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今日は朝から学校です。2限はゼミだったんですが、今日発表する生徒が休み!!ってわけで、今日のゼミは教授が講義を担当することになりました。僕の研究室の教授と言えば・・以前一度日記で触れたことがあります。正直この人、話すの上手くありません。僕は「あ゛~理解できるかなぁ。。」と思いつつ熱心に耳を傾けてみた。色々と説明を始める教授。すると、そこで僕はある変化に気がついた。「あれ?ちょっとわかるやん!」しゃべるは相変わらず前と似たり寄ったりだが前に比べて熱心に教えてくれていた。以前は、わからない言い訳を探していたのかもしれない。こっちが本気で耳を貸せば、それなりの答えが返ってきた。言い訳を探してはいけない。自分に非が少しでもあるなら、それを改める努力をしよう。自分が変われば相手も変わる。ゼミの後は自分の研究室に帰って院試勉強。今日は電力工学をしました。それから4時ぐらいにバイト先の居酒屋に向かった。今日はバイト入ってないけど社員のK平が今日で辞めることになったので、手紙を書きに行きました。社員といっても、彼は元はバイトでした。バイトの中には彼より早くから働いてる者もいて彼は自分の発言力と立場のジレンマに悩まされていました。そんな中でも社員としての仕事をこなしていた彼は頼もしく見えました。今回、彼のお気に入りの居酒屋からオファーがありそっちに移る事になったらしい。彼が自分の店を持てる日が来るのを期待している。夕方に帰り、あみちゃんと晩飯を作った。今日はパスタ!山中油店で購入したオリーブオイルを惜しみなく使った。ブロッコリーとサーモンのパスタの完成!お味の方は・・うん!まい!しかも一人前200円ぐらいで作れた♪それから、最近あみちゃんがパソコンを買ったので少し設定などしてあげてすこしまた電力を勉強し、今日は寝ました。ありがとうございました☆
2005.05.31
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今日は昼間は爆睡。夜は久々にテレビをいっぱい見ました。スーパーテレビとあいのりと、ビデオに撮った義経。実はあいのりはいつも見ている。あいのりは、みんな恋を求めてラブワゴンに集う。ラブワゴンに乗れるのはだいたい7人ぐらい。え!?おかしくない!?選択肢狭めすぎやん!!日本で探した方がいいやん!!って思ってしまう。みんなも思うんだろうか?旅がしたい人、テレビにでたい人、は良いかもしれないけどね。今日は以上です!ありがとうございました☆
2005.05.30
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今日はにゃおこ亭で新谷くんの誕生日会だった。 サプライズでみんなで一斉にクラッカーを鳴らすとうまそうな料理が出てくる出てくる!!切干大根、トマト、ひじき、鳥の唐揚げ、グリーンピースの卵あんかけ?おにぎり、肉じゃが、バンバンジー、スープなどなど・・・おいしすぎました!!にゃおこさんごちそうさまでした♪影虎のカクテルもおいしゅうござった。そして、誕生日プレゼントとして奇跡の歌声が送られた。歌い手はもちろんこの人、柏村くん。かしぞーは大物だ!あんなに腹を抱えて笑ったのは久々だった。彼の歌には神が降りていた。笑いの。すばらしい誕生日会だった!新谷くん、そしてデブだけで構成された和製HIPHOPユニット、デブテック!誕生日おめでとう!ではまた。ありがとうございました☆
2005.05.29
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今日は樟下村塾とステップアップのダブル読書会。僕は初の読書会参加だ。少し遅れてしまったが急いで公民館へ向かう。部屋のドアを開けるといつものメンバーの中に見慣れぬ女性が一人。しかしどこかで見たことのある顔だ。彼女は前回の講演会で樟下村塾を知り、読書会にも参加してくれているという頼もしい存在だ。名前はコダマさん。彼女の自己紹介が実にユニークだった。コダマさん「えっと、コダマです。 じゃぁ・・・最近の出来事を一つ言います。 私はぬか漬けを漬けているのですが、今年で三年床になりました。 今度ぜひ持ってきます。」みたいな感じだった。この歳でぬか漬けを漬けている時点で珍しい!しかもなぜそれを自己紹介で言うんだ!?なんでだぁ!!??普通自己紹介って言ったら「え~、趣味は・・」とか言うのが一般的だ。しかし彼女はそんな事にはとらわれず自分の見ている世界を生きている。だがそれを他人に強要することはしない。そんな人だった。そして彼女の好きな男性芸能人は 1位 藤○ 隆2位 フット○ール○ワーの岩尾 だそうだ。・・・・。男性陣の未来は明るい。今の読書会のテーマは“論語”。僕は論語など真剣に読んだことは一度もなかったが、今はぜひ読みたいと思える。2000年もの間読み継がれてきたその書には普遍の心理が数多く説かれているからだ。それはもちろん現代社会にも通じる。今日読んだうちの一文子曰く、苗にして秀でざる者、有るかな。秀でても実らざるもの、有るかな。(訳:老先生の教え。苗の中には苗のときはすばらしいが花が咲かないものがある。 花が咲いても、実を付けないものもある。)みなさんもこの文の自分なりの解釈を考えていただきたい。この文の中にある“花と実”の解釈は、人それぞれでとてもおもしろかった。主な解釈は以下の3通りだ。 (1)花はある一つの段階で、実はまた次のステップ。 つまり、ある境地に到達したことに満足し、次のステップを目指さない人 もしくはその存在に気づかない人がいる事を戒めている。 (2)花というのは見た目にも華やかな、表面的な成功。 実というのは華やかさには囚われない、包括的な成功。 表面的、内面的、どちらの成長も忘れてはならないということ。 (3)花は昆虫や風などが花粉を運んでくれることによって実をつけることができる。 その成長は自力だけでは適わないものであって 他力の存在を感じ、身を売ってこそ達成できる境地もある。 (1)が一番無難な、模範解答だろう。(2)は川崎君、(3)はコダマさんの案である。さすがにコダマさんは僕とは全く違う視点で見ている。(3)のような解釈をする人が何人いるだろう。しかし、僕はどれが一番正しいなどと言う必要はないと思う。人と違うメッセージを感じたなら、それを生かせばいい。違う視点を持つ人がいると本当に勉強になる。 以前テレビで 有名な画家が小学生に授業をする という番組を見た。彼は小学生に“光”を描くように言う。“光”という言葉を聞いて、みなさんがイメージするものはどんなものだろう?小学生たちは“海”を描くように言われた時はすらすらと筆が進んでいたが“光”になって急に筆を止めた。そりゃそうだろう。“光”を描け!と言われても意味がわからない。見るからに勉強のできそうな子が画家のところへ質問に行く。小学生「具体的には何を描けばいいんですか?」画家「それは自分で考えるんだよ。」小学生「・・・。」全く筆の進まない小学生達を見るに見かねて彼はある一つの方法を教えた。それは、30秒間目をつぶって描く というものだった。今まで“いい子ちゃんの絵”を描いていた小学生達の絵に斬新な線が描かれていく。この方法は、彼自身が画家として行き詰まり自己表現が理解できず、路頭に迷った時に実際に使った方法らしい。プロの画家なのに目をつぶって描いたのだ!意味がわからん!しかし、これはさっきの論語の一文の(3)の解釈ととても関係がある。 自分で何かを“創り出した”という時そこには必ず大いなる他力が潜んでいる。その他力は他人、風、光、音・・もしくはそれを越す“何か大いなる力”など無限である。彼は目をつぶることで自力の幅を狭め、他力を誘い込んだのだ。芸術家というと「これがおれの自己表現だ!!」みたいなイメージがあるがそれは背後にある“何か”に気づいていない場合なのかもしれない。小学生達に足りなかったのは(3)の考えだ。 樟下村塾の読書会が終わった後は、よしえの美味し~いお好み焼きで腹を満たしステップアップの読書会に挑む!今日のテーマは 本田 健 さんの 『きっと、よくなる!』だ。みなさん読まれただろうか?この本、実に良いことばかりが書いてある。本田さんも幸せそうだ。しかし、心には響かない。彼が理想とする世界を創造しても、全く駆り立てられない。結論から言うと、この本に書いてあるイイ事は生かせばいい。しかし!『きっと、よくなる!』を読んでも きっと、よくならない!というものだった。wそれはなぜか?僕なりの答えだが、その答えはまたしても論語の一文にあった。最初の方に書いた3つの解釈の(2)である。つまり(2)より 本田さんに欠けていたもの = 実 - 花 = 真・善・美 ↑ (マイナス) という方程式が成り立った。確かに本田さんの言う“小さな小金持ち”には“真なるもの”も“美しさ”も感じなかった。そう、今日一日の課題は全てあの孔子の一言に含まれていたのだ。孔子恐るべし!である。最後に、今日塾であったびっくり事件をひとつ。最近できた僕の友達、○崎くんの彼女実はいとこらしい!!い・と・こ?いとこぉぉ!!??犯罪だ!!いや、ちがうけど・・やっぱ犯罪だ!!!!有罪だ!!いや、でも僕の意見では別にノープロブレムだと思う。いとこだから無理!など理不尽だ。というわけで、応援してます♪今日は長くなりました。ありがとうございました☆
