ラッコの映画生活

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2007.06.04
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カテゴリ: ヨーロッパ映画
DAS LEBEN DER ANDEREN

138min
那覇・桜坂劇場にて

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寸評:壁崩壊による東ドイツ消滅直前の国家保安秘密警察シュタージを扱ったヒューマン・ドラマ。『ヒトラー 最期の12日間』や『白バラの祈り - ゾフィー・ショル、最期の日々』がごく平凡で、表層的に観客の心をつかもうとしているのに対して、この映画では淡々と静かな演出が登場人物の心を描き、また歴史的東ドイツを描いている。日本語タイトルとそれを中心としたコピーは誤解を招く。

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邦題はなるべく直訳に近いものが望ましいが、この映画の原題は「他の人々のLEBEN」で、このLEBENの和訳が難しかったのだと思う。英語・仏語等は簡単にLIVESとかVIEで良いのだが、「生、生命、生活、人生」等々を同時に表す日本語はないのではないか。また日本は自分以外の人々を「身内と外部者」に分ける文化で、ANDERENの訳語も実はない。他者ではピンと来ないし、他人では別のニュアンスがついてしまう。ただ一義的に捉えるなら盗聴をするヴィースラーから見たドライマンとクリスタの生活と捉えればよいのではないかと思う。「善き人のためのソナタ」というのはベートーベンの『熱情』ソナタに関してレーニンが言ったという「この曲を真剣に聴くと悪人にはなれない」という言葉をなぞらえて映画に登場する「善き人のためのソナタ」という曲であり、またその題名をとってドライマンが出版する本の題名だから見当違いの訳題とも言えない。しかしこのソナタの映画の中での扱いはそれほど大きくない。ヴィースラー大尉はなるほどドライマンがこの曲を弾くのを盗聴で聴いて涙を流すけれども、それは盗聴することでドライマンとクリスタという心の通った人の生活を知ることの一部でしかない。チラシや予告編のコピーは「この曲を本気で聴いた者は、悪人になれない」を中心としていて、日本版予告編でも終始このピアノが流れている。しかしドイツ版やフランス版の予告編ではこのピアノは流れない。日本のあらすじ解説では必ずこのソナタのことが語られるが、英語やフランス語の解説を読むとこのソナタにはほとんど触れられていないことの方が多い。(日本以外上のどのチラシにもソナタへの言及はない。)この映画のレビューを見ていて「ピアノ・ソナタがヴィースラーの心を変えたのが描かれてない」という不満も目にしたが、明らかに予告編とコピーが誤解を招く予備知識を与えてしまった結果だ。『ゾフィー・ショル、最期の日々』も『白バラの祈り』という情緒的なタイトルを付して、それをメインとしている。この映画についても各国の題を調べたが、イタリアで『La Rosa bianca(白バラ)』が付されていただけで、あとはだいたい原題の『ゾフィー・ショル、最期の日々』のまま。このイタリア語題も「祈り」などという情緒的な語はない。とりあえずは観客を呼び寄せることは必要でも、誤解を与えるようなコピー等はあまり望ましいとは言えない。情緒に訴えることで観客を呼ぼうというやり方はそろそろ卒業してもよいのではないだろうか。

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思想的に国家体制を維持するための国家保安機関。スターリン時代のソ連では国民5830人に1名のKGB、ナチドイツでは国民2000人に1名のゲシュタポ、そして東ドイツではなんと国民63人に1名の割合のシュタージがいたという。この映画を見ながら(聞きながら)ちょっと思ったのはドイツ語という言葉の存在だ。国民性や文化が言葉を作るのか。言葉の性格が国民性や文化を作るのか。恐らくその両方だろう。シュタージのような徹底した綿密な管理システムは、やはりドイツ語と不可分のような気がした。ヒトラーの演説にしてもそうだ。チャップリンの『独裁者』の中のヒンケルの演説も英語ではあるけれどドイツ語を模していた。

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1984年東ベルリン。この映画で監視されるのは体制に認められた劇作家のドライマン。この人物はブレヒトになぞらえられてもいるのだが、決して反体制思想の持ち主ではなく、理想主義的社会主義者だ。「ネクタイはブルジョワ文化の残滓」と言いネクタイも結べない。彼もヴィースラー同様真摯な人間で、問題は現実の官僚体制の腐敗であり、結果としての生活の非人道性や表現の不自由なのだ。彼はやはり評価の高い舞台女優クリスタのパートナーで、彼女と一緒に暮らしている。しかしこのクリスタに文化大臣ヘンプフが関心を持ち、恋人であるドライマンを葬り去ろうとシュタージに監視を命ずる。担当はヴィースラー大尉。またヴィースラーとシュタージ養成学校で級友だったグルビッツ中佐はこの一件の成功で出世をしようと目論んでいる。

