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厳しい、しんどかった日本出張を終え、休む間もなく参加したフアルケンブルグValkenburgでのマラソン温泉合宿。俺が決めた合宿の目的はこんな感じだ。楽しく走る喜びを感じ一杯飲んで食べてサウナ、プール、ジャグジーをエンジョイしメンバーの友好・懇親をさらに深め元気な美しい肉体・精神をつくる。とっても楽しく美しい合宿だった。その合宿から自宅に戻る。日本の東京で宿泊したニューオータニのガーデン、大阪から東京に戻る新幹線車中から見た富士山。これもまた美しかった。
Jan 30, 2012
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前略。ご無沙汰ですが、元気でやっていますか。俺は今日本出張です。日曜日にアムステルダム空港を14時50分にKLM便で出発し、成田空港へ向かった。アムステルダムから成田空港行き直行のJAL便がなくなったのは痛い。機内で何とか寝ようとするが、何分オランダ時間ではまだ寝るには早過ぎる。全く眠気はないので、映画4本見て、その後寝ようとすると食事の時間になり、また寝れず。そんな訳で出張の14時50分発はきつい。しかも、翌日即仕事だから。成田空港10時到着後は日本のオフイスへ向かって仕事。その後も時差ぼけで睡眠不足が続く。疲れきったやつれた顔。若干の東京の雪景色の中、何とか仕事はこなす。ニューオータニに1日泊まった翌日は実家へ。夏以来の両親との少しだけの再会。ますます年老いたようだ。そんな親を見るのは辛いが、直接顔を見て話しができることはうれしい。体調は徐々に改善するも、まだまだ体調万全とは言いがたい。今日は大阪で仕事。終わってから東京へ向かい、実家で宿泊した後、明日オランダへ戻る。そして、楽しみなマラソン温泉合宿参加だ。そんな訳で何とかやっているので、心配しないでほしい。KAZNY大阪にて追伸:大阪へ向かう時に少しだけ見た富士山は全容を誇らしげにさらし、美しかった。多くの人が写真を撮っていた。そんなとき、俺は1保有株の配当金の銀行口座への自動振込がなぜか中止され、証券会社に新幹線内から電話中だった。用件が終わり電話を切り、写真を撮ろうとする、既に富士山は車窓から消え去っていた。
Jan 26, 2012
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急遽、日本出張が決まった。今度の日曜日出発で来週金曜日に帰蘭だ。全く自由時間がない。この間、大阪にも行くことになった。友人たちと会う時間はないし、親ともおそらく1~2日か夜に実家へ行き、宿泊するだけなので、あまり話はできないだろう。金曜日に戻り、いったん家に帰った後は、休む暇もなく、日本人ランニングコミュニテイのマラソン温泉合宿(2泊3日)に出発だ。2年前に実施、今回また要望が多かったので実施する。今回の参加者は11名だ。場所は前回と同じ、フアルケンブルグ、マーストリヒトの東、家から約220kmのところだ。全く余裕がないスケジュール。困ったもんだ。疲れた体にさらに追い打ちをかけた格好だ。でも、合宿では楽しく走って、一杯飲んで食べて、サウナ・ジャグジー・プール等で体を癒し、みんなと楽しもう。とっても楽しみだ。
Jan 21, 2012
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日本人ランニング仲間のSさんが訳してくれた、オランダの新聞記事。世界のマラソン界を支配するオランダの3人の陸上マネージャーへのインタビュー記事。ヨス・ヘルメンスJos Hermens氏、ヘラルド・フアン・フイーンGerard van de Veen氏、ミヘル・ボーテイングMichelBoeting氏の3人がマラソン界を語る。1.今後、白人選手がビックマラソンに勝つことはないか?多分ないだろうが、だだ絶対とは?スプリントの世界でも、長年言われてきたが、フランス人 クリストフアー・レマイトレChristophe Lemaitre選手が突如メダル競争に加わった。白人ランナーが世界記録を塗り替える事はない。白人ランナーの2時間5分台はありうるが、2分台は難しい。現状、速い白人ランナーがほとんどいない。アフリカ人はレースランナーで、白人は、ほとんどがジョガー。ただし、昨年、ライアン・ホールRyan Hall(アメリカ)選手がボストンを2時間4分58秒で走っている。参考記録だが、非常に印象的だ。彼はアフリカ選手のように、高地で生まれ、人生のほとんどをカリフォルニアの標高2千m以上のところで過ごしてきた。