが効力を失う末法に入ったとされ、「何を信じて生きるべきか」と人々は迷い、不安定な状況が続いていました。その中で、蔓延する厭世思想を改め、民衆に根差した希望御羅針盤を示した一人が日蓮ではないでしょうか。中でも、人間の内面にある無限の可能性に光を当て、一人一人の精神的自立を後押しする信仰の確立を促した点は注目に値します。 行き先が見えないならば過去から学び史観を磨け 日蓮が繰り返し訴えた、法華経に登場する不軽菩薩の万人を尊敬する生き方こそ、エゴや敵意を制御し、自利と利他を一致させていく思想だからです。今日の地球的な気候変動による自然災害、未知の感染症のパンデミック(世界的大流行)、分断と対立の社会状況など、多様なリスクを抱える時代にあって、自分自身が責任をもって懸命に判断しなくてはならない局面は増していくでしょう。その意味からも、一人一人がよって立つ、正しい思想や信仰が大切になるでしょう。 —安部さんは、佐藤優氏の対談集『対決! 日本史』(潮出版社)の中で、歴史を学ぶ上での視点を語っています。 私は、「歴史的教育」を身に付けるために重要なのは、①歴史についての情報量②歴史と対峙した経験③そこから生まれる発想力—の3本柱だと考えています。日本の歴史教育は、知識の詰め込みといわれるように、教えられた史実を情報として単に暗記するにとどまっていると思います。また日本史と世界史を二つに分け、選択して学ばせるような教育では、グローバルな思考ができる人材は育ちにくいのです。私が特に重要だと考えるのは「歴史と対峙する経験」です。歴史上の人物が「なぜそういう行動をとったのか」「それが周りにどんな影響をもたらしたのか」ということを思索し、探求するということです。「温故知新」という言葉がある通り、先人の生き様の集積ともいえる歴史を学び、対峙することで、現代をよりよく生きる「発想力」「知恵」が生まれます。未知の感染症をはじめ、先行きが見えない危機の時代に立ち向かっていく今、私たちはまさに、過去の歴史と対峙する好機を迎えています。いつの時代も、歴史から真摯に学び、しっかりとした歴史観をもっていなければ、デマやフェイクニュース、さらには権力者のウソに、簡単にだまされてしまいます。揺るぎない自分を築くためにも、一人一人が「歴史的教養」を磨いていきたいものです。 【危機の時代を生きる】聖教新聞2020.8.19
August 7, 2021
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今日をしのぎ明日を開くコロナ禍の長期化に立ち向かうNPO法人 全国こども食堂支援センター「むすびえ」理事長東京大学特任教授 湯浅 誠さん 新型コロナウイルスの感染拡大の長期化と、私たちはどう向き合うべきか。NPO法人全国子ども食堂支援センター「むすびえ」の理事長を務める湯浅誠・東京大学特任教授に、コロナ禍で見えてきた社会的課題や「新しい日常」のあり方について話を聞いた。(聞き手=志村清志・村上進) ―湯浅さんは、2005年の金融危機の後の「年越し派遣村」で貧困問題の支援にたずさわるなど、数々の社会課題の解決に取り組んできました。今回の長期化するコロナ禍は、私たちにどのような影響を及ぼしていますか。 本年春、国内で新型コロナの感染拡大を抑えるため、緊急事態宣言が発令され、外出や店舗営業などの自粛が要請されました。それによって、感染拡大はいったん収まったものの、飲食や観光関連業をはじめ、多種多様な人々の生活が深刻な打撃を受けました。一方、5月中旬以降、各地で緊急事態宣言が解除され、徐々に経済活動が再開される中で、感染者数は再び増加傾向になっています。このように「感染抑止」と「経済危機」は〝歯車〟のような関係にあって、どちらかを回すと、もう一方も回ってしまう状況が続いています。自然災害の場合、発生時には人命救助最優先で復旧的な措置に残力を傾けていくという意味で、時間軸の移行が見えやすいといえます。しかし、コロナ禍では経済復興を強く回すと、感染拡大によって人命優先の自粛の方向に戻らざるを得ない中途半端な状況が繰り返され、時間軸が長期化していく。これがコロナ禍の難しさであり、怖さだと感じています。さらに長期化すればするほど、生活再建に向けての個人差、いわば「復興格差」は広がります。東日本大震災の時も、しばらくしてから孤立死や自殺の問題が顕在化しました。今回も長期化に伴うリスクには、十分注意が必要です。 ―NPO法人「むすびえ」は、全国で3700以上もある「子ども食堂」のサポートなどをしていますが、どのような課題と向き合っているのでしょうか。 3月頃から、多くの学校が臨時休校を余儀なくされ、給食が食べられないこともあり、「食」に困る子どもや家庭が増えました。これまで「こども食堂」の多くは、安価な食事などを提供しながら、地域の人たちが気軽に集まれる場所として機能してきました。しかし、コロナ禍によって一緒に食事をすることが難しくなった。そのような状況で、衛生面等の対策をしながら、食材等を取りに来てもらい配布するフードパンドリーや、個別に宅配するなど、創意工夫しながら事業を継続しようという動きがありました。そこで「むすびえ」では、各地の「こども食堂」で使ってもらえる食品や運営資金の調達を目指し、全国的に寄付を募り、大きな支援をいただき、現場に届けることができています。ここで大切にしてきたテーマは、「今日をしのぐ 明日をひらく」です。 「平時のつながり」づくりと「非常時の安全網(セーフティネット)」の構築を ―「むすびえ」が今回の取り組みのテーマに掲げた「今日をしのぐ 明日をひらく」には、どのような思いが込められていますか。 「今日をしのぐ」とは、生活危機の進行に歯止めをかけ、生活の崩壊を防ごうという視点です。フードパンとリーや宅配などの取り組みが当てはまります。「明日をひらく」とは、コロナ禍からの復興、さらには行政や企業などと連携いて、誰も取り残されない地域を目指す、中長期的な視点を意味します。6月中旬、「むすびえ」は、全国の「こども食堂」を対象にアンケート調査を実施しました。その奏で印象に残ったのが、「こども食堂」で人が会話できなくなると、「食べることだけの場所になることへの疑問がある」「多年代交流ができないのが残念」といった、「こども食堂」の「本質」に立ち返る記述が多かったことです。「明日をひらく」という観点で、このことは非常に示唆的だと考えています。感染流行する前の平時にあっては、「こども食堂」は、食事提供だけでなく、地域の交流を促進する場でもありました。いわば〝アクセル〟の役割です。そして、コロナ禍という非常時にあっては、食事提供を通して、生活危機に歯止めをかける〝ブレーキ〟の役割があるといえます。「平時のつながり」と「非常時のセーフティーネット(安全網)」―アクセルとブレーキを踏み分けるように、この二つのサイクルを循環させることが、地域におけるつながりを豊かにし、結果的には災害に強い地域を作っていきます。「こども食堂」には、その〝起点〟としての機能が期待されています。「こども食堂」が初めて造られたのは2012年。東日本大震災の翌年です。その後も、日本では多くの災害が発生しました。そして、それと呼応するように、「こども食堂」も全国につくられていきました。愛媛県の宇和島市は、もともと、「こども食堂」がありませんでしたが、18年の西日本豪雨水害の後の1年間で13カ所も開設されました。「病気になって初めて、健康のありがたみを知る」といいますが、非常時になって、多くの人が繋がりや居場所の大切さを実感したのでしょう。そうした経験の蓄積が、「こども食堂」をつくる機運を高めた、と考えられます。 ―「新しい日常」を考える上で、リスクとの向き合い方は欠かせないテーマの一つといえます。その点、湯浅さんはどのように考えていますか。 ここ10年、日本は多くの災害に見舞われました。そのことを考えると、世会は「長い平時の合間に非常時がある」のではなく、「非常時と非常時の間に平時が織り込まれている」と捉える方が適切ではないかという気がします。平時と非常時の反復そのものが、「新たな日常」といえるでしょう。今回のコロナ禍も、ワクチンが普及しない限り、リスクは大きくは減少しません。先月の豪雨水害では、避難所での感染防止が迫られたように、複合的なリスクが立ち現れることも視野に入れる必要があります。また非常時というのは、社会全体で同時になるものとは限りません。個人や家族単位で見れば、交通事故や病気などは、いつ何時、誰に起っても不思議ではありません。昨日まで〝支える側〟にいた人が、急に〝支えられる側〟に回ることもあります。そう考えると、今まで以上に重要視されるのが「地域」の存在です。コロナ禍の影響で、私たちの生活圏域が縮小したこともあり、そう実感している方も多いのではないでしょうか。自分の周囲に「非常時のセーフティーネット」を築くためにも、いかにして「平時のつながり」をつくっていけるかが、この「新しい日常」を送る上で大切な視点になります。2020年という節目に感染症の世界的大流行が起ったことは偶然に過ぎませんが、わたいはそこから2020年代を生きる教訓を引き出したいと考えています。今までの10年は、多くの災害を通して、人とのつながりや居場所の重要性を実感した10年でした。そして、これからの10年は、リスクに強い地域・社会を定着させるための〝勝負の10年〟だと思います。「誰も置き去りにしない世界」をうたうSDGS(持続可能な開発目標)のゴールでもある2030年をどのように迎えるか―今の私たちの行動が、問われている気がします。 多様な悩みを包摂できる〝居場所〟の存在が不可欠 ―現代は「無縁社会」といわれるように、人と人との関係が希薄になりつつある社会です。その中で、つながりを豊かにするために、何が必要でしょうか。 私の実感ではありますが、度重なる災害の経験を経て、社会における「共助」の感覚が強まっている印象を受けます。「むすびえ」が行ったグランドファンティング(インターネットで広く資金を募ること)に関しても、10年前だったら、「そうはいっても、現実は変わらない」という冷たい反応も少なくなかった。しかし今は「10円でも100円でも寄付する方が、大事だ」という雰囲気があります。つながりをつくる〝土壌〟のようなものが、つくられてきたと思います。その上で、地域社会を見てみると、〝縦割り〟の課題別組織が多く存在しています。例えば、病院や警察、役所などは、個々の課題を解決するために機関です。ある人が抱える、さまざまな課題をひとまとめに受け入れることは、しにくいといえます。ここでいう「つながり」とは、人を課題別で見ないで、多様な悩みを、全て包摂するような深い信頼関係を意味します。そうした関係性をつくるためには、ありのままの自分を受け入れてくれるような〝居場所〟が不可欠です。残念ながら、今の社会では、あらゆる人にとっての〝居場所〟になり得るものが不足しています。そうした状況にあって、創価学会のように、地域に根を張ったコミュニティーは、ますます存在意義を増すでしょう。コロナ禍の中で、電話やメール、手紙などで友人とつながろうとした学会員の方は多くいたと思います。平時から〝一度つながった人とは、つながり続けよう〟という意識があってこそ、今回のような非常時に行動に移すことができるのではないでしょうか。今後、より多くの個人・団体が「平時のつながり」と「非常時のセーフティーネット」のサイクルを回すことが求められます。それぞれが、地域のつながりを豊かにする〝起点〟となって、共々に、信頼関係を広げていきたいと思います。 【危機の時代を生きる】聖教新聞2020.8.22
July 27, 2021
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生命尊厳の仏法思想が差別と偏見を越える鍵 国内でコロナウイルスの感染が確認されてから、約7か月。社会に立ちはだかるもう一つの敵が「差別」や「偏見」だ。医療従事者の家族が登園・登校を断られたり、県外ナンバーの車が投石を受けたりといった出来事も報じられた。感染症、検査、隔離、差別―世間をにぎわす単語に触れ、ハンセン病の歴史を想起した。その教訓から学べることがあるはずだ。40年以上にわたり、ハンセン病の臨床医として、日本をなじめ海外でも患者を支援してきた医師を訪ねた。(記事=成川航大、橋本良太) ハンセン病の教訓「日本では国のハンセン病対策が偏見・差別を助長してきた歴史があります」。長尾榮治さん(76)=香川県高松市、県総合長、方面副オクターブ長=は、こう前置きして語り始めた。ハンセン病は「らい菌」により皮膚や末梢神経が侵される慢性の伝染病だ。感覚以上等の症状に加え、顔や手足のまひや変形といった後遺症が知られている。1907年(明治40年)の「癩予防ニ関スル件」(後に「らい予防法」が成立)により、患者は療養所に強制隔離された。各地では「無らい県運動」が推進され、競うように、感染の恐れがない患者までも収容の対象となった。戦後、「プロミン」などの治療薬の開発で〝治る病気〟となってからも、96年(平成8年)の同法廃止まで隔離政策は続いた。長尾さんが香川県高松市にあるハンセン病の国立療養所「大島青松園」に赴任したのは、その隔離の歴史のなか、75年のことである。「青松園勤務を志願した際、医局の上司や先輩からは、大変珍しがられました。「かかわる病気や患者さんも限られる。〝世捨て人〟というような言葉まで、私の耳に届いた」そんな声にもかかわらず、長尾さんを青松園に導いたもの。それは「正しい知識を、私自身が触れ合ってきた患者さんの姿」だった。 「人権」という人類の財産 実は学生時代、創価学会で班長(当時)だった父に連れられ、青松園に暮らす同志の元へ通っていた。「皆さん、誰もが優しいおじさん、おばさんでした。父は病の有無や外見の違いを超え、人間対人間として、相手と接していた。幸運にも、それが私の〝当たり前〟であったわけです。長尾さんが赴任した1975年当時、入所者の数は約550人。大半は〝元患者〟だった。だが、〝外の世界〟から園に向けられる差別は根強かった。「社会復帰を支援し、園から送り出した夫妻がいました。後に、お訪ねすると、住まいは家賃の高いマンションなんです。理由を尋ねると『ここは安いアパートよりも人に会わなくて済むから』と。胸が締め付けられました」数年後、十分な健康管理ができていないまま、妻は手遅れとなった乳がんでなくなり、夫は再び療養所に戻った。「病気としてのハンセン病は治っているのに、後遺症を引き金に差別を生み、患者を社会の端へ、園へと戻してくる。故郷を捨てさせられ、自立のための職業技術を得る機会も与えられなかった。『園内でしか生きていけない人生』といえる状況が作り出されてしまった。彼らを社会から隔絶する壁や溝を壊すことなどできるのかと、私は悩みました。*長尾さんが、一筋の光明を見出した出来事があった。78年10月7日、青松園に暮らす当時60歳ぐらいの壮年部員と共に、学会の第1回「離党本部総会」に参加しました。「長い間、園で暮らし、家族や故郷とも絶縁した方でした。高齢で社会復帰の見通しは低い。創価学会で、人との縁を広げてほしい—医者としてというより、同志として、私が頼み込んで汽車に乗ってもらいました。両脚は義足。顔にも後遺症がある。察して余りある勇気が必要であったと思います」会場であった東京・信濃町の創価文化会館(当時)に着くと、女性の会合役員が、笑みをたたえて歩み寄ってきた。「お手伝いしましょうか」。壮年の義足に気付き、靴を脱ぐのを介助してくれた。長尾さんは振り返る。「役員には、私たちがどういう背景で参加するかなど事前に伝えてはいません。壮年が嫌な思いをすることはないかと一抹の不安を抱いていましたが、杞憂でした。かつて、父や青松園の学会員さんがそうであったように、学会の連帯に、壁はありませんでした」*園の内と外という壁をなくしたい。長尾さんはその後、82年に沖縄県宮古島の「宮古南静園」、90年には本島の「沖縄愛楽園」に赴任する。南静園では、入所者の外部病院での受信を可能にしたり、園の療養所で一般患者の外来診療を受け入れたり、入所者と近隣住民がゲートボールで親交を深めるなど、地域に開かれた療養所の運営を目指した。ある入所者が語った言葉が、今も胸に焼き付いている。「長尾さん。僕はこれまで〝病気がうつる〟〝近寄るな〟と、差別され続けてきた。でも、ここで、園の外の人たちと触れ合いを持つことができ、自分は名誉を回復した」と。入所者の幸福とは何か。長尾さんは問い続けてきた。「多くの観点がありますが、その一つは〝かつて病気を経験して後遺症がある、ありのままの自分と付き合ってほしい〟〝人としての私の存在を認めてほしい〟ということ。『受容』『共生』ではないでしょうか。彼らは声を上げ、戦いを続けています」*新型コロナウイルスは、ハンセン病のような国策は推進されてはいない。だが偏見と差別という点では教訓は生かしうる。「新型コロナウイルスは科学的解明が途上であることで〝未知〟です。〝分からない〟ことで、〝自分が感染するかもしれない〟との不安が増大する。そこから、病気や感染者、やがては、第三者へのネガティブな感情が起こってしまう。だからこそ、私たちは、ゆるがせにしてはいけない価値観を確立することが大切です。それはお互いの人権を尊重することです。ハンセン病患者の歩みは、いかなる不安が社会を覆っても、人権だけは守らなければならないことを教えてくれています」人権を守るという答えを現実のものとするために、何が必要か—。長尾さんは国内だけでなく、タイやミャンマー、台湾など、海外でもハンセン病医療に従事。教育機関での講演や各地のシンポジウムなど、啓発活動にも取り組んできた。「どの国でも参戦病患者の受ける差別のありようは、人種・民族の違を超えて、変りはありませんでした。人類の負の面の共通性を感じました。逆に仏法は『地涌の菩薩』という、人類が共有する根本のアイデンティティーを説いていることに感銘を受けます」「根源の悪」を克服するためには、「根本の善」を一人の人間の胸中に確立するしかない。池田先生は「地涌」とは「民族や人種、国籍や性別など一切の差異を超え、生命の大地の奥深くに広がる大いなる創造的生命」に気づくことだとし、私たちには「(いかなる人も)今この地上に生きる仲間として、自他供の無限の可能性を開き、幸福と平和という価値を創造する底力がある」と訴える。コロナ禍で、先の見えない日々が続いている。友の幸福を祈り、励ましの声を届ける行動の中に、自他供の喜びは創造される。私たちの感染症の不安や恐怖に打ち勝てるか—試されているのは、自分の心である。 【危機の時代を生きる】聖教新聞2020.8.1
July 7, 2021
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肥満 質問 50代の女性です。新型コロナウイルス感染症への対応として外出を控えた結果、運動量が減り、ストレスで間食してしまいがち。体重が2㌔増えてしまい困っています。 内科医 中泉 信彦さんがお答えします。 ステイホームの結果、活動量の低下や摂取カロリーの増加から、「コロナ太り」といった体重増加をきたしている人が少なからずいらっしゃる事がニュース報じられています。「肥満」に関して、お話しさせていただきます。 病気ではないが多様な健康障害を併発 ――体重が増える原因を教えてください。エネルギーの過剰な摂取や、食事中の糖質の割合が多いこと、タンパク質の接種が少ないこと、早食い――などが体重増加と関連しています。また、運動量の減少や座位(座りっぱなし)の時間が長いと体重増加につながることが知られています。 ――肥満は病気なのでしょうか。肥満は体脂肪が過剰に蓄積した状態を指し、BMI(ボディ・マス指数)25以上で判定されます。このBMIは体重(㌕)÷身長(㍍)で計算され、体格を表す指数のことです。肥満自体は病気ではありませんが、〝肥満症〟は病気であり、医学的に治療が必要な状態です。〝肥満症〟はBMI25以上に加えて健康障害を合併しているか、または内臓脂肪型の肥満の状態を指します。健康障害には糖尿病や高コレステロール血症、高血圧、高尿酸血症、痛風、狭心症、心筋梗塞、脳梗塞、アルコールが原因ではないかん脂肪、月経異常・不妊、睡眠時間無呼吸症候群、変形性関節症・変形性脊椎症、肥満関連腎臓病などが含まれます。ウエスト周医長が男性で85㌢以上、女性で90㌢以上だと内臓脂肪型肥満が疑われます。内臓肥満型肥満は、当面の健康障害がなかったとしても、将来、健康障害を発症するリスクの高い肥満です。肥満症に該当する場合、通院中の人は引き続き通院を、まだ医療機関を受診されていない人は受診をお勧めします。肥満と聞くとメタボリックシンドロームを思い浮かべる人もいらっしゃるかもしれませんが、メタ土リックシンドロームは、ウエスト周囲長が男性で85㌢以上、女性で90㌢以上に加えて、高コレステロール血症、高血圧、高血糖の三つの内二つ以上がある場合に診断されます。肥満以外の人でも当てはまることがありますので、肥満出ないからといって、油断は禁物です。 ――肥満を放置するとどうなりますか。現時点では健康に影響が出なくても、肥満は将来的に高血圧、高コレステロール血症、糖尿病、心臓病など動脈硬化によって起る病気のリスクになるため、減量に取り組む必要があります。減量することで血圧が低下したり、コレステロール値が改善したり、糖尿病の発症が予防できることが報告されています。 摂取する炭水化物の質を変える 食事療法と無理のない運動を組み合わせ ――減量するにはどうしたら良いでしょうか。摂取エネルギーの見直しが有効です。炭水化物、タンパク質、脂質、ビタミン、ミネラルをバランスよく摂取することが望ましいです。糖質制限によるダイエットは最初の6カ月から1年は体重が減るものの、以降は体がもとに戻ってしまうことが報告されています。また、極端な糖質制限をすることによる長期的な効果は不明で、逆に死亡率が増加する可能性があるため、注意が必要と考えます。一方で、摂取する炭水化物の室を変えることで肥満になりにくくなるといわれています。具体的には、精製された〝白い〟炭水化物(白米、うどん、パスタ、小麦尾を使ったパン)を控えて、精製されていない〝茶色い〟炭水化物(玄米、そば粉の割合の高いそば、全粒小麦粉などを使った茶色いパン)を摂取することが基本になります。フルーツジュースや砂糖入りの甘味飲料は控えていただき、果物自体を摂取した方がいいです。ただし食べ過ぎないように気をつけてください。また、早食いにならないように注意しましょう。タンパク質の豊富な食事は体重減少を維持しやすいといわれていますが、腎臓が悪い人や肝硬変の人は、タンパク質が過剰にならないように注意が必要です。減量効果ある運動としては早足の歩行、自転車通勤などの中等度の運動を一日20分程度行うことが体重増加の予防になります。またレジスタンス運動(筋肉に抵抗をかける動作を繰り返して行う運動)も組み合わせることで、筋肉量が減るのを抑えてくれます。運動が食欲やエネルギー摂取を増加させるため、運動による減量を図る際は食事療法と組み合わせるといいでしょう。始める前に、内科や整形外科に通院中の人は主治医の先生に運動しても良いか確認してください。暑い季節ですので、熱中症や脱水に気をつけて無理なく運動していただくのが、いいと思います。 【お茶の間クリニック】公明新聞2020.7.12
June 9, 2021
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感染問題と例外状態評論家 宇波 彰ドイツ法学者シュミットの概念から考える。世界中での新型コロナウイルスの感染拡大によって、国境が閉鎖され、都市封鎖などの処置がとられた国もある。日本でも緊急事態宣言が発せられた。いたるところで、個人の日常的・基本的な行動に制限が加えられたのであり、これは異常な事態である。そこからさまざまな問題があらわになった。こうした状況から、にわかに「国家」の役割が見直されつつあるように見える。ポーランド出身のイギリスの社会学者ジグムント・バウマンなどが指摘していたように、今日の日の国家は国民との関係が薄くなって、「液状化」しているといわれていた。しかし、今回の異常な事態においては、個人に対する国家の介入が不可避となり、いわば「国家の固体化」が進行している。それに関連して、100年前に示された、ドイツの宝学者カール・シュミットの「例外状態」の概念がにわかに注目されている。シュミットは、ヒトラー政権の独裁を正当化した学者と見なされている。しかし、そうした批判にもかかわらず、「例外状態」と、それに関連する「主権者」についての彼の考えは、その後、ベンアミン、デリダ、アガンベンなどによって、継承・展開された。それが今日の新型コロナウイルスの跳梁(ちょうりょう)に関して参照されているのである。ローマ共和政では、期限付きの独裁官が状況対処1921年に刊行されたシュミットの『独裁』は、「例外状態」がローマ共和政(紀元前509年~同27年)以降のヨーロッパの史実の検討から生まれた概念であることを示している。「例外状態』は、外敵との戦い、内乱、大きな自然災害などによって生ずる状態のことであるが、古代の共和政ローマでは、六カ月という期限付きの「独裁者」が任命され、そうした状況に対処した。「主権者とは例外状態に置いて決断する者のことである」というシュミットの有名な考えは、まさに例外状態論を基礎として作られたものである。しかし古代のローマ人は、その独裁官に「期限」を設定する知恵を持っていたのである。古代・中世においてであれば、自然災害が生じたり、疫病が流行すれば、民衆は神や仏に祈るほかなかったであろう。しかし、医学が進歩し、情報が容易に伝達される現代では、とにかく感染者を隔離し、可能な限りの医学的治療をするのが原則である。そのためには、「国家」が主導権をとって対応しなければならない。すでにフランスの思想家ミシェル・フーコーは、現代が「監視社会」へと向かいつつあると警告していた。新型コロナウイルスの感染防止を口実にして、国家が新しいテクノロジーを使って個人の領域に介入し、新たな「監視社会」の到来を招く恐れがないとはいえない。例外状態を日常化させてはならないのである。(うのみ・あきら) 【文化】公明新聞2020.7.3
