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9月も今日で終わりです。例年にない残暑の厳しい9月でした。仕事では、上期の締めの月となりますので、中間決算に向けての準備等に追われました。その他にもたくさんの案件があり、相変わらずバタバタと過ぎていきました。対応すべきことは確実に対応し、マルチタスクマネジメントで乗り切りました。課題には終わりなく続いていくものもあり、常にアップデートしながら進めていきました。私生活では、今月も会いたい人に会いに行きました。2つの同窓会関連、CFO関連、そして前職関連など、色々な方にお会いできました。人に会うと、色々と発見があり、色々と学べます。常に新たなことを体内に、脳内に取り入れ、前に進んでいくことが、心豊かな人生を歩める一つの要因になると思います。ランニング・マラソン関連では、シーズンインを目前に控えて、走り込みたいところでしたが、残暑や多忙もあって、思うように距離は積めませんでした。9月の走行距離は222.2kmと、狙ったような距離になりましたが、全くの偶然です。それでも、西武池袋線ランや横浜練習会など、変化に富んだランニングもできました。走るということは、本当に気持ち良く、生きていることを実感できるものです。10月になると、関東では本格的なマラソンシーズンになります。北海道の友人は、9月までがマラソンシーズンということですので、日本列島も広いなあと感じます。明日から10月となり、仕事は中間決算、そして下期のスタートです。今期も半分が終わり、残り6ヶ月です。そして、今年で言えば残り3ヶ月になりました。1日1日を悔いなく過ごして、充実の秋にしたいと思います。
2025年09月30日
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来年の東京マラソンには落選してしまいましたが、先日大阪マラソン当選の知らせが入ってきました。大阪マラソンは、初めての当選です。来年2月22日の日曜日に開催されます。大阪城公園をスタート・ゴールで、大阪市内の名所を走るコースです。過去、不思議と関西の大会には縁がありませんでした。大阪マラソンのみならず、京都マラソンや神戸マラソンなど、大規模な人気大会は数多くありますが、いずれも出場経験はありません。時期が重なる大会が多いというのも、要因だったと思います。11月のつくばマラソンは外せないので、どうしても大会を選ぶことになります。 まずこれで神戸マラソンは除外されます。そして、京都マラソンと大阪マラソンは、2月の開催になります。2月は大会が多く、複数エントリーをかけて、当選した大会に出場するパターンがほとんどです。今回も、東京マラソンにもし当選していたら、大阪マラソンと連戦になるところでした。これは避けたいところです。過去に、2週連続フルマラソンを走ったことがあります。その時は、2週目はやはりかなり苦しみました。こういったことから、これまで関西の大会にはエントリーもあまりしていませんでした。実は、大阪マラソンは初めてのエントリーでもありました。人気のある都市型大会なので、なかなか当選しないだろうと思っていました。そのため、抽選結果のお知らせが来るまで、この日が当選発表の日だということを忘れていました。とりあえず、ランネットのエントリーページを見ると、当選になっていました。意外でしたので、驚きました。すぐにエントリー代金を振り込んで、出走を確定させました。ランニング仲間にも過去、大阪マラソンを走ったことがある人が何人かいますので、連絡をしました。2月の最終週の3連休になりますので、ホテルも急いで探しました。とはいえ大阪ですのでホテルは多く、無事に適正な価格で予約できました。これで2月の大会が決まりました。残すは、3月のシーズン締めくくりの大会を選ぶのみです。大阪に向けて、調整を頑張りたいと思います。着々と決まってくると、楽しいものです。
2025年09月29日
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最後のシューズでの月例マラソンを終え、長年履いたアディゼロのボストン12は、その役目を終えてもらいました。adidasのシューズは昔から長く履いていたので、次のシューズを探しに行きました。スポーツ用品店で色々と探し、店員さんにも聞きながら検討しました。まだ薄底シューズの頃に履いていたタクミセンも勧められましたが、その当時はタクミセンでサブスリーを目指していた頃でした。さすがに、過去の経験から厚底になってもタクミセンは難しいなと思うことを伝えると、ボストン13を勧められました。サブ4ランナーには、ちょうど良いシューズだと勧められました。確かにボストン12を履いていましたので、その次の機種のボストン13は、違和感がありません。試し履きをしてみて、すぐに購入しました。ボストン12の最終レースまでは、履かずにしまっておきました。そして、遂にボストン13を試す日がやってきました。まずはジョグで様子を見て、感覚を確認しようと思い、軽く走り始めました。ボストン12の感覚と同様に、履き心地よくスムーズに足が出ます。初めてのランデビューの時は、あまり長い距離を走らずに様子を見るのがいつものパターンです。また、比較的走りやすい道を走りたいので、少し遠くなりますがスポーツ公園まで行きました。ここまで片道7kmぐらいありますが、感覚が良いので走ってきました。スポーツ公園は整備されていて走りやすく、1周1.7kmを2周走りました。足もスムーズに進むので、良い感覚だと実感しました。ついつい長く走ってしまいそうになったので、自重して戻ることにしました。帰りは上り基調になりますが、上りでも比較的問題なく走れます。やはり、履い慣れたシューズの後継なので、馴染んでいるように感じます。サブ4ペースよりは遅い5分46秒ペースで、トータル20kmの試走になりました。ジョグ+αで走ったつもりでしたが、途中は思いのほかペースが上がってしまったようです。このままの様子で馴染ませていければ、フルマラソン用に使えると思います。レース用にはこのボストン13と、NIKEのズームフライ6で臨めるよう、練習していきたいと思います。
2025年09月28日
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今日は久しぶりのランニング練習会です。夏頃に企画して、今日、実施できました。マラソンシーズンイン直前のこの時期に、色々な情報交換も兼ねて練習会をやりたいと思っていました。気候も秋の気配を少しずつ感じるようになり、気持ち良く走れそうです。朝8時半に、関内駅前のランステ集合です。「KGU Climing & Running Station supported by On」という、関東学院大学の関内キャンパス1階にあるランステです。オープンして日が浅いのか、とても清潔なランステです。完全キャッシュレスで、onと提携しているようで、シューズのレンタルなどもあります。今日は私も含めて4人です。コースは横浜らしいコースを10km強、走ります。スタートしてすぐ、横浜スタジアムがあります。プロ野球も大詰めで、ベイスターズを応援するファンが、朝早くから詰めかけています。そこからすぐに中華街です。まだ朝早いのでお店は開いていないので、一気に走り抜けます。中華街を抜けて、元町を右手に見ながら坂を上り、港の見える丘公園まで上ります。古き良き横浜らしい景色が広がっている公園で、少し小休止です。再び走り始め、来た道を下って元町商店街を走ります。こちらもまだお店は開いていませんので、そのまま走り抜けていきます。そして、山下公園に到着しました。ここからは片道5kmの公園内コースを走ります。土曜日の朝ということで、ランナーの姿も多く見られます。左手にマリンタワーを見ながら、右手側の大桟橋を上っていきます。大桟橋からは、横浜の港を囲む景色が一望できます。曇り空ですが、とても気持ち良いです。再び大桟橋を下り、赤レンガ倉庫を抜けて、ワールドポーターズなど、景色を堪能しながら楽しんで走ります。そして、公園内の5kmのコースはゴールです。ここからは一般道に出て、みなとみらい、桜木町、関内と、街の景色を見ながらのんびりと走りました。横浜らしい景色を堪能して、トータル13kmのランニング練習会でした。ランステに戻ってシャワーを浴びて、すぐ近くの日高屋で打ち上げです。最初は空いていましたが、あっという間に満席になるほどの賑わいでした。飲んで、食べて、マラソン談義を楽しみました。間もなく始まるマラソンシーズンに、皆が出場する大会の情報交換など、盛り上がりました。ひとしきり歓談して、お開きになりました。朝早かったので、解散してもまだ午後1時頃でした。久しぶりの横浜練習会でしたが、楽しく走ることができました。マラソンシーズンインとなりますので、また情報交換を兼ねて集まりたいと思います。
