邦題はなるべく直訳に近いものが望ましいが、この映画の原題は「他の人々のLEBEN」で、このLEBENの和訳が難しかったのだと思う。英語・仏語等は簡単にLIVESとかVIEで良いのだが、「生、生命、生活、人生」等々を同時に表す日本語はないのではないか。また日本は自分以外の人々を「身内と外部者」に分ける文化で、ANDERENの訳語も実はない。他者ではピンと来ないし、他人では別のニュアンスがついてしまう。ただ一義的に捉えるなら盗聴をするヴィースラーから見たドライマンとクリスタの生活と捉えればよいのではないかと思う。「善き人のためのソナタ」というのはベートーベンの『熱情』ソナタに関してレーニンが言ったという「この曲を真剣に聴くと悪人にはなれない」という言葉をなぞらえて映画に登場する「善き人のためのソナタ」という曲であり、またその題名をとってドライマンが出版する本の題名だから見当違いの訳題とも言えない。しかしこのソナタの映画の中での扱いはそれほど大きくない。ヴィースラー大尉はなるほどドライマンがこの曲を弾くのを盗聴で聴いて涙を流すけれども、それは盗聴することでドライマンとクリスタという心の通った人の生活を知ることの一部でしかない。チラシや予告編のコピーは「この曲を本気で聴いた者は、悪人になれない」を中心としていて、日本版予告編でも終始このピアノが流れている。しかしドイツ版やフランス版の予告編ではこのピアノは流れない。日本のあらすじ解説では必ずこのソナタのことが語られるが、英語やフランス語の解説を読むとこのソナタにはほとんど触れられていないことの方が多い。(日本以外上のどのチラシにもソナタへの言及はない。)この映画のレビューを見ていて「ピアノ・ソナタがヴィースラーの心を変えたのが描かれてない」という不満も目にしたが、明らかに予告編とコピーが誤解を招く予備知識を与えてしまった結果だ。『ゾフィー・ショル、最期の日々』も『白バラの祈り』という情緒的なタイトルを付して、それをメインとしている。この映画についても各国の題を調べたが、イタリアで『La Rosa bianca(白バラ)』が付されていただけで、あとはだいたい原題の『ゾフィー・ショル、最期の日々』のまま。このイタリア語題も「祈り」などという情緒的な語はない。とりあえずは観客を呼び寄せることは必要でも、誤解を与えるようなコピー等はあまり望ましいとは言えない。情緒に訴えることで観客を呼ぼうというやり方はそろそろ卒業してもよいのではないだろうか。