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平和な人々(4) 何度も例え話に出される事例で申し訳ないが、カエルが鍋の水に浸けられて徐々に水を温めて行き、次第に熱くなって行っても、ぬるま温に慣れているカエルは逃げもせず、そのまま茹で上がって死んでしまうというのがある。周りの状況の変化に気が付かず身に危険が迫っているのにのんびりと平和な振りで居る事への警鐘の意味で使われる。人間にもそういう人が案外多い。福島の原発が水素爆発しメルトダウンして行くプロセスを報道で知った福島県とその周辺の人々は、一年経った今でも何が起きたのか充分に理解出来ていないのか平気で未だ其処に住んでいる。意図的に菅内閣とその後の野田内閣が政府報道として嘘の情報ばかり流し、それを盲目的に信じようとする無知な人々が多過ぎるせいだ。だから東北人は東京人(政府)に馬鹿にされ続けて来たのだ。日清・日露戦争から始まって先の大戦でも東北から徴兵された人々が大量に死んだにも拘わらずだ。 それ以外にも東北と言えば貧しくて東京へ出稼ぎに行った人々や紡績工場へ身売り同然の様に働きに出された娘や赤線に売られた娘という悲惨な話題は絶えない。「すっかた無かんべさ」と諦めているのである。関西人には考えられない事だ。今回の原発事故で大量の死の灰が降って「何か白い発泡スチロールのようなものが降って来て、フワフワと全身に降りかかった」と証言する原発周辺2km内の人々は、その直後から「体毛が全部抜け落ちて女のようなスベスベの肌に成ってしまって鼻血が止まらなくなった」と証言している。一刻も早く其処から避難しないと本当に死んでしまうのに「離れられねえ」と居座っているのである。公的にも私的にも離れ難い立場に居ようとも事故原発の周辺20km内どころか70km内でも危険なのに逃げないのである。福島原発の爆発当時、アメリカやヨーロッパでは在日外国人に向け原発から80km以上避難するよう指示した。 政府関係機関や企業の外国人には国外退去まで指示し誰も居なくなってしまった時期があったのだ。それを御用学者を動員して政府は「今のところ差し迫って危険は無い」と喧伝し、枝野官房長官なぞは連日平然と言ってのけていたのだ。そういう犯罪者が今も政府にノウノウと居残って大きな顔をしている日本は狂っているとしか言いようが無い。犯罪者は更に「原発事故で放射能汚染された瓦礫を全国の自治体に引きとってもらいたい」と言う。馬鹿で軽薄な政府関係者は中学・高校で何を習ったのだろう。危険レベルを越える放射性物質の瓦礫を全国に散らして日本国土を放射能まみれにしたいのだろうか。そういう瓦礫は福島原発周辺に集積してコンクリートで覆って固めてしまうしか無い。どうせ50年以上は使い物にならない土地に人が入れないのだから其処しか場所は無いのだ。セシウムの半減期が30年と言う事は60年間は放射線が出っぱなしという事なのだ。 専門の医者でも馬鹿な人が居て「レントゲン写真撮影なんか怖くない」と定期健診のレントゲン写真を断ったボクに言った事があった。「それじゃあ、先生はレントゲン撮影をする時は鉛の防護服を着けないのですか?」と訊けば「なあに、あれは気休めに過ぎず、仮に放射能被害が出たとしても、あちらの方が少し駄目になるだけだヨ」と下半身の中心部を指差して笑って居た。それを見て何と無知な医者だろうと驚いた事があった。医者ですらその程度の人が居るのだから一般人では無知な人が多く居ても不思議は無いのかも知れない。更に「あんたは放射線を気にしている様だが、テレビを観ていてもブラウン管から放射線が出ているのだヨ」と言う始末だった。「先生、テレビから出る放射線なぞ極微量で比較に成らないじゃありませんか」と言うと「それでも放射線は出ているヨ」と無知を曝け出していた。それ以来、その医者には行かなくなったのは言うまでも無い。 ヒロシマ・ナガサキの原爆被害や第五福竜丸のビキニ環礁の核実験被害で日本人は放射能に敏感に成った割には意外にも先述の医者のような人も居るのである。まして政府が「安全を確認した」とか「直ちに健康被害は無い」と言うのだから盲目的に信じてしまう人が居ても仕方が無い。本当の事を言えば国民がパニックに陥るから真実を隠蔽して徐々に段階を踏んで知らせているとするなら、もうそれは犯罪以外の何ものでも無い。逃げるチャンスを奪って被爆者にさせ、早く死ぬのを待っていると言われても仕方が無い。そういう政府や東電の連中は死刑にでもしなければ国民は納得しないだろう。パニックになったのは菅首相そのものだった事が後日判明して、彼を権力の座から引きずり下ろすのに苦労したのが、ついこの間の事だった。それなのに次の野田首相は「冷温停止状態の終息宣言」までしてしまうのだから「メルトダウンは何時解消したのか?」と国民は驚いた。 嘘で固めた情報ばかりを発信する日本政府の言う事なぞ信じない外国政府やマスコミは「哀れな日本国民」と同情しているだろう。そんな政府首相がノコノコと沖縄を訪問し「普天間飛行場に替わるヘノコ基地の早期着工を」と言うのだ。政府は、沖縄県民が怒りを露わにして米軍基地建設に反対し、福島県民も核施設(発電所)の失敗と後処理の稚拙さに対して怒り心頭に達し北からも南からも攻められ、西の中国や韓国や北朝鮮からも舐められ、東のアメリカからもまともに相手にして貰えないという四面楚歌状態である。一見真面目そうに見える愚鈍宰相は何を考えて行動しているのかボクにも分からない。あちこちから馬鹿呼ばわりされてでも権力の座にしがみ付く哀れさに国民は辟易とし、更なる不景気風に晒されながらも確定申告の春はやって来る。税金を支払う側と集める側との腹の探り合いは一枚の申告用紙で勝負が付くが、平和な人々は潤沢な年金を受け取って惚けた事を言って過ごして居るだけである。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/29
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平和な人々(3) 何処の世界にも野次馬は多いものだ。自分では何もしないくせに批判ばかりして寧ろ妨害をする。事が問題化して騒ぎが大きく成れば喜んで観て、自分は冷静な評論家の様な事を言う。自分と同じ意見の仲間と打ち興じてマイナーな喜びに浸る身勝手さには気がつかないのである。おおよそ民主主義から遠く離れたアウトサイダーに憧れているのだろうか。特に戦後の日教組の組合員にそういうのが多い。典型的なのは小学校の教員で、馬鹿な教員のせいで日本の教育レベルが極端に落ちてしまった。今の民主党の幹部連中が良い例である。あの尖閣列島での対応の不味さや思想が間違っていたのを観ても一目瞭然である。中国はもとより国際社会からも軽蔑されてしまった。腰ぬけ外交をして恥とも想わない連中が政治の中心に居るのだ。日本は情けない国になってしまった。新渡戸稲造の書いた「武士道」の精神は雲散霧消してしまったのだろうか。 義父が若い頃、新渡戸稲造に付いて全国を廻ったという話を生前よく聴かされた。昔の人には一本筋の通ったものがあった。今の政治家にそれを感じられる人が居ないのは残念というよりも危機感さえ抱いてしまう。アメリカだけではなく今に中国にも飲みこまれてしまうのでは無いかと想えてならない。そういう事を言っても今時の若者は、坂本竜馬なら知っているが新渡戸稲造と言われても「ニトベ?」と首を傾げる程度だ。そのくせ若者に期待せざるを得ないのだ。つまり戦後教育が間違っていたから無責任な連中がインフルエンザの様に広がってしまったのだ。全国的に蔓延して今や原発事故のメルトダウンという言葉すら誰も恐れなくなっている。東北の人々に「頑張ろう!」とエールを送るポーズはするが立ちあがって具体的にどうこうする動きが観られない。そんな中、大阪維新の会が立ちあがり、新しい大阪(日本)を目指しているのが少しは救いの様な気がする。 それは当たり前の事を主張して居るだけなのに、当たり前の事が出来ない連中が恐れ反対運動までする。マスコミも反対派の一部になって扇動している。大阪維新の会が教育レベルを上げたいと主張すればファッショだと言う。馬鹿じゃなかろうか。勉強の出来が悪い生徒のレベルを上げる事が何故ファッショなのか、それを言う連中の頭の中がファッショ化しているのではないか。競争原理を導入すれば負け犬が増えると言う論理は一見優しそうな考え方に想えるが、逆に出来の悪い生徒を増やして支配する社会を温存させる事でファッショ的差別社会を維持させようという腹ではないかと想わせる。自分が社会を偏向させ不都合にしているという事に気が付いていないか、逆に意図的にそういう風に仕向けているのかのどちらかだろう。そうする事で自分の地位が保全されると信じているのだろうが、今や日本の社会は崩壊の危機に瀕しているのだ。 戦後の骨抜き教育のせいで教員の程度が落ち、最終的には彼等が定年退職して結構な恩給年金で生活しながら、自分の育てた子供からはソッポを向かれ、その反動からか精神に異常を来たして自治会で間違った事を平気な顔で主張ばかりし周りに迷惑がられているのが分からないのだ。亦、それに同調し同情する輩まで現れる。幕末の勝海舟が「無知で身の程を知らぬ馬鹿ほど扱い難い者は無い」と言ったのも分かる気がする。それを指摘すれば「弱い者いじめをしている」という馬鹿まで現れる。「何処が弱い者いじめなのですか?」と訊けば何も答えられず「みんな仲良くしましょう」としか言えない。「それじゃあ、貴女の意見は?」と問いなおせば黙ってしまう。自分の意見も信念も持たず訳知りのような顔をして平然としているのは公害の様なものだ。理路整然と自分の考えを述べられ無くとも朴突とした話し方であろうとも熱意があれば人の耳には伝わるものである。 文句を言うのなら正々堂々と言うべきである。しかし、意外と内弁慶の人は多い。蔭では能弁に自分の意見を言うくせに人前では猫の子を借りて来た様に何も話せない人が居る。気が弱いと言うのでは無く、上手に話が出来ないのを恥じているのだろう。亦、黙っている方が賢く観られると想っているのもあるだろう。根性の悪いのでは高見の見物をして後で批判をする。「実は、私は反対だったのだけれど、私だけ反対しても、どうかと想って仕方無く賛成したの」と言う。日本人に多いタイプである。その点、大陸では逆である。アメリカなぞでは誰も彼もが好き勝手な事を平気で主張する。喧々諤々とした雰囲気が当たり前なのだ。建国以来そういう雰囲気で来た社会なのだろう。ヨーロッパの喰いつめ者の集団なればこそ、そうでもしないと生きて行けなかったのだろう。そういう意味では在日の人々は主張をもっている。日本人では言い難い事を平気で言う。 尤も、最近の若い人は大分、自分の意見を言う人が増えて来た。が、それでも詰らない内容のおのが多い。街角のインタビューの動画を観ていると放送側が意見集約をして調整しているのかも知れないが、同じ様な意見が多く「もう少し考えて言えないものだろうか」と想える。日本人は概して話し方が下手である。それは話し言葉と書き言葉との使い分けが難しい国柄のせいもあるのだろう。文章の構成力が書き言葉に拘ってしまって間違わない様に用心するから、どうしても平易な話し言葉、それも、ためぐち的な丸で友達に話すような言い方になってしまう。まさかプロのアナウンサーでもあるまいに上手に話そうとするから慣れないとか出来ない事への挑戦をしてしまうのだろう。話し慣れた人は滑らかに話すが、それは十人に一人程度しか居ない。そういう場合でも、評論家の様な一般論しか言わないのだから聞いていて頼り無いというか迫力に欠けるのである。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/28
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平和な人々(2) その話を想い出そうとして、やっと5年も前の老人会の会長とのやり取りまでたどり着いた。それはボクが自治会長を就任した時に最初に開いた定例役員会議での事だった。当時の老人会は自治会とは別組織に成っていて、言わば自治会のO.B.的存在となって自治会を顎で使うような横暴ぶりを発揮していたので弱体化した自治会を立て直す意味で老人会長を呼んで開いた会議だった。更には、市から出ている補助金を老人会の役員が着服している事実まで判明し、市の福祉課も頭を抱え「何とか円満に解決して貰えませんか」と頼まれていた事もあって正常な組織に是正しなければならない時だった。結論的には「今期から老人会を自治会の福祉推進委員会の下部組織に統合したいのですが、会長さん如何ですか?何か不都合でもありますか?」と訊いたのだった。当然ながら老人会長は反対した。反対理由は言えないというだけの反対だった。 そこで自治会の役員会で老人会の取扱案件を採決した結果、全員一致で老人会は自治会の中に含める事に決まった。その事を老人会長に告げると「それなら私は、老人会長を辞めて引っ越してこの団地を出て行きます!」と興奮して言った。「そうですか、辞めるのは勝手ですが、未だ任期が残っているので次期会長を決めておいて下さい」と付け加え、更に「その代わり、老人会役員に依る市からの補助金着服は、自治会統合という事で、この際不問にします」と告げた。その言葉が効いたのか老人会役員は総入れ替えとなり、自治会に依る老人会受け入れ歓迎食事会が近くのリハビリ・センターのレストランで盛大に開催された。前の老人会長は欠席し引っ越しこそしなかったが今でも少数派の反対勢力となって蔭で燻って文句を言っているそうだ。が、次第に声は小さくなり聴こえなくなった。一方、市の福祉課は上手く解決した事で喜んだのは言うまでも無い。 ところで、老人会の会員は嫌気が射した人が辞め100人程度になり、その後も大幅に減り、老人会そのものの存在が今や風前の灯となっている。丁度、今回の自治会長選考委員会で推薦され一旦受け入れた相手が10日ほど経ってから就任辞退の文書を出し、その真の理由を問われ答えられず「そういう事なら引っ越して住宅団地を出て行きます」と言ったのと全く同じだった。答えられない理由が何かあるのだろうが、やる気を無くしたのだから無理に勧めるのも如何なものかと想ったが「文書での辞退表明には、自治会への思い入れが綿々と書かれていて、そういう熱意があるという事は逆に読めば、それらの問題が解決すれば就任しても良いという事にも取れます。時間も時間ですし、今日の会議をまとめる事にしては如何でしょう?」とボクは提案した。大勢は採決を採る方向に流れていた。すると◎◎夫人が「それでも主人は辞退すると想います!」と言った。 それを司会の会長が「それは貴女の意見であって、ご主人のご意見を伺いたい」という事で採決を採ると◎◎夫人と会長を除いて全員が再度話し合いをするという事に決まった。そして◎◎夫人に加勢した女性に「◎◎さんに再度、話し合いの席に付く様に電話をして、その返事を私に下さいませんか?」とボクは言った。文書で辞退表明されてしまった会長が再度、相手に次期会長を勧めるのは不本意だろうと想って代わりに言ったのだった。そしてその夜、女性から返事があって「一晩、考えさせて欲しいというご主人の返事でした」とあってボクも会長にその旨を伝えた。翌日、案の定「矢張り、会長職は引き受け兼ねるので、話し合いの席には付かないとお伝え下さいとの事でした」と電話があった。その事を会長に電話すると「分かりました。しょう、おまへんな。やる気の無い人が中途半端に受けると後が大変だっさかいにナ」と呆気羅漢とした返事だった。 その日、終日一連の流れを妻と話し合った。良かれと想って推薦した人が一旦は受諾したのに何故か急に変心して稚拙な文書で辞退表明をした事が問題の中心になった。昔、妻が住んでいた街の隣家に住んでいた人で親しく付き合っていたという人だった。ボクは単なる受け売りで、妻が親しいのなら間違いが無いだろうと想ったのだった。小学校の教員を定年退職し、ご主人も会社を定年退職し、子供も巣だって結婚もし、夫婦二人でボクの棲む住宅団地に引っ越して来て家を建て、気楽に生活している風に観えたのもあった。かつて妻の親父が大阪の教育委員会の教育長と親しく、それを知っていた◎◎夫人が「今の小学校が遠くて通勤が大変なので、近くの小学校に転校したいので是非宜しくお願いします」と頼み込まれ、その通りにして上げた事もあって「お父様には足を向けて寝られない」と妻に言ったそうだ。そんな関係の人が推薦者のボクの顔に泥を塗るというのが信じられないのだ。 「親しい人でも軽々に推薦なぞ出来ないわネ」と言う妻に「確かに。人は加齢と共に変わるが、それにしても人物を観誤ったのか、それとも老人惚けが進んだか、どちらかだろうナ」と言えば「ご主人は、昔は温厚な人だったのに奥さんが変わってしまったみたい。息子夫婦が母親のお節介が過ぎて、夫婦喧嘩が絶えず離婚の一歩手前まで行ったそうで逃げ出して寄り付かないと言うから」「そう言えば、会長選考委員会議で、◎◎さんに、お宅は貴女の意見が総てですか?と訊いたんだ」「それで?」「黙っていたから多分そうかも知れない」そういう話が夕食の時まで続き、今回の騒動でもう一切自治会には協力しない事に決めた。「平和な人達ネ。高々、自治会長に成るとか成らないというだけの事で変な文書なんか書くから大問題になるなんて。周りは面白がって見物して蔭でコソコソ言うだけなのに」「無責任な人が多いから、成る様に成れば良いのかもネ」(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/27
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平和な人々(1) ボクの棲む住宅団地も出来てからそろそろ40年近くなって来て、38年前に入居した当時はボク達新婚夫婦が一番若かったのが、今では夫々69、68歳ともなってしまうと周りは世代交代や老人夫婦ばかりになってしまった。そして自治会長を選ぶのが難しくなってしまった。つまり、二年交替の会長任期制の為、これまで19人の自治会長が歴任して来たのだったが、今では会長職に適任というか目ぼしい人物が居なくなってしまった。目ぼしいというのは金があって時間的余裕もあり頭の回転の良い人物という事なのだが、金も時間もある人物は未だ幾らでも居るのに皆80代の老人に成ってしまって失礼ながら頭や身体の方がイマイチなのだ。仮にその気があっても機能しなくなって一種の惚け老人の様に成っている。中にはやっても良いという気持ちを持っていると噂される人物情報が在っても、残念ながらその人には人徳が無く誰も推薦しないのだ。 それでも可能性があるならと次期役員選考会を開き、選ばれた10名ほどの選考委員が集会所に集まって会議をし、満場一致でその人物を推薦し、現役員数名が次期会長の就任要請に電話予約をしてから自宅までうかがった。そして機嫌良く応接間に通され、嬉しそうに受諾の意思を表明され、役員一同安堵の胸を撫で下ろし問題は解決したのだった。ところが、10日ほど経ってから一方的に文書で断りの返事をして来たので文書を受取った会長は驚き、急きょ再度次期役員選考会を開き相談する羽目に成ってしまった。ボクも役員選考委員の一人として出席し、会長から経緯の説明があってから「どういう理由で辞退されるのですか?」と訊いた。会長は83歳の高齢で、任期の二年を過ぎても次期会長が決まらなかった昨年、已む無くもう一年延長をしたのだった。説明では今一つ断られた理由が判然としなかったので「断りの文書を見せて下さい」と見せて貰った。 ボクが読み始めると別の女性委員が「読んでいらっしゃる間、時間が勿体ないので議事を進めましょう」と勝手に話を始めた。その話に乗れないボクはザーッと目を通してから隣の委員に渡した。そして順次文書は廻って行ったが、殆どは読まないで次へ次へと廻して行く。そこでボクは「この文書のまとめを説明しますと、大きくは三つの要素になっていますが、会長職辞退の理由にはなっていません。内容は巡回バスの途中停留所の増設陳情の件と、まちづくり委員会の会議のやり方の件と、市から陳情に対する回答が未だ無いという件です。皆さんどう想われます?本当の辞退理由を詳しく知りたいのですが如何ですか?」と訊いてみた。すると先ほどの女性委員が「その三つで充分、理由になっていると想いますが」と言うので「この文書は会長宛に出ているもので、あなたはこれを事前に読んで知っているのですか?」と訊き返した。 「ええ、知っていますヨ。隣にいらっしゃる◎◎さんが四日前に届けて下さいましたから」とケロリとした顔で言う。◎◎さんとは今回会長推薦された人の奥さんなのだ。つまり彼女同士は事前に今日の会議の対策を考えて出席している事が分かったのだ。「それじゃあ、あなたは我々委員とは別に情報を得て、会議を誘導しようとしている事になる。我々は同じテーブルで同じ資料の下で同じ条件で話し合いをしようとしているのに、あなたは事前に情報を得て高みの見物の様にニヤニヤしながら評論家のような事を言う。タチが悪いというか狡い人だ。同じ条件の下で話をしないと皆さんが混乱するではありませんか」すると彼女は痛い処を突かれたという顔で驚いて「タ、タチが悪いなんて言われた事がありません、初めてだワ!」と叫んだ。「之まで誰も言わなかったのは、敢えて言わなかっただけの事で、あなたは幸せな人だった訳ですヨ」と切り返した。 そして続けて「皆さん、此処は一つ、先入観無しで公平に話し合いをすべきではありませんか?」と言うと◎◎さんが手を挙げて「言わせて下さい!」と叫んだ。会長が驚いて彼女を指名した。彼女は弁明とも説明とも付かない話を延々と続けた。それは会長宛の文書の繰り返しばかりだった。そこで痺れを切らしたボクは「一寸待って下さい。文書と同じ事ばかりをおっしゃってますが、別に辞退の理由は無いのですか?」と訊き返した。「いいえ、これから言います」と言うので亦暫く話が始まった。しかし、矢張り同じ内容なので他の委員もあんぐりし出した。会長も途中で何度も制止したが止まらなかった。彼女は昔、小学校の教員をしていた。こういう先生では生徒はさぞ迷惑しただろうなと想った。彼女を弁護した女性も塾を経営していた事があってボクの息子も通った事があった。が、間もなく人気がなくなって潰れてしまった。 息子は潰れる大分前に別の塾へ行って学力を伸ばす事が出来た。お蔭で国公立の有名大学に合格した。まあ、それは今回の話には直接関係が無いが、関連しているとすればどちらの女性も話が散漫で的確にポイントを突いていない事だった。これで文書の分析能力が無い事が分かった。未だ延々と話が続き会議の時間も予定を過ぎていたので「◎◎さん、そろそろ良い加減にされたら如何ですか?こんな訳の分からない稚拙な文書で説得しようとするのが間違いです。夜遅くまで書かれたという事ですが、夜は駄目ですヨ、こういう文章は頭の冴えた朝に書かないと話がマイナーになって籠ってしまいます」とボクが言うと一瞬黙ってしまった。そしてポツリと返事をした。「文書が下手だの馬鹿だのと言われては、私はもう此処に住んでは居られません。引っ越しをして出て行きます」と言った。「稚拙な文章で分かり難いとは言いましたが、馬鹿とは言っていません」と応えながら、かつて何処かで同じ事を経験した様な気がするのだった。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/26
