PR
コメント新着
カレンダー
カテゴリ
キーワードサーチ
サイド自由欄

ひろし君は球技が苦手で、ことにドッジボールが一番嫌いだった。だからドッジボールのときはいつも逃げ回っていて、一度もボールに触ったことがなかった。出来ればこの野蛮な球技には近付きたくなかったのだが、なぜか当時はドッジボールが大流行で、体育の時間までドッジボールに占拠されていた。
そしてドッジボールの上手い者が、体育の点数も高く運動神経が良い奴だと思い込まれていたのである。だからと言ってひろし君の場合は、決して運動神経の鈍いスポーツ音痴野郎と言う訳ではなかった。 ひろし君は球技は苦手だったが、相撲や徒競走、跳び箱などにはかなり自信があった。つまり足腰のバネは抜群なのだが、生まれつき心臓と肩が弱いため、球技や長距離走に馴染めなかったのである。
さて長距離は全くダメなひろし君だが、運動会の短距離走ではいままで誰にも負けたことがない。それにいつも二位を5メートル近く引き離していたのだった。 ところが4年生になって、初めて苦汁を舐めることになる。3年生までは同じクラス同士で背の高さ順で走っていたのだが、4年生からは全学年でタイム順に走ることになったからである。しかも距離が50メートルから100メートルに伸びていたのだ。
ひろし君と同学年は7組あり、総勢約350名でうち男子はその半数の約180名であった。徒競走は7人ずつ走るのだが、ひろし君は一番タイムの早い最後の集団に組み込まれていた。そのメンバーを見回すと、身体が大きくて運動神経の鋭い猛者ばかりなのだ。ことにゴジラこと我堂、文武両道の萬屋、筋肉モリモリの景浦、スポーツ万能ミッキーこと水谷の4人は学校で知らぬ者はいない超有名人で、クラス外で無名なのはひろし君だけだった。
いよいよスタートのピストル音が鳴り響き、ひろし君は猛然とダッシュした。とても良いスタートだ。なんと中盤位まではトップを走っていたのだが、その先はすぐ息が上がって、顔も上がってアップアップ。
結局ぶっちぎりでゴールしたのはゴジラの我堂、それに続いて水谷、景浦、萬屋がゴール。残念ながらひろし君は最下位の7位で、生まれて初めて徒競走で醜態をさらしてしまった。
ひろし君は悔しくてたまらなかったが、事前にタイムが分かっていたので、結果ははじめから決まっていたようなものだ。来年の運動会こそはと、リベンジを誓うひろし君だったが、実は全く自信がなかった。自信が回復するのは、中学生になるまで待たねばならないだろう。
作:五林寺隆