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その人の立場によって、「現代の世界」の評価も違う。人々はその共通項を探している。それがまだ建前と本音がある。その間が遠いから困る。日本語でどれだけ世界に近いかが問題だった。国民に知らされないことも多かった時代が長い。鎖国の意識があったのだろうか。余計なことを知らせたくないという支配者が多かった。諸々の原因があって結果もある。アメリカのしてきたことがすべて善ではない。中国の政府のやっていることも後で現在と未来では違うだろう。 ・信じているのものの中に嘘もある。何を信じているかでもある。何でも信じてしまう人は騙される。虚偽が多い社会だからだ。或いは何も信じられない人は、ストレスで潰されるかも知れない。或いは病気にもなる。適度に信じ、適度に疑って、適応できるかが問われるだろうか。すっきりと過ごせないのが普通だろう。自分の体調も揺れている。保湿性も環境でその対応も違う。格差社会が大き過ぎると悲劇が起きる。・へ2・・・素直だけでも皮肉屋でもやっていけない。どこに答えがあるわけでもない。自分の見ている世界は自分だけのもでしかない。それでも社会や世界はある。自分の姿を映している鏡で世の中だと思ってしまう。宇宙の渚の一粒の泡だとしても、自分の目が視ているものは小さい世界ではない。感動する心を以って生きるしかないのだ。
2023.02.09
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他に楽しむことと言えば、それほどあるわけでもない。だから楽しめることは大切にしたいと思う。ネガティブ・マインドに負けないために、生きる智慧が必要だ。自分なりの人生のためには、マイロードがなければならない。個人の受容体には、自分しか開けられないキーがあるのだ。そのメカニズムを知らねばならない。それが現代という時代に生きるものが知った得難い知識でもあるのだろう。人は自分の脳で創り上げている自分と社会とのイメージの世界の中でしかない。 ・過去の人は、現代を見ることができずに散っていったのであり、私たちは大いなる恩恵の中で生きている。そして、未来に憧れてもいる。限られた時間の中で、この光を楽しむかけがえのない瞬間を知らずして、何をかいわんや。苦しみながら他人は様ざま生きている。それは想像することしか知りえない。自分も他人も喜怒哀楽はそのひとのものだからだ。苦しみや怒りの中から、ひとはより深く、喜びや楽しみを得る。易々と生きる者にはその感動を知ることはない。世の中を活きながら軽佻浮薄であるものはそれだけの世の中である。 ・へ2・・・自然を深く愛する者は、より深く喜びを味わうのではないだろうか。苦労したものには、深い眠りがあり、深い水底を蹴って、水面高く、飛び上がることができるに違いない。深い悩みは、人間をより思慮深くすることだろう。今日は、あちこち小さな春を探してみたい。
2023.02.09
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私たちの教養とは何だろうか。根本にあるのは儒教や仏教だろうか。解かっているようでよくわからない知識でしかない。誰も教えてはくれなかった。少なくとも教育は希薄な存在でしかない。本当に尊敬されるべき教育者たちの教育であっただろうか。それもよくわからないでいる。怠けていた私が悪いだけではあるまい。知ろうとしなければいつまでも知ることができないような真理ではない筈だ。 ・それこそ自分の死が目前に迫らない限り、なかなか本気になって来ないという狡い活き方をしていると、結局破滅的な死にもなる。覚悟もなしに死ななければならなくなる。そういう死を厭というほど見てきた。そういうものだと思えないでもない。とても私にもそういう差し迫った厳しい状況に措かれたくはない。だがそれでも実際なさけないという気持ちはある。 ・へ2・・・いわば複雑な思いがある。知りたくないが知らなければならないという気持ちだ。なるほど「阿耨多羅三藐三菩提」ということばが重要だと訊いたことがあるが、仏説阿弥陀経にもあるのを知ったが、「平家物語」の中にある仏教思想が、中世の日本の教養であったことが解かる。そのどんな思想が死生観でもあったのだろうか。絶滅危惧種を調べるような気持ちになる。
2023.02.09
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福岡空港。航空機には、一切のらないという人を知っている。だからどこへでも航空機を利用しないから、結局海外ツアーをしないらしい。行きたくても行けない理由は色々ある。勉強したいのに、大学に行けなかった人もいるが、好きな人がいて、都会に出ることを拒否されたらしい。結婚したいから諦めたものが、本当にそれでよかったのかは,神のみぞ知るだろう。なぜ結婚したいのだろうか。素朴な疑問がある。 ・よく変わり者だと、幼馴染のひとからいわれていた。他のひとと違うといいたかったのだろうか。依怙贔屓をしてくれる女の子の気持ちがよくわからなかったものだ。よく他人の気持ちがわからなかった気がする。一人っ子で、周囲は田舎者の大人ばかりでもあった。兄弟愛を知らないのは、損したと思う。スポーツ選手の先輩後輩も知らない。スパルタ教育も嫌だったが、クラブ活動も好きではなかった。 ・へ2・・・プーチン大統領は、ウクライナや西側をナチズムだと非難しているが、ヒトラーに近いのは、寧ろ彼自身ではないだろうか。自分がすればロマンスで、他人がすれば不倫だろ言うのがあるが、後世の人が、彼を何と評するかでもある。それこそ最高指導者たちが、人格者だとは限らない。つけが回ってくる人たちが哀れだ。
2023.02.09
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和白干潟。2023.2. 余命とか、生存率とか言われるが、この一瞬も刻々と時間を刻んでいる。そして過ぎて行ってしまう。確かに、本当はそうだったのかわからないが、やさしい父母たちがいて、親切な周囲の人たちに支えられて生き延びてきたのだろう。一人の力では何もできなかった。現代医学のお世話にもなっている。薬剤は毒だといっても、やめたらさらにひどいことになる。温暖化や、空や水が汚染されたといっても、ここから出ては生きていけない。 ・30年近く、勉強したが、あれは何だったのだろうか。自己責任であり、自業自得なのだろう。時代は変わった。それは当然でもある。日本人の価値観も、固定観念だと非難されている。保守党が、アンシャンレジュームの頑固な守護者だということは、誰でも知っているが、G7では、岸田首相は、先進諸国の一員になろうとしているのだろう。すぐに化けの皮ははがされる。また世界の嘲笑を買うだろう。 ・へ2・・・あと10年も生きてはいない自分の命だろう。あと5年かもしれないし、明日かもしれない命だろう。誰も明日の保証はない。次々に災害や事故や事件が起きている。大惨事もある。予想できることもあるが、想定外もある。ロシアや中国の侵略は、社会体制にも原因がある。右を見ても左を見ても真っ暗闇だ。愚か者の惑星で終わるのかもしれない。
2023.02.09
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適応には、生物の形態や行動が非常に精巧にデザインされている。生存や繁殖の上で有利である形質を備え持つこと。それを持つことによって同種の他個体に対して、生存繁殖の上で有利さが生じるような形質をもつ。 事例として、インドガンのヒマラヤ越え、カッコウの托卵、さまざまな擬態、蝙蝠の超音波利用、人の手の器用さ、優れた知性 等。 現実社会に埋没せず、如何にジャンプできるかだ。それだけのパワーを内包しているかだ。誰も後押しはしない。自分で一から遣らなければできない。誰にもできないからやらなければ死んでもできない。デッドロックを乗り越えてきた。それが今日であるが、それは先人の成果であって私たちのものではない。このチャンスを活かし得るだろうか。あるのはそれだけでしかない。 山のようにチャンスがあってもそれを活かせないでいる。どうしてだろうか。時間はないのにあると信じている人たちがいる。崖まで来ないと分からないようでは、何もできないのに。未来の匂いがわかなくなっている社会である。言っている意味を解するものだけが分かるのだ。新しい形質をもつことだろう。
2023.02.08
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一つの言語、一冊の本で、活きる意味を見つけることが出来れば素晴らしいことだ。私は自ら敢えて迷っているのかもしれない。すべてを知ることなどできないのであり、自分の存在価値を知るためには、多くのことを学ばねばならなくなっている。それでもなお単純にストレートに一本の道を歩き活きたいという願望を棄てられないでいる。コーランを一生読み、聖書を読み続ける人もいるそこから啓示を受ける信仰心もある。 ・他人への思いやりをどうして学んできただろうか。宗教はおおいなる犠牲について教えている。自由であることは人間にとって貴重な権利だが、その真の意味を理解することは難しい。自己犠牲を何故しなければならないのか、それは他とともにあるからだ。自分が生存することのできるスープを創ったのは自分自身ではないからだ。自分のからだもこころも何一つ、自分であって自分のものではない。 ・へ2・・・過ぎたる欲望を満たそうとして、そのために自滅もする。活きる為には足りないものを補い揃えるのが私たちの暮らしである。自分の一冊に辿りつくまで、まだまだ遠い。成功しなければならないという強迫観念が、誰にもあるのだろう。成功しなさいと。成功しなければ人生の意味はないかもしれない。毎日のように繰り返される人生劇場がある。一つの事故、一つの事件、そして一つの出来事が、決定的にさえなる。その他大勢は不幸だろうか。あまり他人のためにもならないことをして、自分は成功者だと思っている人たち。はた迷惑な大統領とかいる。意味もない米朝会談を、どれだけの人たちが支えているだろうか。そして、あとであれはというのだ。なぜ元号を変えるのだろうか。素朴な疑問もある。後でもいいのではないのか。訳の分からないことばかりしているひとたちがいる。3.11はまだ終わらない。災害に遭遇しても、いつまでも復興できないでいる。中国では、高速鉄道が作るのはいいが、大赤字らしい。成長戦略は必ずその反動がある。していいことと悪いことがある。それさえ区別がつかないのだ。
