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いよいよ11月も残… New! キラーコイルさん

October 31, 2010
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カテゴリ: カテゴリ未分類


このコトバほど、
使う側の勝手な解釈が成立するコトバは、
おそらく他にはないのであろう。
素直というコトバを投げかける側と投げかけられる側。
そのどちらの側に立つのかによって、
このコトバの持つ意味合いは180度変わるのだろう。
たとえるなら「犬好き?猫好き?」という、
他愛のないよくある質問のようなもの。



きわめて短絡的な二者択一型質問による性格判断なのだが、
この質問に「犬が好き」と答えると支配したいタイプで、
「猫が好き」と答えると束縛されたくない(したくない)タイプ、
たしかそんな感じに分類されるものだったようだ。


犬的性格の人にとっては犬好きの主人が、
猫的性格の人にとっては猫好きの主人が、
お互いのためには相応しいのであろう。
しかし、世の中には他の選択肢もある。
「犬も猫も好きじゃない」人もいるし、
「犬も猫も好き」な人もいるのである。


さて、話を戻そう。

その使用に際しての意識にはもちろん、
「あなたは従うのが当然である」というものがある。
そして自分の意に沿う行動をした相手に対して、
「素直でよろしい」と思うのであるが、
従わない相手に対しては「こいつは素直じゃないな」と思う。



実のところ言われたことをどう感じているのだろう?
僕は自分が世間で言われるところの、
いわゆる「素直な子」ではなかったので、
大人がある思惑(多くの場合かなり恣意的な)をもって、
子供をコントロールしようとするときに使う、
「素直」というコトバが嫌いである。
おためごかしの偽善の裏に潜んでいる醜いものが透けて見えるから。


「やりたくないから、やらないもんね~」というのは、
考えてみると「素直さの一種の表現法」に他ならない、
最近はそのようにさえ僕には感じられる。
とはいえ、このような意味での素直さは、
無難な世渡りを要求される昨今の社会(昔も、だろうが)では、
割れたガラスの破片の上を裸足で歩くにも等しい辛さがあろう。
ただ、「そうする」と決めたのがほかならぬご本人であるのなら、
僕には「そうですか、わかりました」としか言うことはできない。


もちろん、僕の仕事は塾屋だから、
「やらない?はい、そうですか・・・」と言っているだけでは、
当然ながら食べていくことはできない。
そこで、「素直になりなさい」とは言わないけれど、
何らかの口先、手先での小細工(?)というよりは、
むしろ「ストレートに」向き合うようにしている。
受かりそうなら受かりそうだと話すし、
落ちそうなら落ちそうだと淡々と話すだけである。
それも単なる主観ではなくって、
それなりに信憑性のあるデータと一緒に、である。


その結果としてどうなるか。
僕の真意が伝わるときもあれば、そうではないときもある。
真意が伝わらないとき、
もちろん悲しいし、寂しい気持ちになる。
けれども、それは仕方のないことでもあるし、
同時に、伝えようとした相手も、
その人自身が自分に素直になった結果としてのことだろうから、
僕には寂しいなという気持ち以外の悪意も怒りもまったくない。


土砂降りの時の間に合わせの、
安物のビニール傘みたいな役割。
雨が止んで役目が終わったら、
どこかに忘れられてもはそれで良しだろうし、
強風で壊れたら、捨てられるのも自然の成り行き。
そんな仕事を選んだのは誰でもない僕自身だから、
素直に従うしかないのだろうけど、、、、、。









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Last updated  November 1, 2010 12:57:36 AM コメントを書く


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