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とうとう今日で9月も終わり。早いものだ、あと3ヶ月で2005年が終わる。でも今朝、ツクツクボウシはまだ鳴いていた。頑張るねえ。しかし彼らもあと数日でいなくなるだろう。朝は半袖で散歩に出ると肌寒いぐらいになっているから着実に秋が動いている。空気感(?)も違ってきている。家の周りの小鳥達の声が、いやにスッキリ真近に聞こえ出した。甲高いモズの声は再三触れたが、それ以外ここ数日スズメ達のさえずりがはっきりしだした。人家の周りに一年中いる連中だが、寒さに向かうにしたがってより人間に近いところに寄ってくるみたいで、庭木に姿が急に目立ちだした。それとこの辺ではドバトではなくキジバトが殆どだが、彼らの鳴き声が耳に入りだした。近くのスギの大木のてっぺん近く、枯れ枝になっている箇所に止まって鳴いていると澄んだ空気の所為か周囲に良く聞こえる。今の時季、一日ごとに動植物になんかの変化が見られる。季節が動いているというところか。
September 30, 2005
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先日来、モズを撮影したいと機会を狙っていたが、天候の悪さのおかげで逆光でもなんとかモズの表情が分かる程度に撮れた。太陽光が不足しているので体色など鮮明に写らない。残念だがそれは又の機会を狙おう。出来れば「キリ・キリ・キリ」と口をあけている姿も狙いたい。
September 28, 2005
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田園の中を流れる川の土手で白い彼岸花が咲いているを見つけた。生まれてン十年、彼岸花は真っ赤なものしかみたことがない。図鑑などで白いものもあるということは知っていたが、自分達の地域では自生していないと思っていた。それがどういうものか、この写真を撮った一箇所でだけ咲いていた。誰か上流の人が、花屋で購入して自宅で楽しんでいたものを、何かの都合で川に捨て、それが流れ着いて定着したものか。それとも素人が知らない赤色から白色に変わるDNA変異のカラクリがあるのか。あまりにも珍しいので写真に撮ってみた。
September 27, 2005
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宮部みゆき著「孤宿の人(上下)」を読んだ。表題の“孤”は何故か瓜ではなく爪になっている。何か意味があるのだろうか。読後感。なにやら分かりづらい。テーマは最後の所の和尚の言葉にあるのだろうが、言葉が不足しているのでは。それとも短い表現で深い感動を覚えるよう計算しているのか。それなら私の場合未消化だ。テーマがいくつも混在して焦点がぼやけている感じ。いろんな要素を描写しすぎている嫌いがあるのでは。だから読んでいて疲れる。読み進めていくうちに、主人公の1人「ほう」の成長を期待していく気持ちになる。最終章あたりで、彼女の周りの人たちにいくつか感銘を与える彼女自身の成長のエピソードが織り込まれていると思ったが、そうは結ばれていない。著者の狙いが分かるのは、もっと感受性に富んだ読者でないと駄目なのか。
September 26, 2005
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早朝、愛犬との散歩の帰途、通り道にある一軒の農家が見えるところまできて、そこの住人が変なことをしているのが目に入った。散歩の順路はその農家に向かって真っ直ぐ進み、門前で道が左右に分かれるT字路になっている。だからかなり離れている段階からその農家を真正面に見ることが出来る。お宅の中は、正面の門が開いている部分からだけしか目に入らない。門の中は前庭である。遠くから見るとその門の内側の庭で何かをしているらしい。誰かが門の中を右から左に走って通り過ぎたかとおもうと、すぐさま今度は左から右へ通り過ぎる。こんな早朝一体何をバタバタ騒いでいるのか、急病人でも出る異変があったのか、少し心配になり急ぎ足でその農家に近づいた。家の近くまで近づいて状況が分かると、知らずに笑ってしまった。自分の早とちりにである。そして思わず「いいねえ!」とつぶやいた。何のことはない。門の中、庭の空きスペースで、その農家の父親と小学生の子供が肩を組み、というより身長差があるからお互いの体に手をまわし、足を紐で結んで二人三脚の練習をしていたのだ。「いいねえ!」と思ったのは、いつもは早朝からビニールハウスに詰めて、農作物の手入れに忙しい父親が、その時間、末っ子の小学生といっしょにそうした時間をとっていたからだ。おそらく末っ子の運動会の練習に父親がつきあっていたのだろう。お互い掛け声を掛け合い、「もう少し○○○した方がいいのでは」などと注意しあっている声が垣根越しに聞こえる。門前を通り過ぎ、そのお宅から離れながらほのぼのとしたものを感じ、そうしたお宅が近所にあるということが何となく嬉しくなった。それにしても、家の外には車など殆ど走らない、練習にはもってこいの道があるのにどうして自分の庭で?家路をたどりながら少し疑問に思ったが、そこはそれ、子供のほうに他人に知られることなく上手になりたいという気持ちがあったか、あるいは単純に父親の方に照れくささがあったのかも知れない。それを考えるとよけい微笑ましいと思った。
