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月照寺でみつけた山法師(ヤマボウシ)ですこちらも月照寺にある「八房の梅」です。赤穂浪士大石良雄・間瀬久太夫の両人が参拝して素願の成就を祈った。このとき大石氏は墨絵を描いて奉納。間瀬氏は持参の梅の鉢植え八ツ房を移植して祈願の印としたんだそうです。この梅は1つの花から7,8個の実を結ぶので八ツ房の梅といわれるそうで現在は3代目なんだそうです。これは 柿本神社にある 盲杖桜です。昔九州からきた盲人が「どうか目が見えるようにしてほしい」と歌に込めて願ったところ、目がみえるようになって不要になった杖を社前に突き刺して帰った。その杖から桜が咲くようになって『盲杖桜』と、いうそうです。
2006.06.16
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5月に引っ越した友達に会いに行ってきました。さんは 元気にしてました(わかる人だけわかってください)まず 最寄り駅を9:24発の電車に乗って明石に10:36着 明石観光案内所へ 地図をもらったけれど イマイチよくわからない ガイドブックも持っていたけれど明石については1ページしかない と、いうわけで・・・ まずは 明石公園の中にある図書館へ残念ながら兵庫県立図書館は休館日でしたが 明石市立図書館は開館していました。中に入ってみるとガイドブックのコーナーには特別 明石について詳しいものは見当たらずコンピュータで検索していたら「郷土資料室」と、出た「室?」部屋なのか???と、キョロキョロしていたらカウンタから「なにか お探しですか?」「郷土資料室というのはどちらでしょうか?」「こちらの部屋から出られて右手です」おぉ~~~ やっぱり 部屋だよ。1つの部屋に司書さんが1人おられて し~~~~~んかなり古そうな本が多くて 禁帯のものが多かったけれど ミニコミ誌までファイルされていました。その後 お城など明石公園のなかをブラブラしてから明石駅前にもどってランチタイム月の庵でランチタイム。本当はもう少し歩いて別の場所(明石らしい料理がでる)に行きたかったが足が疲れて挫折。また次回のお楽しみ柿本神社の前に「亀の水」という地元の人に愛されるおいしいお水があります。写真はタマタマ人が写っていませんがみなさんタンクを持って並んでおられました。私達は途中で どうぞ と、言ってもらったので 味見しました。冷たくて おいしかったです。月照院からみた 明石大橋です。明石天文科学館前にある「漏刻」です時の記念日というのは 天智天皇が671年6月10日に人々に時を知らせたことから由来するそうです。「ん? 知ってるぞ。。。 あのね~~この間飛鳥に行ってねぇ・・・・」(その後は このブログの下にある「飛鳥」編をお読み下さい)天智天皇が使ったのがこの「漏刻」水時計の一種でいくつかの水槽が細い管がつながっていて、水が順番に伝わることにより、水の流れを一定に工夫がなされています。一番下の水槽の水面が上がる様子をメモリで読み取って時刻をはかるんだそうです。帰りにはもちろん 玉子焼き(明石焼き)を食べて帰りました。
2006.06.16
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ネットで検索してみました。マムシは攻撃性が弱いので 基本的には 急に攻撃されてかまれることはないそうです。ただ 藪にうっかり手をつっこむと かまれることもあるので 要注意!なお 夜に歩くときには懐中電灯で足元を照らしながら歩くといいそうです。ちなみに 毎年10人くらいはマムシにかまれて亡くなっているそうです。特に年配者が 亡くなっておられるとのこと。やたらと 手出しはしないようにしましょう!