2023.02.08
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「知らぬが仏」で生きているけれど、明日のことは何も知らずにいる。後ろの死神がいるかも知れない。それでも勝手に、ノー天気ではないだろうか。利口に見えても、少し裕福らしい生活をしていようと、なかみはお粗末なのではないか。文化は低いのではないだろうか。自己満足ばかりしているアホな日本人ではないだろうか。何もできない証明ばかりしている、安倍内閣ではないだろうか?世界から軽蔑されるようなことばかりしているではないか。まあ批判するだけなら、誰にもできるだろう。それから先が問題なのだ。「先進国で、日本は貧困層が多く、一番貧しいのではないか」、と民主党の小沢氏が言っていたが、その認識がないくらい日本人は、無自覚なのだろうか。それを目を剥いて反論していた塩崎氏の見識が寧ろ空虚だろう。それをちゃんと批判できる識見があるだろうか。ひとを評価するのは、自分ではない。如何に客観的に自分を評価できるかでもあるだろう。それは、国家も同じだ。自国をどれだけ自画自賛しようと、世界がどう評価しているかだ。国民の代表たる日本政府が、なにものであるかだろう。少し、・・・哀しいかな。
2023.02.08
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月日の過ぎるのは早いものだ。これは誰もが感じる感想でもある。これはつまり隠遁生活なのだろう。疎外されつつあるのかもしれない。なにしろ姥捨て山のお国柄でもある。国家と個人との関係は、昔から関心があった。松本清張の「日本の黒い霧」という本を読んだからだろうか。「昭和史発掘」もある。清張と一葉の視点は、その他の作家との違いがある。世間を甘く見ている人たちの視点は唾棄すべきだろう。 ・どうやら浪費ばかりしている、政府や政治家たちだ。古い体質の民族主義者ではない。伝統といいながら、その利権を守ろうとしているに過ぎない。国民を出し抜こうとさえしているのだ。かって日本民族は、ナチズムとの同盟国でもある。そのことを忘れてはならない。戦後民主化は成し遂げられただろうか。そうではあるまい。課題は残されたままだ。背中には重い呪縛を背負っている。 ・へ2・・・戦争と戦争とのあいだの束の間の平和だろうか。それは日米安保の屈辱のもとのそれでしかない。まだ米軍は駐留している。政府は、憲法改正よりも、まずその問題を解決すべきだろう。憲法は、国民の同意があれば、いつでも改正できる。問題は、社会システムであり、民主主義の確立でもある。
2023.02.08
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新千歳空港~福岡空港。どんな悪人でも儲けさせてくれる経営者が有能とされている。汚い手でも使うのだ。そういう会社が大企業にもなる。従業員のクビを切っても何の罪悪感もないのだろう。そして自分は悪いことをしない家族を大切にするよき夫であり、親であるというのだ。まるでゴットファザーでもある。犯罪者が、猫のようにしているのを法廷で見たことがある。 ・仮面をかぶっている。裁判官の前でしおらしくしているのは心証を悪くしないからでしかない。私は無罪だというのは勝手だが、それを決めるのは自分ではない。臭い飯を食べるのは、罪の重さを知るためでもある。毎日それよりも不味いものを食べている人は多いのだ。 ・へ2・・・この社会は冷たいのであり、アウトローには厳しくもある。それを承知で仕事もしているのだ。驕った人間を懲らしめるという司法の責任でもある。少ない年収で、日々食うか食わずの人たちがいる。年俸20億円でも足りないというのだ。大企業を私物化していて、当然だというのだろうか。とんでもない人間がいる。
2023.02.08
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新千歳空港~福岡空港。生きている間は、自分という一人の人間の存在でしかない。もっと何かができたのかもしれないが、平平凡凡でしかなかったのは、それだけの器でしかないのだろう。他人を恨むこともない。あまり異性にもモテなかったが、男の魅力もなかったのだろう。ギラギラしているのが好きでもなかった。とがった人間が嫌いでもある。これでも好き嫌いが多かったのだろう。宇宙で物質は、4%でしかない。そしてヒトも宇宙のごみでしかない。やがて生命は消えていくのだ。地上で吹いている千の風もいつかは終わりが来る。いがみ合っていいことはあるまい。人工衛星から見た地球が話題になったことがあるが、もう政治家たちは忘れている。掛け替えのない地球を守らなければならないのだ。90秒前になったという地球の終わりは、本当になるかもしれない。今この瞬間を感性豊かに感じることができるかだろう。人間はつねに進化している。生物学では退化も進化であるという意味で。或いは反動も前進であるかも知れない。負けることも、勝ちになるだろう。正確には勝ちに繋がると言うべきか。人民は、負け続けているが、懼れることはない。人類は何れ、本当の意味で合理性を獲得するだろうからだ。来なければどうするかを悩む必要はない。その時は、人類には未来が消えているからだ。私たち人民は、何ものかに従属しているだろうか。追われし者たちだろうか。そうあらねばならないために何を為すべきなのだろうか。苦悩することには慣れているだろう。これまでも相して来たし、これからつづくだろう。それは、常に人民のサイドにいることだ。自分の信じる正しいものが何かを考え続けることだろう。敢て、他人を傷つけたいとは思わないが、そうなるかも知れない。相手は、所謂「敵」でも「味方」でもない。友人であるだけだろう。季節は巡ってくるだろう。繰り返されるシーズンは、ヘイフリックの限界のように、やがて細胞分裂を終わりにするように、めぐり来る季節の中で人生を終わりに導くだろう。
2023.02.08
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新千歳空港~福岡空港。モタモタしていたら、もう二月になってしまった。寒気団が張り出して寒い二月のスタートになりそうだ。別に死ぬほどの寒さではない。こころが凍りつかなければいい。西欧の精神的ルーツとは何だろうか。それは手に負えないものだろうか。最近のニュースで、些細なことで簡単に人を殺しているのではないだろうか。人間の尊さをどこまで学んでいるだろうか。そうさせている社会の背景とは何だろうか。処罰を厳しくすることが、そういう犯罪を減少させることはできないだろう。何が、現実と言えるのか。その認識がなければならないだろう。ご都合主義では駄目だ。もっと真剣でなければ真実を見失うかも知れない。それは、現在の日本をどう観るかでもあるだろう。「美しい日本」とか、世界レベルだと言えるだろうか。柳沢大臣の「女性は、産む機械だ」とする発言は、単なる失言ではない。それを、言い逃れようとする政府や本人の姿勢こそが問題だ。それこそ、世界の日本の評価にもなるだろう。安易なことばがこれまでも命取りにもなってきたではないか。柳沢が言っていることは女性蔑視の何ものでもない。そんな大臣が、厚生労働相なのだから恐れ入るし、安倍首相は辞めさせないと言い切っている。このままで頑張って欲しいのだそうだ。何をどう頑張るのだろうか。
2023.02.08
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ゲーテの生前も死後も、相愛の詩人マリアンネは思い出のハイデルベルクを度々訪れている。とくにハイデルベルクからネッカー川を数キロ遡ったノイブルクの旧修道院を好んだ。彼女の晩年、1850年頃にはドイツ鉄道で、フランクフルトから行くことができた。修道院は、1825年に友人の弁護士が買い取り、親しい人たちの安息所だった。1860年10月3日から5日にかけてノイブルクに滞在した。そしてハイデルベルク城を訪れた。遠縁のエミーリーエ・ケルナー夫人が「ゲーテとズライカの原型」を書いている。「小さな石門のそばで、マリアンネは立ちどまって、一人にさせてほしいと言った。彼女は庭に入っていったが、なかなか戻って来ないので、付き添いの私は心配になって、同じ門を通って中に入った。・・・人けのない緑の林の中に彼女は物思いにふけって立っていた。両手を合わせ、顔には涙があふれていた。そこで彼女は、この庭の中でゲーテは自分にキスをした、と語った。・・・城の中庭から出て、右にまがると、公園のみちばたにいちょうの木が立っています。彼女は、そこに立ちどまって、日傘でいちょうの葉をニ、三枚取ろうと試みて、<これが、ゲーテがあのとき、葉を一枚ちぎって、私にくださった木です。そしてあの詩を作って送ってくれたのです。>つまり、彼女が「西東詩篇」のズライカであることを明かしました。」マリアンネについて「彼女は死に付いても、感傷的になることなく、間近に迫っている避けがたいできごととして語っていた。生に対する愛がいつも彼女の中に目ざめており、たえず彼女を若返らせた」とヘルマンも「ゲーテとズライカ」の終わりに記している。ハイデルベルクからフランクフルトに帰り、その後二ヶ月、病気らしい病気もせず、死ぬ二日前にも夕方散歩したくらいだった。1860年12月6日マリアンネは、この世に別れを告げた。フランクフルトの中央墓地に埋葬された。その飾りもない鉄の十字架には、 「愛はやむことなし」(Die Liebe horet nimmer auf.)と刻まれた。このまえ借りたかった本「ゲーテ相愛の詩人マリアンネ」を大学の図書館で借りてきました。また、振り出しに戻りつつあります。
