千葉県八千代市の塾「個別学習ヴァージャー」塾長のつぶやき、かなり大声?!(ブログ)

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2家族で農家配送コ… New! キラーコイルさん

August 16, 2018
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カテゴリ: カテゴリ未分類


「我々は教えることが仕事である。故にわかりやすい説明をすることに腐心しなければならない。」と近視眼的に、「”自らの”指導」にばかり拘泥する人がいる。

一方「他人から教わる」ことばかりに意識が偏り、
「学習:学び、習う」というもののもうひとつの大切なもの(習うよりも自ら学ぶほうが肝要であり、身につくものであると私は強く思っているが)を忘れてしまっている生徒たちも、少なからずいる。

ま、こんな状況を、

「お互いの利害が一致しているからいいじゃん?!」と思われる方々は、

この先を敢えて読まないで(読むとほぼ間違いなく「イラッ」とするので)いただくとして、
そうは思わない方々(どれだけいるのだろう?)に対して、
僕の考えをちょっと書こうと思う。


「わかりやすい説明」の最も恐ろしいところ、

それは「自らアタマを使う」ということを蔑ろにするということである。

教える側の偉大なる勘違いは、教わる側の短絡的思考法を促進し、
その結果として、

「大したことない指導者の劣化コピー」を生産していくということである。

教える側のわかりやすい説明(ほんとにそうなのかどうかも怪しいのだが)は、
少しでも単純化、効率化を望む教わる側の耳にとっては、
突き棒で心太を押す程度にするりと入り込んでいく。

が、耳からするりと簡単に入っていった情報は、
アタマの中をもするりと通り過ぎて、
炎天下の氷の欠片と同じ運命を辿る。


「いや、そんなこたぁ、無ぇ〜〜〜!!!」と、

顳顬に血管を浮き上がらせつつ反論する方はいるだろう。
しかしながら、世の中にはそんなにラクに美味しい思いができるものなんか、
たとえば鳥取砂丘で駱駝に乗りながら1本の金の針を探すほどにはありゃしない。


"Easy come, easy go."、

すぐ手に入るものは、すぐ手を離れるものでもあるのだ。

違うかな???



とはいえ、塾屋である僕自身に、
ある程度の表現力や説得力がなかったとしたならば、
もちろん今までこの仕事を生業としていることはなかったであろう。
ゆえに、最低限度のそれらの能力が自分にあるのかもしれないとは思うが、
仕事をしているときに四六時中、

「もっとわかりやすく」とか、
「もっと簡単に」とか、

考えたり、実行したりすることはない。


それはなぜか?


「良い結果につながることがあまりない」(←かなり婉曲な表現!)からである。



僕は自分の生徒たちに対していつもこんなことを話している。

「試験の時に僕は隣には居ないよ。君が自分で問題を読んで、頭と手を使って、出題者の欲しがっている答えを、どうやっても誤読されない程度の言葉と字で、伝えなければならないんだよ。」と。


ついでに、こんな話もしたりする。

「僕の仕事はあんたに教えることじゃなくって、あんたが自分でどうにかできるようにすることだから」と。



教えることはもちろん、
僕にとっても生徒にとっても必要不可欠なものであるのだが、
教えること(教えられること)それ自身は目的ではなく、
ただのひとつの手段にすぎない。


僕らのような仕事において、
「手段」という商品を強烈にアピールしたとして、
いったいどれだけのお客さんが、
魅力を感じて買いに来てくれるのだろう?


僕はあんまり食指が動かない。

僕が俗物で、即物的な人間であるからなんだろうけど・・・





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Last updated  August 16, 2018 11:09:25 AM
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