2025年09月27日
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半年間、楽しませていただいたNHKの朝ドラ「あんぱん」が最終回を迎えました。本当に素晴らしいドラマでした。何回かこのブログにも書きましたが、「あんぱん」はアンパンマンの作者やなせたかしさんをモデルにしたドラマです。やなせさんと、奥様の暢さんが、さまざまな苦難を乗り越えて、国民的人気キャラクターのアンパンマンを生み出すまでを描いています。物語は昭和2年からスタートしました。幼少時代から母親の再婚によって叔父夫妻に預けられるなど、辛い思いをしてこられたやなせさんの経験には、時代とは言えとても考えさせられました。そして、このドラマでは大きなポイントとなる戦争が起こります。この戦争で弟さんや多くの方を亡くし、ご自身もかろうじて生き残った様子がしっかりと描かれた2週間は、大きな反響がありました。戦後80年の年にふさわしく、戦争のことをしっかりと考えるきっかけになりました。私も、昭和史や太平洋戦争に関する本を、何冊か買って読みました。戦後はいくつかの職に就きながら、貧しいながらも漫画家として活動を始めます。ご自身よりも10歳ほど若い手塚治虫氏の才能に嫉妬するなど、人間らしい面もかなり描かれました。「手のひらを太陽に」の作詞や、「見上げてごらん夜の星を」の舞台美術など、やなせたかしさんは多方面に活躍されていたことも、今回初めて知りました。そして、アンパンマンが世に出てからヒットするまで、実に20年ほどの時間がかかっているのも、知りませんでした。アンパンマンのテレビアニメ放送が始まったのが1988年10月と知って、私が社会人になった年だと驚きました。確かに、私が子供の頃には全く印象になく、私が子育てをしている頃にモロに重なっていました。そういえば、長男が幼い頃、アンパンマンが大好きでした。どこに行くにもアンパンマンを持って出かけていました。日本中のおもちゃ屋さんにアンパンマンの玩具があり、日本中の本屋さんにアンパンマンの本があります。そのような国民的人気アニメを生み出したやなせたかしさんと、妻の暢さんの物語は、夫婦の絆と愛情を強く感じました。最終回は、尊いメッセージがありました。命はいつか終わるが、それは全てがなくなるのではなく、次の命に受け継がれていくもの、というメッセージでした。アンパンマンを生み出したのは、夫婦の愛の賜物だと思いました。大切なことを、このドラマから教わりました。半年間見ていたドラマが終わるのはとても寂しいですが、素晴らしいドラマを見ることができて、とても幸せな気分になりました。私ももう少し、妻に感謝の気持ちを表そうと思います。
2025年09月26日
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今日でこのブログがちょうど8周年となりました。いつもお読みいただき、ありがとうございます。毎年同じようなことを書きますが、2017年の9月25日にブログを書き始めました。長年お世話になった前の会社を退職して、今の会社に転職してから半年近く経った頃でした。「経理は地味だが役に立つ」というタイトルで、FC2ブログで書き始めました。今思うと、ずいぶん昔のことのように感じます。翌年の2018年10月に、この楽天ブログに引越しました。以前のFC2ブログはそのまま残っており、今でも閲覧することはできます。経理の仕事について、色々と思うところを綴り始めて8年経ちました。いつの間にか、経理の仕事よりもマラソン・ランニングが中心になってきましたが、今でも「経理の仕事とマラソン日記」というタイトルにしています。8年間、当たり前ですが色々なことがありました。年齢も重ねて、経験も重ねて、ある程度色々なことを身につけられたと思います。それでも、まだまだ未熟なことも多く、いつも反省する日々です。また、この8年の間に両親を見送り、お墓も引越し、実家も処分し、自分の長年過ごした過去は形としてはなくなりました。そのこと自体は、何とも思っていません。時間が経てばそんなものだと思います。その一方で、新しいものやことを手にして、またこれから先について考える機会が増えました。自分は何ができるのか、何をすべきなのか、哲学的なことを考えることが多くなりました。大学院で学んだビジョナリーの影響は、本当に大きかったと思います。ここで学んだことを、社会でどう生かすか、そのことをビジネスリーダーとしてよく考えるように、という恩師の言葉が今でも私の中に強く残っています。恐らく、一生考え続けることになるでしょう。それは素晴らしい悩みだと思います。ブログ自体は10年、20年と綴っている方々がたくさんいらっしゃいますので、まだまだ経験不足です。これからも、続けることの大切さを抱きながら、社会に良い影響を与えられる人間になるべく、努力していきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
2025年09月25日
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毎年春と秋は、テレビやラジオを番組改編の時期になります。この時期になると、ああそうだなあ、と思います。テレビはあまり見ませんが、NHKの連続テレビ小説、いわゆる朝ドラの新シリーズは、毎回色々な感情を抱きます。これまで放送されてきた「あんぱん」が終わり、次作「ばけばけ」が始まります。「あんぱん」はこのブログでも何回か書きましたが、近年稀に見る名作だったと思います。昭和100年、戦後80年にふさわしい、素晴らしいドラマでした。ネット上でも、「あんぱん」ロスが確定、などという書き込みが多く見られます。終わるのが惜しいドラマは、本当に久しぶりだと感じます。次作は「怪談」の小泉八雲夫妻がモデルです。久しぶりの外国人の方のドラマになりますので、まずは見てみたいと思います。テレビはこれぐらいですが、大きな変化を感じるのはラジオです。いつもこの時期は、ナイター中継が終わり、シーズンオフ向けの番組に改編される時期になります。野球ファンとしては、毎年のことですが、これはとても寂しいものです。それまで約半年間、当たり前のように野球放送があったのが終わるので、季節の変わり目と同時に寂しく感じます。まだプロ野球は10月も続きますが、通常放送が9月末あたりで終わり、ポストシーズンになると試合も少なくなります。日本シリーズが終わると野球のない時期が続き、寒くなり、シーズンオフのラジオはほぼ聴かなくなります。大昔に営業をやっていた頃は、車に乗っていましたので、カーラジオをいつも聴いていました。その時は、シーズンオフも流れで必ずラジオは聴いていました。毎年同じことではありますが、この時期になると季節の変化を実感します。残り少ないプロ野球を楽しみたいと思います。
2025年09月24日
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今年の夏も記録的な暑さになり、秋になってもその暑さが続いていました。その暑さにも、ようやく終わりが見えてきました。朝夕はだいぶ涼しくなってきました。そのため、季節がようやく進んできたと感じるようになりました。日の出が遅くなってきました。大体5時半頃が日の出の時間になり、朝ランの時は日によっては暗い時があります。これまではそのようなことはありませんでしたので、このあたりからも季節の変わり目を感じます。このような日々が、来年の春まで続くことになります。東京の最高気温は、昨日は30℃に届きませんでした。最高気温が真夏日にならなかったのは、100数日振りのようです。3ヶ月以上も最高気温が30℃を超えていたのかと思うと、本当に厳しい夏であり、残暑が秋までずっと続いていたことを再認識します。そう言えば、確定した梅雨明けの日は6月28日頃となっており、速報の日より20日早くなっています。このあたりも、最近の気候が異常気象になっていることを物語っていると思います。予測や予報が難しくなっているように思います。それでも、だいぶ季節が進んで秋らしくなってきました。仕事に行く時も、上着を着て行く日も増えてきました。そして、10月になればまた第2四半期です。中間決算になりますので、また忙しい日々が始まります。このような季節になると、いよいよマラソンシーズン到来です。10月はまだまだ暑い日もあり、レースはタフになるでしょうが、それでも楽しみです。今年のシーズン初戦は10月26日と、かなり遅い初戦となります。この秋も、ランニングを楽しんでいきたいと思います。
