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うぅぅぅぅ。うぅぅぅぅ。うぅぅぉぉ。ブワサッと音を立てるように生えて来る剛毛が、見る見るうちに男の腕や顔を覆って行く、そこには呆然とした顔の男が口から鋭くとがった牙を光らせて、うなっていた。おかあさん!おかあさん!おとうさんがまた、苦しそうだよ。あらあら大変・・じゃ、ほら、いつものお薬を出して上げてちょうだいね。はーい!おとうさん、ほ~ぉら、お薬だよ。うぅぅぅぅ、うぅぅぅぅ・・うぅぅ・・ありがとう・・・おかあさん!おかあさん!おとうさんね、もう大丈夫だって!そう、良かったわね。子供の狼男が持って来た大きな丸い皿を見て、ようやく狼男に戻った父狼男は、頭を掻きながら、・・・・やっぱりこの間襲った人間に噛まれたせいなのかな、近頃の人間は、まったく物騒でかなわないよ・・・と笑った。
2003/10/31
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誰がなんて言ったって、今日は休むからな!あんな会社行ってられるか!上司はバカぞろいだし、部下はみんな怠けるし、俺だけ真面目にやってるのが、まるでただのまぬけだよ!行かないからな!ホントにもう!はいはい、わかってますから、連絡しておきますから、ねえ、あなた、落ち着いてくださいな。わかりましたから・・・・・・居間に座ってテレビのスイッチをつけながら、まだ、ぶつぶつ言っている夫を見て、妻はこっそり涙をぬぐった。あなた、先月で、リストラになったんじゃないの、どうして忘れてしまったの。毎朝毎朝、こんなこと、繰り返すなんて、哀しすぎるわ。ねえ、あなた、今日「も」休みでしょう・・・
2003/10/30
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・・・今行っちゃ駄目だ~!あぶないィィィ!甲高いキキキーキーという耳障りな音をさせ、横断歩道に少し乗り上げたところで、走ってきた車は止まった。止まった車の1m前には、先に横断歩道をわたった友達を無我夢中で追いかけて、飛び込んできた小学生が、背中からランドセルをずり落ちかけさせ、きょとんとした目つきで、立ち止まっていた。彼は、自分がどれほど危ない目にあっていたのか、まるでわかっていないそぶりで、あわてて友達の待つ向こう側へ掛けていった。勿論、信号は車の進行方向に向けて「青」!前方不注意で責められるだけでもない。でも、こういう場合は、間違いなく運転手の責任だ。間一発で助かったのがわかっているのだろう、車はのろのろと用心深く発車した。・・・あああ、良かった。私は、角を曲がって見えなくなった車を見送りながら、ほっと胸をなでおろして、息をついた。そして、昔のことを思い出していた。長年、交通安全推進委員を努めていた自分が、事故を起こすなんて、そんな馬鹿なことがあってたまるものか。さっきみたいに、赤信号で飛び込んできた、小学生がいけないんじゃないか!どれほど正当性を訴えても、今の法律では運転手に不利なことは変わらない。それに、裁判官の心象も悪くしたのか、執行猶予も付かない、実刑判決だった。私は、留置所で首を吊った。だってそうだろう、こんな屈辱があるものか、私は交通安全推進委員だぞ、表彰もされたんだ。だから、ここに帰ってきて、見守っているんだ。赤信号で飛び出した奴が居るときには、走ってくる車の運転手に、声を掛ける。・・・今行っちゃ駄目だ~!あぶないィィィ!とな。私のことを自爆霊とでもなんとでもいいが良い。私なりに交通安全運動は続けさせてもらう。私は交通安全推進委員なのだから・・・・・
2003/10/29
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結婚だって!(心底驚いた様子で)そうなんだ・・・(まってましたと言わんばかりに)おめでとう!で、できちゃった婚だって??(興味津々という感じで)えへへへ・・・(テレ笑いをしながら)えへへじゃないよ、やるな~(苦笑いをしながら)まああな・・・(心持ち、あごをあげながら)仕事はどうするんだ?(飲みかけのビールジョッキを置いて)産休と育児休暇を取る事にしたよ。来週から休みなんだ。(ウーロン茶のコップを持ち替えながら)そりゃ、いいや、じゃ、その間は1馬力だね(言い終えてビールを飲み干す)そうなんだ、まあ、稼げがひとり分でもなんとかなるさ、それより、子供のことが大事だからな(言い終えてウーロン茶のお代わり頼む)うんうん、いいことだ、なんって男女平等だからな!仕事も育児、一緒にやらなきゃ!(あわててビールのお代わりを頼む)そうそう、出産もな!(ふくらみの目立ってきた腹を撫でながら、ウーロン茶を一気飲みして、得意そうに笑う)
2003/10/28
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駅の改札を出ると、駅前広場はいつもの通り、暗かった。省エネルギーだとかなんとかで、街灯を一本おきに消しているせいだ。足元が暗くて転びそうになる上に、物騒なことは間違いない。職場の行き帰りに駅員に文句を言っているのだが、広場は駅が管理していないとかなんとか、いいわけばかりで、知らん振りだ。まったく事故でも起こったらどうするんだ・・・駅前で明るいと言えば、どういうものか良く知らないが広島風お好み焼き屋の屋台と、人待ちの車のライトだけ。電車を降りた男や女たちが、そのライトを浴びて、次々と吸い込まれるように車に乗り込んで帰って行くのが、ぼんやりと見える。バタン!バタン!と、暗い広場に小気味良い音が響くたび、広場からはどんどんと人影が減って行き、とうとう、私の他には誰もいなくなってしまった。いつものこととは言え、やはり寂しい。タクシー乗り場には、数台の車が止まっている。乗り込んで行き先を告げると、「ありがとうございます。」と言われたが、その声が女の声だったので、ちょっとびっくりして、顔を上げると、バックミラーを覗いているのは、確かに若い女性だった。私の驚いた顔に気がついたのか、運転手はにっこりした。私もつられて笑おうとしたが、口の端が少し上がっただけで、笑い顔にはほど遠かったようだ。気まずい雰囲気をつくろおうと、「遅くまで大変だね」と、声をかけると、「お客さんこそ、大変ですね」と、言ってくれた。社交辞令に過ぎないとはわかっていても、若い女性の声で言われると、妙に真実味があって、私は思わずうれしくなって、「それほどでもないさ!」と、快活に応えてみた。家に着くまで、とりとめない話を続けたが、彼女が迎えの車があるせいで、近頃の客が減ったと、愚痴ったので、自分のように迎えの来ない者もいるからと、慰めた。それを聞いて、彼女はもう一度「ありがとうございます。」と言って笑った。バックミラーに映るその笑顔が素敵だなと、私はまじめに思ったのだ。結婚したんだって?おめでとう!どうも、ありがとう、知らせが遅れて失礼したよ。いやいや、で、奥さんは仕事持ってるんだって?それも24時間勤務だそうじゃないか。ああ、そうなんだ、その方が僕もいろいろと助かるしね。ほお、でも、遅くに帰って誰もいないのは寂しいってさんざん言ってたじゃないか・・大丈夫だよ、妻がね、迎えに来てくれるから・・・ご馳走様、で、いったい、奥さんの職業は何なんだ?タクシーの運転手さ!勿論、夜は僕専属のね。