September 25, 2005
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またもやモズの話。何とかしてこの「季節の使者」の姿をデジスコで撮りたいと思っているのだが、うまくいかない。きちんと場所を探して定点に構えて撮れば可能だろうが、そこは無精者、家の近くで撮れればと考えているからいっこうに成功しない。実は我が家から10メートル程度の至近距離にある電柱がこの辺の縄張りを仕切っているモズのお気に入りの場所なのだ。電柱のてっぺん近くの電線の、必ず同じ場所で頻繁に高鳴きしている。ちょっといなくなったと思っても、すぐ引き返してきて同じ場所で縄張り宣言をしている。しかし、撮影条件が悪い。民家の並び具合で逆光になる地点にしかカメラを据えられない。そしてくだんのモズのお気に入りの場所が、電線が上下に何本も入り組んで電柱につながっている場所なので、どれかの電線がモズの体の一部を隠し全身がうまくフレームに入らない。少しでも逆光度合いが少ない場所からと移動すると近くにより過ぎることになり、飛び立ってしまう。諦めてカメラをしまい帰宅すると、すぐ引き返してきて同じ場所で高らかに「キー、キリキリキリ」と鳴くのである。何度も何度も失敗して、いささかうんざりしている。
September 24, 2005
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今日は秋分の日。なのにまだツクツクボウシが鳴いている。9月ももうすぐ終わりというのに。毎年この時季までツクツクボウシが鳴いていたのかしらん。記憶が定かではないが、どうも今年は例年より彼らの鳴く期間が長いような気がするが…。一方でモズが鳴き秋を感じているのに、片方でツクツクボウシが鳴いているのを聞くと何だか変な感じがする。そういえば家の周りの果樹のうち、桃の木に花が付いている。自然の移ろいが少しばかり変則的になっているのか?
September 23, 2005
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今日は父親の7回忌だった。親戚25人ぐらいに出席してもらい自宅で法要を行った。7回忌だから故人のいない喪失感、悲しさはもうそんなに感じることはない。しかし、別の物悲しさは感じた。父親の法事だから出席してくれる親戚の顔ぶれは年配者が多い。驚いたのはその顔ぶれでの酒量が、3回忌の時よりもズンと落ちていたのだ。法事の後は気抜けするものだし、特に7回忌は遺族にとって一つの区切りだから脱力感がでるのは当然かもしれないが、それとは違う気落ちするものを自分の中に感じた。「みんな、どんどん年を取っていくんだな」という悲哀感みたいなものだ。人の生は順番に終わりが来る。病気や事故でその順番が狂うこともあるが、いずれにしても親しいメンバーの限られた生の長さを意識するのは法要独特の醸し出す雰囲気かもしれない。
September 18, 2005
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童謡に「小さい秋、小さい秋、見つけた…」という一節がある。その中にモズのことが織り込まれているが、モズの声は小さい秋というよりは、完全に秋の風物詩だ。今朝、今年夏を過ぎてから初めてモズが鳴き出した。家の近くの電柱のてっぺんで「キー、キリキリキリ」と高鳴きしている。縄張り宣言だ。モズは留鳥だから一年中姿は見られる。夏場もその気になって探せばちゃんと見つけられる。しかし、夏場には鳴き声を出さない。だから、独特の甲高い高鳴きが聞こえ出すと「ああ、秋だなあ」という実感がする。まさに秋を告げる声というやつで、これから毎日、来春まで彼らの声を聞くことになる。
September 13, 2005
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今日、田んぼの畦道で彼岸花が咲いた。アア、そんな季節か、と思う。しかし、毎日通る道なのに昨日まで全く気がつかなかった。しかも背丈は40センチは優にある。実は彼岸花は、毎年ある日突然30~40センチの大きさで目に入ってくるのだ。どうして急にその大きさで気がつくのか、不思議なものだ。
September 11, 2005