2025年09月23日
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仕事の上で、色々な企業の方と商談をします。どちらかと言うと、私が買い手になることが多いです。社会人になってから、若い頃から中堅社員の時期まで、14年間は営業をやっていました。私の社会人の原点は、売り手としての仕事です。今は立場も仕事も会社も変わりましたが、売り手と買い手の両方を経験していますので、お互いの立場は理解しているつもりです。売り手側はなんとかして売り込みたい、買い手側は良ければ買いたい、というのが基本的な考えになります。つまり、まずここに双方のギャップがあります。そのため、商談では交渉の中で一致点を探っていきます。近江商人の三方よしの考え方が、今でも商売の基本だと思っています。売り手よし、買い手よし、世間よし、の考え方は、時代が変わっても不変だと思います。これが崩れると、噛み合わなくなります。先日の商談で、そのようなことがありました。既存の取引先のサービスを利用しています。その取引先から、別のサービスの提案を受けました。私の会社の現状では、過去と比べて状況も変化したので、提案いただいたサービスは、現時点では優先順位は低い、というのがわかっていました。そのため、できるだけ丁重にその旨を伝えました。しかし、先方はあの手この手で採用の検討を迫ってきます。色々な説明をしてくれるのですが、聞いている私としては、当社の現在のニーズにマッチしない、という考えが払拭できません。そんな噛み合わない商談は時間だけが過ぎ、いい加減疲れてきました。同じような説明の繰り返しで、平行線のままでした。仕方なく、部下である現場のマネージャー達にニーズを聞いてみるので、また結果を連絡する、と伝えました。ようやくこれで、商談は終わりました。先方としては、ゼロ回答では困るということでしょうから、とりあえず格好だけはつけた形にしました。ですが、正直なところ、部下に聞いても答えは同じだと思います。そのことは、私が一番わかっています。売り手の立場を主張するだけだと、買い手の立場をあまり考えずに押し売りしているように感じます。私も若い頃はそういう商談もしていたと思うので、一概に否定するものではありません。ですが、このパターンでは私は良い印象のないまま終わり、その後も継続すると思います。
2025年09月22日
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また今日も月例マラソンの日がやってきました。ここ数日、少しだけ秋らしい気候になり、気持ち良く走れそうです。今日の月例マラソンは、アディゼロのボストン12で臨みます。先月の北海道マラソンでこのシューズは最後にするつもりでしたが、もう一度履いて最後を飾りたいと思います。フルマラソン用のシューズにしては珍しく、長い間履きました。函館マラソンや北海道マラソンなど、多くのレースで活躍してくれました。だいぶすり減って、サイドも破れそうになったので、シューズとしては寿命です。その最後のレースは、やはり月例マラソンにしました。今日も1kmから参戦します。マラソンシーズンを前に、現在の状態を確認することが、今日のテーマです。少しだけ涼しくなってきたせいか、今日も参加者が多いです。まずは1kmです。いつもそうですが、ペースを抑え目に走るつもりが、どうしても少し上がってしまいます。4分30秒と、全く抑えたペースにはなりませんでした。次の3kmは、4分45秒ペースで行きます。少しずつ日差しを浴びて、暑くなってきました。3kmは土手の上の好きなコースです。終盤に少年少女と競ってしまうという走りになり、想定よりもペースは上がってしまいました。結果は13分56秒で、4分38秒ペースでした。少し速かったです。次は5kmです。夏場は5kmと10kmは3kmに変更になる回ばかりでしたので、久しぶりの5kmです。このあたりになると疲れもたまってきて、さらに日差しが強くなって暑くなります。ここも目標ペースは4分45秒とします。久しぶりの土手の下は、草木が伸びています。すれ違いなど走りにくいので、接触に気をつけて、集中して走ります。しかし、ややマナー違反のランナーや、暴走自転車などもいるため、調子が狂います。そのため、後半は無理をせず走りました。結果は24分26秒で、4時53秒ペースでした。まあ、こんなもんでしょう。そして、最後の10kmは暑さの影響で5kmに変更になりました。予想通りの展開です。ボストン12の最後のレースなので、頑張っていきます。暑くなって厳しい走りになりましたが、最後ということで力が入ります。最後までペースは落ちず、最後の1kmはサブ3ペースでした。「あと1km、一緒に頑張ろう!」とシューズに話しかけ、疾走しました。結果は23分8秒で、4分37秒ペースでした。かなり頑張れました。約1年半、レースで頑張ってくれたシューズは、これが最後のレースになりました。長い間ありがとうございました。そして、今月も月例マラソンを開催していただき、ありがとうございました。来月からはマラソンシーズンになりますので、また引き続きよろしくお願いいたします。
2025年09月21日
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昨日は、東京マラソンの抽選結果発表の日でした。残念ながら、今年は落選でした。東京マラソンは、過去3回走ったことがあります2019年に初めて走った時は、雨で寒さの中での苦しい走りでした。この時は、大迫傑選手が唯一の途中棄権になったレースでした。私も雨で身体が冷え、終盤は右膝に痛みが出て、本当に苦しんだレースでした。2回目は2023年です。本来、2020年の東京マラソンに当選していましたが、コロナの影響で走れなくなりました。2020年大会はエリートランナーのみでの開催になりました。その後、権利を振り替える年度をいつにするか、ということになり、2023年に走りました。この時は走りやすい気候でしたが、コロナ禍での大会参加にブランクもあり、やはり苦しいレースになりました。ゴールした後はしばらく立ち上がれないほど、厳しい走りになりました。そして3回目は今年、2025年でした。この時は直前から体調不良が続き、レース前日には右膝に強い痛みを感じていました。アスリートビブスの引き換えもそこそこに、膝の治療に行こうとしました。しかし、いつも行っている整形外科が予約が取れず、テーピングでぐるぐる巻きにして、さらにサポーターでガードしました。そんな状態で走りましたが、1km過ぎで後方から来たランナーに接触され、転倒するというアクシデントに見舞われました。これでもかと降りかかる苦難を超え、何とかサブ4で完走できました。このように、東京マラソンはいつも苦しんでいるイメージしかありません。今度こそ、ベストの走りがしたいと思っておりましたが、やはり激しい競争には敗れました。今年はレースの前に一人東京マラソンでもしようかと思います。当選されて走る皆様のご健闘をお祈りしています。
2025年09月20日
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先日、一緒に前職時代に上海現地法人を立ち上げた先輩方と、久しぶりに再会しました。数年振りの再会になります。今年のテーマの一つである、「会いたい人に会いに行く」を実現させるために、お声掛けしました。お2人の先輩の予定を聞いて、新横浜で設定しました。この先輩方は、いずれも私より10歳ほど年上の先輩です。このメンバーに、あと数人の社内外のメンバーで、上海現地法人の立ち上げに奔走しました。当時は初めての海外事業の経験でしたので、全てが手探りでした。それでも、活気のある上海での仕事は、とても素晴らしい経験になりました。あの現地法人の立ち上げから、今年でちょうど20年になります。そのタイミングで、久しぶりに集まれることになりました。仕事を終えてから、会場である中国料理店に向かいます。やはりこのメンバーで集まるのであれば、中華しかありません。お店に入ると、懐かしい顔がありました。久しぶりに3人で集まり、乾杯しました。その後は、やはり近況報告です。先輩方はもう会社勤めはしていませんが、マイペースで働きながら、それぞれの楽しいことをエンジョイされているようです。また、孫の話は色々と聞きました。私には孫がいませんが、話を聞いていても孫は可愛いのだろうなと実感します。それから昔話から最近の話題など、中国に関する話題もはずみます。お一人が近々、上海に旅行に行かれるということで、またお話しを聞きたいです。久しぶりに会いましたので、話ははずみました。気がつくと3時間近く経っていました。あれから20年、月日の経つのは早いものです。またその当時のことを思い出して、もう一度初心に戻って頑張りたいと思います。そしてまた、いつか上海に行きたいです。
