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今朝のことです。姫路から深夜バスで東京に帰ってきたのですが、まぁ、ストレスが溜まったこと溜まったこと。前の席のおっさんはリクライニング全開で倒してきよるし、後ろの婆は、いびきうるさいし、起きたと思ったら咳こんでるし。隣の外国人はカーテン開けっ放しなので、まぶしくて眠れないし。しかも、東名が事故渋滞していて遅々として進まない。うう。まぁ、ストレスが溜まったこと溜まったこと。6時半に渋谷に着くはずが、6時になってもまだ休憩予定の海老名に着かない。私一人がストレスに苛まれたままバスが海老名パーキングエリアに到着したのが6時17分。そこで6時半までトイレ休憩ということになったのですが、トイレに行ったあと、海老名から東京までどれくらいの距離があるかを確認したくてうろうろしてたら、コーヒーの自動販売機を発見。あ、確か、岡本吏郎の「お金の現実」という本で、「電車などの遅延など突然なアクシデントの当事者になってしまったときには、苛立たずにのんびりとした精神を保つことを最優先する。そして、そのためにはどれだけお金がかかってもいいと思っている。そういうアクシデントは『ちょっとのんびりして風呂でも入って帰りなさい』というモネタ(マネーの神様)からのメッセージだと考える。」という部分を思い出し、「あ、これはイライラした気分を落ち着かせるためにコーヒーを飲みなさいというモネタからのメッセージだな。」と解釈し、200円を投入して、キリマンジャロのボタンを押した。すると、チャラチャラチャラチャラランラン~というラテンの音楽とともに、その製造過程がモニターで見れるようになっている。え?時計を見たら既に6時半になろうとしているではないか。焦る。そんな私の焦りを無視したような、むしろ私の存在を小馬鹿にしたようなオルゴール音が、私の焦りを倍増させる。やっとのことで、キリマンジャロのコーヒーを手にした私は、ある畏怖が生じた。ただでさえ、時間がおしているバスの発車時間に遅れてきて、ピリピリしている車内の中でのんきにコーヒーを買ってきてるなんてもしや、私はかなりのKY(空気が読めない人)と見られるのでは?と。捨てるか?自問自答する。このコーヒーを捨てて、何も持たず申し訳ない顔してバスに戻るか?そのほうがまだ空気が読めているのではないか?いや、しかし。思いとどまる。やはりこのコーヒーは私が200円をかけて、モニターでドリップ過程まで見せてくれただけに、責任を持って私が飲むべきだ、と。そう判断した私は、そのコーヒーが出来るやいやなすぐにバスに乗り込んだ。バス内は予想通り、何かピリピリ感が漂っていた。そんな中、6時32分に乗り込んだ私の手には温かいコーヒーが。「ちょ、、、おま、、、」といわんとする周囲の目を、さえぎるように、ただ、キリマンジャロの香ばしい匂いだけがほんわりと車内に漂っていた。
2010年02月26日
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今からお台場に行ってきます。(いきものFCを通じて歌収録だけ当選しました)こういう時にツイッター等のつぶやき系の機能を使うんだろうな、とうっすら実感。いつも事後的な報告をブログに更新するから感覚がつかめないのである。では、行ってくるうな。
2010年02月21日
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最近、ブログや広告などで「ツイッター始めました。」と目にするのですが、「それで?」とリアクションに困ります。そもそも日本で社会的にも認知され始めたツイッターとは何なのか、そんなに興味のない私ですが、その機能は以下のようなところでしょうか?1.240文字程度でつぶやくことができる。2.それについて、フォワーダーたる人が返答する。3.延々とそれを繰り返す。まず、1についてですが、何をつぶやいているのでしょうか?ある作家さんのツイッターを見てみると、日常の些細なことをぐだぐだと端的に述べているだけ。見ている方は、1分で飽きました。次に、2ですが、フォワーダーって誰でしょうか?ミクシィでいう、マイミク的なものと見当をつけているのですが、とにかく、レスポンスしてくれる人という意味かしら。これについては、人が「つながり」を求めていることに起因していると思われます。本屋で、広瀬香美さんと勝間和代さんの著書でそんなことを書いてあったのを少しだけ立ち読みしました。誰もが「つながり」が欲しがっている。そんな時代なのかもしれません。でも、最近、その形式が変化しすぎていると思うのです。いい意味で言うと多様化している。悪い意味で言うと孤独に耐えかねない。