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あなたがそこにいるだけであなたが少し顔を見せてくれるだけであなたがほんの一言の言葉をくれるだけであなたがいつか見た光を感じるだけであなたが今生きているというだけで誰かがあなたを想うようにあなたは誰かを想うそして僕はあなたが去っていくこの今を受け止めるあなたは言った もうこれ以上は・・あなたは言った ただ好きでいたいだけ・・あなたは言った 何も言わないで・・あなたは言った ねむれない夜がキライ・・あなたは言った 愛はかわらない・・あなたは去ってゆくけれどそれを止めるてだてもなくただ僕は過ぎて行く風景を眺めるようにあなたを見ていたなんでもない毎日でもつみかさなるとおもいでになるあなたが残した足跡はいつまでも消えずに僕の心はあなたでいっぱいになるあなたはなにも気づかずに通り過ぎてゆくけれど新しい足あとを残す為にあなたは誰かのもとへと急いでいるんだねサクラさん今までありがとう。あなたを想って書きました。感謝をこめて
2005.11.30
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「たまに会う時くらい少しは笑えよな。お前って本当に昔からクールっていうか、少しは話に反応するとか、笑えないなら何とか言えよ」石谷哲生は学生時代からの友人である、山上賢三と仕事帰りに飲んでいた。カウンターだけの店で、主に魚を食べたさせてくれる店だった。哲生は、いつも何を考えているのか分らないこの友人と、かなり長い付き合いであることが不思議だった。賢三は自分から何かを話す、ということがなかった。こっちから話さなければ、いつまででも黙っていた。勿論賢三から何かに誘われた事もなかった。哲生には賢三よりも、もっと身近な友人もいたし、もっと打ち溶け合える友達もいたけれど、何故かしばらく賢三に会わないでいると、つい連絡してしまうのだった。一度むかし賢三に聞いたことがあった。「お前って何か自分からしようっていうのないの?」「人間関係について言っているのかな」「そうだよ、その人間関係についてだよ」「いつも思うのは、僕なんかといたい、って人は思うのかってことなんだ。君が僕を誘ってくれるのが、どうしてなんだか僕にはよくわからない。僕みたいなつまらない奴に」「お前は一人でいる方が好きなんだろ、きっと」「それもいいけど、でもやっぱりいつもひとりだと、それはつまらない時もある」「だったら自分から行動するんだよ。当たり前の事だろう」「当たり前のことが出来ないんだ、きっと僕は」「何だよそれ、子供じゃないんだから、当たり前のことくらいしろよな」「出来るだけそうしてみるよ」それが賢三だった。哲生はそんな賢三を、正直な奴だと思った。多分誰にも今までそんな話を、した事もなかったとも思った。だからついほおっておけなくて、何かあってもなくても、賢三に定期的に連絡をしてしまうのだろう。「そういえばお前、まえに会った時、電車で毎朝逢う女がどうのって言ってたけど、相変わらず進展なしなのか?」哲生はそう言いながら、ぶりのあら煮に箸をつけた。賢三は冷酒を一口飲んで、少し考えていた。「今朝はじめて話した。ほんのちょっとだけどね」哲生はあら煮と一緒に煮てある、味のしみ込んだ大根の熱さで、舌が火傷しそうになりながら聞いていたけれど、慌てて冷酒で舌を冷さずにはいられないかった。「大丈夫?」賢三は哲生の慌てぶりが可笑しくて笑った。「そういう時だけ笑うなよなぁ。もっと違うときに笑えよ」哲生はハンカチで口を押さえながら言った。「何を話したんだよ」「その子が今日に限って降りなかったんだ。いつもの駅で。しかも眠ってしまっていたんだ。だから起こしてあげようと思ったけど、それは出来なかった」賢三はそれだけ言うと言葉を止めた。そして又冷酒を飲んだ。もどかしそうに哲生が「それでどうしたんだよ」「彼女が目を覚ましたのは、丁度僕が降りる駅に着くちょっと前だったんだ。それで彼女、気がついたみたいで、僕に聞いてきたんだ」「何て?言葉を一々止めるなよ、一気に話せよ」「次は何処の駅ですか?って。だから“〇〇三丁目”だと言ったら、分りました、ありがとうございますって言って、笑ったんだ。僕も、どう致しまして、って言って一緒に降りたんだ。それで、間に合いますか?仕事に、って聞くと、電話して遅れますっていいます、って言うから、じゃあ気をつけて、って言って別れたんだ。彼女は又電車で戻る為に隣のホームに行って、僕は改札に向かった」「お前にしてはまずまずだな。その後のことは俺に任せろ。どうしたら一番上手く行くか考えてやるからな」「いいよ別に、自分で何とかするから」「駄目だ。お前はきっと、せっかくのこの幸運を棒に振るから。やり方があるんだよ。ちゃんと」「それより奥さん心配してるんじゃないの。電話したの?遅くなると必ず、僕に次の日確認の電話が入るんだから」賢三はいつになく陽気で、良く話をした。 つづく