May 25, 2021
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免疫力〈上〉桂木啓和総大阪副ドクター部長(中大阪総県ドクター部長兼任)内科医、大阪赤十字病院など、総合病院勤務を経て、現在、かつらぎクリニック院長。東海大学医学部卒。介護支援専門員、日本温泉紀行物理医学会認定温泉療法医。 新型コロナウイルスの影響が広がる中、あらためて「免疫力」の重要性が再確認されています。今回は、「免疫力」に関する基本的なポイントについて、ドクター部に語ってもらいました。 ■「免疫力」とは「免疫力」とは、ウイルスや細菌などの病原体から自分の体を守り、健康を保つ力のことです。ウイルスに感染しないために、また万一、罹患しても重症化させないために、自分自身の免疫力を高めて、維持していくことが、とても大切です。免疫力は、感染症にかかわらず、あらゆる病気に備えとなるのです。 「免疫力」とはウイルスや細菌などの病原体から自分の体を守り、健康を保つ力 ■「自然免疫」と「獲得免疫」免疫力の中心は、血液中の白血球です。白血球は、さまざまな免疫細胞から成り立っていて、体に侵入したウイルスや細菌、また、がん細胞などを撃退します。免疫細胞には、「自然免疫」と「獲得免疫」の二つがあります。「自然免疫」は、生まれながらに体に備わっている免疫機能です。代表的なものが、NK細胞やマクロファージと呼ばれる細胞です。特に、これらの細胞を活性化させることで、自然免疫力が高まり、病気を予防し、重症化を防ぐことにもつながります。一方、「獲得免疫」は、特定の病原体に感染することで、後天的に得られる免疫機能です。「自然免疫」だけでは病原体などを倒しきれない場合に動き出します。体内に侵入した病原体に関する信頼を集めて、「後退」という武器を作り、病原体を見分けて侵入を防ごうとします。この「獲得免疫」の仕組みを利用した予防法が、ワクチン接種になります。 「免疫力」を高める基本的なポイント① 適度な睡眠② バランスのよい食生活③ 体を温める(運動や入浴など) ■免疫力を高めるポイント基本的なポイントは、三つ挙げられます。(1) 適度な睡眠私たちの体は、眠っている間に、ストレスに対応するホルモンの分泌や、自律神経の働きの調整など、さまざまなメンテナンスを行っています。適度な睡眠を魯絵うことで、疲労回復や栄養の吸収を高める効果もあり、免疫力を高めることができます。逆に、睡眠が不足すると、ストレスを感じた時と似たホルモンが分泌され、免疫力が下がってしまいます。寝不足は、万病のもとなのです。寝る2時間前に食事をしない、寝室を眠りにつきやすい環境に整えるなど、良質な睡眠を心掛けていきたいと思います。(2) バランスのよい食生活免疫細胞が活発に活動するには、糖分やアミノ酸、ビタミンなど、さまざまな栄養が必要です。バランスよく、規則正しい食事をすることが、免疫の働きをよくします。免疫細胞の約7割は、腸に存在します。そのため、腸内環境を整える乳酸菌や食物繊維などを摂取することもお薦めします。食べる際は、よく噛むことも大切です。噛むことで、免疫の最前線でもある唾液をたくさん分泌することができます。また、食後や寝る前に、きちんと歯磨きをすることも大切です。口内の菌が腸内へ運ばれてしまうと、免疫力を下げてしまう恐れがあります。口腔ケア(口の中を清潔にすること)も心がけましょう。(3) 体を温める免疫細胞は、体温が上がると活性化することがわかっています。逆に体温が1度下がると、免疫力は30%以上、低下するともいわれています。体を温めるという観点からも、効果的なのが、「運動」と「入浴」です。◎運動適度な運動は、体を温めるだけでなく、ストレスの解消にもつながります。運動不足が続くと、心身共に不調をきたしてしまうこともあります。たとえば、家の中での体操やストレッチなどを行うなど、日々の生活の中で工夫をして、運動不足を解消しましょう。ただし、激しい運動は逆効果になりますので、適度に行うことが大切です。◎入浴入浴は、全身の血行を良くし、免疫細胞の働きを活発にする作用があります。最近はシャワーで済ませる方も多いかもしれませんが、できるだけ湯船に浸かり、体の深部を温めることをお薦めします。ぬるめのお湯にゆっくり浸かることで、新陳代謝を促します。またリラックス効果によるストレス解消などのメリットもあります。入浴後は、水分が失われていますので、こまめな水分補給も心掛けましょう。 ■何事もバランス免疫力は、高ければ高いほどいいということではありません。ほどほどよく作用することが重要と言われています。何事もバランスが大切です。過剰に行うと、かえって健康を損なうこともあります。また、ウイルスに負けないためには、免疫力の向上とともに、「ウイルスを取りこまない」「ウイルスを体外に出していく」ことも重要です。日々の感染予防の努力も決して怠らず、健康な日々を勝ちとってまいりましょう。 【健康長寿のために】大白蓮華2020年6月号
March 25, 2021
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途上国での感染防止と医療支援を米ジョンズ・ポプキンス大学 公衆衛生大学院 ジェレミー・シフマン教授 米ジョンズ・ポプキンス大学の集計によると、しいが他コロナウイルスの感染者数は全世界で360万人、死者は25万人を超えました(5月5日時点)。WHO(世界保健機構)は、中南米やアフリカでの感染拡大が懸念され、パンデミック(世界的大流行)は「終息には程遠い」としています。感染者数が世界人口の25%から30%に上ったとされるスペイン風邪の流行以来、100年に一度の危機に国際社会はいかに立ち向かうべきか――。同大学の公衆衛生大学院と高等国際問題研究大学院で、ジェレミー・シフマン教授にインタビューしました(聞き手=樹下智記者) ――米国では感染者が18万人以上、死者は約6万9000人となり、ともに世界最多です。 私は疫学者ではありませんから、政治学者として所感を述べると、米国の感染拡大が深刻になった要因の一つは、政策担当者が感染症の専門家の意見を軽視した事だったのではないかと考えます。もちろん全員ではありません。私が住むメリーランド州の州知事は、専門家の意見に基づいて政策を決定しています。一方、政治的な圧力に反応し、専門家の指摘を採用しない州知事がいることも確かです。今回のコロナ危機に際し、専門家ではない多くの人々がメディアに露出し、感染症の闘いについて〝ああすべきだ〟〝こうすべきだ〟と騒ぎ立てています。トランプ大統領が、新型コロナウイルスの感染者への治療法として「消毒液の注射」を挙げ、問い合わせが殺到し、実際に洗浄剤を誤用する人がいる状況は、その最悪の例です。必要なのは、国立アレルギー感染症研究所のアンソニー・ファウチ所長のような、科学的根拠をもとに何をすべきかを提案できる第一人者の声を、すべての人が聞ける機会をつくることです。 ――教授は一方、専門家も科学的根拠を示すだけではいけないと指摘されています。 これまで途上国の医療体制の充実のために、専門医による政策担当者への働きかけを支援してきました。多くの専門家は、科学的根拠やデータを示せば十分だとする傾向があります。もし人々が耳を傾けなければ、それはその人のたちの責任であると考えてしまうのです。しかし社会科学の研究が示すのは、証拠やデータは絶対に必要ですが、政策担当者や人々の行動を変えるには不十分であるということです。人々がどのように現状をとらえ、どのような悩みを抱えているのか。その心に寄り添う努力がなければ、根拠やデータも行動改革につながりません。ですから、専門家だけではなく。正確な情報を、人々に心に届く形で伝える役割を担う人たちも重要です。日本では、専門家の意見を尊重する傾向が強い。それは感染症との闘いでは必要なことです。日本の皆さんには、米国社会の苦しみを経験してほしくないと切に願います。 ――教授はジョンズ・ポプキンス大学のウェブセミナー「新型コロナウイルス感染症との闘い――東アジアからの政策的教訓」で、「危機と怠慢の連鎖」を終わらせる重要性を主張されました。 2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)、09年の新型インフルエンザ、そして今回の新型コロナウイルスの世界的流行へと続く、国際社会の対応の経過を観察すると、流行終わって危機感が薄れ、次の危機への準備を怠り、また危機を迎える「連鎖」が見られます。危機が終息した時こそ、「次の危機」の準備をすべきです。SARSを経験した台湾や香港は、その危機を真剣に捉え、今回の新型コロナウイルス対策の準備ができていました。15年に中東呼吸器症候群(MERS)を経験した韓国もそうです。米国とは初動の対応が違いました。東アジアの多くの国や地域は、他より、政府も社会も、新型コロナウイルスにうまく対応できるように見えます。この「危機と怠慢の連鎖」に終止符を打つには、国内の国民意識と制度改革のみならず、多国間の協調と、国際的な保健機関の強化が必要になります。情報の透明性や科学的根拠に基づいた対策の検証は不可欠ですが、特定の国や団体、または人物を「スケープゴート(いけにえ)」として批判するだけで、協調体制を後退させては逆効果です。 ――今後、途上国における新型コロナウイルスの感染拡大が懸念されています。 先進国であれ途上国であれ、全ての人の生命は平等に価値があります。「ソーシャルディスタンス(社会的距離)」の政策歩必要不可欠ですが、人によって影響が違う。米国は貧富の格差が大きく、多くの人が財政的な損失を被って大変なことになっていますが、耐えられる人もいます。途上国では、新型コロナウイルスの感染拡大で深刻な貧困に直面し、感染症よりも飢餓で亡くなる可能性が高まっています。今回のコロナ危機で陰に隠れていますが、世界では今この瞬間も、マラリアやエイズで亡くなる人が大勢います。麻疹(はしか)のワクチンが摂取できなくて助からない子どもたち、医療体制が脆弱なためなくなってしまう妊産婦さんがたくさんいるのです。コロナ危機の影響で、こうした途上国の人々の命を救う、国際医療体制の能力が低下していることを忘れないでほしい。だからこそ、自分たちの命を守るためにも、コロナ危機の一日も早い終息のために、国際社会は協力しなければなりません。WHOへの支援も含め、日本にはその主導的な役割を担ってもらいたい。今、自分自身を、大切な家族と友人を、新型コロナウイルス感染症から守る闘いは、救えるはずの世界中の人々の命をも救うことにつながると信じてほしいのです。 Jeremy Shiffman 1999年、ミシガン大学で博士号を取得。途上国の保健政策、国際保健ネットワークを研究。アメリカン大学教授を経て、2018年、公衆衛生の分野で全米トップを誇るジョンズ・ポプキンス大学「ブルームバーク公衆衛生大学院」に特別教授として迎え入れられた。同大学・高等国際問題研究大学院の教授も兼任する。 【危機の時代を生きる】聖教新聞2020.5.6
March 4, 2021
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広がるコロナウイルス医療社会史から見た感染症小俣 和一郎鬱積感、圧迫感が蔓延2020年は、思いもかけず新型コロナウイルス感染症騒動で始まった。もっとも、日本ではこの問題が深刻味を増したのは、感染患者が集団発生した大型クルーズ船検疫を巡る対応や国内での感染者が増加した2月以降のことである。ところで、歴史上このような新しい感染症が現れ、それが広域に伝染して、いわゆるパンデミック(世界的な流行)が出現したとき、人間社会がどのような反応を見せてきたのかを顧みると、そこには驚くほどの共通点が見いだされる。新しい感染症であるから、それに対する免疫をもつ人はなく、治療法もないという点で、大きな不安と恐怖心を呼び起こす。そうした感情は本来身を守るためのポジティブなものであるが、集団心理となると、社会にとって逆にネガティブなものともなる。そのもっとも極端な例が感染源と見なされた人々への攻撃であろう。ヨーロッパ中世におけるペスト大流行に際してのユダヤ人焼き殺し、いわゆる魔女狩りの一部などがその例といえる。さほど極端ではなくとも、今回のコロナ危機における外出制限のエスカレートや買い占め騒動なども、そうした人間の集団心理が深くかかわっている。そうしたこともあって、「コロナブルー」とか「コロナ疲れ」ともいわれる何とも表現しがたい鬱積感、圧迫感がまん延している。 繰り返される集団行動もっとも、感染者を隔離するという行動は公衆衛生上の基本的な手段であり、検疫という英語のクアランティン(語源はイタリア語のクアランテナ=40)も、町の外の港に船を乗員ごと40日間停泊させ、異常がなければ上陸を許可したことに由来する。その起源は14世紀の都市国家ベネチアといわれる。この手法は現代の世界でもなお医学的に有効とされるので、冒頭に触れたクルーズ船検疫のような対応は基本的に間違っていない。ヨーロッパ各国のような陸続きの国で国境を封鎖して入国者をとどめ置くというのも、同じ意味で誤った対応とは言えない。しかしながら、集団心理が昂じてパニックが広がれば、先に述べたような集団虐殺、人種差別、露骨な買い占め騒動などに結びつき、本来何の科学的根拠も持たない行動となって現れる。こうした非科学的な集団行動は、未知の感染症が流行するたびに歴史上、繰り返されてきた。医学の歴史を専門に研究する分野を「医学史(または医史学)」というが、その周辺には最近になって、さまざまな関連分野が生まれている。感染症と人間社会のかかわりを研究テーマとする領域も「医療社会史」ないしは「医療文化史」などと呼ばれることがある。ただし、こうした領域の定義や境界はまだ定まっていない。しかし、今回のコロナ危機のように、パンデミックを引き起こし、しかもそれゆえに世界経済にも大打撃を与えつつある事態に対しては、そうした新しい領域の研究者も大いに関心をもたざるを得ないだろう。 大戦終結させたスペイン風邪経済優先の世界見直す作用も 自然共生的生き方の拡大ところで、医療社会史的に分析してみると、これまでパンデミックのような広範な感染症の流行は、一方で上述のような非科学的で非人道的な愚行を繰り返し生むのだが、他方で人間社会全体にとってはむしろよい結果というものをもたらしてきた歴史も見ることもできる。例えば、1918年に発生した「スペイン風邪」のパンデミックがその一つであろう。この大流行の発生源はいまだによく分かっていないが、その流行がスペインで大きく報じられたことからスペインの名称を冠してこう呼ばれる。また、その正体はインフルエンザウイルスであった。しかし、当時はなおこのウイルスに免疫がなかったため、またたく間に世界中に感染が広がった。日本でも多くの人が感染し死亡した。世界的には5億人以上が感染、死者も5000万人以上といわれている。この膨大な数の感染死、とりわけ若者の死によって徴兵に支障が出たため、こう着状態にあった第1次大戦が終結(18年)したともされる。今回の新型コロナウイルスのパンデミックはまだおさまらず、一日も早い終息を祈るばかりだが、各国が検疫目的で移動制限を実施したことで旅行者数が激減したのにともない多数の航空便もストップし、工場の九行で石炭排出ガスなどが減少し、帰って空気が浄化され、パンデミック前までは国連をはじめ多くの学者らが警鐘を鳴らしていた地球温暖化にさえ一時的な歯止めがかかったかもしれない。つまり、ウイルスという微生物が、人間に対してあたかも「世直し」のように作用しているということである。もとろん、それに伴う多くの犠牲者、経済的影響は見過ごすことはできない。だが、長い目で見れば、バブル経済のような角の株価上昇、地元時移民にとっては迷惑この上ないオーバーツーリズム、地球規模での気候変動などが抑制されるという結果につながるかもしれない。また、テレワークのような勤務形態の促進、経済最優先の成長主義の見直し、地球環境に配慮した自然共生的生き方の拡大につながる可能性はないだろうか。ゆくウイルスVS人類のようにあたかも戦争にたとえ、闘争心を煽るが、感染症という病気自体も自然のなせる業である以上、それを真に克服できることにはつながらない――医療社会史がわれわれに教えていることも、そのようなことではないか。(精神医学史家) おまた・わいちろう 1950年、東京都生まれ。精神科医。著書に『近代精神医学の成立』『異常とは何か』『精神医学史人名事典』、訳書にラング『アイヒマン調書』、グリージンガー『精神病の病理と治療』などがある。 【文化culture】聖教新聞2020.4.7
January 13, 2021
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新型コロナ対策と後藤新平の防疫政策明治大学名誉教授 青山 佾(やすし) 関東大震災の復興で知られる元東京市長・後藤新平は、日清戦争後、中国大陸から戻って来る数十万の凱旋兵の免疫を徹底して行ったことで知られている。このとき作成された「陸軍検疫部報告書」は英文も作成され、世界各国に寄贈された。ドイツ皇帝が、それを読んで「世界には戦勝国はたくさんあるが検疫をきちんとやった国はほかにない」と激賞したという話が残っている。後藤新平の時代、日本は防疫の先進国とされたのである。後藤はこの後、台湾の民政長官として赴任した。当時、台湾では毎年のように数千人のコレラが発生していたほか、各種の疫病が蔓延していて日本から赴任した人々も次々に倒れ、日本に送り返されていた。後藤は「伝染病の予防は上下水道の設置から始まる」と言って、自分が台湾産業振興のために敷設(ふせつ)した道路ネットワークも活用して、上下水道の整備を進めた。台湾では「当時、下水溝(こう)の装置は台湾の如き理想的なものは少ない。これは後藤民生長官の発案による」とされている。私たちは今日、台湾各地の博物館で容易に後藤新平の顔写真や銅像とともに、これらも功績を知ることができる。疫病は病気の治療とか公衆衛生の範囲を超えて、国家的危機管理の対象である。世の中では想定を超える事象が発生し、また、自然の猛威に対して私たちの文明はまだ不十分なものであるという認識から、危機管理という方法が発達した。危機管理は、実社会では予測し難い事故や事件が発生するという謙虚な姿勢を前提として、それに備えるため、過去の失敗を教訓として蓄積するところから出発する。この原点に返ることが大切だと思う。後藤新平の防疫対策は、初期における防疫対策としての水際作戦、そして、その全段階におけるインフラ整備の両面において優れていて、こんにちの防衛対策の基本を押さえている。私たちはおよそ100年前の知恵に学ぶべきだと思う。 【ニュースな視点】公明新聞2020.3.30
January 3, 2021
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新型ウイルスの拡大に思う㊦麻布大学名誉教授 鈴木 潤さん 笑みを絶やさず前向きに生きる祈りと励ましが免疫力を高める現在は、新型コロナウイルスの感染拡大によって、一人一人の行動は制限されている。しかし、その中でも学会の同志は、皆が「今できること」を懸命に考えながら、一日も早い終息を祈り、周囲に励ましを送っている。そうした活動は、「共助」「利他」の心を世界に広げる行為にほかならない。そして私たちの地道な活動は、免疫学の観点からも、免疫力を自他ともに高めるものだと感じている。その一つが「笑い」の効能である。「がん」を例に挙げれば、笑いによる脳への刺激が免疫機能を活性化するホルモンの分泌を促し、通称「殺し屋」の異名を持つ「NK(ナチュラルキラー)細胞」が活性化する。NK細胞は、常に体内をパトロールし、がん細胞を見つけると殺す役割を担う。つまり、「笑う」ことは「がんになりにくくする」ことにつながるのである。周囲を笑顔にする私たちの励まし、また困難に直面しても〝笑みを絶やさず前向きに生きよう〟とする私たちの生き方にも、免疫力を高める同様の効果があると考える。実は、細胞に含まれる遺伝子解読に関して、こんな話題がある。これまで「有用」(トレジャーDNA)されていたのは、たった2%。残りの98%は、何の働きもしない「ゴミ」(ジャンクDNA)とされていた。ところが急速な技術の進歩で未知の領域の解読が進んだ結果、「ゴミ」といわれていた中に〝病気から身体を守る特殊なDNA〟や〝私たちの個性や体質を決める情報〟があることが、次々と明らかになってきたのだ。ここには、健康長寿を実現したり、誰もが潜在的な能力を発揮したりするヒントもちりばめられている。日蓮大聖人は「法華経開目抄」で、南無妙法蓮華経の「妙」の字に込められた功力を「開の義」「具足・円満の義」「蘇生の義」の三義として説かれている。この「妙の三義」に、現代の免疫学の知見を重ね合わせると、次のように展開できると考える。第一に「開の義」について、大聖人は「妙と申す事は開という事なり」(御書943㌻)と仰せである。これは、法華経こそ諸経の蔵を開く鍵であることを明かされたものであり、ひいては妙法には人間をはじめ、あらゆる生命の持つ可能性を開いていく力があることを示された御文である。生命には、本質的に「開」という特性がある。私たちの身体を構成する何十兆もの細胞は、その一つ一つの間で、例えば〝落ち着いて〟と伝える制御性T細胞など、さまざまなメッセージに応じて、必要な合成や変化を起こすからこそ、私たちの身体の調和は保たれているのである。そこで大事なことは、そうしたメッセージを受け取れるように、ほかの細胞に対して〝常に開かれた状態〟にあるということである。この「開」という本質は、細胞核にあるDNAにとっても変わらない。なぜなら、細胞の中にメッセージ物質が取り込まれた時、必要に応じて〝眠っていたDNA〟が発言するからである。また、第二の「具足・円満の義」とは、妙法に一切の功徳が欠けることなく具わっていることを指す。細胞レベルで考えると、前進の細胞の一つ一つには、病気を治す力など、あらゆる可能性を秘めた遺伝子情報が潜在的に具わっていることを指示している。さらに、第三の「蘇生の義」とは、妙法には万人に生きる活力を与え、みずみずしく蘇らせる力があること。これは、一つ一つの細胞の中にある遺伝子の働きによって、細胞の代謝が始まっていくことを意味している。その上で、重要なのは〝眠っていたDNA〟のスイッチを入れていくことであるが、興味深いのは、それぞれの分野で最先端の研究を重ねる学術部員と語る中、〝私たちの励ましや祈りは、遺伝子に働きかける力を持つ〟等と指摘する人がいるということである。現代は交通手段などの発達によって、新型コロナウイルスの広がりは、従来の感染症に比べて格段に速くなった。しかし一方で、インターネットの普及に伴い、メールやSNSなどを使って、瞬時に励ましを送れるようになり、動画などを見て語り合うこともできる時代になった。どこにいても、距離の壁を越えて希望を送れる時代となったのだ。感染症と戦ってきた人類の歴史を踏まえれば、これからも、新種のウイルスが人類に脅威を与えるかもしれない。だからこそ励ましを通して共助や利他の心を広げ、祈りによって自らの生命を強くする私たちの信仰が、社会の希望の光となっていかなければならないとの思いを強くしている。 【学術部からの寄稿】聖教新聞2020.3.28
January 2, 2021