2005.05.28
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今日は夜中バイトだった。僕は居酒屋でバイトしているのだがそこにT君という男がいる。彼は僕の二歳年下でぽっちゃり系で笑顔に愛嬌のある男だ。バイト達の間では良いいじられキャラだ。彼は自分に自信があるため割と我を押し通しがちで自分はイケていて、仕事もできると思っている という印象を受ける。しかし彼は仕事が忙しくなるとイライラを抑えられずそのオーラを表に出してしまうことが多い。そのイライラが周りに向けられる事が多くついつい小言も多くなってしまう様だ。しかし、彼は常に“自分に非は無い”と思っている様子である。周りのバイト達はそんな彼の態度を見て、しばしば“偉そうにしやがって”と思っていた。そして、そんなことが原因で彼は何度かバイト同士でケンカしたりしていた。今日もイライラが彼を襲っていた。周りから見れば、彼だけが真面目に働いているわけではない。当然、周りにもイライラが伝染してきていた。みなさんならどんな言葉で解決するだろう?僕は彼にきつい言葉を投げかけると彼はすぐ怒り、すねることを知っていたので「T、えらそーにすんなよっ♪」っと冗談まじりで言って探りを入れた。そのつもりが!その一言を聞いただけで彼は「それ一番言われたくないわ!!」と言ってプンプン怒りだしてしまった。やってしまった。その後彼と一緒に休憩に入ることになった。そして彼が切り出してきた。T君「さっき何であんな事言ったん!!マサキじゃなかったらキレてたで!!」カーワ「いやな、やっぱ忙しいとついイライラしてしまうよな。 それはわかるで。でもそれはみんな一緒やろ? それでTがイライラしてたら周りの人にもお客さんにも迷惑なって やっぱ店の雰囲気も悪くなってしまうやん。 Tはせっかく真面目に仕事がんばってんねんし それはあかんのちゃうか。」T君「雰囲気悪なることぐらい知ってるよ! でも○○○(バイトの一人)がむかつくねん!」カーワ「でも今は他の人にも迷惑になってるやろ?」T君「わかってるよそんなん!!でも別に偉そうにしてへんやん!! 偉そうと何の関係があるん!? おれ別に誰かに 何々しろ とか言ってないし!!」 何か半分開き直られた。しかも“偉そう”という言葉にやけに突っ掛かってきた。 カーワ「まぁ、偉そうっていう言葉がイヤやったかもしれんけど 周りに迷惑かけてたっていう時点で反省する点はあるんちゃうか?」T君「そりゃ、わかったわ。。でも別に偉そうにはしてないで!」反省の色は無かった。 カーワは心の中で「わかってないやん(涙)」と思うのだった。もっとその“偉そう”の部分についてもしゃべりたかったがそこで休憩時間が終わってしまった。彼が改心してくれることに期待はしていなかったが ベストなアドバイスができなかったことを少し悔いた。彼と話して思ったことは“本当に自分の視点からしか見れていない”ということだった。驚く程に。彼は「偉そうになんかしてない!!」と主張したが実際、周りからはそのように感じられている。僕はその発言はあたかもキム○タク○が「ぶっちゃけぇ、オレ格好つけてねぇし、メイビー。」と言っている様に、またはパ○イヤ鈴○が「僕ぜんぜん太ってないよぅ!!」と言っているかの様に聞こえた。正に離見の見が欠けている。彼にこの事まで伝えたかった。僕は今までの人生で自分から働きかけて“何かを伝えよう”などということをしたことが無かった。どうせ間違ってるかなとか、聞いてもらえへんかなとか思ってしまいで機会を潰してきたというのもある。しかし、伝えたかった事を伝えなかった時の後悔は大きい。それは上で述べた、“伝えることへの不安”よりも何倍も大きいものだ。今までそのような叫びを押し殺していたのは非常にもったいなかった。挑戦することで何か得るものはあったはずだ。そんなつまらないものは早く捨てよう!!今日の僕に学ぶ。ありがとうございました☆
2005.05.27
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みなさんは人から自慢話や手柄話を聞いた時、どう感じるだろうか?感激し、相手を尊敬する時もある。しかし、その逆も多い。確固たる自信に裏付けられ、そして自尊心をひけらかすことのない自慢。それはさわやかで、時に感動を呼ぶものだ。だが身の周りにあふれる自慢話に耳を傾けてみるとほとんどの自慢話は自分を大きく見せたいという欲求から来る自慢のように感じる。僕はそのような自慢話に出会う度に、その人間が小さく見えてしまう。自分を大きく見せようとする欲求の裏側に、その人の不安、自己への不信感が見え隠れするからだ。皮肉にも自分を誇張して語る行為がかえってその人を小さく見せている。“能ある鷹は爪を隠す”というが本当にその通りだと思う。本当に能力がある人は自分からその力をひけらかすことはあまりない。自信があるからあせって知らしめる必要などないのだろう。いずれその実力がわかる時がくる。爪を隠しつつ、その爪の鋭さを想像させるのが本当に能のある人だ。何か新しいのモノを得た時や自分が相手より秀でていると感じる時ついついそれを相手に見せつけたいという衝動に駆られてしまうがそれで自分を小さく見せては元も子も無い。大きな獲物が現れるまで、爪は隠しておこう。今は隠すほど大きな爪も無いが。wありがとうございました☆
2005.05.26
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朝バイトから帰ってきてそのまま学校に向かう。眠い!!一番好きな講義だったのにやはり徹夜明けにはかなわずぐっすり寝てしまった。その後あみちゃんと近くにあるeffeというイタリアンの店に行ってみた。理由は、雑誌に載っていたから。1500円で前菜、パスタ、パン、デザート、ドリンクのコースを選んだ。楽しい時間を過ごせたが、味は・・残念!!!僕は神戸で雑誌を見て色々食べ歩いた。それで確信したことがある。雑誌に載ってるからってウマくない!!ってことだ。本当においしい店は一握りだった。言ってみれば、普通の店がほとんどだった。以前なら、雑誌に載っていたり、店がおしゃれだったり高価だったり、見栄えの良い料理だったりするだけでおいしいと感じていたような気がする。実際そういう人も多いだろう。今は少しだが見る目がついてきた。以前は本当に見ようとすらしていなかったかもしれない。ステップアップのHPに食べ歩き日記というのがある。東京のあんちゃんという友達がいっぱい書いてくれているが遠くていけない。ノォォォ~(ToT)唾を引くだけ。これから食べ歩き日記ができていくのが楽しみだ!みなさんがんがん書き込んじゃって下さい。ありがとうございました☆
2005.05.25
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今日は夜から次の日の朝までバイト。もう夜中のバイトはやめようと決めていたのに、間違えた!いつもの癖で夜中でシフトを出してしまった!ショック!!僕はかなり慣性で動いてしまうことが多い。それがかなりの多さだ!どこか違う所に行くのにいつもの癖で家の方向にいっていたり。バイクにいつもU字ロックをするのだが、たまにしなかった時今から発進するのにバイクにU字ロックをかけてしまったり。忘れ物をいっぱいしたり。そんなわけで僕は“抜けている”と言われることが多々ある。実際、抜けている。なぜだろうか?そういうミスをする時は必ず頭が空っぽの時だ。ということは僕の頭は普通の人より空っぽの時が多いのか?きっと自分の状況を忘れて、そのまま進んでしまうからこんなミスをする。日常生活でこのような事態は、そのまま人生にも現れるのだろう。自分の状況を確認しないといつの間にか道を逸れてしまう。日頃のミスを教訓と思い、それを生かそう。僕の場合、人生において立ち止まって考えることは重要なのだろう。ありがとうございました☆
2005.05.24