2023.02.07
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グルントヘルシャフト(荘園制)は、中世及び近世においてもっとも重要な経済的および社会的組織形態のひとつであった。しかし、これは抽象的で包括した概念ではなく、近代歴史学・法学の整理概念である。中世後期および近世の法学者にとって、土地の処分権は、荘園制の本質的構成要素であった。荘園制とは、土地の授受がなされ、荘園領主と隷属農民相互の権利・義務が定められるための機構を生み出す制度とみなされたものだ。即ちグルントヘルシャフトとは、土地の貸与を受け、それを自己の経営で耕作し、経済的に利用する人びとに対する土地所有者の支配という意味である。領主の所有権は、土地の貸与によって強く制限された。隷属農民が貸与地に課せられた義務を規則どおりに履行する限り、領主にはその土地を取り戻す可能性はほとんどなかった。隷属農民は、荘園領主による勝手な土地没収から法的に保護されていたのである。土地の処分権から、土地を耕作する人びとに対する支配権が生まれた。純物権法的な関係を超えた、身分法的特徴を帯びたものだ。この人的隷属関係は、多くの場合、一種の「誠実宣誓」Huldigung によって儀式化した。隷属農民をさす「グルントホルデ」ないし「ホルデ」と呼ばれた。他方、隷属農民は領主に対して「保護と庇護」Schutz und Schirm を求めた。隷属農民は、経済的な困窮に陥ったとき、貢租を免除ないし軽減され、播種用の種、種畜あるいは建築材料を支給された。裁判で権利を守り、不当な差し押さえ、略奪や暴力から保護する義務が領主にあるとされたのだ。シュヴァーベンシュピーゲル(1274)・法書。 Wir suln den herren dar umbe dienen, daz si uns beschirmen, unde beschirment si uns nit, so sin wir in nit dienestes schuldig na rehte. Der Schwabenspiegel nach einer Handsechrift vom Jahr 1287. Hrsg. von F.Lassberg.Tubingen 1810. S.133(Neudruck hrsg. von Karl August Eckhardt, Aalen 1972). 荘園制は、中世の多様な支配、社会組織と政治・社会・宗教・文化上の生活を支える経済的基盤でもあった。とくに中世のうちに進展して、中世文化の開花の基礎となった社会的分業は、主として荘園制に組織された農業の経済力に基づくものだった。
2023.02.07
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「封建制」Feudalismus と「レーエン制」Lehnswesen という二つの語は近代でつくられたことばであり、ドイツ語では多く同義語的に用いらている。「封建制」は、最も古い使用例は9世紀後半であり、当初は土地ではなく動産を意味した。併し、10~11世紀にフランスでレーエンの意味<beneficium(恩給地)>を獲得した。この意味の変化は、封臣が主君から本来は生活物資だけを受けていたのが、ここにようやく土地を支給されるようになったということだ。「レーエン制の時代」Lehnszeitalter(ハインリヒ・ミッタイス)は中世と同一ではない。レーエン制は8・9世紀のフランク王国で展開し、おおよそ10世紀から13世紀の間に最盛期を迎えた。レーエン制は、中世後期にはまだ大きな役割を果たしていたが、近世になると急激にその意義を失った。しかし、それが完全に消滅したのは18~19世紀初頭にかけてのことであった。広い意味での封建制は、いくつかの特徴をもつ特定の社会秩序であり、「封建社会」Feudalgesellschaft をさす。この用語法は18世紀のフランスからうまれた。そこでは旧体制(アンシャン・レジーム)が「封建体制」あるいは「封建制」と呼ばれ、国民会議は1789年8月11日にその廃棄宣言をした。この反封建的スローガンとして生まれたこのコンセプトはドイツにの継受され、政治学、哲学、歴史学および社会学の用語にも採用された。封建制概念は、広く考えれば封建的な諸要素がはっきりと指摘される他の国々や文化圏(日本、中国、インド、エジプト、トルコ、ロシアなど)にも適用可能だ。だが、世界的な社会形態としての封建制の本質的特徴とは何かという問題について定説はない。封建制度は、マルクス主義の歴史観にとっては格別の重要性をもつ。奴隷制度と資本主義の中間にあるのが、封建的社会秩序であると位置づけられている。封建的体制は世界史的な社会形成の序列における必然的な段階としてどこでもみいだせるという学説でもある。
2023.02.07
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福岡空港。山頭火1940年没。享年58歳。松山の草庵で本人の希望とおりポックリ往生したらしい。季語などに捉われない自由さが珠玉の輝きを放っている。どうやら生きる自信が無くて揺れつづけるのだろうか。亡き母が、よく腐りかけた林檎を買って来て食べていた。当時は、少し恥ずかしいと思っていた。勿論貧乏の所為もあるが、腐敗した処を切除して美味しいと母は、言って食べていた。私も食べろと言われて食べていたが余り気持ちは良くなかったのを覚えている。今それを考えると、単に母がグルメなのではなく、母のライフスタイルであったと思う。食い意地は張っていたのではなく、見掛けは悪くても美味いものがあるのだ。耕畝は、堂守を生きておれば、山頭火はいないだろう。見かけばかり捉われて、生きようとしているのではないだろうか。 うどん供えて、母よ、わたくしもいただきまする。山頭火
2023.02.07
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「幸せのちから」主演のウイル・スミスが好演していましたね。「幸福は追求するものだ」という意味のアメリカ人の精神がよく解かる映画でした。”the pursuit of happiness" なのですね。ただ、一流会社への就職が即幸福だ、という視点が、果たして正しいのだろうか。それとアメリカの一流会社の就職試験が、ペーパー優先ではなく、厳しい実務の審査をされるらしいことがわかりました。貧しさが半端ではないことも。選り抜かれたものだけがリッチになるのが当り前だという思考で良いのだろうか。努力したものが報われることは異存がないとしても、20人に1人しか採用しないという選抜は果たして公平な社会なのだろうか。アメリカのサクセス・ストーリーは、どこか欠落した部分が多い気がしてならない。結果がよければ何でもありなのだろうか。実力のあるものが切捨てられている部分があるに違いない。仲間にならなければ席を得られないのではないか。同じ仲間には親切で、それ以外には冷たいという利己的な遺伝子ではないだろうか
2023.02.07
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十字軍以降も東方へのキリスト教布教がヨーロッパ人の宗教的な情熱としてあったため、経済的な要求とともに大航海に出るための理由となった。中でも、スペインとポルトガルは海上貿易に熱心で、王室が大航海に対して資金的なバックアップをした。マルコ・ポーロ「東方見聞録」等、15世紀から始まる大航海時代のアジアへの好奇心が背景にある。当時の航海技術からすれば、見果てぬ夢を追いかけるような大冒険でもあっただろう。そして国王は、自国の財政を豊かにする為に、新しい富を必要としたのだ。大航海時代のフロンティアスピリットといわれるものが、果たして現代人にミームとして継承され、どれだけ存在しているだろうか。宇宙への旅は、それを予見されるが、まだ僅かの人びとのそれでしかない。かって、先人たちはSFでしか果たせなかった世界が、宇宙を覗く針の穴から拡がりつつある。空気のない世界と、途方もない時間が横たわり、とてもまだ人類の一生では足りない。科学の進化も端緒についたばかりだが、乗り越えようとするフロンティアスピリットが是非必要だろう。その遺伝子が消えない前に旅立つ必要があるだろう。人びとの造り上げたものでは夢がもてなくなり、やがて新天地を目指さねばならないだろう。そこに新しい富を探さねばならない。そうしなければならないだろう。何故なら、地球上の生命は、そのために生まれてきたと言っていいからだ。生命は、常に更に、新しい富を見つけて生きて来たからだ。
2023.02.07
