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意味のある会合だった。やはり話さないとわからない。理解し合えて良かった。これから大きくなっていくけれど、改革を恐れず、また初心を忘れずに飛躍していくことを願う。これで暫くは集まりがない。今日はこの会合の為の資料作りとかでほとんどの時間を使ってしまった。下準備をしっかりしていったので話し合いもスムーズだった。子供の頃は電車に乗って学校に通っていた。越境していた。3.4年の頃の担任の男の先生が年老いた母親と百人町の都営住宅に住んでいた。その担任と良く帰りの電車が一緒になった。学校の帰りに友達の家に寄ったりして遊んで帰るので、担任と一緒になってしまうのだ。いつまで遊んでるんだ!とよく怒られた。百人町には何故か今も縁があって行く事が多い。昔と随分変わってしまった。あの都営住宅の頃が懐かしい。今は新大久保駅周辺の夜の裏通など怖くて歩けない。多国籍な町になってしまった。あの担任の先生は何処へ行ってしまったのだろう。あの新しい高層住宅にいるのだろうか?百人町に行くと思い出す。明日からはお話を書こうと思っている。
2005.08.31
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9月からはまたちゃんとお話を書こうと思っている。毎日違う話を創るのは、結構為になった。浮かばない時は仕方ないけど、創っていこうと思う。独り言を書くのもとても面白かった。もしかしたらひと月交替にするかもしれない。多分そうなるだろう。書くことは楽しい。創ることも、独り言も。時に創作する事が苦しいと思うときもあるけれど、それも必要だと思う。原稿用紙で46枚分くらいの話を今回書いてみて、終わった時の安堵感と、とても爽快だった気分が忘れられない。いつも追われている毎日が自由な毎日に変わる。心が開放される。そしてしばらくするとまた何かをしたくなる。また書きたいと思う。長い話を書いている途中でも、短い、全く関係ない話が書きたくて、2回だけ書いた。それも楽しかった。息抜きになった。次は中篇クラスの話に挑戦してみたい。原稿用紙で100枚くらい。出来るかどうかはわからないけれど、いつかやってみようと思っている。最終的には250枚程度の長編にも。あくまでも今の段階の目標として。出来るのかな?今は自信ない。妄想に近いかもしれない。見えているようで何も見えていない。まだまだ甘いと思った。やるべき事はした。そしてこれからも見失わずにやっていく。それがある限り・・・。毎日いろいろなことがある。全ては違う1日。同じように見えても。
2005.08.30
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旧古河庭園の近くまでバイク(マウンテンバイク)で行った。用事があって。往復ニ時間もかかった。道路をずっと走れれば、その半分で行けると思う。走っている時はとても気持ちよかった。このままずっといつまでも走っていたいと思った。道が舗装されていて、何処までも続いていたらきっと果てしなく走って行ってしまいそうだ。それほど爽快だったけれど、今は疲れてボーっとしている。昨日の頭痛が蘇ってきそうだ。今朝少しだけ「白い、白い日・・」を読んでみた。やはりさまざまな記憶が断片的に次々出てくると言う感じだろうか。まださわりだけだけど。シナリオに織り込まれている数々の映画のシーンの写真の中に、まるでブリューゲルの絵そのもの、と言いたくなるようなものがあった。それは一面の白い世界の中で、まばらに戦士たちが見える。その向こうに大きな川が横たわっている。左手には大きな枯れ木がある。川の向こう遠くにうっすらと林が見える。このシナリオにある映画の写真全てが本当に美しい。それだけで写真展が出来てしまうのではないかと思う。観るのがとても楽しみになった。タルコフスキーは絵も上手だったし、音楽の才能もあった。芸術全般に秀でていた。4年前の生誕70年記念にタルコフスキーの映画祭をやっていたことを知った。来年何かあるといいと思う。
2005.08.29