アメリカでは選手はホームグランドを高地に選択するが、ヨーロッパではそれが可能なのに実践していない。2.今年2時間の壁は破られるか?2時間2分台は出るだろう。2時間以内はまだ先だ。欧米的な取り組みをアフリカ選手に導入すれば、10年~20年後には可能性が見えてくるかも知れない。問題は、統制のとれたプロセスを踏んでいるアフリカ選手が少なすぎる事。きちんとトレーナー・フィジオセラピスト・スポーツドクターの指導を受けている選手はほとんどいない。また彼らは、ウェイトトレーニングに真剣に取り組まないし、バランスの取れた食事やビタミンサプリメント、システム的な練習に気を配らない。ハイレ・ゲブレセラシエHaileGebrselassie選手も例外でない。記録は伸びても、今後10年間はありえない。心配しているのは、新記録だけを狙って、“いちかばちか”戦術が横行し、マラソンの権威が低下することだ。ハイレ・ゲブレセラシエ選手はヨス・ヘルメス氏の友達でもあり、20年近く一緒にやってきた。それでも彼がベルリンで肺に問題を起こしたときには、彼をスイスの専門医に診て貰うよう言い聞かせるために、たとえだがピストルを頭に突きつけなければならなかった。“2人の医者の検診を受けたのに、なぜもう一人?‘と。彼は慢性的な肺の炎症のため肺機能の20%を数年間使用していなかった。それでベルリンでは2時間3分以内を逃してしまった。問題はスピードにあらず。ハーフで1時間を切る選手は充分いるけれど、大事なポイントは2時間維持するための節約的な身体の確立だ。ヨス・ヘルメス氏の所にシカゴで優勝したモゼス・モソップMoses Mosop選手がいるが、彼なら2時間2分台が可能だろう。しかし、シカゴの後、彼はアキレス腱を痛めた。オランダに来てスポーツドクターの PeterVergouwen氏の診断を受けるように勧めたが、聞き入れなかった。彼はケニアに戻り、電話も切って数ヶ月コンタクトできなかった。実際、ケニア・エチオピアではドイツやイギリスのように完備したスタッフ:フィジオ、ウェイトトレーナー、心理学者、ベビーシッター的な身の回りの世話人…等が必要だ。しかし費用の問題で、なかなか実現は困難だ。3.ケニア勢成功の鍵は、遺伝子では無く、ランニングカルチャーボーテイング氏が南アメリカを旅行したとき、そこにはケニアと同様の環境があった。人々は小柄で、軽量。高地に暮らし、農業共同体を営んでいた。しかし、なぜそこから優秀なランナーが出て来ないか?そこではランニングは全く盛んではない。しかし、ケニアは違う。ケニアには熱狂的なランニングカルチャーがある。ムタイ選手とモソップ選手は今年最も速い選手だった。モソップ選手は偶然、ヨス・ヘルメス氏の所へやって来た。ケニアではトレーニングも受けず、退屈しのぎに走っていた。ムタイ選手は成功を逃した障害物ランナー。数年前までは、木こりでお金を稼いでいた。彼らのような埋もれたタレントが沢山いる。残念ながら、ただ発掘されない。ケニア・エチオピアにはハイレ・ゲブレセラシエ選手のようなのが十数人存在する。遺伝子は確かに影響を与えるかもしれないが、やはりトレーニングが必要だ。オランダの少年は、サッカー選手を夢見ている、ケニアではそれがマラソン選手だ。貧困から抜け出す原動力、職の無い少年達がランニングを始める。世界サーキットに参戦するためには、少年達は自ずと速く走らなければならないことを悟る。ケニアでは過去イギリスの植民地であったこともあり、しっかりしたものではないが、それなりの基盤がある。学校で毎週のようにレースが行われる。我々のようなトレーニング施設を持ったマネジャーも数人存在する。それなりの走る環境があっても、エチオピア・タンザニアにはそれが無い。4.ケニア支配における問題点は:競技者を区別できない。ケニア政府が陸上競技の国家的プロジェクトを、これまで組まなかったことを幸いと思うべきだろう。さもなければ今の数十倍のケニア選手でマラソン界はあふれていただろう。ヨス・ヘルメス氏が契約の件でナイキ本社へ行って来たとき、ナイキ側に少し難問を突きつけると、彼らは「ヨス、いったい我々がどれだけのシューズをケニアやエチオピアで売り上げていると思っているんだ。」…と。(*マーケティング価値が無い)ヨス氏は言葉に詰まった。その危機は高まりつつある。6年前、フランクフルトでフイーン氏の所に所属する選手が1,2,3位、と上位を独占した。3選手とも2時間8分台。その後、彼らは日本や韓国でかなり稼ぐ事ができた。しかし現在では、同じ大会組織から2時間4分台、5分台、6分台の選手を要求してくる。この先、2時間7分台の選手の行き場があるのだろうか?ケニア支配の影響には二つの局面がある。