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昨日の夜。本を読んで、みんなの日記を読んで自分も書いて・・気づけば朝だった。朝から神戸に帰って暴睡!!夕飯をあみちゃんと作る。今日は鯛の煮つけと胡瓜の酢の物、味噌汁。やっぱりウマかった。最近はいろんな勉強をするようになった。そのなかで面白いのは、全く関係なさそうな分野が実は同じ真理に基づいている時だ。運命学と物理学、禅問答と電磁気学・・。つながるから面白い。今の教育はひどく断片的で語法的だ。みんな勉強がイヤになるわけだ。勉強していると、人から「えらいね~。」なんて言われることも多い。勉強する = 真面目 っていうことになっているが僕は今学ぶことを楽しんでいる。亦悦ばしからずや。ありがとうございました☆
2005.05.23
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昼ごろまでぐっすり寝た。あみちゃんと昼飯を作って食べることにした。今日のメニューはエビチリと紅白なます。山中油店の落花生油を使う。おいしい調味料が増えると料理がますます楽しくなる。どちらも大変おいしゅうござった。そして夜は勉強会のため樟葉に帰る。少ししか時間はなかったがギアンのコーヒーがたまらなく飲みたかったので時間に押されつつも一杯味わう。うぅん、至福の時。ギアンからタッチに塾まで送ってもらった。今日の勉強会は一応復習だったが新しい内容もかなりを占めた。運命を決める要因は多々あるがどれも連続的で周期的なものに感じる。我々はどうもそれを断片的、離散的に捉えてしまいがちだ。その時点で与えられる値(結果)のみで判断し、傾きのことは忘れてしまう。また流れで捉えないために、常に右肩あがりを期待してしまう。しかし、流れには連続性があり、当然の浮き沈みがありえるのだ。とすれば、人間は当然の浮き沈みに対してあまりに四苦八苦しているようにも感じられる。熊は長い冬を嘆いているのだろうか。桜は散ることを恐れるのだろうか。山を登るとき、「山頂まで3時間。」と言われて登って1時間で山頂まで着くと「なんだ、余裕じゃん!」っていうことになるが「山頂まで30分。」と言われて1時間かかると「1時間もかかったよ。。」ってことになる。同じ1時間でも受ける印象は全く逆だ。運命についてもっと道しるべとなるものを知ればきっと力強く歩を進めることができるだろう。途中でバテることもなく、あせることもなく、マイペースで。人間は大自然の力を偉大な力とし、時にそれを恐れ、時に神と重ねたりもする。ここでは何故か 自然 VS 科学 ≒ 人間 という構図ができているようだ。しかし 科学 ≒ 人間 というのは今の人間の矛盾した姿。本当は人間も one of 大自然 だ。そして、時にそれは神と重ねられる。ありがとうございました☆
2005.05.22
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今日の昼間、京都まで人体の不思議展を見に行った。明日で京都の公開は終了であり、会場はなかなかの混み具合だった。僕はその周りの人々の観察態度に甚だ違和感を覚えた。この展示物は全て本物の人体である、という意識はあってないようなものに感じられた。プラストミック標本という技術は今までとても困難とされてきた人体の保存を可能にしたが、人体のリアリティは喪失される。とはいっても本物なのだ。それなのにほとんどの人々は“ホラー映画感覚”で見に来ていた。展示方式も、エンターテイメント色が強すぎる。子供の前で何も憚りもなしに「気持ちわるいねぇ」などと言っている親までいた。そういう人は来ない方がましだ。ここに展示されている肉体は生前の意志に基ずく御献体によるものでその方々は医学の研究、または教育のためにその肉体を奉げてくださったものだ。少なくともその方々に感謝し、勉強させていただくという心構えを持つべきではないのだろうか。日本では1700年代まで正式には人体解剖は行われなかったという。それほど人の肉体を扱うことには特別な意味があったのだろう。解剖を行う前は必ずその御献体に対し黙祷を奉げる。標本にしてリアリティは喪失されていても、それと同じ姿勢であるべきだと感じた。それにしても、人体の精密すぎるつくりには驚かされた。目が見えること、耳が聞こえること、走る事ができることすべてが奇跡的に感じられた。そして健康な体に感謝する。ありがとうございました☆
2005.05.21
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今日はやってしまった!結構大事な講義を休んでしまった。3、4時間寝て起きようとしても僕は絶対起きられない。目覚ましが鳴った記憶すらない。目覚まし替えよっかな!夕方から居酒屋のバイトへ。僕はキッチンだ。ホールの仕事まあんまりしない。でも今日はキッチンがヒマだったからホールの仕事を果敢に手伝っていた。すると一人の子が「政輝くんはやさしいですね~。」と言ってくれた。嬉しかったけど、手伝うのは当たり前の話だ。自分の持ち場がヒマだったら他の忙しい人を手伝う。こんな小学生でもできそうなことが皆二十歳すぎてもできてなかったりする。そのわりに自分が忙しい時に他人がヒマそうにしていると相手を恨めしい目で見たりする。自分の姿は見えにくいんだろう。妄想の自分を見てはいけないな。つくづく実感させられた。ありがとうございました☆
2005.05.20
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目が開くと昼過ぎ。神戸に帰るため駅に向かう。ムレスナの横を通り過ぎようとした、が!僕の体はそれを拒んだ。あの香りはレッドカードだ!神戸に行く途中、梅田のブックファーストに寄った。読みたい本がありすぎる!家にまだ読んでない本があるのに・・7冊買ってしまった!そのうち2冊は『論語』と『的中手相術』。 あみちゃんと晩飯を作って食べ、そのあとは読書タイムにまわした。そして夜、NHKの『その時歴史は動いた』を見る。郵便の創始者、前島密の話だった。彼の国のために尽くすという意志と時流を読む力には驚いた。彼は最初、配達距離に応じて郵便料金も高くなっていくシステムを考案していたが英国の郵便制度を見て回り、英国にならい郵便料金を全国一律2銭にしたのだ。完全に利益よりも国力の増強と国民の幸福を考えた決断だろう。そして彼はこの時点ですでに海外をも含んだ郵便ネットワークの構想を練っていたというのだから驚きだ。イギリスなど外国にケンカを売ろうとしている日本人がいる中でそこまで考えていたのだ。最後に前島が万国郵便連合に加盟した時の喜びを詠んだ漢詩が紹介された。他力に感謝の意を示す素晴しい詩だった。四海弟兄親(しかいていけいのしたしみ) 原来造化意(がんらいぞうかのこころ)聯邦通信盟(れんぽうつうしんのちかい)茲発其神秘(ここにそのしんぴをひらく)通信約茲成(つうしんやくここになり) 万邦其規一(ばんぽうそのきいつとなる)人為異族看(ひとはいぞくのかんをなせども) 世挙同仁実(よはあげてじんじつをおなじくす) ※訳 世界中の人々が親しいのは、元来、世界が出来た時からの気持ちである。 世界に郵便が広がったのは、神秘の力が働いて実現したのだ。 通信の条約がここにでき、万国の心が一つになった。 人は民族の違いはあるけれど、世界中の人の心というものは同じなのだ。この詩を読んだ彼が今の世を見て嘆くことは明らかだ。彼は心と心をつなぐネットワークを理想とした。世界をつなぐネットワークだけは着々と進化しているがこのような精神だけは置き去りにされている。ネットワークの仕組みを教えるのなら他に教えなくてはならないことがあるだろう。精神の教育なしに形成されるネットワークなど今の世の中のように悪用され続けることは目に見えているのだから。ありがとうございました☆
2005.05.19
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今日は先生の友人のテノール歌手、勝田友彰さんが塾にいらした。勝田さんについて、塾生みんなから評判を聞いていたので「勝田さん来てるからみんな話し聞きにこーへん?」との影虎からの電話に僕の胸は躍った!サンキゥ影虎!そして塾にて初対面。見た目は、頭がキレそうで品のあるおじさんだった。この人からどんな歌声が奏でられるのか?とても楽しみだった。 勝田さんが歌声を発した瞬間、僕の想像の壁は破られた。美しく、体の芯まで響いてくる。そしてそのメロディーに乗せられた感情、情景すべてが自分の中に流れ込んでくるようだった。音楽というもの、その源は神への祈りだったという。なるほど、勝田さんの歌声を聞いているとそれも理解できる。天にも届く歌声だった。勝田さんは“歌”という表現の道を極めた人だ。その心は、あらゆる表現に共通する心であり言葉という表現についてもそれは言える。その中でとても大切な事を教えて頂いた。それは表現に心をのせることだ。さくら~♪ と歌うならばそこには自分なりの桜を描きそれをメロディーにのせなくては感動を呼ぶ歌は歌えない。勝田さんは毎回違った、様々な桜を思い浮かべるという。それで 生きた歌 が歌えるのだ。言葉を話す時も同じだという。