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今日は蒸し暑かった。しかし、朝夕はやはり少しずつ涼しくなってきている。我が家は、犬と、熱帯魚と、鯉とメダカ、そして鈴虫を飼っている。この前まではカナリアがいたが、籠の中に侵入してきたヘビにグルグル巻きにされ昇天してしまった。秋の気配が分かるのは虫たちだ。鈴虫は水槽ぐらいの大型のケースに入れて飼っている。夏の盛りの時は、競い合うように一斉に鳴いて、お互いの声が反響してうるさいほどだった。その鈴虫たち、ここ2、3日、いつの間にか涼やかな鳴き声に変わっている。ケースの中の生存数が少なくなった為なのか、それとも鳴き方が変化したのか分からない。真夏の時の鳴き声と比べると風情がある。呼応するように庭のあちこちで鳴くコオロギもやはりその響きが違う。夜の空気は秋になっていて、その変化が虫たちを元気づけているのか。虫の声は、やはり秋が一番という実感がする。
September 10, 2005
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最近、衛星テレビ(BS2)で週一「寅さん」を放映している。大相撲の他には何の趣味も持たない老母(84歳)が、どうしたことかこの「風てんの寅さん」にはまってしまった。日常生活ではあまり笑いが出ない年齢になっているが、この映画を見ている間はよく声を上げて笑う。精神のリハビリというか、医者に貰っている薬よりはずっと体のためにはいい。いくつものバラエティ番組が次から次へと新しく作られ放映されるが、「何の芸もないのにどうしてこんなのが面白いのか」とよく文句を言っている。同感だ。出てくる出演者は誰も彼も、ギャグのつもりかなんか知らないが、やたら大声で騒いだり、喋りまくる。そこには何の芸らしき片鱗もない。ところがそんな連中に限って、一芸を持つがゆえにたまにゲストで出演する者を何やかや揶揄し、更に得意げに笑いを取ろうとする。始末の悪い事に収録会場のお客さん?は彼らの一言一言、一挙手一投足にドット笑う。やらせで笑っているのかどうか知らないが、こんな番組そしてチンピラタレント(タレントとは言えないが…)の存在を許している一番の責任者は視聴者だ。それと同罪なのは担当プロデューサー、更に言えば今のテレビ会社の文化レベルだ。今、彼ら(出演者、プロデューサー、TV会社)の作っている『お笑い番組』で、視聴者が本当の意味で心地よい笑いが持て、ストレス解消が出来ていると思うのか。本当にお願いしたい。今の風潮をどこかの時点で、業界の誰かが革新してくれないか。話がそれた。困っているのは、「風てんの寅さん」シリーズが、午後9時からということだ。年寄りは就寝時間が早い。我が家の老母も普段はこの午後9時から床に入る。ところが寅さんシリーズが始まってから、「いや、寝ないで見る!」と頑張って見ている。先週も午後11時近くまで見ていたが、翌日さすがに「やっぱり、夜更かしは出来んねえ」と体調の悪さを訴えた。「もう見るのはやめる」とも言っていたが、未練たらたらである。家人として考える対策は二つ。茶の間のテレビにはビデオコーダーがついてないので新しく設置し、放映されたものを録画するか、レンタルビデオを借りてきて見せてやること。もう一つはBS2さんが放映時間をせめて一時間早めて、午後8時からにしてくれること。これは家人の努力で出来ることではないので対策とは言えないか…。思うに寅さん映画は、現在の大方のちゃらちゃしたお笑い番組より数倍価値がある。BSさん、もっと年寄りもゆっくり見られる時間帯に放映してくれませんか。
September 7, 2005
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今日は朝から台風14号が吹き荒れている。夜に入っても同じ状態で、これほど長い時間強風と雨が続く台風も珍しい。それだけ暴風域、強風域が広い大きな台風ということだろう。昼間、近くの竹林の孟宗竹が根元近くから大きく揺れていた。その激しい竹林の揺れ方を見ていて子供の頃の馬鹿な遊びを思い出した。小学校低学年だったが、今日のような台風の日、単純に風に揺すられたら面白かろうと家の近くの孟宗竹に登った。かなり上の方まで登り、期待通り?暴風でしなる竹といっしょに体が大揺れに振り回されるのをいささか得意になっていた。ところがものの数分も経たないうちに気分が悪くなり、目がかすみだした。自分で自分が分からなくなりかかっていたが、子供心に焦りに焦り、こわばり始めた手足で必死に竹にしがみつきながら下降した。気分の悪さは地面に降りてからもしばらく続いた。何でそうなったのかすぐには分からなかったが、なんのことはない。酔っ払ったのだ。あれほど振幅の大きい揺れの中に体をまかせたのだから酔わない方がおかしい。今思い出しても馬鹿だと思う。もう数分降りるのが遅れていたら、気を失ったか手足の握力がなくなって落下していたに違いない。結果、今頃はこの世に存在していなかったか大怪我を負っていただろう。今の子供は自然相手のこんな馬鹿な遊びは思いつきもしないだろう。
September 6, 2005
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