2005.11.29
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何でもない日曜日だった。特に晴れてもいなければ曇ってもいない空で特に暖かいわけでもなくて特に寒くもない。朝早いわけでもなくて特に着飾ってもいなかった。ただいつものスタイルで、気持ちも特に変化はなかった。川沿いの大きなガラス窓のある店で待ち合わせをしていた。日曜日はよほどお互いに用事がない限り「ギャラリー」というその川沿いの店で二人は会っていた。現代の前衛的絵画が至る所にひしめき合うようにあって埋め尽くされていた。そして気難しい、やはり前衛的なピアノ曲がいつも流れていた。流れているというよりは、張り合わされた音と言った方が正しかった。不規則で気まぐれで不機嫌で限りなく自由で開放されていた。その「ギャラりー」という店の絵画もその音楽も全て美大生と音大生が持ち込む作品だった。「ギャラりー」の店主が在学中の学生の作品に限り持ち込みを許可して発表の場として無料で提供していた。絵画は一応価格がついていた。売れ残ったものは卒業と同時に持ち帰ってもらった。当然売れることのほうが珍しかったけれど。音楽に関しても在学中は日替わりで流して、卒業と共に本人に返した。作品は前衛的なものに限られていた。とはいっても何が前衛的で何が古典的なのかわが全てが出尽くしてしまったみたいな今日ではわからなくなってはいたけれど。店主の趣向だった。何故二人がよりによってそんな居心地の悪い店で待ち合わせをするのかといえば二人ともあまりそういったことが気にならないからだった。ふつうだったらその音楽にもその絵画にも耐えられなかった。ある人はその音楽に殺されそうだと表現したしその絵画群に突き刺されたと言った。その作品たちはとりあえず人々にショックを与える事には成功しているようだった。でも二人は大きな窓際の席に座って、飽きる事無く窓の外の水が極端に少ない川を眺めながら話しをした。それでもまだ緑も多く悪い眺めではなかった。そしてその店の昼食時のメニューを気に入っていた。客のほとんどは美大生か音大生だった。学生たちは喜んでその店にやってきた。勿論正統派の学生はこない。作品を置かせてもらっている学生とその友人知人がほとんでたまり場のようになっていた。そんな芸術のさなかで二人はまるで場違いだったけれど何も気にしない二人は返ってそんな中にいるとより周りから隔離されたように二人だけの世界を構築できるのだった。「それでその後どうしたの?」「もう帰って来なかった。きっと嫌だったのよ。私といることが」「どうして?いやだったの?」「どうしてかしら・・。多分わたしがこわしてしまったのかもね。あの人はね、もっとわたしにね、期待していたのだと思う」「なにを期待してたの?」「好きだったのよ。でもね、たとえば会う時とてもドキドキしてもう嬉しくて仕方がなくて何もかもがね、素晴らしく見えたりしてつまり幸せすぎてね、それが嫌だったの。そんな状態が。だって先が見えたから。あまりにも好きになりすぎてそれが過ぎると急に駄目になるってあるでしょう。そんな予感がしたの。だからそうならないようにしてしまったの。感情を知られないようにしていた。だからあの人はそのまま行ってしまったの」「随分複雑なんだね」「だからあなたとこうしているみたいに波風が立たないのがいいの」「周りがこんなに激しく波打っているのに?」珍しく二人は店内を眺め、聴こえてくる音に耳をやった。見なれない奇異な絵画に目をやった。そこにいる風変わりな学生たちを見た。窓から見える景色とこの店内はまるで違う世界みたいだった。けれどこの中にいるこの二人はもしかしたら現代的で前衛なのかもしれない。
2005.11.28
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今日S出版社(勿論、新潮社ではない)の人から電話があった。S出版のコンテストに短編集で応募して一次、二次を通過したけれど落ちてしまった。その落選通知と共に共同出版の誘いがあった。いろいろと調べてみるとS出版は多額の費用を出させ売れても印税は無しとか大賞を取った人でさえ増刷しない限り印税がないとか出版したい人の気持ちを逆手に取る様なところがあることがわかった。だから連絡しないでいたら、電話が今日あったのだ。そして一度話しをしたいと言われたけれど調べてみたところ貴社は費用が高額すぎるし落選した人に営業をかけているようにしか思えない、と言った。それでもとにかく一度話がしたいしビジュアル的にも自分のスタイルを打ち出しているので是非製本化してみたいとか言う。そのつもりはないと言って切った。上手い言葉で勧誘していた。個人で自費出版を手がけている方(楽天ブログ・<両国の隠居>さん)がいて38万円で1000冊、しかもちゃんと売れる本とした形で出版するし書店とのパイプもしっかりしているので、売り切ってくれる。