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セロトニン神経はたいへん重要です。三つの脳内神経のなかで、ドーパミン神経もノルアドレナリン神経も鍛えられません。セロトニン神経だけが鍛えられるのです。普段の日常生活を工夫して律していくとこの神経は弱らずもっと強くしていくことが出来ます。
2024.06.30
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人の脳には三つの神経があります。ドーパミン神経ノルアドレナリン神経セロトニン神経この三つです。ドーパミン神経とは快感を感じる神経です。(性欲など煩悩と強く関係する、欲を感じる神経)ノルアドレナリン神経とはストレスを感じる神経です。セロトニン神経とは幸福を感じる神経です。(別名 元気の神経、ストレスを制御する神経)ストレスがなければいいわけではありません。何が幸せなのかと考えた場合、セロトニン神経の働きが鍵です。この神経が快と不快、この両者をコントロールできます。このセロトニン神経によるコントロール状態が幸せと呼ぶべきものです。だから、そこそこ幸せ、快も感じられるし、ストレスにもちゃんと反応できる。それがまさに「幸せ」というものなのです。有田 秀穂著 瞑想脳を拓く より
2024.06.27
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おおいなるかな心や『興禅護国論』(こうぜんごこくろん)とは、鎌倉時代初期、日本に臨済宗を伝え広めた栄西による仏教書。栄西が禅の布教にあたったとき、南都北嶺より激しい攻撃が加えられたのに対し、禅宗の要目を論じた著作。栄西にとっては主著にあたり、「日本における禅宗独立宣言の書」とも評価される(wikiより)
2024.06.27
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全ての人は今まで書いてきましたが、光輪を持っています。それを知って欲しいと思います。
2024.06.25
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よくAIに感情があるか?とか恋愛は?愛情は?というテーマがよく言われる物です。人間のこの上記の行動というものは、今まで述べてきたように身体、自分の身体によって例えば、スキとか嫌いとかが決められているのです。感情というのはこの自分の身体によって作り出された物です。例えばAIに愛情を学習させるためには、このAIに身体が必要になると考えています。その身体に類する物です。
2024.06.25
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人工知能(AI)とは、勝手に自分で考える訳ではなく学習によって例えば犬の画像をたくさん見せることで、これは犬であると学習していきます。その後ある犬の画像を見せて、それが犬であると言えば正解となりそれを猫であると言えば、間違いと教えて多数の試行錯誤をつづけることで、次第にただしい答えを回答出来るようにしていきます。囲碁プログラムで、このモンテカルロ法と呼ばれるこの方法で、非常に強くなりもはや人間では勝てない領域に達しています。これが人工知能の仕組みです。この学習するプログラムをモデルと言います。この方法は人間が学習していく作業とおなじものです。
2024.06.25
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人工知能の発達によって会話ができるアプリがあらわれています。その会話する能力は、人がしゃべっているかのような完成度の高さです。この物は初期のプログラムでありますから、もっともっと洗練されていき人間の多くの仕事を代替えする事になると思います。そこで思うのです。この人工知能は、ただの機械が作り出したものです。それって、もしかすると人間もそれと同じ様なものではありませんか?その中にはわたしはいないのですから(無我)
2024.06.21
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12世紀に中国の宋で編纂された禅の燈史、第三巻より釈尊が、菩提樹下における七日七晩の禅定の後八日目の明星を観てこの言葉を発した「我と大地の有情と同時に成道せり」(わたしとこの世界の全てが仏としてある)
2024.06.19
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真名井御前(19歳)が弘法大師より淳和天皇(36歳)で即位した時にその年、天皇と共に大師より如意輪法を受けと言う伝承を以前書きました。その如意輪法(中院流)がどのようなものかについては、その資料を見ることが出来ました。それを読んでみて、それはどのように行ずるのかはわかるのですが
