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今日は、長女のバイオリン発表会だ。グラズノフの協奏曲を弾くそうだ。その先生の門下では上級生になった。先生は、もとポン太の先生だった。ぽん太のために探しまっくり、出会った先生だ。ぽん太がバイオリンをやらなければ、 長女をその先生との出会いもない。ぽん太は、その先生がバイオリン最後の先生だが長女は、その先生のもとで飛躍しようとしている。人間のうちに秘めた能力は、出会いによって出るのだろうか。人生は巡り合わせだ。その出会いを大切にするか、しないかであろうか。
2009.04.26
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最近、新聞をとっていない家庭が3件ばかりあった。専門学校で教師をしているとき、新聞を読んでいない生徒が沢山した。まず新聞をとることが、市民生活の前提であるとアドバイスをした。前記の3家族には高校、中学、小学生がそれぞれいる。親として、子どもの成長を願っているはずだ。家計を切り詰めるとしても、新聞は最後のはずだ。話の中で、今どんなことが問題になっているか、質問したが、答えは沈黙であった。なんといっていいのだろうか。社会にいろいな出来事がある。そんな出来事に目を向け、文化欄もあり、人間に夢も与える。家に新聞がない家庭の子どもはどのように成長するのだろうか。おそらく、この家族の中には、このまちに住民運動があったこと派遣切り、裁判員制度など無関係な生活を送られているのだろう。それでも、子どもたちには思慮深い人間になって欲しいはずだ。その手はじめが、親子で新聞を読んで、会話することがあるとおもう。(因みに、ぽん太は小学校4年生ころから、新聞を読み出した。)
2009.04.23
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「悲しみ」ではなく,「哀しみ」の分かち合い。私のところには,経済的に困窮をしていても家族で支えあっているひとが訪れる。相談が終わると,早く相談すればよかったといいながら,肩の荷を肩から降ろしたように安堵して玄関を後にするとき「もう,心配はないですよ。家族で公園で季節を満喫して下さいね。」といって別れる。思えば,小学校のとき,憲法に出会い,生存権を知り,今,私のところを訪れる人に日本国憲法の理念を語っている。みんなで支えあうのがこの国の理念だ。医者が病気の患者を助けるように生存権は,経済的困窮者の命を守る。その命を守るお手伝いをさせてもらっている。哀しみを分かち合っているのだ。
2009.04.22
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私は、車は環境問題があるから、買わない主義であった。子どもが生まれた。子どもの病気のとき、都会でも深夜タクシーつかまなないことがあった。また、仕事上でも公然と乗車拒否が続いた。そんなことから、運転免許証を身分証明書代わりに使っていた、私が車を購入した。車種は、子どもとの遊びをも考えて、4輪駆動車を購入した。特に思い出がある。潮干狩りの途中、首都高の渋滞中に子どもがおしっこがしたいといって難儀をしておしっこをさせたこと長女がまだ一切のとき、信州の山の中で、脱輪して、まだ携帯がない時代長女を抱っこしながら、付近の家の電話を借りにいってJAFを呼んだこと雪の降った日、河原に出かけ、車輪が空転し、ぬかるみから脱出できなり、ほん太に運転させて、私が全身で車を押して脱出したこと。子どもたちが小さいときは、川原の土手を上がったり、下ったりみんなの、歓声を聞きながら、運転したこと夜、急に鼻血が出る長女を大学病院に連れていくために、ほん太も起こして車に乗せて向かったこと文字とおり、この小さな4輪駆動車とともに子育てがあった。現在では、もう、車で子どもたちと一緒に遊びにいくことも少なくなった。今回、これを手放すことになった。前の車の4輪駆動車はと合わせて、約13万キロだ。地球の半分近くの距離だ。この間、長女は、音楽を模索し、その道を目指している。そして、ほん太は、まだ模索するものを探している。健康な身体、音楽を通じた感性を基礎として、なにか、全力で掛けることができるものを見いだしてくれからと思っている。・・・・・・今日、担当者にお願いしたら、車のミニチュアをもってきてくれた。ほん太にあげるつもりだ。
2009.04.20
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15年前の4月15日、ぽん太は生まれた。15年前、出産予定日あたりには、仕事を入れていなかった。出産予定日には、一緒に妻の実家に行ったか、出産の気配がなく、一度こちらに戻った。仕事をしていると、午後7時過ぎころ、妻が産気づいて病院に入院したと連絡が入った。病院は、出産に立ち会わせてくれる病院であるので、長女の時と同じように、立ち会いたいと思っていた。高速道路で行くべきか、それとも中央線の特急で行くべきか。夜の高速の危険性を考え、急いで新宿駅に向かった。文字通り、発車のベルがなっていた。閉まる寸前に最終のあずさ号に飛び乗った。たしか午後11時30分ころ松本についた。タクシーを飛ばして、病院に駆け込んだ。ほん太は生まれた直後、看護婦さんに抱かれていた。妻は出産を終えて、ニコニコしていた。急いで抱っこさせてもらった。「あー軽いな」こんな思いだった。急いで聞いた。「男の子か、女の子か」そのころ、信州の季節は桜が満開だった。長女一人では、寂しいだろうし、出産そして育児は大変であることはわかるしそんな中で男の子が生まれた。あれから15年か。スイミングスクールバイオリンの習い事冒険クラブキャッチボールサッカーマラソンの練習バイオリン持参で毎朝練習をさせての小3のころの二人だけの北海道旅行そして、昨年の二人だけのヨーロッパ旅行私が15歳のときには、既に父親はいなかった。早く母親を楽にさせてやろうと、工業高校に行こうと思っていたが毎日を不安な思いで過ごしていた。ほん太には、父親がいる。15年まえ、これから15年、そして20年子どもたちのためにもかんばらねばならないと思った。そして15年もう、父親の役割も卒業に近いと思っている。
2009.04.19
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