勿論1000冊売れればそれだけの印税も入る。それがS社だと80万~150万くらいだという。しかも売るつもりもないらしい。直営の書店に並べるだけ。本が売れなくても、そこでプラスアルファを取っているからただ製本するだけで、儲けているのだ。出す方は大枚を叩いてただ製本できたというだけ。万が一売れても印税もない。それでも出す人が絶えないらしい。短編集を受け付けてくれるコンテストなんてほとんどないので応募したけれど良い経験になった。という訳で駄目でしたが、年に一度くらいはこれからもちゃんとした出版社のコンテストに出そうと思っています。コンテストに出すと思うと書く事への緊張感が違うので。<表紙に使わせてもらった3DのB君へ>
2005.11.27
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この間ばったり前によく行っていたレンタルビデオショップの人に会った。店をいつの間にか閉めていたのでどうしているのかな?っと思っていた。大型チェーンが主流になってしまったために映画好きで映画監督を夢見る人達が経営していた個人のレンタルショップはいつの間にか軒並み姿を消していた。その人の名前までは知らないけれどとりあえずその人を伊東さんと呼ぶことにする。今何をしているのか伊東さんは言わなかったけれど、元気そうだった。これから、神田に行くんだ、と言っていた。元気そうだね、と言うので、まあね、と言った。伊東さんはとてもお話が好きで、自分が撮りたい映画の話とか特に日本映画が好きだったのでこれはという日本の映画を薦めてくれた。特に薦められて観て印象に残っているのはブレイクしたての頃の広末涼子の「20世紀ノスタルジア」という映画だった。原将人という監督の映画で、宮沢賢治の「双子の星」の登場人物のポウセとチュンセから主人公二人の名前をとっていた。ポウセが末広で高校の放送部員、転校生の片岡徹がチュンセで二人は隅田川の清洲橋で運命的に出逢う。けれどチュンセはオーストリアへ行ってしまう。内容は今はもうあまり覚えていないけれどまだ15か16の広末が透き通るように美しく大好きなチュンセを見つめる瞳がものすごくキラキラきらめいて本当にこの男の子に恋しちゃってるのかな?って思ってしまうほど良かった。もう1つ薦められて良く覚えているのは痴漢の話で電車の中なのか、何処かの暗い道でなのかひとりの女の子を痴漢し続けているうちにお互いが好きになっていく話だった。それを伊東さんは純愛映画だと言って是非観るようにと薦められたけれど、それはほとんどブルーフィルムで題名もそれっぽくて思わず躊躇してしまった。その映画を薦められたのには理由があった。何かの話から痴漢の話になった。二十代の頃に住んでいた所には自転車も渡れる舗道橋があってその上で2日間続けて同じ痴漢に同じように後ろから自転車に乗ってこられて通り過ぎる時にお尻を触られた。まさか次の日もそんな事されるとは思ってもいなかったので二度目の時はとても怖いと思った。待ち伏せしていたのかと思うと。いつも大体決まった時間に決まった場所を通って帰っていたので狙らいやすかったのかもしれない。白いシャツに黒いズボンの小太りの男で主婦が乗るような自転車に乗っていた。三日目はいつもの時間よりも早めに帰って、舗道橋の下で様子をみていた。するといつもその舗道橋を通る時間の五分前くらいにその男は現れて自転車で歩道橋を上って行った。腕時計で時間を確かめながら。それを見てぞっとしてしまった。痴漢は現行犯か或は目撃者がいなければ逮捕出来なかった。しばらくはひとりでは帰らないようにした。それからは違う道を通って帰えった。警察には一応行ったけれど捕まらなかった。その話をしたら伊東さんは「それはね、恋しているのと同じなんだよね。ずっと前から知っていてずっと遠くから見ていたんだよ。そしてある日それをしたんだ。そして次の日も。毎日毎日あなたの事を思っていたんだよ、その男は。けれどあなたを失ったとき、彼はきっと悲しみに暮れたと思うね」それを信じることは出来なかった。痴漢というのは触れれば誰でもいいのだと思うし、恋とは違う。それを言うと「あのね、痴漢だって選んでるんだよ。特にね、あなたに起きた事のような場合は」「きっとぼけっとして歩いていて、隙があったんだわ」「そんな人ばっかりだよ。その中で選ばれたんだよ」「やけに痴漢に詳しいですね」と疑いの眼差しで言うと「僕はしませんよ。僕はただそれは映画になるなって思う。僕なら映画にするね。でももうそういう映画がちゃんとあるんだよ。純愛映画と言ってもおかしくない程の作品だから。これは一押しだね。絶対観てよ」と言ってその映画について伊東さんは話し始めた。勿論借りなかった。怖くて観れないそんなの、と言ってしまった。伊東さんは凄く残念がっていた。ジャンルやモラルで決めてはいけないといった。いいものはどんな形でもいいものなのだから、観てから決めないといけないと。とにかくその記憶が伊東さんと偶然会って蘇ってきて、その痴漢の映画のことが気になってしまったのでした。