2003/10/27
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こんな家、出てっやる!大きな声で叫ぶと、あいつは振り返りもせずに、家から出て行った。いいのかい、引き止めなくて・・・あいつが去っていくのをみながら、心配そうに、お前は言う。心配するなって、いつものことさ・・・ほら、見ろよ!この季節、渚のあちこちでは、ヤドカリが、新しい貝殻を見つけては、尻をすぼめて後ろ向きでするするっと、入って行くのがよく見られるのだ。
2003/10/26
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その橋の上で、ため息をついてはいけない。胸から押し出された息が、隠していた思いも一緒にあらわにするから。胸に溜めた思いは、橋の向こう側まで、持っていかないと、いけない。あらわになった思いはいつか仇になる、だからけして、その橋の上でため息をついてはいけない。そんな言い伝えがあるのは知っていた。知ってはいたが信じるわけも無かった。だからというわけでもないが、私はいつも夕暮れ時には橋の上で過ごしていた。橋の上から見る夕日がとても綺麗だったから、そしてついつい、大きなため息を付いていた。こんな小さな町から早く出て行きたいと、人の目ばかり気にしている、こんなうるさい場所から早く出て行きたいと、思うたび、橋の上に来ては、綺麗な夕日の沈む先を思いながら、ため息を付いていた。ため息を付くと、あれほど思い悩んでいたことがうそのように、すっきりした。不思議なくらいすっきりした。わたしの思いはどこに行ったのか、考えもしなかった。そして、ある日、石造りの堅牢な橋は崩壊した。まるで、大きなため息を付くかのように、ふっと力が抜けたかのように・・・
2003/10/25
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ご苦労さん!この一言で、何人の奴らを片付けてきただろうか・・役に立たない奴は勿論のこと、役に立って用が済んだ奴もみんな。トカゲのしっぽを切るように、さっさと、御払い箱にしてきた。それなのに、自分が真っ暗なこの箱の中に閉じ込められて、最初はずいぶん暴れたさ、まさか、どうして、俺がなんだっていうんだって気持ちでな。だから、足元に散らばっている箱に気が付いたのは、閉じ込められてからしばらく経った後だった。暗くて見えはしないが、何個も何個も転がっているのがわかった。蹴っ飛ばすと、少し重くて足にひっかかる感じで、あぁ、自分が片付けた奴らを閉じ込めた箱だ、とわかったのは、またしばらく経った後だった。こうして自分が片付けてきた奴らを閉じ込めた箱に囲まれて、ずいぶんと暴れた。でも、今は、楽しみがある。ご苦労さん!その一言で、俺を閉じ込めたあいつ。そういいながら、俺にふたを閉めたあいつの後ろに確かに大きな影が見えたから。あれはまるで大きな箱のふたのようだった、もうすぐ閉められようとするふたのようだったと気がついたから。あいつが御祓い箱に入るのも、そう遠いことではない。俺はこうして御祓い箱を抱えて待っている。
2003/10/24
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お前は本当にいい子だねぇ。かあさんの言うことをよく聞いて、よーしよし、いい子だ・・・。かあさん、これはどうするの?お前、それはこうしなさい。・・・よーしよし、いい子だね。かあさん、これはこうしていいの?お前、そんなことはしてはいけないよ。・・・よーしよし、いい子だね。お前はいつだって、かあさんのいうこと良く聞いて本当にいい子だよ。それなのに、お前、ここを出て行くのかい、私のことを捨てて、出て行ってしまうのかい。あんなにいい子だったのに、なんでも言うことを聞いていい子だったのに、あんなにいい子だったのに、こんな悲しい思いをするなんて、私には耐えられないよ。かあさん、かあさん、そんな風に言わないで、かあさん、かあさん・・・・・・・かあさん、かあさん、もう悲しい思いはしなくてすむよ。かあさんの言うことを聞いたよ。だからいつもみたいに僕のことをほめてよ。・・・どうして、ほめてくれないの。・・・どうして、そんな苦しそうな顔をするの?・・・どうして、僕の腕の中で、冷たくなって行くの?かあさん、かあさん・・・
2003/10/23
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あたしペコちゃん、不二家のマスコットガール。もう50歳は過ぎてるし、当の昔にガールって歳でもないんだけど、まあ人からそう言われるのは悪き気はしないわよね。ところで、近頃本当にやんなっちゃうわ。一日中立ってるのが大変だろうって?それは仕事だからいいのよ、あたしの仕事なんだもの。そりゃ、晴れの日も雨の日も、チリとホコリにまみれて大変なのよ、このごろじゃ酸性雨なんてのもあるし。でもね、それは我慢できるのよ。じゃ、なにが頭に来るのかって?そうよ、なにがって、頭に来るじゃない。リカちゃんよ、リカちゃんのこと。信じられないわ、あの女ったらこの間、ネットオークションに出たら36万円で、取引されたんですって、まあ、その得意そうな様子ったらないの、頭に来るわ。なによ、あんなちゃらちゃら女!洋服が派手なだけじゃないのさ・・・でもね、正直なところとってもうらやましいの、流行最先端だし、アクセサリーもいろいろ持っているし。本当のことをいうと、あたしも歳相応に、おしゃれな格好がしてみたいのよ。七五三だのサンタクロースだの、もう飽き飽きなの!ああああ、素敵なレースのパンティー、誰かプレゼントしてくれないかしら・・・
2003/10/22
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・・・意気地なし!あいつは悔しそうにそうつぶやくと、唇をきつく噛んで俺をにらみつけた。・・・あなたは結局そうなのよ!あの時だってそう、あたしのところには来てはくれなかった。一緒にいたいだけなのに・・・あいつは昔の話を蒸し返して、俺のことをなじった。吊り橋が揺れている。あいつにも俺にもここは思い出深い場所だから、あいつはここに居ると思っていた。あいつは俺のことを待っていたと言う。俺が女房とは別れない、だからお前とは一緒になれないと、言った後もずっと待っていたと言う。吊り橋が揺れている。・・・意気地なし!あいつは悔しそうにもう一度つぶやくと、俺の目の前からかき消すように居なくなった。思わず俺は、魔よけの札を握り締めた。いくら意気地なしと言われようと、今度もお前とは一緒に行かれない。吊り橋が揺れている。俺は、谷底を覗き込みながら、ふっーとため息を付いた。・・・いい加減、成仏してくれよ!
