愛犬こなつのバリュー投資日記

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2026.08.25
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「先生、また下がりました……」

健太はスマートフォンの画面を見ながら、深いため息をついた。

表示されているのは、三か月前に買った株だった。

買値は1,500円。

現在は1,080円。

含み損は、マイナス28%。

「どうするんですか?」

向かいに座る老人は、コーヒーを一口飲んだ。

株式投資歴四十年。



健太は彼を「先生」と呼んでいた。

「どうするって?」

「売るべきでしょうか。それとも、戻るまで待つべきでしょうか」

先生は逆に聞いた。

「健太君。君は、なぜその株を買った?」

「業績が良くなると思ったからです」

「では、今はどうだ?」

「……業績は、思ったほど伸びていません」

「それなら答えは出ているじゃないか」

健太は黙った。

「買ったときの投資ストーリーと、今の現実が違っている。ならば、間違いを認める。それが投資だ」



先生は笑った。

「初心者はみんな、それを怖がる」

そしてホワイトボードに書いた。

含み損=損失

「売らなければ損じゃない、というのは間違いだ」



「だから何だ?」

先生はペンを置いた。

「1,500円で買った株が今1,080円なら、君の資産は1,080円分しかない。『1,500円で買ったから1,500円の価値がある』わけじゃない」

健太は画面を見つめた。

「損失を確定していないだけで、損失そのものはすでに発生している」

「じゃあ、どう判断すればいいんですか?」

先生は少し考えてから言った。

「心をニュートラルにするんだ」

「ニュートラル?」

「自分がその株を持っていることを忘れる。そして今、現金1,080円を持っているとする。その1,080円で、もう一度その株を買いたいと思うか?」

健太は画面を見た。

しばらく考える。

「……買わないです」

「なら、売ればいい」

「そんな簡単に?」

「簡単だよ」

先生は笑った。

「難しくしているのは株じゃない。君の頭の中だ」

その日の帰り、健太は株を売った。

損失は約42万円。

スマートフォンの画面を見ると、赤字の数字が消えた。

「うわ……」

胸が痛んだ。

しかし翌朝。

健太は不思議なことに気づいた。

ポートフォリオ全体の時価総額を見る。

昨日とほとんど変わっていない。

「あれ?」

先生に電話をかけた。

「先生、損切りしたのに、ポートフォリオ全体の金額はそんなに変わってません」

「そうだろう」

「どういうことですか?」

「株を売って現金にしただけだからだ」

健太は、しばらく黙った。

先生は続けた。

「君は今まで、個別銘柄の損益ばかり見ていた。だから、含み損を見るたびに苦しくなった」

「はい」

「これからは違う。個別銘柄の勝ち負けではなく、ポートフォリオ全体の時価総額を見るんだ」

先生は言った。

「毎日記録しなさい」

健太はその日から、毎朝ポートフォリオの時価総額を記録するようになった。

昨日より増えたら喜ぶ。

減ったら悔しがる。

それだけ。

すると、少しずつ感覚が変わっていった。

含み損の銘柄を損切りしても、ポートフォリオ全体の時価総額は、売った瞬間に損切り額だけ減るわけではない。何も変わらない。

「失敗を切り離しただけなんだ……」

そう思えるようになった。

むしろ、見るたびに嫌な気分になる銘柄を持ち続ける理由がなくなった。

「目障りな失敗銘柄なら、切ったほうが清々するだろ。失敗銘柄は悪い気を持っているからな」

先生の言葉が、少しずつ理解できてきた。

ところが。

ある日、健太は別の悩みを抱えて先生のところへ行った。

「先生、今度は逆です」

「何が?」

「利益が出ています」

「いいじゃないか」

「でも、売りたくて仕方ないんです」

先生は笑った。

「それも初心者らしい悩みだな」

健太が持っていた株は、買値から35%上昇していた。

「30%も上がったんですよ。そろそろ売ったほうがいいですよね?」

「なぜ?」

「だって、これだけ上がったら、いつ下がるかわからない」