2025年09月19日
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会社のビルの1階にコンビニが入っていましたが、先日閉店してしまいました。重宝していたので、とても残念です。コンビニは生活インフラとして、欠かせないものとなりました。家の近くにも、会社の近くにも、ほぼ徒歩圏内に必ず何店舗も存在しています。特に、会社のビルの下は最高のロケーションですので、毎日のように行っていました。昼時となると、レジはかなり並んでいました。買うものは決まっていて、大抵は飲み物と軽食です。水やお茶、コーヒー、そしてのど飴などをよく買います。昼になると、パンを買うことが多かったです。比較的、お昼はコンビニ弁当というよりは、外食の機会の方が多いパターンでした。時間的に忙しくて、お昼を食べる充分な時間が取れない時は、パンで済ませることが多かったです。パンも大半がPBとなりましたが、どれも美味しくて満足しています。ある日、いつものようにこのコンビニに行くと、品揃えが極端に少なくなっていました。そして、よく見ると「◯月◯日をもって閉店します」という貼り紙がありました。ほぼ毎日通っていたお店がなくなるのは、生活のリズムにも影響します。閉店日は日曜日でしたので、その前の平日の買い物が最後になりました。閉店後に行ってみると、当然ですがお店の影も形もない状態でした。外装もなくなり、ここがコンビニだったとわかるものは、何もありませんでした。その日のお昼は、少し離れた場所にあるコンビニに行きました。会社に帰ってエレベーターで乗り合わせた方と、「コンビニがなくなって不便ですね」という会話になりました。残念ですが、長い間お世話になり、ありがとうございました。あのお店の店員さん達は、どうなったのでしょうか。空いた場所には、また居抜きでコンビニが入るのでしょうか。当分は、少し離れたコンビニに行くことになるでしょう。
2025年09月18日
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今年の夏もとても暑い日が続きました。9月になっても残暑が厳しい日が続き、秋はいつ訪れるのか、といった感じです。しかしながら、今年の夏は私の体質に変化を感じました。暑いのは間違いないのですが、冷房に弱くなりました。寝る時は、冷房をつけたまま寝ています。これまでは全く問題なかったのですが、今年は寒さで夜中に起きることがありました。そのため、いつも布団を掛けて寝ています。去年までは、夏はほぼ布団を掛けずに寝ており、それでも暑く感じていました。また、通勤時の電車の中では、冷房で寒く感じることが増えました。短時間では特に感じませんが、長い時間乗っていると寒くなることがあります。そのため、長い区間や長い時間電車に乗る時は、弱冷房車を選んで乗るようになりました。これでちょうど良い感じです。会社の冷房も寒く感じる時があります。そのため、夏でも薄手の上着が手放せなくなりました。飛行機に乗る時などは、さらに顕著です。上空は特に寒いので、真夏にTシャツ1枚で飛行機に乗って、とても後悔したこともありました。かつて、暑がりの先輩が真夏の上海でも、必ず上着を持っていました。上海の店舗は冷房の効きが強く、寒くなることがあるため上着を持っている、と言われていました。当時はあれほどの暑がりの方が、と思っていましたが、今になると納得がいきます。私も年齢を重ねて、体質が変わってしまったのかと思います。いずれにしても、あまり強すぎる冷房は身体に良くないので、熱中症にならないよう、適度に調節して過ごしたいと思います。日本の暑さは昔とだいぶ違いますので、気をつけなければなりません。今日も暑かったです。早く秋が訪れてほしいものです。
2025年09月17日
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昨日は敬老の日でした。日本は過去より高齢者社会化の進行が著しいですが、その傾向は続いています。総務省の昨日の発表では、高齢者の推計人口は3,619万人で、前年よりは約5万人減少しました。2023年に初めて減少して以来、2年振りに減少しています。65歳以上でお亡くなりになった方が、新たに65歳を迎えた方を上回りました。しかし、総人口に占める割合は、0.1ポイント上昇しました。29.4%となり、過去最高となっています。30%に迫る実績になりました。男女別では男性が26.2%、女性が32.4%と、女性は女性全体の約3分の1が65歳以上になっています。ずいぶん、高齢者の割合が高くなったと感じます。この影響で、労働者人口に占める65歳以上の方の割合も、過去最高になっています。現在では、労働者の7人に1人が65歳以上になっているようです。将来の推計でも、この傾向には歯止めがかかりません。2040年には、総人口の34.8%が65歳以上になる見通しです。こうなると、3人に1人が65歳以上という計算になります。労働者人口も、同様に高齢化が進みます。私が高校生の頃、母が50歳を迎えました。その当時は、50歳なんてなかりの歳だなあ、と思ったものです。そんな時代から、今や私はそんな母の年齢を遥かに超えました。母は85歳まで生き、父も83歳まで生きました。今、明治生まれの方は、確認できる方で5人いらっしゃるようです。そう言えば、私の祖父母は明治生まれでした。私もいずれ高齢者になりますが、できるだけ元気で、社会に貢献できるようにしたいと思います。そのためには、何よりも健康に気をつけて過ごしたいと思います。
2025年09月16日
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西武池袋線ランの第2回目を走ります。前回のフィニッシュの大泉学園からスタートします。私の実家は、東久留米にありました。そのため、この先は故郷の付近を走ることになります。色々なことを思い出しながら、走ることになると思います。まずは大泉学園をスタートし、次の保谷を目指します。保谷市は今は隣の田無市と合併して、西東京市となっていますが、駅は保谷のまま健在です。走っていく途中、父が一時期入院していた病院がありました。そして、介護をしていた頃に車で通っていた道も、偶然ですが再発見しました。そんな予想外の出来事を経て、保谷に到着です。保谷の次はひばりヶ丘です。思いのほか、ここの駅間距離が長いことに気付きました。駅が近くなってくるのですが、なかなか到着できませんでした。ひばりヶ丘は、私が産まれた病院のある駅です。駅前から狭い道の商店街が続き、その右手側に病院がありました。しかし、もうすでに病院はなく、昔訪れたレコード店などもなくなっていました。その一方で、駅の反対側にある西友は健在でした。この西友は、西武ライオンズが優勝するとセールをやっていたので、高校生の頃はよく来ました。当時のパ・リーグは前期・後期の二シーズン制でしたので、セールの機会も多くありました。ひばりヶ丘の次が、故郷の最寄駅である東久留米です。駅に向かう途中に、私が通っていた幼稚園があった筈なので、地図で検索すると、何とまだ健在でした。そのため、走って探しにいくと見つかりました。半世紀以上前に通っていた幼稚園ですが、まだまだ頑張っているようで、嬉しくなりました。幼稚園の卒園アルバムを見ても、記憶は全くありませんが、訪れてみると、感じるものがあります。やはり、本能的なものなのでしょうか。東久留米駅は、昔の面影は全くなくなりました。昔は小さい出口が1ヶ所だけでしたが、現在では大きな出口が2ヶ所あり、駅前にはロータリーもあります。もう、ここに住んでいたのは40年ぐらい前ですので、変わって当然です。それでも、展示されている昔の駅の様子の写真を見ると、私が利用していた頃そのままですので、とても懐かしく思います。そして、その隣の清瀬までが、深く馴染みのある駅です。ひばりヶ丘から清瀬あたりまでは、高校生の頃まで、自転車で遊びに行っていました。清瀬は、母の入っていた施設や病院もあり、比較的最近まで訪れていました。それでも、駅に来るのは久しぶりです。歌手の中森明菜さんの出身地ということは、高校生の頃から有名でした。今回は、ここ清瀬で終了します。久しぶりに懐かしいエリアを走りました。次回もまた楽しみたいと思います。