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コロナ危機の経済対策ジャーナリスト 尾林 賢治全世界を襲うコロナ危機。「第2次世界大戦以来最大の試練」(メルケル独首相)に直面する世界は、前例のない史上最大級の経済対策を展開し、忍び寄る世界大恐慌に立ち向かわなければならない。国際通貨基金(IMF)は、23日、2020年の世界の実質成長率が、マイナス1.5%に陥ると発表し、「(08年の)リーマン・ショックと同じか、それを超える景気後退になる」と警鐘を鳴らした。国・地方別では、日本が2.6%、米国が2.8%、ユーロ圏が4.7%といずれもマイナス。6%成長維持してきた中国は2.8%に低下すると予測している。世界が11年ぶりのマイナス成長に陥るのも当然で、人間社会の営みの基本である人の動きが断たれてしまっているからだ。ニューヨークやパリ、ロンドンから人影が消え、国内でも東京、神奈川名の首都圏の知事が外出自粛の要請で合意した。運輸や観光、飲食、旅行、買い物などの消費需要が瞬間的に蒸発、関連業界は大打撃だ。世界の自動車各社も急速に売れ行きが落ち込み、工場を相次ぎ休止、製造業にも影響し始めた。リーマン・ショックの時は、金融機関が痛手を被ったが、今回は消費全体の底がごっそり抜けおちてしまっている。しかも、リーマン・ショックは1年余りで乗り越えたが、コロナ危機は特効薬やワクチンが開発されない限り、終息しない。マイナス成長は20年以降も2年、3年と続き、傷がどんどん深くなることを覚悟する必要がある。コロナ危機には金融緩和だけでは効かない。米国が打ち出した2兆ドルの経済対策は国内総生産(GDP)の1割に相当する財政出動で、リーマン・ショック後の経済対策の3倍規模だ。日本も大型経済対策が検討されている。ドイツは財政健全化路線を封印、1560億ユーロの国債を発行。総額7500億ユーロ、GDPの2割に相当する経済対策を実施する。各国はさらに危機対策の第2弾の備えを用意しておく必要がある。 【けいざいナビゲート】公明新聞2020.3.30
January 1, 2021
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新型ウイルスの拡大に思う㊤麻布大学名誉教授 鈴木 潤さん新が他コロナウイルスの感染拡大で世界に不安が広がる中で、私たちには何ができるのか――。細菌感染症が専門で、麻布大学名誉教授の鈴木潤さん(副学術部長)からの寄稿を紹介する。 新が他コロナウイルスの感染拡大はパンデミック(世界的流行)と認められると、WHO(世界保健機構)が発表した。一日も早い終息を祈るばかりである。歴史を振り返れば、感染症は〝人、モノの拡大〟に伴って広がってきたことが分かる。インドが起源と見られる天然痘は5~8世紀にシルクロードをたどって東西に波及し、奈良の都では藤原一族ら、多くの死者が出た。この天然痘は、16世紀にはアメリカ大陸に持ち込まれ、メキシコにあったアステカ王国とペルーにあったインカ帝国が滅亡。さらに19世紀から20世紀にかけ、インドを起源とするこれらは中東、アフリカ、そして日本の含むアジア諸国などに広がった。また、生物学的には、さまざまな発生説があるが、感染症が発生する背景には「戦争」や「人心の荒廃」があるということは否めない。中央アジア瀬発生したと感和えられているペストが猛威をふるい、欧州での死者が人口の3分の1にも達したと推定される14世紀頃には、イギリスとフランスの間で百年戦争があった。世界の6億人が感染し、2000万人以上の死者(日本でも38万人以上が死亡)が出たスペインかぜは、第1次世界大戦中に起った。そして現代に見られるグローバリゼーション、環境破壊による地球温暖化……。そうした中、今世紀に入ってからは、2002年にSARS(重症急性呼吸器症候群)、そして今回の新が他コロナウイルスのパンデミックが起こっている。しかし、これまで、人類はそうした局面でも、たくましい知恵で感染症に立ち向かい、乗り越えてきた。例えば、人類最大の感染症といわれたスペイン風邪では、猛威を免れた村もあった。この村の教師が〝わが村からは一人も罹患者を出さない〟との心で立ち上がり、持てる知識を使って拡大を防ぐ方法を全住民に強く訴え、村独自の検疫体制を敷いたからである。そもそも、感染症の拡大を防ぐには、次の三つの視点が重要である。一つ目は、体内にウイルスを入れないこと。それには、入念な手洗いや消毒などが必要となる。二つ目は、ウイルスが身体の中に侵入しても体内の免疫力で排除すること。そのための方法として風呂に入って体を温めたり、適度な運動や睡眠、バランスの良い食事などを心掛けたりすることが大切である。これらは免疫細胞をつくる上で重要だと知られている。そして三つ目は、免疫抗体を獲得すること。これはウイルスを排除する上で、最も大事である。だからこそ現在、ワクチンの開発や抗ウイルス剤の開発研究に、世界中の研究者が取り組んでいる。そう考えれば、私たちにとって重要なのは一つ目と二つ目の観点なのである。ここで、病原体の特徴である生育速度について考えてみたい。病原体が細菌である場合、1個が分裂を起して2個になる時間は15分から30分である。この間隔を「世代」と言うが、この速度で分裂を繰り返すと、2,4,8,16と増えていき、一晩で1個が数十億個にもなる。病原体の生育は、対数増殖だからである。故に、感染症拡大においては、いかに「1個の病原体を抑え込むか」「一人に抑え込むか」という視点が大切になる。自分だけ助かっても、誰かが感染してしまえば、そこから病原体は増えていく。その意味では対策のなかに「一人だけ助かれば良い」ではなく、手洗いなどの予防の基本を人々に伝える、必要な人にマスクを届けるといった、「皆で助け合おう」との「共助」や「利他」の哲学が必要なのではないだろうか。日蓮大聖人が「立正安国論」を執筆された時も「転変地夭・飢饉疫癘・遍く天下に満ち」(御書17㌻)と仰せのとおり、疫病が蔓延していた。当時の状況は鎌倉時代の記録『吾妻鏡』などに記載があり、疫病は天然痘や赤痢、そして三日病などといわれているが、この「三日病」について、日本医史に詳しい中村昭氏は。3日間熱が下がらないという症状から、 〝インフルエンザではないか〟と指摘する。そうした中にあって、大聖人が「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(同31㌻)と記された意味の重要性を、私は感じてならない。スペイン風邪を防いだ村のように、「共助」や「利他」の心が脈打つ社会を築く。ここに創価学会の使命もあるのではないだろうか。(つづく) 【学術部から寄稿】聖教新聞2020.3.26
December 30, 2020
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免疫力を高めるには? 新コロナウイルスをはじめ、感染症に対する危機感が高まっています。そこで今回は、はとりクリニックの羽鳥浩院長に免疫力を高めるためのポイントを聞きました。 免疫力を高めるためには「保温」「清潔」「睡眠」の三つが基本となり、「笑顔」も効果があります。「保温」は、とにかく体を冷やさないことです。服装や寝具などにも気を配り、できれば、お風呂もシャワーだけで済まさず、お湯につかりましょう。「清潔」は、まず入念な手洗い、うがいを励行しましょう。ウイルスは、いの中に入ってしまえば死滅するため、こまめに飲み物を口にすることも推奨されています。マスクは、周囲への感染防止のためにも着用するように心がけましょう。「睡眠」は、1日7時間は確保したいところです。それが難しい場合は、昼寝を10分すると、20~30分寝たと同じ休息効果があります。電車やバスの吊皮などについたウイルスは風邪のウイルスで約2時間、インフルエンザウイルスは約8時間生きているといわれています。ウイルスは粘膜から入っていきます。お札を数えたり、ビニール袋を開くときに指をなめる方がいますが、感染リスクが高まるので気を付けてください。帰宅後は、ドアノブやスイッチなど、指が触れる個所を除菌クリーナーなどで拭いておくことで抑えられるはずです。加えて、家族であっても、食べ残しは食べない、同じコップは使わない、タオルは共有しないといった配慮も肝要です。バランスの良い食事を1日3食しっかり取ることも大切です。辛い食べ物や温かい食べ物は鼻の粘膜を潤し、鼻水が多くなることでウイルスが侵入しにくくなるため、お勧めです。 意識的に笑顔の時間をつくる 最後に、免疫力を高めるもう一つの方法が、「笑顔」です。笑うことで体に良いホルモンが出ることは医学的に実証されています。免疫力を高める以外にも、①血圧が下がる②眠りやすくなる③心が落ち着く④血液の流れが良くなる⑤血糖値が下がる――といった効果があります。さらには、がん細胞を攻撃するナチュラル・キラー細胞が活性化され、がん予防にもつながるといった研究成果も発表されているのです。心から笑えないときには、口角を上げるだけの「作り笑い」でも同じ効果が得られます。可能であれば声を出すと、より効果的です。新が他コロナウイルス対策で、家で過ごす時間が増えた方も多いと思います。ふだん、家族とゆっくり話す時間がない方も、意識的に楽しい会話を増やし、笑顔の時間をつくる機会にしてはいかがでしょうか。こういう時だからこそ、笑顔で元気に過ごしましょう。 【シニアエイジ】公明新聞2020.3.15
December 15, 2020
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多様な不安を受け止めて共感を示すことから始める 長期化するコロナ禍にあって、私たちはそのように不安と向き合えばよいか—。今回の「危機の時代を生きる」では、社会心理学を専門とする新潟青陵大学大学院の碓井真史教授に、話を聞いた。(利き手=志村清志・村上進)新潟青陵大学大学院教授 碓井 真吏教授 インタビュー—新型コロナウイルスの流行は、社会にさまざまな不安を呼び起こしました。 心理学において、「不安」は、眼に見えないものや未知のものに対して抱く感情とされます。一方で「恐れ」は、対象のはっきりしたものに対して抱く感情です。人間は、ウイルスのように、肉眼で認識できないものに対しては、不安を強く抱きます。すると、その不安をかき消そうとそわそわしたり、適切な判断ができなくなったりして、非合理的な行動をとってしまいがちです。今回の感染が流行し始めた頃、ウイルスに関する情報が少なかったこともあり、社会全体が〝浮足立っていた〟印象があります。マスクやトイレットペーパーを必要以上に買い占めるような過剰な行動は、不安の裏返しであり、一時の安心を得るためのものという側面がありました。 「ゼロリスク」を求め過ぎない —コロナ禍の影響が、今後も続いていく中で、私たちは、不安とどのように対峙すればよいでしょうか。 危機的な状況下では、ある程度の不安は、自分の身を守るために必要です。むしろ、その不安を自分でコントロールできるかどうかが求められます。そのためには、リスクを完全になくす「ゼロリスク」のようなあり方を求め過ぎないことが大切でしょう。そもそも、ウイルスの感染症を完全に防ぐことは不可能に近い。身体的距離の確保や3密の会費など、感染リスクを抑える方法は提示されていますが、リスクを完全になくすことは難しいと思われます。にもかかわらず、「ゼロリスク」にこだわり続けると、かえって誤った情報に振り回され、感染者への差別といった過激な行動に走ることもあります。不安との適度な距離が必要でしょう。最近では、流行初期のような混乱は減っているようですが、感染リスクに対する不安の度合いに、大きな個人差が生じてきていると感じます。こうした感じ方の違いは、ライフスタイルの野となり、社会の分断にもつながりかねません。政府の提示する「新しい生活様式」は、義務ではなく、一つの実践例といえます。大切なのはそれぞれが、自他の健康に配慮しつつ、時々の状況に合わせて自らの清潔様式を生み出すていくことであって、他人に強制し、縛るためのものではありません。マスクを着用しない人に対するバッシングも問題になりました。着用しない人の中には、心肺や皮膚の疾患など、さまざまな事情で〝着用できない〟人もいます。また一方では、感染リスクに過敏になって、心身ともに余裕がなくなっている人がいることも理解する必要があります。いずれにしても、社会や地域には、さまざまな感じ方の人がいるという認識を大事にしてほしい。違う考えを持つ人に対して、責めたりしても何の解決にもなりません。真っ向から否定するのではなく、まずは共感を示すことから始めるのが大切だと思います。 正しさは刻一刻と変化する十何に対応する視点が必要 —不安をコントロールするうえで、情報との向き合い方も大切になります。具体的なポイントはありますか。 情報を発信する側には、感染症のような危機に直面した際のリスクコミュニケーションの質を高めることが求められます。情報の正確性は必要ですが、そのうえで相手が、その情報をどう理解するかという視点が大切です。例えば、「今夜、1時間に100㍉の雨が降る」と発信するだけでは、深刻さが伝わらない可能性がある。相手に伝わる情報でなければ、不安を取り除いたり、リスクへの対応を促したりすることはできません。その意味では、単に「正しい言葉」というより、「伝わる言葉」を使うように心掛けていきたいと思います。心理学の研究によれば、部屋を散らかした子どもに「お片付けしましょう」と言うより、あえて「散らかして遊ぶのって楽しいね!」と言った方が、子どもはきちんと片づけをするといわれます。たとえ一言であっても、相手の心情や状況を考慮した言葉使いが重要になってきます。また情報を受ける側にも注意すべき点があります。災害のような危機的な状況になると、デマ情報が拡散しやすい。ある研究によると、それらは2種類に大別されます。一つは「恐怖デマ」です。「こんな恐ろしいことが起きている」「今夜、もっと恐ろしいことが起きる」といった情報は、もし本当であれば大変なことになります。〝家族や友人に伝えなければ〟と思う人も少なくないでしょう。そうした心理から、恐怖を煽るようなデマが広がりやすくなります。もう一つは「希望デマ」です。危機的状況から抜け出す方法は、情報としての価値が高い。周囲に伝えたい心理が働きます。実際、今回のコロナ禍では「お湯を飲むと感染が防げる」といったデマ情報が拡散しました。SNSが普及している現代社会では、誰もが簡単に情報の「発信者」にも「受信者」にもなり得ます。一人一人が情報の取扱いには、慎重になるべきでしょう。 —正しい情報を見極めるために、私たちが気を付けるべき点は? そもそも新型コロナウイルスは、未知のウイルスです。科学的に正しいとされる情報は、まだ決して多くはありません。専門家の論文でも、それぞれの内容が食い違っている場合があります。現状の感染の防止策も、絶対正しいとは言えないかもしれない。コロナ禍にあって、「正しさ」は単一ではありません。刻一刻と変化するものだと考える方がよいでしょう。時々の状況によって、最適解を選択し、対処する「柔軟性」が求められます。もちろん「正しさ」を求める姿勢は大切ですが、「正しさ」を求めすぎてしまうと、情報に振り回され、デマを信じてしまう可能性もあります。メディアとの向き合い方や使い方を工夫し、意識的にテレビを消すなどして、心を整理する時間も必要でしょう。 こころの免疫力高める宗教に期待人間の本質再考させるコロナ禍 —当面の間、感染リスクがなくなることはなさそうです。その中で、不安な状況に柔軟に対応するために、心掛けるべきことはありますか。 今回のコロナ禍のように、長い間、不安にさらされると、本人でも気付かないうちに心身の健康を損なう恐れがあります。感染が流行してから約半年が経過し、少しずつ緊張が解けてきた分、今までの〝疲れ〟が出ることによるリスクも考える必要があります。ウイルスの感染を防ぐためには、体の免疫力を上げることが有効だとされますが、同様に、不安にさいなまれないためには「心の免疫力」を高めることが大切だといえます。「心の免疫力」が高ければ、多少の不安を抱えたとしても、平静を保つことができます。では、どのようにして高められるか—。日々の生活が充実しているか、良好な人間関係に恵まれているか、といった「日常の安心感」を持てるかが、大切になってくるでしょう。人々に「安心感」を提供するという意味で、私は、信仰の果たす役割は大きいと考えています。信仰は、不安や困難に立ち向かうための「心のよりどころ」になります。そうして得られる安心感は、「何とかなるから大丈夫」といった〝気休め〟とは違う感覚です。また創価学会のような地域に名指したネットワークの存在は、ソーシャルサポート(社会的支援)の役割も期待できます。悩みを相談できる存在が身近にいること、また自分自身も人のために行動切るという感覚も、「心の免疫力」を高めると思います。 —コロナ禍という、先行きの見えない状況にあって、私たちが前向きに生きるためには、何が重要となりますか。 心理学の研究によれば、「幸福」は特別なぜいたくから生まれるわけではなく、日常生活の「安定」から生まれます。しかし、その安定はいつまでも続くわけではありません。事実、コロナ禍の影響で、私たちの日常は大きく変わりました。経済的困難や心身の不調を経験した人も多いかと思います。変化の過程において、人間は不安や戸惑い、喪失感を抱く場合が多い。そうしたネガティブな感情を乗り越えるためには、「希望」が必要になります。ウイルスとの共存を想定した「新しい日常」に踏み出した今、多くの人が希望を求めていることでしょう。今回のコロナ禍は、一側面から見れば、哲学的な問題ともとらえられます。「生きる意味とは何か」「生命はどのような存在か」—新型コロナは、そうした人間の本質を再考するような問いを示しているような気もします。コロナ禍を機に、私たち人間の生き方に、新たな変化を生み出すことができると考えれば、そこに大きな希望見いだせるのではないでしょうか。感染症の流行という危機的な事態を、人類の「転換点」としていけるかどうか。それは私たちの行動にかかっていると思います。 うすい・まふみ 1959年生まれ。東京都出身。日本大学大学院文学研究科博士後期課程心理学専攻修了。専門は社会心理学。2006年から現職。新潟市のスクールカウンセラーとしても活動する。テレビやラジオにも出演多数。著書・監修に『あなたが死んだら私は悲しい—心理学者からの命のメッセージ』(いのちのことば社)、『史上最強図解 よくわかる人間関係の心理学』(ナツメ社)など。 【危機の時代を生きる】聖教新聞2020.9.26
September 28, 2020
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歴史の視点で見るコロナ禍「エゴ」や「敵意」の克服が鍵作家・歴史小説家 安部 龍太郎氏 —今回のコロナ禍による危機について、どのように捉えていますか。 新型コロナウイルスの発生源は正確には分かっていないものの、エボラウイルスと同様、コウモリが起源ではないかとされています。人類を脅かすウイルスの多くは、もともと自然の中で静かに存在し、野生動物などと共存していました。それを、人間が活動領域を広げるために自然を破壊し、野生動物を食用化したことなどを通して、人に感染するようになったといわれています。いわば、ウイルスと共存していた「自然の領域」に、人間が踏み込んだことによって、自ら感染症を引き起こしたのです。こうした背景には何があるのか。私は、人間の〝自分さえよければいい〟という「エゴイズム(利己主義)」が招いた結果だと考えています。エゴは、自然や他所、あげくは未来からの「収奪」もたらします。今の生活の豊かさを追求するあまり、地球の資源を搾取し、子や孫の代まで負担を押し続ける環境破壊は、自然や未来からの収奪の最たる例でしょう。また人類は、他者からの収奪のために、醜い争いを繰り返してきました。その根底には他者に抱く「敵意」があります。人狼の最大の弱点は、こうした「エゴ」や「敵意」といった感情を制御できないことにあると、私は長年、主張してきました。だから有史以来、戦争や紛争が絶えず、ついには核兵器の開発・使用にまで行き着いてしまったわけです。こうした感情を克服できなければ、人間自身が滅亡の危機を迎える。人類がエゴと敵意を克服しなければ、グローバルな時代の感染症越えられない—今回のコロナ禍は、そういった本質的な課題を突き付けているのではないでしょうか。 —国内ではどんな課題が現れているのでしょうか。 一つは、政治・経済・社会の問題が明るみに出たことです。インバウンド(訪日外国人客)や国際的なサプライチェーン(部品の調達・供給網)など、政府も企業も、グローバル経済に頼りすぎた成長戦略が行き詰っています。また歴史的に見れば、明治維新以降の富国強兵、戦後の高度経済成長を実現させるために、一貫して中央集権体制を強化してきた結果、大都市への人口の一極集中と過密状況が進みました。一方で、地方の過疎化や農林水産業等の衰退が深刻化し、地方消滅とまでいわれています。その中で近年、必要性が叫ばれながら遅々として進まない「食料自給率の向上」や「地方分権の推進」といった課題に、コロナ禍の今、改めて目を向けざるを得なくなりました。もう一つは、よって立つ思想・哲学・信仰の脆弱性が露呈したことです。平穏だった日常がかくも簡単に崩れ、社会のリーダーから市民に至るまで、多くの人が右往左往していると感じます。とりわけ今まで、幸せな人生を目指して掲げてきた「生きる目標」が揺らぎ、競争に勝ち抜き、物質的な充足を得ることだけでは、本当の幸福をつかめないことに、人々は気付いたのではないでしょうか。ただ歴史を振り返れば、「危機の時代」は決して悲観的な側面ばかりではありません。むしろ、既存の価値観を脱し、社会の変化に応じた、より幸福な生き方を築いていく変革のチャンスでもあります。今こそ先人たちの歴史に学び、現代に生きる知恵をくみ上げていくことが求められます。 多様なリスクを抱える時こそ民衆に根差した羅針盤が必要 —時代の転換点を生きていくうえで、教訓として活かしていける歴史の場面はアルマスでしょうか。 私は、織田信長、豊臣秀吉といった戦国時代を中心に小説を書いてきましたが、現在は、そこから江戸時代を切り開いた徳川家康にも力を注いでいます。時代の転換点という意味では、江戸・幕藩体制の構築に至るまでの過程は大きなものだったのです。戦国時代、日本は西洋文明を出あい、南蛮貿易の恩恵を受け、経済成長期を迎えました。おこの時、守護領制が崩壊し、強力かつ一元的に地域を支配する信長などの戦国大名が台頭し、覇権を争います。「エゴ」と「敵意」がむき出しの時代と言えます。信長の遺志を継いだ秀吉も、中央集権・重商主義の政策を強力に推進しました。しかし、明国への侵出を企て、2度の朝鮮半島出兵を行うも失敗。秀吉亡き後の疲弊した日本の復興や再建を、どう進めるのか。そこで、重商主義の利益きょうじゅ者である西日本の大名と、農本主義を主流とする東日本の大名が「関ヶ原の戦い」で激突します。天下分け目の決戦は、日本がどういう国になるべきかという方向性を決める「国家路線の選択の乱」だったわけです。家康は西軍に勝利。かつて関東移封後、地方分権・農本主義を軸に統治に成功した自らの体験をモデルとして、江戸幕府を開きました。そして、世界史でもまれといわれる、250年以上に及ぶ天下泰平の世の基盤を築きます。もちろん、家康のモデルを、そのまま現代に当てはめることは難しいかもしれません。しかし、コロナ禍によって、グローバル経済や大都市への一極集中リスクが顕在化し、地方では限界集落といった状況が進む昨今、家康の時代の知見から学べることはあると感じます。特にAI(人工知能)やビッグデータが活用される近年は、全国の中核都市等を軸に、地域ごとに経済や暮らしを充実させていくコンパクトシティ構想なども検討されています。感染症と共に生きる時代を見据え、過度なグローバル経済への依存や大都市一極集中から方向転換する道を開くことが必要だと思います。 —「危機の時代」を生きていくために、思想・宗教はどのような役割を果たし得るでしょうか。 8世紀前半の奈良時代には、天然痘が猛威を振るいました。諸説ありますが、朝鮮半島や新羅などに赴いた日本の使者が、帰国後、国内にウイルスを持ち込んだとされ、国政を握っていた藤原氏4兄弟は全員、疫病で死去。ある研究では、当時の日本の総人口の約3割が死亡したと推計されるほどです。国政の中心を担った聖武天皇は、混乱した世の中を治めるために仏教への帰依を一層深め、日本各地に国分寺・国分尼寺の建立を命じ、その中心である東大寺には、総力を結集して大仏造粒を推進。そうして庶民の間に仏教思想を広め、鎮護国家の構築を目指したとされます。私は仏教思想の一つの特徴は、執着を離れるところにあると考えています。未知の感染症に直面した時、〝自分さえよければいい〟というエゴへの執着をいかに克服するか。そこに、慈悲・寛容の精神が脈打つ仏教思想が支えとなったのではないか。また、仏教的な作法ともいえる距離を取った礼節などの習慣が、長い年月をかけて今日、世界的に見ても感染症予防に適しているといわれる日本人の生活様式を作り上げる基礎になったのではないかと、私は見ています。さらに日蓮の「立正安国論」にも記されているように、鎌倉時代にも疫病や自然災害、基金等が集中した危機の時代がありました。仏教の視点から見れば、当時は釈迦の教えが効力を失う末法に入ったとされ、「何を信じて生きるべきか」と人々は迷い、不安定な状況が続いていました。その中で、蔓延する厭世思想を改め、民衆に根差した希望御羅針盤を示した一人が日蓮ではないでしょうか。中でも、人間の内面にある無限の可能性に光を当て、一人一人の精神的自立を後押しする信仰の確立を促した点は注目に値します。 行き先が見えないならば過去から学び史観を磨け 日蓮が繰り返し訴えた、法華経に登場する不軽菩薩の万人を尊敬する生き方こそ、エゴや敵意を制御し、自利と利他を一致させていく思想だからです。今日の地球的な気候変動による自然災害、未知の感染症のパンデミック(世界的大流行)、分断と対立の社会状況など、多様なリスクを抱える時代にあって、自分自身が責任をもって懸命に判断しなくてはならない局面は増していくでしょう。その意味からも、一人一人がよって立つ、正しい思想や信仰が大切になるでしょう。 —安部さんは、佐藤優氏の対談集『対決! 日本史』(潮出版社)の中で、歴史を学ぶ上での視点を語っています。 私は、「歴史的教育」を身に付けるために重要なのは、①歴史についての情報量②歴史と対峙した経験③そこから生まれる発想力—の3本柱だと考えています。日本の歴史教育は、知識の詰め込みといわれるように、教えられた史実を情報として単に暗記するにとどまっていると思います。また日本史と世界史を二つに分け、選択して学ばせるような教育では、グローバルな思考ができる人材は育ちにくいのです。私が特に重要だと考えるのは「歴史と対峙する経験」です。歴史上の人物が「なぜそういう行動をとったのか」「それが周りにどんな影響をもたらしたのか」ということを思索し、探求するということです。「温故知新」という言葉がある通り、先人の生き様の集積ともいえる歴史を学び、対峙することで、現代をよりよく生きる「発想力」「知恵」が生まれます。未知の感染症をはじめ、先行きが見えない危機の時代に立ち向かっていく今、私たちはまさに、過去の歴史と対峙する好機を迎えています。いつの時代も、歴史から真摯に学び、しっかりとした歴史観をもっていなければ、デマやフェイクニュース、さらには権力者のウソに、簡単にだまされてしまいます。揺るぎない自分を築くためにも、一人一人が「歴史的教養」を磨いていきたいものです。 【危機の時代を生きる】聖教新聞2020.8.19
