brog

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2024.05.19
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聖徳太子の時代に仏教が伝来しました。
これはよく知られているのですが
日本で初めて僧侶になったのは、実は意外なひとたちなのです。
(わたしには、そう感じます。)

3人の尼僧(女性)なのです。
善信尼(ぜんしんに、敏達天皇3年(574年) - ?)は、6世紀後半の仏教の尼であり、記録上日本で最初の留学生(百済へ留学)父は司馬達等。仏師・鞍作止利の叔母にあたる。
名は嶋(しま)。恵善尼や禅蔵尼とともに日本最初の僧尼の一人となった。

善信尼はそれも11歳で出家しました。
おそらく他のお二人も、同じ様な年齢ではないかと思っています。



これは仏教が日本で受容されたとき、どのような意味でこの仏教を取り入れたのだろうか
という点なのです。

いま仏教は葬式仏教などと揶揄されておりますが、その意味するものはもっと違って
見えてしまうのです。

特に日本では古くから神道における巫女の存在は、よく知られています。
私には、この仏教は日本の神々の一つであるという受け取り方をしていたのではないかとしか
思えないのです。

つまり効く(効果がある)神様の一つという捉え方なのです。神仏は一体である。
この年齢も巫女のあるべき年齢なのです。
今の巫女さんは実は年齢が高すぎるのですが

この3名の尼僧は物部氏によってむち打たれるなどの迫害をうけましたが

拝んだとあります。

この姿は、この3人の尼僧を仏=神=神仏と見なして礼拝している姿に見えます。
このあり方は、神道の巫女の本来のあり方とそっくりなのです。

明治時代になって、巫女舞が本来の神がかりの儀式の部分が禁止された
経緯によって、その意味がよくわからなくなって来ているように思えます。


もっと呪術的な、あるいみ恐ろしいものです。
それ故に、ある意味危ないとも、人を惑わす恐れのあるから、近代国家となった
明治の政府が禁止したのもわかる気がします。
現代の巫女の舞は、安全な物になっていますが、本来はこのようなものであっと
捉えており、その継承は細々でありますが、今でも残っています。

この後日本では神と仏は習合(八幡神など)していき、一体として捉えられるようになります。
それもこの流れから見えれば、当たり前のながれであり、日本における宗教の受容が
いい加減にみえるのも、じつは尊い一つのものが世にはあるという日本人の宗教観に
根ざした物であり、それこそが宗教の根源に対するあり方ではないかと思えるのです。





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Last updated  2024.05.19 20:30:02
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