2006.06.03
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飛鳥時代といえば 聖徳太子は主役格。だけど、秘密のベールに包まれてるんですよねぇ。「聖徳太子はいなかった」と、いう説(日本書紀にはでてくるが古事記には聖徳太子に対する記載が全くないというところからきているそうです)から「聖徳太子はペルシャ系渡来人」(太子本人の頭髪とされるものが残っていてそれが赤い髪なのだそうです)という説まで ロマンですねぇ~日本最古の成文法である「十七条憲法」私の教科書には「憲法十七条」と書いてありましたが 今20歳の姪の中学時代の教科書には「十七条憲法」となっていました。いつから 変わったんですかぁ?一番最初に「和を以って貴しとする」 と、書かれていることは 有名だけれどこれが なかなか 難しいんだなぁぁぁぁぁぁ太子の死もまたナゾで、これほどの人物なのに 書物によって没年に食い違いがあるんだそうです。その理由も 病死・暗殺説・自殺説まで・・・50歳前後でなくなっているようです。蘇我馬子が76歳、推古天皇73歳 で亡くなっているそうです。聖徳太子亡き後 すぐに思い出すのは 大化の改新の中大兄皇子と中臣鎌足中臣鎌足は1934年に阿武山(高槻市と茨木市にまたがる)の山頂付近で発見された 阿武山古墳が その墓とされる説が有力である。保存状態のいい(こういう表現でいいのか?)遺体が発見され、その分析によると 落馬により下半身不随になり 数ヶ月の療養後内臓疾患を併発してなくなっていることがわかったそうです。身長164.6cm で、弓の達人と伝えられる通り上半身の筋肉が非常に発達していて 下半身も骨太であったそうです。明日香と飛鳥明日香と飛鳥は、一般に「明日香」は地名、「飛鳥」は地方名として使われているそうです。「あすか」というのは山形県から長崎県まで日本各地にあるんだそうです。大和三山香具山(かぐやま) 畝傍山(うねびやま) 耳成山(みみなしやま)をさします橿原市のHPによると平成17年7月14日に国の名勝に指定されたそうです。欽明天皇陵と吉備津姫王墓猿石のあった場所は欽明天皇陵であり、そばに吉備津姫王墓がある。吉備津姫王は欽明天皇の孫で 天智天皇や天武天皇の祖母にあたるそうです。猿石高さは60cmくらいだが、地下にも同じくらい埋まっているんだそうです。正面からは4体にしか見えないが、実は3体は2面石で計7面。雄2基、雌2基のつがい。 終戦直後 米軍にこれらの猿石を持ち去られないように埋めてしまったところ子どもたちに悪い病気がはやったので、あわてて掘り出して供養したのだそうです。毎年11月5日には安産の祈願(女達の祭り)が行われているそうです。鬼の俎板・鬼の雪隠本当は何だったのかは いまだにナゾ大和の伝説として。。。霧が峰というところに鬼が住んでいて、道に迷った旅人を捕らえては俎板で料理して食べ、セッチンで用をたした。と、いうところからこの名前がつけられている。橘寺聖徳太子が生れた場所。創建当時は六十六棟もの堂宇が立ち並ぶ四天王寺式の立派な伽藍配置だったそうです。こちらの生麩を使った精進料理が有名なんだそうです。ネットで調べたところ10人以上で予約ということなので ちょっと難しそうです。酒船石不老不死薬の調合に使われた?なんて説もあるんだそうですが、実際にどういうものだったのかは いまだに謎だそうです。松本清張氏はゾロアスター教の神聖な飲料ソーマの調合台ではないか?と指摘されていたそうです。
2006.06.03
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毎年このシーズン友達の健康診断ダイエットのためウォーキングへ行く私今年は 飛鳥をウォーキング今回はウォーキングでしたが、駐車場情報はココが詳しいようです。8:30に家を出発し 10:30に飛鳥駅到着!まずは 駅前の観光案内所で「飛鳥王国パスポート」100円を購入。地図と割引券がセットになっています。でも 地図は駅においてあった てくてくマップのほうがわかりやすかったです。11:10 猿石 欽明天皇陵の南側の池田から江戸時代に掘り出された 石造物4体です 欽明天皇は仏教が伝えられたときの天皇 推古天皇のお父さんで 聖徳太子のおじいさん。 推古天皇と 聖徳太子は おば と 甥の仲。 11:23鬼の俎板・鬼の雪隠11:45 亀石 一度八朔に目を奪われて通り過ぎてしまいました。 車だったら 買いたかったよ5~6個はいって100円 亀石というのは、、、、 いつ何の目的で作られたのか不明なんだそうです 以前は北向き、次に東面した。そして現在は南に面している 西を向いたときには大和一円は泥の海と化す。という伝説が 伝わっているんだそうです。それってもしかして日本沈没 ってことですかぁぁぁぁ。。。。 