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「あなた何していたの?今頃まで・・」と君は言うけど、そんなこと上手く説明なんて出来ない。実にくだらないことをしていたのだから。自分でも呆れる。だから君が聞いたら多分僕を違った目で見るだろうし、信じられなくなるかもしれない。それでも君は聞きたいというのだろうか?勿論聞きたいのだ。でも僕は言いたくはないし、言うつもりもない。だから上手く話をそらすか、出鱈目を言うことにしている。考え付きもしないような出鱈目を。そのほうが真実味があったりする。そのほうが上手くごまかせるのだ。でも僕はただいつものように、「上司と飲んでいた」と言うだろう。「どの上司?」と君はきっと聞き返すから、「ほら、あの部長だよ」と言う。「ああ、あの部長ね・・。なら仕方ないわね」と君は安心する。そして僕は無事にそれを終わらせる。つもりだったけど、君はいつもと様子が違う。何かを掴んでいるという顔をしている。そして僕の言い分を聞いてから、それが出鱈目か真実かを裁こうとしている目だった。何を知っていると言うのだろう。僕は様子を伺う。「えね、聞いているのよ。答えてよ」僕はそのままくるりと背中を向けてそこから立ち去ることも出来る。何故なら僕たちはまだ結婚もしていないのだから。君に何もそこまで支配される覚えもない。そのまま出て行けばいいのだ。そして友達の家にでも居座れば。簡単なことだ。でも僕の足は動かない。ただそこに張り付いたようになっている。「何故黙ってるの。なんとか言ってよ。知ってるのよあたし!」とうとう来たと思った。でもここで慌ててはいけない。なんでもない顔をしていなければ。だから何?という顔を。君はうっかり先に、知ってるのよ、なんて言ってしまったのは迂闊だったと思う。そう言うことは最後まで言わない方が得策なのに。君はまだ幼いんだ。なのに僕はなんて悪党みたいなんだろう。自分が恥ずかしいと思う。だから僕は君に「ごめんね遅くなって。何でもないんだ。ただの付き合いだよ。ただ疲れていて、何も言えなかっただけだよ。君が心配するようなことは何もないから」これで終わるはずだったのに、いきなり君は僕の鞄をひったくるとそれで叩き出した。中には折りたたみの傘が入っていて、それが当たってとても痛い。僕は君の手を掴んでその攻撃を止めさせた。「出て行って、二度と戻らないで、これで終りだから、いいわね」それは凄い剣幕だった。こんなに怖い君を今まで見たこともなかった。それに僕は圧倒されて、そのまま玄関を出た。すると今度は「何してんのよ!さっさと戻りなさいよ。本気で出て行く事ないでしょう。どういうつもりよ」と言って泣き出した。女ってわからない。頭がどうかしてるとしか思えない。僕はめんどくさくなって、そのまま出て行った。それが君との最後だった。酷い結末だった。本当に。君はその後直ぐにお見合いして結婚した。間違いない人を見つけて、間違いのない人生を歩いている。そして僕は間違ったままに生きている。
2005.08.28
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今日は少し遠い所にある図書館まで行った。そこにタルコフスキーの「鏡」についての本があるから。かなり大きくて分厚い本で立派なものだった。「鏡」のシナリオがメインで、それに1973-74にかけての「作業ノート」、「鏡」を作った9年後にそれを小説化した「白い、白い日・・」と、1970年に映画製作の申請に当たってソビエト当局に提出した作品構想の小説「白い日」、映画で使われた9編の詩、などが付録として付いている。タルコフスキーが存命中に有志により非営利団体「日本アンドレイ・タルコフスキー協会」なるものが発足していた。(今は閉会している。出版部門が独立して残っている。)当時(1986年2月)タルコフスキー関連の資料は映画のパンフレットを除けば皆無だったそうだ。「鏡」のDVDは来週届く。その前にある程度、下調べをしようと思った。かなり難解と言われているので。それなのに頭痛がして読めない。頭に入らない。せっかく借りてきたのに・・。本を前に悶々としていた。かなりの枚数の写真が付いているので、それだけでも眺める。作業ノートも写真付き。納屋が燃えている写真が印象に残った。とても綺麗で。村上春樹の短編「納屋を焼く」を思い出す。今日行った図書館は綺麗だったし、設備も良かった。隣の区のだけれど。近くだったらいつも行きたいと思った。
2005.08.28