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新千歳空港。年間11,000人の高齢者がSEDB(入浴中突然死シンドローム)で亡くなっているとみられる。入浴中に死ぬなんか情けないが、寒い脱衣場から熱い湯に入ったとたん血管が広がって、血圧が一気に下がって意識を失う、立ち上がろうとして、立ちくらみで倒れる。まだ、私もそこまでの高齢者ではないが、寒いと余計加齢が気になってくるものらしい。益軒の「養生訓」で「久しく浴し、身を温め過すべからず」とある。カラスの行水は、悪いことではないらしい。寒い日は、昼間(午後3時~6時)の方が良い。浴槽内の溺死、食べ物の誤嚥。もちをのどに詰まらせたりする。そういうことが段々身近になってくるだろうか。・・・だから、どうということでもない。リスクが高くなるからなんだろうか。それは確かにみっとも良い話ではないが、それを惨めに思うことはないだろう。私は、行けたら杖をついてでも旅行に行くだろう。今年は万里の長城を観に行きたいと思っている。
2023.02.07
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旅を続けて来ました。これからも平坦ではないだろう。だから愉しいのだというひともいるでしょうね。怠け 者の私は、他人以上に試練の日々を過ごした訳でもない。努力はしましたが、成果が左程ないところを みると相応なのでしょうね。恐らく、修羅場を生きているとは言えない。これからどういうことになるかは、 未定です。これまでのように可もなく不可もない人生でしょうか。敢えて、のたれ死にする道を選ぶのも 良いかも知れない。どんな後世であれ、自分らしく生きれれば良いと思います。誰も皆自分の思いの 儘に身罷ることなどできません。或る意味恨みを残して逝くでしょう。如何に羨ましいような死であろうと 実際はそうではないのでは・・・。私は、母から学びました。遣るだけ遣れば死は安らかに来ることを・・・。利己的なDNAに対するミームは、人種差別、男女差別、民族差別などを当然のようにしでかしてしまう残酷で救いようのない社会に陥っています。このままでは、地球さえ破壊してしまうでしょう。現代社会は、それでもなお反面人間脳の発達にともなう文化がある。ミームは、冒険心と真善美をもとめる心でもあり、貧困と無知に対する闘争心をも持っているのです。ミームは、しなやかで弱い存在でもあるだろう。併し時にヒットラーの狂気にもなった。我執にみちた煩悩具足の凡夫でしかない人間が、ミームの存在に活路を見出すべきではないかと思う。
2023.02.07
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博多湾。ウソをついてでも急場から逃れようとするのは人にありがちなことであるが、それは、許されない人がいるということだ。公職にある人がしてはならない。そして、いつか、過去の出来事は幻影となり、闇の彼方に遠のくだろう・・・。人は、生きる意味を見出して自分らしく生きて、いずれは自分に相応しい死に方で終わりたいと願う。生物は、寿命が尽きて、個体は失われ、分解して粒子となる運命だ。誰も皆家族や友人たちの記憶となり、いつか消えて行く。地球も、太陽も何れ宇宙の塵に戻るだろう。そして、終には、宇宙が静止する。それとも The Big Crunch だろうか。 まるで、セルが巨象の話をしているようだと・・・自嘲的なる。だが、人の知識もコピーから始まりいつか真理を見出すのだ。 ヒトは、ながい過程を経由して、ようやく言葉をもち、科学を手に入れようとしている。しかし、もう深い海を原子力潜水艦が、世界を破壊する原子核を搭載して潜行している。知らないところでヒトは、生命の危機に晒され続けるのだ。この殺し合いが続く限り・・・。
2023.02.07
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博多湾。脇の甘い政治家や官僚たちが、失言をして更迭される言ことが多いのは、今に始まったことではないが、よくあるパターンである。なぜ起きるかといえば、建前と本音が違うことばかりしているからだろう。ある意味正直なのかもしれないが、ただでは済まないことがある。岸田政権は、国際社会で、まともな政権だといいたいらしいが、実態はどうかだろう。襤褸が出るのは、衣の下に鎧が見えるからでもある。安倍さんも、それだったが、旧統一教会との関係が明らかにされつつある。なんだどうだったのか、知っていた人も多い。正史のない日本史がある。泥が何かも知らないとすればそれは、世の中が悪いか、自分が愚かなのだろう。或いは双方だろうか。泥をつくっているのは人間たちだ。初めからあったのではない。世界が泥だけでできているだろうか。そうかも知れないが、そうでないかも知れない。芥川の見た地獄は本物だろうか。違うのではないか。神や悪魔や地獄が、そんなに近いだろうか。芥川は、たった35歳で自殺した。知ったものは多くの書物だったが、まだ学ぶことはあっただろう。彼を潰したのは、因習と泥の中を目指したからだ。私たち陥れる誘惑はいくつもあるし、虚構の罠が口を開けている。それが泥の中だと自覚できるだろうか。易々と自分の敵に、自分のオールを渡してしまうだろうか。日本丸のオールを漕ぐものが、強かな外交能力を持ち、識見の高い政治家だろうか。コンパスと星座の知識だけで乗り越えようとしているのではないか。クロかシロかだけの賭博師ではないだろうか。誰を相手に、難局に向かおうとしているのか。
2023.02.07
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絶滅危惧種のクロツラヘラサギ。何処から見てもウクライナ戦争は、侵略戦争でしかない。数万人の死者が出ているのに、すでに1年が過ぎようとしているのに、やめようとしないのだろうか。たとえロシアが勝利したとしても、ウクライナ人が幸福になるとは思えない。中世と変わりがないのではないだろうか。岸田政権も、LGBTに対する偏見が、一夜にして消えてなくなるわけではあるまい。ただ都合が悪くなるからだろう。G7で、日本政府をアピールしたいだけだろう。他国から信頼されているだろうか、それに相応しい国家だろうか。安倍元首相が暗殺されたが、リスクをはらんだ社会でしかない。国際社会を信頼して、平和憲法を制定した日本は、戦争を放棄したが、挫折を認めるのだろうか。他人より高価なものを食べ、リッチな生活をしたからといって、それが何だろうか。それが文化というのか。高い文化だろうか。もし、それが羨望の的だとしたら、そんなものは、似非でしかない。みんなとともに生きればいい。周囲とともに暮らすのだ。いつの時代もそうして庶民は生きてきただろう。援け合って生きてきた。雪が降れば、ライチョウのように白くなるだろう。何故なら、そうする必要があることを知っているからだ。そうして生き残ってきたから。他人より目立ちたがるのは、未熟なものには安易な生き方でしかないからだ。そんなことより、自分のこころを真実にふるわせろ! 21世紀になっても、世界は、未だ遣らなければならないことが、地球サイズであるだろう。ルワンダで、100万人が虐殺されたが、国連でさえ口を噤んでいる。何故、自殺やいじめがあるだろうか。無能な学者が、学生を惑わせるのだろうか。社会のリーダーがうそをついて、人々を不幸にしているだろうか。社会的搾取が繰り返されている。それほど、人間社会は、歴史を学ばない愚劣な生き物だろうか。
2023.02.07
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漓江下り。家畜を寄せ集めて主人のところに連れていくタイプの「ヘッダー」と、家畜追い立てて主人から切り離させるタイプの「ヒーラー」がある。これは見張り番のガーディングドッグと違い、群れを纏めるハーディングドックといわれるカテゴリーになる。この「牧畜本能」は、じつは祖先のオオカミから受け継いできたと考えられる一連の「捕食行動」からくるものだ。ヒーラーは、獲物に体をむけ、にらみを利かせ、忍び寄り、追いかけ、捕まえて噛みつき、噛み殺し、切り裂き、むさぼり食らうのだ。人間行動の本質をよくみれば分かるように、遣っていることは、時に動物的な本能を露呈しているのではないだろうか。この社会の差別化を進めているのは、政府を代表とする支配層のしていることだろう。口で言っていることは偽善でしかない。一口に「牧畜本能」などというのは本質的には語弊がある。なにしろ多様性を包含しているからだ。安倍首相の施政方針演説が国会中継されている。安倍首相の演説を全国で国民が聴いているだろう。その演説をどう理解するだろうか。好感だろうか、悪寒だろうか。それとももっと違うものだろうか。これだけ、長い時間をかけて国民に約束しなければならないことに驚く、まだ多くのことがされていないことを表白しているのは、誠意からだろうか、これからも、ただ演説するだけで、何もしないということではないだろうか。
2023.02.06
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日独関係は、日本の明治由来の関係がある。戦前は軍事同盟国で、世界から孤立もしたが、民族性の相違があるとはいえ、共通点もあるに違いない。すでにメルケル首相は、10回も訪中しているという。それだけ中国との関係も深くなっていたが、ここにきて中国を警戒する必要を感じはじめたようだ。中国の戦略を少しは警戒しはじめたのだろう。 ・金を貸しては、経済的にその国を締め上げていく手法は、あまりスマートとはいえない。華僑は世界中にいるが、その底力を、欧米や世界はよく知らないのだ。甘く見ていると、突然襲い掛かってくるかもしれない。経済関係ばかり目がいっているのだ。なにしろ13億人の国家でもある。やろうと思えば、世界をひっくり返すこともできないことではあるまい。 ・へ2・・・欧米の自惚れがいつかは没落もする。成功ゆえに没落するのだ。甘い夢を見続けてきた国家は最後は悲惨な目に遇うことになる。ドイツは、戦後いち早く立ち直り、東ドイツさえ統一を果たした。いまやEUの盟主でもある。それゆえにブレグジットもある。なかなか世界は一つも実現しないわけだ。日本とドイツも少し離れていたほうがいいかもしれない。野望を抱けばいいことはないからだ。
