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呼吸をおなかの膨らみ、縮みを観察することなのですが、いままであまりその重要性に気がついていませんでした。呼吸の吐いている、吸っているという一連の行動をこのおなかの動きで観察していくと面白い事がわかりました。不安とかいう心は、からだの上半身に現れます。(自分では)前から述べていますように、身体変化が心を作り出すわけですから、体のこわばりが心をつくりだしているのです。不安がおこったとき、かならず上半身のどこかに力があります。この腹式呼吸を観察していくと、不安が起こりにくいのです。よくかんがえると納得がいきます。呼吸は常にあるわけで、そのおなかの動きを常に観察していると人は同時に二つのことはできないので、おなかと、上半身同時に力を入れられないのです。これが胸式呼吸をしていくと、場所がおなじなので、不安に巻き込まれる可能性が高くなります。そういう事で、腹式の呼吸をするようになりました。
2024.07.31
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蓮華と月輪この二つからなるという事が、密教の特徴的な点では無いかと思っている。現実を肯定していると見えるのも、この2つを見据えているからとなりまた理趣経において、ビックリするような事が書かれているのも、これが関係していると見える。有相の心は、肉団心という身体が生み出す心であると言う点は、まさに今まで言っていたことと関連があるとおもう。心は身体が作り出す=蓮華しかし、それを観ているもの=月輪こういう構造に対応している
2024.07.31
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本来不生(つくりだされものでない)の自心(みずからのこころ)を阿字として三摩耶形(本来仏と衆生はおなじ物であるという意味)として月輪、蓮花という具体的なシンボルを用いて瞑想する。自心(阿字)は、citta(チッタ)=月輪とhrdaya(フリダヤ)=蓮華と確立した。月輪=無相、分別慮智の心蓮華=有相、肉団の心とした蓮華とは私は今ここに居る、ゆるぎない事実でり、今私がこの身体において考え、語っているという厳然たる事実があるこれを指している
2024.07.29
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めを閉じていると常に月輪(光輪)がある
2024.07.29
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(正に月輪を観ず)そのままで、目を少し開いて本尊を見る1,円明にして清浄な光を放つ月輪をしばらく見る。ときどき目を閉じ、月輪の残像を観ずる。2、日を重ね実感出来るようになれば、本尊を自身の胸中に引き入れて、自身の月輪と本尊の月輪が不二一体なることを観ずる。胸中の月輪を充分に実感した後、もとの掛け軸に戻す。3,日を経てさらには、胸中の月輪を次第に広げて、遂には宇宙法界となる。(広観)自身即宇宙法界を充分観じてから、ゆっくりと縮めて胸中に収め、最後にもとの掛け軸本尊に納める。(斂観)阿字観瞑想入門より(山崎泰廣著)春秋社
2024.07.29
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瞑想から見てみると死が存在している事はいやというほど、見ているのでよくわかるしかし、自分の死は、ぜったいにわからないという事に気がつくではその死はどこにあるのか?自分の心の中の想いの中にしか無い想いにあると言うことは、妄想になる それに纏わり付かれる事になるだから死んだらどうなると言う問いに、無言で答えるのはある意味理にかなっている死ぬことを考えているとき、自分は生きているのだから今やることをすべきだろう今やること何も無いって? 呼吸しているだろう? それでも観たらどうだろうか?