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ココ百景(2) 先日「落ち着く処(ココ百景)」という題のブログにココの事を書いた。その折、新たにココの写真をアップしようとしたが、楽天の写真倉庫がシステム変更になっていて従来のやり方ではアップ出来なくなってしまっていた。説明文を読んで何とかアップしたものの写真のサイズが小さくなっていた。ボクは楽天の有料の写真倉庫を利用していたので古い写真を引き出せるだろうと考えていた。しかし、何度も試みたが出来なかった。以前の写真は保管すると規約にはあったので引きだせると想っていたのに出来なかったのだ。だから一種の詐欺に遭った様な感じがした。一体、楽天は何を考えているのだろう。有料の写真倉庫の料金は自動銀行引き落としになっていてそのままだから利用もできないままだとしたら楽天は顧客に迷惑を掛けて平気で居るのだろうか。僅かな金額だから今は面倒だから喧嘩もする気は無いが常識のある対応をして貰いたいものである。COCO-021(外に出たい時は、ガラス戸の前でチョコンと座って開けてもらえるのを待っている) さて、このブログのタイトルを「ラグドール・ココのブログ」と名付けた以上、ココの日常の表情をせめて週に一度ぐらいはアップして行くべきだろうと考え直して前回に引き続いてココの風景をアップして行こうと想っている。尤も、デジカメでシャッター・チャンスさえあれば撮っている積りでも最近は余り撮っていないのでアップするほどはストックが無いものの、週に一度程度なら出来るだろうと想っている。最近は癒しの対象として猫が多くテレビに出ている。特に「ゆるキャラ」的ソフトさと可愛らしさが猫にはあるので放送する側も視聴率アップの為には手軽で良いのだろう。特に仔猫は可愛い。猛獣でも子供は可愛いからペットなら尚更小さくて可愛いと誰もが想うだろう。ネコ科は身軽で、トラやライオンもそうだが動物の代表的な存在だ。当然ながら好き嫌いがあるから万人向けでは無いとしても過半がそう想うならブログに取り上げる価値もあるだろう。COCO-022(書斎のソファが、お気に入りの場所の一つである) ネコがペットとして記録に残っている最古のものでは紀元前のエジプト時代のレリーフがある。そのネコはスマートで、キツネよりもほっそりしている。ココはその逆で英語のぬいぐるみ(ラグドール)と呼ばれ、コロコロとして脚が短く丸くてフサフサとした体毛のネコである。それに性格が優しいから飼い易い。我が家に来て8年目に入ったから中年ネコである。それだけに自分のテリトリーはしっかりと確保していて、他所者が来れば大きな声で威嚇して追い返す。たまに野良ネコが来ると「ギャー!」と騒ぐので、家人が驚いて庭先や玄関先を観る。観れば野良ネコはそれだけで逃げて行くからココは余計に勢いづいて家の境界線まで追いかける。しかし、それを越えて迄は追いかけては行かない。そういう気の弱さがあるのだ。まあ、それでも良いと飼い主は理解している。所詮、ペットなのだから番犬の様に敵外者を追い払う必要は無いのである。COCO-023(リビング・ルームのココ専用の椅子に座って、お八つを待っている) 飼い犬に手を噛まれるという諺がある様に獰猛な犬の様な攻撃力は寧ろ無い方がペットらしくて良い。番犬の役割を求めるならネコなぞ飼わず、セキュリティの設備を設けた方がスマートで無理に散歩や面倒を観る必要も無い訳である。勿論、犬のペットもあるが、ペットとして飼っている人は番犬の役目なぞ期待していない筈である。それを期待している人ならド―ベルマンやシェパードを飼うだろう。亦、そういう風に訓練も受けさせるだろう。警察から警察犬を預かって飼っているという人や、逆に飼い犬を警察で訓練を受けさせていると言う人を知っているが、そういう風に役割を考えている人も居るのである。そもそもペットの最初の役割は、犬なら家畜を守る為の野ものだったし、猫は穀物をネズミから守る為だった。それが本来の目的から離れて単なるペットに成ったのは社会や時代の変化の結果である。COCO-024(ボクのパソコンに乗って、ボクの動向を観ている) 現代ではペットは癒しの道具として、亦、家族の一員として飼われているのが殆どである。だからペットが死ねば、長年の愛情と記憶の為にペットの墓碑を建立する人も居るぐらいである。今後も社会が成熟し高度化していくと、もっとそういう人々が増えて行くだろう。そういう心の面や経済的な余裕のある家庭が増えて行けば社会も経済的にも精神的にも余裕のあるものに成って行くだろう。例えばアメリカの大統領がペットを飼っていて専用機にも乗せている画像をよく見掛けるが、仮にそれが宣伝やポーズであったにせよ受取る国民や世界の人々が騙されている事を知りながらでも多少は心が癒されソフトな雰囲気を感じ取るだろう。そういう効果があるのである。ところが人間というものは出来そこないも多く、折角ペットとして飼って可愛がっていたくせに飽きてしまうと簡単に捨ててしまう者が居るのだ。何を考えているのかと想う。COCO-025(買い物から帰って来ると、車のボディーに乗って荷降ろしを観ている) が、飼う為の資格審査が無い以上、何を考えて飼って居たり将来の見通しなぞ持たずに飼っているか分からない。飼う以上は当然である愛情や道義的な事なぞ考えようともせず、唯流行だからとか格好が良いという理由だけの者も居る。人間の子供をロッカーに捨てたり殺したりする連中が居るご時世だけにペットなら構わないとする心が怖い。命を粗末にする人間は命の尊厳なぞ分かろうともしない。一度でも自分が命の危機を体験でもしなければ分からないのかも知れない。コンクリート詰め殺人事件というのがあったが、畜生にも劣る連中だった。そういう連中は未成年でも死刑に値する。死刑廃止論者が「それでも若者には更生のチャンスを与えるべき」と言うが「それなら、あなたの娘がそういう目にあって殺されても平気で許して死刑廃止を言えるか?」と問えば「設問する相手が違う」と言って言葉を濁すのだ。(次週につづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/25
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防衛力 世界が不況に陥って来ると国際問題があちこちで起きやすくなる。最近では、中東やユーロ圏や極東でのもめ事が姦しいが、常に覇権を問題にして来たアメリカが元凶だった。今もアメリカが覇権国の積りで、世界のあちこちにしゃしゃり出てリーダーシップを取っているが、アメリカは多国籍国家というか様々な国の民族が寄り集まって出来ている国だけに夫々の出資者とでも言うべきロビーストに依って問題の内容が違う。今大きな問題にしようとしているイラン問題は、核の脅威というイスラエルの中傷でイランをIAEAが核査察している事である。イスラエルはアメリカからこっそりと核兵器を入手し中東で893まがいの脅しを掛けて何とか生き残っているのだが、そもそも核兵器を国連常任理事国の五カ国だけに限定して保有出来るシステムが崩れ始めた事から世界の核バランスが崩れたのだ。つまりアメリカは馬鹿というか原因者である訳である。 893がよく使うマッチ・ポンプ方式で世界覇権を演出しているに過ぎないのだから、火種を起こすのも消すのも自作自演という訳である。核開発疑惑は核の平和利用(原子力発電や癌治療など)を謳いながら実は裏でこっそり核兵器を作っているのではないかという自分達がやってきた手法の焼き直しだから戦略としては稚拙である。相手もそれが分かっているから交渉事がすんなりと行かない。キツネと狸のばかし合い合戦である。元来、原子兵器(核爆弾)の原料であるプルトニウムを作るシステムを民生用に発電用として使っているのだから、プルトニウムを集積出来る遠心分離機が無ければそういう開発は出来ないのだ。しかし、それを持っているのではないかと疑念を持つのは勝手ではあるが証拠が無い。飽くまでもスパイ活動で得た(?)情報で疑うだけだから相手が知らぬ存ぜぬと白を切れば何も無い事になる。それでも疑うのは自分の暗い過去があるからだ。 自分で疑いを払拭できない以上、仮に、ねつ造した証拠で問題視したところで証明も出来ないから馬鹿だと言われる由縁である。放火魔が自分で火つけして自分で独り喜んでいる様と何等変わらないのである。そこまでしてイスラエルが生き延びるのを手伝わされるアメリカは893が用心棒として働いているのと同じ理屈である。それを逆手に使われているのが北朝鮮問題である。北朝鮮は矢張り生き残りを掛けて核兵器を開発したとされる。原発と遠心分離機を使ってプルトニウムを集積して核実験をしたとされるのだ。それ以来、六カ国協議(アメリカ・北朝鮮・ロシア・中国・韓国・日本)と称して北朝鮮は物乞い交渉をし続け、日本・中国・アメリカから食料や重油の支援を受けて来たのだった。しかし、日本に対して人さらい(拉致)をして来た事がバレて日本が経済援助を断った為に飢餓状態に陥り国家が機能停止になってしまったのだ。 そこで人道的援助と称して物資の援助をアメリカが精々、生かさず殺さず程度でして来た為に、辛うじて政府関係者だけが痩せもせず生き残って交渉を続けているという塩梅である。日本人拉致事件が解決されない限り日本は経済援助を再開しないから、拉致問題は目の上のタンコブになっているのに意地を張る北朝鮮は身動きが取れず、やせ我慢ばかりして虚勢を張っているから物笑いになっている。日本のパチンコ業界からの資金援助もままならぬ状態で、在日や日本在住の北朝鮮人の仕送りで少しは関係者が息を繋いでいると言われ、韓国や北朝鮮からの出稼ぎの町である大阪の鶴橋というコリア・タウンがバックアップしているのではないかと想われている。想われているどころか事実、韓国大統領の故郷であったり北朝鮮の新しい指導者とされる男の母親の故郷である。考えてみれば、毎日の様に山口県下関から韓国のプサン(釜山)にフェリーが出ているのである。 そういう交通手段がある以上、人の行き来があって当然で、日本と朝鮮半島との繋がりは合法的なのだから驚く方がおかしい。それよりもアメリカと韓国が黄海(朝鮮半島の西海)で合同軍事演習をして北朝鮮を怒らせる様に仕向け「さあ来い!」とばかりに待ちうけているのだから、893同士の睨みあいになっている。好戦的な日本の政治家や評論家は一発でも本当にドンパチやってくれれば有難いと想っている様である。何故なら、第二の朝鮮戦争が始まれば不況対策(日本の軍事産業が潤う事で経済が活性化する事)になるだろうと目論んでいるからだ。先年の天安という韓国の哨戒艇が沈没させられた事例があるだけに亦同じ事が起きるかもしれない。尤も、あの沈没事件は原因が隠ぺいされていて、アメリカ誤爆説や北朝鮮攻撃説が入り乱れているだけに戦争まで行かず、今回も双方の防衛力は比較に成らない位、北朝鮮が劣勢だけに戦争にならないだろうだろう。 もし本当に戦争になれば、1週間もしない内に結果が出てしまうだろう。が、そうなってしまってはアメリカも思惑が狂うから戦争ごっこのポーズで行くのだろう。踊らされる朝鮮民族は哀れである。仮に戦争手前のトラブルが1週間続いたらどうなるか。結論的には大した経済効果も無く、六カ国協議の再開がある程度で、その前に米朝会談で亦、生かさず殺さず程度の経済援助をアメリカや国連が行い、中国も渋い顔で仕方無く経済援助を続行するだけだろう。そして日本の拉致問題は更に遠のくだけだろう。拉致被害者の母親の横田さんがボクの出身高校の先輩だけに今春の高校の同窓会に来るのかしらと想ってしまう。防衛力があろうと無かろうと、交渉は経済力が大きな要素になるから北朝鮮は物乞いに終始し、アメリカは問題の先送り程度で終わってしまうだろうというのが一般的な観方である。それにはユーロの問題も大きな影響力を持つ。何時の世も経済問題が大きな要素である。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/24
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落ち着く処(ココ百景) この処、寒さも手伝って家に居る事が多くなったココは、朝の餌を食べ終えると先ず書斎に来る。そして、部屋に入ると暖房が効き始める迄、飾り棚の上に乗って部屋中を見降ろしている。書斎に入るには自分でドアを開けられないから、入れる様に少し開けて置いてやるのだが、其処から冷たい空気が入って来るので、ココの入ったのを確認して直ぐにボクがデスクを発ってドアを閉めに行く事になる。その一連の行動を見ながらココは相変わらず同じ姿勢でジッとしたままで居る。まるで狛犬のようなポーズだ。其処は空調機の温風が当たって温かいのだろうが、それもモノの30分もすれば温まり過ぎて気持ち悪く成るのか、トンと降りて来るとデスクのパソコンの上に乗って、今度は間近からボクの顔を観る様に成る。パソコンの上も矢張り温かいのだろうが、それよりもボクの目の前に居れば庭に出るのに便利だという彼女なりの計算である。 と言うのは、気分的に出たく成って来れば一寸そういう意思表示のポーズをボクに見せれば直ぐガラス戸を開けて貰えるからだ。その仕草は、パソコンの上で180度ターンをする事だが、それでも開けて貰えないと成れば降りて横のプリンターに乗って、上に置いてある予備の用紙に爪を立てて引っ掻き始める。用紙を破られれば困るから、ボクは直ぐに左手を伸ばして後のガラス戸を30cm程開ける事になる。それを観てココは、ピョンと飛んで行き、外へ出るという算段である。わざわざ人間に開けさせる為に一連の仕草を取るのは家人に対してでも同じで、妻には台所のガラス戸の前に向かってチョコンと座る。それが外へ出たいという合図で開けて貰えるまで待っている。外から中に入りたい時は妻がトイレに居る音を聴きつけて見計らった様に「ニャア!ニャア!」と大きく啼く。余りにも大きな声で啼くので近所に格好が悪いからと急いで開けてやるのだそうだ。 息子の場合は、屋根の棟瓦に乗って横の高窓から矢張り大きな声で「ニャア!ニャア!」と合図するのだそうだ。其処は道路から観える位置で近所にも聴こえるから矢張り格好が悪いから急いでベランダのガラス戸を開けてやるという。二階の息子の部屋から家の中に入る事を大分前から覚えて、丸で門番に開けさせるような態度だという。入ってしまえば用は無いとばかりに部屋を素通りして階下に降りて行くから息子は腹が立つのだそうだ。それを愚痴とも取れない言い方で言うから逆に喜んでいるのではないかと妻はボクに言う。人付き合いの下手な息子の良い遊び相手なのかも知れない。そう言えば、息子が外出先から夜遅く帰って来ると、家から数十メートルも離れた道路で出迎えるというから息子も悪い気がしないのか一緒に家に入って、ココの入ったのを確認してからドアを閉めている。忠犬ハチ公ならぬ忠猫ココという塩梅である。 ココの耳は鋭く、ボクや家人の夫々の音を遠くからでも聞き分けて行動する。ボクの場合は車で帰宅した時とか、餌を貰いたい頃に、妻の場合はトイレに入った時とか夕食の準備を始めた頃に、息子の場合は帰宅した時にと夫々人間の耳では聴き取れない音でも行動を起こす。それ以外の時は何をしているのだろうと注意して観察すると、時候の良い時は庭先の高野槇の指定席で居眠っていたり、仏間の濡れ縁で日向ぼっこをしている。この頃では寒いからボクの寝室へ行ってベッドでジッと寝ていたりする。夕方頃、何をしているのだろうと気に成って寝室へ向かうと、ドアを開けた途端、同時に出て来る事がある。階段の昇る音でボクだと分かるのだ。出て来ない時は、ベッドで丸くなって寝ていたり、目を覚まして寝ぼけた顔でボクの方を見上げる。「私に会いに来たの?」という風である。それを妻に言うと笑いながら「可愛い恋人で、良かったわネ」とからかう。 猫の年齢は一年が人間の4、5年だから8年目ともなれば三十過ぎで、もう立派な中年である。だからなのかこの頃では変な知恵が付いたのかへそ曲がり的な行動を取る事がある。ガラス戸を開けてやっても直ぐには出ず、庭を睥睨して敵が居ないか確認をするポーズを取るのだ。「早く出ないと閉めるぞ」と言っても数秒はジッと外を眺めている。外から書斎に入りたそうにベランダでボクの方を観ているのに気がついて開けてやると、それでも数秒躊躇している。「やっと私の視線に気が付いたの?遅いわネ」とでも言う風にである。餌も直ぐには喰いつかず「食べてあげても良いワ」という態度を取るから「食べたく無いなら、お預けだな」と皿を取り上げると「変な事しないでヨ」という顔で見上げる。改めて置き直すとようやく食べ出すのだ。変わったところでは先日も書いたが「荒城の月」をボクがユーチューブの演奏に合わせて歌い出す時の仕草である。 高音部に差し掛かるとボクの周りをグルグルと廻って、終いに膝に乗って大人しく聴いている事だ。更に、続けて行くと顔を摺り寄せてくる。「きっと高音が気持ち悪いのヨ」と妻は言うが「気持ち悪ければ、逃げて行く筈なのに、近寄って来て顔を寄せるヨ」と言うと不思議そうな顔をしている。何か怖い事があった時にもボクの膝に乗って大人しくしていた事があったから何か気持ちに作用するモノがあるのだろう。ボクの膝もベッドも落ち着く処なのかも知れない。八年目に入って、ようやく自分の落ち付ける場所をあちこちに見つけ出したのだとすれば家族の一員として、いよいよ自分も人間だと想い込んでいるのかも知れず、そうだとすれば軽々には扱えないなと想ってしまう。人間でも落ち付く処を見出すには時間が掛かるものだ。ボクなんかサラリーマン時代は自宅以外は一度も落ち付ける場所が無かった。今でも外では落ち着ける処というのは少ない。多分、故郷へ行っても同じだろうと想う。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/23