講演をする時、一つの言葉にどのような心を込めその背景にどのような物語が存在するかを込めなくてはならない。同じ発音をしていても心が違えば伝わり方も全く違う。まさに“道”だ。美しいメロディーというのは相手の心を揺さぶる表現だ。何かを伝えることすなわち何らかの波動を伝えることだから美しい音楽はもっとも本能的でわかりやすい表現方法の一つなのかも知れない。勝田さんは「みんなも歌をやってみたらいいよ! ちょっと歌ってごらんよ!」と提案された。もちろんアカペラ。ええっ!!抜き打ちテストじゃん!!1番に指名されたのは奥の方でリラックスムードで話を聞いていた僕の後輩、かしぞー。あせるかしぞー!!がんばれかしぞー!!負けるなかしぞー!!あたふたしながらもだんだん覚悟は決まってきた様だ。歌はミスチルの『Tommorow never knows』。静まりかえる部屋。。っは゛ーてーしなーいーやみのむぅーこぉに~うぉ#$★ж◆▽£☆♀~♪勝田さん、爆笑!!それを見てみんなも、爆笑!!かしぞーは真剣に歌っていたが笑ってしまってすまない!でもあの空気で笑わない人がいたら尊敬に値する。勝田さん「今の“はてしない”じゃ全然果てしなくないよ!もう一回!!」かしぞー「はい。」っはーてーしなーいーやみのむぅーこぉに~うぉ#$★ж◆▽£☆♀~♪勝田さん爆笑!一同爆笑!これが10回ぐらい繰り返された。もうかしぞーが何か口に出すだけで笑ってしまう。顔など見れたもんじゃない。すまん!かしぞー!と思いながら、笑った。しかし急に歌えと言われて歌ったカシゾーはがんばった!あぁいう抜き打ちテストがあるから成長できるのだ。そしてその後、ムラッチ、僕、モンチッチの順で皆歌の指導をしていただいた。詩の意味を噛みしめ、メロディーに心をのせる。これができるかできないかでみんなの歌声は全く違っているのを実感できた。勝田さんからはほかにも多くのことを学んだ。何の道でもいい、一流の表現ができる人間になろう。家に帰って勉強会のビデオを見終わると、もう朝日が昇っていた。最後に一句。その言葉御霊の叫び携えて心に響く学(楽)となるなりありがとうございました☆
2005.05.18
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今日、NHKスペシャルを見た。NHKはたまにおもしろい。最近民放をあんまり見てないからやばい!世間から取り残される!今日のNHKスペシャルはシルクロード特集だったがほとんど鳩摩羅什(くまらじゅう)という僧の話だった。現在用いられている経典の大部分はこの鳩摩羅什がサンスクリットから中国語に訳したものが元になっているらしい。そのなかには鳩摩羅什オリジナルの表現がいくつも用いられているようだ。現代では当たり前のように使う“地獄”や“極楽”。般若心経などに登場する“色即是空 空即是色”も鳩摩羅什もその一つだ。仏教の教えでは、煩悩などないことが悟りへの道とされてきた。しかし、鳩摩羅什は“煩悩是道場”という言葉を残した。煩悩そのものを肯定し、それこそ “道場=悟りの場所”としたのだ。今現在、僕の頭の中から煩悩が消えることはないし、これから先も不意に消えてなくなるようなものでもない。様々な煩悩を肯定した上で、それを乗り越えよう。ありがとうございました☆
2005.05.17
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数日前、むらっちからアミノキングについて色々聞いた。(アミノキングは大自然の恵みを複合的に発酵させて創り上げた奇跡の触媒飲料)そして「ほしいっ!!ほしすぎるっ!!」ってなった僕は早速注文しました。キパワーソルト(奇跡の塩)、真温(温泉クリーム)も一緒に。そして今日!とうとうアミノキング&キパワー初使用の日が来た!!スーパーで買ってきた200グラムぐらいで88円のチンゲン菜300グラムぐらい入って100円ぐらいのシイタケ を使う。いわゆる安物だ。まずシイタケにアミノキングをかけ、チンゲン菜をアミノキング希釈液につける。数時間後チンゲン菜を取り出すと、キュッキュいう。新鮮な野菜独特のきしむ感じだ!やばい!うまそう!ごま油でニンニク、チンゲン菜、シイタケを炒め、キパワーで味付け。。早速食べてみるとうまい!!これがうまい!!これがキッチンガーデン(奇跡のおいしい八百屋)の野菜だったらと思うと・・鳥肌ものである。ムラッチ!サンキゥ!!アミノキング!ブラボー!!ありがとうございました☆
2005.05.16
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今日の課題は“無とは何か?”だ。今日の課題と言ったがこの課題をとくのに何年かかるかわからない。昼間、たまたまオイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』を読んだ。この本は正し“無とは何か?”という問いに対してのオイゲン・ヘリゲルの答えだ。しかし、本を何冊読んで語法的に理解しようとしてもその答えには辿りつけない。むしろ頭で理解しようとすればするほど、それは自分の手の届かない所へ遠ざかる。“空”の感覚とは一体いかなるものだろうか。。今日、“道は術をもって証明される。”ということを聞いたが『弓と禅』の中に正にこのことを示すかのようなエピソードがあった。弓道の“奥義”は的の中心を正確に射ることではない。“奥義”とは“空”の感覚を知ることなのだ。つまり弓道とは真家への道とも言える。この境地を目指してヘリゲル氏は弓道の練習に励むようになるがなかなか“道”の概念を理解できない。そこで彼は“術”に走ってしまう。それを知ったヘリゲル氏の師匠はある方法で“道”を示そうとする。師匠は道場を真暗闇にし、的の前に一本の線香を挿す。もちろん矢を射る場所からは線香の灯りが幽かに見えるだけである。その状態で師匠は2本の矢を射た。道場の明かりをつけたヘリゲル氏は目を疑った。1本目は的の中心をとらえ、2本目は何と1本目の矢を裂いていたというのだ。ありえない!!神がかっている。“空”の状態にあったからこそ神がかったのだ。まさに師匠は術をもって道を証明した。日本古来からの存在する茶道や剣道、というものは“道”である。道とは何か?それは正しく“空”の感覚への道だ。茶をうまく入れること、剣を巧みに操ることがそれの目指す境地ではなく真家と同じ、一つのある境地を目指している。これを示すエピソードもこの本の中にはあった。柳生但馬守という偉大な剣道家の所に一人の旗本が指南を申し出た。この旗本は剣道は初心者だったが柳生但馬守は「お主は何流の師範だ?」と聞いた。旗本が初心者です、って事を言っても柳生但馬守は「いや、おれの目に狂いはない!剣道でなくても何かの道の師範のはずだ!」と言った。そこで旗本は「何の師範でもありません。 ただ武士として死を恐れてはならないという念を発し 死の問題と組み討ちしているうちに、死を恐れなくなりました。」と言うと、柳生但馬守は「それぞ剣道の極意。あなたは技(術)を学ぶ必要はない。もう立派な師範だ!」と言ったという。つまり、ここでは“死の問題と組み討ちすること”も道なのだ。どのようなことに対しても“術”に溺れることなく“道”に生きる。是即ち“無とは何か?”への道なのだろうか。。ありがとうございました☆
2005.05.15
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昨日はよく寝た!朝、プチブレのパンを買ってあみちゃん宅で食べる。今日は待望の第4回樟下村塾講演会だ!もはや恒例となった石清水八幡宮への参拝に参加すべくバイクで樟葉へ向かった。参拝後向かった先はラポール枚方、今回の講演会場だ。なんたってデカい!!そして今回、朝日新聞に樟下村塾が掲載されたことで来られる方々は経験、教養の豊富そうな顔ぶれが揃う。否応無しに緊張せざるを得ないような状況だった。といっても僕は今回講演しないが。。前半、僕の役割はラポール入り口での案内だった。見たい!公演が見たい!!うずうずしながらも7時まで役割に徹した。2人目ムラッチからは見ることができた。僕たち樟下村塾のメンバーはステップアップとの関りの中でとても貴重な情報を得ることができる。その情報は講演会を行っていく上で非常に頼もしい武器だ。しかし今回の講演のように聴講者のレベルが上がってくるとだたその情報を伝えるだけでは決して満足されないことがわかった。本や人から聞いた話にどれだけ自分の色をプラスできるかが大切だ。聴講者にない視点をプラスし、自分の言葉によって情報を肥大させなければならない。しかし聴講者の中には自分たちより一回りも二回りも年上の方も多数おられ自分たちは圧倒的に経験という面で劣っている。このような状況で新しい視点を見出すのは非常に難しい。自分の立場で意見を述べても年上の人間からすれば「若い頃はそう考えるものだ。でも・・」というように明らかに経験不足に漬け込んでくる批判を多く受ける。様々な立場の人々と会話すること、そして多くのジャンルの本を読むことなどによって老若男女全ての意見に触れ、自分の物にしていかなければならないと感じた。そういう意味で樟下村塾を通じての討論会などは自分たちにとって非常に有意義になるだろう。今日は参加できて本当によかった!みんなおつかれさま☆ありがとうございました☆