2005.11.26
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駅前のコーヒーショップは夜の八時を過ぎると空いている。藍子は家まではすぐなのにいつもこの店に寄ってしまう。家に帰るのにここで一息つかないと帰れないのだ。それほど二人の仲は険悪だった。道路越しにアパートメントの四階の自分達の部屋の明りが点いているのが見えると急に気分が悪くなった。もう啓二が帰っていると思うだけで。何故お互いがお互いを求め合っていたのに、それが最大の敵のようになってしまったのだろう。多分それぞれの望む形が違いすぎたのだ。啓二は平凡で家庭的な人が好きで自分だけを見ていてほしくて安心していたかったのだ。自分は自分の好きなことをしても。そして藍子ははじめはそれに合わせていたけれど段々自分が消えていってしまいそうな気持ちになって自分を取り戻す為に何かをしたかった。その何かがわからないままに、取り合えず仕事を又はじめた。啓二は反対だった。そこからお互いがお互いを許し合えなくなっていった。「今日は遅くなるわ」「何でだか知らないけれどいつも遅くなるって言えば済むと思っているみたいだけど本当のところはどうなんだよ」「何のこと?私に何があるって言うの?それはあなたでしょう。今日は明日の重役会議の資料作りで忙しいのよ。そのあとに打ち合わせもあるし」「わかったよ。仕事は大変だね。君も偉くなったし、忙しいのはわかるけれどこの生活に何の意味があるのかって思うよ。」「偉くなんてなっていないわ。ただの何でも屋に過ぎないわ。便利に使われているだけなのよ。でもね、そんな仕事でもそれがなくなったらって思うと怖いわ。私を毎日支えているのは哀しいけれどあなたじゃなくて、そんな仕事なのよ」「僕も君といると疲れるんだ。だから君が好きなようにすればいいよ。僕はしばらく友達の家に寝泊りするから。君も一人でゆっくりしてこれからを考えてみればいい」それが今朝の会話だった。藍子は正直な気持ちとして、家に帰っても誰もいない状態が嬉しかった。救われる気がした。部屋が広々と感じた。藍子はその時にもう駄目なんだということがはっきりした。これ以上は無理だということを。次の日の夜、啓二から電話があった。酷く酔っていた。何を言っているのかが街の喧騒でよく聞こえなかったけれど急に静になって彼の声も大きくなった。「お前が悪いって言われたよ。全てお前のせいだって。お前はわがままで、強引で、冷たいって。そうなのかな?俺がみんなわるいのかな?そうなの?」「酔っている人とは上手く話せないしどうせ何を言っていたのかわすれてしまうでしょう。だから話があるのなら明日酔いが醒めてからにしてくれる?」「酔ってなんていないよ。真面目に聞いてるんだよ。どうなんだよ」「お互いがわるいんでしょう?どっちもどっちだと思うわ」「そう、わかったよ。じゃ」電話を切ろうとしたら又声がした。「君が好きなようにしていいよ。好きな人がいるんだろ?わかってたよ」電話はそれだけいうと切れてしまった。藍子は毎日日記を書いていた。それは現実と想像の世界が入り混じっていたし過去と現在が混合していた。それは日記というよりは創作ノートのようなものだった。啓二はいつかそれを読んでしまった。そういうものを理解できるような感性の持ち主ではなかったからただひたすら現実として読んでしまったのだ。それが啓二のプライドを酷く傷つけた。いくら藍子が説明してもまるで聞く耳も持たないしただ藍子に誰か相手がいるとしか思っていなかった。藍子は啓二に誰がいてもあまり気にもならなかった。人は結局は、やりたい事をするのだから誰かを好きになればそれは仕方のないことだと思う方だった。その気持ちを止める事などできないのだから。心の中は誰も入りこめないし、入りたくもない。だから自分も入ってきて欲しくはなかった。でも啓二は自分は自由を求めて藍子に対しては何処でもずかずかと入ってくるので藍子はそれが許せなかった。日記を読んだのなら黙っていればいい。黙っていられないのなら読まなければいい。啓二にはそれがわからないのだ。啓二に誰かいい人がいることを藍子は知っていた。何も聞きもしないのに、親切に教えてくれる人がいた。きっと藍子が知らないでいることがいけない事のように思う人なのだろう。知らないでいい事もあるのに。藍子は切れた受話器を置くと、啓二がその誰かと今度は幸せになれる様にと願わずにはいられなかった。
2005.11.25