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免疫力 花梨酒を飲んで居る。もう一年以上になるだろうか。その事は以前にも書いた事が在る。週に一、二度お湯割りにして飲んでいるのだが、段々と減って行き、何度か焼酎を2リットルづつ足している内に花梨の香りがしなくなってしまった。そこで花梨を取り出してみると、色は茶色く成ってはいるものの堅いままだったので全部捨ててしまった。残りのエキスである焼酎は勿体ないので種を濾しながら別のワイン・ボトルに入れ替えると4本ほどに成った。これで一ヵ月は持つだろう。しかし、花梨酒の効能があったのかどうか分からず、今度は生姜酒を作ってみようという気になった。花梨は喉に効き目があると言うが、むしろ生姜湯の方が効き目があったからだ。漢方薬でウコンというのがあるが、あれは生姜の事だから生姜酒で晩酌すれば風邪に効く気がするのだ。勿論、飲み過ぎると逆に風邪をこじらせるから程々にしなければならないのは言うまでも無い。 要は身体を温めてくれて風邪予防になるのだろう。尤も、若い頃からの大酒が祟ったのか中年を過ぎた頃から免疫力が落ちてしまった。冬場に風邪を引き易くなったのだ。大病はしなかったものの常に風邪気味になってしまうのである。特に極寒の頃にそうなのだ。気候の良い時期は比較的健康なのだが、年末になって冷えて来ると風邪を引かない様に神経を使ってしまう。ウォーキングなどで常に歩き廻るとか外出で忙しくしていれば風邪を引いている間も無いのだが、たまたま暇な折は自宅に居る事が多いから寒い日なぞ暖房をしていても油断をすると風邪を引いてしまう。だから、その為にも晩酌で身体を温めて風邪を引かない様に工夫しているのだが、朝方、ベッドで身体が強張っていると風邪の前兆の様な気分になって暫く呼吸を整えて体調を立て直してからでしか起きられない。風邪ぐらい何だと油断していると、こじらせてしまい二三日寝込む事になってしまう。 風邪を引かなくても予兆があれば早目に薬を飲んで治してしまう事にしているのは、青年時代に、扁桃腺の手術をした事があったからだ。そのお蔭で、それまで直ぐに高熱を出して風邪で寝込んでいた様な事は無くなって青年時代はずーっと健康状態だった。しかし、中年を過ぎてからは無理が効かなくなって疲れると風邪を引いた様な不快な気分になってしまうのだ。だから無理と想える運動や山登りは控える様になり、精々ウォーキング程度で過ごして来た。運動量は控えたものの、アルコールの分量は減らずに増えて行った。中年の頃には人の一生分の酒を飲んだと想える程、毎晩飲んだ。バーテンダーが驚くほど酒を飲むピッチも速かった。余りにも飲みっぷりが良いので、どの店も現金払いではなくツケで飲んで欲しいと言う程だった。が、ボクの主義に合わないのでツケでは飲まなかった。店にすれば、ツケにしてくれれば売り上げが伸びると考えたのだろう。 酒の上での失敗は親父を通して反面教師として学んで来たから、酔ってもとことんまでは行かず大怪我もせずに今日まで来た。酔っても良いケースとそうでないケースとを使い分けて来た訳だ。そのせいで大失敗は無かったものの、その割には身体が付いて行かなかった。それなのに今でも友人とは対等に飲める積もりで居るから生来酒好きなのだろう。つまり未だ卒業にまでは至って居ないと言える。酒なぞ幾ら飲めると自慢してみたところで高が知れている。かつてサラリーマンをしていた頃、上司から「酒と言うものは自分で飲んで楽しむよりも、人に飲ませて楽しませるものだ」と教えられた筈なのに、未だその真意が分かっていないのだ。人は酒を飲んで酔えば本音を出すものである。だから酒の上での事は無礼講と言うのは実は嘘で、それを逆手に取って相手の弱点を知る道具だと言う訳である。美味い酒は、独りでこっそりと飲むものだと教えられたのだった。 竹林の七賢人とは程遠い腹の探り合い的な酒の飲み方なぞゲスっぽくて嫌で、本来の気持ちの良い飲み方をしたいものだが、最近では友人と心行くまで飲める機会が少なくなってしまった。そういう友人との酒は楽しい。しかし、楽しい筈の酒が世の中が世知辛くなったせいか、どうもチャンスが無くなって来た感じがしてならないのだ。利害関係も見栄も無い関係で打ち解けて飲む酒は矢張り竹林の七賢人で終えてしまったのだろうか。それこそ一期一会の酒の酌み交わしが出来れば楽しいと想う。何度も書いているが、昔の同窓生との飲み会も、青年時代や中年時代のブランクを飛ばして、その間に培われた練れた思考力をも無視して、いきなり昔の想い出だけで飲もうとするから余計な思考や経験が邪魔をしてしまうのだ。人間は変わらない部分と変わる部分との割合が人に依って違うのだ。夫々の家庭もあれば交友関係もあり当然ながら全部違う。 そういう事を理解しつつも現代の自分の基礎を作ったプロセスを無視して飲むから齟齬が生じるのだ。そんな難しい事なぞ考えずに飲める人は幸せである。本当の酒飲みは敵とでも平気で飲めるものだと言う。其処までのめり込める人も幸せと言えば幸せである。そういう精神的な免疫力が出来れば大したものだ。嘘にまみれた世の中で真実を求めて付き合う交友関係は非常に難しいものである。風邪を引いたから薬で治せるという様な訳には行かないのである。それなら独りでしんみりと飲む酒の方が悪酔いしなくて済むだろう。「独りで飲んで何が楽しい」と言う人は本当の酒の味を知らない人だ。元来、酒は神経を弛緩させる飲み物である。緩んだ頭で難しい事を考えるから無理が生じるのだ。竹林の七賢人ならぬ現代人が喧々諤々と口角泡を飛ばし論じながら飲むのも良いだろう。話の内容なぞ時代が変わろうとも大して変わらないのだ。要は馬鹿になって騒げるかどうかと言うだけであろう。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/22
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希望の原動力 30~40年程前の青年時代に、毎月の様に建築雑誌に投稿していた事があって、その都度、謝礼の図書券が送られて来ていた。本は毎月それこそ読み切れない程、丸善から取り寄せていたから全部それに当てても全く足りなかったが、それでも多少は役立っていたのだろう。その頃はインターネットなぞ無く、当然ブログ(ウェブ・ロガリズム)も無かったから雑誌に投稿する事でボクなりの建築論や人生観を述べていたのだった。そして、想い出す度に赤面しそうになるのは、その頃から「今時の若い人は・・・」と書いていた事だった。その頃は未だ青年の後半の頃だったから年寄り地味た言い方なぞ似合わないのに、さも人生経験を経た年配者の様な言い方をする事で言葉に重みを付けていたのだった。そういう事が出来るのも若気の至りなのだろうが、大いに自信があって恐れ多くも建築の設計界を自分がしょっている様な気分で居たのだった。 ところが、加齢と共に人生経験も積んで行くと決して実力だけでは著名には成れず第一線では活躍出来ない事を知る様になるのである。それはどういう事かと簡単に言うと、ある種の圧力団体のバックアップを受けないと世に出られないという事である。ある種の圧力団体という言い方は曖昧だが、具体的な表現をすると差し障りがあるので言えないから漠然とした表現を取るなら、政治団体や民族団体や被差別団体などである。少なくともそういう応援が無ければ余程の個人的なコネが無い限り、全くの非凡な才能だけで出世するのは万に一人でしか無いという事である。それを知れば「何だ、自分はどれにも該当しないではないか」という人が多く居るだろう。そういう人は自分に非凡な才能があってそれを応援してくれる人が居たとしても「少しはその世界で名は知れるかも知れない程度」にしか伸びないと覚悟した方が良い。それが現実である。 それが分かってボクなんか早くから落胆してしまった口の一人だが、それなら世に出た人が総てそうなのかと探ってみた事があった。すると著名な建築家の殆どが大学教授を兼ねていたり、その息の掛かった人ばかりだったり、著名なのに裏で悪どい事をしていたりと大よそ理想として来た建築家とは大違いである事を知って愕然としてしまったのだ。例えば、スーパー・ゼネコンのバック・アップでコンペに通ったり、政治力を使ったり、直接地方の首長と直談判して設計を横取りしたりしているのである。まさか、あの先生がと想う事も度々あった。そんな事は当たり前の事だと業界通の人は後で教えてくれるのだが、それでは若くして張り切っている建築家の卵では到底仕事が取れない。逆に言えば、取れずとも、そういう裏事情を知らないまま挑戦し続けている人の方が、ある意味で幸せなのかも知れない。知らぬが仏と言う言葉すらあるではないか。 だからでも無いが、残念ながら日本ではまともなコンペは無いと言われる。そういう事情を知ってボクは建築家を諦めたかというと実はそうではなく、地味にでも良いからその仕事を続けて行く事にしたのだった。それは、建築が好きだったと言う事もあるが、何時かはまともな社会になるであろうという希望を持ったからだった。そして大手の企業でサラリーマン建築家として勤め、結婚もし、子供も出来、家も建て、その後は独立して二十年、何とかやって来たのだった。果たしてそれで世の中は良くなったかと言えば、残念ながらむしろ悪くなっていると言わざるを得ない。愚痴を言った処でどうにもならないのは自分の境遇と非力に依るものだから今では仕方が無いと半分諦めているが、それでも友人や知人を観る限りボクの方が幾らかましな生活や生き方をしているのを感じるのだから不思議な気がする。これも御先祖様のお蔭なのかも知れないと想ったりする。 しかし、ご先祖様と言っても大した人物が居たかどうか知らない。親父の本家は精々、名字帯刀を許された本陣宿をする庄屋であったと知る程度である。そんな程度のご先祖様なら世の中にはゴロゴロ居るだろうし、殿様や貴族だった人も五万と居る。しかし彼等が必ずしも著名な建築家に成ったかと言えば、ボクは知らない。逆に、そういう境遇の人々は仕事をせず財産を喰いつぶして、かつての家来だった人の成功者の誰かから庇護を受けて生きているのかも知れず、多くは政治家の道に進んで政治団体に属しているのだろうが、それよりも戦後は、かつて虐げられた民族系や被差別の人々の団体が勢力を持ってしまったというのが日本の近代史の流れなのだろう。だからこそ、そういう団体の支援を受けないと世に出られないのだ。が、あからさまにそういう現実の中で生きて来た若者は絶望まで行かなくとも希望を持てと言われても難しいのだ。 ところでボクは、或る病院の介護リハビリ部門が出来て、その竣工式に招かれて来賓の挨拶をした事があった。予めその病院のホームページから経営理念を読んで感激した事を織り込んだ挨拶だった。それはマルチン・ルターの言葉で「たとい、明日世界が無くなろうとも、私はリンゴの木を植える」というものだった。それが何故かボクの心に留った。そうか、人は未来を信じて生きて行くべきなのだと改めて心に響くものを感じたのだ。参考までに原文のドイツ語でも披露すると披露宴の参列者一同からドーッとざわめきが起き大いに受けた事もあって記憶に残っている。原文で言った方が滑らかでリズミカルだった。そう言えば、東京でかつてのバウハウスの学生や研究者による作品群コレクションに直に触れるチャンスに恵まれた事があって、その時にも同じ気持ちを抱いた。つまり、未来を信じる事が自分を救ってくれる原動力になるという事なのだろう。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/21
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新しい発見(ココの癒し) 土井晩翠作詩、滝廉太郎作曲の「荒城の月」をユー・チューブの色々なバージョンで聴いている。先ずテノール、そしてソプラノ、更には合唱、そして器楽曲と様々なパターンである。シンフォニーもある。曲自身も原曲のままのものから、アレンジしたもの、ジャズにしたものと種類は多い。そこまでしてでも演奏するのは聴きたい人が多く居ると言う事だろう。演奏者は日本人だけかと想っていたら外人演奏家も多く居るから世界的な現象である。独奏の素朴なところでは詩吟の場合もある。そう成るともう詩の朗読に近い。凛とした女性の澄んだ声が透る空気は正に日本的である。器楽曲の中で、ギター演奏されているのをボクが一緒に歌っていると、ココが近寄って来て足元に摺り寄るので抱っこしてやると、何時もならスルリと腕から抜けて逃げてしまうのにジッと聴き入っている。不思議に想って頭を撫でてやると目を細めて気持ちよさそうにするのだ。 そして高音部に来ると小さな声で「ニャア」と啼いて顔をボクの顔に摺り寄せる。高音が気持ち悪いだけなら逃げて行く筈なのにジッと憂いに満ちた目で観ているのだ。だから多分、高音部が気持ちを高ぶらせる効果があるらしいのだ。何曲か繰り返してから、試しにテノールの場合もソプラノの場合もやってみたが同じような仕草をする。だからボクの歌う声だけに反応する訳ではない事が分かる。猫に音楽が分かるらしく、犬が音楽に合わせて歌うのは知っていたが、猫が音楽に反応して目を細めたり擦り寄って来るのは初めてだ。子供時分にも長年猫を飼って居たが、そういう現象は初めてなので正直驚いている。だからなのかココとボクとの距離が一段と近づいた気がする。毎晩、ベッドに寝に来るのは当たり前にしても、ボクが書斎からトイレに行ったり、隣室のリビング・ルームへ食事に行くにしても一緒に付いて来る。「親分に付きっきりネ」と妻は呆れる始末だ。 外出先から帰宅した時なぞも掛け寄って来てまとわりつく。車の場合だと轢いてしまわないかと充分注意しなければ気が気では無い。下車して門に行くと門柱に乗って頭を近付けるので必ず頭を撫でてやる。そうする事が癖に成ってしまっている。可愛いが、面倒くさい時もある。生協の配達やクリーニング屋さんが来ると猫好きの人ばかりだから矢張り擦り寄って人気者である。自分を可愛がってくれる相手は波長で分かるらしいのだ。来客があって書斎で話をしていても近くまで来てジッと客を観ている。猫好きの人なら自然に近付いて行くが、そうでも無い人の場合はボクの横に居てジッと話を聴いている。当然ながら何の話か分からないのに雰囲気で何か難しい話なのかどうか確認しているのだろう。飽きればパソコンの上に乗って我々を見降ろしている。要するに自分も家族の一員であるのは当然としても人間だと想っている節がある様だ。 もう7年以上我が家に居るから家族そのもので、自分は家族の序列の二番目に居ると想っているらしく、妻は三番目、息子は四番目として観ているらしい。だから親分のボクには少々嫌な事でも辛抱するのだろう。嫌な事とは、抱っこされる事とか、ブラッシングされる事とか、足の爪を切られる事である。が、最近ではボクの代わりに妻が餌をやる事が多くなったので妻に擦り寄る事が多くなった。夕食の準備をしている妻にピタリと寄り添って「どんな御馳走を作っているのだろう?」と見上げたり、出窓に乗って調理台を眺めたりしている。人間の食べる物がすべて美味しい物と想い込んでいるらしく、臭いでもそう想うのだろうが、焼き魚とか刺身やみそ汁の下準備でおこぼれに預かるのを待っている。みそ汁の下準備に煮干し雑魚を出汁袋に入れるのだが、妻は味に凝っているので四国産の物や瀬戸内海産の物を取り寄せているので臭いが違うらしい。 猫用として別にわざわざスーパーで袋入りの煮干し雑魚を買っておいて与えているものの、食べる事は食べるが嬉しそうな顔をしない。それよりもみそ汁の出汁を取った後の出柄でも美味しそうに食べる。多分、鮮度が違うのだろう。動物だけによく分かるらしいのだ。多分、スーパーで売っているのは鮮度を保つ為の防腐剤が入っているのだろう。そう言えばミルクもそうだ。昔の牛乳は、配達された牛乳瓶を朝取り込むのを忘れると昼には紙の蓋が膨れ上がって発酵が進んで飲めなくなったものだったが、今の牛乳は四角い紙袋に入っていてなかなか腐らない。余程、防腐剤が入っているのだろう。だから無理には飲ませない様にしている。その代わり、バターやマーガリンは好んで食べる。カラスがゴミ収集日に袋からマーガリンの入れ物を狙って破って食べるそうだが、それも味を知っているからだ。事、食品に関しては人間よりも動物の方が舌は確かな様だ。 カラスも頭が良い動物だが、それよりも更に知能が発達している犬や猫は人間のペットに成って人間の癒しの道具にされているが、ココの様に「荒城の月」を聴いて近付いて来て、何時もなら嫌がる抱っこをされても平気で目を細めて「ニャア」と小さな声で啼く様は驚きである。更にはキ―が高くなればボクの顔に自分から顔を摺り寄せて来て愛撫する様子は今回初めての経験だけに新発見であり、その様をユー・チューブにでもアップすれば人気者に成るのではないかと想ったりするが、冷静に考えればココを見世物にするのは忍び無く、このまま好きな様にさせておくのが本当の意味での癒し効果としてのペットの存在なのだろう。自分や家族を癒してくれる大事なペットを丸で売り物の様な見世物にする人の気持ちがボクには分からない。それなら一層の事、金儲けと割り切ってブリーダーにでも成れば良いのだ。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/20
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占い 夜明け前が一番暗いとか、一番寒いと言われる様に、立春を過ぎて二月も下旬に入ろうとしている今が一番寒い頃なのだろう。何でも直前がピークであるというのは良い意味でも悪い意味でも言える事なのだろう。そう想って、かつての物事の顛末を振り返ってみると、嗚呼あの時がピークだったのだなと気付く事がある。特に良かった事を想い出すと、その後の下り坂を観れば一目瞭然である。卑近な例では掛け事の引け際がそうだ。勿論、合法的なものに限るが、日本では競馬や競輪、競艇等の公認の掛けごとがあるが、ボクはそういうものを一切やらないので日本での経験が無いのだが、若い頃、マカオで博打をして勝った事があって、そんな事を想い出したのだ。それはルーレットやカード等の他に様々な博打があるのだが、三個のサイコロの出目で勝負する大小というゲームでは単純なだけに勝ち負けが早く決まる。それで千ドル程儲けたのだった。 今から想えば僅かな儲けで喜んで舞い上がったのだから可愛いものだが、勿論、観光客だったからパーと全部遊んで遣ってしまって大いに気持ちが良かった。何処かの製紙会社の社長の様に百億もの大金をパーっと使える身分では無いので桁も違えば立場も違うから同じとは言い難いが、博打で儲ける気分と言うものは基本的には同じものなのだろう。しかし、最初から額を決めて遊ぶつもりでいたから引け際が冷静に見極められたのだと想う。三人で旅行した仕事関係の仲間も全員儲けたから良い想い出になった。しかし、帰国してから間もなくボクは単身赴任で東京へ行く事に成って、数年間、大阪を離れたから彼等とは交友関係は終え、その後も会う事も無いまま今日まで来ていて彼等が今どうしているのか知らない。結局、マカオへ博打をしに一緒に行く為に付き合った仲間で終わってしまった様なものだった。そういう交友関係は淡白なものである。 今でも時々、何処かの国で博打をしてみたい気がするが、そういう仲間が居ないし求める気も無い。友人で長年競馬をしているのが数人居るが、どうも性に合わないというか一度もやった事が無い。馬を走らせて掛けるのが性に合わないのだ。どうせやるなら自分が主体でやらないと気が済まないのである。だから宝くじを買う程度である。しかし、あなた任せの宝くじでは面白くないので自分で選ぶナンバーズ(LOTO 6)というのをやっている。あれは自分で数字を六つ選んで買うから外れても自分の力量だと割り切れるのだ。しかし、めったに当たらない。確立が非常に悪いからだが、それでも之までかなり当選して20%位は当たっている。5等の千円や4等の一万円ばかりだから合計20万円程度だから知れているが、その内にドッと1等の大金(1億円)が当たるだろうと期待している。せめて3等でも当たれば簡単に元が取り戻せるから損害は少ない。 勿論、遊びの積りだから頭に数字が浮かばなければ買わない。頭に数字が浮かぶという買い方は非科学的だが、では、科学的な買い方が在るのかと言えば「NO!」である。絶対に当たるソフトなるものが方々で売り出されているが、全部非科学的なものである。絶対に当たるなら何もわざわざ宣伝して売らずとも自分で当選ばかりすれば億万長者、否、兆万長者に成れる筈である。つまり、絶対に当たるという騙しの夢を与えて売る事で儲けるだけの事なのだ。そんなソフトを買うよりも自分の直感を信じて買う方が夢がある。ボクも一応は自分なりのデータを取って分析はしているが、数字の傾向は掴めるものの直観でしか当たらないと割り切っている。最近は、数字が一つか二つしか当たらないので、少し冷却期間を置いている。気分が乗って買っても三つの数字が当たるものの、その内の一つはボーナス数(予備数)なので5等にも成らないのだ。 ボクは直感というのを信じている。昔からそうだ。易経というものが一種の偶然性と直感のコラボレーションの様なもので、かなりの確率で未来が見通せるから応用している。しかし、それで「LOTO 6」の数字を予測は出来ない。波やリズムを知るのである。将来の波やリズムが好調か不調かは健康状態にも依るが、先の事は今の積み重ねでしか無いので、今を占うのである。今の体調は風邪気味だとか快適だとか毎日様々だが、知りたいという意識が働けば易経で観る。易経は8*8の64卦(解答例)があって、その一つが出れば直感も働かせて総合的に占うのである。総合的と言うのは、自分や相手や社会状況と照らし合わせるのである。その時々の社会情勢は刻々と変わっていて全く同じと言う事が無い。つまり一回切りという事である。そういう意味では毎回新しいのだ。前は前であって、これから先は新たな現象であると観るのである。 マカオで勝った夜の空を見上げると満月だったのを覚えている。ボクは蟹座で満月が大きく影響する星座だそうだ。そうい言えば満月の夜は良い事が多かった気がする。そういう想い込みも易経の判断には影響するのだろう。満月の潮の満ち引きが体調や考え方に影響を与えるのかも知れない。ウミガメの産卵期や時刻にも、人間のお産にも影響を与えると言われる。人間も大自然の動きの中で生かされていると想えば納得が行く。科学が発達していなかった大昔は星の運行や天候、天変地異で様々な事を予想し占った。だから国旗にも太陽や星が象徴的に表されているのだ。日本の日の丸の国旗は単純だが、日出ずる国そのものを表していて観方によっては不遜であるかも知れないが、そういう想いで成り立ってきた国であるだけに歴史的証拠として日が沈むという意味で無い処が面白いと想う。それは国民に希望を与えてくれ、世界を救う原動力にもなるだろう。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/19