ゲブレセラシエ選手のような特別な選手を除いて、アフリカ人トップ選手達のの輝かしいパーソナリティにほとんど触れないことだ。ジャーナリストの怠慢さにもよると思うが、彼らがどんな選手なのか、パーソナリテイを探る必要が無くなって来ている。(つまりどこの誰なのかは、関心が無い)。ニューヨークでは二人のムタイ選手を区別するのに難儀していた。これが仮に3人のジョンソンであればまったく問題なかった。毎回違うレースで、毎回違うケニア人ランナーが、毎回トップ記録で上位を独占し、これだけ多くのトップケニアランナーが出てくると、それぞれのランナーのドラマ性、パーソナリティーの関心度が薄くなる。ましてや全員の選手の顔・名前を把握できず、区別がつかない。最終的にはどの選手なのかという興味は全く無くなり、ケイア人1、ケニア人2、3、4、…と言う感覚に陥る。ケニアでは、同姓が多すぎる。これも問題。誰もがキプラガットKiplagat かキプサング Kipsang またはムタイMutaiだ。エチオピアでは姓名が非常に難しい。それに彼らは年間通してほとんどメディアに注目されない。視聴者にとって、マラソン TV観戦中にアフリカ選手を区別するのは、非常に難かしいのは想像のつくところ。ましてや同じシャツ・ランパンで走っていればなおさらだ。しかしビックレースでは彼らなしでは考えられない。ビックイベントとしてのマラソンはさらに普及するだろうし、TV放送される試合レースも必要だ。ヨス・ヘルメス氏は葛藤状態におかれている。それは、一方ではレースに勝つヒーローがさらに必要で、他方では同時にタレント発掘をしなければならない。ヨス氏が抱えている有名選手を負かすようなタレントを探しに何故にケニアやエチオピアの奥地へ毎週のごとく、出かけなければならないのか? 彼らの収入が下がり、今抱えているヒーローを失うことにもなる。5.欧米のマネジャーはケニア選手に必要悪か? 過去には選手が彼らに悪用されて、搾り取られている例がいくつかあった。しかし、オランダ人にはそういうのはいないと思っている。オランダ人は結構ケニア人に良く思われている。我々は彼らの収入の15%のフイーをもらっている。今はあまり悪い奴はいない。選手は自分でも時折交渉に加わるので。もし選手をだますようなことがあれば、結局は自分の首を絞めることになる。業界もお互いに信頼関係でつながっているから。選手は、海外マラソンを走るためにマネージャーが必要だ。さもなければ自国でレース先の国のビザ取得は不可能。選手は招待状、航空チケット、銀行口座、保険、お金…等が必要だ。ほとんどの選手が銀行口座さえ持っていない。ヨス・ヘルメス氏の事務所では20ヶ国120人の選手を抱えている。ヨス・ヘルメス氏は言う。「年間ハーフミリオンユーロ(約5千万円)投資している。エチオピアでは専属のトレーナー、フィジオを雇い、ケニアには駐在員をおいている。真剣にビジネス面だけを考えれば、半分以上の選手の契約を切っている。手間がずっと楽で、収入は同じだ。不遜にも60人ほどの選手を千ドルベビーと呼んでいる。そこから15%、つまり年間たった150ドル、彼らから手数料をもらう。しかし彼らを切るわけにはいかない。ケニアでは千ドルで一家、時には村全体が食べていけるだから。このビジネスをお金の為にやっているわけではない。その国の人々が好きだからだ。」フアン・デ・フイーン氏は言う。「私のところでは、40~50人のケニア人を扱っている。どのようにしてトップ選手に達するのか。例えば、ウィルソン・キプサングWilson Kipsang選手のように偶然出くわすのもいる。4年前に彼は自分で売り込みに来たが、あいにく空きが無かった。ちょうどその時3人の選手を手配することになっていたレースに欠員がでた。その日彼は私の事務所にいた。これは君のチャンスだね、と私は彼に伝えた。彼は最初の5レース中4レースを制覇した。今では2時間3分42秒でワールドランキング歴代2位にランクされている。」ボーテイング氏は言う。「私はキプサング Kipsang選手のようにはしない。私は21人抱えている。私は選手を管理し、選手のレースを予知するような事はしない。私の場合、この選手がどのくらい良いのかではなく、どのように選手を伸ばすかに重点を置いている。」6.10年以内にケニア女子選手も男子と同じようにマラソン界を支配するのか?ヨス・ヘルメス氏は、ケニアで地元有力選手の協力を得て16歳少女の開発プロジェクトを進めている。中にはすでにトップ並みのレベルで走るのも数人いる。フアン・デ・フイーンは言う。「女子ではエチオピアのほうが幅の広がりがある。ケニアの場合、男性社会中心的なところがあり、スポーツを含めて女性の社会活動を男性が抑制している。」ボーテイング氏も言う。「女性ランナーに対する敬意の度合いは、エチオピアの方がケニアよりずっと高い。多くのケニア女性は、彼女たちのパートナー、親族、あるいは村のきまりで走る機会を与えられない。ケニア女性は男性からさらに自立する必要がある。」ヘルマン氏は言う。「しかし、私はケニア女性に期待する。以前は妊娠するとランニング社会から消えていたが、最近はトップ選手が出産後に復帰してきている。ケニアの少女達も自意識に目覚め始めた。彼女たちは自然に男性から独立してきている。」