2003/10/21
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今年14番目の台風が去った翌日のこと、空は台風一過の青空が広がり、風もどことなく秋めいてきた日のことだった。彼は珍しく興奮した口調で、明後日、町内会のお祭りがあることを教えてくれた。そして、山車を送る踊り手に選ばれたことを、とてもうれしそうに話し「これで僕も一人前です」とよく通る声で笑った。ちょうど店には他にも何人も客がいて、その誰かれかまわず告げてまわる姿は、子供じみたものだったが、話を聞いた客は皆、口々に祝いの言葉を口にし、中には激励の言葉を掛ける者もいたのにはびっくりした。町内会にもお祭りにもとんと縁がない私にとって、どうしてそれほどまでに彼や客たちが興奮するのか、本当にわかったわけではないが、どうやら、とても名誉なことらしいということはその様子から想像がついた。だから、彼には簡単なお祝いの言葉を掛けた。「見に来てくれますよね!」彼は、頬を紅潮させ、瞳をきらきらさせながら、私にこういった。「僕の晴れ姿を、貴女に見てもらいたいんです。」それ以上、彼の視線を受け止める勇気はなかった。だから、その日は用事が有るので・・・と口の中で言いごもり、飲みかけのソーダを終わらせると、早々に店を出た。店を出たとたんに、金木犀の香りが漂って来たと思うのは気のせいかもしれない。次の日もその次の日も、私は散歩には出かけなかった。さあ、行こうと私に笑いかけてくる顔と、行ってはいけないと泣きそうになる顔と、心の中で交互に現れては、私を悩ませた。どちらの顔も、私にとってはよく見覚えのある顔だった。私は、何かを期待していたわけではない、ただ、ありふれた日常を失うことが怖かったのだ。快い汗がかける散歩コースを失うこと、クリームソーダの甘さを失うこと、彼のよく通る声が聞かれなくなること・・・祭りの当日は、朝から風さわやかな秋空が広がっていた。私は昼過ぎから、仕舞い込んでいた浴衣と帯を引っ張り出して、しわを伸ばし、下駄の鼻緒を挿げ替えたりし始めていた。紺地に大輪の花火をあしらった浴衣は、少し色あせていた。袖を通すのは何年ぶりだろうか。あつらえた帯も歳に似合わない派手な深紅地で、私は出かけるのをためらった。再放送の推理ドラマを見ながら、ぐずぐずと支度したせいで、出かける用意がやっと整ったのは、とうに日暮れ時となっており、遠くから笛や太鼓の音が聞こえはじめていた。ゆっくりと歩いたつもりだったが、絞めなおした鼻緒が食い込んで痛くなった私はどうしても、祭りの近くまで足を運ぶことが出来なかった。いや本当は、祭り提灯の明かりがまぶしかっただけなのだ。いつもの坂を登りきったところで、これ以上歩くことは出来ないとわかった。息を切らせて登った坂は、歩きなれたはずなのに傾斜がとてもきつく感じられた。弾ませた胸をなだめながら、そこから、祭りの山車を見下ろした。始めて見た山車は、槍を構えた若武者の立ち姿を形作ったもので、高さは5階建てのビルぐらい、想像をはるかに超える勇壮なものだった。どういう仕組みになっているのか、山車の内側から光があふれ、まるで若武者は光り輝く巨大なランタンのようだった。すっかり日の落ちた街中を、若武者は私にそのりりしい横顔を見せながら、ゆるゆると道を歩んでいた。えいさーえいさーと掛け声が響く中、坂の下で山車は大きく回転すると、更に大きくなる掛け声を受け、若武者は後姿になり、背中にふっさりと結んだタスキ掛けの姿を光のなかに浮かび上がらせた。ゆっくりとそして艶やかに山車が進んで行く。若武者が遠ざかって行くのを見送りながら、私はその後ろに神輿に乗って、身振り手振りも面白く、手踊りしながら付いて行く彼の姿を確かに見届けていた。山車とおそろいの若武者姿で、背中に結んだ真っ白なタスキが上下左右に大きく揺れているのが見えた。えいさーえいさーと掛け声を受けて、楽しそうに彼が踊っている。坂の上から見る私はいつしか涙ぐんでいた。かすかになっていく声を聞きながら、私はあの甘いクリームソーダの味を思い出していた。そして、来年こそは必ず、正面から彼を見たいと、そうするのが私の心からの願いだと感じていた。
2003/10/20
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昼下がりの散歩コースの途中にゆるい坂の、坂を登りきる手前にその店は在った。「甘味処」とかかれたプラスチック製の看板が少し傾いていて、まるで風で煽られたのぼりのような風情だ。それが、峠の茶店を連想させ、可笑しさを醸し出している。日にさらされたウインドーに飾られているメニューは、甘味処というわりには、実のところ甘いものは今時珍しいクリームソーダだけという、他はミックスサンドイッチ、カレーに鍋焼きうどんといった、どうかすると時代遅れと言い切られてもおかしくない品ぞろえだ。壁紙はクロスがややはがれ、世辞にもお洒落な雰囲気とはいいがたい店の様子。そんな流行りようもない店だが、入り口から見える3卓しかないテーブルはいつも満席で、4席しかないカウンターも込み合っているのが常だった。一気に坂を登り切るには、私には少々きつく、ちょうど息を付くために立ち止まるところにその店は在った。だから、いつもは横目に見るだけで、店に入ったことはなかった。「いらっしゃーい!」珍しく今日はすいているのが表からもわかった。だから、なんとなく入ってみようかと思ったのだ。それに、今日は陽射しもやや強く、それほど勢い良く歩いたつもりはなかったが、手術後の体にはそれなりに応えたようで、首まわりや腋の下にはじんわりと汗が滲み出していた。少し体を休めたかった。テーブル席は2卓、カウンターは全部空いていた。テーブル席に座っていた男性の二人連れは、私が入って来たのをちらりと見ただけで、アイスコーヒーだろうか半透明のこげ茶色の飲み物をすすりながら、読みかけた雑誌に視線を戻した。「いらっしゃーい!」まるで、寿司屋のような威勢の良い掛け声で、私に呼びかけたのは、前掛けらしいものをした若い男だった。前掛けらしいと言ったのは、その絵柄が深緑の地に、駆け回る唐獅子と牡丹の花を藍色で染め付けたなんとも豪快なもので、前掛けというよりかむしろ相撲のマワシのようなものだったからだ。かろうじてマワシに見えないのは、それをしめている彼が今風に細身だからかもしれない。どこに座ってもかまわない雰囲気だったので、クリームソーダを頼むと、私はテーブル席に腰を落ちつけて、初めて入った店の中を、丹念に見回し始めた。3坪ばかりの店の中は、古ぼけた内装の割には手入れが行き届き、こぎれいだった。カウンターにはさりげなく花が活けられている。咲き始めたばかりの淡い色合いのアジサイ。テーブルに置いてある醤油ビンなどの注ぎ口も、注ぎ残しが固まっている風ではなく、気持ちが良い。よく見れば、かかっているテーブルクロスも、花模様の同心円をいくつもいくつもつなぎ合わせて作られたレース製で、それが分厚いガラスの板で覆われている。さぞや時間も手もかかったものであることは容易に想像が付いた。私は、繊細なテーブルクロスを見つめたまま、下腹の手術跡になんとなく手をやり、なでながら大きく息を吐いた。少し傷に響くような気がする。ゆっくりと息を吐き終わって見上げた視線の先には、唐獅子が牡丹と一緒に揺れていた。注文したクリームソーダを盆に乗せて、彼が目の前に立っていたのだ。「お待たせしましたぁ~」!細身の割には、よく通る大きな声で言いながら、私の手元にソーダを置くと、「大丈夫ですか?」と、小首を傾げて聞いた。腹に手を当てていた動作を見られていたものらしい。私は、なんでもないと顔の前で手を振りながら、「ちょっとお腹を切ってね・・」と、苦笑いしてみせた。「お腹を?」彼は、傾げていた首をますます傾けて、まるで私を覗き込むような姿勢になりかかったが、丁度その時、残っていた一組の客がお勘定と叫んだので、「はーい」と威勢良く返事をしながらそちらに歩いて行った。私は目の前に置かれたソーダのアイスクリームを、添えられたスプーンでつつきながら、手術のことを思い出していた。夜中に下腹がしくしくと痛くなったと思ったら、声も出せない状態になった。