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i Pod(イヤ・フォン) 4年前に左耳が突発性難聴になって、数か月治療した結果、中音以外は約半分ほど聴こえる程までに回復したのだったが、その時の後遺症の様な現象が出て、半分聴こえるようになった左耳の耳管狭窄若しくは耳管拡大のどちらかの症状らしく音が割れるので聴きとり難く、外出する時はi Pod(イヤフォン)を聴く様にしている。そうする事で残響が耳管内で響かず少しは気持ちが和らぐのだ。勿論、車を運転する時は危ないので聴かない。騒音や周辺の物音が聴こえないのでは困るからだし、カーナビの音声も聴きたいから少々耳に響いても運転中は辛抱している。イヤフォンで聴くのはスーパーやデパートへ買い出しに行った時で、騒音がワ―ッと響いて鬱陶しいからだ。聴く音楽はジャズである。昔の曲でソニー・ロリンズのサキソフォンやウエス・モンゴメリーのギターである。独身時代は毎日の様に聴いていた曲である。最近、その復刻版がCDで出たのだ。 2Gバイト録音出来るので他にも沢山別の曲を入れている。例えばクラシックではバッハのマタイ受難曲(コラ―レ)や器楽曲(オルガン、ギター、ピアノ、チェンバロ、フルート)である。電車の中では目を閉じているのでバッハが良い。歩いている時はジャズが良い。夫々の気分で使い分けているのである。ジャズは軽快で良い。リズミカルで規則正しいのが気分をほぐしてくれる。他人が観れば変な老人に観えるかも知れないが一向に気にもしていない。気分は青年そのものである。ボクのイヤフォン歴は長く、東京へ単身していた22~27年ほど前はソニーのウォークマンで聴いていた。その頃は小唄を聴いていた。ラッシュの中でのんびりとした邦楽を聴いていると毎日の通勤ラッシュも苦に成らなかった。新宿や渋谷の喧騒は想い出すのも鬱陶しいが、イヤフォンでそれを遮断していると眠くなる程気持ちがゆったりしたものだった。 今は、現役とは言うものの半分リタイアしているからノンビリした曲よりもジャズの方が気持ちがシャンとして良い。ジャズは何も若者ばかりが聴く音楽では無い。最近ではかつてのジャズ・ファンがリタイアして老人になって聴いているというから亦流行り出したのだろう。ボクの様にジャズやクラシックや邦楽を並行で聴いても平気で居られる人間は、気分次第でどれでも楽しめる。だが、流石に歌謡曲は聴かない。カラオケでフランク永井の「有楽町で逢いましょう」や五輪真弓の「恋人よ」を歌う以外は、歌謡曲は殆ど歌わないし聴かない。最近、歌謡曲がさっぱり流行らなくなって日本人は歌を忘れたのかと想える現象だが、先日来、滝廉太郎の「荒城の月」をユー・チューブで聴いていると案外多くの人が聴いているのが分かって見直した。ああいう日本のメロディーはジーンと心に訴えるものがある。日本人に生まれて良かったと想う一時である。 多分、アメリカ移民のイタリ―人ならイタリ―民謡を懐かしんで歌うのだろうが、そういう気持ちと同じである。ロシア民謡もそうだが、物悲しい曲が多いのは何故だろうと昔から不思議に想っている。大体、民謡と言うものは物悲しいものである。それは故郷を想い出すのは故郷を遠く離れている場合だからだろう。遠くの異国の空の下で国を想い歌うからこそ悲しみや哀愁が込み上げて来るので、故郷にあっては出て行った家族や友人を想い浮かべて歌うのだろう。今の様に携帯で海外からでも手軽に話が出来る時代では哀愁も糞も無いだろうが、訳あって帰れない人は殊更懐かしんで想うものである。「世は歌に連れ、歌は世につれ」と言う様に、記憶にある歌は様々な事柄を想い出させてくれるものである。楽しかった事、哀しかった事が走馬灯の様に浮かんでは消えて行く。今時、走馬灯を観た事も無い人も居るだろうが、お盆の時のあの風景は懐かしいものである。 i Podが出始めて直ぐに買って、非常に小さくて便利なので長年重宝しているが、最近ではi Padというのも出て流行っている様だ。モバイルは便利だが、文字が小さいので、ボクは携帯でもメールはやらない。メール(Eメール、Cメール)は電話の通話料よりも安くて済むので若い人は大いに利用しているのだろうが、ボクなんか文字が小さくて読み難く嫌である。メールは自宅のパソコンでしかしない。妻がCメールをよく送って寄こすが、返事を打つのが面倒なので電話で返事をしてしまう。同じ会社の携帯だから無料という事もある。ワンセグのTVもめったに観ない。バッテリーが直ぐに上がってしまうから、うっかりすると携帯が使えなくなってしまう心配がある。用意の良い人は充電用のコードを持ち歩いているそうだが、其処までする気も無い。物ぐさもあるが、大体、携帯を持つのも本当は嫌いなのである。 しかし便利になったものである。この正月に京都で小学校の同窓生と飲み会をした際に、一人の男が「俺は携帯や腕時計は持たない主義なんだ」と自慢そうに言って居たが、さぞ不便だろうなと勝手に想像した。が、本人は至って気楽な表情で、何も不便を感じないそうである。電車に乗るのも約束の時間に待ち合わせるのも慣れれば不自由しないのだそうだ。今時、何処にでも時計はあるから観れば済むのだそうだ。しかし、こちらから連絡するのが不便で「そういう場合は、どうする?」と訊けば「嫁さんの携帯に電話をしてくれれば連絡が付く」と番号を教えてくれたが、顔も知らない奥さんに電話をするのも気が引けて、結局一度も電話をしていない。要は、彼も一種の人間嫌いなのだろうと想ったが、ボク以上にそうでも無さそうだったから、案外ボクや友人からの連絡を心待ちにしているのでは無いだろうかと想ったりもするのだ。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/18
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飛翔(6) 「荒城の月」を歌っていて余りにもキ―が高くて声がかすれそうに成った。高校時代に音楽部に入って混声合唱をしていた頃は何とか出ていたのに長年高いキ―の曲を歌って居なかったせいか喉が苦しくなった。酔ってカラオケで歌う曲はどれも簡単で楽に歌えるものばかりだったのに、案外、こういう単調な歌ほど難しい事を再確認した様なものだった。声は練習で或る程度は回復するだろうが、急には直らない。それだけに無理をして歌った。そんなボクの声が家中に響きだしたので家人は何事かと驚いた様だった。それでも何度もユー・チューブを鳴らしながら一緒に歌っていたので多分懐かしがって歌っているのだろうと理解した様だった。歌っている最中にも涙が出た。ティッシュ・ペーパーが沢山ゴミ箱に溜まって行った。面白い事に、ココが変な顔をしてボクの周りをグルグル廻って様子を見ていた。終いにデスクに乗ってボクの歌う顔をシゲシゲと観る始末だ。 夕食の時、ココの事を妻に話すと「多分、高い声が耳触りなのヨ。黒板を爪で引っ掻くような気持ちに成るのじゃ無い?」と言って笑った。ココにすればボクが歌う姿を観るのは初めての事なのだ。耳慣れない音声で異常な雰囲気を感じているらしい。「成る程、そう言えば、抱っこしてやると高音になる度に顔に甘噛みしようとするんだ」「そうでしょ、口笛を吹いても、気持ち悪い仕草をしてウロウロするもの。犬が歌う事があるでしょ?音楽を鳴らしながら物を売りに来る車が来ると隣の犬が一緒に歌いだしていた事があったわよネ」そう言われれば、犬が遠吠えのような声でスピーカーの音楽に合わせて歌って居たのを想い出した。「ココの場合は一緒に歌うんじゃ無く、気持ち悪い様な仕草だけで啼き声は出さなかったな」とボクは納得した。「そうでしょ、高音が気持ち悪いのヨ」確かに高音の波長がココの耳には異様な音に聴こえるらしい。 ココに何等かのインパクトを与えたボクの「荒城の月」も、家人のやんわりとした批判と丸一日歌い続けて飽きた事もあって終わった。今は時々、ユー・チューブを聴くだけだ。それでも充分堪能する事が出来る。中でも錦織健の歌唱力には何度聴いても感心するばかりだ。プロだから当たり前なのだろうが、あんな声を持って居ればどんなに嬉しい事だろうと想う。数十万人に一人の声の持ち主だけの事はあると想った。しかし、歌唱力では無く器楽曲でも表現力が優れて居れば感涙にむせぶ事も出来る。アン・アキコ・メイヤ―なぞは正直な処、ボクはこれまで知らなかった。日本人とアメリカ人とのハ―フだが、心は充分に日本人としての「荒城の月」の精神を持っている風に聴こえるのだ。彼女の持つ「ストラディバリ」のヴァイオリンの音も素晴らしい。その他には邦楽の琴や尺八・中国の二胡も良かった。身近な処ではハーモニカやオカリナもある。夫々個性がある。 その個性こそが人間性の原点なのかも知れないという気がする。色々な事を人間は言うが、教科書のような訳には行かないのが人間だ。教科書の様に行けば人生は詰らないものにしか成らないだろう。個性が同じマニュアルを見ても違う解釈をし、違う行動を取らせるのだ。良いとか悪いという問題では無く、結果が同じなら良いというものでも無い。一つの山を登るにしても様々なルートがあり、方法も違えば気象も違い季節も違うのだ。個人的には体調も違えばものの感じ方も違う筈だ。総てが各人の判断に委ねられているのだ。似たものは在っても全く同じという事が無いのだ。一回勝負に出るのが人生なのである。ル―チン・ワークのように同じ繰り返しの仕事の様な訳には行かないのである。人生は一回切りなのである。それを我々人間は果敢に挑んでこなして行くのだ。こなした後に充実感が待っている。人生の喜びを感じる時である。 そう想えば怖いものなぞ無い筈である。何も媚びる必要も威張る必要も無いのだ。失敗した事で臍を噛む必要も無いのだ。失敗をすればこそ人間は反省し、見直し、工夫し、次回にはそれをクリアするのだ。クリアしてこそ生甲斐や遣り甲斐を感じるのである。スポーツもそうだ。事業もそうだ。研究開発もそうだ。寄らば大樹の陰という考えは捨てるべきなのだ。誰かに庇護してもらおうなぞと甘っちょろい事を考えていると大きな落とし穴に落ちるか、後で後悔をする事になってしまうのである。人生は誰の為のものでは無く自分の為のものなのだ。だからこそ個性で生きるしか無いのである。勿論、人との協調性は必要だが、迎合ばかりしていたのでは人生の意味が無いのである。人生の成功者は、その殆どが個性的であるのを見ても分かる。人の後に付いて行って後塵を拝してばかり居ると、その前には出られないのである。自分は自分なのである。 同窓生との飲み会の回想や「荒城の月」の歌でこの数日があっと言う間に過ぎた。バレンタインのチョコレートを貰って、甘く苦味ばしった口中をワインで流す夕食の一時も既に終えた。相変わらず世の中は不景気風がインフルエンザを伴って吹き荒れている。不況の元凶であるアメリカは必死に成って偽物経済をもっともな風に見せようとしてもがいている。自分だけが苦しむのが馬鹿ばかしいとばかりに、ユーロやアジア・中東・アフリカを巻き込んでBRICに対抗しようとしている。中国も国内事情がおかしく成り掛けているのを抑えるのに躍起になっている。世界中が不況と言う恐竜に振り廻されているのだ。今年の干支である辰(龍・ドラゴン)の様に、今年は気象も含めて暴れまわるだろう。それでも若者はめげずにそれに向かって飛翔しなければならないのだ。ボクはそれをバックアップしたく、今、エールをおくりたいのである。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/17
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飛翔(5) 「老化現象は、この世に生まれ出た瞬間から始まる」と或る脳生理学者が言っていた。確かに建築でも竣工引き渡し時から老化が始まる。その為のメンテナンスや取扱説明や保証の説明が為される。一日でも過ぎれば中古物件になる。「嫁と畳は新しい方が良い」というのもそう言った意味合いだろう。一夫一妻制と一夫多妻制の比較なぞしても仕方が無いが、生殖能力と生活力が旺盛なら法の許す限り数多くの女性を望むのはオスの本性かも知れない。中には初婚でも中古(未亡人や離婚歴のある女性)で満足する幸せな男性も居たりして本当の幸せとは何かを教えてくれる。それはオスに限らず人間の場合、女性にも同じ事が言え、オシドリ夫婦が居るかと想えば、愛人を多く持つ者も居る。しかし、それは上辺の快楽と満足だけの話で、出産は本命でしか果たさないだろう。そういう並行行為では無く、単発行為で次々と新しい夫を求める女性も居る。 所謂、多産系の女性がその様である。死別で無く、わざわざ別離してでも新しい夫を取り替える女性も居るぐらいだから人それぞれである。尤も、どれが良いかは本人に訊くしか無い。当の本人も「神様に訊かないと分からない」と言うかも知れない。ボクなんかに言わせれば「わざわざ複雑な人間関係を作って煩わしく無いのか?」と言いたくなる。かつての妻に自分の子供が居るとか前の夫に自分の血を分けた子が居るなぞと十字架を背負った夫婦がいるが、お互い自分の亡くなった後の事を想って、血を分けた子供の行く末を考えると居ても立っても居られず「あんたよりも先には絶対に死なない!」と口汚くののしり合う愛が覚めてしまった老夫婦が居て、その家の嫁が話してくれたと妻が呆れてボクに話した事があった。生前は蔭に隠れて、良い大人に成った別れた子供に小遣いを与えていた夫婦だった。金持ちだったから出来た事ながら一種の地獄に観えたものだ。 そう言えば大物政治家の葬式で、大臣までやった事のある娘の二世議員が父親の愛人に出来た腹違いの兄弟を親族の席には入れず一般客の列に追いやっていた光景をニュース画像で観て、複雑な気持ちになった事があった。娘にすれば腹違いの兄弟の顔を見るのも嫌だろうが、腹違いであろうが同じ父親である以上、可哀想に観え、二世議員の度量の狭さが彼女の政治家としての限界を感じさせたものだった。事実、大臣の時、数々の失敗をし罷免までされてしまった。その夫の議員迄が老年になってようやく大臣になったものの矢張り能力不足のせいか満足に野党の質問に答弁出来ず、右往左往しているニュース画像を見るに及んで、似たりよったりの夫婦だと想った。親の七光りで成った議員や大臣は余程切磋琢磨しないと野党の格好の標的となる典型的な例である。そもそも世襲制職業でも無いのに能力も無く議員になる事自体、間違っているのだ。 そういう意味では世の中の仕組みは理想通りには行かない様である。能力が無くとも地盤、看板、カバンさえあれば誰でもが議員に成れるから有権者が余程しっかりと見極めないとロクでも無い人物が議員になる事もある。その地盤、看板、カバンを作った本人にすれば長年甘い汁を吸って来て一族郎党は及ばず遠い親族までが有難い目にあって来た職業を手放すなぞ論外、勿体なくて出来ないのだろう。それほど有難い職業なら常に心して有権者の為に励めば良いと想うのに、つい尊大になって大地震で大震災が生じ被災者になった地元民が苦しんでいても選挙区の郷里に帰って一所懸命に尽くすべき処を東京に居て政界の駆け引きに明け暮れしているなぞ政治家として失格と言われても仕方が無いだろう。勿論、国会議員は地元民だけの為では無く国民全体の事を考えるのが使命だが、自分を選んでくれた人々を無視している様では次期選挙では苦労させられるだろう。 昨年の東北大震災や福島原発のメルトダウンという大事件が起きると政治家の力量が試されるが、殆どの政治家がオロオロとするばかりで何もせず、今まで無駄飯を喰って来た証にしか成らない有様だが、それでもまともな政治家は現れる筈だとボクは信じている。その兆しに「大阪維新の会」がある。これは生まれたばかりの政党なのと今は地方政治の場でしか無いので力量が未知数だとされているが、現政府や国会議員連中が大いに警戒して攻撃している処を見れば如何に彼等の天敵であるかが分かる。何故なら本質を突いているからだ。国民の目線に立って見ているだけに誤魔化しばかりする政府や議員はさぞ耳が痛い事だろう。今の内に潰しておかないと自分達の存在が危うくなる危惧の念を抱いているのがよく分かる。国民は敏感だから、そういうニュースは瞬く間に伝わる。解散が近いとされる昨今、ひょっとして、ひょっとするかもしれない。 50年も昔に卒業した高校の同窓生との飲み会を通して自分自身を振り返ってみた数日だった。それは青春を振り返る良いチャンスでもあった。そしてふと高齢者の入り口に差し掛かったせいか、急に滝廉太郎作曲、土井晩翠作詞の「荒城の月」を聴きたくなってユー・チューブで検索してみた。すると在るは在るは、50曲以上もの演奏があって、一つひとつ聴いて行った。その中で一番感激したのはテノールの錦織健で、芹 洋子も爽やかで良かった。アン・アキコ・メイヤ―のヴァイオリン演奏も良かった。変わった処ではハワイ在住の日系人で元大学教授のジョ―・シンショ―という老人が趣味が高じてイタリ―まで音楽の勉強に行ったという独唱があった。彼の朗々と歌う「荒城の月」もなかなか聴かせるもので、自然に釣られて歌いだして涙が出て仕方が無かった。人々は夫々頑張っているのだ。日本の名曲には癒しの効果がある。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/16