2024.06.18
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施餓鬼 今では施食と言われる様です。
2024.06.17
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良い作品を見つけました。一度読んでみてもらいたい作品です。
2024.06.13
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今日の朝、右足の親指に痛みがあり、それに気がついて目が覚めました。冷えた為に痛風発作かもしれませんが、前も書いたように寝ながら光輪を形成して、左手に移してそれをその場所に持っていくと瞬間に痛みは消えました。その後も痛みはぶり返してきましたが、そのまま又寝てしまい朝起きたときには、こわばりはありましたが、右足の指の痛みはありませんでした。
2024.06.11
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毘盧遮那とはサンスクリット語の「ヴァイローチャナ」(Vairocana)の音訳で「光明遍照」(こうみょうへんじょう)を意味する。仏であることを明示するために、「仏」字を付して毘盧舎那仏と表現されることが一般的である。頭の文字を略して盧遮那仏(るしゃなぶつ)、遮那仏(しゃなぶつ)とも表される。史実の人物としてのゴータマ・シッダールタを超えた宇宙仏(法身仏)。宇宙の真理を全ての人に照らし、悟りに導く仏。毘盧遮那仏については、『華厳経』に詳しく説かれている。これは大日如来とおなじであり、つまり「光」です。奈良の大仏は「光」なのです。
2024.06.11
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茶十徳明恵上人は湯釜の側面に「茶十徳」と呼ばれる、10個の茶の効用を刻みました。諸天加護強い根を張り一年中緑を保つ茶の生命力が、飲む人を守ります。無病息災茶を飲むことで病にかかることなく元気に過ごせます。父母孝養茶の深い味わいは心を整え、父母への感謝の心を育てます。朋友和合喫茶の習慣が親しい間柄の語らいを生み、関係性を深めます。悪魔降伏茶の成分が心身の疲労を解消し、心の迷いまでも取り払います。正心修身喫茶の礼節や作法には、精神修養の効果があります。睡眠自除茶が眠気を払います。煩悩消滅茶を飲むことで、煩悩が消滅します。五臓調和茶を飲むことで内臓の調子が整います。臨終不乱茶飲む人は心身共に整っているので死に臨んでも取り乱すことがありません。
2024.06.11
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こころが動かない、こころが沸き立たない方法を誰でも知ることができる。その方法、ただ気がついていると言う事が、安楽であり静かな状態に至る道であることを誰でも知ることができる。沸き立っていても、永遠にはそこに留まることができないことをだれも知る事ができる沸き立っていても、それを掴まなければ、なおさら留まれない事をだれでも知る事ができる気がついていれば、沸き立つものは沸き立て無い事を誰でも知ることができる沸き立つものの根源は身体にあることを誰でも知ることができる沸き立つものは苦である、苦を作るものは身体である、よって身体は不浄であると言う事を誰でも知ることができるただ身体を観つづけているとよいことを誰でも知ることができる。この困ったちゃんの身体を優しい目で観ているとよいのだと言う事を誰でも知ることができる。観ているものがこの世界を創造している事を誰でも知ることができる。観ているものには、沸き立つものが存在しないもの、だから不浄では無いものであることを誰でも知ることができる。だから何も無いものであることを誰でも知ることができる。そして観ているものは誰ということを誰でも知ることができる。そして観ている自分は何者であるかを誰でも知ることができる。
2024.06.10
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吉祥とは繁栄・幸運を意味し幸福・美・富を顕す神とされる。美女の代名詞として尊敬を集め、金光明経から前科に対する謝罪の念(吉祥悔過・きちじょうけか)や五穀豊穣でも崇拝されている。天河大弁財天社の創建に関わった天武天皇は天河の上空での天女=吉祥天の舞いを吉祥のしるしととらえ、役行者とともに、伊勢神宮内宮に祀られる女神(天照坐皇大御神荒御魂瀬織津姫)を天の安河の日輪弁財天として祀った。この時、吉祥天が五回振袖を振ったのが、五節の舞として、現在にいたるまで、宮中の慶事の度に催されている。wikiより
2024.06.05