2025年09月15日
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日本三大湖マラソン、という連携が決定したそうです。先日、RUNNETのニュースで初めて知りました。それによると、国内の湖で面積1位の琵琶湖で開催される「びわ湖マラソン」、2位霞ヶ浦(茨城)の「かすみがうらマラソン兼国際ブラインドマラソン」、3位サロマ湖(北海道)の「サロマ湖100kmウルトラマラソン」が「日本3大湖マラソン」と称し、連携協定を締結したそうです。7月31日に滋賀県で調印式が行われました。このコラボは、びわ湖マラソンの提案で実現しました。「チャレンジ×環境×地域活性化」をコンセプトとし、3大会が連携して取り組むことで、マラソン大会の新たな価値の創造を目指します。連携は、2026年3月のびわ湖マラソンからスタートします。3つの大会を完走したランナーへは、特別メダルの授与など、特典を企画しているそうです。びわ湖マラソンは、2023年から始まりました。前身となる大会は、びわ湖毎日マラソンです。オリンピックなどの国際大会の代表選考レースにもなっており、最後の開催となった2021年2月には、富士通の鈴木健吾選手が2時間4分56秒の日本新記録で優勝しました。この時のレースは好記録がバンバン出たレースとなり、私も「最後のびわ湖で日本新記録」という記事を書きました。琵琶湖のえび煎餅 27枚入【名誉総裁賞受賞】えび せんべい 煎餅 米 琵琶湖 滋賀 えびせん お土産 滋賀宝 えびせんべい 個包装 ギフト 近江米 すじえび 煎餅 母の日 父の日 御歳暮 内祝 お礼 ※ 訳あり 送料無料 ミックスこの大会を最後に単独開催は終了し、翌2022年は大阪マラソンとの統合大会として開催されました。2023年からは大阪マラソンの単独大会となり、びわ湖毎日マラソンは完全に終了しました。しかし、その後継大会として2023年からびわ湖マラソンが開催されるようになりました。滋賀県を走ったことはないので、いつか走ってみたいと思っていた大会でした。かすみがうらマラソンは、毎年4月に開催される大会です。この時期は仕事が忙しく、また彩湖ウルトラマラソンを走る時期ですので、これまで走ったことはありませんでした。せっかくの機会なので、是非一度走ってみたいと思います。茨城県のマラソン大会は人気のある大会が多いので、期待したいです。サロマ湖100kmは、来年以降も走りたいと思います。ウルトラ仲間からは、サロマンブルー(サロマ湖100kmを10回完走すること)を目指せと言われていますが、それはともかく、サロマは是非走り続けたいと思っています。新たな取り組みが始まることで、また新たなニーズが喚起できると思います。お互いに盛り上げていくのは、とても良いと思います。
2025年09月14日
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小田急線ランを走り終えてから、新たな鉄道路線ランにどこを走るか、ずっと考えていました。先日、同級生たちと母校を訪問したのをきっかけに、故郷である西武池袋線沿線を走ろうと思うまでには、大した時間はかかりませんでした。西武線も色々な路線がありますが、池袋線は正に私が幼少期からずっと乗っていた路線です。今はなくなってしまった実家も、西武池袋線の沿線にありました。中学生の頃から池袋でよく遊びました。その池袋からスタートします。西武線の池袋駅をスタートしましたが、次の椎名町までは、少し路線を外れて走ることになります。そのため、当時はあまり馴染みのなかった道路を走り、椎名町に到着しました。駅に着いて、ここはトキワ荘のあった街だと気付きました。私が池袋で遊んでいた頃にはまだ健在だったはずですが、不思議と意識したことはありませんでした。せっかくなので、次の東長崎へ向かう途中、少しコースを外してトキワ荘ミュージアムに立ち寄りました。かつての雰囲気をうまく再現しており、昔はこのようなアパートがたくさんあったなあ、と思いながら後にします。東長崎の次は江古田です。ここは日大芸術学部のある街です。駅名は「えこだ」と読みますが、近くの大江戸線の新江古田駅は「しんえごた」と読むそうです。私は昔から「えこだ」で馴染んでいるので、「えごた」とはとても変な感じがします。次の桜台はあっという間に到着し、その次の練馬に着くと、こんなに大きい駅だったのかと、意外な感じがします。昔の記憶は、曖昧になっています。練馬まで来たので、寄り道をして西武豊島線の豊島園駅まで行くこととします。逆方向には西武有楽町線の新桜台駅などもありますが、私が利用していた頃は、まだ走っていませんでした。西武池袋線街と駅の1世紀 懐かしい沿線写真で訪ねる [ 矢嶋秀一 ]豊島園は、小学校の頃から同級生と遊びに行っていました。今は閉園して、ハリー・ポッターの施設になっており、昔の豊島園を思い出させてくれる遺構が、少しだけ展示されています。次の中村橋、その次の富士見台と、快調に走り抜けます。考えてみると、このあたりの駅は当時、ほとんどが急行や準急は通過駅でしたので、あまり駅周辺の記憶がないのだと思います。富士見台の次は、私の住んでいた頃にはなかった、練馬高野台駅を目指します。この新駅は西武線では最も新しく、1994年に開業したそうです。それでも、この西武池袋線の沿線の特徴かもしれませんが、昔からの団地やアパートがまだ多く存在しています。恐らく、都心のベッドタウンとして、多くの団地が建設されたのでしょうか。練馬高野台の次が石神井公園です。さすがに急行停車駅ですので、駅前もとても発展しています。ここまでが、練馬以外はどちらかというと、山手の下町のような雰囲気でしたので、街の様相が変化しているように感じます。こういうことを実感できるのが、鉄道路線ランの良いところです。予定では、この石神井公園で終えるはずでしたが、まだ13kmほどしか走っていないので、次の大泉学園まで行くこととします。石神井公園と大泉学園間は少し長いので、ちょうど良いです。大泉学園もアニメの街です。中学生の頃に、たまに切手屋さんに買い物に来ていましたが、もちろん今はどこにあるのかもわからないほど、街は変化していました。今日はここでゴールです。15.2kmの西武池袋線ランでした。次回は大泉学園から、私の実家のあった東久留米、清瀬あたりを散策したいと思います。小さい頃、母親に連れられて池袋の西武デパートに行き、レストランで食事をしたことを、懐かしく思い出した、久しぶりの西武池袋線沿線でした。
2025年09月13日
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今日は取締役会の日です。金曜日に開催されることが多いので、週の終わりまで緊張感が続きます。昨日は激しい雷雨となり、電車が止まってしまうなど、各地に影響が出ました。私も帰宅時に電車が止まり、難儀しながら帰宅しました。昨夜も雷が鳴って、寝つきが悪い夜でした。今朝起きる時も、疲れが抜けていないようでした。朝ランに出る時は、まだ若干薄暗い感じです。天気の影響で少し涼しくなり、ほんの少しだけ季節が進んでいることを実感します。不思議と、金曜日の出社時は電車が気持ち空いているように感じることが多いです。3連休前ということもあるのでしょうか。取締役会は11時からですので、少し早めに会議室に行きます。説明資料の読み込みなど、準備は万端です。いつものことながら、どんな議案でも丁寧に、聞く方が理解しやすいように説明することを心掛けます。経理の案件は専門的な内容や、一般的でないこともありますので、この点は気をつけて説明します。それでも、今の会社に勤めて8年半、経理の仕事に就いたのが23年半前、と考えると、このようなキャリアも長くなりました。昨日ブログに書いた「自宅駐在」は、経理へ異動する前年のことですので、それなりに長い経験を積んでいると実感します。無事に承認していただき、安心して会議室を出ます。この瞬間が一番ほっとするのですが、今月はこの後に別の会議があり、その場でも承認を得る必要があります。そのため、緊張感を継続して、もう一つの会議も無事に終えました。昨日も会議での発表がありましたので、毎月ここまで終えると、ほぼ定例会議での説明は終了になります。やっと今月もイベントは落ち着きました。明日から三連休なので、少しリフレッシュしたいと思います。
2025年09月12日