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飛翔(4) 十年前の同窓生との飲み会旅行を回想したのは、彼等が相当な年齢に成った現在の心境やリタイアした状況が少しでも良くなっている事を願ったからでは無い。最近では年賀状のやり取りでしか状況は分からず、まして年賀状のやり取りをしていない相手の音信が無い場合なぞ全く分からないのだ。これまで自分と何等かの関わりを持った相手や組織体が良くなっている事を知る事は自分の心が少しでも安らぎ嬉しくなるものだと言ったが、そういう情報の入らない相手や組織体の事は分かろう筈も無く、現在どの様になっているのか自分から積極的に知ろうとする訳でも無いのに何故か気持ちだけが先走ってしまうのである。それを更に刺激したのは高校からの同窓会便りだった。英才教育が更に進み、今では全国でトップ・クラスにあるという。その記事を見、嬉しくなり刺激されたのもあった。悪い気がしないどころか自慢したい気持ちになった。 その便りで、ボクの卒業年度が今年50周年になるのを知った。便りは104号で、四年前の100年記念行事として出来た文学賞なるものの昨年の受賞者の挨拶文が載っていた。新しい卒業生を対象にした賞で、エッセイを募集し、三名の最優秀作品を選ぶという。どれも若者らしく溌剌とした挨拶文だった。エッセイのテーマは「飛翔」というもので卒業生が更なる学問を求めて旅立つにふさわしいテーマだった。それを読んで、ふと10年前の同窓生の飲み会旅行を想い浮かべたのだ。彼等は飛翔と言うにふさわしい旅立ちをしたのだろうか。自分をも含めて50年目を迎えるにあたって振り返ってみたかった。そして10年前から今日までの間に更なる発展はあったのだろうか。微妙で複雑な設問であった。そういう自分は果たして発展したのだろうか。偶然ながら、この正月に小学時代の同窓生と新年会を京都で持ったのが何かの因縁の様な気がする。 その中に中学卒業以来53年ぶりに再会をした者が一人居た。高校が違ったその男は家業を継いで経師屋になっていた。かつて大人しく影の薄い男だったのに、立派な商売人風の親父になっていた。市内にある自宅の附近に建つ有名な寺院の檀家総代を務めていると言った。それが彼の自信でありステイタスの様にも想えた。言葉の端々にそいう雰囲気が漂っていたのだ。偉いものだと想った。学歴では無く職歴が彼をそこまで育て上げたのだった。寧ろ、学歴と就職した企業の社会的知名度だけで自慢し自信を抱いていた他の男の方がリタイアしている事もあって貧弱に観えた。第二の人生を、これまで出来なかった事をして優雅に過ごそうとしては居るのだろうが、職人として現役で居る男の方が元気で溌剌としている様に想えた。ボクなんか半分リタイアしているだけに、その中間点に居る様な気分にさせられたものだった。 考えてみれば「継続は力である」という言い方もあったのだ。生涯現役で行きたいというボクの信条も半分はそういう意味も含んで居るのだろう。老後の健康や体調を考えての信条だったが、現役こそが精神的にも活性化させる原動力になるのだ。定年退職後の第二の人生を趣味や旅行で生きるというのも悪くは無いが、ボクの様な考え方の人間には定年退職という意識が無いだけに第二の人生という考えも無く、生涯現役で趣味も同時に楽しむのが信条なのだ。だから同窓生の経師屋が自信のある話し方で他の同窓生に話する態度に違和感を抱かないものの、威張る程のものでも無いと観てしまう気持ちも否めず「やっと、そういう心境に成れたか」と余裕を持って観る事が出来、逆に未だにサラリーマン時代の肩書を意識下に秘めている態度で居る同窓生に同情すら感じてしまった。リタイアして企業のO.B.面をした処で企業は冷たいものだ。 せめて非常勤の最高顧問にでも成っていても辛うじて企業の片隅で憶えて貰えるのが関の山だ。企業なぞ、そういう非情なものなのだと考えるべきである。その点、自営業は、気楽さと不安定さとが同居するものの、経済的基盤を別にすれば自己満足の人生を送れる。余程、社会的に認められた作家とか芸術家なら少しは安定した立場で居られるかも知れないが、所詮は一市民であることには違い無い。無名こそ一番強い市民で居られるという意識を持てば怖いもの無しである。変な媚を売る中途半端な市民に成るべきでは無い。彼等は烏合の衆に過ぎない。せめてそれ位の自信は持っても良いだろう。それは誰も非難できず批評もしないものだ。政治家はそういう市民が一番怖い。冷静沈着な目を持った市民は付和雷同もしないが、その沈黙の意味する処は深い。単なるもの言わぬ貝では無く、必要があれば何時でも批判勢力に代わる力を持っているからだ。 母校である高校の同窓会は毎年四月に開かれるという。これまで一度も行った事が無い。意識的に行く気がしなかったのだ。104年目とも成れば、幾ら高齢でも初期の頃の同窓生は居ず、精々戦後の卒業生ばかりだろう。それでも最高齢は90歳近くにも成るから50周年目の我々69歳が中心に成るだろう。その世代は普通では社会をリタイアして老人の生活に入ってそろそろ慣れて来た頃だ。一人前に世間を知っている積りの世代という訳である。といって現役の中年時代の生意気さや見栄の張り合いは殆ど無いだろう。少しは枯れて大人しくなって居る筈だ。そう想って、初めて出席する為にファックスで参加申し込みをした。多分、今年開いた新年会の飲み会に来た連中も来るだろう。10年前の飲み会の連中は来るだろうか。来ても来なくても懐かしい顔ぶれに出逢う事は間違いない。その表情を観て心安らぎ嬉しくなるか失望するかが問題である。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/15
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飛翔(3) そんな昔の事を覚えていて、それが酔わせなかった原因になったとするなら、そんな飲み会なぞに出掛ける事自体、間違っていた事になる。しかし、逆に言えば、現在の自分の社会的地位や今の生活ぶりから余裕を持って彼等を観てみたいという気が心の何処かにあったのかも知れず、もしそうなら意識的に酔いもせず冷静に相手を観察出来たのかも知れないとも想ったりもするのだ。図面料も払わずシャアシャアとした顔で「そんな事は時効だ」とでも言わんばかりの青春時代の一出来事として居るなら尚更、彼と親しい友人関係を保たなかった事が正解であった気もする。そして飲み会の仲間の内、更にもう一人の男はボクにでは無く、妹との事で嫌な事があって、妹からの抗議で彼と言う人間性を見せられた事があった。それも昔の独身時代の事だから古い話で、妹と二人で生活していた頃、自宅で友人らと飲み会をした事があった時の事だ。 どういう経緯で自宅での飲み会になったのかは覚えていないが、兎に角、毎晩の様に飲み回っていた頃で、たまたま来る者拒まず式で相手構わず誰とでも飲んでいたのだった。その中にその同窓生も居て、飲み会も終わろうとしていた頃だった。ボクは強かに酔ってベッドに寝転んでいた。友人達は夫々帰って行った。が、彼だけは残っていて殊更ボクにウイスキーを飲めとベッドのボクの口元にグラスを持って来て飲ませようとしていた。ボクの覚えているのは其処までだ。後で考えれば、それが彼の手だったのだろう。翌日、目覚めると妹が血相を変えて二階のボクの部屋に来て怒りを露わにし抗議したのだった。「お兄ちゃん!もう、あの◎◎さんとは付き合わんといてッ!二度と家には連れて来んといてッ!」「えッ?、一体何の事や?」と訳も分からず訊き返すと妹は、一息付いてから、昨夜の同窓生の行動を一部始終話したのだった。 結論から言えば、それは妹への暴行未遂事件だった。話を聞かされて、まさかあの男がと想ったが、彼がボクの眠ったのを確認して階下の妹の部屋へ忍びこんだというのだ。妹が物音に気付いて大声を出したお蔭で被害が無かった。壁が隣家に接する下町の狭い借家で声が壁を通して聴こえるほどの安普請だったのが幸いしたのだった。「変な事をすると人を呼ぶえッ!お兄ちゃんの同窓生やからと安心してたけど、見損なわんといてッ!、今帰ったら不問にして上げるさかい、サッサと帰ってんかッ!」妹の凄い剣幕に怯んだ彼は、スゴスゴと帰って行ったそうだ。彼は今もボクがその事を知らないままだと想っている。ボクも問題にしなかったからだ。しかし、あるいは気付いているのでは無いかと想わせる雰囲気を感じる事がある。ボクが何事も無かった様な顔をしているのに、たまに何か覗うような目でボクを見る時があったからだ。 そういう負い目を持つ同窓生の友人というのは複雑な気持ちで付き合わねばならない。ボクを舐めているからこそ出来た事だけに、一旦そういう事を知ってしまうと彼を心では見下してしまうからだ。彼はその後、結婚し、結婚式にもボクは出席したが、心からの友人とは想って居ない。勿論、他の友人にもそんな話はした事が無い。それだけに、それも飲み会で酔えなかった要因の一つになったのかも知れないのだ。考えてみれば三人の同窓生への一種のこだわりは、彼等も心の中でボクと打ち解けられない原因になっていたのかも知れないのだ。想い返せば、その飲み会で泥酔していたのは二人だけだったからだ。一人は幹事役で、もう一人は映画監督だった。蘭の男は、特にボクとトラブルは無かったものの、妻の事を「勉カチ」と言われ気分を害したとしても直ぐに周りから反論が出、高校の校歌を歌っていてボクが涙し声を詰まらせた事で了解した筈なのだ。 更には、八年ぶりに咲いたシンビジュームの報告の手紙で彼の妻への哀悼の気持ちを充分に知った筈なのだ。だからこそ車の中でシンビジュームの事を訊いたのだ。宴席でボクの向かい側に座って飲んでいた彼の顔が、酒に滅法強いという彼なのに流石に赤い顔をし虚ろな目をしていたのを覚えている。時々、その時のスナップ写真をパソコンのファイルで観る事があって、当時を想い浮かべる事がある。五人の仲間のそれぞれの表情は様々ながら、一人一人の想いは高校時代を想い浮かべながら懐かしんでいるものだった。残念ながらカメラマンの役をしたボクの姿は映っていなかったが、観察者としての眼はカメラに収めたものと同じだった。ボクが映っているのは、翌日の出発時に宿の番頭が撮ってくれた全員の集合写真だけがあって、ボクの表情は、穏やかな笑みを浮かべていた。それで総てが分かるのだ。つまり、飲み会でボクは悟ったのだった。 許そう。そう、彼等を許そうと想ったのだ。何時までもウジウジと昔の情念を抱いたまま、これからも同窓生の友人として付き合うナンセンスは止そうと想ったのだ。「勉カチ」と言ってしまったボクの表現力が足りなかったのだ。誤解を招く言葉を言ってしまったが、それも解決したのだ。設計図のアルバイト料も本来は執拗に請求すべきだったのだ。彼も支払えない事情があったのだろう。途中で諦めた方が悪いのだ。それで彼は、つい甘えの心を持ってしまったのだ。想えば僅かな金なのだ。妹に暴行未遂をした男は、ビクビクしながら長年来た筈だ。妹でさえ今では完全に忘れてしまっている事だ。先年の母親の葬式の際、二人で一緒に暮らしていた時代の事を話し合った事があったが、自宅での同窓生との飲み会の事も名前すらも彼女は忘れてしまっていたのだ。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/14
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飛翔(2) 折角貰ったシンビジュームが翌年から咲かなくなって何年も過ぎ「もう、今年咲かなければ捨ててしまおう!」と想った矢先の八年目に偶然の様に見事に咲いたのが何かの吉兆に想え、早速その感動を喪主であった贈り主の友人に手紙を書いた事があった。もう大分前の事だから返事があったかどうかは覚えていないが、その事を彼は覚えていて「最近、シンビジュームの具合はどう?」と訊いた。「ああ、あれネ。ここん処、咲いたり咲かなかったりだ。毎年新芽は出ているから今年こそはと想うのだけど・・・」「新芽が出れば枯れていないから、その内、咲くだろうヨ」と素っ気ない返事だった。彼にしては精一杯の社交辞令だったのだろう。そんな話し方で、よく大学講師が務まるものだと想った。シンビジュームの話はそれだけで終えた。やがて車は洛北の志賀途中に差し掛かり、川沿いにあったコーヒー・ハウスで一休みする事になった。 三人ずつ二組に分かれていたのが、ようやく六人全員顔を合わせる事となった。こんな人気の無い辺鄙な里で商売が成り立つのがと不思議な気持ちで店に入った。矢張りガランとした山小屋風の店内には客なぞ一人も居なかった。テーブルに着くと暫くしてマスターが水を持って現れた。久しぶりの客の様な感じがした。夫々がコーヒーや紅茶を注文すると、直ぐに今夜の飲み会の話題になった。先導車の運転をしている幹事役から温泉宿には、あと三時間ほど走れば夕方には着けると告げられ、それまで休憩無しで走る事になった。疲れたろうから運転を替わろうかと誰かが言ったが二人とも「大丈夫」と笑った。幹事役の男は高校を出ると直ぐに老舗の書店に入社し、数年前の定年間際には京都の支店長になっていた。ボクが東京で仕事をしていた頃には東京本店にも短期間居た様だったが、お互い忙しくて会う事も無かった。 しかし、それでも中学時代から一緒だったという東京で仕事をする映画監督の男とは何度か会って居たらしい。そういう話を監督から聞いた事があった。飲み会の幹事役をするぐらいだから誰とも小まめに付き合って来たのだろう。そういう事に気が廻る男でボクよりも社交性がある事は確かなのだ。京都を北へ縦断し、日本海の手前の湖畔の宿に着いた頃には夕景が迫っていた。誰も一度も来た事の無い宿だった。インターネットで探したという世話役が「宣伝通りのサービスや施設があるかどうか分からんけど」と弁解めいた事を言ったが、小ざっぱりとした数寄屋風の宿は、新しい門構えの割には、紅葉が始まり掛けた山並みの背景に溶け込んで、昔からの山里の風情を感じさせた。言わば希望通りの高級でも低俗でも無い中級の宿という感じがし、同窓生の飲み会に適している様に観え、幹事役の苦心が伝わって来るのだった。 浴衣に着替え、廊下を風呂場へ向かうと、初秋とは言え肌寒さを覚えた。湯船に手足を伸ばして長かったドライブの疲れをほぐしながら世間話をしたり岩風呂にも浸かったりし、少し火照った身体を冷やそうと露天風呂にも入ったものの、長湯の嫌いなボクはのぼせ上がる前に先に出て部屋に戻った。部屋には既に宴席が出来上がっていた。程なく他の連中も戻って来て飲み会は始まったのだが、その酒宴は今もハッキリと想い返す事が出来る。何故なら楽しい雰囲気で気を許せる仲間であったにも拘わらずボクは酔っ払う事が出来なかったからだ。何時もなら最初に出来上がって馬鹿話を始めるボクなのに、その日は何故か最後まで冷静だった。その訳を今も想い返す度に自分の心にあるわだかまりが原因していたのでは無いかと気にかかるのだ。それは香典返しに蘭を送って来た友人の事や建築事務所を自営していた友人の事だ。 蘭の男は、かつて同じ音楽部員で、彼と仲が悪かった部員とボクとが親しかった事でボクとも少し距離を置いていた。彼の妻はボクと同じ中学だった。勉強が出来た彼女はボクとは違い何時も本ばかり読んでいる様な堅物だった。それだけに敬遠もしていた。そんな彼女が彼と結婚し、中年になって急死してしまい、通夜の席で友人達と想い出話をする内に「彼女は勉カチだったから蜘蛛膜下なんかに成ってしまったんだ!」とついボクは言ってしまったのだった。直ぐに反論が起き「勉カチなんかじゃ無かったわ」とわざわざ北海道から駆けつけた女性が非難したり「勉カチじゃ無い!」という声が他からも起き、反論が出来なかった。勉強ばかりしていたイメージの彼女が強く印象に残るボクには不本意だったが、場所が場所だけにそれ以上言う事が憚れた。その内、自然に高校の校歌を誰かが歌い出すと皆も歌い出し、途中でボクは涙にむせて声が割れてしまった。 それに気付いた誰かが意外な顔をしてボクの方をチラリと観た。言う事と実際との齟齬が腑に落ちなかったのかも知れない。そういう想い出がボクを酔わせなかったのだろうか。もう一人の建築事務所をしていた友人もよく勉強が出来た。彼は高校を出るとアメリカ留学をし、帰国してからボクと同じ建築家を目指している事を知った。英語が上手く、高校時代は教師の代わりに朗読までさせられていたぐらいだった。そんな彼が未だ独立して事務所を開いて居ないサラリーマン時代、ボクに住宅設計の図面をアルバイトで描いてくれないかと頼んで来た事があって、10枚ほど描いて渡した事があった。が、それっきりで金は払わず年月が過ぎた。その後、顔を会わせる事があっても素知らぬ顔で居るのだった。詫びの一つも無い事が彼の人間性を疑わせた。その後、何十年も経って、ボクも彼も建築家として生きて来たのだが、当然ながら親しい付き合いはして来なかった。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/13
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飛翔(1) かつて、自分が少でも関わりを持った事のある相手や組織体が良く成って行く事は誰しも悪い気がしないものである。否、むしろ喜ばしい気がするのでは無いだろうか。仮に嫌なイメージがあったとしても相手や組織体が良くなって行く様は自分に取って決してマイナスにはならない筈である。仮に相手側の原因で嫌なイメージが出来上がって居たとしても大らかな気持があれば相手が尾羽打ち枯らし落ちぶれているより、成功とは言わないまでも何とかまともに行ってくれている方が心穏やかで居られる。自分だけが良くなり、相手が没落して行くのでは自分が決して悪くなくとも何か後味が悪いものである。自分も良く成れば相手もそうなって欲しいと想うのが人情であり、一期一会の底流に流れる思想では無いだろうか。人は平和で順風満帆に人生を歩んで居れば自然と心に余裕が出来て来るものである。 その余裕は、人を押しのけてでも這い上がろうとする下卑た考えなぞ言下に否定し、もっと自分を内面から高めようとするだろうし、その方法は正攻法で大いに自分を研鑚するものだろう。我々はそういった努力をして人生を全うした偉人を数多く知っている。そして彼等が世界を明るくし未来を切り開いた事も知っている。だから少しでも自分をそれに近付けたいという気持は誰しも抱いているものである。要するに、人はそれを実現させたいが為に努力し毎日を生きている様なものだと言っても過言ではない。さて、話は変わるが、十年程前の事だったろうか、高校時代の友人が飲み会をやろうという連絡をくれた事があった。年賀状程度の付き合いしか無い久々の友人の連絡に二つ返事で参加を表明したのだったが、ふと考えれば之まで飲み会なぞやった事もない連中だっただけに、どの程度の飲み屋でやるのか分からず一瞬考え込んだ。 尤も、年齢的に還暦間近な者同士、そこそこの人生経験もあろうからと、高級過ぎても低俗過ぎても気まずい飲み会になってしまっても詰らないと想い「どうせやるなら一寸は贅沢が出来て、ゆっくり出来る処が良いネ」と注文を付けておいた。自分が建築家という職業柄、多くのパーティーや宴会を経験しているだけに一杯飲み屋で飲むのも良いが、それは日頃気心の知れた相手だけの事で、長年会っても居ない相手では当たり前の宴席では満足できないだろうという身勝手とも言える注文だったかも知れない。ところが、改めてメール案内が来た内容にはそれが織り込まれていたのだ。「京都を離れて、晩秋の寛げる日本海の温泉宿で懐かしい仲間との飲み会を」という触れ込みで二台の車に分乗してドライブするとあった。メンバーは京都市内や周辺に住む四名と、東京在住が一人、そして奈良に住むボクとの総勢六名だった。 メンバーの共通点は高校時代に学生運動をした連中や生徒会の役員仲間だった。夫々、会社を定年で辞めた者や映画監督をしている者、そしてボクの様な自営業をしている者という様にお互い仕事での利害関係が無い連中ばかりだった。つまり気楽で肩の凝らない相手ばかりだという事で、一泊の温泉旅行に依る飲み会を楽しみにして行く日を楽しみに待つ事にしたのだ。想い返せば久しぶりに会うメンバーの一人とは二十年程昔に東京で仕事をしていた頃に彼の家に招待されて飲んだ事があったり、他の連中も、偶然に京都や大阪で出逢ってはコーヒーで雑談をする程度の付き合いだったが、お互い中年も過ぎ、好々爺になった最近ではめったに会う事も無く、お互い様相も大分変わっただろうと想像するしか無かった。そして、当日が来て、集合場所の京都駅に向かった。久しぶりの遠出の電車だったから、一時間ほどが長く感じられた。 駅のロータリーには沢山の客待ちタクシーが在り、それを避ける様に二台の車が片隅に駐車していて、横に見覚えのある連中が立って居たのでそれと分かった。ボクが最後だったので早速、挨拶もそこそこに二台の車に分乗し直ぐに出発した。ボクの乗った車にはボクと同じく建築事務所を自営していた男が運転し、サラリーマンをしていた男がその横に乗った。どちらも仕事をリタイアし暇を持て余していると言ったが、ボクが未だ現役で仕事をしていると言うと驚きながらも半分羨ましそうな顔をしていた。そのせいか、サラリーマンをしていた男は「週に一度、ある私立大学の講師をしている」と言った。「暇は暇だが、原稿作りに適当に時間が潰せる」と先ほどの言を翻す様に言ったのは、ボクに対する弁解の様にも聴こえた。「そりゃあ、緊張感があって何よりだ。僅か一、二時間話をするだけでも相当量の資料が要るだろう」とボクは言った。 すると「そうなんだ、それだけでも結構時間を取られる」と嬉しそうに返事をした。彼とは高校時代、クラブ活動で一緒だった。が、特に仲が良かった訳では無かった。寧ろ、ボクと仲が良かった別の友人と対立関係にあったからボクも同類に観られていた筈だった。大学が別々に成り仕事も全く関連が無い事もあって、お互い音信は無かった。ところが、中年の頃、彼の妻が蜘蛛膜下で急死してしまった。同じクラブ員同士の同級生だった。連絡を受けて通夜に集まった元クラブ員達は、その早い死に大いに悲しんだものだった。その頃から彼とも年賀状のやり取りが始まり、何時しか高校時代の対立関係は消えてしまった様に想えた。が、それでも親しさはそれ以上深まる程でもなかった。変わった事と言えば、香典返しに送られて来たシンビジュームが翌年から咲かなくなって、八年目に全く偶然の様に満開の様に咲いた事だった。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/12
