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年末まで文献検討の… New! キラーコイルさん

January 24, 2013
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昨日大学入試センターから、過日実施された試験の平均点の中間集計が発表された。巷では平均点の下落がたいそう口の端に上っているが、とりわけ今年については国語が話題の主となっているようだ。

個人的な意見にすぎるやも知れないが、私は大学入試センター試験に於いては国語という科目、それも現代文が最も厄介な相手であると認識している。では、現代国語のどのような点が厄介であると私が思うのか、簡単に幾つか挙げていきたい。


まずは「試験問題」そのものについてであるが、私は今のセンター試験の現代文というのは「純粋な読解問題ではない」と認識している。では、いったい何であるのか?今のセンター試験の現代文は一種の伝言ゲーム、あるいは間違い探しクイズのようなものであると私には思えてならない。(須らく客観式(選択式)試験というものはそうであろう)
答えは選択肢として提示されていて、解答者は恣意的に選択肢を取捨選択することが可能である。

しかしながら、正解というものは出題者によって厳然として決められていて、その要求している解答が時には積極的に選択し難いものも散見されないとは言えない。
また、採点処理の煩雑さや公正さを保つためにも現在の形式をとらざるをえないとはいえ、センター試験に課せられている最たる使命というものの存在もぞんざいにはできないという事情もある。それはセンター試験というのは「差(順位)をつけなければならない=選別のためのツール」であるということである。


畢竟センター試験に限らず、制限が多い状況下でのことどもというのは、ある種の定型化を免れることは避けがたいものである。良くも悪くも、センター試験というもの、そして一部の上位校の入試というのは、実質競争倍率2倍以下のとはその性質が異なり、所謂「落とすための試験」に他ならない。もちろん入試というものはオリンピック競技とは異なる性質の競争でもあるから、その優劣はあくまでも当該競争に参加した者たちだけの中で決められ、同時に参加に際してのハードルはオリンピックに比しても無きに等しい。


以上を踏まえ、同時に学習指導要領の範囲に収まるように、センター試験の問題は作成され、実施されてきているのだが、前述したようにセンター試験の問題はいわゆるマンネリ化(パターン化)をしている。その結果としてある程度の量をある程度に正しい(ここでの正しいという言葉の意味は正解にたどり着く為に、という意味)方法でトレーニングをすれば、比較的安定した点数を取れるようになる。そして受験者間の「差」がつかなくなってきて、運営者サイドとしては大層困った事態になる、、、、、、。


今回はいわゆる古めの出典(それも「程よい悪文=大学入試の評論の定番!」をバージョンアップした小林秀雄の随筆)、そして小説は少々じっくりと読み取らなければ答え難い設問があったせいか、平均点を左右する成績中間層が先の総選挙に於ける政権与党の地滑り的大敗のようになってしまった、と私は捉えている。(とはいえ、今年の現代文(古典もそこそこに難しかったとは思う)だけが、例年と比して大騒ぎするほどに難解だったとは個人的には思わない。



今年のセンター受験生たちははたして「運が悪かった」と思うのか、はたまた「勉強不足だった」と思うのか。同時に我々受験生を送り出す側もどう思うのか。今回のセンター試験の結果を見て自らが下した結論に、先で手にするモノの手がかりがある。


私はそう強く思っている。






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Last updated  January 29, 2013 01:06:08 AM
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