2023.02.06
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アヤソフィア。旧約のイブと新約のマリアは、キリスト教の変遷で興味深いテーマだろう、。そして、マリアの戴冠という革命的な視点の変換となる。13世紀では、「王のなかの王こそ彼女を母に選ばれた」であり、15世紀になると、「彼女が王のなかの王を息子に選んだ」となり、マリアは「かの乙女こそ神の母なり」となる。騎士道と女性は、男たちの騎士道とは「教育装置」としての愛の文化でもあった。イブは、誘惑と楽園追放の罪多きものであり、マリアは、慈悲深き女 ’La Belle Dame avec Mercy ' である。男女の求愛を主題にした中世の問答詩「慈悲なき美女」は、つれない美女を描き、女性を誹謗したかどでアラン・シャルティエは、宮廷風恋愛精神の復活を図るパリの宮廷から追放される。一方、ロンドンでは宮廷風恋愛の愚かさを暴いた女性のことばが評価を得た。宗教詩という些か厄介な文章に取組んでいる人たちが、どれだけ翻訳を公表しているのだろうか。日本の女性史の貧困は、実に日本の女性自身の世界の女性史に対する識見にあるのではないか。現代の学生たちが、最短距離ばかりを歩こうとせず、中世の宗教詩でも勉強すべきかもしれない。
2023.02.06
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久能山東照宮。話題の「硫黄島からの手紙」で栗林の最期については、投降説もあるらしい。栗林の冷静な現実認識と合理性をもってすれば、投降もありえないことではないというニュアンスを滲ませたものだ。名将とされる将軍は、何に苦悩し、どんな欠点があったのか。指揮官としての資質に欠陥があったのではないか、という疑問だ。認識の混迷は看過しえないという。如何にもありそうな議論がされている。私は、それが史実かどうか、いつも曖昧になってしまうことが問題だと思う。名将に仕立て上げる必要を認めないだけだ。人間が局限でする行動が英雄にするかどうかでしかない。勿論大本営は英雄にしたいだろうが、部下たちは必ずしもそうは思わないだろう。その限界はある。当時の日本人の考えは、世界には異質に見えたのではないだろうか。少なくとも現在の私たちの客観的な認識ではそうである。昨夜、NHKの、「その時、歴史は動いた」で「島原の乱」を扱っていた。領主の過酷な圧制に対する一揆なのか、宗教弾圧なのか、これも史実が少ないために曖昧な論議がされている。冷酷な領主の過酷な収奪と、飢饉による明日への絶望が根底にあったのは事実だろう。そこに宣教師のキリスト教布教があり、体制破壊のエネルギーになったのではないか。それを恐れた幕府が、キリシタン弾圧という称したのではないか。即ち、根底には、住民全体を巻き込んだ生死の選択の強迫という宗教の殉教と、圧制への絶望が重なり合っていたのだろう。誰も、生か死かの逼迫した極限という状況に立ちたくはない。あとでどう評価されるかを考えるのは、英雄になりたいものだけだろう。追い込まれた人間の周辺には極限という限界はあるとしてもそれは、いつも大きな犠牲を強いることになる。上記のNHK「島原の乱」にも問題意識のズレを感じた。宣教師は、単なる布教に来たのではなかっただろう。野心なしに危険を冒してまで遠い航海をしてくるはずはないのだ。「限界」の意味とは、何だろうか? 常に私の脳から離れないテーマであり、問題の所在でもある。
2023.02.06
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「もしも・・・」の世界の話ではなく、紛れもない本当の「過去」が史実だろう。一次史料はそのために重要だ。日中戦争で、日本軍が中国国内で残虐行為をしたことは疑いようがない事実だろう。それを否定することはできない。それが、世界で日本人は野蛮な国だと評された。いえるのは、それが戦場であれば、日本軍だけではないことだ。キリスト教徒やイスラム教徒だとしても、神の「愛」や「戒律」を信じるものが、殺し合いをするのが戦争だからだ。優しい戦争などありはしない。日本人の悪いところは、口封じができると思っている節がある。それは宗教性にあるかも知れない。日本人の素朴な世界観だろうか、神と言う存在を信じないことからだろうか。何れにしろ「上官の命令は、天皇陛下の命令だ!」という絶対服従を日本軍兵士たちは強いられた観念がある。「島原の乱」がテーマの「その時、世界は動いた」があるらしい。12万人の幕府軍が3万数千人の農民を皆殺ししたが、殆ど一次資料が残っていない。軍隊でもない農民が、「死にたくない」くらい残していても不思議ではない。どうも、ドラスティックな口封じをしたのだろう。そういうことをする国民の歴史があるから、中国の残虐行為もありえる話だと思う。然し、人間性を否定するまさに軍隊とはそういうものではないだろうか。アカデミー賞で「硫黄島からの手紙」が作品賞にノミネートされたというニュースが流れている。戦後の61年経過して、初めてアメリカの監督が、敵側の日本語で、日本側から観た映画だとして評価されているという。それは、日米の勝者と敗者の落差を物語っていることでもある。日本人がもつ自分の評価というものは、世界で通用している評価ではない。寧ろ、本当の「過去」を知ることが重要だ。
2023.02.06
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久能山東照宮。文人と軍人との争いは、平和の時もやむことはない。どちらら有利になるかだろう。戦争と平和との間で、揺れ動いてもいる。戦争の正当性を叫ぶ声が高まりつつあるのではないのだろうか。戦争は彼岸にあるのではない。アジア系アメリカ人で中国人の存在拡大には目を見張るものがある。他のアジア人に対してそれは大学院生について顕著であるという。経済的な力だけでなく「オール中国人」の世界規模での存在拡大への執念がある。「ダイバーシティ」が進展しつつあるアメリカで、これを好機とした強かさが感じられる。いつもは自分勝手な人々が、いざ何かがあると結束する「バンドリング」が、アメリカと同様、中国人にある。彼らは、アメリカに対してもものおじしない迫力があるといわれる。「アメリカは、最近コンピュータ分野で、盛んにアジアの国々と一緒に大型プロジェクトに取り組もうとしているが、そんな話に乗って良い成果がでれば、きっと、ケーキの一番おいしい部分はアメリカが食べてしまう」ということが囁かれる。「その急速な軍事力整備は、遠からず中国が日本の「脅威」になる」という政治的意図を包含した意見が聞かれるようになろうとしている。確かに中国は「脅威」になる可能性があるが、そうなるかは判らない。もし「遠からず」であれば、「軍事力」によってよりも、寧ろ、タフな精神を持った中国人に対してではないか。ひとくちに中国人といっても、いろいろなタイプがあるだろう。彼らが一枚岩になることがあるだろうか。日本人が、自分たちの弱点を見つめ直し、それを克服して行くことができるのだろうか。それは、タフな精神を身につけることではないだろうか。そのために何をすべきなのだろうか。
2023.02.06
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いうまでもなく、中国だって、その将来は決して、ただばら色でないし、アメリカも些細なことから、崩壊しかねない課題を多く抱えており、予断を許さない。ただ、今後突然襲ってくる困難や、苦境があるだろうということは、避けることができないだろうということだ。それは、これまでもそうであった様に、想定外であるだろう。これに立ち向かうだけの「内なるエネルギー」が用意されているかでもある。我々は、「いざ」という時に社会の求心力となるべき、政府を信頼することができるだろうか。その「いざ」については、自分たちは、個人としてどうあるべきかについて、それは、個人のスペースのことであれば自己責任として、どう受け止めるかの問題でもあることを感じている。然し、国家のこととなると次元が違うだろう。然し、国が国民に保障している安全は、甚だ曖昧なものでしかないのが、残念だが言えることではないだろうか。無責任な政府は、強大な軍隊をつくり、武力と威圧によって国家の安全を守ろうとさえするだろう。そのために支払う対価は、小さいものではない。計り知れない犠牲を強いることになるのは、言うまでもない。何をもって「いざ」に備えるべきだろうか。ひとは、それを「天災は、忘れたころに遣ってくる」という寺田寅彦のことばとともに、肝に銘ずべきだろう。
2023.02.06
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サハラ砂漠。アフリカ人は、差別をした白人たちに報復する時があるのだろうか。生きるだけでも精いっぱいの暮らしをしている人たちが多い。貧乏と弱い人間の関係は、深刻でもある。権力者がいつまでも権力者であり続けようとしているが、それには限度がある。いつかは逆転するだろう。「キューポラのある街」で主人公のジュンは、貧乏な自分を振り返る。周囲がその日暮らしの考えでしかないと。「何故、貧乏だから高校に行けないのだろうか。貧乏だから弱い人間になるのだろうか。弱い人間だから貧乏になるのだろうか」と。「貧すれば鈍する」だろうか。それは、紛れもない事実だろう。然し何が「貧」だろうか。その定義は難しい。何故なら。どれだけ物質的に恵まれた才能や環境だとしても卑しい奴はいる。イスラム教には、ラマダンがあるが、驕るこころを戒めるのだろう。映画が製作された時代と、現在は違うが、「その日暮らし」がなくなった訳ではない。然も進学できない子供たちがいるし、遣りたい勉強ができない人たちも多いに違いない。ジュンは、差別や貧乏に負けない精神を身につけようと努力しようとする。それは、夢と希望を持ち、人間の優しさを表現しようとする姿勢を示しているだろう。戦後日本は、敗戦の悲惨を国民すべてが同じくしていたが、その連帯感がなくなりつつある。ジュンのような少女が、どれだけいるのだろうか。それは勿論、環境も違うが、どうなのだろうか。作家は、「うそで真実を語る」だろう。描かれた内容が問題だろう。今日経済的にその日暮らしは減ったとしても全くないわけではなく、就中、心の飢えた者たちが「その日暮らし」をしているだろう。自戒も含めて、・・・。