Jan 15, 2012
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現在、世界の男子マラソントップランクに入るオランダ人選手はいない。過去にはヘラニト・ネイブール選手がいた。日本がボイコットした1980年のモスクワオリンピックで2時間11分20秒で銀メダルを獲得した。その年のアムステルダムマラソンで2時間9分1秒のオランダ記録を出し優勝している。当時世界最強マラソンランナーと言われた瀬古選手がそのオリンピックに出場していたら、間違いなく金メダルを獲得していただろう。そんなオランダだが、今も世界のマラソン界に大きく貢献している。世界のトップ選手を管理する3人の陸上マネジャーがオランダ人だ。ハイレ・ゲブレセラシエ選手、ケニアのアベル・キルイAbel Kirui 選手(世界選手権2連覇)を管理するヨス・ヘルメンスJos Hermens氏。昨年のニューヨークマラソン覇者ジエフレイ・ムタイGeoffrey Mutai(ケニア)選手を管理するヘラルド・フアン・フイーンGerard van de Veen氏。過去2年間の平均タイム最速のエマニュエル・ムタイEmmanuel Mutai(ケニア)選手を管理するミヘル・ボーテイングMichelBoeting氏だ。昨年は、彼らに所属するケニア・エチオピア選手がシカゴ、ボストン、フランクフルト、東京、ロンドンなど含め、14のビックレースで勝利を収めた。昨年のニューヨークマラソンでは1・2・3位と上位を独占。4選手がハイレ・ゲブレセラシエHaile Gebrselassie選手の世界記録を上回り、5つのビックレースのコース記録を塗り替え、ケニア勢が圧倒的な強さを見せた。まれにみない劇的なマラソンイヤーの立役者は、オランダ人3人の事務所に所属する選手たちだった。昨年のオランダの新聞に、彼ら3人へのインタビュー記事が載った。その記事を日本人ランニング仲間Sさんがうれしいことに訳してくれた。インタビュー内容は今度載せよう。
Jan 15, 2012
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先週は新年そうそう公私ともに多忙だった。プライベートはまだいいが、仕事はつらい。金曜日は夜の8時近くまで残業だった。こんな遅くまで仕事をすることは定時に帰るオランダ人にはありえない。俺も久しぶりだった。そんな中、日曜日は日本人ランニング仲間たちとエフモント・ハーフマラソンに参加した。針治療で成果を期待していた俺の結果は散々。前半の北海の砂浜は足に優しかったので良かったが、後半の砂丘地帯のアップダウウンのコースは石畳みで、左足首をかばって走っていたせいか、右足裏を痛めた。全く情けない。前日の土曜日にはエフモント・ハーフマラソンに一緒に参加した友人がドイツ・フランクフルトからやってきた。彼は大のオランダ好きだ。オランダのロッテルダム・アムステルダムマラソンを始め、主要な大会にはやってくる。俺の家に泊まってもらった。昔オランダにも住んでいたが、オランダの高級ビーチと言われるスケフエニンゲンには最近行っていないというので、そこの北海の海を見に出かけて行った。北海の風は激しく冷たかった。夜はデン・ハーグの中華街の俺の好きなレストランへ行き、シーフード料理を楽しんだ。
Jan 9, 2012