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コロナ禍以降、在宅勤務という働き方がすっかり定着しました。一部の企業ではまた完全出社に戻るような動きもありますが、私の会社では在宅勤務を行う前提で、オフィススペースなども縮小されています。在宅勤務が本格的に始まったのは、コロナ禍の2020年でしたが、ふと思い返してみると、そのずっと前に自宅駐在という働き方をしたことを思い出しました。まだ前職で営業をやっていた2001年のことです。この当時は、静岡県を担当していました。静岡県は名古屋支店の管轄でしたが、当時は静岡県に営業所や出張所がなく、営業マンはそれぞれ自宅駐在で仕事をしていました。得意先からの注文や電話は、名古屋支店につながるようになっていました。それでも、仕事用の携帯電話の番号が名刺に入っていたので、多くの取引先からは直接携帯に電話がかかってくるような状態でした。自宅は借上住宅で、会社負担でFAX用の回線が設置され、FAX電話を使って連絡をしていました。メールはまだ社外とつながらないような時代だったと記憶しており、社外との通信手段は電話とFAXでした。木製 ドアノブプレート ビジネスタイプ 自宅で仕事 テレワーク 吊り下げドアプレート リモートワーク中 仕事中 会議中 面接中 打ち合わせ中 清掃中 立入禁止(STAFF ONLY)メンテナンス中ドアノブに引っ掛けるプレート仕事柄、製品サンプルやカタログなど、ほぼ毎日のように荷物が自宅に届いていました。また、同じようにほぼ毎日、宅急便を発送しており、近所のヤマト運輸の方とは顔馴染みになりました。3階建のマンションでしたが、エレベーターがなかったため、段ボールの荷物を持って階段での上り下りはとても大変でした。重い荷物は1箱20kgもあり、難儀しました。仕事用の部屋は、当時小学生だった長男の部屋と共同でした。私がデスクワークをしている横で、息子が学校の宿題をやっているなどという光景も、よくありました。会社に行くのは月1回の会議ぐらいで、ほぼ1人で自宅で仕事をするのは、当時はなかなか大変でした。会社と自宅、仕事とプライベートが混在しているようで、なかなか落ち着かない日々でした。その翌年に本社に異動になったので、この生活は1年で終わりました。今振り返ってみると、時代の先端を経験したのかなと思いますが、当時は大変でした。今となっては良い思い出です。
2025年09月11日
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アメリカのApple社が、iPhone17のリリースを発表しました。現地時間9月9日、日本時間は正に今日です。デザインを大幅に刷新して、いわゆる無印モデルになりました。カラーはブラック、ホワイト、ミストブルー、セージ、ラベンダーの5種類です。日本向けモデルではSIMカードスロットを設けないということで、eSIMオンリーになるようです。スペックも向上しているようです。価格はストレージ256GBモデルが12万9,800円、512GBモデルが16万4,800円となります。明後日の9月12日(日本時間)に予約を開始します。いつもスマホを使っていて思うのですが、昔のことを考えると、本当に便利になったと実感します。昔は、会社のメールを確認するためだけに、帰社して会社のパソコンをチェックしなければなりませんでした。出張で数日間不在にしている時などは、メールに不在アシスタントを設定していました。自動応答で、「◯月◯日に出社します」などというメッセージを送っていたものです。こんな時は、久しぶりに出社すると、メールがたまっていたものです。その対応だけで、かなりの時間を費やしました。かつては出勤の電車の中で、神の新聞を読んでいる人ばかりでした。私も毎朝、日経新聞を読んでいました。今は、どこを見ても皆、スマホを見ています。紙の新聞を読んでいる人は、ほとんど見かけることはなくなりました。そんなことを考えると、ずいぶん変化したものです。しかしながら、私のスマホは2018年1月に買ったiPhone Xを未だに使っています。いつも、そろそろ買い替えようと思うのですが、まださほど不便を感じていないので、そのまま使ってきました。不便なのは、海外に行った時に、eSIM対応できないことぐらいでしょうか。また今後、買い替えるかは検討したいと思います。
2025年09月10日
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最近、絵本を読む機会が増えました。きっかけは、以前に放送されていたNHKの「ドキュメント72時間」でした。絵本を取り扱う本屋さんが、夜はバーになって、絵本を読める場になるというものです。多くの人が子供の頃に読んだ絵本を、大人になって読む場を作っているとして、異色の本屋さんとして興味を持ちました。この書店の女性店員の方が、夜はバーのカウンターに入って、酒を提供しながら客と静かに絵本について語る、というシーンは、特に興味深いものでした。集っている人たちも、自分が昔に読んだ絵本を、また大人になって読むことで感じる思いを、女性店員の方に語っている姿も印象的でした。私が子供の頃読んだ絵本は、さすがに半世紀以上前ですので、どこの本屋さんを探しても見当たりませんでした。「きかんしゃやえもん」という機関車の話でした。息子たちが小さい頃に読んであげた絵本は、ノンタンシリーズなどを始めとして、まだ何冊か自宅にあります。それらの絵本を改めて読んでみると、とても大切なことが書かれていると再認識します。やなせたかしおとうとものがたり [ やなせたかし ]外国の作家の絵本もあります。「ずーっと ずっと だいすきだよ」という絵本は、教科書にも載っていた物語で、いろいろな感情を抱く名著だと思います。企業が子供の名前を入れて、絵本にしてくれるサービスもあります。自宅には、森永乳業が企画・製作してくれた絵本があります。最近では、NHKの「あんぱん」の人気もあり、やなせたかしさんの本を読む機会も増えました。アンパンマンは息子たちが大好きでしたが、その作者のやなせさんがご自分のことなどを書かれた本もあり、たくさん読みました。私の年代的には、孫に絵本を読み聞かせるという世代でしょうが、私には孫がいません。しかし、孫のためということではなく、これからも自分のために絵本を買って読んでみたいと思います。
2025年09月09日
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昨年、私も出場した、えちご・くびき野100kmマラソンが終了というニュースがありました。突然のことで、大変驚きました。えちご・くびき野100kmマラソンは、2年に1回行われます。来年開催される第16回大会を最後に、終了することが決まったようです。この大会は1996年、合併前の上越地域14市町村の一体感醸成と、地域振興を目的に始まりました。コース上では各地域の特産品や、食事を提供するおもてなしが好評で、「全国ランニング大会100撰」にも選ばれていました。私も昨年、出場しましたが、市内各地域でのおもてなしが素晴らしく、とても良い印象を持ちました。コースは厳しいコースでしたが、走りがいのあるタフなコースです。その時のキャッチフレーズが、「まだ見ぬ景色を探しに行こう」というものでした。確かにそのキャッチフレーズ通りの、素晴らしい景色を臨める大会でした。人気のある大会ですが、人口減少や高齢化で運営ボランティアの確保が難しくなってきたようです。これに加えて、事業費の増加も見込まれることから、市などでつくる実行委員会が継続を断念しました。これにより、30年の歴史に幕を下ろすこととなりました。上越市、そして実行委員会としては、苦渋の決断ということになりました。多くの大会が、ボランティアによって成り立っています。そのボランティアの確保が困難になり、大会を休止、終了するようなケースが散見されています。これに加えて運営費も上昇し、赤字になっている大会も多いと思います。ウルトラマラソンは、フルマラソンよりも大会実施時間が長く、ボランティアも多い人数が必要だと思います。ランナーとしては、マラソン大会を走らせていただけていることが当たり前ではない、ということを再度認識なければなりません。自分たちが出場したい大会は、早いうちに出場しておきたいものです。来年最後となるえちご・くびき野100kmマラソンには、ぜひ出場したいと思います。
2025年09月08日