脂汗が止まらなくなって、体の震えも止まらなくなり、これはやばいと感じて救急車を呼んで、状況を説明したまでははっきり記憶にあるのだが、その後乗せられたことを覚えてない。どうも気を失ったらしい。我に返ったときは、近くの総合病院のベッドの上で、看護士に見守られていた次第だ。盲腸だった。薬で散らせる段階はとうに過ぎたありさまで、合併症を起こしかけ間一髪だった。手術に当たっては本人からの同意書を取るのが本当だそうだが、当の本人は気絶しているし、家族親族がいるのかどうかもわからない状況で、なにしろ危ない状態だったので医師の判断で決行したとのこと。私にしてみれば文句を言うどころではないのだが、麻酔が覚めたころを見計らって訪れた医師は、緊急事態だったからという言葉をくどいほど繰り返し説明した。額の汗を拭きながら話す医師の、それでいてほっとした様子の顔を見て、私はお礼の言葉をいいながら、ふともし手術が不手際だったらどうなっていたのだろうかと、まるで他人事のような考えが過ぎったものだ。あの時ほど、天涯孤独という自分の境遇が情けなく思えたことは無かった。誰にも迷惑をかけるつもりもないから自分のことはほっといて欲しい、という気持ちで日ごろから過ごしていたし、死ぬときはただ死ぬだけ、などと偉そうなことを思っていたものだが、いざその段になってみると、浅ましくまるで溺れる者がわらにすがりつくかのように救急車などを呼んでいたわけだ。一人身の私に入院中訪れる者などあるわけもなく、当然のごとく着替えなどの仕度を頼める者とて無く、病院の看護士には随分と世話を掛けたものだった。誰もが私のことを気遣い、慰め、声を掛けるのを日常として接するさまに、感謝の気持ちを持つ前に、ますますもって情けなくなる。そんな一週間だった。私は、また下腹に手を当てて、ふっとため息を付いた。「大丈夫ですか?」戻って来た彼は、心配そうに私の仕草を見ながら、また聞いた。私は、彼に黙って頷いて見せると、ストローを勢い良く吸い始めた。口の中で程よい刺激が広がるのを感じながら、前にクリームソーダを飲んだのはいつだったかと、ぼんやりと考えていた。彼はそんな私の様子を見て、笑って「お大事に・・」と言うと、カウンターの中に戻っていった。派手な水音をさせながら彼が食器を洗っている。ふんふんと鼻歌を歌いながら洗っているようだった。そういえば、この店は何の音楽も流していない、誰も居なくなった店内は、とても広く明るく感じられた。リズミカルな鼻歌を聞きながら、私は背筋を伸ばすと、盛られたアイスクリームを口に運んだ。ソーダはとても美味しかった。散歩の途中に、その店に寄るのが私の日課になった。席が空いていなければ、もう一回りして空くのを待つときも有った。そうして、注文したクリームソーダをすすりながら、彼とたわいも無い話をするのが、楽しみになった。来ている客の何人かとはなじみになったが、それも目が合えば軽く会釈する程度で、言葉を交わす気にはならなかった。話しかけて来ようとする客もいたが、無愛想な私の様子を受けとったものか、結局のところ、彼以外とは話したことはなかった。思ったとおりテーブルクロスは手作りだった。しかもそれが彼の作品だと知って本当にびっくりしたものだ。彼は少しはにかみながら、自分が作ったことを認め、時間の合間を見つけて作ったので、3年かかったというと、一枚に一年じゃかかりすぎますね、と苦笑した。私にはよくわからなかったが、ボビンレースとかいうもので、遠い外国に伝わる昔からの作り方だそうだ。彼は、レースがその繊細かつ豪華さに、貴族たちがこぞって作らせ、当時は持参金代わりにまでなったという話をしてくれた。会話の糸口になった手術のことは私から話し出した。彼は、真剣な顔つきで話を聞き、話し終わった私が笑いながら下腹に手を当てると、「あぁ良かった!」と助かったことを大げさなまでに喜んでくれた。あまりに大げさなその様子に、その時はわざとらしさを感じ幾分か嫌な面持ちになったのも確かだった。しかし、彼の両親が、飛行機の事故で二人とも亡くなっていたことを知ったのは、それから数日後のことで、「僕も天涯孤独で・・」と、ぽつりと言った言葉にうそはないと思った。(10月20日の日記に続く)
2003/10/19
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吹きすさぶ風にあおられて、手足がばらばらになりそうだ。既に氷粒と化した雨滴が、額や頬に当たるたび、痛さのあまり目をつぶってしまう。そのせいで、ぬかるんだ足元に気を配ることさえ思うに任せず、くぼみにつまさきを取られて崩れそうになったところに、激しさを増した風が吹いたからたまらない、私は緩んだ体勢を立て直すことも出来ずに、その場にしりもちをついてしまった。あっという間に冷気が尻から伝って腰まで這い上がってくる。ぞわんと来るのにあわてて身震いすると、泥だらけになった身に力を込め立ち上がった。幸い手に持った袋は破けなかったようだ。念のため3重にしてきたのが良かったらしい。それにしても、ビニールで補強したはずの持ち手のところがほつれてきて、このまま持ち運ぶにはもう限界に近い。先ほど泥をかぶったせいで、底も少しぶかぶかになって来ているようにも見える。私は、袋を揺すりあげ胸のところで持ち直した。びしゃびしゃと絶え間なく降り注ぐ雨音がすべてをかき消したようで、他にはなんの音も聞こえてこない。車道を伝って歩いているのだから、車の一台や二台にすれ違ってもいいはずなのに、周囲は薄闇の中、何の気配も感じない。車道とは言ってもこんな山道だから、車が通ることもまれなのかもしれないと、ふと思った。かぶったレインコートの隙間から、容赦なく水が滲み通ってくる。額にへばりついた髪の毛を手で払いのけるが、ひっきりなしに吹き付ける風のせいで、まるでシャワーを浴びるたようになり、かえって顔一面に髪の毛がまとわり付いて、窒息しかねない有様だ。大きく額をぬぐって一息ついたとき、ちらちらと揺れ動くような明かりが見えた。明かりは山小屋風な家の窓からこぼれていた。いつのまにか別荘地に入り込んでいたらしい。玄関は2階にあるようだった。足元に溜まって行く雨水を気にしながら、階段を上って呼び鈴を押すと、チャイムに応える声がして、扉の隙間から心配そうな顔つきの中年の女が顔をのぞかせた。ずぶぬれの姿が見えたのか、用意して来たいいわけを口にする前に、彼女は私を中に誘うと、体を拭くようにと大きなタオルを渡してくれた。扉が閉まりきる前に、ちらりと見えた外の様子は、横なぐりの雪が舞い散っていた。私はお礼を言いながらも、泥だらけの体と今にも底が抜けそうな袋が気になって、もじもじしていた。その様子に気が付いたのか、女は私を、風呂場に案内してくれた。そして、家族のものだがと言いながら、かごの中に替えを一式用意すると、ゆっくりするようにと一言添えていなくなった。私は、風呂場の扉をしっかり閉めると、慌てて袋を確かめた。持ち手のところが切れ、崩壊寸前の様子だった。シャワー室に入ってレインコートを脱ぎ、泥やなにやらを洗い流して綺麗にし水滴をよくぬぐってから、その中に衣類と袋の中身を包みなおし、それから熱いシャワーを浴びて、ほっと息を付いた。お湯が腕にかかったときにピリッと痛みが走り、初めて擦り傷を負っていることに気が付いた。固まりきっていなかった傷口から血が滲み出してきてはが、たいしたことはなさそうだった。包みなおしたレインコートを小脇に抱えて、居間に戻ると、点けられていたテレビが丁度ニュースを伝え始めたところだった。若いキャスターが、昼過ぎに町で起きた現金輸送車の襲撃事件の模様とその後の様子を興奮した口調で伝えていた。襲撃後行方がわからなかった輸送車だが、強風にあおられたらしく、崖から転落した輸送車が発見されたと言っていた。崖下の谷川に半分飲まれるようにして濁流に横倒しになった車は、衝撃のためか後部の扉がもぎ取られたようになっており、積まれていたはずの現金の入ったジュラルミン製のトランクは見当たらず、流されたものかどうかは現場の様子からは、確認できていない。そして、輸送車を奪って逃げた二人組みの姿もなく、こちらの生死もはっきりしていないと、言っていた。