August 31, 2020
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コロナ禍 ドイツは今作家 六車いちかドイツ国内で初めて新型コロナウイルスへの感染が確認されたのは1月27日。それはバイエルン州の小さな町での出来事で、首都ベルリンに上陸したのはそれから、ひと月以上経ってから。そのころには各地に広がりを見せ、3月10日にはドイツで初の死者が発生した。この時点で確認された感染者は全国で1884人。直ちに政府による対策が講じられた。それは大変厳しい内容で、翌11日には劇場でのあらゆる公演がいきなり上演禁止になり。2日後には全国の映画館も一斉休館。そしてイベントも見本市も人の集まるものはすべて中止に。また食料品店や薬局などを除いて、一般商店やアパートやモール、そしてカフェやレストランなど飲食業もすべて営業停止となった。市民には不要不急の外出の自粛が求められ、食料の買い出しや息抜きのための散歩は許されたものの、社会的距離の順守が要請され、屋内外問わず同居家族以外との面会は禁止、老人ホームや病院の見舞いも禁止に。突然の措置に市民の動揺も大きかったが、ドイツ国内の感染状況が初期段階から細かく伝えられていたことや、イタリアでの未曽有の惨事が報じられていたことで、市民の覚悟も早かった。そして3月18日に行われたメルケル首相による会見は、国民の心を大きく支えた。氏は、人々の不安や悲しみに寄り添いつつ、経済の支援や食品などの物流の確保、医療体制の整備を確約した。 感染防止に強力な対策赤字補填など直ちに実施 実際に補償は速やかに行われた。それは職種によって多種多様に用意され、例えば自営や小規模企業には当座の赤字補填として最大9000ユーロ(現在のレートで112万5000円)、従業員10人未満の企業に対しては最大1万5000ユーロ(同187万5000円)を補填し、従業員数10人以上の企業に対しては特別融資を、また、従業員の時短勤務を選ばざるを得ない企業にも補填制度を設け、自宅やオフィスの家賃や経費の支払いの滞納が許されるよう民法の改定も行った。2か月後、感染はある程度抑えられ、規制は徐々に解除されていった。けれども社会的距離を開けての再開は多くの客席を奪い、また市民も慎重になり、どの業界においても経営不振は深刻なものだ。政府はその打開策として消費税減税にも踏み切った。19%に指定されている一般商品は16%と僅かだが、飲食店での食事は5%までに引き下げた。そして今、ドイツは第二派の到来を恐れている。海外旅行が大好きな国柄。夏のバカンスの終わりに合わせ、危険指定国から寄託者へのPCR検査が義務化された。コロナの時代の始まりに、メルケル首相が、またシュタインマイヤー大統領が、「コロナの後の世界は、これまでとは違う世界になるだろう」と明言した。その言葉を疑う者はもういない。コロナと共に生きながら、これ以上破滅に向かってしまわないよう、ワクチンの早期完成を切望している。(ろくそう・いちか=ドイツ在住) 【文化】公明新聞2020.8.14
August 16, 2020
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アフターコロナ 改革と国際協調立命館アジア太平洋大学(APU) 出口 治明学長に聞く パンデミック社会の変革が加速14世紀ペストなど歴史示す――パンデミック後にはこれまで、どのような変革が起きたか。出口治明学長 14世紀のペストが一番わかりやすい。当時、人々は神様に十分祈らなかったから、神が罰を下したのだと考え、皆が信心深くなった。それでも多くの人が死んでいった。教会に行っても事態は治まらず、人々は今までの宗教に懐疑的になる。当時のローマ教皇がぜいたくをしていたこともあり、最終的に宗教改革が起きた。祈っても効果がなく神様は当てにならない。「自分たちで何とかしよう」という考えが、ルネサンスにつながった。宗教改革もルネサンスも全世界に広がった。タイムラグ(時間差)を置いて、グローバリゼーションが加速した。二つ目は、「コロンブス交換」だ。コロンブスがアメリカ大陸に到達してから、新大陸と欧州との間で作物や家畜などの往来が生じた。以前まで、欧州になかったトウモロコシやジャガイモなどが運び込まれるなどグローバル化が広まり、食文化などに大きな影響を与えた。一方で、天然痘やはしかといった感染症も移動し、免疫のないアメリカ先住民が死に絶えた。たくさん死人が出たところには普通は気味が悪くて、行きたくない。だが、グローバリゼーションは止まらず、実際には大陸間の移動がさらに活発になった。三つ目はスペイン風邪。1918年から19年にかけて世界中で流行し、第1次世界大戦を終わらせた。大量の感染死亡者を出し、大戦の終結につながった。結果的に国際連盟ができ、国際協調を促した。歴史はジグザグに動いているが、パンデミックは全てグローバリゼーションを加速させている。今回も長い目で見れば、そうなるだろう。 感染症、新時代を築く転機リーダーとメディア論点明確に ――コロナによるパンデミック後の社会をどう見るか。出口 感染が拡大してる時は大変だが、新しい時代が切り開かれることになるはずだ。今回のコロナ禍を機に、ITリテラシー(ITを有効活用する能力)は向上している。社会のデジタル化が進んだのだ。以前まで僕はオンライン会議をしたことがなかったが、うまくいけば、このことが生産性の向上につながる可能性がある。オンラインで行うテレワークは、部下だけではなく上司の仕事ぶりや能力も見えるようになる。上司は部下に対し的確に業務を分けないと仕事が進まない。俗にいう年功主義から成果主義、実力主義に変わっていく。改革につながるデジタル化(必要条件)を成功へと導くカギは、その方向性を示すリーダーやオピニオンを主導するメディアが握っている。必要条件と十分要件がそろえば改革は成り立つ。パンデミックというピンチはチャンスにもなる。そのためにもリーダーやメディアは論点を明確にする必要がある。一時期、ITリテラシーが上がっても、皆が、「やっぱり職場で働こう」と元に戻ってしまえば生産性の向上には結びつかない。リーダーは、今やるべき事と後でやるべき事を時間軸で分けて考えなくてはならない。「ウイズコロナ」と「アフターコロナ」では、なすべきことは全く違う。 ――コロナ禍ではグローバリゼーションは後退するか。出口 グローバリゼーションの動きは止まらない。近代の豊かな生活は、化石燃料、金属、ゴムという三つの資源の上に成り立っている。これらは産業革命の3要素ともいわれているが、三つの資源は偏在している。日本や独、仏のような資源がない国は、これからも、他国と仲良くやっていく以外にはない。多くの国は交易を行うことで、豊かになる。どの国も生活水準を下げたいとは考えていないはずだ。 自国中心主義「持たず」 ――コロナ禍で、自国中心主義が台頭している。出口 自国中心主義では持たない。未曾有の国難を抱える非常時でも一定程度、国際社会が平静なのは、グローバリゼーションのおかげなのだ。コロナ禍で世界経済はリーマンショックの比ではないぐらい落ち込み、戦後最大の危機だ。だが、なぜ日経平均株価が2万円台なのか。1万円ぐらい下がってもおかしくない。これは、コロナ禍であっても世界の中央銀行が連携して市場を守ろうと協調しているからだ。 ――今後、国家間の関係性はどうあるべきか。出口 仲良くするに越したことはない。けんかをすれば、皆が貧しくなる。新型コロナウイルスの発生源を巡り、トランプ大統領が中国を批判するなど、特に米中関係を危惧する声はあるが、それほど心配することはない。お互いは経済的にがっちり組んでいるからだ。中国から米国へ留学している学生は37万人もいる。米国に渡った中国の若者がベンチャー企業を立ち上げるなど交流も深い。今回われわれがお世話になっているオンライン会議システムがまさにそうだ。米国のマティス前国防長官は、大統領は国民を統合させる役割はあるが、トランプ大統領は分断の身を煽って統合のふりさえ見せないと指摘している。こうした大統領は見たことがなく、米国は彼がいなくても統合できると言い切っている。米国の国益と、「自らの再選にしか興味のない」(米国のボルトン前大統領補佐官)トランプ大統領の特異な個性とは、分けて考えた方がいい。 世界情勢、ファクトで見極めるべきハリス・ロスリングらの著書『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』(日経BP社)を読むと、世界が良くなっていることが分かる。世界は決して分断によって悪くなっているわけではなく、統合に向かっているという真実(ファクト)がたくさん集まった本だ。例えば同書では、世界の75%の人が中所得の国に住んでいるとある。高所得国と低所得国との間に分断があるわけではない。一部メディアは米中の対立や中国が沖縄に攻めて恋うるなどと書きたてるが、そんなことはない。戦後、中国は米国という虎の尾を踏んだことは一度もない。世界情勢はファクトで見るべきだ。陰謀論や想像でなじってはいけない。 【土用特集】公明新聞2020.7.25
July 27, 2020
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新型コロナのパンデミック乗り越える鍵は地球規模で考えること北海道大学人獣共通感染症リサーチセンター 高田礼人(あやと)教授 ――新がとコロナウイルスの出現についてどう思われますか。 正月明けぐらいに、中国で原因不明の肺炎が流行していると報道され、これが他の地域に広がったら、どのくらい影響を及ぼすかと心配していました。今回の新型コロナウイルスは、感染しても症状の出ない「不顕性感染」も多いことが対策を難しくさせています。感染者は感染に気付かず、他の人と接触してしまう可能性があるからです。SARS(重症急性呼吸器症候群)やMARS(中東呼吸器症候群)に比べて師地率は高くないものの、今回は警戒が必要だと思います。 ――教授はこれまで、エボラウイルスやインフルエンザウイルスの研究をされてきましたが、今回のウイルスもエボラウイルスと同じく、コウモリのもっていたウイルスと考えられます。 新型コロナウイルスに非常によく似ているウイルスがコウモリから見つかっているので、自然宿主(もともとウイルスと共存している動物)はコウモリと考えられます。その上で、どうしてコウモリに、そんなに多くのウイルスがいるのかとよく聞かれます。あくまでも推測ですが、コウモリは洞窟の密閉した空間で密集・密接して生活しているものが多いのです。いわゆる「3密」です。そういった環境は、ウイルスが維持されやすいのだと思います。ただ実際は、コウモリと共にげっ歯類(ネズミの仲間)もまた、多くのウイルスをもっていることが分かっています。そうしたウイルスがたまたま人や他の動物には入った時に、感染症を引き起こすのです。 ――エボラ出血熱で臨床試験が行われていた「レムデシビル」が、新型コロナウイルス感染症の治療薬として国内で承認されました。 新型コロナウイルスは感染した細胞の中に入り込み、自らの遺伝情報(RNA)を複製させていきますが、この複製に際して必要なのは、ウイルスが持っている「RNAポリメラーゼ」という酵素です。「レムデシビル」には、この酵素の働きに作用する性質があり、結果としてウイルス遺伝子の複製を阻害することができます。日本で注目されている抗インフルエンザ薬「アビガン」も似たような機能をもっており、2014年に西アフリカで流行したエボラ出血熱の治療にも使用されました。ともに副作用があることも指摘されていますが、有効な薬の候補であることに間違いありません。 ――RNAをもつウイルスは、変異しやすいといわれています。さらに凶暴化することはあるのでしょうか。 それは分かりませんが、そもそも重症化しやすいウイルスは、生き残りにくい。感染者に依存して自分の子孫を増やすウイルスにとって、生き残るためには〝一人の感染者から一人以上に感染させること〟が求められますが、感染者が重症化して寝込んでしまうと、他の人にうつすことができず、途絶えてしまう確率が高くなるからです。なので、毒性が強すぎるウイルスは、生存戦略としても望ましくないのです。また新型コロナウイルスは、ふつうの風を引き起こしているウイルスと同じ「コロナウイルス科」に属します。断定はできませんが、このまま人類に定着するならば、長い年月をかけて弱毒化していくだろうと思っています。 ――ウイルスをまるで生き物のように語られますね。 生命活動に必要なエネルギーを生み出す「代謝」を行わず、自らの分裂して「増殖」することができないウイルスは、生物学的には「生物」ではありません。ですから、ウイルスは〝ただの物質〟と考えることもできますが、ひとたび生物に感染すると、生物の細胞の代謝能力などを利用して、自らの遺伝情報を複製させるのと同時に、ウイルス固有のタンパク質を合成させ、子孫をつくっていきます。まさに〝きわめて生物的な物質〟といえます。また、そう考えるようになったのは、私が長年、人と動物に共通して感染する「人獣共通感染症」を研究対象として来たからかもしれません。ヒトと動物の接触によって起りうる事態を予測し、先回りで予防策を立てるために、これまで各地でフィールドワーク(現地調査)を続けてきましたが、その中で動物を生かし、時には支えながら自分も生き続け、自然界で静かに存続するウイルスの姿を見てきました。そのあり方から、ウイルスも地球上に存在する生命体の一部であると感じるのです。 ――そうしたウイルスがなぜ、人間にとって致命的な病気を引き起こすものに変わってしまうのでしょうか。 長い時間をかけて築き上げられたウイルスと自然宿主動物との蜜月な関係に、人類が踏み込んでしまったからでしょう。人獣共通感染症の多くは、野生動物との接触から始まります。自然破壊などを通して人間の活動領域が広がったことや、地球温暖化による動物や昆虫の生息域の変化で、ウイルスに共生していた動物との接触が増える。すると当然、今までの人との接触がなかったウイルスと出くわす可能性も高くなります。野生動物から家畜に感染し、それが人に伝播するという経路もあります。そのウイルスが人への感染に成功し、爆発的に増殖できる条件を備えたものであれば、高い病原性を示すこともあるのです。また、人類の食糧問題とも深く関係しています。先進国では野生動物を珍味として食べているかもしれませんが、途上国では生きていくために食べざるを得ない状況もあります。その動物の血液、粘液、尿あるいは糞等に触れることで感染する恐れがあるのです。一方、こうした感染の恐れのある動物を食べないようにするため、農業や畜産業を発展させようと思っても、農地などを広げるためには、やはり自然に踏み込まざるを得ない。こうした環境破壊や食糧問題とどう向き合うかも、人類に問われていると思います。 ――仏法には、環境(依報)と人間(正報)は密接に関わっていると説く「依正不二」という法理があり、自然破壊は人間の命を脅かすものとなり、逆に自然を守ることが人間を守ることにつながると考えています。 興味深い視座です。私たちの大学院では今、人の健康、動物の健康、環境の健康は互いにつながってていると捉える「ワンヘルス」という考えをもとに教育・研究を進めています。「依正不二」とも共鳴するものではないでしょうか。ともあれ私たちが研究を続けているのは、今の脅威はもちろん、新たに遭遇するかもしれないウイルスにも備えるためです。近年は遺伝子の配列を高速で調べることができる「次世代シーケンサー」と呼ばれる装置も生まれ、今まで発見できなかったウイルスも検出できるようになりました。こうした科学技術の力も使いながら、獣医学、環境学という分野の垣根を超えて、感染症対策に当たっていきたいと思っています。 ――最後に、新型コロナウイルス対策で私たち市民が心掛けるべき点を教えてください。 世界がこういう事態になっても、悲観も楽観もせず、なるべく平常心でいてほしいと思います。その上で、たとえ緊急事態宣言が解除されても、「自分の地域は大丈夫」と人々が一気に動き出せば、当然、再び感染は広がります。感染が世界に広がっている以上、日本だけが乗り越えればよいという問題でもありません。私自身、「シング・グローバリー、アクト・ローカリー」という言葉、つまり〝地球規模で考え、足元から行動する〟ことを大切にしていますが、一人一人が世界全体のことを考え、今できることを地域や個人レベルでやっていく。この心掛けが大事だと思います。 たかだ・あやと 1968年、東京都生まれ。獣医学博士。専門は獣医学、ウイルス学。北海道大学獣医学研究科助手、東京大学医科科学研究所助手などを経て現職。エボラウイルス研究の第一人者として知られる。著書に『ウイルスは悪者か』(亜紀書房)など。 【危機の時代を生きる】聖教新聞2020.5.27
May 28, 2020
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「コロナうつ」にならない生活新型コロナウイルスの予防のため、さまざまな活動に制限がかかるなかで、「コロナ疲れ」「コロナうつ」という言葉をよく耳にするようになりました。今回は、『完全復帰率9割の医師が教える うつが治る 食べ方、考え方、すごし方」(CCCメディアハウス)の著者で、精神科医の廣瀬久益さんに、コロナうつの現状と対策について聞きました。 精神科医 廣瀬久益さん 不安と自粛が影響「コロナうつ」は、正式な病名ではありません。ただ、新型コロナウイルスの感染拡大をきっかけとして、うつのような症状を発症する人がいるのも事実です。当初は、〝新型コロナウイルスに感染してしまうかもしれない〟と、強く不安を感じた人が、うつの症状を訴えるケースが多くありました。不安の感情は、ストレスになります。自分の処理能力を超えたストレスがたまると、脳の機能が働くなくなってしまいます。これは、いわゆる「消耗性うつ」のような状態といえます。緊急事態宣言が出た頃からは、少し内容が変わってきました。さまざまな活動を自粛し、外出する機会が減る中で、あらゆる活動性(身体的または精神的な活動)が落ち、うつのような症状を発症するケースが増えました。活動性を落とせば落とすほど、身体能力は下がり、さまざまな体調不良が起る「生活不活発病」になります。うつのその症状の一つで、現在のコロナうつは、これが多いようです。 心身の変化に気付く梅雨は、特にうつ症状が出やすい時期でもあります。雨の日が続くと、気分が落ち込みやすくなります。特に、気温が高い日が続いた後、雨が降り急に急に気温が下がると、さまざまな病気の症状が出やすくなります。うつも同様です。大事なことは、少しでも早く、軽度のうつ症状に自分で気付くことです。「なんとなくだるい」と感じるときは要注意。また、背中や肩、首の張りの他、後頭部が重く感じたり、頭痛が出てきたりする身体の症状も、うつの症状の一つです。気持ちの変化にも目を向けてみてください。何かやろうとしても、気力が付いていかない。そのうち、やろうとすら思わなくなってくる。「意欲」と「関心」が亡くなっていくのが、うつの代表的な症状です。 同じ時間に起きるコロナうつにならないために一番大事なポイントは、「活動性と生活のリズムをキープすること」です。「6時に起きていたけれど、在宅勤務になったから9時まで寝ている」とかは、ダメ。平常時のリズムを崩さないようにしましょう。そして、起きただけでOKということではありません。家事は手抜きをしないとか、運動をするなど、心の活動性のレベルを高める努力を心掛けましょう。もし睡眠のリズムが崩れて、昼夜逆転してしまった場合は、「起きる時間を決め、必ず起きること」「一度起きると暗くなるまで寝ない(昼寝をしない)こと」を守れば、睡眠のリズムを戻すことができます。 体と頭を使おう活動性をキープするために、運動は必須です。ただ、「気が向いたときにやる」ではなく、「決めた時間にやる」ことが大事。時間のプレッシャーをかけることで、生活にメリハリが生まれます。歩く機会が減っている人も多いのではないでしょうか。今こそ、ウオーキングを日常に取り入れるようにしましょう。マスク着用など新型コロナウイルスの感染予防はしっかりしながら5000歩から1万歩は、意識して歩くといいでしょう。私はオススメしているのは、お気に入りの音楽で、好きなように踊ること。振り付けなど細かい決まりは、なにもありません。座ったままでもOKです。音楽に合わせて、両腕をランニングの時のように前後に振ったり、立って左右にステップしたり、何でもいい。何事も「楽しく」が大事です。音量や振動など、近隣への配慮はしつつ、楽しんでほしいと思います。あと、カーテンは閉めておいた方がいいかもしれませんね(笑い)。また、運動と同じくらい大事なのが、能を動かすことです。本を読んだり、映画を見たり、人生設計を考えたりと、頭を使うことを積極的に取り入れましょう。 メモに書き出すマイナス思考からプラス思考に転換していくことが大切です。ここでは、切り替えるための簡単な方法を二つ紹介します。取り組みやすい方だけでも構いません。まず、自分が一日の中で考えたことを、10個くらいメモに書き出します。たとえば、「新型コロナが不安で、ご飯も喉を通らない」など、ありのままを書きます。そこに、それはプラス思考か、マイナス思考か、書き込みます。そして、マイナス思考は、〝もう考えない〟と決めること。逆にプラス見考えたことは、大切にしていってください。思い浮かべるだけでなく、書き出すことで、自分の感情を少しずつ処理できるようになっていきます。もう一つは、その日の自分の出来事を、事実だけ、ニュース報道のように書き出すという方法です。このとき、感情や考えを除いて書くようにしてください。うつの症状が出てくると、考えと感情と、そこにある事実とがわけて考えられなくなってきます。この方法で、冷静に事実が見えるようになってくるのです。 落ち込まない考え方最後に、気持ちが落ち込まない考え方を二つ紹介します。一つ目は、「考えても答えが出ないことは、考えない」ことです。マイナス思考で気になることの多くは、答えが出ないこと。その時間を亡くすことが大切です。二つ目に、「今ここで、できること」を意識することです。私はよく「脳は意外とバカ」と表現しますが、脳は一度に一つのことしかできません。今、目の前でできることを一生懸命やっていると、そこに不安やマイナス思考は入り込めません。考え方をプラスに変えて、今できることに集中する。これが、これからも続く生活スタイルの変化に対応していくためのポイントです。テレワークやテレビ電話など、今までやったことがないことも、「普段できない貴重な経験」と考えられれば、楽しめるようになります。また、仕事量が減り、家族との時間の大切さを実感し、ライフスタイルの見直しにつながった人も少なくないはずです。あらゆる経験は、全てが必ず生かせます。今の状況も、考え方次第では、きっとマイナスばかりではありません。プラスを水から見つけ出していってほしいと願っています。 ひろせ・ひさよし 精神科医。筑波大学卒業。茨城県立友部病院合併症病棟長、豊後荘病院アルコール病棟長、同老人(認知症)病棟長を歴任した後、茨城県水戸市と東京都新宿区に二つのクリニックを開院。講演活動、テレビ番組出演など多数。YouTube「dr.講話」を180本以上投稿中。 【健康PLUS】聖教新聞2020.5.26
May 26, 2020