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(以下ネタバレ)
ヴィースラーという人物、映画の最初の、40時間眠らせない尋問の仕方を養成学校で講義するのなんかを見ていると、その無表情さもあって冷酷で無慈悲な冷血漢に見えるけれど、ようするに真面目で真摯な人間。その辺が地位を利用して女をモノにしようというヘンプフ大臣や出世のためならなんでもするというグルビッツ中佐とは違う。ヴィースラーは「社会主義は身近なところから」と言い、役所の食堂では幹部席ではなく一般席で食事をするような人物であり、社会主義体制を信じている。ところが盗聴することでドライマンとクリスタの愛ある心の通った生活を知り、何か違うんではないかなと思い始める。そんな2人の生活に接していたたまれなくなり、人との交流を求めて娼婦を呼ぶけれど、ことが済むとその娼婦が時間でさっさと帰ってしまうのは寂しい。人とのつながりを希求するようになる。ようするに孤独。そしてクリスタがドライマンに嘘をついてヘンプフ大臣に会いに行くのに出会ったとき、「今あなたのしようとしていることは、本当のあなたではない」と言い、彼女を思いとどまらせもする。

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(以下完全ネタバレ)


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そして5年後ベルリンの壁は崩壊し、翌年1990年には東西ドイツ統一で東ドイツは消滅。自由になったドイツでドライマンの作品が前衛的なスタイルで上演されている。それはかつて恋人クリスタがヘンプフもいる前で演じた作品だ。いたたまれず途中で席を立ったドライマンがロビーに出ると、やはり途中で席を立ったヘンプフがいた。そして何も知らないドライマンに彼が盗聴・監視されていたことを教える。ドライマンが資料館に行くと膨大な彼の盗聴記録があった。その資料の最終部でコードネームHGW XX/7なるシュタージが自分を助けたらしいことを知る。調べるとかつてのシュタージ幹部ヴィースラーは広告のポスティングで細々と暮らしていた。仕事中の彼を見つけ話しかけようとするが思いとどまったドライマンは『善き人のためのソナタ』という本を書いて出版した。書店の広告を目にとめたヴィースラーが店に入りその本をめくると、「感謝を込めてHGW XX/7に捧ぐ」と献辞があった。レジの係に「贈り物包装にするか?」と問われたヴィースラーが「この本は自分のための本だ」というセリフで映画は終わる。

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大袈裟な動作もなく、冷徹そうな無表情でヴィースラーという人物を演じたウルリッヒ・ミューエは見事な演技だ。この映画ではドライマンを裏切るクリスタが悪者に感じられがちだが、この点は実は監督は深く追求していないのかも知れない。監督の人間的な関心としては女性よりもドライマンとヴィースラーという男と男の触れ合いにあったような気がしてならない。実際に会うことなく本の献辞によるやり取りがそういう男の美学ではないかと思うからだ。その範囲ではクリスタを演じたマルティナ・ゲデックの微妙な心理を演じた演技も中々のものだと思う。

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この映画を見て一つ印象に残ったシーンは役所の食堂でのシーンだ。前述の通りヴィースラーはグルビッツと一般席で食事をするが、近くに若い所員か学生が数名がいた。一人が国家評議会議長ホーネッカーを揶揄ったジョークを言おうとして近くにシュタージ幹部の2人がいることに気付き話を思いとどまる。グルビッツに巧みにそそのかされた青年はジョークを話すが、彼が話し終えるとグルビッツは真顔になり名前と所属を問いただし「どうなるかわかってるな」と言い、青年は青ざめる。しかしグルビッツは「これはジョークだよ」と話をおさめる。後日談が描かれないので青年がお咎めなしだったか処分されたかはわからないが、誰を、何を、信じてよいのかわからない監視社会の恐ろしさを描いているという意味で重要なシーンだ。わが国だって共謀罪が成立すれば本質的に同じ状況になる。そういう意味で20年前の東ドイツのお話というだけではなく、現代的意味も持っている。

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Last updated  2007.07.05 03:12:57
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