私がこうやって意味のないブログを書いているのも、ある意味、「つながり」を求めているのかもしれません。しかし、いつしか見返りを求めなくなったのです。誰からもコメントがなくとも、ようやく平気でいられるようになりました。これは孤独に耐えられるからでもなんでもなく、私がブログを書いている原動力となっている理由が、●単に表現欲を満たしているだけに過ぎないからです。つまり、240文字以内という制限付きで、自分の近況を報告するだけなら、親しい人にメールすればいいだけの話。さて、3について。これは2ちゃんねるとか、一昔前のチャットとよく似ています。不特定多数(もしくは特定多数)の相手と何度もやり取りすることに意味がある。これが2でいうところの「つながり」につながっていくことになる。もしくは、多数のやり取りによって、自分の存在が認められるようになる。そういうネットの社会の要素かもしれません。■■私のブログは、ある時期を境にして、趣旨が大きく変更しました。最初始めた時(2005年あたりかな?)は、孤独を癒すために書いていましたが、現在は、本当に顔の見えない相手に対して、「自分の表現がうまく通じるかどうか?」というある種の実験となっているのです。しかし、未だかつて、自分が表現したいと思う内容の半分も表現しきれたことがありません。文章力、全体的な構成力、発想力、知識、教養、その他全てが未熟なのです。ましてや、その不足がツイッターやミクシィの日記で満たせるのか?甚だ疑問なのです。夏目漱石の「門」に出てくる、宜道という修行僧のように、ストイックに孤独に耐えうる修行をした方がいいのかもしれない。(一日だけ体験があるが、円覚寺の修行は瞬間的な厳しさではなく、 真綿で体を覆うような厳しさがある。)そう、私は、孤独に耐えうる力を身につけなければならない。だから、ツイッターとかミクシィとかに依存してはいけない。もっと熟考に熟考を重ねなければなりません。ということで、今日も元気にいってらっしゃい!!(With おきた君)
2010年02月17日
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2月14日は特別な日である。嫁の誕生日なのである。私はここ何年も2月14日に大したサプライズ演出も出来ず、昨日は、ケーキを購入後、おごそかにお祝いさせて頂いたんだけど、ケーキの上にローソクを乗せることを忘れていた。これは手抜きか?いや、私は手を抜いているつもりはない。テングか?いや、私はテングにはなってない。むしろ、落ち込んでいる。ここ何年も「義理●ョ●」をもらっていないのだ。2月14日は嫁の誕生日だからだろうか?いや、そういう問題ではないらしい。(TO BE CONTINUED)って続くか、こんなの!!
2010年02月15日
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先日、「やりすぎコージー」という番組で、「芸人の嫁」を特集していたので、夫婦でみていた。そもそも私は芸人でもないのに、嫁のご機嫌をチラチラ伺いながら、「こんな貧乏生活を続けていいのかなぁ?」と媚びるような目で訴えかけていた。(しつこいようだが、私は芸人ではない)その番組で、嫁へのアンケートのコーナーがあり、「だんなは今年売れると思う方、スイッチオン。」と言われると、「売れてなくてごめん。」という気持ちになっていたのだが、「『なんやかんやあってもやっぱり芸人の嫁でよかった』という方、スイッチオン。」と、ジュニアが前フリした瞬時、嫁は席を立った。どこかご立腹になる点があったのだろうか。画面では11人中11人の嫁が、「芸人の嫁でよかった」というハッピーエンドを迎えていた。この結果を伝えたくて、嫁のところに行こうとしたのだが、「あれ、オレ、そもそも芸人じゃないよな。ということはオレの嫁も芸人の嫁じゃないよな。何を伝えればいいのだろうか?」と逡巡した。そもそも、不安定な毎日が精神安定につながっている私にとってみれば、芸人という存在にはかなり近いところがある。芸人と芸人じゃない人との境目はどこにあるのだろうか?NSCのような養成所に通っている人はまだ芸人ではない。劇場やテレビに出ている人が芸人かというと微妙なラインだ。(吉本はアマでも劇場に出させてくれる)自称で芸人といっている人は自称にすぎず、客観的に芸人だと認めてくれるあたりになると芸人と認可されるのだろう。もっとも、上方ではもっと厳密なしきたりがあるのだろうが。(結論)私は芸人ではないし、芸人になりたくもない。でも、「面白い人間」にはなりたい。そのために芸をみがくことに邁進する。(それって「芸人」が宣言することじゃないの?)
2010年02月04日
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