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ネット映画(5) ネット映画を観る様に成ってからは映画館に行かなくなってしまった。たまたま面白い映画が最近無かったという理由もあったのだろうが、この1年ばかり行っていないのは事実だ。ネット映画でも最近の映画広告や予告編をやっているから情報は得ているものの食指を動かす程の刺激が無かったという事だ。昔は映画ばかり観ていた時期があったのに大変な変わり様である。矢張り、テレビやインターネットのせいでわざわざシネコン(シネマ・コンプレックス:映画館の集合ビル)へ行く事も無いのだ。余程の評判でもあれば気に成る処だが、そういう映画は少ない。だからハリウッドでもわざわざ日本にスターを寄こして宣伝をしなければ観客が動員できないのだ。アメリカも映画は斜陽産業化しているのである。時代も変われば変わるものである。寧ろ日本のアニメーション映画が世界を席巻している状況だけにスターも大変な時代に遭遇しているのである。 その点、韓国はある意味で時代遅れなのか、それとも新しい画像文化の発信地に成っているとでも言うのか、デジタル撮影機が出廻ったお蔭で簡単に撮影が出来、編集も楽に出来るから映画やドラマが、それこそ雨後のタケノコのように大量に作られ、テレビ放送され国民的娯楽になっているのか、輸出品目にも成っている塩梅なのだ。日本のテレビ局も下手に国内でドラマを作るよりも韓国物を買った方が安上がりだし経営も助かる。だから社内はリストラで身軽な体制にしておき休日は韓国物のビデオを流しておけば良い訳である。NHKさえも手抜きを始めて韓国物が多くなった。元小泉首相の頃に日韓文化の輸出入制限が解除され始めてから大量に韓国物が出廻り、猫も杓子も韓国ドラマを放送し、国民も観る様になったのだ。小泉氏自身が韓国系の人だから強力に後押ししたのだろうと言われている。更には彼の息子が映画俳優になって日韓の橋渡しをしている有様である。 それに勢いづいたのか在日の俳優が自分の芸名が日本名である事を窮屈に感じ始めた様に、これまで純粋の日本人の様な振りをしていた多くの人々が自分の出自を公表し始めている。それはそれで自分のアイデンティティの問題だから良い事だと想うのだが、それを知った日本のファンが内心驚いているのも事実である。それによると大よそ芸能人の80%は在日か韓国籍を持っている人である事が分かる。もし彼等を色分けして日本人だけの芸能人で固めてしまえばNHKの紅白歌合戦なぞ開催出来なくなると言われている。まさしく韓国人に日本の芸能界は独占されてしまっている様なものである。アメリカで言えばアイリッシュやプエルトリコやイタリ―、ギリシャの人々で芸能界が占められている様なものである。そしてスポーツ界も同じ事が言えるのである。芸能界、スポーツ界がそうである様に実は政界にも日本に帰化した韓国や北朝鮮出身の人が多い。 そんな事を言いだせば、皇室も百済から逃げ出して来た王族や貴属で成り立って出来た様なものだから今更何も驚く事も無いのでは無いだろうか。あの高松塚古墳の内壁画が発見され世界に公表された時、韓国の古墳にも同じ内壁画が多くある事実に韓国国民が狂気して大騒ぎしているニュースが報道された事があった。矢張り日本の王族や皇族が朝鮮半島を追われて日本に渡ったという事の証明であるとされたのだ。だからこそ皇室は、その出自が百済人(半島人)である事が判明するのを嫌って、関西に点在する前方後円墳の発掘調査を宗教上の理由で拒否しているのだとも言われる。我々の先祖や中国、朝鮮の人々が元々はモンゴロイドであるのだから今更、半島人だとか弥生人だとかで拘る方がおかしいのである。しかしながら、ルーツが同じなのに敢えて自分達は違うとする理由は近代国家という概念がそうさせるのだ。 例えばイギリス(ユナイテッド・キングダム:U.K.)において、ウエールズやイングランドやスコットランドがアイルランドを蔑視する様に、少しでも体制が違うだけで差別するのだ。我々から観ればアイルランドであろうがスコットランドであろうが何等変わりが無い様に想うのだが、彼等にすれば大違いなのだろう。それは彼等から日本や韓国を観ても同じ事が言えるのかも知れない。肌の色と言い、姿形と言い、殆ど変わらないのに僅かな違いを殊更取り上げて問題視するのは政治体制や社会体制が違うからだろうが、文化の違いが民族を区分するのは古今東西常識化して来た事であり人間の宿命の様なものかも知れない。が、如何ともしがたい問題であったとしてもネット映画の様に怒涛の如く流れ込んで来る異文化の嵐は、収まる処まで行き着かない事には収拾が付かないのだろう。それに依って良くも悪くも成る面があるのだ。 が、最後に残った物が文化として定着して行くのも歴史の証明する処でもある。今は、あれよあれよと驚いている段階だが、その内に当たり前に成って何とも感じなくなってしまうだろう。我々は一体何に驚いていたのだろう、何を問題にして居たのだろうと想う様に成る筈だ。文化の違いは風土の違いから来るものや宗教の違いから来るものとに大別され、人種の違いも大きな要素ではあるが、日本人と韓国人とはルーツが同じなだけに様々な障害があろうとも同化するのも早いだろう。そのきっかけが映画であったり音楽であったりスポーツであったりと身近な面から始まる。特に地球が狭くなった昨今、電波に依る国境の無い状態ともなればインターネットが良い例である様に、ボーダーレスの世の中では人と人との繋がりが優先する。それが発展して日韓が海底トンネルで繋がれば益々交流は深まる事に成るのでは無いだろうか。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/11
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ネット映画(4) 兎に角、韓国映画や韓国ドラマは情念に振り廻される「お涙頂戴式」の物が多過ぎる。しかし、エンタテイメントなのだからそれで良いのかも知れない。かつての日本がそうであったのだから偉そうな事は言えない。日本映画やドラマが斜陽化し低迷した原因が金儲けに走り過ぎて観客不在の慢心した映画会社や監督、更には軽薄な役者が横行したからに他ならない。演劇文化のレベルがドンドン落ちて行ったのだ。フィクションでありながら、そうでは無いドキュメント風にする事が芸術だと勘違いした事も要因になっていたのだろう。真面目な記録映画もあるが、どうしても暗い思想に支配され勝ちで、観ている者の気持ちを暗くさせる物が多かった。教育用ドラマや映画も暗く作る事が真面目と勘違いしている風で気楽な気持ちで観られない。文芸物を映画にすると大抵がそうなのだ。時代劇でも間違った武士道や儒教的な思想でまとめるから暗い物が多かった。 逆にコメディー風の軽い物は極端に馬鹿ばかしい程幼稚で稚拙なのだ。レベルが低すぎて観て居られない。喜劇は矢張り欧米が本場だけあって映画やドラマにはウイットやユーモアが加味され上手くまとめられている。日本は向こうの単なる物真似でしか無く、底も浅ければ思想も浅く充分に理解されていない。人生は「愛と生と死」が中心で動いているのに、それらを充分に掘り下げもしないで表層的な現象だけで作品にしてしまうから底が観え、人々の心に残る様な作品が生まれないのだ。そんな中で、名作と呼ばれる物がボチボチ生まれ、国際映画祭で受賞する作品が現れる。ほのぼのとした日本情緒が未だ日常生活に生きていた時代である。恥じらいを知り何事にも控えめで、人を出し抜くなぞ人の風上にも置けないという風潮が未だまだ在った時代だ。人情もあった。事の善悪を庶民が徹底して身につけていた時代であった。 ところが先の大戦で大敗してしまうや占領軍のアメリカによる傀儡政権が生まれ、密かに権力者は蔭で悪事を巡らし、政界や法曹界に忍びより官僚を懐柔し骨抜きにして行くのである。勿論、ハリウッドが政府のプロパガンダ機関であった様に日本のそれも同様、権力者の道具として国民を意のままに洗脳し方向づけて行くのである。だから映画界も二極化の方向へ向かい、真面目な文芸作品やドキュメント映画がある一方、馬鹿ばかしくも軽い大衆迎合作品が大手を振って広がって行くのである。そしてエログロ・ナンセンスや893路線物が流行り、大衆芸能の凋落ぶりはやがて映画産業の斜陽化を招き今日を迎える結果になってしまった。それは社会の風潮の表れでもあったかも知れないが、兎に角日本経済を発展させる事だけが極東アジアの赤化防止と信じて押し進めたアメリカと傀儡政権の政策の結果でもあったのだ。 やがて日本は60年安保で国論が二分し、結果的には暴力的官権力で日本の赤化は食い止められ、負けた側の学生運動のリーダー達は追われ、骨抜きにされ、ノンポリ学生ばかりになって行く。折しも高度成長の波に乗った日本は新幹線を建設し、東京オリンピックを開催する迄に成り、1970年の大阪万博ではアジアの繁栄は日本からという謳い文句で、アメリカのNASAに依る宇宙探検で持ちかえった「月の石」の科学的威力のバックアップもあって博覧会は大いに成功するのである。つまり、それでアメリカの世界戦略の一つであったミッションは成功する訳である。ところが、アメリカの浪費経済は留まる処を知らず、世界覇権の野望はあの無益なベトナム戦争の末期的症状から、アメリカ経済力はニクソンショックに観るドルの金本位制廃止に始まる凋落へとひた走り、最終的にリーマンショックへと帰結するのである。 つまり、デフォルト寸前国家と成ってしまったアメリカは今やブリックの代表となった中国との軋轢に悩まされる事となるのである。そこで打ち出されるアメリカの戦略はと言えば、最愛の仲間であるイギリスをしてユーロの弱点国ギリシャをデフォルトに導き、ドイツ・フランス経済を揺さぶり、次にはイタリ―・ポルトガル・スペインへと刃を向けユーロを潰しに掛かる。一方、ドルはデフォルト寸前と言われながら闇金ならぬマネー・ゲームによるキャッシュを銀行業務に融資する事で表面的な経済の活性化を演出し株価を操作するのである。つまりトリプルAの評価を維持させる事で虚業が実業であるかの様な錯覚で成り立つタイトロープ経済を演じ続ける訳である。アメリカの国債を大量に持つ日本と同様、それ以上に保有する中国はドルの急落もユーロの崩壊も困るとし、どちらにも付かず離れずで融資を繰り返しながらの模様眺めである。 挙句は、金塊の保有率を上げる為に国庫では無く、民間(国民)に金塊を買わせ民間保有率を上げる事で中国元の価値を有利にしておこうという政策を取る。一党独裁国家故に、国民の保有財産は取りも直さず国家の富であるという考え方である。そういう考え方は実は日本も同様で、国民の貯蓄額や年金保有残高が国債発行額を上回っているという現実数値のマジックで政治家も官僚も安心しているのである。簡単に言えば、国の借金は国民の預貯金で賄えると考えているという事である。何時の時代も国は国民を犠牲にして自分達権力側が生き残る事しか考えないものである事を国民は知っておくべきである。その良い例が、仮に国民が一斉に預貯金を引き出せば取り付け騒ぎとなって日本は大混乱に陥り、デフォルトと同様の状態になるであろうという事である。そういう脆弱な経済国でありながら政・官・財は無意味な虚勢を張って(つまり自分達の地位保全の為の策が国民にバレてしまっている)増税路線こそが健全国家を維持する策だと主張するのである。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/10
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ネット映画(3) 尤も、仏教思想では無く儒教精神が底流に流れる韓国ドラマでは、日本映画や日本のテレビ・ドラマに観られない救いようの無い情念の世界がそこはかと広がる。観ていて、これでもか、これでもかと言う風に馬鹿で無知な情愛を観客に訴えるのである。そしてB.G.M.に感情一杯のメロディーや歌が絶叫マシーンの様に流れ、観客はいやが上にも涙し、主人公の情念の世界に誘い込まれる。更には韓国ドラマの撮影場所を巡る観光ツアーなるものまでが流行り、日本から熱狂的なファンが訪れる。妻の友人にもそういう女性が居て、毎回ソウルへ行っては感激して帰って来ては、妻に電話で感想を長々と話すそうである。一度も観た事も無い妻は、韓国ドラマの何たるやも知らないまま「困った人ネ」と想いながら黙って聴いているそうだ。仲の良いのも良いが「いい加減、目を覚ませ!と言ってやれ」とボクなんかは冷たく言い放つ。 が、最近になってネット映画で韓国映画や韓国ドラマを観るようになってからは大分理解できるようになって「成る程、これならハマるだろうな」と想う様に成って来た。兎に角、上手なのだ。シナリオも監督も役者も実に上手い。日本の役者なぞ足元にも及ばないぐらいだ。そして、色々観ていると同じ役者が他のドラマや映画にも出て居るのだ。そういう役者は売れっ子なのだろう。主役を張らなくとも脇役でドラマを盛り上げているのである。役に成り切って笑い、悲しんでは涙を流す。日本でも涙ぐらい平気で流す役者や歌手も居るが、大抵は日本名で出ては居るものの在日か韓国人のどちらかなのだろう。感情の起伏が激しく、自在にコントロール出来るのだろう。感極まって流す涙に、ついこちらも誘われてしまう。ティッシュ・ペーパーが減ってしようが無い。成る程、製紙会社の社長が100億円もの金を賭博に使う筈である。 韓国ドラマの現代ものを観ていると経済格差が激しい事が良く分かる。ソウルの一見スラム街と分かる場面が映ると日本では考えられない程みすぼらしく非道い生活ぶりが現れる。言わばハコバンと呼ばれる簡素な板の壁や屋根の建物に寒い冬空にも拘わらず床に質素な布団だけで着ている服のままで寝ているのだ。オンドル(韓国式床暖)でも在るのかと想って観ても実はそうでは無く、暖房設備も無いまま寒い寒いと言って布団を頭から被って寝ているのである。家の入口は玄関という代物では無く狭く、言わば勝手口の様なアルミサッシのドアで、外の道路は車も入れない狭いもので、アスファルト舗装なぞされていず、コンクリートの打ち継ぎの連続でガタガタの仕上げである。素人がやった仕上げなのだろう。都市計画が為されていないまま無秩序に丘の上へ上へとハコバンが建って行き、頂上に迄ギッシリ詰まっているのだ。 勿論、まともな水道なぞ無く、どうやって給水したり排水したりしているのだろうと首を傾げたくなる。共同便所や共同水飲み場があるから水道は少しだけ引いてあるらしく、ガス配管は敷設されていない。多分、都市再開発に掛けて中心部から周辺に掛けて都市整備している最中なのだろうが、街中の平地にはビルが立ち並んで韓国の首都という様相を見せはするものの一寸街から外れるとスラムが多いのだ。これが韓国の現状である。首都でさえそうなのだから地方の大都市である釜山(プサン)も大して変わらない。その代わり、地方の田舎はなかなか風光明美である。下手に都市化していない分、素朴で、何処の国にもある様なのどかな田園や港の風景が在る。近代文明に依る都市化という曲者は折角の素朴で綺麗だった風景を破壊して行くのである。韓国の純朴な風景が醜悪なスラム街に変貌し、韓国風893が繁華街に跋扈し大きな顔をしているのである。 彼等は店々からミカジメ料をせしめて行く。日本の繁華街に観るのと同じ光景が其処には在るのだ。そしてビニールで囲われた屋台の飲み屋が点在する。韓国人は寒さに耐える為か強い酒をグイグイと飲む。男も女も飲む。当然ながら飲めない人も居る筈なのにドラマや映画では平気な顔をして一気に飲むのである。あれでは日本の観客は誤解してしまうだろう。「何と彼等は酒に強い事か」と感心もする事だろう。現代ドラマは現実社会を映し出しているから火の無い処に煙は出ない筈である。だからこそ韓国ドラマにはまってしまった日本の女性ファンが大挙してソウルに観光旅行に出掛けるのである。まるで日本の昭和時代を彷彿とさせる雰囲気を演出しながら、お涙頂戴ドラマは今日も演じられるのである。その本数たるや日本の比では無く10倍も20倍も作られる。それも安価な制作費で。物価が日本の10分の1から14分の1だから安いのだ。 そのくせガソリン代は、1リッター150円もする。日本と同じ価格だ。異常な経済国家である。人々は一流企業に入りたいが為に大学へ行く。大学を卒業していないとロクな職業にしか就けないのだ。高校出で充分な筈なのに、それでは結婚もまともに出来ないという顔をする。エリートでも無いのに。しかし、大学も一流大学は少なく定員も余裕が無い。その点は日本も同じだが、違うのは、国内が駄目なら海外へ出る点だ。その発想は東南アジアの常識になっている。しかし、恐怖政治が長く続いたせいと徴兵制があるせいで国民は一種の催眠状態に掛かっていると想われる事がある。戦前の日本の様な社会観念が残っている感じである。そのくせアメリカや日本の情報が解禁になってドッと入って来るから、そのアンバランスが混乱を来たしているのでは無いだろうか。だからこそドラマや映画でエキセントリックな物が作られるのかも知れない。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/09
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ネット映画(2) 韓国映画や韓国ドラマを毎日の様に観ていると簡単な言葉を覚えてしまう。「おはようございます・今日は」を丁寧に言えば「アンニョンハシムニカ」だが、少し簡単には「アンニョンハセヨ」又は「アンニョン」となる。「はい」は「デ―」で「分かりました」は「アイエス二ダ」となる。父親は「オモニー」とか「オッパー」で母親は「オンマー」となる。だから日常会話で簡単なものは翻訳の字幕が出ない。画面から当然ながら分かるだろうと省略されてしまうらしいのだ。聴いていると日本語に深く入り込んでいる言葉の多いのに驚かされる。考えて観れば隣国なので当然自然の成り行きなのだろう。かつての台湾の様に日本の植民地であった事や山口県下関市から毎日、関釜フェリーが出ているぐらいであり、釜山は地図で観れば実に日本に近く、台湾よりも近いのである。それなのに戦前の植民地政策に依る後遺症で、近くて遠い国になっている。 普通に使って居る言葉で「独身者」の事を「チョンガ」と言ったり「平気だヨ」とか「ヘイチャラだ」と言うのもそのものズバリ「ヘイチャラヨ」と言うので驚いた。韓国語(朝鮮語)も元は漢字を使って居たから日本語と同じ発音の言葉があっても不思議はない。会話の節々にそういう言葉が出て来て「おや、日本語が韓国語になったのか」と想わせるのもある。建築関係で陰語として使う「現場事務所」の事を「ハコバン」と呼ぶのもそのままだし、兎が「ピョンピョン」と跳ねると言う形容詞もそのままである。場所の名前でも、ボクの郷里の京都の「東洞院(ひがしのとういん)」とか「西洞院(にしのとういん)」通りに使われている「洞(とう・ほら)」も韓国や中国でも地名に使われている。そもそも「奈良」という意味は「ナラ(国の中心)」という意味である。言葉の文法や構文も日本語と同じである。 ところで、大阪市内に鶴橋という処があって其処には朝鮮人・韓国人・在日の人々が多く住んでいる。東京では新宿の北方面(大久保)にも多くの韓国人が居る。現在の韓国の李明博大統領が鶴橋で生まれ育った事は有名だし、北朝鮮の新たな将軍になった金正日の三男の母親も鶴橋が故郷である。そういう意味では日本は南北朝鮮に良い面でも悪い面でも大きな影響を与えている事になる。ヨーロッパで言えば各国の国王や貴族が殆ど縁戚関係にある様なものである。要するに日本は極東の掃き溜めの様な位置にあるからシルクロードを通って絶海の孤島である日本にたどり着いたという事であろう。その先の太平洋は古代人には越す事が出来なかった訳で、中には小さな船で決死の想いで大海原に漕ぎだしてハワイの方へ向かった人々も居たかも知れない。尤も、太古の事は分からないが、その昔、太平洋の真ん中にム―大陸があったという。 その伝説を信じれば大いなるロマンを感じ、もし仮に、それが在ったとする考え方で推し進めれば、ム―大陸は地殻変動で沈んだとされ、ハワイやポリネシア等はム―大陸の山々の一部だったと考えられない事も無い。その証拠に海底から古代の文化都市があったとされる遺跡や遺物が発見されているという。それは沖縄近海においても似た様な石の構造物が海底から発見されている事でも有力な証拠に成ると想うのだ。いづれ埋蔵文化財が海底から次々と発見されれば研究成果も上がる事だろうが、今は単なるロマンでしか無いから、遥か50億年前に地球上に生き物が発生したという人類の先祖の事を考えてみるのも面白く、精々その辺りが人間が想像する限界であり現代科学の考えが及ぶ関の山であろうとボクは考えるのだ。確定した証拠が在る訳でも無い以上、想像の域を出ないが、太古の時代に地球上をさ迷った人類の事を考えてみるのも面白い。 人類の最初は黒人としてアフリカに出現し、それ等から白人種と黄色人種が派生し、地球を移動して行ったというのが定説になっている。日本人のルーツは黄色人種のモンゴロイドとされ、ロシアと中国の中間辺りに生息していたのが更に東進し、日本や南アジアやアメリカに移動して行ったと言う。そういう観方をすれば北方のイヌイットやネイティブ・アメリカンや南米の現地人もオ―ストラリアのアボリジニも皆ルーツは同じ様に観える。日本で言えば縄文人と弥生人が夫々大陸から渡って来て数千年の時間を掛けて融合して行ったのだろう。一方、白人種はヨーロッパで生息し、過酷な自然条件の中を生き抜き、文明も発達し、やがては黄色人種と同様に南北アメリカ大陸やオーストラリアへ移住して行き、大航海時代にはアジア・アフリカを次々と植民地にして行くのである。文明の利器を大いに活用して人類は急激に地球上に広がって行き、地球上で一番ずる賢く強い生き物として君臨して行くのである。 そういう背景を考えてみれば現代の我々の文明や文化はほんの僅かな期間の事でしか無い事が分かる。50億年もの太古から延々と生きて来た人類も、たった数千年か一万年程度の歴史しか持たないのである。しかしながら果たして人類は急激に目覚め発展して行ったのかという疑問も当然ながら湧いて来る。別の観方をするなら人類は破壊と建設を何度も経験して来たのだとも考えられるのである。核戦争を何度も経験し人類は何度も生まれ変わったとする考え方が案外有力な説となっているのも其処に現実味が感じられるからだろう。それは何と愚かな生き物だろうと想えるものの、それが人間の本質であるなら今後も同じ様な事を繰り返して行くのではないかという疑念も湧く。そして諦め絶望し、又もや延々と時間を掛けて地球の歴史は始まり同じ様な事を繰り返して行くのだろう。まさしく其処に仏教思想が感じられるのである。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/08