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高校生の頃、当時のNHK教育テレビで「YOU」という番組をやっていました。糸井重里さんや荻野目慶子さんが出演しており、土曜日の夜の放送だったと記憶しています。この番組のコーナーに「青春プレイバック」というコーナーがありました。昔を過ごした故郷を訪ねて、思い出のお店や街並みを歩くような内容でした。このコーナーも含めて、「YOU」はよく見ていました。あれから40年以上経った今、もう一度昔を過ごした街を訪れようと思いました。行きたいところは何ヶ所かありますので、順を追って訪れたいと思います。まずは、私の実家の辺りを訪れることとします。物心ついた時から、高校卒業までを過ごしたのは、東京都と埼玉県の境です。住所は埼玉県、最寄駅は西武池袋線の東久留米駅です。この東久留米駅に降り立ちました。かつて、私が利用していた頃とは出口も大きく変わり、バス路線も変わりました。そのため、新しい出口ではなく、昔の出口付近から街に出ます。駅前からの雰囲気は、お店は変わっていますが、街の形は変わりません。よく、駅前の焼き鳥屋で焼き鳥を焼いている様子や、駅前の書店やレコード店などの光景を思い出します。残念ながらそれらのお店は、すべてなくなっていました。駅の反対側に、母親に連れられて買い物に行ったイトーヨーカドーがありました。建て替えられて立派なモールになっていましたが、まだまだ頑張っているようです。昔のバス路線に沿って進むと、この辺りはラーメン屋、ここに化粧品屋、と、憶えているものです。よく自転車で通ったバッティングセンター、そして団地商店街と、今では昔の面影は全くありません。団地はURに変わり、商店街はショッピングセンターになりました。それでも、核テナントの西友はリロケーションして健在です。外れの方に唯一の商店街の名残がありました。商店街とは名ばかりで、すでにほとんどのお店は閉店していました。ここから進んで、昔通っていた書道教室、駄菓子屋など、もう影も形もありません。そして、実家のあたりに来ました。住んでいる人は、ほとんど知らない人のようですが、まだ家はありました。小学校の同級生が何人も近くに住んでいましたが、もうどうしているのかは全くわかりません。そして、小学校にも行ってみました。私が小学校3年生の時に、分離されて新設された小学校は、まだ健在でした。そう考えると、新設されてから半世紀ぐらいになるのでしょうか。校舎や校庭なども見てみましたが、こんな感じだったのかと、あまり思い出せませんでした。形は変わっても、昔の面影がなくなっていても、故郷が残っているのは嬉しいものだと思います。記録を見ると、このあたりに両親が引越してきたのは1967年だったようです。そして私は1984年まで実家で過ごしました。次は、この1984年以降の青春プレイバックに行きたいと思います。
2025年09月07日
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日本列島を横断した台風の影響で、昨日は大雨に見舞われました。途中、警報が出た時はその場にいる人のスマホが一斉に鳴って、ちょっとした騒ぎになりました。それでも、昨日帰る頃には雨も上がり、今朝は台風一過の晴天になりました。北海道マラソンからのリカバリーを、本格的にスタートさせます。いつものパターンで、フルマラソンを走った後は、2日間ほどは短いジョグで足を休めます。水曜日あたりから少しずつ距離やペースを調整し、土曜日から本格的に戻していく、というのが恒例です。台風一過で日差しが戻ってきましたが、気温は少しだけ下がりました。体感的には気持ち良いです。今日はNIKEのズームフライで走ります。次のフルマラソン用のシューズの候補の一つですが、まだ足へのフィットが今ひとつなので、慣らしていきたいと思います。スタートしてしばらく走ると、すぐに汗が出てきました。体感的には気持ち良いと思ったのも束の間、やはりまだまだ暑いです。ペースは6分/kmを切るぐらいで様子を見ます。足には特に負担や違和感はありません。レース前からずっと苦しんできた腰痛は、こちらもまだ何も症状は出ません。それでも、無理をしないようにペースは上げません。ある程度のところで引き返そうと思っていましたが、調子が良いので少しだけ先の方まで行くことにします。片道10km走って、河川敷のコースに出て戻ります。10kmは順調でしたが、帰路では少し足に疲れが出てきました。暑さも重なって、ペースが少し落ちました。そのため、無理せずにゆっくり走って帰ってきました。トータルで20.4km、5分47秒ペースで1時間58分のリカバリーランでした。これだけ走れれば上々です。次のレースは10月末の横浜マラソンですので、まだ2ヶ月近く時間はあります。故障しないように気をつけて、シーズンインに向けての調整をしていきたいと思います。
2025年09月06日
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仕事でも何でもそうですが、目標を定めて臨むことが多いと思います。しかしながら、その目的を明確にしてから臨むことが必要だと思います。目標と目的、同じような言葉ですが、意味は異なります。関連づけて考えると、よく分かります。辞書でそれぞれを調べてみると、このように書かれていました。「目標」行動を進めるにあたって、実現・達成を目指す水準。「目的」実現しようとして目指す事柄。行動のねらい、目当て。一見、同じように思えますが、このようにして見ると、目指すものとしては通じるものがありますが、目的は長期的で、目標が短期的、などと整理することはできるかと思います。また、目的を達成するために目標を掲げる、というように考えられるかと思います。例えば、フルマラソンをサブ4で走る、や、ウルトラマラソン100kmを完走する、というのは目標であると思います。その先の目的は何なのか、ということを明確にしておくことが重要だと思います。マラソンは趣味と割り切って、特に目的はない、ということでも良いと思います。私の場合は、これらの目標を達成することで大きな満足感や達成感を得ることで、心身ともに健康で健全な人生を送る、ということがマラソンを通じた目標になります。経理の仕事でも言えると思います。皆から信頼され、頼られる「強い経理部」を構築することが目標でありますが、「強い経理部」になることで、部員1人ひとりの人間的成長を実現させる、ということが目的になります。したがって、まずは目的を明確にし、それを語り、そして目標を定める、という順序が良いのかと思います。目的が後付けになるのは、絶対に避けなければいけません。何度も引き合いに出しますが、仙台育英高校の須江監督は、この目標と目的の違いを認識することを、選手たちに繰り返し説いていたそうです。目標はあくまで日本一、ではなぜ日本一を目指すのか、高校野球に取り組むことで、どんな自分になりたいのか、これが目的だということです。この目的は、チームの理念にも関わってきます。ただし、選手個々によって違いがあっても良いとされています。具体的な目的を整理すると、・人生を本質からデザインする・生き方をじっくり考える・集団の中で社会に出る擬似体験をする・非認知能力を高めるということになるそうです。目標と目的を明確にして、前に進んでいきたいと思います。
2025年09月05日
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今日は久しぶりの有給休暇です。一体、いつ以来の有休かと感じます。有休消化をしないといけないので、取得日に人間ドックを受診するのが、毎年のことになっています。必ず上期中に受診していますので、いつも9月になります。人間ドックの受診期限と、有休消化期限が、私の場合は共に9月に重なっています。そのため、結果的に毎年9月に人間ドックを受診することになります。ドックの日は前日から食事に注意し、20時以降は食事ができません。そのため、昨夜は帰宅してからの夕食では間に合いそうにないので、帰宅途中に外食しました。外食といっても、消化の良いものになりますので、会社近くの丸亀製麺でうどんを食べました。ポリープ切除の前後はこのうどんをよく食べていましたが、さすがに続くと飽きるので、しばらく食べていませんでした。消化を考えて、かけうどんにかしわ天を食べました。鶏肉が美味しいので、満足感があります。今日は朝から何も食べられず、検査のため水も飲めません。朝ランは普段の木曜日よりも距離を長く走りましたが、水分補給なしでの朝ランになりました。その後、雨模様の中、ドックの受診に行きます。受診するクリニックは自宅の近くですので、自宅からの移動は楽です。朝一からの受診でしたので、すぐに検査が進んでいきます。いつもの年よりも、かなり早く進みます。医師の診察では、昨年と同じお医者さんでした。私がマラソンをやっていることをご記憶で、マラソンと健康について、ひとしきり会話がはずみました。検査は1時間ほどで終わりました。例年よりも、かなり早く終わりました。その後は、整形外科に床屋にスーパーにと、行きたかったところへ足を運ぶことができました。本屋さんにも寄って、数冊読みたい本を買ってきました。会社のメールをチェックしながらですが、久しぶりに平日にゆっくりやりたいことが出来ました。また明日から気分一新、頑張りたいと思います。