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さっき帰って来た。二時間ぐらいで帰ろうと思っていたけれど、話が弾んでしまって帰れなくなってしまった。今日も集まりだった。あとは31日だけ。今日は表紙も作ってみた。簡単なものだけど。イメージが出来上がった。シャーロット・ブロンテの「ジェーン・エア」を何度読んだだろう。数え切れないほど読んでいる。どこか遠くへ出かけるときは、上下巻とも持っていく。面白くて、つい読んでしまう。普通エミリィ・ブロンテの「嵐が丘」の方が有名だし、評価も高いけれど、「ジェーン・エア」の方が遥かに好きだ。立花隆も自分の本の中で「嵐が丘」よりも「ジェーン・エア」の方が面白いと書いていた。ビクトリア朝の時代に、女が職を持って男に縛られずに生きること自体が凄いと思う。まさに自立した女だった。選ぶ自由を持っていた。時代に耐え得る作品はいつの時代でも霞むことはない。輝き続ける。シャーロットの実人生も険しかった。生きるために、食べる為に、必死だった。身体が弱い家系で。でも恋もしていた。妻子ある人だったけれど。きっと苦しかっただろう。そして結婚もした。存分に生きていた。他の姉妹よりは長生きしたけれど、38という短命だった。
2005.08.27
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今日は用事があって夕方外出した。とても暑かった。帰って来てから書き終えた物語の校正をしていた。でもきっと出来てないところがあると思う。いつも後から気がつく。袋とじでプリントアウトして、本にしてみた。文庫本サイズで30ページだった。計算上では26ページだったのに。今日の用事は付き合いだった。ある会の。たくさんお料理が出た。女の人が経営する日本料理屋さんで。ひとりで全てこなしていた。カウンターと小さな座敷があった。料理はとても美味しかった。女性らしく繊細な部分と、大胆な部分があった。とても食べきれない程だった。みんなからお誕生日のお祝いを貰った。とても素敵な服を。いつも順繰りにやっている。明日も会がある。そして月末最後の日も。年々面倒になる。でもある時期が来ればそれもほとんどなくなる。と思う。タルコフスキーの「鏡」が売っているらしい店に明日行こうと思う。売っていますように!書き終えたし、時間があるから是非観たい。今はとても自由な気分です。
2005.08.26
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今日は台風の影響で雨が激しく降ったり止んだりだった。雲の切れ間にマウンテンバイクで買い物に出かけた。買い物をした帰りに雨が降り出した。凄い雨だった。でも気持ち良かった。どうでもいい気持ちになれて。大会では雨だろうと何だろうと走ったり泳いだりするのだ。それと同じだった。やっと書き終えた。以外にあっけなく終わった。書いたものをプリントアウトして読んでみたら、また違った感じがした。目先が変わると随分変わるものだと思った。不思議。錯覚だろうか・・。書き終えてほっとしている。宿題を夏休み前に終えた小学生みたいだ。Mさんに感謝している。とても、とても・・。一人だったら書き終えられたかどうか怪しい。普通短編というのは原稿用紙40枚から50枚分だけど、それは私には長編に近い。これ以上長いものが書ける器はなさそうだ。人は人によって救われる。人の力は大きい。この先のことは「神のみぞ知る」というものだ。肩の荷が下りて気が楽になったので、今日はピアノを久しぶりに弾いた。楽しかった。やはりすっきりする。気分が。感情が入るから、表現するので、それが良いのだろう。自己満足の世界だけど。よく子供の頃ピアノの先生に、感情を込めて!と言われた。クレッシェンドとかデクレッシュエンドとかにもうるさかった。勿論フォルテとかピアニッシィモにも。だからとても忙しかった。強くしたり弱くしたり、優しくしたり、快活にしたり、息つく暇もなかった。だからピアノって結構苦しかった。スポーツとまた違う意味で。訓練が足りなかっただけなのかもしれないけど。厳しい先生だった。でも怖いけど好きだった。他の先生と同じ曲を弾いても、私の先生の弾き方が好きだった。同じ曲でも本当に違うのをその頃知った。弾き方にはその人が出る。その人そのものが。怖いくらいに。何でもそうかもしれないけれど。
2005.08.25