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この映画は二つの話が同時進行していた。1つは殺し屋とその相棒の女の話で、1つは失恋女に恋する男の話だった。レオン・ライという人が殺し屋を演じていた。何度となく観たけれど、金城武が演じる失恋女に恋する男の話をスキップして観ていた。レオン・ライと相棒の女の話の方に惹かれていたから。映画のラストで、殺し屋を失ってしまった相棒の女と失恋女に振られた恋する男がバイクに二人乗りして朝日の道を駆け抜けていくそのシーンにフライング・ピケッツの「Only You」が流れていた。なにかこの曲を基に話が書きたくて書いたけれど歌詞の解釈が難しかった。はじめはよく意味がわからなかった。だから「Only You」を聴きながら何度も原語の歌詞と宮寿陵さんの和訳とを読み続けた。宮寿陵 Lyric Of Love&Life (ご自分の手による洋楽の和訳が多数掲載されています)男の人が女の人を好きな話で、そして彼女と一緒にいたいけれどあまりそれが可能な関係でもなさそう。わかっていた事はそれだけで、あとはよくわからなかった。悩んでいたその夜中に「トニー滝谷」という映画を観た。坂本龍一の悲しげなピアノの曲がずっと流れていて宮沢りえの儚げな美しさがひときわ冴えていた。トニー(イッセー尾形)はとても宮沢りえを愛していたし彼女が必要だった。彼女もトニーを愛していたのかもしれないけれど、どこか淋しげだった。この映画を観てこの映画の事がしばらく頭から離れなかった。原作とほとんど変わりがなかったし何か大それた事が起こる話でもなかったけれどこれは孤独についての話だった。金城武と殺し屋の相棒の女も孤独だった。金城武は最愛の父親を亡くしてしまったし女も殺し屋を死に追いやってしまった。それは自分をおいて足を洗おうとした愛する男(殺し屋)への復讐のためだったのだろうか。そんなことを思っているうちにだんだん「Only You」の歌詞のイメージが浮かんできた。何故か。解釈はいくらでも勝手に出来るから、何が正しいのかはわからない。詩を書いた人でなければ。書いた本人も意外に思いついた言葉を並べただけなんていう場合もあると思うし。言葉を並べていく「詩」というのはおもしろい。それは読む人の感性できまるから、自由に読める。「どうぞ、ご自由に」って感じで、書く方も書いていると思う。(自分の場合はいつもそう)だから勝手に自分の思うままに解釈して、話を作ってみた。
2005.11.24
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昔男は都会暮らしに何の不自由も感じていなかった。好きになった女は簡単に手に入ったし愛なんて大して重要なものと思ってもいなかった。親から譲り受けた土地は今ではゴルフ場になっていた。その隣に男の屋敷があった。今は昔のように都会に行くこともない。今はただこの緑豊かな土地を愛していた。そして窓を眺め、地平線の彼方を眺める日々をおくっていた。昔たった一人だけ、男を拒絶した人がいた。男はその人を特に美しいとは思わなかったし特に所有したいとも思わなかった。ただその人はいつも男を待たせたし、いつも慌しく生きていた。あっちの店、こっちの店、遠くの町、遠い国へ演奏するためならどこへでも行った。その人はただ、自分がピアノを弾くことだけで生きていたい人だった。それ以外のことは出来なかったし、したくもなかった。弾くものもなんでも良かった。まるでこだわりというのがその人にはなかった。というよりもこだわれなかったと言った方が良いのかもしれない。だからその人に必要なのは、愛してくれる人よりも、演奏させてくれる店であり待っていてくれる人よりも、コンサートホールで演奏させてくれる人だった。男には財産があったから、その人にはなんでもしてあげる事ができたけれどその人は男からは何一つ受け取りはしなかった。生き方が違うといった。それはわたしの生き方ではないと。それは男がはじめて女から受けた拒絶だった。一度地方へ行ってしまうといつ帰ってくるかわからなかったしやっと会えてもまた直ぐ次の日にはどこかの国へ行ってしまったりした。男はそんな人の事を忘れようとして、またいつものように違う女を捜したけれどどの女にももう前の様な感情を抱けなくなっていた。一緒にいてもついしらけてしまうのだ。ネオンや騒がしい音楽も、洒落た街並みももう輝きを失って見えた。その人がしばらくして帰って来たとき、初めてその気持ちをその人への想いを伝えたけれどわかっては貰えなかった。あなたにはあなたに合った人がいるはずだと言われた。「どうすればいい?」と男は聞いた。「一体どうすれば君はわかってくれるのか・・」「もしわたしが疲れてどこかで倒れたりもうとても土座回りのような生活が出来なくなったら少しだけ休ませてもらえるようなところがあればって思うの」「それはいつ起こるの?」「それはわからない。一生ないかもしれないし、明日かもしれないし」「いつになるかわからない日を待って僕は暮すのかい?」「違うわ。待つ必要なんてないのよ。