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困ったことになった。いつも使っていたメールアドレスがブロックされた。何とかパスワードを変更したりと回復しようと試みたが、だめだ。そして、以下のメッセージが出た。このアドレスに送っていてくれている人たちにはすまないが、メールが読めない。何とかブロック解除の手続きを行ったが、解除されるかどうかまだわからない。アカウントがブロックされていますこのメッセージが表示されている理由第三者がお客様のアカウントを使用して大量の迷惑メールを送信したか、Windows Live の使用条件に違反する行為を行った可能性があります。 お客様のアカウントの不正利用の解決に向けて弊社がサポートいたします。必要な作業いくつかの手順を実行してお客様がアカウントを所有していることを確認し、第三者がお客様のアカウントにアクセスしている場合にパスワードを変更できるようにします。所要時間はわずか数分で、ブロックが解除され処理が完了します。アカウントの設定を削除しました多くの場合、この画面は、お客様のアカウントに第三者がアクセスし、そのアカウントを利用して知らないうちに迷惑メールを送信していることが原因で表示されます。お客様とお客様の連絡先を保護するために、使用していた可能性のある Hotmail の自動応答やリンクされていたアカウントは削除されました。
Jan 6, 2012
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新年の2日は仕事開始日だったが、まだ仕事も忙しくなさそうだったし、娘が帰ってきていたので、休みをとった。ランチをどこでとるかと考え、昔仕事関連でデイナーに連れて行ってもらったホーフド・タワーHoofdtorenのレストランへ行くことにした。アムステルダムからは北へ約40kmのところだ。そのレストランは俺が好きなホールンHoornの町にある。ここはアイセル湖畔の町で、オランダ東インド会社(VOC)の航海から帰ってきた船が到着する港として17世紀頃に栄えた港町だ。716年に町が形作られ、17世紀には、VOCの重要な港湾の一つとなった。アムステルダム、ロッテルダム、デルフト等と並び、VOCの6つの支社のうちの一つがこの町に置かれた。1932年にゾイデル海(現在のアイセル湖)が大堤防によって閉鎖され、港町としての使命は終了した。そんな訳でオランダ大航海時代の栄華をしのばせる建造物が多々残っている。レストランがあるこの塔もそのひとつだろう。1532年に造られ、見張り台として使われたのだろう。今は改造し、レストラン、バーになっている。
Jan 2, 2012
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新年のオランダ恒例行事、ニューイヤーズ・ダイブ。あの寒ーい、冷たーい、北海の海に1月1日に飛び込むイベントだ。娘の友人が家族全員で参加するということで、娘や友人たちも参加することになった。最も有名な場所は、デンハーグのスケフエニンゲンだが、約1万人の参加者と参加受付のために早くから現地へ行かなければいけないので、インターネットで受付可能なカットワイクKatwijkを選んだ。俺たちが昔住んでいた北海の町だ。ここは参加者も約千人でそれほど混雑していないので、車の駐車を考えても便利だ。その他オランダ各地のビーチの21か所で同様のイベントが開かれているようだ。大きなテントが設けられ、そこで水着に着替え、砂浜に繰り出していく。カットワイクのスタートは午後3時、ローカルTV局もやってきて、変わった衣装を身に付けた人たち等にインタビューをし、集まった人たちの様子を撮影している。こちらは参加者がスタート間際まで体に巻いていたバスタオルを受け取り、皆が戻ってくるまで待ち、参加者を見ているだけだ。参加者は大変だが、待っている方もつらい。気温は結構高いはずだが、やはり北海の海風はひんやりとする。3時に一斉に走り出す。スタートはランニングレースのようだが、恰好は水着、向かう先は北海の水の中だ。大半の人たちは泳ぐというより、足をちょっとだけ水につかってくるだけだ。そして、勢いよく、戻ってくる。テントで着替えた後は、オランダのエルテンスープで冷えた体を温める。日本でも寒中水泳があるが、変わったイベントだ。
Jan 1, 2012
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新年おめでとうございます。皆様にとって素晴らしい年でありますように。本年もよろしくお願いします。娘のともだちの家のパーテイに呼ばれて、2012年の新年を迎え、オランダ恒例の花火を打ち上げ、そこら中で打ち上げられる花火を見て、そして自宅に戻った。道路には花火のたくさんのかすが残っていた。ところどころでは、まだ花火を打ち上げていた。家についた今はインターネットTVでニューイヤー駅伝を見ながら、2012年初めてのブログを書いている。1区は37チーム一団の超スローペースで始まった。外ではまだ花火が余っているのか、若者たちが花火を打ち上げている。音だけがうるさい。
Jan 1, 2012
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