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今日はしなければならない事があったので書くことが出来なかった。さっき暇になったので、一通り目を通していた。毎日読むと分らなくなることがある。麻痺してしまって。たまに読むと良かったりする。毎日始めから全部目を通すと、すごくつまらなく思えたりする。全てが間違いのような気になってしまう。だから日を空けて目を通すことにしている。今日の夜はとても涼しい。蝉の鳴き声もしない。やけに静かだと思ったら。耳を澄ますと鈴虫やコオロギの鳴き声が聞こえる。昨日は蝉が鳴いていたのに・・。季節は移っても気持ちは簡単には移ろわない。夏はまだ去ってはいない。昨日泳いだ後、私も私の前を泳いでいた人も呆然としていた。泳いでいる時はわからないのだけれど、泳ぎを止めると急に重力がかかるので、身体がふらつく。そして急に疲労が襲う。思考が出来なくなる。だからコースから外れて、ウォーキングコースでしばらくお互いにちょっと離れてボーっとしていた。何か話したいのだけれど、言葉も出ない。ただお互いに見合っていた。無言で。なんでこうなってしまったのか?何故90分もぶっ続けで泳ぐはめに。それはお互いに譲れなかったからだと思う。どっちが先に根を上げるか、勝負していたみたいなものだった。私は先に降りたけれど、私が降りたのを見て、直ぐその人も止めてしまった時、やはりそうだったのかと思った。しばらくウォーキングでクールダウンをしていた。筋肉疲労が残らない為に。競い合うとスピードもつくので練習になる。独りだとのんびり泳いでしまう。今までも似たようなことはあったけど、90分はなかった。
2005.08.24
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今日は夜、久しぶりに泳ぎに行った。空いていたのでずっと泳いでいた。割とスムーズにエンドレスで泳いでいる人がいたので、その人の後ろに付いて泳いだ。30分が過ぎ50分が過ぎ、1時間が過ぎ、とうとう1時間30分になろうとしたので、思わず止めた。それ以上泳ぎ続けると、次の日がキツイので。すると前を泳いでいた人も止めてしまった。良くあるパターンだった。どちらかが止めるまでなかなか止められなくなってしまうのだ。トライアスロンをしている人のようだった。体つきも競泳をする人とは違っていた。50mを約1分で泳いだとして約4500m泳いだ事になる。今も首と腕と肩が痛む。でもすっきりした。嫌なこともすっかり忘れた。忘れてしまいたいことを忘れるのは良いのだけれど、結構大事なこともついでに忘れてしまうことが多々あるので、それがとても困る。泳いだ後は頭の中が大体空っぽになってしまうせいだと思う。もともとほとんど空っぽに近いけれど。このところ書いている時間が長かったので、身体も鈍っていた。今日はほとんど書けなかった。昨日調子が良かった反動だろうか?グールドの81年盤ゴールドベルク変奏曲のアリアでは、グールドがメロディーを口ずさむ声がそのまま録音されいる。55年盤はどうだったか忘れた。他の作品でもそうだけど。初めて聴いた時はそれは驚いた。幽霊の声かと思って・・。良く聴いてみると歌っている声だった。そうゆうのってあり?と思った。けれどグールドはありなのだ。自分のスタイルって大事なんだと思った。それを押し通すことが。それが出来るか出来ないかでかなり違うと。
2005.08.23
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気がついたら日付が変わっていた。それだけ集中して書いていたと言うことだ。今日も書き続けていた。どんどん言葉が出てきた。どんどん入り込んで行った。とても満足だった。こういう日もあるのかと思う。書くことが楽しくなってきた。今までは割りと義務的だった。書かなければと。とにかく自分が満足できるものを書きたい。自分が読んで面白いと思えるものを。風が強く吹いている。嵐みたいな風。でも涼しい。地球のことを考えると悩んでしまう。これからどうなって行くのだろう。温暖化で南極や北極の氷が半端じゃない面積で溶けているらしい。この頃の気象の変化も大いに気になる。日本は亜熱帯化していると言われているし。このことを考え出すととても暗い気持ちになる。だから考えないようにしているけれど、考えないのも無責任だし、考えたからと言って、全てを捨ててまで地球の環境維持の為に動けるわけでもない。自分のできることをするしかないという結論でいつも終りにしている。無責任に変わりはないけど。
2005.08.22