礼の言葉を口にしながら顔をうかがうと、女は私の持っている包みを見つめて眉をひそめていた。あわてて、泥だらけなので衣類を包んだことを口走り、小脇に力を込めた。女は私の言葉を聞くと、ふっと笑みをこぼして、ソファーに腰掛けるように言った。山小屋風の家に似つかわしく暖炉が設けされた居間はとても暖かく、先ほどまでの激しさがまるでうそのようだった。私はこわばっていた体をソフィーに預け、ぼんやりと窓の外を見ながら、あいつのことを思い出していた。雪は激しく降り続けていた。言い出したのはあいつだった。現金輸送車を襲う。車ごと奪って逃げる。車は谷川に突き落としてしまう。その時後部扉を壊しておけば、現金入りのトランクがなくなっていても、流されたかもしれないと思われるから逃げる時間が稼げる。あいつは自信ありげに笑いながら言っていた。こんな天候になったのはもっけの幸いだった。雨で増水した川のせいで、予想以上に捜査は手間取っている様子だ。私は、もう一度ほっと息を付いた。最初からあいつを殺す気はなかった。車を落とそうと二人で押していたとき、ふと魔がさしたんだ。こいつも一緒に突き落とせばと・・・。警備員を殴り倒して奪った輸送車の、大金が入っているはずのジュラルミントランクには、100万円の束がわずか3つしかなく、こんなはした金のために、危ない橋をわたったわけじゃない。段取りが悪いのはお前だ、引っ張り込んだ責任を取ってくれ、そうだ、そうしてもらおうと、ふと思えたから・・・。あいつがふんばっていた足を払って、あいつを支えていた手を離しただけだった。あいつの宙をかいた指先が私の腕をひっかいて、すり傷をこしらえただけで、あいつは声も出さずに車と一緒に落ちて行った。段取りどおり金は先に取り出して袋に入れておいた。二人で運ぶにもかさばるはずの大きな袋は、まるですかすかなまま、私一人でも簡単に運べるだけの重さにしかならなかった。抱えた包みを軽く手で押さえながら、テレビの画面を見ていた。あいつは見つかっていないようだった。濁流にのまれて流されていったのかもしれない。何か言っているのに気が付いて女の方を向くと、腕のすり傷を指して大丈夫なのかと聞いているようだった。また傷口からうっすらと血がにじみ出してきていた。私はなんでもないといいながら、あわてて腕を女の視線から遠ざけた。妙なそぶりに見えたのだろう、女はまたかすかに笑うと、お茶を・・といいながら、席を立った。女は、かちゃかちゃと茶器のふれあう音をさせながら戻ってきた。見たこともない不思議な茶碗や急須が盆の上には乗っていた。女は慣れた手漉きで湯を茶器に掛けまわして、中国のものなのだと言って、流れるようなしぐさを続けた。温まった茶器から移された黄金色の茶が小ぶりな茶碗に注がれる。茶といえば緑色しか思いつかない私にとっては、初めて見る色だった。手のひらにすっぽり入る小さな茶器に注がれた茶は、すがすがしい花の香りを漂わせ、思わず胸いっぱいに吸い込むと、なんともいえずにいい気持ちになれた。少し苦めの茶が乾いたのどに心地よく、勧められるまま茶を3杯ほど飲み干したころだろうか、窓辺を見ると、すっかり日は落ち荒れ狂っていた風はなりを潜め、雪がしきりと降っていた。この分だと明日までには相当積もることだろう、ふと2.3日ここに泊まれたら、頼んでみようかと考えが頭を過ぎった。何を馬鹿なこと考えているのだ、できるだけ遠くに逃げなければいけないのに、そういえば、あいつは逃げるあてがあるようなことを言っていた。場所だけでも聞いておくのだった・・・。4杯目が注がれたのは覚えている、飲んだかどうかは思い出せない。いつのまにか、私は寝込んでしまっていたようだった。ざくんという薪の燃え落ちる音で目を覚ませば、女が目の前に立っていた。あわてて立ち上がろうとしたが、まるで力が入らない。何がどうしたのかわからないまま、女がレインコートの包みを握り締めていることに気が付いて、つばを飲み込んだ。もう一度立ち上がろうとして、かえって無様にソファーの腰を沈める結果をなった。そして、なんだ・・と口にするより前に、女が私を見下ろして話し出した。ニュースを知ってからずっと待っていたこと。戻って来るのはあの人のはずだと思っていたこと。計画したのは自分だったということ。このレインコートは自分が用意したものだということ。腕のすり傷はあの人がつけたものに違いないと。こんなはした金のために・・・こんなはした金のために・・・女は、包みを床に叩きつけた。その衝撃で中から、泥にまみれた3つの札束が転がり出て、足元に散らばった。私はただ、唖然としてその様子をみていることしか出来なかった。そして、目の前に突きつけられた、ひんやりとした刃先を感じながら、私はあいつが逃げる方向にこちらを選んだ理由がやっとわかっていた。
2003/10/18
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・・・そうなんだ、この間気がついたんだが・・片方があごひげをしごきながら言い出すと、もう片方がこめかみにしわを寄せながら、聞き返した。・・・なんだって?・・・だからな、・・・この世に争いがあふれているのも、人が憎しみ合うのも、ほんのちょっとしたことが元なんだったんだって。引っ張った手に残って抜けたひげが気になるのか、片方は手を握ったり開いたりしながら、繰り返す。・・・ほんのちょっとしたことなんだなあ・・・ってな。こめかみのしわを額の中央まで深くすると、もう片方がうなずいた。・・・そうだな。ほんのちょっとしたことだな。そして、考え深そうにこういった。・・・だから男と女を作るのはやめようって言ったんだ。そして両方とも、はるか下を見下ろしながら、にんまりと笑みを浮かべた。・・・今度こそ・・・
2003/10/17
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僕のママは、とっても美味しいものを、いつもいっぱい作ってくれる。マカロニサラダもフレンチトーストだって美味しいし、ハンバーグは、お口の中で甘いお汁がじゅっとあふれて、ほっぺたが落ちそうになるぐらい美味しいんだ。でも、僕が一番好きなのは、玉子焼きさ。ふわふわで少しだけ甘くて、お口の中でとけちゃうみたい。僕は、ママの玉子焼きが大好きだ。こんなに玉子焼き美味しいのに、どうしてパパはいつもママのこと、怒ってたのかな、僕にはわからないよ。それに、僕のことも怒るとぶったから、僕はいつもどきどきしていたんだ。パパは、ママの玉子焼きを食べるといつも、まずいまずいって、怒ってた。こんなに美味しいのに・・わかんないな。でも、大きな声で僕のことを怒ってたパパのことは嫌いだったから、パパは居なくなったけど、寂しくなかったよ。ねえ、ママ、どうしてママの玉子焼きはこんなに美味しいの?ママに聞くと。ママは、少し笑いながら、アイジョウ・・アイジョウ・・と、不思議な言葉をつぶやいた。そうか、アイジョウっていうのが、入ってたんだね。だから、パパが食べた玉子焼きはまずかったんだね。大人になったから僕にもよくわかるよ。僕の奥さんが作る料理はどれもこれもまずいんだ。アイジョウが無いからだね・・・ああ、ママ。ママの玉子焼きが食べたいよ。
2003/10/16
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・・・ここから落ちたら・・・あたしがぼつりとつぶやくと、あんたはぎょっとしたような顔で私の方に向き直ると、・・・なんだって・と聞き返した。あたしは、あんたの手を取って、・・・なんでもないと・・・笑って見せた。あんたに他に好きな人が出来たに違いないことは知っている。あんたがあたしにこのごろ、とても優しいこともわかってる。海を見に行こうと、妙にこだわって、ここまで来たこともお見通し。だから、岸壁の先端に立って、空を見ながら、あたしは待った。そして、あんたがおずおずとあたしの肩に廻した手に力が入ったとき、すっとしゃがむの。その後、あたしはしゃがんだまま、耳にしっかりと手を当てて、地面をじっと見ていた。ひざをはらって立ち上がると、潮風がほほをかすめて、空へ舞い飛んでいくのがわかる。水平線からは雲がそこかしこで沸き立ち、今にも一雨来そうな様子だ。海面では、波頭がまるで追いかけっこをしているように見える。他にはなにも見えない。ここから、新しい日が始まる。そのはずなのに・・・・かわいそうな女の人なんです。自分のことを裏切った婚約者をここから突き落として殺したと信じているんですよ。いえ、そうではなくて、勿論婚約者は生きてますよ。裏切られたのじゃなくてふられたんでしょうな、それを認めるのが出来ないんでしょう。だから、こうして毎日のように来ては、ひとり芝居を演じているのですよ。おや、物好きな、自分がなぐさめてやるからって、およしなさい・・・危ないですよ。あああ、いわんこっちゃない。これで何人目だか・・・ここから、新しい日が始まる。そのはずなのに・・・・