2005.05.14
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昨日のつづき~にゃおちゃんおめでてぇと~パーティーが終わったあと僕とぐっちょんは翁亭に連れて行ってもらった。AM3:00ぐらい。黄色いカーペットに新しい電球。とてもいい空気だ!3人でいろんな話をした。ムラッチから1000点セット、アミノキングなどの話を聞いて欲しい!!!ってなって早速今日注文しちゃいましたぁ^^朝になると僕は学校に向かった。そう今日は“制御工学2”という講義の中間テストだ。眠い目をこすりながら教室に入る。なんせ昨日の早朝から一睡もしていない。すぐテストが始まれば良かったのだが少し授業をしてからテストだった。 この眠気+退屈な授業=?僕がいくら耐えようとしても答えは決まっていた。Zzzz・・・ZZzzzz・・・・・どこからともなく声が聞こえる。「テスト受けるんか出て行くかきめなさい!!!」ん?「早くしなさい!!!」・・・ん。5秒ぐらいしてようやく自分が寝てしまっていたことに気づく。。はっ!恐々視線を上げていくと横には怒る教授の姿。周りの生徒達はテストの準備完了している。うおっ!!僕は慌てて机の上に広がる教科書達をかばんに押し込んだ。危うくテスト受けさせてもらえないとこだった!危ない!しかしテストは簡単だった。それにしてもあの怒られ方、恥ずかしい。100人ぐらいの生徒達が寝ぼけた僕を見つめていたことだろう。。僕は大学に入ってこうゆう事が3,4回はあった。周りの人にも教授にも迷惑がかかる。気をつけよう。それから帰って思う存分寝ました。ありがとうございました☆
2005.05.13
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学校が終わり少し勉強した後、樟葉へ向かう。樟下村塾のビラ撒き初参戦だ!!5時スタート。しかし!5時に僕がいた場所は、梅田。あれ?家出る時間を完全間違えた!!てか、間違えすぎだ!!ごめんなさい☆枚方駅に着くと、さんま似の男が猿に話かけている。僕は「不思議なこともあるもんだなぁ。。」と思いつつ通りすぎようとするとたんべとヒデだった!むらっちも登場。みんな凄まじい勢いでビラを配る。正直、他の場面であんなビラ撒きに出会ったことがない。一般の人は 「がんばりすぎやって!!(笑)」とか 「狂ってる!!(怖)」とか思ってしまうぐらいのビラ撒き集団だった!実際初めてやってみたが、面白い!貰ってもらえると純粋に嬉しいしテンションも上がる。 その後たんべと2人でよしえに。ねぎ焼きを食す。 うんんんめぇ☆たんべと2人きりで飯は初めてだった。それから一人でギアンへ。カウンターでとある新任男前教師が座ってコーヒーを嗜んでいた。新任男前教師奮闘記を少し聞いた後 塾へ! 塾に着くと着々と準備が進められている。今日は“にゃおこさん誕生日おめでてぇとぅパーティー”だ☆僕はトマトを切るぐらいしかできなかった。準備してくれたみんなありがとう☆パーティーは終始なごやかな空気に包まれていた。あんな心地いい空気は久しぶりに感じた。途中、塾の変化の話題で盛り上がる。思えば本当に塾は生まれ変わった。塾生一人一人が変わって、塾も変わる。また逆も言える相乗効果が起きている。こうゆうパーティーや飲み会を通じていい空気の中でつながりを深められれば最高だ。普段行く飲み会で発展的な会話が飛び交う時は少ない。そこはただただ酒のノリでの会話であったり日頃の不満の捌け口でしかない場合が多い。最近、いつも生活の中で耳にする会話はあまりに愚痴が多いと感じる。愚痴を人に聞いてもらって「ちょっと楽になったわ。聞いてくれてありがとう。」という会話はよく耳にするが、これは自分の重荷を人に渡して「あぁ、楽になった!」と言っているだけのように聞こえる。だから僕は愚痴があまり好きではない。言うのも聞くのも。重荷を渡せば確かにその時は楽になるかもしれないが同じ重荷はまたすぐ生まれてくる。結局、重荷が広がったにすぎない気がする。一人で重荷に耐えかねて潰れてしまわないような防衛本能からくるのかもしれないが人に重荷を渡すぐらいなら重荷を置いていくほうがいい。愚痴を聞いたら愚痴で返す人もいるが僕には重荷のキャッチボールをしているようにしか見えない。キャッチボールしたことに満足感を得るが重荷はさらに重みを増すだけだと思う。以前こんな話を聞いたことがある。ある病院で入院しているおじいさんがいた。このおじいさんは重い病気で毎日の注射を余儀なくされていた。腕に注射をする場合、ひじの裏か手首のあたりにすることが多い。しかし手首への注射は痛いのでたいていの患者さんは手首への注射を嫌う。看護婦さんの立場からも手首の血管は細くてひじの裏に比べると注射がむつかしい場合が多いという。特にお年寄は血管が弱くなっているので余計だ。しかし同じところばかりに注射をしていると血管が痛んでしまうので同じところばかりに注射するのは良くない上痛んだ血管には注射が打ち辛いらしい。だから患者さんは痛いのを我慢して手首にしなければならないこともあるという。ある日、新人看護婦がこのおじいさんに注射を打ちにやってきた。その看護婦がおじいさんのひじの裏を見ると思いのほかきれいだったという。毎日注射しているはずなのに、と看護婦は不思議に思う。するとそのおじいさんはこう言った「ここの血管は君のためにあけといたよ。」素晴らしい。このおじいさんは自分は病気でしんどい上に毎日注射を打たれ、重荷だらけだっただろう。その状況でいつも痛い手首への注射を我慢して新人の看護婦に注射のしやすい血管をあけておいたのだ。僕がその看護婦だったら、感無量だったろう。これでいい空気がうまれ、2人とも幸福を感じる。重荷を相手に投げつけるのではなく、自分の重荷を相手にちらつかせた上で相手の重荷を見てあげる。これがお互い楽になれる重荷の捨て方ではないかと思った。こんないい方法はない。だから僕は言いたい“キャッチボールはやめにしよう”。ありがとうございました☆
2005.05.12
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今日の2限は僕の好きなM井教授の講義だった。講義の名前は“情報伝送”。僕はこの講義が楽しみですらあった。今までの僕ではありえない!!以前も一度書いたが、この教授は僕の尊敬する教授の一人だ。この教授の授業はPower pointを使う。その資料はネット上でダウンロードできるため教授の話の中で自分が大事だと思った要点のみをノートにとればいい。しかし!!周りを見ていると一所懸命にスクリーン上のものを写している神大生がやたら目に付く!日本の学校教育に慣れてしまっているからノートをとる = 黒板を写すというのが優等生であり、むしろ当たり前みたいな感じになっている。ノートをとるのに躍起になって大切な話は筒抜けだ。大学の教授はまず大学の教育の効率の悪さに気づくべきだ。M井教授曰く「大学を出たらすぐにどこかの研究チームに加わって活躍できるか? そうはいかないんですよね。 今は技術が進みすぎて大学のシステムで学べることなんて いわば幼稚園レベルでしかない! 参考書に載っていることをそのまま教えたって 結局は自分で勉強しないと身につかないんですよ。 だから我々(教授)の仕事はそのガイダンス、手ほどきをするだけ。」うん。納得!今まで大学で習ってきたことは結局は参考書を開けば載っていることばかり。僕はそれをずっと疑問に思っていた。M井教授の講義は大まかな流れやイメージを伝えることを目的としている。あとは少しの雑談だ。雑談といっても雑慮からくる雑談ではない。今から学ぶことと現実との繋がりの話で学ぶ意欲を起こさせるような興味を湧かせる話だ。そんなわけでこの講義には数式は少ししか登場しない。前回、アンケートでこんな意見があったという。「もっと数式を使ってください。」さすが神大生!頭が硬いっ!!数式を解いていくのが工学だと勘違いしている。M井教授曰く「数式を解いていくことも私にはできますけど それが見たい人は参考書を買って見てください。 数学っていうのは“道具”でしかないですからね! 参考書は人によって好みがあって一概にどれがいいとは言えないので 私は参考書は指定してません。 好きなのを買ってください。」うん!そのとうり。数式を解くことが真理だと勘違いしている人が多すぎる。数式は自然の法則に矛盾がないように人間が巧みに当てはめたもの。矛盾がなければ正解になる。真理のようであって真理でない。自然の法則が式の通りになって不思議に感じるがそのように人間が当てはめたのだからその通りになって当然だ。この教授のデジタルとアナログの違いの話はとても解かりやすかった。世の中のすべての事象はアナログである。しかしこれを人間が扱おうとした時、アナログでは情報が多すぎるのだ。例えば、0と1の間に何個の数字があるかを考えた場合アナログだと答えは ∞ だ。0.1もあれば0.0000001もあれば無限にある。これだと情報が多すぎて扱えない。じゃあもう0と1の間に数字は ない としてしまおう!というのがデジタルの考え方。アナログを扱うことを人間が諦めた末に登場したのがデジタルであり、完全にアナログを扱うことができるのはおそらく神のみである。というような説明だった。デジタルと真理の関係を説くわかりやすい説明だ。人間は自然(アナログ)の事象を理解しようとした時人間の頭でもわかるようにデジタルに分割して考えたが分割することによってアナログ(真理)からは遠ざからざる得なくなったということだろう。分割に愛はない! 誰かが言っていた。“長いものには巻かれろ”的な風潮がある中新しいスタイルを貫くのは幾分パワーがいるだろうがもっとおもしろい講義がふえることを願う。ありがとうございました☆