あなたはあなたの好きなことをすればただいいだけよ」「君が倒れた時、僕が何処かへ行っていたり違う誰かと暮していたりしてたら?」「あなたに頼んだわけではないのよ。ただそういう場所があればって言っただけ。もう時間だわ。そろそろ行かなくちゃ」それが最後だった。その人は何処かの国の、何処かの街で、その何処かの病院で・・。何があったのかはわからなかった。誰も何も言わなかった。ただ命が尽きてしまったという事だけだった。それを男が聞いたのは、かなり経ってからだった。それを教えてくれたのは、その人がよく演奏していた店のオーナーたっだ。男はただ夜の街を歩いていた。何も考える事は出来なかった。それが事実であるのか、ないのか、わからない気がしたし何かを見た訳ではなかったから、信じようもなかった。その時その曲が聴こえてきた。街角で四五人の男ちたがアカペラで歌っていた。誰の曲かは知らないけれど、頭から離れなくなるような曲だった。今までの全ての彼女の記憶が次から次へと浮かんでは通り過ぎていった。まるで彼女と街でばったり会ってしまったような気持ちだった。その曲が終わるまで男はそこを離れなかった。そして聴き終えると、題名と歌っているグループの名前を教えて貰ってとんでもない額のお金を置いてきた。男はそれから何度も何度もその曲を、その歌詞を聴いた。その中に彼女の面影を追い求めていた。けれど全ては閉ざされたドアの向こうの事のように思えるのだった。Only You 高い窓から見ている まるでラブ・ストーリーのよう聞こえているかい?ほんの昨日、帰ってきたのに遠く離れた所に行ってしまうそばに居たくないかい?僕が必要だったのは君のくれる愛だけ僕が必要だったのはもう一日僕にはずっと分かってた君だけなんだ時々、君の名前を想像するけどそれは単なるゲームで僕には君が必要なんだ君が口にする言葉を聞いているだんだん居るのがつらくなってくる君に会うと僕が必要だったのは君のくれる愛だけ僕が必要だったのはもう一日僕にはずっと分かってた君だけなんだ僕が必要だったのは君のくれる愛だけ僕が必要だったのはもう一日僕にはずっと分かってた君だけなんだ長い時間がかかりそう何が自分の物なのか分からないこれ以上、無理だよ君が理解するか分からないけどそれはまさに君の手の感触閉ざされたドアの向こうの僕が必要だったのは 君のくれる愛だけ僕が必要だったのは あと一日僕にはずっと分かってた君だけなんだtranslation by Miya_Juryou 宮 寿陵 Lyric Of Love&Life より
2005.11.23
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家の近くの商店街にあるとんかつ屋さんへ夜行った。よく行く店。カウンター席の奥には座敷がある。その店は古い木造で、灯りは球体型の提灯で、ほんのりとしている。カツを揚げるジューッという音が静かに聴こえる。その店はとても安価でありながら、素材も良いし、揚げ方もいい。ご飯も漬物もとても美味しい。翁という表現がぴったな主人と奥さん二人で切り盛りしている。座敷に座って待っている間に本を読んでいたけれど向かいに座っているカップルの声がよく通るので嫌でも話が聞こえてしまう。本に集中しようと思っても、まるで出来なかった。だから諦めてその二人の話をなんとなく聞いていた。四十代はじめくらいの女性と、同じ年頃の男性だった。女性は黒髪のショートボブヘアで、顔が小さく鼻筋が通っていて、メイクも上手な美人だった。小柄でほっそりとしていた。白と黒のストライブの棒タイのブラウスを着ていた。そのブラウスは彼女にとてもよく似合っていた。けれど彼女の最も魅力的な部分はその声だった。低音と高音、甘え調子と知的な感じを上手に使い分けていた。本人は意識していないのかもしれないけれど。男性の方は俳優の浅野忠信そのものという感じだった。男性の方も声がよく通る。二人はお互いに結婚していて、それぞれにまだ10歳未満の子供がいた。彼の方は海の近くに住んでいるようでスキューバーダイビングが趣味だった。仕事はわからなかった。彼女の方は、エンジニアという表現をよく使っていた。何のエンジニアなのかは知らないけれど引き抜きがどうとか言っていた。彼女は彼に自分の夫について何か話をした。すると彼は「男は狩猟民族の血が騒ぐから仕方ないんだよ」と言った。それに対して彼女は「日本は昔から農耕民族のなに?」と言った。彼は「日本でも農耕の前は狩猟をしていたんだ。大昔はユーラシア大陸と日本は地続きだったんだよ」と言った。彼の父親が、種は聞き取れなかったけれど餌を毎日あげないと死んでしまう鳥を昔まだ彼が子供の頃飼っていた。父親は物凄くその鳥を可愛がっていた。だから誰にも触らせず、自分だけで面倒を看ていた。けれど父親が出張で家を空けることになった。留守の間父親はキツく母親に面倒を看るように言ってそのやり方を教えた。