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新型コロナによる社会ニーズの変化明治大学名誉教授 青山 佾(やすし) 新型コロナウイルス感染症の蔓延を避けるため、私たちは友人たちと親密に集まって飲食することを避けた。その結果、そういう機会がとても貴重だということを改めて思い知った面もある。インターネットを使ったオンライン飲み会をやってみて、それはそれで新鮮だが、やはり、わいわいがやがや集まるのが楽しいと皆が痛感した。これからは、飲食店のテーブルや椅子の配置を過密にせずに余裕を持たせる、エアコンが必要な季節であっても盛んに換気するなど、お店の構造自体を変化させることが求められる。暑さ寒さ対策のエアコン機能を保ちながら協力に換気する高性能の装置の需要は高まるだろう。お店のスペースも、お客を詰め込むことによって収益性を高めることを追求することはできなくなるだろう。こうゆう配慮は飲食店に限らず、劇場・映画館・博物館からライブハウスに至るまで、従来の建築構造に比べて、ゆとりをもった構造が求められるだろう。働く場についても同様で、近年の日本のオフィスは、従業員の快適性に対する配慮から床面積を大きく確保する傾向があったが、今度は、密を避ける観点から、さらに広い床面積が求められる可能性が大きい。テレワークが定着するかといって、オフィスの床需要が減少するとは限らない。一方、在宅勤務が普及するとマンションの一戸当たりの床面積も大きくなるかもしれない。テレワーク等に対応するため、通信インフラのキャパシティー向上が急がれる。在宅勤務が普及して毎日の通勤客数が減少するから地下鉄の新増設が不要というと逆であって、これからの人々は、あのぎゅうぎゅう詰めの満員電車に我慢しないだろう。輸送力向上が求められる。今後の感染症対策として新たな、そして多様な社会的ニーズがある。社会生活の変化に伴うニーズに積極的に応えていくことが結局は経済の回復にも資すると思う。 【ニュースな視点】公明新聞2020.5.25
May 25, 2020
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免疫力〈上〉桂木啓和総大阪副ドクター部長(中大阪総県ドクター部長兼任)内科医、大阪赤十字病院など、総合病院勤務を経て、現在、かつらぎクリニック院長。東海大学医学部卒。介護支援専門員、日本温泉紀行物理医学会認定温泉療法医。 新型コロナウイルスの影響が広がる中、あらためて「免疫力」の重要性が再確認されています。今回は、「免疫力」に関する基本的なポイントについて、ドクター部に語ってもらいました。 ■「免疫力」とは「免疫力」とは、ウイルスや細菌などの病原体から自分の体を守り、健康を保つ力のことです。ウイルスに感染しないために、また万一、罹患しても重症化させないために、自分自身の免疫力を高めて、維持していくことが、とても大切です。免疫力は、感染症にかかわらず、あらゆる病気に備えとなるのです。 「免疫力」とはウイルスや細菌などの病原体から自分の体を守り、健康を保つ力 ■「自然免疫」と「獲得免疫」免疫力の中心は、血液中の白血球です。白血球は、さまざまな免疫細胞から成り立っていて、体に侵入したウイルスや細菌、また、がん細胞などを撃退します。免疫細胞には、「自然免疫」と「獲得免疫」の二つがあります。「自然免疫」は、生まれながらに体に備わっている免疫機能です。代表的なものが、NK細胞やマクロファージと呼ばれる細胞です。特に、これらの細胞を活性化させることで、自然免疫力が高まり、病気を予防し、重症化を防ぐことにもつながります。一方、「獲得免疫」は、特定の病原体に感染することで、後天的に得られる免疫機能です。「自然免疫」だけでは病原体などを倒しきれない場合に動き出します。体内に侵入した病原体に関する信頼を集めて、「後退」という武器を作り、病原体を見分けて侵入を防ごうとします。この「獲得免疫」の仕組みを利用した予防法が、ワクチン接種になります。 「免疫力」を高める基本的なポイント① 適度な睡眠② バランスのよい食生活③ 体を温める(運動や入浴など) ■免疫力を高めるポイント基本的なポイントは、三つ挙げられます。(1) 適度な睡眠私たちの体は、眠っている間に、ストレスに対応するホルモンの分泌や、自律神経の働きの調整など、さまざまなメンテナンスを行っています。適度な睡眠を魯絵うことで、疲労回復や栄養の吸収を高める効果もあり、免疫力を高めることができます。逆に、睡眠が不足すると、ストレスを感じた時と似たホルモンが分泌され、免疫力が下がってしまいます。寝不足は、万病のもとなのです。寝る2時間前に食事をしない、寝室を眠りにつきやすい環境に整えるなど、良質な睡眠を心掛けていきたいと思います。(2) バランスのよい食生活免疫細胞が活発に活動するには、糖分やアミノ酸、ビタミンなど、さまざまな栄養が必要です。バランスよく、規則正しい食事をすることが、免疫の働きをよくします。免疫細胞の約7割は、腸に存在します。そのため、腸内環境を整える乳酸菌や食物繊維などを摂取することもお薦めします。食べる際は、よく噛むことも大切です。噛むことで、免疫の最前線でもある唾液をたくさん分泌することができます。また、食後や寝る前に、きちんと歯磨きをすることも大切です。口内の菌が腸内へ運ばれてしまうと、免疫力を下げてしまう恐れがあります。口腔ケア(口の中を清潔にすること)も心がけましょう。(3) 体を温める免疫細胞は、体温が上がると活性化することがわかっています。逆に体温が1度下がると、免疫力は30%以上、低下するともいわれています。体を温めるという観点からも、効果的なのが、「運動」と「入浴」です。◎運動適度な運動は、体を温めるだけでなく、ストレスの解消にもつながります。運動不足が続くと、心身共に不調をきたしてしまうこともあります。たとえば、家の中での体操やストレッチなどを行うなど、日々の生活の中で工夫をして、運動不足を解消しましょう。ただし、激しい運動は逆効果になりますので、適度に行うことが大切です。◎入浴入浴は、全身の血行を良くし、免疫細胞の働きを活発にする作用があります。最近はシャワーで済ませる方も多いかもしれませんが、できるだけ湯船に浸かり、体の深部を温めることをお薦めします。ぬるめのお湯にゆっくり浸かることで、新陳代謝を促します。またリラックス効果によるストレス解消などのメリットもあります。入浴後は、水分が失われていますので、こまめな水分補給も心掛けましょう。 ■何事もバランス免疫力は、高ければ高いほどいいということではありません。ほどほどよく作用することが重要と言われています。何事もバランスが大切です。過剰に行うと、かえって健康を損なうこともあります。また、ウイルスに負けないためには、免疫力の向上とともに、「ウイルスを取りこまない」「ウイルスを体外に出していく」ことも重要です。日々の感染予防の努力も決して怠らず、健康な日々を勝ちとってまいりましょう。 【健康長寿のために】大白蓮華2020年6月号
May 24, 2020
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地球規模のうねり変化の好機に一般財団法人癒しの環境研究会理事長、笑医塾 塾長 高柳 和江 コロナ激動は生き方を探る時新型コロナウイルスは、口などの粘膜から体には入る。でも、つい目をこすりそうだし、鼻の穴だってほじりたい……。だから、我慢できたらそのたびに「偉いね」と自分をほめてみよう。小さな自信がわいて、元気を取り戻せる。21世紀のパンデミック、地球の壮大なうねりの中にいる私たち。ドラスティックに社会は変わるときこそ、ものごとを変えるチャンスだ。鍵を握るのが「扁桃体」と「遺伝子」。この2つが、変化に大きくかかわってくる。扁桃体は、小さいけれど脳の大事な組織。不快な体験で活発になりリスク回避に動く。認知症になって脳皮質や海馬が委縮しても、扁桃体最後までそのままの大きさで残る。生きていくのに最も大切な機関だからだ。そして、この扁桃体は心理的状況で変化する。例えば、不快な記憶や考え方が、日常に何度も思い出され、それ以外のことが考えられなくなってしまうことを「新入的想起」という。たとえ本人が必死で思い出さないようにしても、まわりの人たちが、腫れ物にさわるようにいたわったりすることで思いだし、新入想起を促す。そこで扁桃体は委縮する。がん患者がそうだ。今や2人に1人が、がん患者になる時代だ。がんを特別視せず屈託なく笑える社会をつくるチャンスだ。反対に扁桃体が肥大化し、記憶・情動にかかわる部分の大脳辺縁系の委縮が起こることもある。自粛にとらわれすぎると感覚の遮断がおこり、感情が失われ、頭も回らなくなる。幻覚にもとらわれる。だから、風のささやきや、葉のざわめきを楽しもう。ワクワクしよう。感動しよう。一方、遺伝子が環境で変化することを「エビジェネティクス」という。人間の遺伝子は2万1306個あるが、あるが、実は進化の過程で変化してきた。たとえば「SLC18A1」という遺伝子の136番目のアミノ酸、進化する中で、不安症傾向を引き起こす「スレオニン」から、楽天的な「イソロイシン」という性質に変わってきた。 新たな生活様式の確立へ 1日5回笑い、感動を 不安を克服するための文明は進歩この不安遺伝子のおかげで、不安を克服するために文明が進歩した。イースター島のアモイ像を見よ、ピラミッドを見よ。今や科学も発達し、スマホで世の中を親指で動かせるようになったのだ。激動のあと、人間は必ず適応し、新しい生き方を探る。幼少の頃は泣き虫だった坂本竜馬はドラスティックに人生を生き、やがて日本を変えた。私たちもコロナの後は、遺伝子を変えよう。ところで今後、コロナによる生活様式の変化は起る? 教育も医療も変わり、無駄なハンコ行政も作用奈良になる。真に大切なものだけが残る時代になる。そして、笑いは、最後まで残る。心からの笑いは人間にしかできないものだから。生きる喜びをいつも謳歌すると、免疫が高まる。こんな時にこそ、1日5回笑って、1日5回感動しよう! そして人生を愛することができる。そして元気になったら、その幸せをあなたの周りのすべての人に広げよう。周りからかえってくる笑顔で、あなたはもっと元気で幸せになれるのです。(たかやなぎ・かずえ) 【文化】公明新聞2020.5.23
May 23, 2020
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近代文学と疫病早稲田大学名誉教授 中島 国彦「新型コロナウイルス」の9文字が、頭から離れない毎日である。正体のつかめぬ、まだ統御できない「感染症」だが、昔は「疫病」と言った。人々を不安に陥れる、数多い外的要因が文学作品に登場する一節を、いくつも思い出す。芥川龍之介が書いた『羅生門』(大正4年)は中世を背景とするが、冒頭近く「この二、三年、京都には、地震とか火事とか飢饉とかいう災いがつづいて起った」とある。「疫病」の話はないが、「引き取り手のない死人」は門に捨てられるという悲惨さだ。夏目漱石に作品が高く評価された後の『偸盗(ちゅうとう)』(大正6年)には、「葉柳が一本、このごろはやる疫病(えやみ)にもかかつたたかと思う姿で」という一節がある。若き日の芥川の小説に登場する人物は、そうした外的な「危機」の中で生きる人間として造形される。 芥川龍之介、夏目漱石――危機に常に立ち向かう人間の心を見つめる 日本の近代は100年の中で忘れられない感染症は、大正7年から丸2年続いた、インフルエンザウイルスによる「スペイン風邪」であろう。その間3回流行の波があり、内務省の統計では感染者2380万人、亡くなった方は39万人という。島村抱月や画家の村山槐(かい)多(た)らが、命を落とした。その流行を先取りするかたちで、芥川は悲惨な背景を小説造形に用いたわけだ。芥川は大正12年、「関東大震災」を体験する。現実となって現れた天災や病気が、芥川の内面の不安を際立たせることになっていく。天然痘を防ぐために、明治初年「種痘」が推奨され、明治3年頃にそれを受けた夏目漱石が、それがもとで「疱瘡(ほうそう)」になり、顔にアバタができてしまったことは、よく知られている。文学者を取り巻く環境には、思いのほか病気が潜んでいるのである。漱石の作品では、上京した母と兄をチフスで相次いで亡くした三千代が、一人ぼっち同様になる『それから』(明治42年)の設定も、感染症が作品を動かすものとして注目される。しかし、漱石はいつも病気の奥に潜むものを見ようとする。明治の有名な天才である濃尾地震(明治24年)や三陸大津波(明治29年)が起きた後、熊本の五高で英語を教えていた漱石は、大津波の4カ月後に「人生」という文章を書き、その末尾に、「不測の変外界に起り、思いがけぬ心は心の底より出で来る、容赦なくかつ乱暴に出で来る」と記していた。天災や深刻な病気は確かに厳しい外的な要因だが、漱石にとって格闘すべき敵はウイルスのような存在ではなく、自己の内部の「思いがけぬ心」なのである。日々、外側の脅威に直面している現在、それに立ち向かうための人々の連帯を阻害する心の働きがあるとすれば、それこそが問題であると、人々は気づき始めている。「危機(クライシス)と「批評(クリティシズム)」とは、語源が同じである。今こそしっかり世界に目を見据え、自己の内部の「心」に向き合わなければならない。学生時代に漱石は、鴨長明(かものちょうめい)の『方丈記』を英訳した。「世の不思議」を描きつつ、「心の苦しみ」を記す長明の真摯さ、誠実さを、翻訳に添えた英文の『方丈記』論で評価した。昨夏になってから、漱石は人一倍自分の「心」にこだわり、作品を書き続けた。文学をはじめとする芸術の世界は、「危機」との間断なき戦いなのである。 なかじま・くにひこ 1946年、東京生まれ。早稲田大学大学院博士課程修了、博士(文学)。日本近代文学館専務理事。著書に『近代文学にみる感受性』(筑摩書房)、『漱石の地図帳』(大修館書店)など多数。 【文化】公明新聞2020.5.20
May 21, 2020
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希望は正しい知識と行動から新がとコロナウイルスの正体を知ることが、私たちの身を守るための第一歩――そう主張するのは、ウイルスが句を専門とする東海大学医学部の山本典生教授。現在の研究で分かっていることや、一人一人ができる感染予防法などを電話で聞いた。(聞き手=加藤伸樹) ウイルスの「挑戦」には人類の知恵と絆で「応戦」東海大学医学部 山本典生教授 ――新型コロナウイルスについて、研究が進む中で分かってきたことを教えてください。 ウイルス感染は、ウイルスが体内の細胞と結合し、自らの遺伝情報(RNAやDNA)を複製させていくことで広がります。新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の感染は、まだ謎が多いものの、人間の細胞膜にある「ACE2」というタンパク質と結合することから始まると判明してます。私自身、これまでのSARS(重症急性呼吸器症候群)の研究をしてきましたが、そのきっかけとなるタンパク質と同じです。ACE2の量は臓器によって違いますが、胸の奥にある細胞で多く発現しています。そこでウイルスが増殖するため、気道の比較的浅いところで増殖するインフルエンザウイルスと比べて、重症肺炎が起きやすいのでしょう。またACE2は、心臓や腎臓などの細胞表面にあることから、感染が多臓器不全にもつながると考えています。 ――これまでも重症化のリスクが高いといわれてきた心不全、呼吸に疾患などの基礎疾患のある方は、やはり注意が必要ですね。 一般的に、高齢者や基礎疾患のある方は、ウイルスに対する炎症反応が起こりやすいことがわかっていますが、新型コロナウイルスの感染メカニズムから考えても、こうした方々を感染から守らなければなりません。またACE2は血圧を調整する役割を担うタンパク質なので、感染による血圧の乱れが人体に悪影響を及ぼしてしまう高血圧の方も注意が必要です。ACE2は最近、舌の細胞にも発現しているとの報告がありました。こうしたことが背景で「何を食べての味がしない」という味覚障害につながっている可能性も指摘されています。 ――世界で今、研究者がウイルスの解明に当たりながらワクチンや新薬を開発しています。実用化の見通しを教えてください。 ワクチンは急ピッチで開発が進んでいます。安全性や有効性を調べるため、通常は実用化までに数年を要しますが、1年半程度で実用化される者も出てくると思います。ワクチンは体の免疫系に働きかけ、体内でウイルスへの抗体(抵抗力)をつくらせるものですが、今回のウイルスは、その抗体がかえって症状を悪化させる可能性も指摘されています。開発されたワクチンの安全性などは、慎重に見る必要があります。まだ治療薬の研究も精力的に行われています。新薬をゼロから開発するには、一般的に10年後に特効薬が開発されても、目の前で起きている感染症の治療には使えません。そこで、別の病気に対してすでに開発された薬を、今回の治療に転用するという研究が進められています。現時点で治療薬の候補として挙げられている薬剤は、ほとんどがこの枠に入るものです。 ――「アビガン」や「レムデシビル」など、有効といわれる薬が次々と出てきていますね。 薬には、さまざまな形でウイルスの動きを制限する働きがあります。「ファビピラビル(アビガン)と「レムデシビル」は、どちらもウイルスのRNA複製を抑える薬です。アビガンは抗インフルエンザウイルス薬、レムデシビルはこうエボラウイルス薬として開発されましたが、作用メカニズムとしては、これらのウイルスに限定されないと考えられます。そのため、今回のウイルスへの転用が早くから検討されました。私たちの研究グループでは、エイズの薬としてすでに実用化されている「ネルフィナビル」が、今回のウイルスの増加の抑制することを見いだしました。このほか、喘息薬の「シクレソニド(オルべスコ)」、抗寄生虫薬の「クロロキン」や「イベルメクチン」、リウマチの治療薬「トシリズマブ(アクテムラ)」なども有効と期待されています。現状、どの薬が最もよいかという結論は出ていませんが、たとえばアビガンは副作用の面で妊娠中の方には使用できないなど、特定の薬だけでは対応できない方も出てきています。また将来、そうした薬に耐性を持つウイルスが現れる恐れもあることから、薬の選択肢を増やすことが、多くの人の命を守ることにつながると考えます。 ――〝目に見えない敵〟ということもあって、不安を感じている人もいます。 ウイルスは、電子顕微鏡を通さなければ見えない大きさです。まさに目には見えない敵ですが、人類にはウイルスからの「挑戦」に対し、巧みな技術と知恵で「応戦」してきた蓄積があります。その中で、これまで不治の病と恐れられたエイズも、今では効果的な薬が見つかりました。今回も、絶対に希望はあると考えています。また新型コロナウイルスは、未知のものが多いものの、分かっていることはあり、まったく弱点がないわけではありません。ウイルスの正体をしり、その弱点を踏まえて行動すれば、一人一人も見を守る「応戦」ができると思います。 ――ウイルスの挑戦に応戦する中で、人類は希望を見いだしてきたのですね。今回のウイルスの弱点と私たちにできる応戦の方法を教えてください。 一つは、新型コロナウイルスの膜(エンプロ―プ)は、石けんやアルコールに弱いことがわかっています。ですので、こまめに石けんを使って手洗いしたり、アルコール消毒したりすることで、感染リスクを減らすことができます。またウイルスは体内の細胞と結合しない限り、自己増殖できないことも弱点の一つでしょう。それを防ぐためにも、接触感染と飛沫感染への注意が必要です。接触感染は、ウイルスが付着した手で自分の口や鼻を触ったり、その手で食べ物などを食べたりすることで起ります。飛沫感染は、くしゃみや咳で巻かれたウイルスを含む飛沫を、自分の体内に取り込んでしまうことで起ります。こうしたウイルスの弱点や感染の特徴を踏まえた上で、むやみに自分の顔を触らないよう心掛けたり、密集、密接、密閉という「3密」を避けたりすることが重要です。また、マスクは〝ウイルスがマスクの繊維を通過してしまうので効果がない〟と言う人もいますが、手についたウイルスが口に入ることを防ぐ効果があることから、感染予防にも有効と考えます。 新型コロナウイルスの弱点① 石けん・アルコールに弱い ↓小まめな手洗い・消毒で撃退 ② 自分では増殖できない ↓接触・飛沫からの感染に注意 ――ウイルスの正体を知ると、どこに気を付けるべきかが明確になります。 人との間隔を空ける、対面ではなく横並びで食事をするなど、政府の専門家会議が提言する「新しい生活様式」も、こうしたウイルスの弱点を踏まえて行動することを意味します。大事なことは、正しい知識をもとに、何が感染につながるのかを一人一人が考えて生活することです。また感染症には、人と人の接触を避けなければならない面があることから、地域や社会を分断してしまう側面があります。その点、現代は電話やメールなどで周囲の人々と連絡を取り合うことができ、その中で正しい知識を共有したり、不安に思う人々を支えたりすることもできます。そうした励ましの絆も、立派な感染症への「応戦」につながるのではないでしょうか。今後も、新たなウイルスのパンデミック(世界的流行)が起らないとも限りません。私は、そうした時代が来たとしても、人類が乗り越えていける「応戦」の土台を今、創価学会の皆さんと手を携えて、築きたいと思っています。 やまもと・ろりお 1969年、千葉県生まれ。医師、医学博士。東京医科歯科大学大学院ウイルス制御学講座助教、国立感染症研究所インフルエンザウイルス研究センター第5室室長、順天堂大学大学院感染制御科学講座准教授などを経て現職(基礎医学系・生体防御学) 【危機の時代を生きる】聖教新聞2020.5.20
May 20, 2020
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懸念される第2波1812年にロシア軍とフランス軍のナポレオン軍が激突した「ボロジノの戦い」は、世界的文豪トルストイが「戦争と平和」の中のクライマックスの一つとして描いている。両軍が甚大な被害を出したこの戦いは、どちらも決定的な勝利を得ることができぬまま、ロシア軍の戦略的手隊によって終息した ◆何人かの先進国首脳が、新型コロナウイルスへの対応を「戦争」になぞらえていた。多くの国民の生命を危うくし、経済へのかつてない大打撃をもたらしている尋常ならざる脅威と危機感からだろう ◆政治家によるその例えは、いかがなものかという指摘もあるようだ。が最前線の医療従事者の奮闘が続いている。各人も慎重な自粛行動などを余儀なくされている、この事態を何と表現すればいいのか ◆京都大学の山中伸弥教授は自身のホームページで、ウイルス対策を〝長いマラソン〟に例え、「しばらくは全力疾走に近い努力が必要」「その後の持久走への準備も大切」と、語っていた。ウイルスの撲滅は容易ではなく、めざすべきは被害を最小化しながらの「平和的共存」だとの指摘もある ◆国の緊急事態宣言が39県で解除されたが、懸念される第2波にも備えて、ウイルスと向き合わねばならない長い日々は、むしろこれからが本番。油断は禁物だ。 【北斗七星】公明新聞2020.5.16
May 16, 2020
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ポストコロナの世界を想像するエコロジーオンライン理事長 上岡 裕 感染症増加の背景に森林破壊、地球温暖化今回の新型コロナウイルス感染症(COVID‐19)は、コウモリが持っていたウイルスが原因だといわれている。それが中間宿主などを経由してヒトへと感染する。こうして動物から人へ感染する病気を、人獣共通感染症と呼ぶ。これまでもSARS、MERS、エボラ出血熱のように、多くの被害を出してきた。この病気が頻発する背景にあるのが、自然破壊だ。森林など貴重な好きかを破壊された野生動物や生物は、ヒトに近い場所で暮らすようになる。また、アフリカなどで違法に捕獲された動物とヒトが接触する。こうして新たな感染症が生まれる。自然破壊などにより、地球温暖化が進めば、さらに状況は悪化する。地球温暖化で、熱帯性の感染症が北上する。2014年には東京にデング熱が上陸し、代々木公園が封鎖されたこともあった。しかし、今回のコロナ禍が引き起こした世界的な経済停滞によって、皮肉にも、大気汚染が改善し、温室ガスの排出も減った。今回の騒動によって、私たちの暮らしは大きく変わるだろう。多くの人が集まる場所は忌避され、リモートワークが増えていく。感染症の拡大を防ぐためには、人が関与しないITやAI(人工知能)を活用したものづくりが7重要になってくるだろう。私は、2000年に「エコロジーオンライン」という環境保護団体を立ち上げて以来、20年間、インターネットでの情報発信を核に地球温暖化と自然エネルギーの普及などを手がけてきた。現在、その活動は世界へと広がり、マダガスカルなどの途上国において、身近な資源を利用した里山エネルギーの指導をしたり、森林再生のための教育も行ったりしている。今回の新型コロナによる影響で、これまで準備を進めていた、国連食糧農業機関(FAO)とマダガスカルの栄養改善事業は頓挫した。アフリカ大陸の南東に浮かぶ島、マダガスカルは、電気さえままならない地域が多い。地球温暖化によって干ばつが進み、栄養状態が悪くなっている南部地域など、貧しい村々を新型コロナが襲ったら、どれだけの被害が出るか分からない。 自然の共生する社会へ生活スタイル見直す好機さらなる感染症の発生を防ぐためには、自然を守り、地球温暖化を防ぐことが不可欠だ。たとえば、新しいライフスタイルとして、自然に近い場所で休暇を兼ねて仕事ができる「ワーケーション」の取り組みを始めるのはどうか。遠隔監視やドローンなどの新技術によっての農業や化学肥料に依存しない現代的でエシニカルな農業も生まれている。こうしたライフスタイルの変化が進めば、過密な都市のリズムで暮らすことが苦手な子どもたちが、自分にあった生き方を見つける機会が増すのではないだろうか。世界が一つとなって新型コロナの蔓延を防ぎ、自然と共生する社会作りへと歩み始める日が来るのを期待してやまない。 かみおか・ゆたか 1960年、栃木県生まれ。国際基督教大学卒。株式会社ソニー・ミュージックエンタテイメント入社。91年に渡米。フリーターに転身。2000年、NPO法人エコロジーオンラインを設立。地球温暖化分野で活動を評価され、18年に環境大臣賞を受賞している。 【文化】公明新聞2020.5.13