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ネット映画(1) 最近、インターネット映画をよく観る。仕事が無くて暇な日は殆ど毎日観る。主に、ドラマである。映画は週に二回程度である。Gyao(ギャオ)というネット局のもので、勿論無料である。有料の部門もあるが、金を払う程の内容の物は見当たらないのでそれで充分である。無料の方はコマーシャルが入る。しかし、映画やドラマは中断されずに画面がその間だけ小さくなるだけである。60秒もすれば元の大きさに戻る様になっている。国別では韓国物が一番多い。全体の80%程を占めるだろう。次はアメリカ物である。三番目は何処と言う訳では無く、ヨーロッパ物とか台湾物、中国物と言った具合である。邦画もあるが殆ど観ない。極たまに観る程度で月に一度も無い。何時でも何処からでも観る事が出来るので、用事で中座しても亦そこから見直せる様になっていて便利である。ところが、韓国物がこんなに多いと日本国内での影響力が大きいと想われる。 それは良い意味でも悪い意味でもだ。中には向こうの国で視聴率が50%前後もの人気を博した物があって、日本では「君の名は」(尤も、これはラジオ・ドラマだったが)とか「おしん」に匹敵する様なドラマである。視聴率というのは予め視聴者を決めておいてテレビ受像機にモニター装置を取り付けて機械的に観ている物を集計局に自動的に送れる様になっている。中には留守で観ていない場合もあるだろうから、仮に全国で千台のモニターがあるとしても全部が観ている訳でも無く精々95%の950台もあれば充分に集計は取れるから、仮に半分の人が同じ物を観て居れば47.5%という高視聴率になる。だから視聴率50%というと526台もの人が同じ物を観ている計算になり恐ろしい程の高視聴率という事になる。或る馬鹿な占い師が、テレビ・トークショーで「この番組の視聴率はどれ位行くでしょう?」と訊かれて「95~100%」と言った事があった。 それを当然の様な言い方をしたものだから会場から失笑だけでなく爆笑まで起きてしまった。これは明らかに視聴率の集計構造を知らない無知から来たもので、明らかに占い師が偽物である事を自ら露呈してしまった事になって客が笑いだしてしまったのだ。もし本物の占い師であれば霊勘が働いてそれなりの答が出ただろうに100%が高視聴率と想い込んだ素人判断が折角の努力も無駄に成って偽物としてバレてしまった訳だ。当然、その占い師が、その後二度とテレビに現れる事は無かったのは言うまでも無い。テレビでは迂闊な事は言えないものである。政治家がそれで失脚する例はいとまが無い程である。高性能なデジタル・テレビになってからは更に言葉で無くとも仕草や表情だけでも真意を読まれるようになった時代である。女優が老いを隠せないのでテレビに出るのを嫌がると言う。皺や肌の張りで年齢がバレてしまうからである。 気持ちが分からないでも無いが、役者は演技力が命なのだから単なる生物学的な事で美貌に任せて演技もロクに出来ないのを誤魔化す事自体間違っている。殆どの女優がミラ―やライトを下から当てて顔が白く観え皺が消える効果を狙う涙ぐましい努力をしているそうである。大女優はそういう事をしない様だが、女心は別なのかも知れない。美容整形手術で顔の皮膚を上や後に引っ張って弛みや皺を取るというのは、もう大分昔の有吉佐和子の小説の中で芸者がそうしている話が出て来て知っていた。それを読んで「何と言う浅ましい事をするものか」と驚いたものだったが、最近では素人でも平気でそういう事をやるそうである。まして韓国では美容整形手術をするおは当たり前の事らしい。日本からも多くの女性が行っているそうである。だからだろうか、韓国の女優は皆同じ様な表情をした無表情な美人ばかりの様である。 かつては韓国女性が典型的な日本の美人だったそうだが、今ではもう古く、近年では欧米型が増えて来ている様だ。化粧方法も目が一番のポイントで如何に立体的にするかだそうである。だからマンガやキャラクターも目を大きくして可愛らしく見せている。元々平面的な顔立ちの民族が立体的に見せようとする為に顎や頬の骨を削ったりするという。考えただけでもゾッとする。骨格まで変えると人造人間の様になってしまう。人間とは物凄い事までやってしまうものである。ピアスで耳や鼻に穴を開けるだけでも気持ち悪いのに、よくもまあそういう事をやるものだ。神様や親から授かった顔を整形手術で変えるなぞ、何を考えているのだろう。芸能人で明らかに整形手術で顔が変わっているのを観ると、どんな美人であっても興ざめしてしまう。人間性を疑ってしまうのだ。 その点、海外の映画やドラマは其処まで分からないから見入ってしまうが、何よりも役柄が上手い役者が多い。そう言う映画やドラマは脚本もしっかりしていて整合性も無理無く書かれている。シナリオライターは小説家の成れの果てというが、優れた作品の作者は小説も上手い。それに現代はスピーディである。切れが良いというかモタモタしていないのである。それは監督の技量もある。かつて、ゆっくりした間を見事に捉えた監督が居たが、今の日本映画が斜陽であると言われて久しいのは、まともな監督が居ないせいもあるだろう。今時、巨匠という監督なぞ存在しない。そのくせテレビによく映画監督が出てペラペラと恥も無く話す。話す前に沈黙という言葉の重みを意識して貰いたいものである。矢張り媚を売るというのは自信を持って仕事をしていないのだろう。それは不況のせいもあるだろう。不況の時はファッションも含めて建築も映画も絵画もいじけてしまうものらしい。一種の贅沢が萎縮してしまうのだろう。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/07
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書棚の整理 (14) 蘭の管理に失敗しているから育て方が難しいのは分かるが、その点ペットは楽である。同じ生物でも植物と違って動物は苦しみや危険を訴えるからだ。苦しければ啼き、腹が減れば求め、外へ出たければドアの前でジッと開けて貰うのを待っている。蘭に限らず植物は環境次第で何とでも成るものの、環境が一寸でも合わないと花は咲かず下手をすれば枯れてしまう。盆栽でも水遣りを怠ると直ぐに枯れてしまう。自然任せだけでは駄目なのである。手の掛かるものだからこそ楽しみがあるのかも知れない。育てている間に情愛も湧いて来るから尚更である。餌を与えても食べ終えると「御馳走さま」の一言も言わず、プイと横を向いてそのまま外へ出ようとするココを観ていると憎たらしくもなるが、夜なぞ寒いからボクよりも先に寝室へ行ってベッドの上に乗って寝ている姿を観ると愛らしくなって来る。さむいだろうと布団の中に入れてやると大人しくジッとしている。 朝までそのまま寝ている事もあるが、最近ではボクが寝入ってしまうと夜中に起き出して息子の部屋へ行き、ベランダへ出せと強請るのだそうだ。ニャアニャアと啼かれると五月蝿いから仕方無くガラス戸を開けてやるのだという。そしてボクが早朝5時頃にトイレに立つと庭の方でココの鈴の音がするのだ。こんな寒空に一晩中庭で遊んでいたらしく、書斎の雨戸を開けてやるとドッとココが飛びこんで来る。そして腹が減ったと啼く。それで朝の餌をやるとボクも目が冴えて眠直しが効かなくなるからそのまま書斎でパソコンに向かう事になる。そういうボクの生活リズムをちゃんと掴んでいるのだ。やがて食べ終えたココはパソコンの上にやって来て、おもむろにボクの顔をしげしげと観る。「どうした?寒かっただろ?」と頭をなでてやると目を細めてジッとされるまま気持ち良さそうに居る。夜中に出て朝まで外で遊んでいた不良娘を説教している様なものだ。 しかし、ココはそんな事なぞ全く意にも解さず、うずくまって身体が温まるまでパソコンに乗ったままだ。実に気楽な生き物である。そこがペットのペットたる由縁である。蘭の場合なら温度管理さえ出来て居れば苦労もせず咲いてくれるのだろうが、ボクの場合、夜は部屋の暖房は切って寝るから温度管理は出来ない。本当に蘭が好きな人は、押し入れに入れて炬燵を用意して暖を取らせると言う。其処までしなくてはならないと想うと、とてもじゃ無いがボクなんか派駄目だ。花は愛ではするが育てるのは別問題だと割り切っているのである。向き不向きというのもある。矢張りペットの様な訳には行かないものである。たまたま上手く咲いてくれたシンビジュームなんかは胡蝶蘭ほど難しくは無いから良いが、専門知識や経験が要るものは簡単には行かないものである。世の中は広いから幾らでも上手く育てる人はゴロゴロいる事だろう。 さて、書棚の話もそろそろネタが尽きて来たので今回で「書棚の整理」の話は終える。それにしても多く残された宗教関係の書籍は歳も歳だから、いい加減読まないものは処分すれば良いと割り切っている。尤も、ぞんざいには扱えない気がして未だに手付かずのものが多い。が、要は読まないのなら置いておいても仕方が無いと言う事だ。宗教だから大切にしなければならないと言うのもおかしな話で、キリスト教やイスラム教の様に別の宗教信者の立場なら仏教に関心の無い人が多いのが一般的だ。だから価値観も違い、単なる書籍でしか無い。そう想えば簡単に処分出来る筈である。特に、専門的な解説書なぞ興味が無ければ全く読む事も無いから場所を取っているだけ無駄であり邪魔である。自分の書籍である文学書でさえ読まなくなったものは捨てる事だ。残しておいて誰が読むというのだ。そして書棚の横には長年、段ボールの箱が二つ置いてあるのだ。 一体何が入っているのか整理ついでに開けてみると、アルバム集がギッシリ詰まっていたのだった。もう一つの箱には土木工学全集が矢張り一杯詰っていた。成る程、此処に在ったのかと想い出して確認してから再び蓋をしたのだが、アルバムは捨てる事は無いものの、土木全集の方はどうしたものか一寸思案してしまった。何故なら、土木工学はボクが大学で専攻した学科だったから、サラリーマン時代に出版を知って記念に買っただけのもので一度も読んでいないのだ。夫々がケースに入っているから真新しい感じのままだ。しかし古本屋に持って行っても一冊百円にもならないだろうと想うと運ぶだけ無駄というものだ。誰か欲しい人でもあれば上げる事にすれば良いと今しばらく見苦しいが書棚の横に置いておく事にした。多分、そういう気持ちが駄目なのだろう。誰か欲しい人なぞ探さない限り見付かる訳が無いのだ。 勿体ないとか誰か欲しい人があれば上げようと想って残すのは整理には一番の障害に成る元である。想い切って捨てるか、積極的に欲しい人を探すかである。そうで無い限り書棚や段ボール箱は何時まで経っても整理出来ないだろう。想ったが吉日と言うではないか。早速、来週にでも大阪事務所の若い所員に訊いてみよう。ひょっとして興味があるなら欲しいと言うかも知れない。尤も、建築では無く土木だから、都市計画や地域開発に興味があれば別だが、建築技術には余り関係が無いから分からない。一般に土木に建築は含まれるが、建築に土木は含まない時代なのだ。むしろそういう細分化された分類では無く大まかに建設工学とか都市工学という分け方の時代だ。今や土木という言葉すら消える時代なのだ。それより、IT時代に書棚自体が古いという事なのかも知れない。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/06
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書棚の整理 (13) 昨年の秋頃から花梨(かりん)酒を飲んで居る。去年の節分に地元の老舗の寿司屋へ行った折、カウンターに盛りだくさんの花梨(かりん)の実が置いてあり「ご自由に、お持ち帰り下さい」とあったので珍しさも手伝って二つ程手にすると「どうぞ、もっとお持ち帰り下さい」とレジ袋まで用意してくれたのだった。お蔭で沢山の花梨で梅酒ならぬ花梨酒が出来、大きなガラス瓶に入れて物置に置いておいた。それが秋には熟して良い色合いになったので食前酒にチビリチビリ飲み始め、暮には約半分になった。その後、減る度に新たに麦焼酎を2リットルばかり足して行き、そういう事を三度ばかり繰り返す内に甘さも薄れ、色合いも飴色から無色透明に近くなって濃厚な花梨酒も単なる花梨の香りがする程度になってしまった。だから今では焼酎の梅干し入りにしてホットにして飲んでいるので回数も減り、日に依ってはワイン亦はビールの晩酌となっている。 たまたま今年の節分の朝、その寿司屋へ巻き寿司の出前を頼んだ。毎年、関西では節分に無病息災を願って恵方(方位学で毎年替わる良いとされる方向)を向いて太巻きを一本、一人で丸かじりする風習があって、今年は出掛けずに配達をしてもらったのだ。配達の親父さんに「今年も花梨の実は置いてあるかしら?」と妻に訊かせた処「さあ、どうでっしゃろなあ、去年は不作でしたから余り無い様ですわ。けど、花梨酒は幾らでも置いてまっさかい、どうぞ何時でも来ておくれやす」と言われたという。売っている花梨酒なぞ買っても仕方が無く、自分で作ってこそ値打ちがあると想って居るから多分行く事は無いだろう。が、寿司を食べに行きたくなれば出掛けて行って観ても良い。尤も、地元で寿司屋なぞめったに行く事も無く、スーパーへ買い出しついでに腹でも減れば立ち寄る程度で、年に数回あるか無しである。それよりも大阪に出る方が多い。 それは手帳を見れば分かるのだが、書棚には毎年の特製革張り手帳が並んでいて、毎日の出来事やメモが書かれてあるから日記帳の代わりになっている。恩師にも先生のネーム入りで毎年贈っているから同じ様な使い方をされていて「貴重な日常品になっている」と毎年暮れに成れば礼の電話が掛かって来る。が、もう大分前に大学を定年退官され、名誉教授になられているから「先生、もうそろそろ手帳なぞ用が無いのでは?」と訊いた事があった。が「いやいや、もう今では習慣になっていて、書棚に何十冊も並んでいると貴重な資料になっていてネ」と言う返事だった。そう言われれば中止する訳にも行かず続けているが、大学を卒業して45年にも成り、結婚以来贈り続けて来ただけに手帳もそれに近い数に成っていると想うと止めるわけにもいかない。折角喜ばれて居るものを急に中止するのも何だからと簡単には行かない処が人の付き合いというものだ。 そういう意味では、年賀状は簡単に止められる。来なかったり、義理の返事として来る相手には出さないようにすれば良いだけの事だ。年に一度の事ながら深い付き合いをして来たり立場上出すのが常識と言う相手もあるから簡単に止める訳には行かない相手もあるが、虚礼廃止が言われて久しいだけに是非とも出したい相手だけに限定すれば数も大幅に減る事だろう。実際問題として郵便局の年賀はがきも毎年売り上げが落ちている。この調子で行けば10年とは言わず、年賀状は激減して無く成ってしまうかも知れない。携帯やパソコンからメールで年始の挨拶で済ます人も多くなっている。日本もそういう時代の変わり目に入っていて、欧米のクリスマス・カードやバースデー・カードと同じ様になるのでは無いだろうか。要は花を贈った時の心からの気持ちと同じという事だ。コンサートでのファンの花束の様なものと考えても良いだろう。 ところが人に花を贈るのは日本人にとってどうしても照れくさいものがある。コンサートや個展や事務所開きなどの祝い事には大義名分が立つから割合晴れがましくとも出来るが、恋人に贈るとなると中々できないものである。若い頃、薔薇の花束を渡した事があるが、何とキザな事をしたものだと今でも想い出しては赤面する有様である。酔ってバーやクラブのホステスに手渡した事はあるが、寧ろサンドイッチやチョコレートの方が喜ばれたものだ。未だまだ日本人には生活習慣にはなっていないのだ。その代わり鉢植えの花は案外売れる様である。根(寝)づくという意味で病気見舞いには不向きだが、事務所や家庭には喜ばれる。ボクも蘭の鉢植えをよく貰って嬉しい気持ちになった事がある。芸能人の楽屋や会社の社長室に胡蝶蘭の鉢植えが沢山置いてあるのを観掛けるが、華やかなものである。中にはピンクのものもあるが、矢張り白が一番良い。 観ている分には良いが、胡蝶蘭を育てるのは難しい。ところが、簡単に育てている人も居る。その秘訣を訊けば「部屋の温度が一定で、場所を替えない事」と言われた。ボクの場合、場所を替えないのは同じでも部屋の温度が変化する書斎では矢張り難しい事が分かった。何せ、節分の頃は室温が摂氏4度にもなるからだ。暖房を点けるから居る時は温かいが、夜寝ている時から朝までは室温が落ちる。せめて10度を割らない様にすれば翌年も花は咲くかも知れないが、胡蝶蘭に限らず貰った鉢植えの蘭はすべて失敗してしまっている。咲かせようと想えば矢張り温室が必要な様だ。温室が無くとも咲かせている人はマンションかコンクリートの部屋で温度変化の少ない状況が作り出せているのだろう。書棚に蘭の写真集があったのでついでに育て方を観てみれば、冬場の温度管理は当然という風にいとも簡単に書かれてあった。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!http://ping.blogmura.com/xmlrpc/idjlbau56cwxhttp://www.blogmura.com/help/?type=h&no=12
2012/02/05