けれど母親は、それにもかかわらず餌をやり忘れ鳥は無残にも死んでしまった。狼狽した母親は早速デパートに行って同じ鳥を買って来た。彼は子供ながらにそれは絶対に父親にばれると確信していた。母親は、一か八かよ!と言った。そしてとうとう父親が帰ってきた。二人は息を飲んで、父親の一挙手一投足に注意した。鳥かごへ向かう父親を息を呑むように見守った。父親はしみじみ鳥を見つめていた。二人の心臓はドキドキと強い音をたてていてそれが父親に聞こえはしないかと、ハラハラさえした。今にも父親が「なんだこの鳥は、違うじゃないか!」と怒り狂うのを想像していた。ところが父親は何も気がつかずにそれからも可愛がり続けた。「馬鹿だろう、うちの親父って」「あなたのお母さんって、中々やるじゃない?」「お袋も必死だったんだろう。親父は怒ると始末に悪かったからな」しばらく二人はその事について笑い合っていた。とても楽しそうだった。二人は学生時代からの友人のようだった。彼が東京に来ると二人は会っている様だった。それから二人はお互いの子供について話をした。話が途切れると、二人はお互いの顔を見つめ、微笑み合っていた。二人はある一時期、多分かなり親しい関係にあったのではないかと思われる。けれど今は友人関係に留まっているというように見えた。笑い合うしぐさとか、その見つめあう視線は、全てを物語る気がする。あまりに二人の話が聞こえすぎてつい話しに引き込まれ食事に来たのか盗み聞きをしに来たのか、わからない夜だった。
2005.11.22
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斜めに夕日が差していた。ただ僕は何もせずに、テーブルを挟んで目の前にいる君を見ていた。君は目薬を差していた。そのしぐさが何故か僕には君らしくない色気を放っているように見えた。どうしてそんなことを思ったのかはわからなかった。ただ今まで見た事もない君がそこにいるみたいだった。ぼくの知らない一面を君は無防備に見せてしまったみたいに。でも君はまるでそんなことはお構いなくなにみてるのよ、と言う。なにかへんかしら?わたし・・なんでもないんだ、ただ君が別人みたいに見えたから。君は冷蔵庫を開けて牛乳を出してきて、コーヒーに入れて飲んだ。そして昨日誰かが持ってきたクッキーの箱から1つつまんで食べてみる。そして肘を立ててあごを乗せて、考え事をする。まるで僕が目の前にいないみたいに君は自分だけに決められた時間の世界で動いているように見える。いつから君がこんなに遠くになってしまったのだろう。目の前にいる君の一体何を僕は知っていると言うのだろう。君の靴のサイズも、君の今好きな食べ物も、君が読む本も、音楽も、君が付き合っている友達さえ僕ははっきりしたことを言うことが出来ない。ねえもう真っ暗よ。灯りつけたら?そうだね、気がつかなかったよ。あなた何だかへんよ。なにかあったの?べつにないさ。ただ君の事考えていたんだ。何も知らないなって。あなたの事だってわたしよく知っているわけではないわ。今さら何よ。そう今さらなんだ。今さら何を言ってるんだ。もうとっくに何もかもが消えてしまっているのに。君はわかっているんだね。ただ毎日を誤魔化していきているだけで。部屋の灯りをつけることで全てがリセットされるわけではない。ただ明るくなるだけだ。君がもう全て終わりにしましょうと言う日が来ても僕にはそれほどおかしくは思えなかった。
2005.11.21
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この頃ずっとこの話が頭から離れないでいた。いつか書こうと思いながらも、中々頭の中で纏まらなかった。シカゴの曲に「愛ある別れ」というのがあるけれどこのタイトルがこの話にはぴったりだった。大した話じゃないのかもしれないけれどよくあるお話に過ぎないのかもしれないけれどその時のその二人はとても真剣だった。みんなは笑っていたけれどあの二人にとってみたら世界の終りみたいだったのだと思う。愛し合っていながら別れるということはそういうことなのだろう。中学1年の頃のことだった。サッカー部の部長で、生徒会長のムラタ君という人は随分古いけれど「草原の輝き」という映画の頃のウォーレン・ベイティと「波止場」の頃のマーロン・ブランドを足して二で割ったような甘いマスクの人だった。いろいろな例えを考えたけれど、この二人以外は浮かばなかった。最近の俳優では例えられなかった。性格も良くてとても親切だった。2才上の兄とムラタ君は同級で私がまだ中学に上がる前には、よく家に遊びに来ていた。だからムラタ君は私のことをちゃん付けで呼んでいた。部活の後水飲み場で会ったりすると「〇〇ちゃん、練習きつそうだね」とか「体育館閉めっぱなしで練習して暑くない?」とか話しかけてくれた。私はバレー部に所属していた。1年生の女子の間でもとてもムラタ君は人気があった。