2003/10/15
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・・・軽い食当たりですな・・・もしくは、食べすぎ。医者は診察が終わると、ガーゼで聴診器をぬぐうと、こともなげに言って、軽く笑った。昨日の晩から、妙にしくしくと腹が痛くなって、どうにも我慢が出来ず、今朝、医者に駆け込んだ結果が、こういうことだった。食当たりといわれても、いつもと同じものしか食べていないつもりだし、どうにも思い当たるものはない、食べすぎったって、そうでもないはずだし・・・・・・この2、3日、どんなものを食べました?医者に言われて、指折り思い出してみる。一昨日は、親にいじめ殺されそうになった子供を助けてやったし、昨日は、奥さんが三角関係を清算しようとして、毒を盛った旦那を助けたし、それから、受験戦争の泥沼から学生を救ってやったな・・・そうそう、昨日はそれに、ローン地獄で借金取りに追いかけられるところからも助けたやつもいたっけな。・・・食べすぎですよ、しかもひどい夢ばかり・・・医者は顔をしかめて言い放った。・・・そういわれても、俺は獏(バク)だし、獏(バク)は悪い夢を食べるのが商売だからねぇ~・・・それにしても、近頃は悪すぎますよ!言われて、俺は医者と顔を見合わせて苦笑いした。医者は、処方箋を書きながら、俺に注意してくれた。・・・くれぐれも、現実を食べないでくださいよ。単なる食あたり程度じゃすまないですからね・・・!わかってるさ、わかってる。でも、近頃じゃ、現実と夢の区別が付かないぐらい、まるでひどい有様だけどな・・・俺は、医者に礼を言いながら、そう思っていた。
2003/10/14
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逃げなければ、つかまってしまう。駆け続けなければ、やられてしまう。もう、息が続かない。でも、つかまるわけにはいけない、私には大事な役目があるんだ。その使命を果たすまでは、死ぬわけにはいかない。逃げ続けなければ、駆け続けなければ、使命を果たすまでは・・・アナタ、モウイイノデスヨ、モウジュウブンデス。ドウカ、オヤスミナッテクダサイ。あぁ、お前か、お前なのか?随分と久しぶりだね。そうか、私の役目は終わったのかい。私の、私の使命は・・・・?なんて安らかな顔なんだろう。きっと、楽になったんだね。オヤスミ、ひいひいひいひいおじーちゃん!・・・お知らせします。本日、午後2時39分に、世界最高年齢の記録を更新中だった○○○衛門さんが亡くなりました。享年、156歳でした。お疲れさまでした。
2003/10/13
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妻が浮気した、間違いの無い事実だ。いくら、彼女が否定をしたところで、それが揺るぎようも無い事実。私がわからないと思っていたのか・・・ごまかせると思っていたのか・・・悔しさの余り頭が爆発しそうになっているが、間違いようの無い現実のことだ。すやすやと寝ている赤ん坊に罪は無いが、この寝顔が浮気の事実を私に突きつけたのだ。どうして、この赤ん坊には目玉が二つもあるんだ?俺たち夫婦は、一つ目なのに・・・哀れカレイは、いつも横目だけで相手を見ているから。それに、生まれたばかりのカレイの子どもの目玉は、まだどちらにもよっていないので・・・
2003/10/12
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私は自由だ。こんなに自由なのは、何ヶ月ぶりのことだろうか。誰からも干渉しない、誰のことも干渉しない、束縛されない時間と空間、この風のさわやかなこと。私は解き放たれた体を心を弾ませて、あちこちを散歩するのだ。あ~私は自由だ!君ね!いい加減にしろよ。営業が携帯電話を忘れて、外歩きしてどうするんだよ。困るじゃないか、まったく!二度と、携帯電話を手放すんじゃないぞ!あ~私は、私は自由になりたい・・・
2003/10/11
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日本神話の国造りで有名な、イザナギノミコトとイザナミノミコトの命を賭けた逃走劇もいよいよ終盤。ご存知イザナギノミコトは、イザナミノミコトに追いまくられて、黄泉の国の入り口まで、やっとの思いで息せき切って駆け戻ってきた。そして、手じかに有った大岩(後世「千引の岩:ちびきのいわ」といわれるようになった岩だが)で、ふさぎイザナミノミコトが出てこないようにすると、ほっと一息ついた。その時 岩の向こうでイザナミノミコトが呼びかける声がした。「愛しいあなた・・・。どうしてこんなひどいことをなさるのですか、ひどい仕打ちの仕返しに、私はあなたの国の人々を、これから、1日に1000人殺すことといたしましょう・・・。」イザナギノミコトはそれに応えて、こう言った。「それならば、愛しい妻よ・・・。私は1日に1500人の命を誕生させよう。」返事が聞こえたイザナミノミコトは、怒りまくって・・・・「えーい、この浮気モノ!!!!!!」
2003/10/10
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いつものようにヘッドホンから流れてくる音楽に集中しているときだった。突然、強くひじを引かれるのを感じ、隣を振り向くと、私の同じくらいの年の男が、私の腕を握って何か話しかけていた。ヘッドホンをはずして、彼の声が耳に入ってくるまでに、しばらく間があったせいか、なにを言っているのか最初のほうはわからなかった・・・・○○ですな、あなたも・・・最初の○○は聞き取れなかった。男は真剣な口調で言い終わると、2、3回うなずくと、私の腕を放して雑踏に紛れ込もうとした。妙な雰囲気に呑まれたまま、唖然としていたが、男がなにを言ったのか、どうも気になって、呼び止めて聞き返そうとした。男は、その気配に気が付いたのか、かえってあわてた様子で、私の呼び止める声が聞こえたはずなのに無視して、むしろ足早になり、消えていった。・・・○○ですな、あなたも・・・彼はなにを言ったのだろう。最初のフレーズが気になって気になって、もう音楽を聴くどころではなくなっていた。・・・○○ですな、あなたも・・・ホームで急行の通過を待っているときだった。私と同じくらいの年恰好の男が、突然話しかけてきたのは。彼が話しかけてきたときは、丁度電車がホームに滑り込んできたときで、最初のフレーズが聞き取れなかった。眉をしかめて聞き返す私に向かって、男は真剣な眼差しで2、3回うなずくと、足早に出口目指して去っていこうとした。私は、思わず呼び止めたが、男はそれを無視して、さっさと階段を下りていってしまった。・・・○○ですな、あなたも・・・私は、男が最初になにを言ったのか、気になって気になって、さっきまで夢中になって読んでいたマンガ本を開く気持ちすらなくなっていた。誰が何のためにやり始めたことか誰にもわからない。しかし、この妙な問いかけ現象は見る見るうちに広がっていき、あちこちで新聞やテレビをにぎわすことになった。自分がやっていると名乗り出るものもいないまま、今日も都会のいたるところで、問いかけられたという報告が聞かれる。・・・○○ですな、あなたも・・・誰一人、最初のフレーズを聞き取ったものが居ない。問いかけられたものは勿論のこと、問いかけられたことのないものまで、自分はナンなんだろうと、考え出す始末であった。そして、ある日社会は停滞し、ゆっくりと崩壊した。・・・○○ですな、あなたも・・・耳を傾けてはいけない、これは恐ろしいせりふ。この世には、自分がなにものであるなど、わかっているものなど誰も居ない。それは、わかる必要のないことだから・・・