2024.07.23
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サンスクリットで輪をあらわす。これはヨーガなどでよく聞く言葉で、その単数主格となるものが、チャクラムつまり一つではチャクラムチャクラは輪全体を指している。これは転輪聖王の持物とされ転法輪や輪宝とも呼ばれるとあるこのことからもこれら全ては光輪を指し示している。
2024.07.21
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アケメネス朝ペルシャの大王が燃えさかる火に対峙したときの有翼光輪の壁画この壁画の図はゾロアスター教とアケメネス朝ペルシャの大王の関係を表しています。左の人物は大王右の台には火が燃えています。そして中央には、大王のやや上に有翼光輪が描かれいます。有翼光輪には人物がありますが、これは光の神のアフラマツダの使いの天使ラヴァシをあらわしています。問題はこの有翼光輪です。何度も言いますが、太陽では無いのです。大王の上方に現れる光、転輪王教で言う転輪、なのだと思います。サンユッタニカーヤ、神々の対話に現れた、光る存在(神)とお釈迦様の対話こう言う形に見えていたのではないかと思えるのです。このモチーフは、多くの宗教画に現れていると思います。アケメネス朝ペルシャの大王の壁画に描かれた有翼光輪前も書きました日本の神武天皇に現れた、金鶏、八咫烏であると考えています。また、有名なジャンヌダルクが神託を得た時の伝承と一致しています。「神の声」を聴いたのは13歳このとき一人で屋外を歩いていたジャンヌは、大天使ミカエル、アレクサンドリアのカタリナ、アンティオキアのマルガリタの姿を幻視し、その「声」を聴いたと言われています。聖人たちの姿はこの上なく美しく、3名が消えたあとにジャンヌは泣き崩れたと語っているとあります。光の存在としての天使の姿は同じであると見ています。ムハンマドが、天使ガブリエルから啓示を受けたのも、この構造と見ています。新約聖書使徒行伝 第9章にあるユダヤ教徒であったパウロはキリスト教徒を迫害していた。そのパウロがダマスカスという町に向かう途中に目もくらむような光に包まれる。パウロに、なぜ私を迫害するのだと語りかける。この伝承も同じモノでは無いかと思っています。光の存在、上方に現れると言う同じパターンを持っているのです。
2024.07.20
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ハシトゥパッターダチッタ(パーリー語)執着から自由になると自分の目の前でどんなことが起こっても(良いことでも、悪いことでも)それに微笑をもって対応出来るという。古い時代のモノですが仏像というか、そのような像を見ることがあります。阿羅漢と呼ばれる修行者に生ずるものとありました。心が無い状態赤ちゃんが微笑んだ状態ともおそらく瞑想が表す物の一つで、それはあるがままに見ている状態から来ているように思います。思考が無い状態とでも
2024.07.19
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お経を読むつまり読経と呼ばれる行為は脳波の変化、時間経過、アルファ2が出てくると言うことに関しては座禅の呼吸瞑想とおなじ物である結果が出ています。つまり声を出し呼吸法が読経であり、声を出さない呼吸法が座禅であると言うことです。お経の内容は、題目や称名など言葉の繰り返しであり、偈文という5文字の漢字で韻を踏んでいるという事で、音に意味がありそれを読むことによって、思考が起こりえないという事は、おなじ事になるわけです。集中が続いていく、ひたすら声を出して読んでいること、想念がおこらないつまり、リズムある言葉を繰り返すという事は、調心につながるわけです。普通読むという事は、そこから意味をくみ取り、想念を巡らせるわけですが、この読むはそれとは全く異なっているのです。
2024.07.19
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20時頃から瞑想について、曹洞宗の藤田一照さんなどが出て、そのやり方などを興味が持てるように話しておられました。今調べて見ましたが、もう70歳になられていました。後ろから変な音を鳴らされて、笑ってられましたが
2024.07.17
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たとえ明日目が覚めなくてもいいと思っている人でも明日は来るもんだと思って生きてるんだだけどある日、具合がわるくなって、ちょっと横になれば直ると思って布団にはいったのだけど目が覚めたらいつもの日常が来るそれが来なかっただけなんだ
2024.07.17
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ひとは生きている限りやり直すことができる死んではやりなおすことなど出来ないやりなおす、やりなおせないを決めるのは、生きている自分だから生きて自分が動かないとかわらないからとてもしんどいとは思うけどこころというやつはどれだけひどいことをしてくるのだろうかそういう勝手に苦しみを送り込んでくる放送局を、みな抱えているそのスイッチを切る方法があることを多くの人は知らないし、それを切ろうともしないいつも毒薬を飲まされているようなものだ良薬があるのにそれを飲もうともしないそれは瞑想の中にあった
2024.07.16