2005.05.11
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今日は朝からゼミの日だ。今回の輪講は僕から始まった。固体の弾性的性質と固体中の音波の伝導について。予習は結構したし教授やドクターの人にも教えるような授業をしよう!とはりきっていた。しかし僕は人前でしゃべるのが本当に苦手だ!その上僕の研究室の同級生はみんなそんなやる気をもってゼミに挑んでいない。その場には ダラァ~・・ っとした空気が流れている。そんなこんなで講義を始めるが言葉がでてこない!自分では理解していても僕には表現力が足りなすぎる!思ったのは、こんな数学や物理の講義でもわかりやすい講義っていうのは起承転結が見て取れる。 なぜそのような式を考えるのか? それはドコにつながるのか?そんなことを示さないと聞くほうは不意をつかれたのと同じだ。僕は自分なりに理解して、準備万端!と思っていたが大きな間違いだった!この前散々教授のことをバカにしたがそんな事できる立場かッ!って感じだ。反省。。それにしてもあのしらけた空気は不快だった。しらけは世の中で本当にいらないものだ!あのオーラはまわりをもすぐ呑み込んでしまう。周りにも悪影響を及ぼす。でもしらけている本人はそんな事には気づかないものだ。この世の中はしらけが蔓延している。しらけパワーを日々浴びすぎると自分自身もしらけオーラを気づかないうちに発してしまうものだ。気づかぬうちに自分もそんなオーラを発しないよう注意深く自分を見つめよう!ゼミのあとコーナンで竹のマットを買った!研究室の机の下に敷くのだ。その上にはだしの足を投げ出し、勉強する!ちょー気持ちいいこれ。靴をはいたままじっとしていると何かストレスを感じてしまう僕。竹マットパワーで明日から勉強がんばろう!ありがとうございました☆
2005.05.10
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今日も昼まで寝た。あみちゃんと昼飯を食べにいった!雑誌にのっていた近くの店に行こうとしたけど、店がなぁい!場所がわからなかったからモスに変更。僕はモスの中ではフレッシュバーガーが好きだ。菜摘も好きだけど、少ない!そのあと家に帰って机にむかった。院試勉強だ!でも今日はいまいちヤル気がでない。。僕にとって自分の部屋は勉強に向いていないのかもしれない。リラックスしすぎて勉強のテンションにならない。しかも真横には気持ち良さそうなベット、他にも誘惑がいっぱいだ!思えばステップアップの空間は勉強するのに本当に最高だった。どの塾の自習室でもあんな最高の空間絶対ない!明日からは学校に行って、ぶっきらぼうなおっさんを擁する研究室でがんばろう!今日は短いけどおわりぃ。おやすみなさい☆ありがとうございました☆
2005.05.09
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またまた徹夜だ!朝に7日の日記を書いて、昼からモールへ行って買い物をしてるとヒデ、ムラッチ、カシゾーに遭遇した。その後1時からみんなで樟葉公民館に行って樟下村塾のリハーサル。僕はみんなの生の講演を見るのは初めてだ!今日のメンバーはムラッチ、ヒデ、カシゾー、たんべ、つっティン。リハを始めようとするが、いまいち講演会の空気にならない。講演の順番はヒデ、ムラッチ、たんべ。ヒデはなかなか気持ちが乗ってこないようだったけどなんとかスタート。そして一人終わるごとにダメ出ししていく。3人の講演を見終わって思ったのは、みんなうまい!特にむらっちは空気作りがうまかった。32歳とは思えない妙に安心できる空気を作る。あっ、22歳。すごい!オープニングは自己紹介とともに軽い話でウォーミングアップ。芸人で言えばつかみはオッケー!っていう感じだった。つかみは本当に大事だ!講演する時、絶対に自信は持っていなければならないと思う。「だから・・、多分こうした方がいいんじゃないかんなぁ・・と思います。」みたいな自信のない感じで話されても説得力ゼロだ。だから絶対自信はいる。でも本当に全員に聞いてもらう講演をするならもう一つ、持ち合わせなければならないものがある。謙虚さ。自信がありあまってとげとげしい空気を作ってしまっては話の内容がどうこう以前に、心から聞いてくれない人もでてくるだろう。言葉遣い、しぐさ、身なりなど全てにおいて自信あって勢いがあるだけだはなくて、それを覆う謙虚さが重要だと感じた。話す前から否定されては始まらない! いろんな価値観の人達が集まるのだからまずその人達に受け入れてもらうことが必要だ。言葉使いが荒いだけで聞いてくれない人もいるだろう。耳では聞いてくれていても素通りだ。この自信と謙虚さの点でむらっちは良かった!こうゆう点をふまえた上で、内容や表現力、作る空気をレベルアップさせていけばみんなすばらしい講演者になると思った。僕はまだスタートしてないが・・・。みんなの講演を聞いていて僕はかなーーり経験経験不足だと感じた。何でもいいからもっと冒険しないとダメだ!もっと行動だ!14日の講演会、僕はビデオ係りをする。みんな!いい講演を期待しているぜ!楽しみだ♪ ありがとうございました☆
2005.05.08
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昨日は日記を書いたり本を読んだりしていたら徹夜してしまった。また夜型生活か!?平日は学校があるから夜型生活ではつらい。じゃあ今日は昼間も寝ないで夜まで我慢しよう!!っと思ったけど、昼飯を食べたあと負けました。。。睡魔に。・・・Zzz・・・!目を開けて時計を見ると短針は半周以上回っている。夜だ!!残念だけど今日はムレスナはあきらめて、ギアンへGO!ギアンへ着くとカウンターに先生が座っている。しかも1人きりだ。先生と二人だけでゆっくり話ができる時は今まであまりなかった。僕の胸は躍った!しかし同時に体はかたくなっていたかもしれない。先生の隣に座り、日替わりコーヒーを頼む。まず先生が今日見に行ってきたというあややのコンサートの話に始まった。先生はあややファンだ!あややには目がない!一般的にあややのファンというといわゆるアイドルの追っかけ的なイメージを持たれる方が多いだろう。実際、コンサートなどに行くとそういった感じの人が大半を占めるという。しかし、もちろんだが先生がそういう視点で見ている訳がない。テレビなどではなかなか伝わりにくいがあややというアイドルは実はプロ意識を持った、本物志向のアイドルなのだという。あややのコンサートに行くとそこは完全にあややの空気ができておりあややはとてつもなく多くの観客全員を見て歌う。それは観客全員に「あややはおれのために歌ってる!!!」と錯覚させるほどだ。それほどその歌には観客に対する気持ちがこもっている。決して観客を蔑むことなく、また自己満足にはしることもないということだろう。そこには愛がある。今日のコンサートにはメ■ン記念日も一緒に出演していたがあややとのオーラの差は歴然だったという。月とすっぽん 地球人とシリウス星人 だったらしい。メ■ン記念日が完全にあややの空気を乱しておりあやや自身100%の実力を発揮できていなかったという。とても残念!!続いて、僕のブログの話になった。今まで他人の目は気にせず、自分の感じるままをブログに書いてきたつもりだが先生の目にどう映っているのかは正直、とても興味があった。以前、大河ドラマ「義経」を見て、その事に関してブログを書いた日があった。ブログを書き始めてまだ二日目、4/24の“義経のポジティブシンキング講座”だ。