「では聞こう」

先生はノートを開いた。

「君は、なぜその株を買った?」

「業績がこれから伸びると思ったからです」

「そのストーリーは壊れたか?」

「……いえ。むしろ、業績は予想以上です」

「なら、なぜ売る?」

健太は答えられなかった。

「30%上がったから?」

「はい」

「それは売却理由ではない」

先生はきっぱり言った。

「株価が30%上がったことと、投資ストーリーが終わったことは別問題だ」

健太は黙った。

「投資で一番難しいのは買いではない」

先生は言った。

「売りだ」

先生は紙に三つの項目を書いた。

①投資ストーリー

②現在の事実

③売却する根拠

「株を買ったとき、必ず投資ストーリーを書いておきなさい」

「何を書けばいいんですか?」

「なぜこの会社の利益が伸びると思ったのか。何が成長要因なのか。どんな数字を期待しているのか。またどのくらいの時間軸を想定してるのか」

そして、その下にこう書いた。

『この前提が崩れたら売る』

「売るときも同じだ。『怖くなったから』『上がりすぎた気がするから』『30%も儲かったから』ではダメだ」

「じゃあ、何ならいいんですか?」

「業績予想が崩れた。成長率が明らかに鈍化した。競争優位性が失われた。経営方針が変わった。割高になりすぎて期待リターンが低下した――」

先生はペンを走らせた。

「客観的なデータで説明できる売却理由を持つんだ」

健太は頷いた。

「でも、先生。売ったあとに上がったら?」

先生は笑った。

「上がるだろうな」

「え?」

「株なんだから、売った後に上がることもある。売った後に下がることもある」

「じゃあ、正解は?」

「正解なんて、その時点では誰にもわからない。」

先生は窓の外を見た。

「だからこそ、『あの時点では、あの理由で売るしかなかった』と、後から自分で納得できるくらい、売却理由を考えるんだ。売ったあと株価が上がっても後悔しないか自分に問いかけてみろ。そのぐらい考えれば、売却後に株価が上がってもさほど悔しくないよ。なんとなく感情で売ったら、夜眠れないぐらい悔しいだろうよ」

健太はノートに書き込んだ。

売った後に上がったかどうかではなく、売った時点で合理的な判断だったか。

先生は満足そうに頷いた。

「それでいい」

数年後。

健太の投資スタイルは大きく変わっていた。

以前は、含み損を見ると祈った。

「いつか戻ってくれ」

今は違う。

投資ストーリーが崩れれば、淡々と売る。

逆に、業績が伸び、投資ストーリーが生きている銘柄は、多少株価が上がったくらいでは売らない。

20%上がった。

30%上がった。

50%上がった。

それでも、理由がなければ売らない。

ある日、健太は先生に聞いた。

「先生。結局、上手な投資家って何が違うんでしょう?」

先生は少し考えてから答えた。

「損をしない人じゃない」

「え?」

「間違いを認めるのが早い人だ。損切りするのに躊躇しない人」

そして続けた。

「もう一つ」

「何ですか?」

「利が乗った銘柄をとことん引っ張れる人。」

健太は笑った。

「なるほど……」

「投資家は、勝率を自慢するものじゃない」

先生は最後にこう言った。

「間違ったら小さく負け、正しかったら大きく勝つ。」

「そのためには、損切りを恐れず、利益を焦らないことだ」

健太はノートを閉じた。

昔は、損切りが嫌だった。

今は違う。

損切りは「負け」ではない。

投資判断を修正するための、ただの資本配分だった。

そして利益確定も、単に「儲かったから売る」のではない。

なぜ売るのか。

それを説明できるまで考える。

それが、株を買うことよりはるかに難しい「売り」の技術だった。

帰り道、健太はスマートフォンを開いた。

今日のポートフォリオ時価総額を記録する。

昨日より少し増えていた。

健太は個別銘柄の損益を見ることなく、画面を閉じた。

そして小さく笑った。

「今日も、資産全体が増えた」

それだけでよかった。





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最終更新日  2026.08.25 05:55:47
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