11:57 聖徳太子御誕生所 下馬 ここを通り抜けて 12:15 橘寺 見所が多くて13時くらいまでいました。 二面石 善と悪の2つの顔をもっています 天井絵は 献画だそうです。 センダンの木 初夏に葉の付け根に淡い紫色の花をつけ楕円形の果実を つける。果実および樹皮は古代から薬用として使われていたそうです。13:30 ランチは 明日香の夢市 古代米ランチ1050円 ヘルシーでしょ? 30分ほど休憩して・・・なんだかとっても足が重いんですけど 大丈夫かぁ???14:00 石舞台 石舞台は蘇我馬子の墓といわれていますが、確証はないんだそうです。 横穴式石室の広さは約8坪 使われている石の重量は約2300t 最大の巨岩は77t あるとか。これってどうやって運んだの???15:00 岡寺 地図でみると それほどの距離には思えなかったけれど、 実際歩いてみると かなりの坂です。 苦労してやっとたどり着いたと思ったら、いきなり「お釣りはなしです」 と言われました。 ちょうど持っていたけれど ここまで歩いてきてもし1,000円しかもって なかったら 帰れとでも?! 15:30 酒船石 え~っと。また坂ですかね。坂ですね。のぼるんだよね。 はいはい・・・ ふぁいとぉ~~~~15:42 飛鳥大仏(飛鳥寺) ここの大仏様は東大寺大仏より先に作られたんだそうです。 鞍作鳥(くらつくりのとり)作 もとは金メッキが施されていたけれど、2度の火事で今は メッキははげて銅製になっています。 中大兄皇子と中臣鎌足がであったのがこのお寺 境内で蹴鞠をしていて、靴をひらって手渡したことが二人の出会いとか。。 鎌足さんは614年生まれとのことなので、大化の改新を行ったときは 645-614=31歳ですね。(55歳で亡くなっています) ちなみに中大兄皇子さんは626年生まれなので おっと19歳っすか? 46歳で亡くなっているんですよね。この時代の平均年齢ってどのくらい なのでしょう? 飛鳥寺の境内を出てすぐのところに 入鹿の首塚があります。 暗殺された入鹿のこと。と~~~っても怨念がこもっているんでしょうね と、ご住職がおっしゃっておられたので、写真はやめました。16:20 飛鳥水落遺跡(日本初の水時計) 中大兄皇子が中国にならって政治や人々の生活を 正確な時刻制によって秩序づけしようとしたんだそうです。16:32 甘樫地区到着 さぁ、また坂ですよぉ~! 甘樫丘は、蘇我蝦夷・入鹿親子の邸宅があった場所とされる場所で 標高148mの小高い丘。そうか、、、あれは148mだったんだぁ。 いきなり「マムシ注意」にちょっとひるむんだけれども展望台からは、 大和三山など美しい景色が広がっているらしい。 これは 行くっきゃないだろ。(坂だけど・・・・) 途中に万葉の歌碑がありました 「釆女(うねめ)の袖 ふきかえす明日香風 都を遠み いたづらに 吹く」(志貴皇子) 釆女たちの袖を拭きひるがえしていた明日香風も、遷都に よって都は遠くなり、むなしく吹きわたるよ で、釆女ってなに?(知識なさすぎ) 天皇に近侍する女官のことだそうです。16:39 展望台着 おっと かなりしんどかったように思ったけれど あとで時間をみたら たったの7分だったのね たしかに景色はよかったです。 そして下山してきたら 見知らぬおじさんに話しかけられた。 指差すほうをみると上るときにちょっとひるんだ「マムシ注意」の看板 そして、次におじさんが指差したのは・・・・・ ガーーーーーーーーーーーーーーーーン なんと、マ、マ マムシがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ 竹のようなもので 頭をぐっとつかんでる。 思ったよりも 細くて小さい蛇だけど、これって毒あるんだよねぇ。 おじさん笑ってるけど(ーー;) いつも 散歩しながら、マムシを取ってるのだとか、、、そんなに 頻繁にでてくるのか? とりあえず マムシにかまれることもなく 無事に下山できてよかった この階段を上るときには 本当にくれぐれも マムシ注意です。 ところで、、、どう 気をつけたらいいの??? そして 今回もやっちまいました。最後の最後で迷子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18:00 橿原神宮前駅着 どうして こんなに時間かかってるんやぁぁぁ しかも ちょっとお茶しようと思ったのに喫茶店ないよ。 と、いうことで ちょっとこのヨレヨレ姿で入るには気後れした けれど 橿原ロイヤルホテルのラウンジでお茶しました。21:00 おうち着計算上は10kmのウォーキング。京都歩きならこのくらい何度も経験あるけれど、高低があると疲れる~~~ちなみに 翌日はきっちり筋肉痛。。。。
2006.06.03
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