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メラトニンは松果体で作られており、光と密接な関連があります。DMTは、メラトニンとよく似た物質です。前に書いたセロトニン神経の件セロトニンとメラトニンの関係はメラトニンはセロトニンから作られるセロトニンは機能低下にてうつ病の発症に繋がる神経伝達物質として知られていますが、他に重要な働きとしてメラトニンのもとになりえます。 (メラトニンは、セロトニンを材料に作られ、脳の松果体から分泌されます。)つまりセロトニン増加、メラトニン増加、はDMT放出につながることになります。そして光の存在おそらくこの光とは、光輪でしょうメラトニン不足は不眠症になることが知られていますが、バタンキューですぐ寝る事ができます。つまり
2024.07.14
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かつて法輪をはじめとする七宝を伴って天下を治めていたダルハネーミという名の転輪王、彼から代を経るごとに、善法は徐々に失われ、それに伴って人々の寿命も8万歳から10歳へと短くなり、人々は愚かになっていった。そして7日間にわたって大戦争が起こり、世界は破滅する。wikiより
2024.07.11
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得物は 輝き 輝いて 輝きは嗟呼 何れも様方に 寿きあれや寿命は長く 善く 輝き 輝いて 輝きは 嗟呼 何れも様方に 寿きあれや得たる物は輝き、輝いて、輝きとはどんな人にも、長き命あらんこと良き、輝き、輝いて、輝きとは長き命あるように全ての人に光輪がある それを得る人には長き命が与えられる
2024.07.11
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青山常運歩、石女夜生児(せいざんじょううんぽ、せきにょよるこをしょうず)『正法眼蔵』中の山水経(さんすいきょう)巻より木人将に歌い、石女立って舞う
2024.07.11
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意識的に夢を見てみたが昨晩でてきたのは、地震と津波だった。
2024.07.04
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セロトニン神経を鍛える方法は、歩くこと、呼吸することとありますがよくみると誰もがそれをしています。当たり前ですが、それだけではセロトニン神経を鍛えることはできません。何故かというと、歩いていると、人の心はすぐに他のことを考え出します。マインドワンダリング、心がさまよう、勝手な放送局が想いを勝手に送り込んで来るいままで、言われてきたことが、常に起こってきて鍛えることにはならないように出来ています。ではどうすれば良いかと言えば、その動作に気がついていくことが勝手な想いは出てこれなくなり、動作を集中して感じていくことができるはずです。手を伸ばしてコップを取って口に運び、その中のコーヒーを飲む、苦い味を感じるこれでもいいはずなんです。茶道なんかもおなじ事だとわかります。それを延々と続けることなのでは無いかと思います。
2024.07.02
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脳の中の三つの神経脳内にある三つの神経が、心と密接な関係にあるようです。その三つの神経とはドーパミン神経という快の神経、ノルアドレナリン神経というストレスの神経、その両者を制御できるセロトニン神経の三つが、心の模様をつくっていると思われますが、この三者を比べたとき、それぞれの役割の違いだけではなく、おそらくセロトニン神経だけが鍛えられるという事実が重要なのです。それが修行であり、瞑想などがなぜ行なわなければならないかの理由なのです。
2024.07.02
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セロトニン神経の活性化には適度なリズム運動の継続です。歩行、咀嚼、呼吸などのリズム運動がセロトニン神経を活性化するのです。現代生活は、パソコンの前にジーッと坐り、指だけを動かして仕事も遊び (ゲーム) も行なわます。その身体を動かさない生活がセロトニン神経を徐々に弱らせ、それが心身の健康を損なう状況を作ってきているのです。このリズム運動歩行については、経行(歩く瞑想)、呼吸と言えば、言うまでも無く呼吸瞑想(アーナーパーナサティ、吸う息、吐く息に気づく)です。これが、セロトニン神経の活性化と密接な関係があります。呼吸瞑想における一番大切なポイントは、延髄の呼吸中枢による自動調節機構にまかせてしまうことです。ここで注意すべき点は、呼吸を自動調節するのは良いのですが、そうするともう自動思考という心の勝手な放送局が動き出して、いろいろな考えを送り込んでくるのは、瞑想をする人はよくわかると思います。だからこそ気がついている(sati)事が必要になってきます。長い息であることに気づく、短い息であることに気づくです。長い息にしようでも、短い息にしようでもなく、ただそれを観察している、気づいていることが重要になってきます。それこそがセロトニン神経の活性化につながっているのです。
2024.07.01
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