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桜吹雪があるのかないのか 遠山の金さん
裏にあって表にないもの
表に出せない裏にあるもの
誰にだって表に出せないものはあるってことよ
へんっ、でもこのごろじゃ、
どっちが表だか裏だかわかりやしねえ
「うむっ」と、見下して首を振る。誰も怪しまない、金三郎は遠山影元になりきることに面白みを感じていた。側用人の戸田内規も「こいつは使える」と、満足していた。
町奉行は老中に報告するため、毎日江戸城へ登城することが義務であった。だが、遠山影元は痔が悪く、歩くことさえままならぬ日もあるので、将軍家慶に特別に嘆願して、駕篭での登城を特別に許されていた。
その日、遠山影元の痔の痛みは限界であった。なんとか登城はしたものの、老中水野忠邦に報告している最中でも脂汗が出て、とても話のできる状況ではなかった。
「遠山、もうよい、本日は下がれ、養生せいよ」
下城の駕篭の中でも、痛みはとれず、肛門を擦りあわせ、手で押さえ、綿で押さえ、歯を食いしばって耐えていた。だが、その日、奉行所に戻ると大事な裁判が待っていた。
公事上聴という、将軍が町奉行所の裁判を上覧することがあり、今年もその上覧の時に、徳川家慶は、遠山の裁きを『裁判が巧みで、人情のある裁きだ、遠山の裁きは格別によい、他の奉行も遠山のようにあるべきだ。』と、特別気に入っていて、是が非でももう一度内密に見てみたいという申し出があり、今日がその日であった。
こんな日に限って、遠山の痔が悪化して動けず、お白州にたてないとは残念至極の思いだが、仕方がない、苦慮した遠山影元と用心戸田内規は決断した。
「金三郎殿、いよいよ、出番がまいりました。本日の訴訟を裁いていただきます。隠密裏ではありますが、将軍様が御覧になります。なにとぞ、粗相のないように、よろしいな」金三郎もやっと出番が来た、もう何度も節穴を覗いて遠山影元の裁判は見ている。だいたいの流れはわかっていた。
お白州には賭場荒らしの罪でお縄になった三人の男が座らせられていた。賭博罪は島送りが妥当な罰であったが、賭場荒らしや、いかさま博打で島送りとなれば、すでに捕まって島送りになった昔の博徒仲間に、いたぶられ、虐められ、やがて命を奪われることは目に見えていて、島から帰ってこれることは万に一つも期待できなかった。
遠山影元の影武者壺振りの金三郎が重々しく威厳のある声を上げた。
「一同の者、表を上げいっ!」
咎人三人が顔をあげると、驚いたのは金三郎だった。本所深川近辺の賭場の常連の者の顔はだいたい見知っていた。
白州に座っていたのは、深川今川町の船宿「万水」で賭場を開帳していた、与五郎一家の者で、金三郎も幾度かその賭場に顔を出したことがあったので知っていた。
だが、その賭場はイカサマ博奕という噂が絶えなかった。細工した賽子をつかっているという噂だった。
「いかさま博打をし、賭場を荒らし、金銭を強奪したこと、間違いはないか」
「とんでもねえ、あっしらは、賭場なんぞに出入りしたこともねえ、とんだ、いいがかりでござんすよ」
「そもそも、博奕に負けた腹いせで、賭場荒らしだのいかさま博奕だのといわれちゃ、お奉行様、いったい誰がそんなことをいってるんですかい、あっしらが博奕をしていた証拠でもあるんなら、見せていただきやしょうか!」
三人ともすっとぼけて、奉行をせせら笑っている。奉行を舐めていやがる、ここで引き下がったら笑いものだ。偽物の奉行だと悟られるかもしれない。金三郎の頭にはかっかっと血が上ってきた。体が熱くなってきた。背中の桜吹雪が燃えてきてむずむずとしてきた。もう限界突破、やにわに、片膝立てて、もろ肌の桜吹雪見せつけて、咎人を睨み付け、「おいおいおい、政吉、音松、丑蔵、目ん玉おっぴろげてよおく見やがれ、深川今川の万水で拝ませたこの桜吹雪、まさか、見忘れたとはいわせねえぜ!!」と啖呵を切ってしまった。白州にいた政吉、音松、丑蔵も吃驚仰天の顔。
「あっ、おめえ、まさか、壺振りの金三郎じゃねえか!」
「そうよ、表が奉行で裏は壺振りの金三郎でいっ、奉行はな、市井の中に潜り込んで、おめえらみてえな悪を見張ることもあるのよ」
「へっ、恐れ入りやした」
「どうだ、政吉、音松、丑蔵、島送りがいいか、打ち首がいいか、どっちでも好きなほうを選びやがれ!」
「へへいっ、お奉行様、島送りじゃ、昔の名間にどつかれて殺されちまう、死罪のほうがさっぱりしますわ」
「ようし、それなら、政吉、音松、丑蔵、三名の者打ち首じゃぁ、、、これにて一件落着!!」
だが、その場に居合わせた与力同心たちは一件落着とはいかない。遠山影元にあんな刺青があったとは、びっくり仰天の助で、声も出ない。だが、横の部屋で臨席していた、徳川家慶は芝居がかったその裁定が気に入り、名奉行だと、ますます手を叩いて喜び、太鼓判を押した。
用心戸田内規から、ことの顛末を聞いた遠山影元もショックを隠せなかった。だが、壺振りの金三郎が遠山影元の影武者であるということは口が裂けてもいえない。すぐに、奉行所内にかん口令を敷いて口止めをした。
だが、秘密は漏れるためにあった。鳥居耀蔵にその話が伝わるのに時間はかからなかった。鳥居耀蔵はこの情報で宿敵の遠山影元を陥れられると、早速老中水野忠邦に密告した。
老中水野忠邦は、天保の改革を進める奉行が刺青をいれているということは不届き千万、笑止千万、あってはならぬことと激高し、鳥居耀蔵を同席させて、罷免に値すると遠山に詰問した。だが、遠山影元は動じない。
「どなたがそのような噂を流したのでござりましょうか、そこの鳥井様ですか?わたくしめを陥れる陰謀ではありませぬか?」
「何を申す、おぬしの肩に桜吹雪の刺青があることは明白じゃ、もろ肌脱いで見せてもらおうか」
遠山影元はゆっくりと片肌を脱いだ、色白の肌のどこにも刺青はなかった。
「さあ、鳥居様、どこに彫り物がありましょうか、」
「あっ!なぜだ?おぬしが儂を罠にはめたのか!!」
老中水野忠邦は大恥をかかされた。鳥居耀蔵に比べると、天保の改革に何かと疑問をぶつけ、消極的な取り締まりしかしていない遠山影元であったが、将軍家慶の信頼が厚く無碍には扱えなかったが、その遠山を失脚させる絶好の機会が来たはずだった。だが大失敗。今まで、鳥居耀蔵を右腕と頼んできたが、鳥居耀蔵にある不安を感じていた。
北町奉行 遠山左衛門尉影元に桜吹雪の彫り物があったとかなかったとかの論争があるが、ある時にはあり、ない時にはないというのが真相だった。裏にあって表にないものなあに!そいつが桜吹雪だとさ!!
(つづく)
作:朽木一空
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