2003/10/09
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お客さん、どちらまでですかぁ~うーい、この路をまっすぐやぁ~・・・いやだな、やっぱり酔っ払いだぜ、手を上げてる雰囲気からしてふらふらして怪しいと思ったんだよな、かといってなあ、選り好みが出来るほど客がいるわけでもないし・・・お客さん、信号ですよ、どちらですかぁ~まっすぐやぁ~お客さん、十字路ですよ、どちらですかぁ~まっすぐやぁ~・・・酔っ払っていても、家がわかるのは帰巣本能ってやつかね、しかし、まったくこの路で本当にいいのねえぇ。お客さん、次はT字路ですよ、どっちですかぁ~ねえ、お客さん、お客さんたらぁ~運転手が思わず大声を出すと、それまでうなだれていた客は目をカッと見開くと背筋を伸ばして、路の続く限りどこまでもまっすぐやぁ~と怒鳴ったのだった。タクシーが客を乗せたのは、ちかごろとんとふるわなくなった高速道路の建設企業の前だったとさ。
2003/10/08
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うーん、よく見えない。やっぱり眼鏡を買わなくちゃいけないか・・・近頃、どうも目がかすむ、新聞の字も良く見えない。俗に言うこれが老眼かと思うと、なにか一気に歳をとったような気がして、いやなものだ。いや老眼というより近眼が進んだものだと思う、昔から俺は目が悪かったから・・・慣れているといえば慣れているのだ。とはいうものの、見えないことには話にならないので、会社帰りに眼鏡屋によることにした。店員に薦められるまま選んだフレームもレンズも、それなりにいい値段だったから、俺はしばらく迷っていた。今月は職場の宴会が続いたおかげで、小遣いの残りは少なくなっていたし、妻の機嫌は良いとはいえないし、そもそも会話自体が無いのだから、こんなことで小遣いを要求しても文句を言い出すに決まっている。とはいうものの、安物で間に合わせることも出来そうだったが、かえって目を悪くしはしないかと気になったのだ。だから、俺は手に取ったり、別のを見てみたりと、決心が付かなくて落ち着かなかったわけだ。そんな俺を見かねたのか、店員は、お試し期間があると話しだした。選んだ商品を一週間貸してくれるものらしい。その間に気に入ったらお買い求めくださいということだ。俺は喜んで試させてもらうことにした。店員は、身分証明書とクレジットカードの控えを取り終わると、俺に商品を渡しながら、きっとお気に召しますから、と自信ありげに笑った。家に帰ってさっそく掛けてみると、なるほどよく見える見える。あれほど目を凝らしてもかすむ一方だった新聞の文字が、まるでこちらに飛び込んでくるようにはっきり見える。心なしか部屋も明るいような気がした。明るい部屋の様子がものめずらしくてキョロキョロしていると、妻が食後のお茶を持ってはいってきた。よほど、俺の様子がおかしかったのか、妻は俺の前にお茶を置くと、くすくす笑いながら俺のことをじっと見詰めた。妻とこんなふうにじっと見詰めあうのは本当に久しぶりだったから、俺はどぎまぎしてしまった。その夜は、久しぶりにいろいろなことを語り合った。そして、勿論・・・ありがとうございました。店員の明るい声に送られて、俺は店を出た。新しい眼鏡は鼻の上にちんまりと収まっている。世の中はっきり見えるのも悪くない。俺は眼鏡を押し上げると、家に向かって勢いよく歩き出した。
2003/10/07
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くしゅん!.・・・ごっど・ぶれす・ゆう・・・くっしゅーん!.・・・ごっど・ぶれす・ゆう・・・ぐっしゅーん!.・・・ごっど・ぶれす・ゆう・・・ぐわっしゅーん!.・・・ごっど・ぶれす・ゆう・・・西暦3○○○年、世界中で恐ろしい病が流行っていた。どんなにヘルシーな生活をしていても、どんなにサプリメントを飲んでいても、必ずかかるという恐ろしい病治りは早いが何度でも繰り返しかかり、周囲にもどんどん伝染していく恐ろしい病。これほど、科学が進んでいるにもかかわらず、どんどんと加速的に感染者が増えていく中で、医者たちは懸命の努力を続けていた。そして、ある日発表された。みなさん、安心してください。特効薬が発見されました。さあ、みんなで、この言葉を言いましょう!・・・ごっど・ぶれす・ゆう・・・風邪という病が忘れ去れてから久しい世界。こんな世がいつかくるかもしれない。風邪、どうぞ、お大事にね・・・
2003/10/06
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・・・鏡よ鏡、世界で一番・・・・私のアパートには古い三面鏡がある。亡くなった母が、嫁入りと一緒に実家から持って来たものだ。・・・お前がお嫁に行くときにも、この三面鏡を持っておいき、といっては、よく鏡を磨いていた母はもう居ない。私は母が亡くなった歳と同じ歳になっている。結婚を避けていたわけではない、むしろ積極的になにやらの集まりに頻繁に出かけた時期もあった。でも、少しの酒を飲み、大したわけでもない話を聞き、ただ笑って頷いているうちに、家に居てもこんな暮らしが続くかと思うと、それがいやになっただけだ。そんな私に母は何も言わず、ただ少し寂しそうにしながら黙って鏡を磨いていた。朝夕に三面鏡を開けるたび、その姿が近頃よく目に浮かぶ。そして、そんな時、鏡に向かって、時々、語りかけている自分が居る。・・・鏡よ鏡、世界で一番・・・・その後に続く言葉はなんだろうか、幸せな?美しい?いやいや、私には「侘しい」が合うだろう、朝夕に三面鏡を開けるたび、母の姿を思い出し少し切なくなる。母は、三面鏡を柔らかな布で磨いていた。磨き終えると、きっと真面目な顔で、・・・夜寝るときは開け放して寝てはいけないよ。・・・必ず閉じて寝るんだよ。そうでないと悪いモノが入りこむからね・・・と、言っていたのを思い出す。今、私の横で、耳障りないびきを立てているのは、さっき私の頬を思い切り叩いて、唇から血を流させた男だ。男が、私の家に来たのは、母が亡くなってから、しばらく経っていた夏の日のことだった。とうに忘れていた学生時代に付き合っていた男、名前を名乗られても最初はさっぱり分からなかったほど、様変わりしたその姿は、哀れさより嫌悪感を感じさせた。男は、私のことを忘れていない、今でも好きだと言葉を繰り返し、家に入り込んできた。なぜ、黙って受け入れたのか・・・その晩、開け放しになっていた三面鏡を、私は閉めようともせず、そこに映る私と男の姿を観ていた。最初、男は優しかった、それもつかの間で、私に暴力をふるうようになるまで、それほどの時間はかからなかった。小説を書いているといっていた。世間の誰もが認めないことに苛立ち、その憤りを私にぶつけているのだった。学生時代もそうだった。男は、腹が出て髪が薄くなったことを除けば、そのほかは、学生時代と何一つ変わっていなかったから・・・。出て行ってくれるように丁重に頼んだつもりだった。その結果が、いつにも増して激しい一方的な罵声の引き金となったわけだ。私が頬を張り飛ばされ唇から血を出したのを見届けると、男は、ざまあみろ・・という最後の罵声を吐くと、冷蔵庫のビールを飲み干し苦いと顔をしかめた後、あっという間に寝息を立て私の横に眠っている。ビールには、睡眠薬を入れておいた。男が薬に弱いことは、前からよく知っていたから、常人では頭が痛くなる程度の量しか入れていない。それだけで充分だ。それだけで、男は二度と目覚めない。そして、私は男の肩越しにそっと手を伸ばすと、開いていた三面鏡を閉じた。・・・鏡よ鏡、世界で一番・・・・
2003/10/05