2025年09月04日
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マラソン大会を終えると、いろいろなことがまた動きます。リカバリー、身体のケアはもちろんのこと、レースに向けて節制した反動などもあります。かつて、酒を飲んでいた頃は、レース1週間前から禁酒していました。マラソンは内臓に負荷をかけ、特に肝臓には負担があるので、禁酒は必須でした。その頃は、居酒屋の前などは走って通り過ぎていたものです。1週間禁酒ができれば、酒をやめられるものだろう、とよく言われましたが、ゴールしたらすぐに打ち上げでビールを飲むのが何よりも楽しみでした。現在では、レースの前後関係なく、酒を飲んでいません。まだ完全に酒をやめて1年半くらいですが、全く飲みたいと思わなくなりました。その代わりではないですが、ジャンクなものや揚げ物を食べたくなります。特にラーメンや唐揚げが食べたくなります。炭酸飲料やコーヒーも飲みたくなります。特に、カフェインを避けるために控えていたホットコーヒーは、とても欲しくなります。去年の静岡マラソンの後には、東京駅でチキン弁当とコーラを買って帰りました。家に帰って、唐揚げにチキンライス、コーラで至福の時を過ごしました。レース前の食事も、かつてはかなり気にしていましたが、現在ではだいぶアバウトになりました。数日間の節制よりも、日頃の食習慣の方がとても大切です。そのため、レース前はカーボローディングは意識しますが、節制は生物や揚げ物を控えるぐらいです。この程度でサブ4も100kmも走れるので、まあいいか、という感じです。それでも、レース翌日などにラーメンを食べたら、内臓に負荷がかかりました。やはりラーメンは塩分も多く、消化も良くないので、極力食べないようにしようと思います。自由なジャンクな食事よりも、次のレースのことを考えるのが至福の時になりました。年齢と共に、いかに楽しく次のレースを走れるか、を意識していくようになったのは、良いことだと思います。
2025年09月03日
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伝説の名ドラマ「太陽にほえろ!」で刑事役を長く務めた、俳優の露口茂さんがお亡くなりになったという報道がありました。4月28日に、老衰のため93歳で亡くなったということです。露口茂さんといえば、やはり「太陽にほえろ!」の「山さん」こと、山村刑事役が強い印象に残っています。ドラマが始まった1972年から1986年の長い間、山さん役を務めていました。「落としの山さん」というのが正式なニックネームのようですが、山さんの手にかかったら、どんな犯人でも自供する、という凄腕からついたニックネームです。捜査一係では、石原裕次郎さん演じるボス(藤堂係長)よりも年上のベテラン刑事として、渋い役どころでした。初期の頃は麻雀屋で麻雀を打っているなど、アウトロー刑事のようなシーンもありましたが、すぐにベテラン刑事としての渋さが定着します。殉職したマカロニ刑事(萩原健一さん)を殺害した犯人を追い詰めるときは、激しい面を見せるなど、その演技に魅了されました。「太陽にほえろ!」が安定期に入り、絶大な人気を誇った頃には、山さんを主人公にした物語が多く描かれました。ドラマの設定では奥様を亡くし、男の子を養子に迎えるという、家族には寂しい面がありました。その養子の子が誘拐され、犯人から山さんにボスを射殺しろ、という要求があったという、2週連続の回は強い印象を残しました。「山さんがボスを撃つ」「俺を撃て、山さん」というタイトルだったと記憶しています。同じベテラン刑事の長さん(下川辰平さん)が警察学校の教官になり、捜査一係を去った1982年以後は、初回から出演しているのはボスと山さんだけになってしまいました。そして、その4年後に山さん殉職、というショッキングな回が訪れます。「さらば 山村刑事」というタイトルで、暴力団との揉み合いで発砲を浴び、一係に応援の電話をかけ、その後に自宅に電話をかけます。先ほどの養子の息子さんに、「これから帰るぞ、先に休んでいなさい」と告げた後、夜の路上に倒れてしまうシーンは、今でも鮮明に憶えています。その年、「太陽にほえろ!」はその放送を終了しました。それ以降、山さんこと露口茂さんをお見かけすることは、ほとんどありませんでした。本当に「さらば 山村刑事」となってしまいました。心からご冥福をお祈りすると共に、天国でボスや長さん、マカロニ、ジーパンなどと再会されることを祈っています。
2025年09月02日
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3年振りの北海道マラソン、無事にネットタイム3時間54分20秒で完走しました。この時期のフルマラソン、史上最強のフルマラソンである北海道マラソンということを考えれば、よくまとめられたという感じです。スタート前、サロマでも一緒だったウルトラ仲間のYさんに会い、健闘を誓い合いました。日差しも出てきて、やはり暑さの中のレースが予想されます。8時30分、第1ウェーブからスタート、すぐに日差しを浴びて汗が流れてきます。痛みや違和感のある左腰には、テーピングを何重にも貼っていますが、早い段階で違和感を感じてきました。これが気になると、他にも影響してきます。気にせず淡々と走ろうと意識して、ラップを刻んでいきます。街中はいつもと同じように、熱い声援が多数で、元気をいただきます。ペースは比較的順調に走っていますが、何か集中できていないことに気付きます。このところの疲労や故障、そしてさまざまなストレスを抱え、なぜかこのレースを走っている時に、そのストレスの元になっていることが頭から離れなくなりました。数kmほどそんな状態が続いた後にハッと我に帰り、「何のために俺は今、北海道マラソンを走っているんだ」と、目を覚ますために自分の顔を強く何度も叩きました。我慢の新川通りに至るまでに、すでに先頭集団とすれ違いました。数人の集団に「ナイスラン!ファイト!」と声をかけて、自分にも気持ちを入れ直します。新川通りでは、高校のブラスバンドの演奏にパワーをもらいました。そして、どこの給水でも、老若男女のボランティアの方が、大きい声で声援を送ってくれます。特に、中高生と思われるボランティアの方々の応援は、本当に元気があって、力になりました。音楽の力、若い力の素晴らしさに感動し、邪念はいつの間にか消えました。新川通りの折り返しの長い道にようやく別れを告げ、残りは10kmほどになりました。ここで、後方から来た数人のランナー集団に抜かれました。快調なペースで走っているランナーの背中には、「神野大地」と書いてあるアスリートビブスが見えました。思わず後を追いかけて、集団に加わりました。神野選手の横に付いて、「頑張れるだけ神野さんに付きます」と声をかけました。神野選手は余裕で、「はい」と答えてくれ、沿道の声援に手を振っています。「俺は今、あの神野大地と走っている」という非日常感が、テンションを上げました。2〜3km並走した後に、ペースを上げました。残り5kmからは、自分との戦いでした。北海道大学を抜け、ゴールが近づく中で必死にもがきます。過去に何回も見た光景が目に入ってきて、ラストスパートをかけました。フィニッシュゲートでは、MCの長谷川朋加さんの声が聞こえました。夏の北海道での挑戦は終わりました。6月のサロマ湖100kmの完走、そして、北海道マラソンでのサブ4で、50代最後の歳も「マラソン二刀流」を達成できました。100kmも、サブ4も、いずれも北海道の地で、目標を達成できました。改めて、マラソンを通じて心の弱さと、多くの方のご支援のおかげで生きているのだと再認識しました。北海道マラソンで、人の心のありがたさと、人間は自分一人では生きていけないと感じました。大切なことを思い出させてくれた北海道マラソン、そして北海道の皆様に、心から御礼を申し上げます。
2025年09月01日
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