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引き続き書いている長めの話を今日は随分書いた。きっと物を書く人はもっと多くを書くのだろう。それに比べればほんのささやかに過ぎないけれども。Mさんがアドバイスしてくれて迷いが消えた。とにかく書き進もうと思った。最後の最後に編集しようと。本も随分読んだ。必要なものを。タルコフスキーの日記は直接関係はなかったけれど、読んでみてとても為になった。書くことへの。結局自分が書いて楽しくないと駄目かもしれないと思った。今日も終わろうとしている。一日が早すぎる。年々加速して行くのは何故なのかと思う。もう少しゆっくり時間が流れればいいのに。今日ある調べものをしていたら、聖書が書かれた頃は地球の自転はもっと速かったそうだ。ということは一日は24時間ではなくて、20時間くらいだったのだろうか?考えられるのはこの先はもっと一日が長くなると言うことなのだろうか?今この時代に一日を30時間くらいにして欲しいと思う。
2005.08.21
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伊豆にあるその蕎麦屋は手打ちの店で座敷も広かったから客も良く入った。年に一度だけ寄る店だけど、女将はわたしを覚えてくれて、行くと良くしてくれた。わたしがそこの山菜の天麩羅と蕎麦が好きなので、帰りに山菜を袋に入れてお土産にくれたりした。女将は五十ちょっと前という年齢で絣の着物を着ていた。お客を手際良く捌いていきながらも、心の籠もったもてなしが出来る人だった。ご主人を若い頃に亡くされて店を20年前に創めた。わたしは山菜の頃だけその店を訪ねるけれど、正直な気持ちを言えば、もっとその店を訪ねることも出来ないわけではなかった。去年のことだった。わたしは毎年のようにその店を訪ねた。女将は忙しく働いていた。わたしに気がつくと女将はぱっと顔を赤らめた様に見えた。わたしはそれをとても嬉しく思った。女将は「良くいらっしゃいました。そろそろお見えになる頃だと思っておりました」と言った。わたしは女将が毎年山菜の時期を知らせる葉書を受け取ると出かけて行く。和紙の葉書に達筆な文字でいつも書かれていた。「ええ、あなたからの葉書が届いたので、今年もこうしてやって来ました」とわたしは言うけれど、それはまるであなたに会いに来たのですと言っているようで、自分が少年のような気持ちになるのだった。わたしが帰るとき女将はいつも店の外まで送ってくれた。わたしはその時つい、もしあなたさえよろしければ、たまには東京へいらっしゃいませんか?と言った。それはずっと心の中で温めてきた言葉だった。いつかそんなことを言ってみようと思っていた。それがふっと何のためらいも無く不意に口から出てしまったのだった。女将は一瞬言葉を失ったようだった。そしてきっぱりとした表情を見せると、「ええ、店が暇になりましたら是非伺わせていただきます」と言った。「あなたのお店はいつ頃暇になるのですか?」わたしは言い出した以上ははっきりさせたかった。「伊豆は一年中結構忙しいんですよ。でも時間がとれましたら、こちらから連絡させて頂きます」と女将は顔を伏せながら言った。「そうですか。本当は今決めておきたかったのですが。でも必ず連絡を下さい」わたしは女将を説きふせるように言った。「私はなかなか店を空けられないのです。ですから、いらっしゃって頂く分には私も、もう少し自由が利くのですが・・」女将はまた顔を赤らめていた。「それはそうですね。確かにあなたのおっしゃる通りです」結局わたしはこの一年間この店には来なかった。いろいろ考えたけれど、わたしはのめり込んでいくであろう、自分が怖かったのだ。そして行く末を考えると、決して幸せな情景は見えなかった。その時はいいだろう。けれどその先は・・。なら何もないままこの先もこうしていたほうがお互いに良いのではないかと思った。多分女将もそう思っているのではないかと。そして例年通りこの山菜の時期にやって来た。女将は何もなかったようにわたしにいつもの心の籠もったもてなしをしてくれている。そしてわたしも少年のような気持ちで女将を見ている自分を確かめる。
2005.08.20