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・・・おめでとう、君は合格だ!部屋の真ん中で、震えながら待っていた若者は、その声を聞いて、肩の力を抜きそっと涙をぬぐった。就職活動も大詰めに入って友人たちはどんどんと先が決まっていき、もう年も変わろうとしているのに、どうしても自分だけ決まらないこの不安な日々も終わる、若者は思わず口元を緩め、それでもすかさず・・・ありがとうございます!と、大きな声を張り上げた。若者は、面接試験の後、続けて行われた体力検査や健康診断のために、脱いでいた背広を着ると、緩めたベルト(と口元)を引き締まると、もう一度、・・・ありがとうございます、社長!と、大きな声で言った。そう、今日は最終日の試験で、社長が面接等に立ち会っていたのだ、面接だけならイザ知らず、まさか体力テストにまで、同席するとは考えても居なかったので、まごつき最初は狙ったとおりにボールが的に当たらずにあせったが、社長が見る真剣な眼差しに気が付きかえって落ち着いてプレーすることが出来た。若者の成績は、100点満点中87点だった。若者が、身支度を整え終えると、待っていたかのように、面接官のひとりが立ち上がり、・・・あ、君、こちらに・・・と部屋の外に誘った。若者は、一礼すると、見るからにいそいそしながら、部屋を出て行った。連れていかれたところは長い廊下の先にある扉の前だった。・・・君ここから、ひとりで行くように・・・・・・??・・・説明は中ですることになっているから、大丈夫だよ、あ、荷物は全部持ったね。促されて、扉を開け一歩踏み出すと、突然轟音が響いてきた。部屋の中はとても暗かった。驚いた若者が振り向いたとき、扉が丁度閉まるところで、閉まりかけた扉の外では、面接官が笑いながら手を振ったようだった。・・・こっちへ・・・・・ひえ!突然誰かに腕をつかまれ、若者がびっくりして横を見ると、そこには、作業服に身を包みいかにも監督とか、いやむしろかつての親方と言った方が似合う雰囲気の老人が立っていた。・・・妙な声を出すんじゃない、さっそく働いてもらうぞ。・・・ここはぁ!?・・・だから、変な声を出すんじゃないったら・・・勿論、男も若者も轟音にまぎれてよく聞こえない中で、しゃべっているわけだから、お互いにそうだと思い込んで、話しているのだ。・・・ここは、うちのエンジンを動かすための動力部屋さ、なにしろ、石油だのなんだのは高いからな、それに今は環境問題が大変だろ、だからオマエさんたちみたいな若い力を求めてるってわけなのさ。若者が、やっと暗闇に慣れてきた目を凝らすと、部屋は思ったより大層広く、大きな柱が何本もゆっくりと回っていることに気が付いた。そして、その柱の足元には、それぞれ数十人の若者が張り付き、柱から横に張り出された棒を体全体で押していた。・・・オマエさんのマンパワーに期待してるぜ!背中をひとつ大きく叩かれた若者は、手荷物を取り落とすと、あわあわと口を動かすだけだった。・・・社長、本日の報告です。・・・おお、どうだった、持ちそうか?・・・だめですね、今日一日だけで、もう20人も駄目になりやしたよ。また補充しなくちゃいけやせん。・・・そうか、よし、広告のタイトルを変えよう。「若い」を削って「君の力が・・」にしよう。若いやつらはひ弱でいかん。・・・なるほど、やはり社会の荒波にもまれた世代のほうが使えますですか・・・。・・・そうだ、私らのような、なあ・・・親方と社長はしわくちゃな顔を見合わせると、ニヤッリと笑った。
2003/10/04
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オマエ、また新しいペットか?だってかわいかったんですもの、いいでしょう、アナタ。しょうがないなぁ・・・ほら、見て見て、かわいらしいこと。こんなに小さいのよ。わかってるよ、今度は捨てるなよ、大迷惑だからな!この間はゴメンナサイ、だって、とってもよく食べるンですもの、それでついつい・・・それにとってもかわいらしかったし・・・それがいけないんだよ。もう育ちすぎはごめんだぞ!でも、ほら、本当によく食べること、この子も。かわいらしいお口を精一杯広げて・・ねえ、ほら見て!飼い主に捨てられたブラックホールは、生き延びるため今日もひたすら周囲の星達を食べまくって育っている。この宇宙も喰い尽くされるのもそう遠くないことだろう・・・
2003/10/03
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・・・痛い!私は思わず声を上げると、みるみるにじんできた足指の血を恨めしそうに見やった。あなたは読みかけの新聞から目を離さずに、・・・夜に爪を切ると親の死に目に会えないっていうぞ。と、一言言った。あなたの迷信担ぎは昨日今日のことではないから、私は、聞こえない振りをして、飛び散った爪を拾い集めると、ゴミ箱にあけた。深爪をしたらしく、巻いたテイッシュは、すぐににじんできた血で赤く染まっている。夜の蜘蛛は殺してはいけない。殺すと親を取り殺される。口笛を夜に吹くと、悪いことが起こる。救急車(霊柩車だったかしら)を見たら、親指を隠さないと、親が事故で死ぬ。枕を蹴ってはいけない、もしも足が触れるようなことがあったら、枕に詫びてから、元の位置に戻すこと。そうでないと、悪い夢を見る。あなたのいうのは大体悪いことが起こる迷信ばかりだわ。こうしては良くない。ああすると悪いことが起こる。だから、いろいろ気をつけているけど、どうして一向に良くなる気配はないの?おまけに、あなたの会社が不景気でつぶれて、その後、私がもう少しで・・という事故にあって、それから、食中毒であわや家族全員危ないところまで行くとか・・・これだけ気をつけているのに、ちっとも良くならないじゃない。・・・切った爪は、ゴミと一緒に捨てるんじゃない、かならず別に捨てるんだ、そうでないと死神が取り付くぞ・・・ゴミ箱に捨てた気配を察したのか、またこちらも見ずにあなたはうるさく言った。私はにじんできた血に気を取られていたこともあって、生半可の返事を返して、あなたの言うことは無視することにした。奥様はお気の毒に・・・敗血症だったそうです。深爪をしたところからばい菌がはいったらしくて・・早く気が付いてやれば・・・お気を落とされずに、どうか・・・ありがとうございます。あいつが残してくれた生命保険でもう一度会社を興してみることにします。それが一番の供養になるのじゃないかと・・そうですね・・・私は、棺の中白い花に飾られたお前の顔を見ながら、もう一度別れの言葉をつぶやいた。・・・だから、親の死に目に会えないって言ったのに・・・・・・死神が取り付くぞって言ったのに・・・
2003/10/02
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・・・これが最後のひとつです。小さな声で女が言いながら、老人に手渡す。・・・よしよし・・老人は、受け取ったモノを掌で包むようにしながら運び、木の下に立つ。木にはまだ芽吹く様子とてなく、乾いた空に似合いのいかにも寒々とした姿で佇んでいる。女は、少し離れたところで、心配そうに様子を見ている。・・・はっ!気合の声とともに、老人が両手を下から上に向けて大きく振るうと、ざわりと音がして、何かが木のこずえをかすめた気配がした。そのとたん、一瞬のうちに枯れ木が大きく膨らんだ。それを見た女は、不安そうな表情を緩め、ほっと息をついた。・・・これで、今年も見事な花が咲くじゃろうて・・・老人は、こずえを見上げながら言う。・・・今年は、ちと、少なかったものですから、心配で・・・女も、うなずいて、かすかに笑う。・・・年々、花に思いを寄せる人々も少なくなってまいりましたゆえ・・・・・そうさなぁ、花は桜、人は情けとは昔の話かもしれぬ、我らの勤めもいつまでかの・・老人と女は、桜の木を見上げながら、寂しそうに語らっている。今年はまだ、見事な桜が見られそうだ・・・満開の桜の花よ、永遠なれ・・・
2003/10/01
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