全2件 (2件中 1-2件目)
1
母のいない生活に慣れてきました。階下の母の部屋に行く度一生懸命看病した日々が頭の中で巡り、最期まで諦めることなく頑張っていた母が不憫で不憫でなりませんでした。でも今はそんな母をとても誇りに思えるこのごろです。明日は生まれ故郷の岡山へ行ってきます。親戚の人と一緒に、お寺さんで49日の納骨や法事の段取りを決めてきます。母も父のお墓に一緒に眠ることになります。でも、私の住む神奈川から岡山は本当に遠い遠い地です...今年は、6月に特別かわいがっていたシーズー犬のショーンを失い、先日母を亡くし、悲しみが癒えることのない一年でした。いったいこの一年で何年分の涙を流したことでしょう...「今を生きる」ということは、死を覚悟して一日を、一瞬を一生懸命生きなさいということなんだろうと思いました。私にもやってくるその日まで、ショーンや母の大切な思い出と一緒に頑張らなくちゃ...
2012.11.22

いったいいつからPCを開けてないのでしょう? ずいぶんとご無沙汰してしまいました。母をERに連れて行ったのが9月中頃、毎日毎日病院通いを続け、10月の中頃に無理を言って在宅での緩和ケアのため退院してもらい、それからは一時も気を抜けない看病が始まりました。もちろん退院したその日から在宅ケア専門の先生と在宅ケア専門の看護士の方が殆ど毎日来てくださって、本当に助けられました。母も最期はお二人を信頼して安心していたようなので、私もいろいろと教えて貰いながら母の面倒を見ることができました。最期は苦しむことなく、静かに安らかに息を引き取りました。いつものように毎日が過ぎて行きます。階下の両親の介護、家事、仕事、母が飼っていたワンコの世話、ルーティンにようにこなしています。それなのに、どこか心の中に穴が空いたみたいです。なんだかすることがなくなってしまったような...ショーンの最期のように後悔はしたくない、あの苦しみをもう一つ背負ったら、生きている私はこれからどうしたらいいのか、そんな不安からなのかな、一生懸命母の世話をしました。夜中に点滴を変えたり、毎朝簡易トイレに立つ母を手伝いました。女性ですから温かいタオルで顔を拭いたり髪をとかしてあげて顔や手にクリームをつけてあげました。一日中動けない母のむくんだ体をさすってあげました。腸閉塞のため2ヶ月間も何も食べることができず、可哀想に胃から繋がった管が鼻から延びていました。口から取った水分は全て胃から出てその管の先の袋に溜まるので、それを毎日数回捨てました。退院して17日も自宅で頑張ってくれました。退院したその日もう余り先がないという医師の説明でした。覚悟をした母が自宅で私や家族のためにもう少し頑張ってみようと思ってくれたに違いありません。今日久しぶりにPCを開けてメールなどチェックしました。ブログも(暗いニュースになってしまいましたが)更新できました。昨日の朝青空があまりにきれいだったので、昭和記念公園へ行って少しお散歩してきました。モミジやナンキンハゼ、ケヤキの葉っぱたちが綺麗に色づいて、イチョウの落ち葉の絨毯も素敵でしたよ。 上はナンキンハゼ、下がイチョウ、暖かい陽射し、青空、大きな木、葉っぱ、爽やかな風、全部素敵でした。
2012.11.11
全2件 (2件中 1-2件目)
1