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この夏の終りにブレッドはジェイクと逢った。3ブロック先から彼がやって来るのが見えた。ブレッドはジェイクがこの夏一度も連絡してこなかった事について、特に何もなかった。ブレッドはブレッドで時間を余すことはなかったから。いつだってブレッドの生活に割り込んできたのは、ジェイクの方だったのだから。ジェイクはいつも突然連絡してきて、いつも突然現れた。約束というものが嫌いだった。「何かに縛られるって事が僕には耐えられないんだ。いつも何もない状態でいたい。君を想った時に君と逢いたい。僕は酷く心が移ろいやすいから、例えば僕が犯罪者の話を書いていたりすると、とても気持ちが高ぶるんだ。そんな時君に逢いたくない。君に何するかわからないだろ?」それが彼の言い訳だった。ジェイクは明るい顔をして、いつ見ても君に初めて惚れたみたいな気持ちになるね、と軽い口を利いた。だからブレッドも、今でもあなたに夢中なの、とでまかせを言った。ジェイクはいつものように急に真面目くさった顔をして、「実際の話君に逢いたくて仕方なかったんだ、でも次から次に起こる問題や、仕事や、人間関係で、僕はもみくちゃにされて、挙句の果てに過労で入院までしていたって事、君は知らないだろう?」と悲しげな表情を作って見せた。何故そこまでする必要があるのかブレッドには分らなかった。飽きたのなら飽きたと言えば良いのに。「ええ勿論知らなかったわ。あなたがそんな酷い目に合っていたなんて。本当に同情するわ。ジェイク。でも私もいろいろあったのよ。あなたには知らせなかったけど・・。だから何も気にすることはないわ。お互い様だから」ジェイクはわざと驚いたフリをして、君に振られるなんてね、僕ほど悲しい男はちょっとこの辺にはいないよ、と大げさに嘆いて見せた。ブレッドはとても残念だわ、と言った。次の週の金曜日の夜、クラブでジェイクが1人でしんみり飲んでる姿を見つけた。その次の週も、その次の週も。ブレッドは目を疑ったけれど、それは間違いなくジェイクだった。「ねえ、あの人最近どうしたの?随分淋しそうじゃない?」ブレッドは顔馴染みのバーテンダーに聞いてみた。「最近はお1人でよくお見えになります。お連れ様は今はいらっしゃいません。お客さま以外の方とこちらにお見えになった事もございません」まるでこっちの気持ちを見透かすような言い方だったけれど、きちんとした応対だった。ブレッドはただ「そうなの」と頷く以外しょうがなかった。秋が過ぎて寒い冬がやって来た頃、ブレッドは街で偶然ジェイクに逢った。ジェイクはもう遊んでいる頃の輝きは失せていた。その代わりその年代に合った、憂いのある表情をしていた。2人はどちらともなく近くのカフェに入った。とても寒い日で、2人とも大げさなほどの厚着をしていた。脱いだものが山積みされたのを見てお互いに笑い合った。「あなた今何を書いているの?」ブレッドはジェイクが大きなカップに顔を半分隠すようにコーヒーを飲んでいるのを見ながら聞いた。「食べる為に書いてるようなものしか書いてない。書きたいものはあるけど、今まだ構想中ってとこなか。君はまだあの絵描きのモデルを続けてるんじゃないだろうね」ジェイクはその絵描きが嫌いだった。「この頃はしてないわ。彼、帰国したのよ」ジェイクはブレッドを見ていた。もう何も言わなかった。ただ2人は若くはないから、お互いが、お互いを、大切にしたいと心から思うのだった。
2005.08.19
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何故タルコフスキーの日記が面白かったのかと思う。タルコフスキーはあまり自分の映画について、公の場では発言しなかったらしい。そのせいもあって、作品に対する理解もなかなかされなくて、誤解されやすかった。でも日記ではとても饒舌だし、感情的で、感動しやすくて、怒り易くて、人間らしい。お金にもいつも困っていた。晩年は自分で自分を天才と書いたりしていた。天才なのに何故貧乏なのかと嘆くというか、怒ってるって感じだった。旧ソビエトだから多額のお金を出してもらって、収益の少ない映画が撮れたと言う人もいる。採算のとれない映画は普通撮らせてもらえないと。そして何処の国に行っても彼は不満だったと言う人もいる。必ず彼の芸術を理解しない人と遭遇するから。亡命しても確かに良くはならなかった様だ。日記には等身大のタルコフスキーがいる。ドフトエフスキーを最も理解していた人だとも言われていた。タルコフスキーを通してドフトエフスキーが表現されていたとも。「鏡」はタルコフスキーの人生がかなり反映されているとMさんが言っていた。そして分りにくいと。最初に出てくるエピソードは人の存在というものを考えさせてくれるとも。「鏡」についてのものを読んでも良く分らない。やはり観てみないと。観ても分らないかもしれない。でも観たくてもなかなか観れないのがタルコフスキーなのだろうか?直ぐに観れないところが。このところあまり進んでいない。書き始めと随分変わった。手術したことはないけれど、手術しているみたいな気がする。良くない所を切って、治してゆく。切ってしまったものが良かったりするかもしれない。手術だって失敗はあるし。残して置かなければならないものを切り捨ててしまったり。余計なものを挿入してしまったり。でも良いと思おう。自分が読んでみて良いと思うならそれで良い事にしょう。明日はもう少し進めたいと思う。出来れば。