2023.02.06
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プラハ。曹操は、水上の遠い影がはっきりと呉の艦隊であることを認めると、攻撃開始の命令を発した。赤壁の戦いだ。必ずしも大軍が勝つのではない。風向きにもよるのだ。三国志は多くの示唆を与えてくれる。・苦境にある者をを助けることを、ほんとうに、助ける、という。・ちがう立場の者へは、ちがういいかたをするというのは弁論の常識である。聴き手の理解力によっても、言辞を変転させねば、語れない。ー述べて作らず(「論語」)中国の優れたところは、能ある者を君主にしたことだ。やがて血統を信じたが、必ずしも現実は期待通りには行かなかった。三代と続かない。時代は、急激に価値観を変えるからだろう。曹操は、大軍でも勝つことができなかった。何故だろうか。アメリカは、ベトナムで勝つことができなかったし、イラクでも勝利することはできないだろう。どれだけ戦力があっても、イラク人を皆殺しにできるだけの正義がある訳ではない。もしそうしたら、世界から八つ裂きにされるだろう。世界は、平和を求めている。たとえゆるやかでも、それが人間に優しい成長でも、異なったイデオロギーの調和を願っている。それは、「鼓を打て、旗を挙げよ!」という掛け声の後ろを歩くことではないだろう。私たちは、これまでにどこまで「真の民主主義」を身につけているだろうか。そして、それを世界レベルまで高めつつあるだろうか。個人としての努力が問われていると思う。
2023.02.06
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法学概論の中で、最初に看板の効用は、その背裏にありと。背後かもしれない。なるほど寝台車は、看板の背後である。表札のあるところに自己主張もされている。SNSで、回転ずしなどで、迷惑行為が話題になっているが、幼稚な行為でしかない。それで自己主張しているつもりだろうか。それにしても、監視カメラといい人の生の行動を撮られているのは、ある意味恐ろしい時代でもある。 ・岸田首相のスピーチライターの秘書官が更迭されたが、氷山の一角でもあるのだろう。長男が秘書官でもある。しかも国民の税金で働いているひとたちであり、VIP機にも乗る人たちだろう。権力の私物化ではないだろうか。それこそ高潔な人物が、首相になっているわけではない。直接選挙で選ばれてもいない。それこそいまだに密室の中で決められてもいる。それで、国民の代表者だろうか。 ・へ2・・・戦後77年が過ぎて、21世紀も23年になり、これからどんな素晴らしい時代になるだろうかと期待していたが、夢は果敢なく消えていきそうである。70歳過ぎて、脳の萎縮も進んでいるだろうし、体力もいよいよ衰えている。日本だけではないが、世界政治も老人たちが、未来を恣意的なものにしている。情けない。世界は一つの看板が泣いている。
2023.02.06
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権力の座というのは、どんな有能な人間も狂わすような雰囲気があるのかもしれない。VIPの航空機は、民間の航空機と違い優先的な待遇を受けるという。確かにファ―ストクラスがあり、ビジネスクラスがあり、エコノミークラスがある。13時間以上の長い空路で、エコノミークラスではしんどい。初めてハワイに行ったとき、ビジネスクラスに乗ったが確かに快適だった。これは、こちらが選んだのではなく、偶々病気だったので、会社が優遇してくれたのだ。 ・できるだけ顧客のニーズを満足させようとするサービス業の人たちの努力はあちこちであった気がする。それが、まともな社会の在り様でもあろう。パンデミックの中で、高齢者がどのように扱われたのか、実際の現場で証明されたであろう。死者の数さえ公表しないような国家が、国民の命を大切にするはずはないからだ。政治を見ていると、その国の文化レベルもわかる。そして日本政府の首相周辺が、かなりレベルの低い人たちによって構成されているということだ。 ・へ2・・・国立大学の医学部のインターンたちが、どんな扱いをされているか、垣間見たことがあるが、悲惨というしかない。あれだけエリートの中のエリートと思われている人たちが、腐った環境で暮らしていることにショックを受けた。まあ、庶民も悪くはない。魂を売らずに済んでいるからだ。
2023.02.06
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アメリカ軍が、中国の気球を空軍のミサイルで、撃墜したという。気球は偵察用なのだろうか。コントロールできない気球というのを、飛ばすのだろうか。米中の関係は、そう単純なものではないから、これからも衝突を繰り返すのだろうが、血の気の多い連中が、双方にいることだけは確かだ。彼らにとって共存は不可能ではないにしても、生涯最大の敵であり続けるのではないだろうか。お互い覇権主義が根底にある。 ・アメリカファ―ストであり、中華思想であろう。絶対神を擁している宗教が妥協することはない。お互いの主張をコントロールしてこそ、会話もでき、平和も可能になる。赤裸々になれば、何事も拗れてしまうのが現実だろう。私たちの社会は矛盾の中にあって、その中の妥協を探している。ロシアは、なにを焦っているのだろうか。孤立を深めているのは、政府の暴走でしかない。社会体制の未熟があるに違いない。 ・へ2・・・明日とも知れない人の命の果敢なさでもある。仏教では、死に臨んで、「顛倒するな」と説いているが、パニックになる名だろう。絶望すると人間は正常ではいられなくなるものだ。たとえどんな天才であろうとも、ひとはひとでしかない。神にはなれはしない。踏みとどまるだけの勇気があるかだろう。人は最後に試される。
2023.02.06
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スリランカ。スペンサー「妖精の女王」は、壮麗な大伽藍であり、壮大な交響曲のような構成を取った作品であり、数字的だという。スペンサーは霊感に導かれてあのような大作を書いたのではなかった。設計図のように全体は構成されていた。数字に永遠の意味を見る考えは、プラトンに記されており、それから2千年余に亘って、西洋人の意識を支配していた。数字の 1は、万物の根源であり、真理を表す。第1巻の主人公の同行者ユーナは、イタリア語の1である。 2は、二重性であり、真理に反する欺瞞を意味する。たぶらかす魔女デュエッサは二重存在。 3は、1+2であり、男女合体を意味し、主人公は男装の女騎士フリトマート。 3は、同時に、キリスト教の三位一体の数であり、33は、イエス・キリストの没年とされる。ダンテ「神曲」は、三行連で書かれ、三部作でなっている。各部とも33篇で構成された。然も、地獄篇には序歌があり、全体では100にしている。シェイクスピア「ソネット集」を見てもわかる。18世紀までの作家はこのような数の意味を意識して、行数や音節数を増減して読者へのメッセージにしたという。スペンサーが最も大事にした数は、27(3の3乗)で、「妖精の女王」の挿話はこれで始まるという。更に精緻な数が展開する。(これは、昨日の「ナイトたちの冒険」の教授のレクチャーによる。)画家として、最大の賛辞を受けるラファエッロの「コロンナ祭壇画(玉座の聖母子と諸聖人)」(1505年頃)もシンメトリーで、安定と調和を基調とした整然として、閉じられたルネッサンス様式とされている。素人の身軽さが、切り口の信条でもあるだろう。
2023.02.05
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冬季鬱というのではないだろうが、寒くなってくると気分もなかなか乗らなくなるし、加齢もある。良いことは何もないと思えば嫌にもなる。まさか6年間も文学部の講座を自分が続けられるとは思わなかった。偶々、探していた時、別の大学で講座を一緒に受講していた。その人に出逢わなかったら、女子大の文学部講座に来なかっただろうし、その時大学の図書館で親切にして呉れた方もいたからでもある。 ・人は自分なりのニッチを社会の中で探している。それがみつかれば結構楽しく生きられるのではないだろうか。恵まれるか恵まれないか、それは自分で決めることだけではないが、自分の心も重要だろう。好いと思うから好いのでだけではないが、誰にでもあるチャンスだけでもない。小さなチャンスを活かす事も暮らしの中にはあるに違いない。それを活かして遣うかだ。 ・へ2・・・40数年前に受けた市民講座が、素晴らしい講座だった。真剣な研究者の態度に感銘を受けた。それから社会人になっても、常に大学に対する畏敬がある。だらけた研究者もいるがそれだけではないことを知ったのは人生の啓示だろう。よろよろと生きてきたが、小さな向上心だけはある。 謂わば井底の蛙でしかないが、実体験はなくても科学の進歩による眼がないわけではない。ミクロからマクロまで壮大なドラマを人類の目で見ることができるかは、簡単ではないが、知ることはできるのだろう。現にそういう世界で生きているのでもある。すべて自分のことはショートしてしまうが、大きな夢を見ていたい。それだけだ。