May 14, 2020
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長期化するコロナ禍に立ち向かう身体の距離は保ちながらも人とのつながりを斬らない 「緊急事態宣言」の延長を受け、新型コロナウイルスとの戦いは長期化が見込まれる。今回の「危機の時代を生きる」では、千葉大学の近藤克則教授に、社会疫学の観点から、この〝長期戦〟において必要な視点などを語ってもらった。(聞き手=志村清志・村上進) インタビュー 近藤 克則 教授 ――新型コロナウイルス対策の長期化に伴い、今後、どのような視点が大切になってきますか。 今月4日、政府は「緊急事態宣言」の延長を発表。東京や大阪など13の特定警戒都道府県には「人との折衝の8割減」の継続を呼びかける一方で、新規感染者数が限定的になった地域については、社会・経済活動の再開を一部容認しました。政府の専門家会議は、ウイルス対策の長期化を見すえ、特定警戒都道府県以外の34件を対象に、外出自粛の緩和を可能としつつ「新しい生活様式」を提示。人との距離はできるだけ②目と楼明ける、マスクの着用、帰宅後の手洗い・顔洗いの実践、また「3密」(密閉・密集・密接)の回避やテレワークの励行などの具体例が示されています。このことは、コロナ禍との戦いが新しいフェーズ(局面)に入りつつあることを意味するでしょう。私たちの生活は、ウイルスとの〝共存〟を想定した段階に移行しつつあるといえます。今では、新型コロナウイルスの感染を防ぐため、ともかく外出を控え、人との交流を極力減らす対策がとられてきました。しかし、長期化していくこれからは、「どうすればウイルスに感染しないか」という視点は変わらずに持ちつつも「いかに自分の健康を維持できるか」という視点を持つことが大切になってきます。私の専門である社会疫学は、病気を生み出す社会的要因を調べ、どのように予防するかを研究する学問です。その観点から、外出や人との交流が制限された状態が続くと、健康に悪影響を及ぼす可能性が高まると分かってきました。中でも、高齢者は注意が必要です。実際、私が代表をつためる日本老年学的評価研究(JAGES)プロジェクトの研究によれば、外出や人との交流が少ない高齢者は、そうでない場合に比べ、うつや認知抄、糖尿病など発症する可能性が高いという結果が出ています。また最近、世界保健機関(WHO)は、感染防止のために人との間隔を執るという意味の「ソーシング・ディスタンシング(社会的距離の確保)」にいいかえるようになりました。ソーシャルは社交などの意味があるため、「他人と疎遠になる」という誤ったイメージを連想させる恐れがあると判断したからです。ウイルスの感染防止対策が長期化する中で、ストレスや孤独を感じやすくなっている今こそ祖、身体的距離を保ちながらも。人とつながり、健康を維持すること自体が大切になってくるでしょう。 健康維持のために適度な運動を退屈せずに時間を過ごす工夫を ――私たち一人一人が健康を維持するために、どのような心掛けが大切ですか。 適度な運動や散歩は気分転換や健康維持のために必要です。「屋外での運動や散歩なども、ともかく自粛、控えるべき」と誤解している人もいるようですが、政府の発表する「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」では、「屋外での運動や散歩」は「生活や健康の維持のために必要なもの」とされ、外出の自粛要請の対象にはなっていません。「3密」を避けることや、帰宅してからの手洗い・うがいなど、細心の注意を払いつつ、定期的な屋外での運動などを心掛けてほしいと思います。また、自宅にいながら熱中できるものを見つけることも大切です。意外に思うかもしれませんが、人間は、仕事が多忙な時や緊張を感じるときだけでなく、「暇」や「退屈」な状況に対してもストレスを感じます。やることが何もないことも、健康によくない影響を与えるのです。休校が続き、家にいることが多くなったため、精神的に不安定になる子どもが増えているようです。このことも、退屈に感じる時間の増加が原因かもしれません。いずれにしても、退屈せずに時間を過ごす工夫は必要です。もともと趣味などをお持ちの方は大丈夫かもしれませんが、特に持っていない方は、これを機に探してみてもよいでしょう。 ――健康を損なうリスクが高い高齢者のために、関わる側が意識すべきことはありますか。高齢者と一緒に住んでいる場合、家事などの役割を分担することは有効でしょう。 最近では、行政が高齢者に「役割」を提供する事例も出てきました。千葉県松戸市では、「松戸プロジェクト」と称して、高齢者の健康寿命を延ばすために、さまざまな地域活動を推進しています。あるグループは、ウイルス感染が流行するようになってから、高齢者にマスクをつくってもらい、それを介護施設や保育園などに寄付しているそうです。こうした作業なら、自宅にいてもできるので感染リスクは低く、取り組みを通して、社会とのつながりを実感できます。このような取組が、各地で推進されていくことを期待しています。また近隣の方や、遠方に住む親せきなどに〝声掛け〟をすることも大切です。人との対面交流が難しい状況ではありますが、電話やメール、SNSなどを遣って交流するだけでも、健康促進に寄与します。JAGESプロジェクトの調査によれば、月に1回でも笑う機会があると、主観的健康感(自身の健康に対する自己評価)が高まるという結果が出ています。これといった幼児が無くても、コミュニケーションを取ってほしいと思います。その中から困っていることや悩みを打ち明けてくれる場合もあるでしょう。 ――社会疫学の観点では、人の健康は、その人の努力だけではなく、生まれ育った環境や地域、仕事や所得などの社会的環境によっても左右される側面が強いとされます。頃中の長期化は、そうした「健康格差」に、どのように影響を与えるのでしょう。 現在の日本社会では、低所得の人が増えています。その状況は、健康格差の拡大にもつながっています。感染流行が長期化すると、景気が冷え込み、その格差はさらに広がるでしょう。特に社会的に弱い立場に置かれている人ほど、失業などの経済的なリスクが高まります。その結果、生活の見通しが立たない不安から、うつや自死に追い込まれる人や、健康障害がさらに悪化することによって健康を損なう人が増えてしまうのではないかと懸念しています。 交流や助け合いの蓄積が困難を乗り越える「鍵」に ――近藤教授が編集・著述された『ソーシャル・キャピタルと健康・福祉』の中では、健康格差を是正するために「ソーシャル・キャピタル」(社会関係資本)の役割について言及されています。 社会疫学では、人と人との交流や社会参加、助け合いの規模の度合いを「ソーシャル・キャピタル」と定義しています。人と人とのつながりや結束を社会史源と知る考え方です。コロナ禍における健康格差の問題は深刻ですが、こうした危機的な事態だからこそ、地域のソーシャル・キャピタルの力が問われてくるのではないでしょうか。2011年に東日本大震災が起こった際、被災地では「助け合い」の精神が育まれ、ソーシャル・キャピタルが豊かになったと言われています、今回の感染拡大も同様に、私たち一人一人が、が励まし合い、協力し合うことでソーシャル・キャピタルの力を発揮して、困難を乗り越えることができると思います。日本社会には、その〝ポテンシャル(潜在能力)〟があると信じています。 こんどう・かつのり 1983年、千葉大学医学部卒。2014年から千葉大学予防医学センター教授に。一般社団法人日本老年学的評価研究機構で代表理事も務める。国立長寿医療研究センター部長を兼務。主な著書に『健康各社社会への処方箋』『長生きできる町』など。 【危機の時代を生きる】聖教新聞2020.5.13
May 13, 2020
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新型コロナウイルスと治療薬麗澤大学教授 川上 和久 新型コロナウイルスの感染拡大という緊急事態の中で、感染拡大の防止以外に政治がなすべきことは山ほどある。第一に新型コロナによる感染拡大が経済に影響を及ぼさないように調整を図ること、第二に医療関係に最大限の支援をして医療崩壊を避けること、第三に治療薬などの開発を急ぐことが、「三つの優先順位」として挙げられよう。その三つの中で、治療薬について、政治に新しい動きが見られる。抗インフルエンザ薬「アビガン」は、中国でも一定の臨床研究がなされ、軽症者に限ると投与後7日以内の回復率が7割を超えたと報告された。国が必要と判断した緊急時に限り投与が認められていた薬だが、日本感染症学会では継承や中等症の6割で症状の改善した事例も報告されていることから、安倍首相が5月中に薬事承認が得られるように厚生労働省に指示したと報道された。「レムデシビル」はギリアド・サイエンシズが開発したエボラ出血熱の治療薬だが、これも中国で、投与された大多数の患者の症状が改善されたことが示されており、異なる研究結果があるものの、今月7日に薬事承認がなされた。2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した北里大学の大村智特別栄誉教授が、およそ40年前に開発した「イベルメクチン」も、西村康稔経済担当相が北里研究所を視察し、安倍首相が非常に高い期待感を示していた。ユタ大学の報告では、新型コロナの患者に投与したところ、投与していない患者と比べて死亡率が6分の1に低下したというデータも明らかにされている。薬事承認は、対照群に対する効果などを綿密に検討し、きちんとした手続きを踏んで、確かに効果があると認められないとなされない。平時はもちろんそうであるべきだが、新型コロナによる感染症が社会をむしばんでいる中で、「非常的な措置」が当然求められる。平時の手続きを、責任を持って変えていくのが政治の責任。政治が責任を持つ覚悟で治療薬開発を推進してほしい。 【ニュースな視点】公明新聞2020.5.11
May 11, 2020
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カミュ『ペスト』を読む 文芸評論家 加藤 弘一 新型コロナウイルスの流行で、フランスの作家アルベール・カミュの一九四七年の長編小説『ペスト』が世界各地でベストセラーになっているという。日本も例外ではなく、増刷分がすぐに売り切れる盛況だ。 物語の舞台は一九四五年のアルジェリアの港町、オランである。 人口二十万人の都市で、ネズミの大量死が発生し、その直後から高熱でリンパ腺が腫れ、血を吐いて死ぬ人が続出する。腺ペストの症状だが、医師会も行政もペストであることを認めようとせず、何も手を打たない。しかし患者が急増するに及び、県はペストの流行を宣言し、オランの閉鎖を決定する。 毎日百人以上も死者が出るようになると、病院も行政も対応しきれなくなり、今でいう医療崩壊に向かっていく。 現在の状況を彷彿とさせる展開だが、違いもある。腺ペストは蚤で感染が拡大する病気と考えられていたので、対人接触が危険という認識はなかったからだ。だから、都市閉鎖といっても外部との連絡を遮断するだけであり、時間をもてあました住民はカフェで乱痴気騒ぎをつづける。 その一方、医療崩壊を防ぐために、保健隊というボランティア組織が結成される。患者の世話や遺体の運び出し、消毒作業などに協力し、もちろん感染の危険をともなうが、カミュは保健隊を英雄的に描くことは避け、むしろ、平凡な男たちが死を賭してペストと戦うようになった経緯に注目していく。 彼らに共通するのは神や理想、イデオロギーをカミュは「抽象」とか「観念」と呼び、「抽象」とか「観念」に頼らなくても、人間は死の危険を犯せるのか、人間の連帯は可能なのかと、保健隊の男たちに繰り返し議論させている。 結末はあっけなく訪れる。最後の最後で、ある悲劇が起こるが、都市封鎖は解除され、街は再び元の日常を取り戻していく。 おそらく、現代のコロナ禍との最大の違いはこの結末だろう。 ペストがさればオランは前のオランに戻るが、コロナ後は世界のありようが一変してしまう可能性が高い。 特に日本では、社会のIT化を阻んできた見えない障壁コロナ禍で一掃され、IT化は暴力的な形で進行していくだろう。絵空事だと思われてきたベーシックインカム(政府が国民に最低限必要な額の現金を定期的に支給する政策)も本格的に議論されるようになるかもしれない。 いいことが進む半面、徹底した個人監視システムが世界に広まる危険性もある。 もうすぐやってくる未来に対処する上で、『ペスト』という小説は基準線となってくれるだろう。 (かとう・こういち) 【文化】公明新聞2020.5.8
May 8, 2020
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途上国での感染防止と医療支援を 米ジョンズ・ポプキンス大学 公衆衛生大学院 ジェレミー・シフマン教授 米ジョンズ・ポプキンス大学の集計によると、しいが他コロナウイルスの感染者数は全世界で360万人、死者は25万人を超えました(5月5日時点)。WHO(世界保健機構)は、中南米やアフリカでの感染拡大が懸念され、パンデミック(世界的大流行)は「終息には程遠い」としています。感染者数が世界人口の25%から30%に上ったとされるスペイン風邪の流行以来、100年に一度の危機に国際社会はいかに立ち向かうべきか――。同大学の公衆衛生大学院と高等国際問題研究大学院で、ジェレミー・シフマン教授にインタビューしました(聞き手=樹下智記者) ――米国では感染者が18万人以上、死者は約6万9000人となり、ともに世界最多です。 私は疫学者ではありませんから、政治学者として所感を述べると、米国の感染拡大が深刻になった要因の一つは、政策担当者が感染症の専門家の意見を軽視した事だったのではないかと考えます。もちろん全員ではありません。私が住むメリーランド州の州知事は、専門家の意見に基づいて政策を決定しています。一方、政治的な圧力に反応し、専門家の指摘を採用しない州知事がいることも確かです。 今回のコロナ危機に際し、専門家ではない多くの人々がメディアに露出し、感染症の闘いについて〝ああすべきだ〟〝こうすべきだ〟と騒ぎ立てています。トランプ大統領が、新型コロナウイルスの感染者への治療法として「消毒液の注射」を挙げ、問い合わせが殺到し、実際に洗浄剤を誤用する人がいる状況は、その最悪の例です。必要なのは、国立アレルギー感染症研究所のアンソニー・ファウチ所長のような、科学的根拠をもとに何をすべきかを提案できる第一人者の声を、すべての人が聞ける機会をつくることです。 ――教授は一方、専門家も科学的根拠を示すだけではいけないと指摘されています。 これまで途上国の医療体制の充実のために、専門医による政策担当者への働きかけを支援してきました。多くの専門家は、科学的根拠やデータを示せば十分だとする傾向があります。もし人々が耳を傾けなければ、それはその人のたちの責任であると考えてしまうのです。 しかし社会科学の研究が示すのは、証拠やデータは絶対に必要ですが、政策担当者や人々の行動を変えるには不十分であるということです。人々がどのように現状をとらえ、どのような悩みを抱えているのか。その心に寄り添う努力がなければ、根拠やデータも行動改革につながりません。ですから、専門家だけではなく。正確な情報を、人々に心に届く形で伝える役割を担う人たちも重要です。 日本では、専門家の意見を尊重する傾向が強い。それは感染症との闘いでは必要なことです。日本の皆さんには、米国社会の苦しみを経験してほしくないと切に願います。 ――教授はジョンズ・ポプキンス大学のウェブセミナー「新型コロナウイルス感染症との闘い――東アジアからの政策的教訓」で、「危機と怠慢の連鎖」を終わらせる重要性を主張されました。 2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)、09年の新型インフルエンザ、そして今回の新型コロナウイルスの世界的流行へと続く、国際社会の対応の経過を観察すると、流行終わって危機感が薄れ、次の危機への準備を怠り、また危機を迎える「連鎖」が見られます。危機が終息した時こそ、「次の危機」の準備をすべきです。 SARSを経験した台湾や香港は、その危機を真剣に捉え、今回の新型コロナウイルス対策の準備ができていました。15年に中東呼吸器症候群(MERS)を経験した韓国もそうです。米国とは初動の対応が違いました。東アジアの多くの国や地域は、他より、政府も社会も、新型コロナウイルスにうまく対応できるように見えます。 この「危機と怠慢の連鎖」に終止符を打つには、国内の国民意識と制度改革のみならず、多国間の協調と、国際的な保健機関の強化が必要になります。情報の透明性や科学的根拠に基づいた対策の検証は不可欠ですが、特定の国や団体、または人物を「スケープゴート(いけにえ)」として批判するだけで、協調体制を後退させては逆効果です。 ――今後、途上国における新型コロナウイルスの感染拡大が懸念されています。 先進国であれ途上国であれ、全ての人の生命は平等に価値があります。 「ソーシャルディスタンス(社会的距離)」の政策歩必要不可欠ですが、人によって影響が違う。米国は貧富の格差が大きく、多くの人が財政的な損失を被って大変なことになっていますが、耐えられる人もいます。途上国では、新型コロナウイルスの感染拡大で深刻な貧困に直面し、感染症よりも飢餓で亡くなる可能性が高まっています。 今回のコロナ危機で陰に隠れていますが、世界では今この瞬間も、マラリアやエイズで亡くなる人が大勢います。麻疹(はしか)のワクチンが摂取できなくて助からない子どもたち、医療体制が脆弱なためなくなってしまう妊産婦さんがたくさんいるのです。コロナ危機の影響で、こうした途上国の人々の命を救う、国際医療体制の能力が低下していることを忘れないでほしい。 だからこそ、自分たちの命を守るためにも、コロナ危機の一日も早い終息のために、国際社会は協力しなければなりません。WHOへの支援も含め、日本にはその主導的な役割を担ってもらいたい。今、自分自身を、大切な家族と友人を、新型コロナウイルス感染症から守る闘いは、救えるはずの世界中の人々の命をも救うことにつながると信じてほしいのです。 Jeremy Shiffman 1999年、ミシガン大学で博士号を取得。途上国の保健政策、国際保健ネットワークを研究。アメリカン大学教授を経て、2018年、公衆衛生の分野で全米トップを誇るジョンズ・ポプキンス大学「ブルームバーク公衆衛生大学院」に特別教授として迎え入れられた。同大学・高等国際問題研究大学院の教授も兼任する。 【危機の時代を生きる】聖教新聞2020.5.6
May 6, 2020
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米メーカー短期治療に期待 米バイオ医薬品メーカーのギリアド・サイエンシズは29日、抗ウイルス薬「レムデシビル」を新型コロナウイルス感染者に5日間と10日間投与した結果、同程度の症状改善がみられたと発表した。 5日間程度の短期投与ですむ可能性があるため、同社は「現在の薬の供給量で治療できる患者数を大幅に増やせる」と期待を示した。 397人の患者を対象に臨床試験(治験)を行い、投与初日から14日目の状況を調べた。5日間投与したグループでは60%の患者が退院し、10日間の投与では52%が退院した。 米国立アレルギー感染症研究所も1063人を対象とする治験の初期段階の分析結果を公表。レムデシビルを投与した患者は偽薬を投与した患者に比べ、症状の回復にかかる時間が31%短縮された。 エボラ出血熱などの治療薬として開発中のレムデシビルを巡っては、米シカゴ大の治験で新型コロナ患者回復したと伝わる一方、中国での治験で効果が確認できなかったとする論文が発表された。 【ニューヨーク時事】2020.5.1
May 1, 2020
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コロナウイルス禍と地球 国際ペン副会長 堀 武昭 作年の12月には武漢で発生していたといわれる新型コロナウイルス感染症は瞬く間に世界中に拡散し、世界有数の大都市が相次いで封鎖された。 劇場やデパートなど大勢の人が集まる施設は閉鎖され、高層ビルに聳え立つビジネス街も例外ではなく街から人が消え砂漠化した。上空を飛び交う大型旅客機の爆音も、高速道路を行き交う車も消え、海外旅行者の大移動もぱったり止まってしまった。 感染を恐れた人々は不要な外出を差し控える一方、生活必需品の買いだめに走った。その結果、感染予防用のマスクが世界的に品切れとなり、ネット通販で法外な値段で横流しされた。挙句の果て、生産、販売も出が国家統制されるほど異常な事態となった。 長い時間の経過とともに人類とウイルスの間にも一種の共生関係が成り立つのは確かだが、人災と自然災害が輻輳化(ふくそうか)した今回の危機は時間の経過と共に人類の生き様に激甚な変革をもたらすことは疑いない。短期間には社会格差が加速化し、その軋みは社会階層化まで進みかねない。 最大の懸念は中・長期に及ぶ地球規模の大変革ではないか。指導者の軽はずみな決断次第では第三次世界大戦、それも生物兵器が導火線になる危険性を孕んでいる。資本主義はいかなる状況でも一本長氏の成長をめざす。ゆえに空前絶後の繁栄を達成できたのも事実だ。反面、人類が地球そのものに与えて着た負荷にも目を配る必要がある。 気候温暖化、公害問題、爆発的な人口増は大気、海、熱帯雨林、動植物に代表される生命体に多大なストレスを与えてきた。今回の危機はこうした地球のオーガニズムが一息つき、蘇生するプラスの力を得たことになるのではないか。最も懸念されるのは、もろ刃の剣を持つ先端科学技術と資本主義への展望に関する人類の盲目的信仰ではないか。このままでは民主主義は形がい化し、人権、表現の自由が制約される専制的権力だけが蔓延しかねない。地球規模で地球人が対応するといった人類の知見が今ほど求められる時はない。 【ニュースな視点】公明新聞2020.4.27
April 27, 2020