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書棚の整理 (12) 書棚は書斎に在るのが普通なのにボクの場合は二階の寝室に在る。最初、階下の書斎に置こうと想っていたが、応接室が書斎と兼ねているので来客が堅苦しい想いをするかも知れないと、わざわざ二階へ上げたのだった。それに建築関係は全部処分してしまって義父が残した宗教関係が大半になったので余計に人目に着かない場所に替えたのだった。観られても都合は悪く無いが、今時書籍が部屋の飾りになる時代でも無いと想ったのもある。それに書棚を観るのは最近ではめったに無いので無用の長物と化しているせいもある。たまに必要があれば観る程度で充分なのだ。だから書棚から持ち出した本が書斎のデスクやテーブルに積んでおくことになる。溜まればまとめて戻す。ボクは昔から本を読むのが速いから直ぐに溜まってしまう。戻すのが持ち出すよりも遅くなる場合が多い。そういう時は、どうしても戻さねばならない本以外はそのままにしておく。 そのままにしておいて何時の間にか知らない内に無くなっている場合もある。用が済めば処分するからである。最近では蔵書にするとか貯め込む気が無いから出来る限り処分して行くのだ。あと何年生きられるか知らないが、仮に10~15年としてもアッと言う間だから貯める気も無い。惚けて見苦しく長生きなぞしたくもないから出来るだけ身軽にして生きたいのである。尤も、昔なら本は貴重品扱いだったから沢山の量に成った事もある。が、10年ほど前に建築関係の本を欲しいという人に上げてしまう迄そういう状態だった。かつて男の夢は坊主になる事か古本屋になる事とされた時代があったぐらいだから書棚に本が一杯あると言う事は男のロマンを満たす前提条件でもあった。それを知っているだけに密かにロマンを想い出させてくれる小道具を出来るだけ大事にしたいのが偽らざる気持ちだったのだ。が、殆どの本を処分して清々しい気に成ったのだった。 ところが、最近大阪事務所の若い所員と話をしていると彼等は殆ど本を買わないという。金が掛かるという事もあるのだろうが、それよりも不勉強なのだ。ボク等の若かった頃とは大違いなのだ。だから、これなら彼等の為に残しておいてやれば良かったという気にもなる。今在る多くの宗教関係の本なぞ欲しがらないだろうが、建築専門書なら欲しがるだろう。建築設計資料集成全巻なぞ揃えれば結構な値段になるから彼等は持って居ない。事務所には在るが、彼等は読もうともしない。だからこそディテール集も余り興味が無いのだろう。ディテールを知らずして詳細図を如何にして描くのだろうと想ってしまう。ファサードもそうだが、全体は詳細が理解できてこそイメージできるものなのに何を考えているのかと想うのだ。簡単に言えば、タイル割りなぞ建物の全体を単純にタイルのモジュールで割り付けるだけで済むと想っているのではないだろうか。 昔そういう部下が居た。ボクが「それじゃ窓の位置決めは?プランニングで窓の位置や柱の位置が決まっていても、タイルの半端が出無い様には考え無いのか?」と訊くと「タイル屋が適当に割り付けしてくれますから」と言う。多分、小口タイルかモザイクタイルの事を考えていたのではないだろうか。「目地幅でタイルの割り付けは多少は調整出来るが、二丁掛けや大型タイルの場合はどうするのか?」と訊けば黙ってしまう。おおよそ創作という概念が無いのだ。それこそ出たと勝負なのだ。プレキャスト・コンクリートや整形版なぞは当然ながら割り付けを考えるだろうが、細かい磁器タイルなぞ考えるだけ無駄と想っているのだ。「まさか素人ではないのだから建築家の卵なら、その程度の事は考えるべきだ」と言うと憮然としていたのを想い出す。今頃は中年の親父になって、同じ事を若い部下に訊かれてどう応えているのだろうかと想ってみたりする。 そういうレベルの低い話では無く、もっと深い意味を含んだ意匠的な話を当たり前に話せる雰囲気を作りたいと想うのだが、現実には大不況のせいで仕事がロクに無いとなれば幾ら気持ちが高尚な方向に持って行こうとしてもそういう気にはなれないらしく、ボクの様に半分リタイアした人間が言う事なぞ現実社会ではズレているのかしらと想ったりもする。だからマメに外へ出て社会の動きを観た方が良いのだろう。例えば通勤電車に揺られるのも良い筈だ。誰もが暗く不景気な顔をしているのは鬱陶しいが、それから逃げるのでは無く現実を直視しなければ自分の頭の中で勝手に想って居るだけでは分からない事もあるだろう。何処かの研究所に籠って埋もれていると純粋な研究ではあっても現実社会と連動しなくなってしまう様なもので、例えば特別行政法人と化した国立大学が急に株式会社(学校法人)になって戸惑う様な羽目にならないとも限らないのだ。 特別行政法人と言えば、ボクの妻が8年前に乳癌になって手術をした奈良の国立病院がそうだった。病院がバタバタと潰れて行く中でも平気な顔で気楽に親方日の丸式に病院経営を続けていたのが、その年の暮か翌年には市立病院に移行するという事で病院内は急にバタバタと慌ただしくなって、今想いだせば「この病院は潰れて閉鎖に成ってしまうのかしら」と想ったものだった。ところが、手術が終わって毎月の定期検診が1年、2年と続き、3年目からは半年に一度の検査に成り、5年目からは年に一度の検査になって順調に回復して行き、8年目に入った昨年の夏には、担当医もやっと明るい表情に成り「もう大丈夫な様ですネ」という風な話し方をしたそうだ。それに連動する様に病院経営も市立病院として大改装や職員の制服も明るいものに替わって、元の賑わいを取り戻し順調に成った。経営方針が替われば良くなるケースを間直に観たのだった。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!http://ping.blogmura.com/xmlrpc/idjlbau56cwxhttp://www.blogmura.com/help/?type=h&no=12
2012/02/04
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書棚の整理 (11) 書棚の本を眺めていて、ふと昔の書棚は時代劇で観る様な段の少ない棚に、コヨリで綴じた書類を積み重ねるだけであったのだろうかと想ってしまう。そんな詰らない事を考えるのは、立てて並べ切れない本の上の隙間に横に寝かせてある本を観て見苦しいと感じるからだろう。その一冊を取り出してパラパラとページをくっていると一枚の写真が挟んであった。10人ほど並んだ記念写真だった。冬の景色でベージュのオーバー・コートを着た女性が二人中央に居て、横にはボクが居る。軽井沢の別荘工事の着工記念でクライアントと工事関係者を撮ったものだった。バブル最盛期の頃だから23年ほど前に成るだろうか。色あせもせず未だ若かったボクが笑っている。二人の女性はクライアントの母親と娘だ。この娘には手を焼いた。何処にでも居る平凡な女性ながら、離婚歴があり男性不審の塊のようなヒステリックさを直ぐに顔に出すので注意をしながら打合せをしたのを覚えて居る。 軽井沢と小諸の夫々に親の遺産として千坪ほどの土地を持って居て、たまたま事業用資産の売却益で別荘を建てる事になったのだった。その話を会社に持ち込んだのは、自称経営コンサルタントで本業はブティックを都内で経営する一見遊び人風の男だった。上司に紹介されて打合せをするのに半分用心をしたものだった。当時は、そういう話がゴロゴロあって、眉つば物も多かったのだ。結果的には別荘を夫々に一棟づつ建てて引き渡したから事業としては失敗では無かったものの、出張経費が余分に掛かって会社は渋い顔をしていた。と言うのは紹介者やクライアントの要望もあって、銀座や軽井沢で毎月の様に接待的な設計打合せや工事監理を一年間続けたからだった。尤も軽井沢と小諸に毎月出張で出掛け、信州の四季を経験したボクにとっては旅行気分で楽しい時期だった。 軽井沢にある西武鉄道のゴルフ場やホテルも利用したから、予め特別経費を見込んでおいた中での段取りや手配ではあったものの地元の工務店にすれば日頃利用しない場所で思わぬ出費に目を白黒した様だった。大不況の現在では考えられない無駄な経費が掛かったから渋い顔をした会社の気持ちも分からない訳でも無かったが、それなりに利益は出たからボクとしては当たり前に仕事をしただけだった。しかし、鉄骨造と木造の併用構造は崖状になっている小諸の別荘地では少々苦心を要した。つまり細い道での資材の運搬と基礎建設に手間取ったからだった。出来上がってみれば崖地の建物は浅間山のビューが一望出来て好評だったが、クライアントの我がままで勝手に建物の外観をボクの勧めた色合いにしなかった為に附近から苦情が出て、工務店を悩ませたのが問題だった。色彩はピンクだった。それでもクライアントは色彩を変えようとはしなかった。 ボクの作品群の中で出来の悪い一つになってしまったのは残念だが、最近、グーグルアースで観て、軽井沢の方は残っていて、小諸の方が消えて居るのでひとまず安心はしている。しかし、実績は実績だけにクライアント選びにも注意が要るものである事を肝に銘じたものだった。仕事をさせてくれるから何でも飛び付くというのは考えものである。クライアントはクライアントだけの人格であって建築家までがその人格に引きずり廻されるのは嫌なものである。クライアントの中には逆の場合もあって、ロクでもない作品を得意がる建築家も居るから、お互い気心の知れた間での作品であるのが一番良いのは言うまでも無い。尤も、建築家もクライアントもボクの眼から観ておかしな連中の建物は一種の公害のようなもので、そんないかがわしい作品なぞこの世から抹殺してしまいたい気持ちになる事もあるが、それはボクの評価だから如何ともし難い。 ピカソの逸話に、彼が描いた作品の下地から他人の絵が出て来たという話を知った時、あの巨匠ピカソでさえ自分の敵となる相手の作品を抹殺したという事実を知り苦笑いをしたものだった。新進気鋭の若い作家に脅威を抱いたピカソが、その作品に強引に絵具を塗りたくって別の作品に仕立てたと言う事は一種の殺人事件のようなものである。それは盗作では無いが、その作家の抹殺を図った事と同義なのだ。そこまでさせる動機に恐ろしいものを感じると共に、ピカソも唯の人だと想わせるエピソードであり微笑ましくも想った。松本清張の作品にも似た様な事を書いたものがあった様な記憶がある。売れっ子に成る前の社会派作家だった頃の彼には批判力や正義感が旺盛だったから、そういう巨匠の横暴には黙って居られなかったのだろう。全般を通して彼の作品は概して暗いから彼の性格を測り知るのは簡単だ。 しかし、九州で苦労した彼の成りたちからすれば一貫してそういう性格を貫き通すだけの信念が作家としてあったとしても不思議ではない。ピカソにもそういう強迫概念があったのだろうとボクなんか想ってしまうのである。それは幼少の頃の家庭環境にも依る処が大きい。先の別荘地でのクライアントの我儘も、彼女の家庭環境が大きく影響していた様で、ボクなんかクライアントながら、よく一年も彼女と辛抱して付き合ったものだと想う。写真を見ながら彼女も婆さんに成り母親も亡くなった事だろうと想像しながら、軽井沢のホテルで気を許した雰囲気もあったのだろうが、母親が何故かボクに親しげに話した夫を早くに亡くした家庭内の事をふと思い出すにつけ、その時刻に偶然ながらボクの親父が亡くなったのが何故か偶然の様には想えない不思議を今更の様に感じるのである。軽井沢から東京の寮に戻って初めて親父の死を知り、急きょ京都へ戻った23年前の事である。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/03
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書棚の整理 (10) 正月も開けたと想ったら、もう節分である。翌日は立春だから、もう暦の上では春と言う事に成る。こんな調子で一年があっと言う間に過ぎて行くのだ。歳を取るとそれが尚更速く感じる様に成る。毎年同じ様な事を言っているのでは無いだろうか。そういう意味では全く進歩が無い。夢見が悪いとその日は終日気分が落ち込むものだ。焦りにも似た心持に成って、何を焦っているのか自分でも分からなくなってしまう。もっと自分と言うものをレベルを下げて観れば気が楽に成るだろうに、理想がある限り、それに近付こうとする欲望が働き、どうしても無理をしてしまう。其処が凡人の哀しいところではある。人生の過半を過ごして来たのに未だそういう事を言って居る。道元を知り、正法眼蔵から様々な悟りに近い気持ちに成ったというのに何にも成らない。ある作家が「死ぬ間際に変な悟りの気持ちに成るよりも人間らしくジタバタして死にたい」と言っていた。 確かにそういう気持ちに成るのは分かる。自分を少しでも高めようとするエネルギーがある内は様々な煩悩に打ち勝とうと努力するものだ。それが人間だと言う人も居れば、あるがままの自分で良いではないかという人も居る。気どる事も無いのだと本能の赴くまま生きる人も居る。他人なぞお構いなしに、迷惑が掛かろうが平気な人は犯罪に近い事をしても出たとこ勝負で行くのだろう。馬鹿と一言で片づけても、それで世の中が良くなる訳でも無く、居直ってそれ以上の事をするズル賢い輩が大手を振って生きて居るのが現実社会なのだ。政府を観れば分かる。政府批判をする連中は国賊だと逆に彼等は想って居る。それが力だと勘違いしているのだ。幾ら正義を言っても通らなければ、それは不正義として片づけられてしまう。弱者は簡単に悪にされてしまうのだ。真実を捻じ曲げてでも権力者は平然と悪役を演じて正義振るのである。 しかし、それは時代が替われば変わるものだ。政権が替わっただけでも変わるものである。責任の所在を明らかにして、善悪の基準を明瞭にすれば世の中の常識も変わる。何が正義で何が悪かを指し示す基準が出来れば人々の考え方も変わるのだ。最高裁の判例でさえ変わる。政府の決定が変われば世の中に影響を及ぼし末端にまで及ぶ。だから目を皿の様にして国民の動向を見護り、自分達が生き残れないと気付くと世間の流れに迎合する。まして後ろ盾が弱体化すれば尚更だ。その根幹が経済である。ドルやユーロが円に及ぼす結果を観て元やルーブルやペソも変動する。総ては命にかかわるマネーが基本なのだ。マネーが国を動かし世界を動かす。物流の支払いに考え出された手段であり道具であるマネーが主役に成ってしまったのである。それも金本位制でなくなってからは非道くなってニクソンショックは現在の国際経済を根幹から変えてしまった。 僅か40年ほど前の事なのに大昔の事の様に想えるほど世界は様々な事を経験しながら動いて来た。直接手を下さなければ殺人者には成らないとでも想っているのか一握りの権力者が世界を制し、言う事をきかない国を経済制裁し、それでもへこたれない場合は武力戦争をして徹底的に潰す。かつての日本がそうであった様に今もそういうターゲットにされた国が国際ニュースの話題に上る。何時の日にかアメリカがターゲットになり広大な難民国家になる時が来れば案外世界は平和になるかも知れない。そう想って奮起する国や地域があって、決してフィクションでは無い事件が起きるかも知れない。猿の惑星は誰が悪役か分からなくしてアメリカを被害者にしているが、丁本人であるアメリカは涼しい顔をして宇宙の彼方から神にでも成った積りで他人事の様に眺めてでもいるのだろう。 卑近な例で言えば、うちの大阪事務所の若い所員に建物のディテールの説明をしていて、サンプルに出した膨大な数のスーパー・ゼネコンのディテール集の夫々を観せながら「如何に見易く使い易くする方法を知恵を働かせてまとめてみよ」と指示をした処で、そもそも自分で考え出したディテールでは無い以上、仕組みの本質なぞ分からないという顔をする。「こんな簡単な事も分からないのか!」と内心腹を立てながらも事例を作って示してやると何とか物真似で動き出す有様だ。つまり、自分達が何の為に事務所に居るのか意味も分からず時間ばかりを潰している事を何とも想って居ないのだ。役に立たない所員なぞ過去に幾らでも居て辞めて行ったのに亦ぞろ同じ様なレベルの所員が来ては辞めて行く。学校でもあるまいに一見賢そうな顔をしながら実は使い物にならない所員が何と多い事かと感心させられる。まるで他人事の様な顔をしているのである。 言わば彼等はアルバイト気分で仕事をしているのだ。使命感に燃えた建築家の卵なぞ一人も居ないのかと情けなく成ってしまう。自分で考えて何をすれば自分の為にも事務所の為にも成るか考えようともしない。漫然とその日を生きて居るのなら死んだ方がましと想うのは我々の世代で終えてしまったのだろうか。一度しか無い人生を面白おかしく生きたいとは想わないのだろうか。言われるまま動いて期待値の半分も成果を上げないのは今に始まった訳ではなく、ボクがサラリーマンをしていた頃の部下もそうだった。今は更に非道くなってしまった様だ。想い切った事が出来なくなった時代なのだろうか。少なくともクリエートするという立場を忘れてしまった作家は作家たるを得ないのだ。建築家の卵は物を作りだす思考をし手法を表してこそ存在価値があるのだ。何もせず言われるままに動くのはロボットと同じである。育てる為の卵が消耗品では詰らない。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/02
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書棚の整理 (9) 今年は初夢を観なかった。その後、ひと月経って印象的な夢を観て、それが余りにも衝撃的だったので今年第1回目の夢、つまり初夢とする事にした。しかし、それは馬鹿ばかしい夢だった。書棚の整理をテーマにしたブログを書いているせいで観た夢なのかも知れない。それに、先日、変わったタイトルでコメントを書いて来た読者が居て「生前整理」とあったのが記憶にのこっていたのかも知れない。夢の内容は、独身時代に勤めて居た大手の設計事務所に現在のボクが訪れたものだった。当然ながら40年も昔の頃のイメージのままだから今とは違う世界なのに違和感が無かった。退社時刻の頃で社員達は部屋から出て行こうとしていた。ボクは出先から急いで戻って来たらしい。事務所の場所は大阪ならぬ東京だった。単身赴任をしていた頃の体験も入っているらしい。自分の席とタイムカードを探したが分からなかった。 更に大部屋の中を歩き廻って同僚や先輩を探したが知った顔は無かった。急いで会社に戻った理由は、アメリカから調査団が来るというので興味を持って戻ったのだった。ボクも調査団に関連する資料を持って居たのだ。アメリカから来る調査団というのは、先日、イランにIAEAの調査団が入ったニュースが頭に残っていたからだろう。設計事務所に海外の調査団が来るという事なぞあり得ない話なのに、ボクは彼等のスケジュール表まで持っていたのだ。事務所の壁には同じ様なスケジュール表が貼ってあって確認もした。が、誰も居ないので話が出来ず、仕方なく出口の方へ向かった。「俺は、もう会社に席は無いのだろうか」という一抹の不安を抱きながら仕方無く同僚達と一緒に会社のエントランスに出た。すると、ガラス張りのエントランスは何故か一部が壊れていて人々は難儀しながら外へ出ようとしていた。道路も一部が陥没したり隆起していた。 エントランスのテンパライト・ガラスのドアの下から、外部の水がドクドクと流入していてホールに流れ込んでいた。その水を避ける様に飛び石の上を飛ぶようにして人々は瓦礫の上を順番を待って歩いているのだ。ボクはジッと観察して濡れないルートを見つけ、其処をピョンピョンと飛んで走って外へ出た。振り返ると後続の人々も同じルートで出て来るのだった。何故、エントランスが壊れ、外から水が流れて来るのか不思議にも想わず平気で歩いていて、そういう状況をボクは把握している様なのだ。考えてみれば調査団と言い、設計事務所と言い、この状況は東北大震災の津波と福島原発の事故と関連がある様に想えた。イランの核開発の疑念を調査する調査団の事や原発の事を考えるのは設計事務所が原発を設計する部門を持っているからに違いない。そういう会社にボクは戻って来て何を観ようとしているのだろう。そう想った時に夢は終わった。 その設計事務所は巨大企業の子会社で原発も設計していた。かつて原発関連建屋の設計で発電所へ出向いた事が何度かあった。時代の先端を行く仕事というイメージが強かった。放射能漏れなぞ考えられない設計になっていると教えられていたから安心して設計打ち合わせに出掛けたのだった。勿論、原子力部分は専門外だから建物だけの打合せだった。その頃から40年も経っているのに今も夢に観るというのは矢張り福島原発の事故を意識しているのだろう。ボクはその会社を辞めて海外へ行く準備をしていた。まるで学校のような気楽な会社だったが、其処では想い通りの建築の勉強が出来ないと想って辞める事にしたのだった。世間を知らないと言うか、苦労知らずなまま海外で建築修業すれば目的が達成できると簡単に想って居たのだ。ところが、いざ行く段になってパトロン的立場の或る中小企業の社長が前言を翻した為に海外行きは延期になってしまった。 約束を反故にされ、ボクはその社長と喧嘩をして決別し、友人と一緒に設計事務所を始めた。純粋な青年だったのだ。そしてコンペに数件応募して一つが入選し、設計の方向が見え始めた頃、能力の限界を感じさせた友人とも別れ、好きな相手が居た事もあって結婚する為に再就職したという訳だった。慌ただしい年だった。何もかもバタバタと片付いて行く頃だった。エネルギーがあったのだろう。時代も余裕があったのかも知れない。大手の企業に再就職して設計事務所では得られない収入を得、結婚生活は順調な滑り出しをした。そして最初に辞めた設計事務所の退職理由を改めて考えてみると、たまたま原発に依る弊害が言われ出した頃だったのと、自分でも調べて行く内に確信をもって原発に反対すべきだと想った事が契機になっていたのだった。辞めるチャンスを待って居たのだ。それが海外修業の話をしてくれた社長だったのに彼とも喧嘩別れをしてしまった。 喧嘩別れをして正解だったと想った。何故なら、一緒に設計事務所をした友人の大学院時代の同窓生がボクの後釜に、その社長の娘婿になったという話を聞いて苦笑してしまったからだ。社長はボクを娘婿にしたかったのだ。が、喧嘩別れをしたのでそういう巡り合せになった。しかし、今ではその会社は斜陽化して行き、無く成ってしまっている。運命とはそういうものなのだろう。原発の設計をしていた事務所も辞め、娘婿も断って、結果的には今の人生を営んでいて正解と想っている。そのまま居続けていたり、娘婿になっていたりしたら今のボクは無かっただろう。夢は、そういう一連の事を想い出させてくれた。懐かしくもあり、ほろ苦い想い出の青春時代の一ページを今頃想い出させて、変な気持ちになってしまった。初夢とするには無理があるかも知れないが、兎に角煩わしい事から逃れられたのだった。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2012/02/01
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