2005.08.18
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しばらく外出します。
2005.08.13
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タルコフスキーは肺がんで54歳で亡くなった。40歳頃からタバコは止めるように医師に言われていた。生きていたら74歳。すごく勿体ない。7作だけしか残せなかった。生きていればその倍以上は撮れたのに。来年は2006年で没後20年になる。リバイバルして欲しいと思う。全作品を。タルコフスキーはその短い人生の終りの頃はとても孤独でバッハばかり聴いていたという。前はバッハも聴いたけれどビートルズもとても好きだったらしい。レオナルド・ダ・ヴンチも好きだったけれど、サルバドール・ダリも好きだったという。タルコフスキーのお父さんは有名な詩人だった。そのお父さんのソラリスについての言及が日記に書かれている。「父の定義によれば『ソラリス』は映画ではなく、一種の文学だ。作家の内的リズムの存在、月並な動機の不在、そして物語の展開に特別な役割を演じているディテールの重視―こうしたもののためだという」やはり普通のお父さんとは違う。お父さんはタルコフスキーを上回る人だったらしい。父親に対してコンプレックスがあるとタルコフスキーは日記に書いていた。Mさんのことが気にかかる。今日は何も書いてはいない。後で少し書いてみようと思う。外では凄い雷が落ちた。地響きがした。Mさんがグールドのバッハはくせがあって好きで、とても孤独で、誰にも弾けないバッハという感じがすると言っていた。平均率ピアノ曲集第一集1番のプレリュードはソナチネ1に楽譜が載っていて、とても好きでよく弾いた。簡単そうだけど楽譜に忠実に弾くのは難しい。グールドのは本当に癖がある。初めて聴いた時なんだこれは!と思った。感傷的でない。わが道を行くという感じだった。グールドらしかった。完全に自分のものにしている。確かに孤独で誰にも弾けないプレリュードだ。
2005.08.12
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四十歳になる約1ヵ月前に、夜遅く星を見て、はじめて星を見たような感覚に襲われ、感動し、星が私を圧倒したとタルコフスキーは書いている。前にMさんがソラリス以外のタルコフスキーの映画について、彼の感覚が鋭い為か、わかりずらいと言っていた。その事を思い出す。「・・・いい文章を書くためには、文法をわすれなければならない」 ゲーテ。タルコフスキーはこうして自分のためになるものをいろいろメモしている。ゲーテのこの言葉に共鳴する。読んでいてこんなにためになる日記は初めてだ。書いてあることの全てに意味がある。忙しくて毎日つけているわけではないので、だいぶ絞って書いてあるにせよ、素晴らしすぎる。でも決して難しい言葉や理論を繰り広げているわけではない。ただ感じた事、あったこと、これからの計画、借金リストなどだ。大変な思いをしながら、やりたいことをやる為に生きている人の言葉だから、意味を感じるのかもしれない。だから初めて星を見たような感覚に襲われることが出来るのかもしれない。つまりそれは本当に生きているということなのだろう。多分Mさんに薦められなかったらいつまでもソラリスを観ていなかったかもしれない。タルコフスキーを今でも難しい哲学者のように思っていたと思う。昨日はあまり進まなかった。全部を通して読んでみて、順序を変えたり、新しいエピソードを途中に入れたりした。カットした部分を補う為に。長いものを書くのと、短いものを書くのではまるで違う。それぞれに良さがある。でも短いものばかり書いていても、力はつかない。それに耐え得る力が長く書いていく場合、必要だと思った。短いものだけでは得られないものがある。それは相互に作用すると思う。
2005.08.11