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トマ・ピケティ『ル・モンド』ブログ 2020年4月14日 この新型コロナウイルス危機は、自由な金融グローバル市場の終わりを加速させ、より公平で持続的な、新たなる成長モデルを生み出すのだろうか? そうなるのかもしれないが、保証はない。いまの段階で最も差し迫った課題は、まず目下の危機がどれくらい広がり得るのかを把握すること、そして最大規模の惨事、最悪の事態を避けるために実行可能な手をすべて打つことだ。 ここで疫学的モデルに基づいた予測を思い出して頂きたい。何も対策をしなかった場合、新型コロナウイルスの死者は世界全体で4000万人以上、フランスで40万人となる可能性があり、おおよそ全人口の0.6%にあたるという(世界の人口は70億人超、フランスの人口は7000万人弱)。これは1年間の死者全体にも相当する数だ(フランスで年間55万人、世界で5500万人)。実際、この数字が意味するのは、最も感染の深刻な地域の最悪の期間においては、棺の数は通常の5倍から10倍になるということだ(不幸なことに、イタリアの集団感染地域のいくつかでは実際にこういう事態が起きはじめている)。 この見積もりがどのくらい不確実であるかはさておき、こうした予測に基づいて、各国政府は今回のケースを単なる感染症流行の一つではなく緊急事態とみなし、人々の行動制限が必要であると判断した。たしかに、失われる人命の数がどれほどにのぼるかを正確に知ることは誰にもできないし(現時点の死者数は世界で10万人弱、イタリアで約2万人、スペインとアメリカで1万5000人、フランスで1万3000人)、行動制限をしなかった場合にこの数字がどれくらい増えたのかもわからない。疫学者たちは、当初予測した死者数を最終的に10分の1または20分の1にすることは可能だというが、これもまたかなり不確かな希望だ。インペリアル・カレッジ(ロンドン)が2020年3月26日に発表したレポートによれば、大規模な検査政策と、感染者の隔離によってのみ、犠牲者を強力に減らすことができるという。言い方を変えれば、行動制限は最悪の事態を避ける充分な策ではないということだ。 私たちが参照できる唯一の歴史的先例は、1918-1920年のスパニッシュ・インフルエンザだ。今や誰もが知る通り、これは「スペインの」話ではなく、世界で5000万人以上の死者を出した(当時の世界人口のほぼ2%)。市民台帳データに基づいた研究によると、この平均死亡率の裏側には、社会によって相当な開きがあったことがわかっている。米国とヨーロッパの死亡率は0.5-1%だが、インドネシアと南アフリカでは3%、インドは5%だった。 これこそがまさに憂慮すべき点である。貧しい国々で感染は記録的に拡大する恐れがある。こうした国の医療システムは衝撃に耐えることができない。その主な原因は、この数十年間で力を増したイデオロギーによる緊縮財政に晒されてきたからだ。さらに脆弱な社会システムのもとで行われる行動制限は、いっそう望ましくない結果を招く恐れがある。最低限の所得保証スキームがないため、最も貧しい人々はすぐに仕事を探しに外へ出なくてはならず、そこで再び感染のきっかけが生まれる。インドでは、行動制限によってまず地方の人や移民が都市から追い出され、暴力事件や大規模な流民が発生してウイルスの拡大リスクがさらに高まっている。大きな犠牲を避けるために必要なのは、社会国家(social State)であり、監獄国家(prison State)ではない。危機への正しい対応とは、北側諸国で社会国家への道を復活させることであり、最も重要なのは、南側諸国で社会国家への発展を大急ぎで進めることだ。 緊急事態対策に必要な社会支出(医療、最低限の所得)の資金を調達するには、借入か信用創造しかない。これは西アフリカの国々にとってはまたとない機会だ。新たな共通通貨を再考すれば、若者とインフラへの投資をベースにした開発計画の提供に資金を使えるようになる(これを大富豪の資本移動に提供してはならない)。この制度全体を支えるのは、いまだにユーロ圏で支配的な不透明性ではなく、もっと有効で民主的な議会制度でなくてはならない(ユーロ諸国では、金融大臣たちが金融危機の頃と同じように非効率な密談を続けている)。 そう遠くない未来に、この新しい社会国家によって、公平な税制と国際的な金融登記が求められることになるだろう。これによって社会国家は、必要に応じて大富豪や巨大企業を関与させることが可能になる。資本の自由な循環を認める現在の体制は1980年から1990年にかけて最富裕国(とりわけヨーロッパ)の影響下で確立され、億万長者と多国籍企業の税逃れを助長してきた。この体制が、貧しい国々が公平で合法的な税政を確立することを妨げ、その脆弱な国家財政を土台から掘り崩してきたのだ。 この危機は、最低限の公衆衛生と教育を世界中の住民に提供するすべを考えるまたとない機会でもある。すべての国に国際的な税収をシェアする権利を与え、その原資は、世界で最も豊かな国の経済アクター、すなわち大企業、高額所得世帯、巨大な個人資産を持つ人が支払う(例えば世界平均の10倍以上、あるいは世界トップ1%の富裕者だ)。結局のところ、こうした富は世界的な経済システム(と、数世紀にわたる人と天然資源の無慈悲な搾取)に基づいている。それゆえ求められているのは世界レベルの社会、環境の持続可能性を保証するための規制であり、とりわけ、炭素クレジット制度を実行して最大排出量の制限を実現することである。 この自然変容によって、多くの問題を考え直すことが求められているのは言うまでもない。例えば、マクロンやトランプは任期の初めに、最富裕層への財政的な贈り物を止めようとするだろうか? その答えは、反対派と支持者がどう動くかにかかっているだろう。私たちが確信できることはただ一つ、政治的、イデオロギー的な大変動はちょうど始まったばかりだということだ。 (みすず書房訳)
April 25, 2020
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緊急事態宣言と心のケア 日本精神衛生学会元理事長 高塚 雄介 自粛だけでは限界が 耳慣れない「緊急事態宣言」が国から出されたことに戸惑いを感じた人も多い。テレビが映し出す他国の様子から、軍や警察が動員されており、あたかも戒厳令が行使されているようにも見え、同じことが日本でも行われるのではないかと思った人もいるだろう。 戒厳令はもとより、ロックダウン(都市封鎖)を行うものではないと安部総理は否定したが、それではなぜ「緊急事態宣言」が出されたのだろうか。 実は緊急事態宣言に類するものはこれまでにもある。日本では地震や津波、火山の噴火などの自然災害が突然起る。そのことにより生命が脅かされると思われた場合、「避難勧告」「避難指示」が出される。 国によっては、避難を強制する命令が出されることもあるが、日本では「避難命令」という制度はない。 「日安指示」は命令に近いのだが、それに従わない個人に対して強制はできない。 「避難勧告」になると、避難するしかしないかは本人の判断に委ねられている。勧告に従わず、危機に遭遇したとしても、それは自己責任とみなされた。 今回の「緊急事態宣言」は家にとどまることで危険を回避するよう求めたわけだが、「自粛」という言葉は実は「避難勧告」に当たる。最終的な責任は当事者に委ねられている。しかし、今回のような感染症から身を守るのに、それでいいのだろうかという批判が多く出された。自粛と重なる在宅ワークに応じるように求められたが、それに応じることができた企業は限られており、日本で企業の従業者数の7割を占める中小企業にはあまり浸透しない。 つまり、個人の判断を重んじる自粛という形で対応するのには限界があり、ある程度、強制力が働く、いわば「避難指示」的な要請を出しやすくしたのが、今回の「緊急事態宣言」になったと考えられる。 家という閉ざされた空間 感染症もまた、地震などの自然災害と同じに考えてみると、それは生命の危険と関わっているものであることが分かる。しかし差し迫った生命の危険に関わるものでありながら、それを実感できないところが怖い。切迫感がなかなか生まれてこない。 となると「避難勧告」のように自己決定=自己責任の問題として処置する問題ではないということに目を向けなければならなくなる。危機管理というものは最悪の事態を想定して講じるものでる。日本には「何とかなるさ」とか「様子を見よう」といった考え方をしやすいところがあるが、それでは手遅れになりやすい。 今回の感染症に罹患することを防ぐには三密を避けるということが早い段階から打ち出された。密閉・密集・密接の重なるところに感染が起きやすいということであり、外出自粛にせよ、環境閉鎖にせよ、三密になる場所から遠ざかるということが重視されている。 それはよく分かるが、実はそれに抵触するのが日本の家屋である。地方の大きな家屋は別として、都市社会のアパートや団地の場合には三密を避けろといわれても難しい。小さなトイレを共有し、小さなテーブルを囲んで食事をし、数人で寝室を共有する生活をしている以上、そこで緊密になるなといわれても無理である。日本では家庭が一番感染源になりやすいということもあり得る。感染が分かれば、まず家庭から離れることを考えるべきだろう。 これまで家庭や家族というのは人が最後に頼れる場であるとされてきた。しかし、家族もまた一人一人が異なる価値観を有する人の集まりである以上、そこにはトラブルも生まれやすいことに目を向けておくことが必要である。とりわけ逃げ場がない社会というのは心をゆがめやすい。そこに、DV(家庭内暴力)や虐待といった病理現象も生まれやすい。その背景としては閉ざされた空間というものがもたらすストレスが大きい。 不安 不満 孤独 などがストレスに 周囲の人たちの心配り 心の健康(精神衛生)の課題というのは、その人の生きざまとその背後にある文化を抜きにしては考えられないのだが、現に置かれている状況というのも大きい。家族間に起る病理行動というものそこから生じていることに目を向ける必要がある。 夫婦や親子と言えどもある程度は距離を持って生きてきた人間同士が、突然密着した生活を余儀なくされることにより生まれる緊張感と、それに伴う精神的ストレスが増していくことを知っておく必要がある。 人間の心にゆがみがもたらされるきっかけは大きく言って四つある。 一つ目に不安が募った時である。これからどうなっていくのか分からないというの、一番不安を募らせる。正確な情報と対策が、できる限り早く提供されなければならない。しかし、医療崩壊であるとか、経済的破綻といったネガティブな情報は、それをどう解決しようとしているのかといった情報と一緒に専門家やマスコミが流すべきだろう。 次に不満を持てあますことである。先にも指摘したストレスからもたらさやすい。狭い空間でも可能な身体を動かす工夫をまず行うことである。できれば部分的なストレッチではなく、全身的なものが良い。また普段は有料でしか見られない映画などが無料でテレビやスマホなどに提供されるだけでも気分転換になる。 三つ目として孤独感・孤立感に陥った時である。特に1人暮らしの人は注意が必要である。高齢者向けの訪問電話のようなものを地域社会で拡充しておくことが大切である。外出の自粛勧告により、電話相談機関も多く活動を停止している。これはむしろ稼働させた方が良い。 最後に挙げておきたいのは自尊心が保てなくなった時である。人間は唯一自尊心に支配される動物であるとされる。 老若男女を問わず、過去の経験や培った価値観にこだわりやすい。しかし、非常事態にはそうした経験や価値観というものは周りから尊重されなくなりやすい。むしろ、邪魔者扱いさえされる。高齢者ほどそれは悲しい。その人たちの過去の体験や価値意識というものをどのようにして生かしていくかを周りは考えていくべきだろう。 何らかの非常事態に遭遇した時は、多くの人の心には、この四つは繰り返し起きる。それが放置され、長期化すると次第に心の歪みをもたらし、うつ的状況や神経症的症状にもつながっていく。 物理的な距離を保つことはできても、そのことで心の距離まで広がることは避けなければならない。心の健康が阻害されることを防ぐには周囲の人たちの心配りが求められる。 たかつか・ゆうすけ 1945年、中国・旧満州生まれ。明星大学名誉教授。臨床心理士。明星大学教授、同大学院人文科学研究科長などを歴任。公益財団法人・日本精神衛生会理事。 聖教新聞2020.4.23
April 24, 2020
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今こそ研究者が連帯を コロンビア大学医学部感染症内科学 辻 守哉 教授 新型コロナウイルス感染者数は全世界で約248万人、死者は17万人以上となった(4月21日現在)。感染拡大終息に向けて、世界の研究者が今、ワクチンや治療薬の実現に全力で取り組んでいる。アメリカ・ニューヨークにある名門コロンビア大学医学部の辻守哉教授(感染症内科学)も、その一人だ。ワクチン開発の第一人者である辻教授に、新型コロナウイルスの脅威や開発の展望などについて、通話アプリ「スカイプ」とメールで取材した。 (聞きて=光澤昭義記者) ――アメリカの感染者、死者の数は共に世界最多です。とりわけ、ニューヨーク州は感染拡大の中心地であり、最も緊迫した地域となっています。日本の各種メディアでも連日、都市封鎖、外出禁止で人の往来がなくなったマンハッタンの中心街の様子をはじめ、ニューヨークの現況が広く報道されています。ニューヨーク在住30年以上の辻教授にとって、あまりにつらい現実だと思います。 活気にあふれ、にぎやかなニューヨーク市が今や、残念ながら、ほぼゴーストタウンと化しています。一部の食料品店や薬局、病院を除き、あらゆる店が閉じられています。痛ましいことにニューヨーク州では、連日700人以上の尊い命が新型ウイルスの犠牲になってきました。1日の死者数は今も数百に及びます。しかし、州と死のイニシアチブによる徹底したソーシャル・ディスタンシング(社会的距離)の要請が奏功し始め、新型コロナウイルスの患者数はピークを過ぎつつあります。 私が感心しているのは、自由と多様性を好むニューヨーク市民一人一人が非常時を自覚し、一致団結し、不必要な外出をしっかり控えていることです。しかも、こうした行動はニューヨークだけでなく、アメリカ全域にいきわたっています。アメリカの底力を目の当たりにした思いです。 ――ニューヨークでの早期の終息は可能でしょうか。 現段階では、どの専門家にも、感染拡大の終息を予想することは極めて難しいといえます。専門家のチームが一日の感染数などをリアルタイムで詳細に解析し、毎日、シミュレーションをつくり変える現状です。治療薬が見つかる可能性を考慮しても、終息には半年から1年以上かかるかもしれません。 少なくとも、市民が歯を食いしばり、一丸となってソーシャル・ディスタンシングを忠実に守り続けることが必要条件でしょう。 ワクチン・新薬・治療法の開発が急務 不可能を可能にする挑戦 ――一流の研究者にとっても不明な点が多いと聞きます。 その通りです。例えば、感染者全体のうち重症化は約2割。その原因には免疫系の暴走などが挙げられていますが。糖尿病や高血圧など基礎疾患のある人や高齢者だけでなく、若い人の症状も急激に悪化しており、なぜ重症化するのか、はっきり解明されていません。また呼吸困難で亡くなる方が多い一方、心臓や腎臓が機能しなくなり、多臓器不全が死因となるケースも少なくないのです。 分かっている点のひとつとして、軽症ですむ人には新型コロナウイルスに対する抗体が出ない人がいます。それに加え、本来ならばウイルスを攻撃する抗体が逆に、重症化させることがあります。つまり、軽症で終わる場合、他の免疫系が影響している可能性が考えられるのです。 ――世界の研究機関や大手製薬会社が今、人類を救うワクチン、治療薬の開発を急ピッチで進めています。 私の研究室は今年初め、コロンビア大学医学部に移りました。COVID‐19(新型コロナウイルス感染症)の終息を目指し、大学内の一流研究者グループとチームを組み、新型コロナウイルスに関する免疫学的研究に従事しています。 最近、BCGワクチン接種の有無と新型コロナウイルスの罹患との相関関係が統計学的に解析され、その論文が話題になりました。現在、私自身が作製した、ヒトとほぼ同じの免疫系の「ヒト化免疫マウス」に改良を重ね、この相関関係を検証できる実験系を確立したところです。ワクチンの開発に、ヒト化免疫マウスは非常に有用だと考えます。 ワクチン開発中の大手製薬会社と組み、ワクチンの免疫を増強する補強材として、私が10年ほど前に発見したアジュバンド(糖脂質)を使用することも検討中です。 さらに、ワクチンの開発とは別に、独自の免疫治療剤の開発にも着手しています。これが実用化されれば、今までにない発想の基づく、画期的な免疫療法になると期待しています。 何としても半年以内に成果を出そうと決意し、週末も休まず、寝る間を惜しんで研究活動に集中しています。 ――「今年中のワクチン実用化」を目指す動きもあります。 通常、ワクチンが市場に出るまで5~15年かかりますが、実用化には、人への臨床試験を行い、その安全性と効果を明確に示すことが必須です。それには長期のモニタリングが不可欠です。 前例のない速さで、おそらく1年~1年半で開発されるでしょうが、その安全性と効果があいまいのままに使われる可能性があり、かえって危険だと思います。 一般市民は「ワクチンがあるから、もう大丈夫だ」と安心し、外出し始めてしまう。新型コロナウイルスの蔓延が再び加速させることが強く懸念されます。 ――COVID‐19の治療に、抗インフルエンザ薬「ファラビピラビル(アビガン)」をはじめ既存の薬を応用することにも期待が高まっています。 既存の薬の中から、効果のある薬を探すことは賢明なアプローチだと考えます。人への投薬の安全性が確立されているからです。ただし、COVIDA‐19にどれほど効果があるのかについて、信頼性のある臨床試験で実証しなければなりません。 日本で関心が高いアビガンだけでなく、抗関節リウマチ薬『アクテムラ』、エボラ出血熱に対する新薬「レムデシビル」など複数の既存薬を徹底比較する、大規模な臨床試験は必要でしょう。しかも投薬対象となる患者の状態、つまり重症度や年齢などで薬の効果が左右される可能性があります。注意深い検証が求められますが、時間の猶予がないことも確かです。 最終的には、患者の症状に応じて、治療薬や免疫治療剤、ワクチンなどを使い分けるのが望ましいと考えています。 新型コロナウイルスとの闘いはマラソンに例えられますが、私にとっては時間との戦い。「不可能を可能にする」挑戦なのです。 ――世界の人々が研究の進展を期待しています。 人道的な見地から、私たち研究者は今こそ、「何のために研究しているのか」を自らに問う必要があるでしょう。研究者同士が競い合うことは、もちろん大切ですが、研究者一人では〝大事〟をなし得ません。 新型コロナウイルスの克服にはアメリカ、日本、ヨーロッパ各国をはじめ世界の研究者が所属や対場を超え、それぞれの研究の特徴や強みを発揮しながら、他の研究者や研究機関との共同研究に取り組むこと――すなわち、研究者間の連帯が肝要です。 早期終息の鍵握る社会的距離(ソーシャル・ディスタンシング) 思いやり 責任感 団結が肝要 ――日本出は感染者数が日に日に増加しており、政府は16日、「緊急事態宣言」を全国に広げました。また最近の調査によると、感染爆発が危惧される首都・東京では、20代、30代を含む若い世代の感染増加が指摘されています。 医療従事者や研究者に限らず、誰もが新型コロナウイルスと闘わなければなりません。その際、最も大切なものは「思いやり」「責任感」、そして「団結」でしょう。 ニューヨーク州のアンドリュー・クオモ知事が記者会見(4月12日)で、こう述べました。 〝このくらい日々の中、ある老人ホームの施設が自ら名乗り出て、35台の人工呼吸器を州に提供してくれたのだ……こうした苦難の時こそ、最後には人間の生まれもつ善が勝つ、と私は信じる〟 私たちがどう行動するかで、今後、ウイルスに勝てるかどうかが決まります。 日本でも、一人一人が他者を家族のように愛し、敬うことができれば、「不要不急の外出をしない」という義務を果たし、COVID‐19の拡大を早期に終息させることができると確信します。 【危機の時代を生きる】聖教新聞2020.4.22
April 22, 2020
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感染症拡大の中で考える 常石 敬一 一筋縄ではいかない自然 人間はペストやコレラなどの流行を克服したと思っていた。しかし自然は一筋縄ではいかないことを改めて思い知らされている。 日本で新型コロナウイルス(SARS‐CoV‐2)による肺炎(COVID-19)の感染者が初めて確認されたのは2020年1月15日、それからほぼ3カ月後の4月7日、政府は緊急事態宣言を出した。4月20日朝(以下同様)までの日本の感染者は1万797人、死者は236人である。世界全体ではそれぞれ234万人及び16万人以上となっている。COVID-19とSARS‐CoV‐2はそれぞれWHO(世界保健機関)、国際ウイルス分類委員会による命名で、「2019年にコロナウイルスにより発生した病気」と「重症急性呼吸器症候群(SARS)の原因コロナウイルスその2」を意味している。 21世紀になって02年末から中国広東省の起源のSARSが、12年にアラビア半島で発生したMERS(中東呼吸器症候群)が世界的に流行した。いずれもコロナウイルスによるもので、現在流行拡大している新型コロナウイルスは、その3種類目だ。COVID-19という命名は、ウイルス学者はコロナウイルスによる新しい病気の流行は今後もあると見ているということだ。 米国では1月21日に最初の感染者が発見され、現在75万人、1月30日から流行が始まったイタリアが18万人、それと比べ日本は少ない。 また致死率でも日本は2・2%、また感染者が1万人強の韓国の致死率は2・2%。イタリアでは13・2%、感染者が14万人のドイツが3・2%、そして米国が5・4%。日韓と欧米との感染者数及び致死率の違いは何によるのか。 異なる致死率には理由が それを考える手掛かりとなる研究が4月8日、米国アカデミーの研究誌が出た。ドイツとイギリスの研究者によって行われた系統発生学的ネットワーク分析によると、新型コロナウイルスはABC3種類に分類可能で、基本型Aタイプは武漢市や広州市、Bタイプは武漢市や東アジアの国々、Cタイプはヨーロッパ諸国や米国で多く見つかっているという。 この研究は3タイプの地理的分布を明らかにしているだけで、感染力や発病後の症状の違いには立ち入っていない。しかし感染者数や致死率の違いからBとCとではウイルスの感染力や病状を左右する毒性が違う、Cの方がより手ごわいように見える。Bが中心の日本など東アジアの国々では現在もBCG接種が行われている。そのため東アジアの流行が欧米ほどひどくないのはBCGによるものではないかと考える人もいるが、まだ判断できる段階ではない。 日本にとって気掛かりなことはこれまでBタイプが中心だったのが、欧米から持ち込まれるCタイプの感染が広がることだ。その意味で、日本はBCGで安心するのではなく、Cタイプへの備えを急ぐべきだ。 ドイツとイタリアはともにCタイプと闘い、感染者は10万人を超えているが、致死率には大きな差がある。その差を両国の医療設備に求めると、ICU(集中治療室)のベッド数の違いがある。人口10万人当たりドイツが29~30床、イタリアが12床となっている。 この結果、ドイツでは新型肺炎による死者の多くはICUで亡くなっているのに対して、イタリアでは集中治療を受けずに亡くなる人が多くなっているという。 日本はどうか。ICUはイタリアの半分以下「5床程度です」(20年4月1日、日本集中治療医学会理事長・西田修氏)。それで致死率を2・2%に抑えている。この数字の裏にあるのは医療設備というより敵がBタイプであるということと、医療スタッフの献身と考えたほうがよさそううだ。 ICUは患者2人に看護師1人の体制で動いているが、新型肺炎のような感染症ではその4倍の、患者1人に看護師2人が必要となる。医療崩壊が心配されている今、そんな増員は難しい。ICUだけでなく、人工呼吸器、さらに高度な人工心肺装置(ECMO)そのものの不十分で、さらにその運用には看護師だけでなく何人もの医師を必要とする。現在の日本はこうした機器、そのためのマンパワーも不足している。 後手の対応が増加の一因に 都知事が週末の外出自粛を訴えた3月25日ころから、特に首都圏で感染の状況が変わった。知事の訴えは、その変化をとらえた結果だろう。このころから感染経路が見えない、クラスターを捉えられない、知らない人から街中での感染が多い段階(フェーズ)に移った。感染経路不明、市中感染の増加は、PCR検査を制限してきた結果だ。 流行当初からPCR検査を大規模に行ったドイツとアイスランドではその地域での最初の患者、ゼロ号患者を特定し、新型コロナウイルスの遺伝子解析を行い、感染をたどりその広がりを抑える成果を上げている。 病気の流行ではフェーズの変化は起り、当然それに備えた準備をしておく必要がある。しかし政府はそうした感染拡大の変化が生きることを考えなかったのか、軽視していたのか。緊急事態宣言を出した4月7日、その時になって初めて効率的で安全なドライブスルー方式のPCR検査の導入決定ではなく、導入の検討開始を表明した。 この方式は2月末に韓国が始め、その後欧米各国に広がっている。本来なら感染爆発の兆しが表れた3月25日、遅くとも4月7日には従来の方針を転換し大規模のPCR検査を実施すべきだったが、その段階になって、やっと導入の検討が始まった。 政府の対応は新型肺炎流行の始めから後手に回り続けているが、これもその一例だ。 経済優先ではなく生命こそ もう一つ気になるのは、新型コロナ対策担当大臣に経済再生担当大臣が兼務で任命されたことだ。問題は任命された人物ではない。コロナ対策と経済再生とは今の状況では両立する仕事なのか。外出自粛でデパートは店を閉めている。感染予防のために正当な経済活動を休まなければならない。経済再生相の仕事は経済活動を活発にすることで、コロナ対策の仕事は感染防止の徹底だ。今までは経済優先で、国民の生命は二の次になっていると映る。 今回の流行が落ち着いたら、ICUや人工呼吸器それに人工心肺などのハードの整備、そのためのマンパワーの育成を進める必要がある。 もうひとつ、米国のDCD(疾病対策センター)のような機関創設が必要だ。日本の国立感染症研究所は研究機関として当然だが、速さより精度優先で結果が出るまで6時間の検査キッドを準備した。東京・港区は感染者へのより早い対応のため、PCR検査を都ではなく、より短時間で結果が出るキッドを使う民間に委託することにした。これで対応が数日早くなるという。国立感染症研究所は病気の流行という戦場で戦う組織ではない。そういう組織としてCDCがある。 今回の新型肺炎の流行ではトランプ政権との間に隙間風が吹いていたためか初動でつまずき流行を抑えられなかったが、それで信頼が崩れることはない。 (神奈川大学名誉教授) 【文化Culture】聖教新聞2020.4.21
