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カテゴリ: 雑感
 マルクスの座右の銘というと「すべてを疑え」ということになっているが、これはたしか晩年のマルクスが娘たちに「お父さんの大好きな言葉は?」と聞かれたときに答えた言葉だということを何かの本で読んだような覚えがある。

 いうまでもなく、「すべてを疑え」ということは「いかなる権威も自明のものとして受け入れるな」ということと同義である。

 「日本語はどういう言語か」や「レーニンから疑え」、「認識と言語の理論」などの著作で知られる三浦つとむ(1911~1989)という人は、たしか小学校しか出ていない人だ。たぶん戦前の左翼文化運動の末端と関係を結びながら、独学でマルクスを学んだのだろう。ガリ版の筆耕を職業としながら、研究を続けていたということだ。

 彼が先達として尊敬しているディーツゲンという人は、エンゲルスによって 「この唯物論的弁証法は、……われわれが発見したばかりでなく、そのほかになお、われわれとは独立に、またヘーゲルからさえも独立に、一人のドイツの労働者ディーツゲンによっても発見された」(フォイエルバッハ論)と賞賛された人だが、その彼もまたなめし革職人として生計を立てていた独学の人であった。

 三浦つとむの研究の内容についてはいろいろなサイトで紹介されているので、ここではとくに論じない。とにかく、彼は戦後すぐに登場すると同時に、戦前の姿そのままで再登場した旧唯研理論を客観主義的偏向とする批判を展開しだした。やがて、彼の批判は国内の理論家や学者だけでなく、レーニンやスターリンの国家論や真理論の誤りにまで及ぶようになった。

 彼が批判した相手には、たとえば東大教授の哲学者であった出隆などがいるが(たしかそうだったような)、いずれも旧制高等学校やかつての帝国大学を卒業したインテリばかりであった。

 小学校しか出ていない男が、天下の東大教授(彼は丸山真男の政治学も批判しています)や帝大を卒業したご立派な理論家を批判したり、ましてやレーニン、スターリンまで間違っているなどと言い出すとは(フルシチョフによるスターリン批判よりも前のことです)、いったいなにごとか。この男、ちょっとどこかおかしいのではないか。

 たぶん、当時の彼に対する大方の評価というものは、そういうものであったに違いない。

 今でも、彼の主張はアカデミズムではまだまだ無視に近いようだ。それでも、彼の著作は、彼が彼が批判した相手の、レーニンやスターリンなどの当時の権威によりすがっただけの中身のない著作よりもはるかに長生きしている。



 だが、自分が本当に関心を持ち追求してみたいと思う問題については、このような先達を模範として「すべてを疑え」ということをモットーとしたいと思っている。もちろん、この疑うべき「すべて」の中には、自分自身も含まれている。

 私は別に体系的な勉強などをやっているわけではないし、そんなものを目指すつもりもない。そのときそのときの思いつきで、あっちこっちときままに飛んでいく糸の切れたたこみたいなものだ。だが、少なくとも何かについて語るときには、そういう姿勢を守りたいと思っている。

 「真理を求める」ということは、そういうことだと私は思っている。





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Last updated  2007.01.18 07:00:04
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知ったような気分、わかったつもり  
南都隆幸 さん
マルクスの「すべてを疑え」という言葉にせよ、小学校卒でありながら深い研究を続け、権威者たちを批判する人の話にせよ、とても面白かったです。

僕は、このような、「わかったつもりには決してならない」という態度のことを思うたびにいつも思い出す話は、デカルトの「方法序説」で描かれている「方法的懐疑」の話です。デカルトの深い哲学については僕はわかりませんし、「方法的懐疑」の奥深い意味もわかりませんが、僕は単純にこれを、「本当のことを知りたいと思ったら、少しでも疑わしい部分があったら、一応はすべてを疑え。そして、日常生活に支障をきたすといけないから、ふだんはそれを信用したふりをしていたらよいが、頭の中では常に疑いの心を忘れるな」というふうに解釈しています。

(2007.06.15 15:35:37)

いらっしゃいませ  
無理に背伸びをする必要もないし、妙な権威をありがたがる必要も、人を気にする必要もない。それが、若い頃と違う今の強みと言えるでしょう。

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