2023.02.05
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インド。自分を続けること。自分らしくあること。考えてみたら、このコンセプトも怪しい。自分が動くからだ。「自分」という存在は不確かなものでもある。いい加減でもあり、そうでもない時がある。いま大事なことだと思っている事が何か起きると、一変もする。朝と夕方と2回、1万歩、約15km歩くことを日課にしている。雨も降るし、これから寒くもなる。それでも平均で毎日そのノルマをつづけて30カ月になる。まあ、吾ながら続いている。こんなに続いたためしはない。 ・ここ数年、夜よく眠れなくなってきた。大体3時間くらい。今日はおそらく2時に起きたから、3時間内。眠くなれば、また寝るが、惹干寒いがどうやら朝まで持ちそうだ。5時前に朝食を摂る。約一時間季節で変わるが5~6時ころからウオーキングする。そしてまた寝る。本当は休息なのだが、思い切って寝ることにしている。睡眠時間にするため。9時ころまた起きる。ブログと読書をする。12時に必ず昼食を摂る。テレビを見て、何もなければ2時から昼根をする。2時間くらい。これで睡眠時間は合計6時間くらいになる。というのが大体の計画だ。 ・へ2・・・別にどこに行かなくても、自分の一日のノルマを熟していれば満足なので、何をしなくても文句はない。予定を入れると却って気になる。別に美食の趣味もないし、できもしないことをしたくもない。家族がいるので寂しいこともない。他人と付き合うのは面白くない訳ではないが、面倒さが先に立つ。このままでいいが、いつまで続けられるだろうか。終わりのないものはない。続ける努力をするだけだ。寒くなれば厚着をして、部屋の中でもその場で走る。私の時間は、平和である。
2023.02.05
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戦後77年間を過ぎたが、普遍的論理が、議論の中心だろうか。必ずしも前途は甘くない。中国も朝鮮半島も、そしてロシアも、日本には友好的ではないし、アメリカもこれまでの軍事同盟ではなくなりつつあるようだ。それは、これまでもわかっていたことだ。韓国は、豹変するだろうか。台湾も変わるかもしれない。孤独な日本民族にならないようにしなければならない。 ・平和憲法を盾にしてきたのがこれまでの政府であったが、それをかなぐり捨てようというのだろうか。アメリカの核のカサも、空論でしかない。エコノミック・アニマルといわれた時代があったが、必ずしも誉め言葉ではない。優秀な人材が軍部から、企業に移ったからでもある。そして金融資本主義も、甘ちゃんの政治家を産んだのだ。 ・へ2・・・官僚主義も弊害が増大している。だら幹部の国家機構でしかない。言い逃れが旨いだけの官僚たちだ。忖度をして出世しているようでは、国は滅ぶ。自衛隊も国を守る気概があるだろうか。誰もそれを証明できない。実戦力はやってみないとわからないのだ。平和な73年が過ぎたが、それは何を意味するだろうか。皇室外交で、外交関係があるわけではない。
2023.02.05
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たとえば、メスのダニは交尾を終えると適当な灌木の枝先に登り、その下を通る小動物を待つという。ダニには目も耳もない。ただ彼は一つだけ哺乳動物の出す「酪酸の匂い」だけは知っていて敏感に嗅ぎ分けることができるのだ。運が良ければ小動物が近付くと枝から落ちて動物の皮膚に密着し血を吸うのだ。そして血を吸い終わると地面に落ち、産卵して死ぬ。 <酪酸菌は皆さんもご存知のビフィズス菌、乳酸菌の発育を助ける働きをもっています。 酪酸菌はヒトや動物にとって必要な有機酸を作ります。> ・へ2・・・この話は、有名な事例なので何度も聴いていることだろう。そしていつも感動する。生命な不思議なパワーを感じるからだろう。メスのダニにとって、この世界の他の一切のものは捨象され、酪酸の匂いだけが重要であり、現実なのである。 ・ダニばかりではない。すべての生物は、トンボもハエもイヌも特殊な知覚器官と作用器官を持ち、甚だ抽象的な世界に生きているとユクスキュルはいう。彼は植物については言及していないが、植物も同じような抽象的な世界に生きているのであろう。つまりすべての動植物はそれ独自の歪んだ世界をもっていることを理解すれば、私たちを取り巻く環世界の驚異に満ちた、実に豊かな世界であることがわかるとユクスキュルはいう。 ・へ2・・・考えてみれば、人間の中にも特殊な能力を持った人がいるのではないか。カネを儲ける人の中にダニのような人がいるからだ。辛抱強く待ち続け酪酸の匂いにのみに敏感なダニのように獲物を見ると跳びかかるような人間がいる。そういうひとはダニ世界のみが現実の世界であると思っているのではないか。それはカネ以外のものが捨象されていることでもわかる。そういう社会に寄生した人物をよく<ダニのようだ>というのだろう。それしかできないとすれば人間という優れた能力を持ちながら、小動物と変わらない。
2023.02.05
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悲しみから怒りへのプロセスは、時として分断される。それは諦めであり、孤独へと導くだろう。孤独を脱出する術を知らないものは、時として、自ら不幸を選択しがちだ。会社員にとって孤立は、いつか孤独となり、落葉のように「枯葉」にされるだろう。いまも人間疎外は、深刻な問題だ。現代では、「ストレスに対抗できないものは早死にする」のだ。利己的な人間であるものほど、自滅しやすいのは、情報を得難くするからからでもある。孤立も同じだ。正しい情報とはなにか、どこから時代の風が吹いているか、無関心では、生き残れない。孤独であることを怖がるのではなく、寧ろ、孤独に耐えながら、価値ある情報を得ることを忘れないことではないか。内からだけではなく、外からも見ることを心がけるべきなのだ。企業現場は、大きく変わろうとしている。世代交代だけを意味しない。新しい価値観を持とうとしている。だから、いまの新興のリーダーたちが、これからいつまで続くかは分からない。明日いなくなるかも知れない。それこそ、華やかに騒がれた六本木ヒルズの住人たちが、都落ちする日も遠くはないのではないか。彼らは、操られた木偶人形に過ぎないからだ。それほど甘くはない社会だろう。数字だけで読める世の中でもない。それこそ外資の実力をかるくみてはならない。外資が日本にバブルをつくり、バブルで稼いだのだから。
2023.02.05
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ヒト・モノ・カネと情報が世界を支配している。庶民にはそれを動かすだけのパワーがない。国家権力も限られた人が社会的ステータスを以ってある期間だけ手にするだけだ。独裁者でない限りながく保持することができない。政権が崩壊する時悲劇が起きがちだ。権力は腐敗するという法則は現代にもある。自己責任で自分の身を守るしかないのが社会のルールでもある。今ある自分の周囲のツールを遣って自分のいのちを守れるかだ。これからのことと、これまでの事は違う。それは誰も同じだろう。本当は何と戦っているだろうか。それを知らねばならない。一番自分にとって大事な時何ができるだろうか。それが問題だ。
2023.02.05
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時は不可逆でしかない。それは自然と呼ばれるままに進んでいく。力のあるものが勝つとは限らないが、安全第一の選手が金で、困難に挑戦して負ける選手が常だ。何かにチャレンジするものはそのことだけで満足できる。地位を得たいものだけが、得ればよい。よいだけだ。寒いから一日も長く感じる。 ・ここまでくるのにどれだけのカネと時間がかかったのだろうか。経済力がなければできない世界だろう。スポーツでも経済力がなければ勝てないというのはこの世界の現実でもある。オリンピックは改めてそのことを思い知らされもする。 ・へ2・・・五輪のメダルもこれだけの時間と努力がなければ日本人のメダルは難しかったのだろう。総合力がなければ何事もできない。中国の台頭も韓国の金メダルも経済力が背景にある。勝つことだけが優先されるのは現実社会に通じてもいる。美しいショーでは済まない。勝つ者もいれば負けるものもいる。あっと終わるゲームでしかないが、それでも悲喜劇がある。人生のそれのようでもある。
2023.02.05
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和白干潟。アオサ。「神はサイコロ遊びをしない」。ある余りにも有名な理論物理学者が言ったことばだ。おそらく自然界の引き起こす事態そのものには合理的な因果関係がある。ところが、生命たちは、まるでサイコロ遊びをするように気儘に生きてもいる。まるで、自然界は恣意的なもののようだ。ニーチェはいう。「しかしわれわれは、われわれが本来あるところのものになりたいと思う、・・・新しい人間、一回的な人間、比較できない人間、自律的な人間、自己創造的な人間に、・・・そしてそのためにはわれわれは、この世におけるすべての法則的なもの、必然的なもののこよなき学び手・発見者とならなければならぬ。われわれは、この意味で創造者たりうるためには、物理学者でなければならない」 (氷山英広訳「悦ばしき知」)私たちは、何を学んできただろうか、と時々滅入ってしまう。そのまま動けなくなってしまうひとも多いに違いない。孫悟空のように岩に閉じこまれてしまうのだろうか。三蔵法師が通りかからなければ物語にもならなかった。三蔵法師は、実在のひとで、当時中国には、坊主修行のための律法がなく、それを天竺まで行き持ち帰ったのだ。誰もしないことをしたひとだ。そこにロマンがあるそれが下地となり、「西遊記」を生んだのだろう。聖書もひとりで書かれたものではない。多くのひとびとが残したものであろう。やがて、中には仇花もあるが、それでも、野には花が溢れている。