April 21, 2020
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世界中、日本中で猛威を振るう新型コロナウイルス。経験したことのない事態に、不安や心配からストレスを抱え、心身の不調を訴える人も多いのではないでしょうか。そこで、一般社団法人 日本産業カウンセラー協会のシニア産業カウンセラー・公認心理師である伊藤とく美さんに心身の健康を保つ上でチェックすべき事、不調への対処法などをアドバイスしてもらいました。 正しい情報を入手 適切な運動も効果 新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために必要な「緊急事態宣言」の発令に伴う外出自粛は、私たちにとって今まで経験したことのない状況です。多くの人が強いストレスを感じる日々を過ごしているともいえます。 伊藤さんのところには「テレビの報道を見ていると、怖くなり眠れず、仕事や家事に集中できない」「外出できずイライラしてしまう」といった相談が寄せられています。 病気でないならストレス原因も それではどう対処すればよいのでしょうか。風小乗の場合は受診の前に新がとコロナウイルス感染症に関する「帰国者・接触相談センター」などの所定の窓口に相談すること、その他の体調面では、まず、かかりつけ医に電話で相談し、病気ではないかを確認します。とくに悪いところがなければ、ストレスが原因かも。原因が分かり、それが周囲の支援で解決する場合は、遠慮なく求めるようにするのが良いと伊藤さんはなします。 一方、心理面でのケアで大切なのは、ストレス解消に自分の好きなことをすること。具体的には、自分の趣味を楽しむことなどで気分転換することや自分に優しい言葉をかけて、気持ちを落ち着けるようにすることです。 対処法 体調面 頭が痛い めまい 眠れない……○医者に診てもらい病気か確認 ○原因を明確にし周りの支援を求める 心理面 憂うつ 緊張 イライラする落ち着かない……○自分にやさしい言葉をかける ○趣味を楽しみ気分転換 ◇ 不安や心配を言葉にして周りと共有 終わりが見えない毎日を過ごすのは、不安や心配がつきもの。そのような場合、2点のポイントに気を配ると良いでしょう。 正確な情報を得る……政府の発表や厚生労働省のホームページなどを参照し、新型コロナウイルスの症状を正しく理解し、感染しない・させない努力が大切です。体を動かしてみる……背伸びなどのストレッチ・ラジオ体操、散歩やジョギングなどで緊張を解くようにします。 それでも、気分が晴れないこともあるかもしれません。そんな時は不安や心配に思っていることを言葉にして、職場や家族の人と共有するのが大切です。その際、話をする人も、聞く人も感染防止のため、手が届かない距離では成すようにしましょう。手紙を書いたり、電話やメールを利用したりするのも一つの手です。職場の健康管理室や、厚労省の「心の耳電話相談」「よりそいホットライン」など専門家・相談機関を活用してもよいでしょう。 夢や希望を持ち今できることを 新型コロナウイルスがいつ収束・終息するかは誰にも想像はつきません。そういった状況下、私たちは何を大切にすればよいでしょうか。伊藤さんは「終息に向け、懸命に治療に当たる医療従事者などに対して感謝を言葉にすること」「この事態が終息し、今の苦しみを乗り越えたとき『自分がしたいこと、何ができるか』を考え、夢や希望口にしたり、書いたりすること」が大切です、とアドバイスしています。 日本産業カウンセラー協会のホームページには、新型コロナウイルスの問題への対応についての情報が載せられ、随時更新されています。詳しくは、https://www.counselor.or.jp/covid19/tabid/505/Default.aspxまで。 公明新聞2020.4.19
April 19, 2020
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江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎が生まれて今年で260年。その作品は、画家のゴッホやドガをはじめヨーロッパの著名な芸術家に大きな影響を与えたとされる。中でも富士山を描いた風景画「富嶽三十六系」はあまりにも有名だ ◆日本唯一の自然科学の総合研究機関である理化学研究所は先週、神戸市の施設で設置が進む「富岳」と名付けられた日本のスーパーコンピューターを、新型コロナウイルスに対する治療薬の開発に利用すると発表した ◆「富岳」は、かつて世界一の計算速度を誇ったスパコン「京」の100倍の能力をもつという。すでに臨床試験の対象となっている抗ウイルス薬を含めて炊く2000種もの医薬品の中から、新型コロナ治療薬の候補を探すことが今回の任務だ ◆折しも米国は先月、世界最速のスパコン「サミット」の投入を表明した。日本は富士山の別称を冠し、米国は「頂上」を名乗るスパコンで治療薬の早期開発に挑む。人類の英知が新たな感染症の脅威を打ち破る日の近いことを願わずにいられない ◆「不学三十六系」の中でも、大波の向こうに富士を望む「神奈川おきなみうら」は世界的に知られており、2024年度から発行予定の新千円札の裏面に使用される。スパコンの「富岳」も、その活躍により歴史に名を残すことを期待したい。 【北斗七星】公明新聞2020.4.18
April 18, 2020
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新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、緊急事態宣言が出された今こそ正念場――こう指摘するのは、免疫学、細胞生物学が専門の東海大学医学部・佐藤健人准教授である。ここでは、佐藤准教授の手記を紹介する。 手記 東海大学医学部 佐藤 健人准教授 新型コロナウイルスの感染症拡大が止まらない。今月7日、政府の緊急事態宣言が発令された。今が正念場である。 多くの専門家も指摘するように、私たちが今できることは密閉、密集、密接という「3密」を徹底して避けること。つまり「感染しない」ことと、〝もし自分が感染者だったら〟という自覚に立ち、特に高齢者や基礎疾患を持つ人に「感染させない」ことがある。その上で、各人が体調管理に心を配り、バランスの良い免疫系のポテンシャルを持つことが肝要である。 私たちは、脳の働きとは独立に「自己」というものを規定し、「非自己」を排除する免疫系というシステムがある。体内に侵入し、持ちこんだ遺伝子の複製・発言を無理強いするウイルスは、宿命的な「非自己」的存在である。だから免疫系は、さまざまな戦法で「非自己」であるウイルスを排除できるように進化してきた。 最も洗練された戦法は、侵入したウイルスの情報に基づき、これに特化した攻撃を行うもので、抗体の産生はその一環である。これは感染によって得られる抵抗性なので「獲得免疫」と称される。ワクチンは、この力を利用している。 獲得免疫を担う免疫細胞は、その一つ一つの遺伝子の情報をランダムに切り貼りするという驚異的なやり方で、さまざまな「非自己」と戦う膨大な特殊小隊を用意しており、その小隊には、かつて人類を苦しめた天然痘ウイルスを担当するものや、〝いまだに地球上に現れていない病原体〟を担当するものまである。このようにして免疫系は、あらかじめ予測できない「非自己」に対しても、臨機応変に闘えるように備えている。そして、一度ウイルスが侵入したら、これらの小隊が増殖し、大隊となって、「非自己」の撲滅に当たるのだ。 獲得免疫は強力な戦法だが、弱点がある。それは、小隊が十分な戦闘態勢を築くまでに数日以上の時間を要することである。 この弱点を補うのが、「自然免疫」である。自然免疫は相手に応じた作戦を取らず、「非自己」の侵入と見るや直ちに攻撃する。迅速で強いのだが、少々荒っぽい。熱が出たり、腫れたりする炎症は、こうして起る。しかし、これらの症状も、「非自己」の排除を行うためにう有効に作用するものだ。 「自然免疫」系と「獲得免疫」系がバランスよく反応すれば、私たちは「非自己」を排除して「自己」としての調和を回復できる。 それでは、新型コロナウイルスに感染して無症状や軽症ですんだ人、重症化した人では、何が違ったのだろう。過去の感染やワクチン接種によって免疫系が強化されていた可能性、又何らかの理由で免疫系のバランスが乱れていた可能性などが考えられる。 2003年に「重症急性呼吸器症候群(SARS)」が竜子した際、免疫系の暴走によって重症化したと考えられる症例が少なくなかった。「サイトカイン・ストーム」と呼ばれる症状である。 サイトカインは、感染局所に免疫細胞を招集したり、活性化させたりするなど、さまざまな〝メッセージ〟を伝達する物質である。これが過剰に産生されると、「非自己」に向けられるべき攻撃が私たちの身体という「自己」にも向けられ、臓器を破壊してしまうこともある。免疫系は〝諸刃の剣〟となるのだ。ウイルスそのものの毒性ではなく、これを排除する免疫系が、かえって重症化の要因となるのである。ワクチンの開発を含め、〝免疫反応をどうすれば適切にコントロールできるか〟が大きな課題である。 そこで今、あえて大局的に見るならば、大事なのは〝調和〟ということではないかと思う。 私たちの身体は、多くの「生命」の調和的統合で成り立っている。 例えば、私たちのひとつひとつの細胞に含まれるミトコンドリアも、太古には独立生物であった。ミトコンドリアには、酸素を使って生命活動に必要なエネルギーをつくり出す重要な役割がある。 免疫系との関連で言えば、獲得免疫を維持するためにはミトコンドリア機能が活性化することが極めて重要で、反対にミトコンドリアが損傷を受けると、感染がなくなっても自然免疫が発動してしまうことが近年、明らかになっている。ミトコンドリアの機能維持には、適度な運動が有効であることが知られている。 また、町内には、100兆個ともいわれる細菌が共生している。そうした細菌が食物を分解して、さまざまな物質を合成してくれるからこそ、私たちは生命活動が維持できるのである。 免疫細胞のためにも腸内細胞は重要で、腸内細胞なくして免疫系の調和は成立しない。 賢明な食生活で腸内細菌のバランスを整え、食事、運動や睡眠などの生活の基本を大切にすることが、結果として免疫系の「調和」をもたらす鍵なのである。 「調和」は体内だけでなく、人間と環境においても求められる。 森林伐採が急速に進行する地域では、通常は野生生物の間でのみ発生する感染症が、人間にまで広まる例が見られている。自然破壊が進めば、新たな感染症を引き起こす状況をつくり出してしまうと警鐘を鳴らす専門家もいる。 求められる共生の哲学 まさに「調和」は、人類的課題のキーワードではないだろうか。 世界の研究者たちが今、新型コロナウイルスのワクチン開発に当たっている。 ワクチン開発の礎となったのは、天然痘が猛威をふるっていた18世紀に、イギリスの記師であるジェンナーが「牛痘」を用いた予防接種を始めたことが起源とされる。しかし、ジェンナーより70年以上も前に、ワクチンの原型となった試みが、メアリー・ウォートリー・モンタギューという一人の女性によって、イギリスに広められていたことは、あまり知られていない。 彼女は、弟を天然痘でなくし、自らも罹患によって、その容貌を傷つけられた。それまで中国やインドなどの東方世界では、天然痘に一度罹患すると、再びは罹患しないことは経験的に知られており、患者の病変部のかさぶたや膿汁をあえて接種し、「獲得免疫」を誘導することが積極的に行われていた。それを知った彼女は周囲の反対を押し切り、愛する息子に、これを試したのである。そして効果を確信すると、王室などに働きかけ、その普及に努めた。 やがてイギリス社会に浸透していくことになるが、それでも世論の賛否は二分していた。効果的な予防法であるのにもかかわらず、「命を奪うもの」「神の御心に背くもの」と、さまざまな悪評が流されたのである。しかし、彼女は、そうした風評に屈しなかった。医師らの前で自分の子どもたちへの接種を行い、正しい効果があることを再び証明してみせた。こうした努力が、より安全性の高いジェンナーの牛痘接種へとつながっていったのである。 彼女は医療の専門家ではなかったが、主体者として立ち向かった。私たちも彼女のように、一人一人が今いできること真剣に考えながら、今回の感染症に立ち向かっていきたいと思う。 一方、ネット上などに無責任とも思われる批判やデマ、感染者に対する差別があふれている。サイトカインというメッセージ物質が暴走して人間を破壊するように、無責任で誤った情報が飛び交えば、社会を分断させ、人類を滅ぼす因となりかねない。正しく価値的な情報に基づきながら、行動することを心掛けたい。 人類は今後も、感染症の挑戦を受けることになるだろう。さらに厳しい試練がないとも言えない。その中にあって、人間と人間、人間と環境を調和へと導く強盛の哲学が、これからの世界にますます求められていくと思う。 【危機の時代を生きる】聖教新聞2020.4.15
April 15, 2020
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医療社会史から見た感染症 小俣 和一郎 鬱積感、圧迫感が蔓延 2020年は、思いもかけず新型コロナウイルス感染症騒動で始まった。もっとも、日本ではこの問題が深刻味を増したのは、感染患者が集団発生した大型クルーズ船検疫を巡る対応や国内での感染者が増加した2月以降のことである。 ところで、歴史上このような新しい感染症が現れ、それが広域に伝染して、いわゆるパンデミック(世界的な流行)が出現したとき、人間社会がどのような反応を見せてきたのかを顧みると、そこには驚くほどの共通点が見いだされる。 新しい感染症であるから、それに対する免疫をもつ人はなく、治療法もないという点で、大きな不安と恐怖心を呼び起こす。そうした感情は本来身を守るためのポジティブなものであるが、集団心理となると、社会にとって逆にネガティブなものともなる。 そのもっとも極端な例が感染源と見なされた人々への攻撃であろう。 ヨーロッパ中世におけるペスト大流行に際してのユダヤ人焼き殺し、いわゆる魔女狩りの一部などがその例といえる。さほど極端ではなくとも、今回のコロナ危機における外出制限のエスカレートや買い占め騒動なども、そうした人間の集団心理が深くかかわっている。 そうしたこともあって、「コロナブルー」とか「コロナ疲れ」ともいわれる何とも表現しがたい鬱積感、圧迫感がまん延している。 繰り返される集団行動 もっとも、感染者を隔離するという行動は公衆衛生上の基本的な手段であり、検疫という英語のクアランティン(語源はイタリア語のクアランテナ=40)も、町の外の港に船を乗員ごと40日間停泊させ、異常がなければ上陸を許可したことに由来する。その起源は14世紀の都市国家ベネチアといわれる。 この手法は現代の世界でもなお医学的に有効とされるので、冒頭に触れたクルーズ船検疫のような対応は基本的に間違っていない。ヨーロッパ各国のような陸続きの国で国境を封鎖して入国者をとどめ置くというのも、同じ意味で誤った対応とは言えない。 しかしながら、集団心理が昂じてパニックが広がれば、先に述べたような集団虐殺、人種差別、露骨な買い占め騒動などに結びつき、本来何の科学的根拠も持たない行動となって現れる。こうした非科学的な集団行動は、未知の感染症が流行するたびに歴史上、繰り返されてきた。 医学の歴史を専門に研究する分野を「医学史(または医史学)」というが、その周辺には最近になって、さまざまな関連分野が生まれている。感染症と人間社会のかかわりを研究テーマとする領域も「医療社会史」ないしは「医療文化史」などと呼ばれることがある。 ただし、こうした領域の定義や境界はまだ定まっていない。しかし、今回のコロナ危機のように、パンデミックを引き起こし、しかもそれゆえに世界経済にも大打撃を与えつつある事態に対しては、そうした新しい領域の研究者も大いに関心をもたざるを得ないだろう。 大戦終結させたスペイン風邪 経済優先の世界見直す作用も 自然共生的生き方の拡大 ところで、医療社会史的に分析してみると、これまでパンデミックのような広範な感染症の流行は、一方で上述のような非科学的で非人道的な愚行を繰り返し生むのだが、他方で人間社会全体にとってはむしろよい結果というものをもたらしてきた歴史も見ることもできる。 例えば、1918年に発生した「スペイン風邪」のパンデミックがその一つであろう。この大流行の発生源はいまだによく分かっていないが、その流行がスペインで大きく報じられたことからスペインの名称を冠してこう呼ばれる。また、その正体はインフルエンザウイルスであった。 しかし、当時はなおこのウイルスに免疫がなかったため、またたく間に世界中に感染が広がった。日本でも多くの人が感染し死亡した。世界的には5億人以上が感染、死者も5000万人以上といわれている。この膨大な数の感染死、とりわけ若者の死によって徴兵に支障が出たため、こう着状態にあった第1次大戦が終結(18年)したともされる。 今回の新型コロナウイルスのパンデミックはまだおさまらず、一日も早い終息を祈るばかりだが、各国が検疫目的で移動制限を実施したことで旅行者数が激減したのにともない多数の航空便もストップし、工場の九行で石炭排出ガスなどが減少し、帰って空気が浄化され、パンデミック前までは国連をはじめ多くの学者らが警鐘を鳴らしていた地球温暖化にさえ一時的な歯止めがかかったかもしれない。 つまり、ウイルスという微生物が、人間に対してあたかも「世直し」のように作用しているということである。もとろん、それに伴う多くの犠牲者、経済的影響は見過ごすことはできない。だが、長い目で見れば、バブル経済のような角の株価上昇、地元時移民にとっては迷惑この上ないオーバーツーリズム、地球規模での気候変動などが抑制されるという結果につながるかもしれない。 また、テレワークのような勤務形態の促進、経済最優先の成長主義の見直し、地球環境に配慮した自然共生的生き方の拡大につながる可能性はないだろうか。 ゆくウイルスVS人類のようにあたかも戦争にたとえ、闘争心を煽るが、感染症という病気自体も自然のなせる業である以上、それを真に克服できることにはつながらない――医療社会史がわれわれに教えていることも、そのようなことではないか。 (精神医学史家) おまた・わいちろう 1950年、東京都生まれ。精神科医。著書に『近代精神医学の成立』『異常とは何か』『精神医学史人名事典』、訳書にラング『アイヒマン調書』、グリージンガー『精神病の病理と治療』などがある。 【文化culture】聖教新聞2020.4.7
April 7, 2020
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カミュ 「四月十六日の朝、医師ベルナール・リウーは、診察室から出かけようとして、階段口の真ん中で一匹の死んだ鼠につまずいた」(宮崎嶺雄・訳) ノーベル賞作家、フランスのアルベール・カミュの「ペスト」は、こんな風に始まる。 一匹だけではない。医師の行く先々で、鼠の死骸だらけである。彼は市役所に通報する。「毎朝、明け方に、死んだ鼠を拾集するよう鼠害(そがい)対策課に命令が発せられた。拾集が終わると、課の車二台がその鼠を塵埃焼却場へ運んで焼き捨てることになっていた」 わが国では一八九九(明治32)年から一九一一(明治44)年にかけて、断続してペストが流行した。ペスト菌の発見者、北里柴三郎博士が菌を媒介する鼠の駆除を唱えた。 東京市は死骸を交番に持参すると、一匹につき五銭で買い上げた。それらはカミュの小説のように、焼却場に集められたらしい。 北里博士は、一方で猫の飼育を奨励した。明治四十一年、北里の師のコッホ博士が来日し、猫の有用なることを大々的に宣伝した。 にわかに猫ブームが起き、猫の百科事典ともいうべき研究書『猫』石田孫太郎著)が発刊された。わが国最初の猫辞典である。 この本に「猫とペスト病」の一章があり、以上の事柄を述べたあと、明治四十二年に調査された東京市内の猫の数の一覧表が載っている。 それによると、最も多いのは日本橋区で、二万五千戸のうち飼育数は二千三十六匹である。十戸に一匹の割合である。商店街が多く、商品を鼠やられぬ用心のためらしい。 さて当時は十五区の東京市の総戸数は、三十六万一四二八戸、猫の総数は二万五五六八匹、飼猫の比例は十四戸に対して猫一匹である。 この調査票の出典が明示されていないのは残念だが、貴重な猫調査であろう。原本は稀覯(きこう)本だが、復刻版が出ている(昭和55年)。 カミュの『ペスト』の話だった。 疫(え)病(やみ)が蔓延し、死亡者が連日何十人も出た。そうしてついに市の門が閉ざされた。ペスト地区と指定され、外の地区と共通ができなくなった。手紙のやりとりも禁じられた。市民たちは目に見えぬ敵と闘わざるを得なくなった。 医師リウーは「天災のさなかで教えられた」として、こう記す。「人間の中には軽蔑すべきものよりも讃美すべきもののほうが多くあるということ」。カミュは一九六〇年四十六歳で交通事故死した。 【出久根達郎の「世界文学名作者伝」▷116】公明新聞2020.4.5
April 5, 2020
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1894年、英領香港でペストが発生。各国は調査団を派遣した。そして「一人の日本人と一人のフランス人の細菌学者がペスト菌パストゥ―レラ・ペスティスを発見した」(W・H・マクニール著『疫病と世界史』) ◆感染の危険を顧みず、謎の伝染病の解明に挑んだ研究者たちの「調査研究のそれに基づいてとられた公衆衛生上の措置が無かったならば」、死亡者は6世紀の東ローマ帝国や14世紀の欧州におけるペスト禍も「影が薄くなるほどのものだったのであろう」(同)という ◆この「日本人」とは近代日本医学の父・北里柴三郎。ドイツ留学中、細菌学の祖・コッホに師事した北里は、破傷風菌の純粋培養に成功。菌の毒素を弱毒化する抗毒素(抗体)を発見し、免疫抗体を用いた画期的な血清療法を確立する ◆ノーベル生理学・医学賞受賞者の大村智さんは、北里の業績を「バイオテクノロジーの到来を予見し」「現在の抗体医薬へと繋がり、ゲノム創薬と連動する」ことで「新しい医薬品の開発へと発展している」と仰ぐ(山崎光夫著『北里柴三郎』解説) ◆新型コロナウイルスが猖獗(しょうけつ)を極める。感染症の脅威から人類を守るため、研究者には治療薬やワクチンの開発に一層の奮闘をお願いしたい。ちなみに2024年度に刷新される千円札の肖像は北里柴三郎だ。 【北斗七星】公明新聞2020.4.3
April 4, 2020
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ジャーナリスト 尾林 賢治 全世界を襲うコロナ危機。「第2次世界大戦以来最大の試練」(メルケル独首相)に直面する世界は、前例のない史上最大級の経済対策を展開し、忍び寄る世界大恐慌に立ち向かわなければならない。 国際通貨基金(IMF)は、23日、2020年の世界の実質成長率が、マイナス1.5%に陥ると発表し、「(08年の)リーマン・ショックと同じか、それを超える景気後退になる」と警鐘を鳴らした。国・地方別では、日本が2.6%、米国が2.8%、ユーロ圏が4.7%といずれもマイナス。6%成長維持してきた中国は2.8%に低下すると予測している。 世界が11年ぶりのマイナス成長に陥るのも当然で、人間社会の営みの基本である人の動きが断たれてしまっているからだ。ニューヨークやパリ、ロンドンから人影が消え、国内でも東京、神奈川名の首都圏の知事が外出自粛の要請で合意した。 運輸や観光、飲食、旅行、買い物などの消費需要が瞬間的に蒸発、関連業界は大打撃だ。世界の自動車各社も急速に売れ行きが落ち込み、工場を相次ぎ休止、製造業にも影響し始めた。 リーマン・ショックの時は、金融機関が痛手を被ったが、今回は消費全体の底がごっそり抜けおちてしまっている。しかも、リーマン・ショックは1年余りで乗り越えたが、コロナ危機は特効薬やワクチンが開発されない限り、終息しない。マイナス成長は20年以降も2年、3年と続き、傷がどんどん深くなることを覚悟する必要がある。 コロナ危機には金融緩和だけでは効かない。米国が打ち出した2兆ドルの経済対策は国内総生産(GDP)の1割に相当する財政出動で、リーマン・ショック後の経済対策の3倍規模だ。日本も大型経済対策が検討されている。ドイツは財政健全化路線を封印、1560億ユーロの国債を発行。総額7500億ユーロ、GDPの2割に相当する経済対策を実施する。各国はさらに危機対策の第2弾の備えを用意しておく必要がある。 【けいざいナビゲート】公明新聞2020.3.30
March 31, 2020
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