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わたしの本質は実は存在はしていないのです。どこにもみつけられないのです。わたしが居るとわかるのは、わたししかいないのです。わたしはわたしが居るとはっきりとわかります。
2024.06.02
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大地に埋められた死者については、イグボ族においては祖霊となり子孫から尊敬される存在となるとあります。そしてその祖霊は大切な仕事が与えられているのです。自分たちの子孫を守り、繁栄と成功をもたらす役目が与えれているのです。これって先祖を敬うという日本の意味と全く同じ物であり、それは縄文時代に遡る物ではないかと思えます。それだけではありません。イグボ族においては祭礼や紛争解決の場所に死者の仮面をかぶった人間(シャーマン)の形をとって憑依することでこの世界によみがえってきます。人々のこの世界で、凶作や商売の失敗や、子供の横死などがあれば、守護する祖霊の役割をしていないと言われる様にできているのです。(参照)輪廻転生 私をつなぐ生まれ変わりの物語この姿も日本での巫女の役割や神道の姿を思い出させるのです。この姿こそが、縄文時代につながる、もの凄い古い宗教儀礼の姿を現していいると思います。この地球の裏側の宗教儀礼と同じに見えてしまうという事は、おそらく人が死ぬという事実に気がついたことから生じた、もっとも根源的な、原初の宗教儀礼の起こりを伝えているのではないかと思えるのです。こういうものが、今の日本において今でも残っている意味は素晴らしい物です。おてんとさまが見ている。悪いことは出来ないなどと日本ではいわれますが、それもこれのことから、なぜそう言うのかがはっきりとわかるだろうと思います。私たちはひとりではなく、多くの見守るものが居るとその根源に無意識に思っているからです。
2024.06.02
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西アフリカのイグボ族の葬送儀礼の紹介されている記事がありこの部族は近代化される前の人々の葬送儀礼をもっており、非常に興味深い記述があります。イグボでは埋葬の際、死者の手にヤムイモかココヤムを握らせるという風習があります。これは一種の〈類感呪術〉であると考えています。〈類感呪術〉は〈模倣呪術〉とも呼ばれ、イギリスの人類学者ジェイムズ・フレイザーが定義した概念です。「似たものは似たものを生み出す」という原理にもとづき、ある事象をまねることでその事象を実際に引き起こそうとする呪術のことです。収穫されたイモはなんとも無骨な表情をしていますが、ひとたび土のなかに埋めれば、生命力そのものとなって「再生」し、土中から新芽を出します。「大地のなかに埋められ、大地のなかで再生するヤムイモ」という心像が、「大地のなかに埋められ(=土葬され)、大地のなか(=冥界)で再生する死者」という観念に重ね合わせられていると解釈できるのです。「母なる大地」という言葉のとおり、ヤムイモは豊穣を、死者は再生を願って地母神アラの子宮のなかに埋められます。ここでは根菜を植える行為と、死者を埋葬する行為とが、類推という神話的なレトリックによって結ばれているのです。こうして見ていくと、ヤムイモやキャッサバなど地中で成長する根菜類の栽培、地母神信仰と祖霊祭祀、そして土葬の風習など、イグボの再生の観念はさまざまな生活の実践のなかに見事に織り込まれていることがわかります。このような記述から土偶がなぜあのような姿をしているか、人類学の方がこれは根菜(つまりイモ)であるというのは、まさにその通りなのです。そこには縄文時代は採取によって生活していたのですから、それらの豊作を願うと言う意味とまた、亡くなった人は大地に埋められていくわけですから、イモのような無骨なものから美しい花を咲かして、よみがえって(再生、よみがえって)きてほしいとの二重の思いが込められているように、思えるのです。そのことがこのイグボ族の死者への考え方が次に出てきます。
2024.06.01
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土偶については土偶は縄文時代草創期に上半身を簡略化したものが出現し、その後、全身を表現するようになり、後期・晩期には東日本で盛行します。 多くは乳房の表現をもつことから女性を表すとみられ、出産などの子孫繁栄や、病気やけがを治すお守りとして用いられたと考えられています。と一般的にいわれていますが、これについては人類学者の竹倉史人氏が『土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎』において結論的には根菜(つまりイモ)を表した物であると言う注目すべき研究が発表されています。
2024.06.01
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