それについて今日、先生にコメントをいただいた。僕がその日書いた事を要約すると~~~~~~~ 以下要約 ~~~~~~~義経には彼を慕って共に旅を続けてきた家臣たちがいた。その家臣のうちの一人、伊勢三郎がある台詞を口にする。「義経様の苦を楽に変えることがわれらの仕事よぉ!!」この台詞からも感じられるようなポジティブ思考はこの家臣団全体をまた義経本人をも包んでいたように思えた。この苦を楽に変えるという考えは多くの現代人に欠けているもので苦を苦としてのみ受け止めてしまい、立ち止まっている人が多いのではないか。そのような場合、この伊勢三郎のさりげない一言から学ぶべきものがあるのではないだろうか。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~というような事を書いた。(詳しくは4/24の日記を御覧下さい。)しかし、ここでは一つ重要なことを見落としていた。先生は「じゃあ、どうして義経は神人合一できなかったのか?」という疑問を提起された。そして続けて先生がその疑問を解いてくれた。“苦を楽に変える”これは一つの重要なことで真実(悟り)に近づくための一つの道である。この道のことを天空の悟りという。しかし、この道のみで真実にたどり着くことは適わずこの道をリミット無限大までつき進むと“天狗”になってしまう。滝行などはこの系統の修行であり、滝に打たれることは苦である。しかし修行者は次第に苦を感じない“ランナーズハイ”のような状態に至る。苦が楽に変った瞬間だ。こればかりを続けると天狗がつく。滝行を経験した多くの宗教に天狗がついているのはこのためだ。それでは義経が真実に近づくために必要だったものは何か?それはもう一つの道、中空の悟りである。天空の悟りが 苦 → 楽 の道なのに対し中空の悟りは 楽・遊 → 真・善・美 の道。義経は親兄弟の愛を受けなかったことや戦、さまざまな苦を楽に変えたが真善美を求めなかった。それゆえ義経をとりまくオーラは冷たいものでしかなく、神人合一は適わなかった。この二つの悟りは対極図の関係、つまり陰と陽の関係に言い及ぶ。ある真実にたどり着こうとするときそこにはプラス方向からとマイナス方向からの二つのプロセスが存在する。義経はこのうち1つにしか気づく事ができずいわば片手落ちの状態になってしまっていたという。これでは真実にたどり着いたと思っても偽りの真実でしかない。・・この流れで対極関係に関係する話が続いた。占い師の場合、その最高の境地に達したもののことを真家とよぶ。しかしながら歌手や料理人、ほかのあらゆることに関しても無限大まで真実を突き詰めていくと真家と同じ境地にたどり着くという。その全てに対して真実にたどり着く道は2つある。陰と陽の関係だ。紅茶を入れる場合、一つはとにかく努力してテクニックを身に着ける方法。もう一つは意識から入っていく方法。にゃおちゃん(先生の奥さん)は紅茶を入れるテクニックを磨くために訓練などしていないが、驚異的においしい紅茶を淹れてくれる。それはまさしく意識の方から真家に向かう道である。同じ種類の茶葉、水、温度、状態でもその紅茶を誰のために淹れているかどんな意識で淹れているかが味にも反映されてくるのだ。あややの場合、あの歌唱力の秘密はボイストレーニングの結果でも素質でもない。それは気持ちなのだ。あややはボイストレーニングなどしていないという。つまり、あの歌唱力は大勢の観客に対する意識、愛に支えられている。にゃおちゃんの紅茶の淹れ方に通ずるものを感じた。二人とも二つの道のバランスを保っているからこそ、それだけの境地に到達できるのだろう。ほかにも義経に関する関係性の話などもあったが、だいたいはこのような話だった。先生が席をたち、しばらくして僕も帰ろうとした時!!ない!!財布がない!!ノォォォォォーーー!!ギアンのマスターは「今度でいいよ!」と言ってくれたが僕は忘れっぽいので今日のうちに返しておこうと思ってすぐ家から財布を取ってきた。そのまま帰ろうかと思ったがせっかくなんで塾に寄ってみる事にした。塾にいたのは カシゾー ぐっちょん のみ。しばらくするとぞくぞくと塾生が集まりだした!僕はこの時点で朝まで生トークコースが頭に浮かんだ。結果、やっぱりそうなった。w 今日ひさびさににゃおちゃんを見たけどお肌のハリが前にも増しているような気がした。ありえない!!今の一般的な女子高生より絶対きれいだ!ひゃーーーー!朝までのトークでも色々話したが今日はこれっくらいにします。濃い一日だった。さながら精神と時の部屋だ。出てきたときには髪の毛伸びまくり、服はズタズタだった。そんな一日だった。 ありがとうございました☆
2005.05.07
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今日は久々の学校!しかし雨だ!雨が降ると僕の荷物はすさまじくふえる!カッパ、傘、かばん、ヘルメット・・両手いっぱいだ!!なんだかんだで1限がおわったあと自分の研究室に向かう。部屋にはいるとドスのきいた声で 「ちょっと掃除しょうか~。」K先生の声だ。この人は僕の研究室の住人だが、助教授なのか なんなのか?謎だ。K先生はとにかくぶっきらぼうなおっさんでこの部屋は完全にこの人の匂いが染み付いている。いわゆるおっさん臭。。ってわけで朝からぶっきらぼうなおっさんと二人で部屋の掃除をした。僕の研究室は不幸にも古い建物内にあり目を疑うほどボロくてきたない。当然、掃除すればほこりが舞い散る!!舞い散る!!1マイ 2マイ3マイチル!!・・マイケルだった。そのホコリに僕のナイーブな喉はすっかりやられた。そんな部屋だがここはこのぶっきらぼうなおっさんのおかげで適度な緊張感があり僕にとって勉強しやすい空間になっている。あとは空気清浄機があれば最高だ。今日は久々にちゃんと勉強した。GWはかなりさぼりがちだった。今日は電磁気学。電場、磁場、電磁波などについての勉強だ。最近生まれた子供にしてみれば、生まれた頃からケータイなんかが当たり前のように周りじゅうにあふれている。きっと 何の疑問ももたずにただただケータイを使っている人もいると思うけどケータイは最先端技術の結晶だ。ケータイの機械自体は0円とかただ同然の値段で手に入るけどそれはケータイ会社のバックアップがあるからで普通に売れば5、6万はあたりまえだろう。そのケータイが情報を無線でやり取りできるのが電磁波のおかげ。本当に不思議だ。でも不思議に思うのはきっと人間がその感覚で捉えられないからっていうだけ。人間は光を見ていると思っているけど実際見ているのは可視光線という光のほんの一部分だけ。電磁波もいわば光の一種だ。音にしても人間はある範囲の振動を“音”として捉えられているだけ。“音”というのは人間の感覚であって真実かどうかはわからない。つまり人間が見て、聞いて、感じている世界は本当の世界であって、本当の世界でない。数多とある視点の中のひとつの視点からみた世界だ。カエルから見た世界もひとつの本当の世界。ハエから見た世界もそう。ぜんぜん違うものが見えていてもどれも本当の世界を見ている。同じ人間であっても同じ世界をみているとは限らないのだ。どのような未知の力が潜んでいても何ら不思議はない。それなのに人知を超えた力というのは非科学的といわれ否定されたりあやしいものとして敬遠される。これだけ科学技術が発展し、それ自体が見えない力を利用している今、あえて科学的な方向から、“人知を超えた非科学的と言われる力”を理解しようとするアプローチがあるべきではないかと思う。今日は実家に帰ってきた。東京で単身赴任している父も帰ってきている。明日はギアンでも行こうかな♪ムレスナもいいな♪楽しみだ。ありがとうございました☆
2005.05.06
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今日も夕方からバイト。さぁバイトいくかぁ!って頃に僕の腹がなりだした。やべぇ!やべぇよ!ってことでパンでも買って食べることにした。僕はいつもPetit bleという天然酵母のおいしいパン屋で買うが今日は気分を変えて他のパン屋で買ってみる事にした。 駅前のパン屋に入る。「いらしゃいませー。」ううぅーん。食べたくなるパンがない!!僕はおいしいパン屋に行くと目移りしていろいろ買ってしまうのだが。とりあえず適当に、チェリーのデニッシュとドーナツを買った。デニッシュを食べてみる。うーん。 あまっ!ジャムあまっ!甘すぎてあせった。今日もPetit bleにすれば良かった。。あのさくさくもっちりデニッシュが食べたかった。。ドーナツは僕の好物。おいしかったけど、どこか油っこい。ここでPetit bleやクラムクラストのパンのおいしさを再確認。でも今日行ったパン屋のパンも以前ならおいしく食べていたはずだ。 感覚が変わった。人の感覚は相対的だ。初めから絶対的な感覚で判断できない。多くのものの関係をつきつめて絶対的な基準ができてくるんだろう。低次元のものばかりに触れていたらその中で基準ができあがってしまう。僕は“おいしさ”を発見すると同時に“おいしくなさ”も発見していた。これを幸せと感じるか不幸と感じるかどうかは人それぞれだろう。僕はおいしいパンに出会えて幸せだ。一流のものに触れて感覚の広がることを実感した日だった。ありがとうございました☆下はPetit ble店内。味も見た目もすばらしいパンが並んでます。店の雰囲気も最高です☆