2023.02.05
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寝ることと食べることが脳を最大限に引き出す重要なポイントである。「サーカディアンリズム」と呼ばれる生体時計からの命令でリズムを刻んでいる。最低体温で目覚め、最高体温に達すると眠くなる。長年の習慣で生体時計のベースは昼間起きていて、夜寝るようにできている。いちばん目が覚めているのは午前10時から12時までくらいで、14時くらいには眠くもなる。交通事故等もこの時間帯に多いようだ。メラトニンは、覚醒14~16時間後に出てくるホルモンで睡眠に関連しており、抗酸化作用、リズム調整作用、性的成熟の抑制作用がある。老化を防ぐこと、抗がん作用があるとされ、眠気をもたらすはたらきがある。 ・高齢者で日中の受光量が増えると、夜間のメラトニン分泌が増えて、睡眠の質が改善したという研究があるようだ。メラトニンは目覚めて、14~16時間後に暗くならないと出てこないので、夜になっても明るくしておくと、すとんと分泌量が減るのだという。朝の光も重要な意味をもっている。朝の光の中にセロトニンのはたらきを高める作用があり、精神を安定させるという。セロトニンは、こころを穏やかにする神経伝達物質でもある。 ・へ2・・・夜遅くまで起きていることや、朝の光を浴びないことが、健康に良くないことくらいは一般的な常識だろうが、それが脳にどれだけの影響があり、やがてホルモンにダメージを与えて、それが<がん>を発症させるスイッチを入れることにもなる。どうしても、そういう生活をしなけれならない人がいるかも知れないが、これにも対抗策はあるに違いない。どうしたら、よりよい環境をつくれるのか、その努力を最低限はすべきなのだろう。自業自得では始まらないのではないだろうか、そう自戒をこめておもっている。岸田政権の内側が、暴かれてしまうのだろうか。それが日本の首相という権力の座にある人だから、自業自得だけでは済まなくなる。バカ親父の典型でもある。他人には冷たいが、身内に甘いのは、権力者の常でもあるが、限度を超えてはならない。口ばかりの人間では、政治は国民は迷惑する。東条英機は、首相を務めたが、人道に対する罪で、戦後極東裁判所で、絞首刑になった。国民はどう思ってのだろうか。総括はまだされてはいない。
2023.02.05
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その場になってみないと解からないことはいくつもある。学生になって解かることもあり、サラリーマンで苦労して悲哀も覚えた。こうしていると為って見ないと解からない方が多いのではないかとさえ思える。便増になったことのない総理が、国民のために何ができるのだろうか?疑問だ。親から援助して貰ってそれを知らなかった人だ。恩を仇に返すのではないだろうか。早く暇になり自分のしたいことばかりして暮らしたいと念願していたが、なってみると結構ばかりではない。だが、その中で生きていくしかないと解かった時、遊び心も生まれるのだろう。 ・親からは優しくして貰ったが、社会が悪いので、人間も捩じれている。正直そうにしていて、そうでもない。素直で良い子だと言われたことがないわけでもないが、余り利口には育たなかった。他人が言う反対のことを考える癖も付いている。他人が遊ぶ時に学び、他人が勉強しているときに遊びたいと思う。天邪鬼でもある。ひとは、何かに夢中になって忙しいと思う時が、その人の幸福な瞬間でもあるのだろう。余計なことを考えて自滅する人は多い。それこそ夢中に為れない人が多いのではなかろうか。 ・へ2・・・凡人には学問も一つの遊びでしかない。その遊びに夢中になっているから、幸福でもあるのだろう。そこから離れれば、この社会が厭になるに決まっている。陸に上がった魚のようになってしまうだろう。そこにあるべき人が、そこにいないで、そこにいるべきでないひとが社会のリーダーになっている気がしてならない。皮肉な社会だ。
2023.02.04
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グランドキャニオンの朝日観光。報酬系でドーパミンが大量に分泌されると快感を惹起する。だが神経伝達物質が流れている間しか続かない。それは、強い恐怖や、怒り、悲しみが入らない時だ。これらが入ると、快感があっても忽ち減少する。躁病は活発になり過ぎだし、鬱病は停滞する。鬱病は、かっては、生きのこりに必要な価値があっただろう。エネルギーの節約と過剰な対立とリスクを回避させた。そして、現代では、不要であればいつか消滅するだろう。加齢などで、ドーパミンの分泌が少なくなれば幸福感も薄らいでくる。然し、感覚的、性的な興奮だけではない、愛するものをみつけても脳内ドーパミンは分泌するのだ。幸福感は、左脳の活動が深く関係していると言われる。感情も化学物質が関与しているとすれば、その条件をつくるのは、わたしたちであり、わたしたち自身の努力でコントロールされるだろう。
2023.02.04
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博多百合。DVDタイトル「死ぬまでしたい10のこと」 "My life without me."イザベラ・コへット監督。主演は、サラ・ポーリー。思ったけど、若い女性が、死に直面してしたいことがどれほどあるものなのだろう。そして、何ができるか。 良い映画だった。しっとり鑑賞できた。結局身の回りのことしかできないし、娘たちの成長に立ち会うことのできない寂しさは喩えようのない悲しみになる。それでも受け入れなければならない。のこさないで消えることは、死んでいくものの大きな役割でもある。全部を描かなくても、観る者が理解できるかだろう。 そういう意味では、西欧の映画の優れたところは、そのシャープな切り口にある。ただいいたいことだけを書いている小説とは、相当文化の質が違うだろう。主人公のアンは、未練がましい死ぬまでしたい・・・のではない。ちゃんと死後のことを思い遣っているではないか。日本語のタイトルと映画の伝えたい意味は、全く違うだろう。 優れた作家は、べらべらと言いたいことをいうのではない。むしろ文脈を通じて語るものだし、映画の質も、画面に出てこない切り取ったシーンこそが、生きてこなければならない。そういう意味では、憔悴した主人公のシーンがカットされていたのが、いい。 観客に媚びない映画こそが、良い映画の証明だと思う。
2023.02.04
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久能山東照宮。色々な小さな事件・事故や、大災害もある。その亡くなった犠牲者たちは、何も言うことができない。そして生き残った家族たちの癒されることのない心の傷の深さにことばもない。それこそテレビなどで偽善的な報道をみなければならないのはつらいものだ。ただ口裏を合わせるようにいうことばを黙って聞いている人は多いことだろう。 ・犯罪では、警察が恨みを晴らしてくれるのではない。ただ法治国家として法秩序を守ろうとしているだけで犠牲者やその家族のためではない。国家権力の銃口がどちらに向かうかは時代の流れでしかない。独裁体制で誰のために暴力装置あるか考えればわかることだ。文明の衝突があるかもしれない。 ・へ2・・・言論の自由か宗教の自由か、その視点が違えば結論も違うだろう。20数億と15億の文明の衝突が起きないとも限らない。第一次世界大戦から総力戦であり、すべてが炭素になるまで終わりのない戦争になりかねない。小さな悲しみを蔑ろにしていると大きな悲しみが待っていることを忘れてはならない。
2023.02.04
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まあ私たちのたいていは、その他大勢で暮らしており、またそれがいつもは居心地が悪いと言うのではない。適当に刺激もあるし、ハラハラ、ドキドキもありの、振ったり振られたりの恋もしないわけではなく、他人の悪口が気になったり、ひがんだり、ついに頑張るだけの仕事もしていないままで、子供たちから無視されるようになり、息が臭いとか、屁が臭いとか、言われなくてもよさそうな言葉まで言われ始めた。もう人生もお終いかもしれない。いいことはない。 ・仕事をしているふりをしている政治家やエリートたちが居座り、私たちの暮らしの時間が浪費されていく、阪神・淡路大震災から20年経過し、2011.3.11がもうすぐ4年になる。日本は良くなっているだろうか、素晴らしい日本になってはいない。こころの絆があるだろうか。会社員は、職場を離れたら体力のない木偶の坊でしかない。 ・へ2・・・笑ってごまかしても、田んぼの中の案山子のようにスズメたちからも馬鹿にされるだろう。赤信号皆で渡れば怖くないと思っていたが、どうやら間違いだ。大量殺人もありだ。どこでどんな目に遭うだろうか。ジェット機だって墜落もする。しかも訳が分からないまま。まあ、覚悟だけはしておくことだ。
2023.02.04
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