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旧ソビエト時代に映画を撮ることの大変さが良く分る。政府の許可がなければたった一コマでさえ撮らせてもらえない上に、撮ったものにかなりの修正を要求される。その映画の本質が失われそうなほど。それでも良くソラリスを撮ったと思うし、自分の意思を通したと思う。国家がお金を出してくれるけれど、それはひとつも自由がないに等しい。日記を読んでいるととても重要なことが一杯書いてある。いろんなものを吸収して自分のものにしている。Mさんが昨日原作者はかなり不満があったと教えてくれた。どんなに素晴らしい映画だったとしても、原作者というのは気に入らないものなのかと思った。タルコフスキーを知っていてもそう思うのだろうか?作品は制作者の手を放れたら、それは誰のものでもないように思う。冒涜さえされなければ。映画は映画。原作は原作と人は思うのにと思う。短い話は細かい説明を省けるけれど、長い場合にはそうはいかない。やはりある部分では、きっちりと描写しなければならない。そうしなければ原稿用紙で50枚以上なんて書けない。前に一度だけ書いたことがあるけれど、その頃は水で薄めたような話になってしまった。密度がなかった。まだ何も明確でないままに書いていたのだろう。細かい描写があまり好きではないけれど、やってみると段々面白くなってきた。でもあまり懲りすぎると話が進まなくて、とんでもなく長いものになってしまう。だから程ほどにしないといけない。昨日途中で全部投げ出したくなった時があったけれど、なんとか持ち直した。全部始めから書き直したくなった。でももうかなり書いているので、そういう訳にいかない状態だ。それは出てきたのだから。それでやっていくしかないと思い直した。始めに出てきた言葉は肝心だから。それを乗り越えなければ、何も乗り越えられないと思った。例え違う書き出しで書き直したとしても。結局なんとかなった。なんとかなるようになっているのかと思う。投げ出さないで良かったと思う。
2005.08.10
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タルコフスキーは余程兼好法師の徒然草が好きらしい。改めて読んでみたいと思ってしまう。タルコフスキーはとても読書が好きだ。それにバッハが好きで、パリに行っている友人にヨハネ受難曲とマタイ受難曲を持って帰ってくるように約束している。そして早くバッハのその曲集を聴きたいから、出来るだけ早く友人にパリから戻って欲しい、と願っているタルコフスキーは普通の人のようで身近に感じる。「創作意欲が芸術家を生みだすのであり、それは才能のひとつなのだ」日記のタルコフスキーの言葉だけれど、そうであって欲しいと思う。きっとそうなのだろう。短い話は必ず終りが来るので、書き終わった後の後味が良いが、長い話はいつまで書いてもなかなか終わらないから、いつも何かを遣り残しているみたいで、落ち着かない。宿題を沢山抱えた子供の頃の様だ。早く終りにしたい。ある程度のめどはついたけれど、何処を削って、何処を膨らますかが問題だ。何を選んで何を捨てるかが。書いているときは時間を忘れてその世界に生きている。抜け出してからが宙に浮いたみたいになる。本当の自分は誰だろうと思う。どれが本当の自分なのか?と思う。それぞれに自分が入り込んでいる。
2005.08.09
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ソラリスを観てから頭から離れない。ソラリスはすごく考えさせられる映画だった。Mさんが教えてくれた解釈に納得した。タルコフスキーの日記を図書館で見つけた。閉架になっていたのを出してきてもらって借りたら、面白くてどんどん読んでしまう。ソラリスについても裏のことが良くわかるし、タルコフスキーの人柄がわかる。トーマス・マンの「ベニスに死す」を絶賛していた。とても好きな作品なので嬉しかった。親しみを感じる。Mさんに返事を書こうかどうしようか迷ったけれど、その代わりこれを書くことにした。物語ばかりだと息が詰まるので息抜きにもなる。Mさんにはとても感謝している。言葉では表せない。だからしっかりやるべきことはやろうと思っている。それは勿論今の自分のためにも。今ちょっと長いのを書いているけど、それは始め書きたいことを書いていって、おもしろいと思ったことをいろいろ書いていって、まとまりがなかったけれど、それが不思議と繋がりを持ってきた。なんとかなりそうな気がする。何とかしなければ!
2005.08.08
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