2005.05.05
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最近昼と夜が完全逆転だ。今日も起きたのは昼すぎ。ビデオに撮っておいた「義経」を見る。そしてあみちゃんと晩飯を食べにいく。帰ってきた僕は真っ先に机に向かった!しなければならないことがあったからだ。そう!日記!ここ最近全然書けてなかった!今日は日記デーだなぁ。自分のを書いて、ほかの人のも見てってしてるとあっちゅう間に時間が過ぎる。何かちょっとしたことでも毎日続けるのは難しい。何かしよう!と決めても数ヵ月後には忘れてしまっていることも多い。特に、明確でイメージしやすい目標がない場合それはさらに難しくなってくる。でも、明確な目標がなくても継続は必ず力を生む。1年、2年ではなく10年、20年という気が遠くなるような年月を経た後ようやく、その力を実感できる時が来るのかもしれない。ある人に手相を見ていただいた時も結構すぐ物事を投げ出しがちで、継続できていない点を指摘された。まさに図星だった。日記は過去の自分の書いたものをもう一回見て反芻することができる。行き詰まった時、それを継続の力としようと思う。これからも更新がんばろう!!ありがとうございました☆
2005.05.04
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今日は夕方からバイト。ぼくは土●土●という居酒屋でバイトしているのだ。けっこう有名なチェーン店だからみんな知っているかもしれない。ラ●ク王国といって、街頭アンケートをとっていろいろなものにランキングをつけるTV番組がある。それで土●土●は行きたい居酒屋No1に輝いてしまったという。うぅぅ~ん。ぼくにはもっと行きたい居酒屋がごまんとある。土●土●にはボンゴレうどんという奇妙なメニューがある。僕の友達のA君は「ボンゴレうどんむかつくねんッ!」って罵声を浴びせた。うん、納得。そして僕は今日もボンゴレうどんを作るべく土●土●に向かった。正直、ここのアルバイトの意識は低い。そして以前はぼくもその空気にのまれていた部分があった。周りに合わせるのは一番楽な方法だ。僕も知らず知らずのうちに楽な方へ流れてしまっていた。そのまま流されるとこだった!危ない危ない!流れに逆らうのは力が要るけど、時に、流れに逆らわないと自分の行きたい場所にはたどり着けない。みんながさぼっている時があっても自分はやるべきことをしようと思う。バイトを適当にやっても真剣にやっても、もらえる給料は同じだ。でも僕は真剣にやろうと思う。適当にやってお金をもらうだけじゃおもしろくない。そこから学ぶことがあって初めて楽しいバイトになる。今日はけっこうヒマなほうだった。バイトが終わると友達から遊びの誘いのメールが入っていた。「Mさん帰ってきてるしあそぼやー!」って内容だった。Mさんは前のバイトの先輩で就職して今は横浜に住んでいるけどGWで神戸に帰ってきているらしい。友達の家に行くと僕を入れて4人。みんなでゲームをしている。しぶしぶ僕も参加する。途中から賭けが始まった。一回負けるごとに100円!ってことに。みんなは金が賭かってヤル気まんまんだ!僕は帰りたくなった。ヤル気もでない。結果、負けた。くそーーーーー!悲しい。 負けたのも悲しいけど久々に帰ってきた友達とやることがゲーム っていうとこが悲しい。最近、友達のことを“連れ”と呼ぶのをよく聞くけどその“連れ”っていう表現がぴったりな気がした。“仲間”や“同士”っていう言葉よりずいぶん軽いイメージだ。何か物事を介してのみつながっている、そういうイメージ。その“何か”をとられたら何も残らない仲だ。僕は何人の連れがいて、何人の仲間がいるだろう?きっと仲間は両手の指があれば十分数えられてしまう。いかん!いか~ん!もっと仲間がほしい!と思う今日でした。ありがとうございました☆
2005.05.03
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今日はほんとに一日中寝てしまった。起きた瞬間 昼か夜かわからない。・・・よる?夜だよぉぉぉーーーー!!!!!!!!って感じでとびおきた!でも僕は寝すぎるとかえってしんどい。それでまた寝てしまう。うう・・。悪循環だ!いかんいかん!基本的に早寝早起きの規則正しい生活が良いとされるが僕はそんなの気にしない。自分が起きていたい時間は朝だろうが夜だろうが起きていたい。でもこの時ばかりは規則正しい生活にちょっと惹かれた。晩飯にあみちゃんと味噌カツ定食を作ることにした。揚げたてとんかつに味噌とねぎをのせる。もちろんトンカツの横に千切りキャベツも忘れない。うまい!安い!最高!自炊はほんとにいい。ぼくは結構いい奥さんになれそうだ。今日は短い一日だった。ありがとうございました。
2005.05.02
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日記が滞ってしまった・・。気をとり直して書いていこう!今日はあみちゃんとKUZAHAデートだ。神戸からまず長尾にあるクチネッタへ。クチネッタは一昨日ぐらいに行ったばかりだ。wおすすめランチは前と変わってない。もう一回同じものを食べても感動するだろうとは思ったけど折角なんでいろいろ味わいたい!ってことで「Bランチで!」思い切った。あみちゃんはお勧めランチ。ほんとにヤバウマ!今日も感動した!ごちそうさま!Bランチは2700円。気持ちよく払えた。その後はクズハモールをうろついた。ほんと都会だ!樟葉とは思えない!でも客層を見るとやっぱり樟葉のにおいは漂っている。そしてモールを一歩外に出ると見慣れた町並みが広がる。なんか変な気分だ。その後は僕の一番行きたかった紅茶専門店ムレスナへ!今日はむらちこも、まいどハッピィでおなじみふぁ~君もいた。入ったとたん紅茶の香りに包まれる。甘くてフルーティーな上に、気品のある香り。カウンターに座ると早々、むらちこが寄ってきた。なんか2人を軽くちゃかしに来た感じ。でも自分が赤くなってるよ!! 今日もいつものじゃんじゃんコース。チャイ、ソーダ割、完熟りんご、キャラメル・・・などなど。2人なのに飲みまくってしまった!途中ステップアップの先輩タッチが来た。僕はどこかでステップアッパーが来るのを期待していた。期待通り!!ビンゴ!帰り際、いつもサービスばっかりしてもらっているお礼に神戸にあるPetit ble(プチブレ)という2人のお気に入りのパン屋のパンを差し入れとして渡した。続いてすぐそばの鮎ラーメンへ。最近このローテーションにはまってる気がする。そして樟葉を後にする。僕はあみちゃんにステップアップのことなどもっと伝えていきたいと思っている。でもなかなか伝えられない。今回は、百聞は一見にしかずってことで樟葉の空気を感じてもらいたかった。相手に何か伝えようとする時、愛と熱意がなければ伝わらない。愛と熱意があればほとんどの相手は本気で聞いてくれるだろう。警戒をといて、素直に受け止めてくれる。僕にはいつも迷いがある。きっとそこに熱意や愛は感じられない。むしろ迷いは相手に不安感を与えてしまうだろう。この迷いをどう克服すればいいのか。僕自身、まだ学びが足りないのかもしれない。一流の心、物に触れて、学びその感動を愛と熱意をもって伝えられるようになりたい。本当に自分の未熟さを感じてしまう。「下手くその上級者への道のりは、己が下手さを知りて一歩目。」某人気バスケ漫画の安西先生の言葉だ。安西先生は桜木に自分のシュート姿をビデオに撮って見せる。そこには桜木の想像とは全く違う自分の姿が・・桜木はうつっている自分を見て 「だれだ、この下手くそは!」と思う。ここから桜木のシュート練習が始まる。きっとこのビデオがなければ桜木は変なシュートフォームで打っていることにも気づかず「何で入らねぇんだ!くそっ!」ってなことになっていただろう。 ビデオ = 客観的な目線 である。自分を自分からの視点のみで見ていては気づきはなかなか生まれない。あらゆるものを多くの視点から見る、その第一歩として自分自身をどう見つめるかはとても重要だと思う。自分自身を客観的に見つめる目がなければそこに成長はないのだろう。今日の日記も下手くそだ!ありがとうございました☆
2005.05.01
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