でもモテる男の子が持っているような浮ついたところとか意識しすぎて格好をつけているようなところもなかった。彼はごく自然体だった。そしてとてもひとりでいることが似合う人だった。三年になってからはサッカー部の中にいる時以外はほとんど一人でいた。どこかが違っていた。自分の世界があって、ひとりでいる時はその世界を彷徨っているように見えた。その世界と共鳴し合える世界を持っている人がいなくてひとりでいることを好んでいたのではないかと今あの頃を振り返り、そう思う。その頃私と仲が良かった友達は同じクラスで部活も一緒のアキコという子だった。アキコは小柄でいつも飛び跳ねているように見えるくらい元気一杯の子だった。父親が何処かの大学病院の医者で、お母さんが教育熱心だったから頭が良くて理屈っぽかった。そして直ぐに怒るタイプだった。でもとても可愛いところもあって、何故か私をとても好いてくれていた。夏休みからはほとんど彼女と行動を共にしていた。二学期が始まって間もない頃、ムラタ君と昼休み職員室の前でばったり会った。彼は用事を済ませて帰るところで、私はこれから担任に話をしに行くところだった。担任との話が済んで職員室を出ると、ムラタ君が待っていた。ムラタ君は職員室から少し離れたところにいた。「ねえ、いつも一緒にいる小柄な子いるでしょう?」「部活も一緒の子ですか?」「そう、そのこ、なんて名前?」「シタラアキコっていいますけど」「シタラさんていうんだね。そっか、あのね、実はね、シタラさんと一度話がしたいのだけれど上手く伝えてくれるかな?」「うまくですか?つまり、アキコが好きってことですか?もしかして」「そうなんだ。実は彼女の事前から可愛いって思っていて、でも中々言えなくてそれで今たまたま〇〇ちゃんに会ったから、思い切って話したんだけど」と言ってムラタ君は一人で照れていた。だから「そういえば、アキコもいつもムラタ君のこと、カッコイイとか言って騒いでいますよ」と付け加えると「え、ほんとうに?」なんて言って喜びを隠せないくらいに嬉しそうにしていた。「アキコにはちゃんと言っておきます。アキコがOKだったら、ムラタ君に知らせますね。多分OKどころじゃなくて大喜びだと思いますけど」実際アキコは信じられないほどの喜びようだった。「夢見たい!」というのがアキコの第一声だった。早速にムラタ君に部活の後水飲場でアキコがOKだと知らせると彼もアキコとおなじように「夢みてるのかな?俺」と言った。同級生だったらほっぺたをつねって夢ではないと教えてあげたけれど。それから二人の交際が始まった。今までいつも一緒だったアキコはムラタ君と暇さえあれば一緒にいた。昼休みに二人はよく屋上で会っていたし、帰りも一緒に帰っていた。そして休日も一緒だった。とても仲が良くて、はたから見ているとこっちが恥ずかしくなるくらい二人とも幸せな気持ちで一杯だった。ムラタ君は同じ学年の女子にも人気があったから1年の小娘にムラタ君を奪われた3年女子はそのやり場のない憤りを二人にぶつけていた。「馬鹿じゃないあの二人」「ムラタも馬鹿みたい」という非難を浴びせていた。そしてアキコと同級生の女子もアキコが許せなかった。「何でアイツなの」と。二人が幸せであればあるほど、周りは非難をして、二人を馬鹿にした。そして無視した。アキコはみんなに話しかけてもみんなはまるでそこにアキコがいないように振舞った。私以外の女子と話をする事が出来なくなっていた。アキコの前でみんなはムラタ君を馬鹿にするような事をわざと話した。その内容も聞いていて嫌になるくらい酷かった。「もうやめなよ。そんな話。ちょっと酷すぎるんじゃない」と言っても、みんなは笑って話し続けていた。アキコに気にしちゃ駄目よ、と言ったところで気にしない訳もなかったしみんなはまるで悪い事をしているという実感もなかった。自分たちが正しいと思っているのだ。言われるような事をする方が悪いと。集団になると訳のわからない理論が成立してしまうのだ。それが余計に二人の結びつきを深めていった。けれど二人からは笑顔は消えていた。二人はいつも悲しそうだった。アキコはいつも泣いていた。それをムラタ君が慰めていた。アキコとはよく電話で話した。学校ではあまり話す時間もなかったしムラタ君との話を学校ではしたくなかったみたいだった。自分のせいでムラタ君まで酷い事を言われているのが耐えられないと。自分はいいけれど、自分の好きな人がそんな目に合うことは嫌だと言っていた。だから別れた方がいいのではないかとこの頃思うようになったと。そしてムラタ君からも電話があった。「アキちゃんが可哀想だから、話を聞いてあげてくれる?頼れるのは〇〇ちゃんしかいないから。何かしてあげたくても何も出来ないしもっと俺がしっかりていればこんなことにはならなかったんだけど」と元気のない声だった。ムラタ君のお父さんは何をしている人か忘れたけれどとても偉い人で受験もあって志望校もとても高いところを目指していたからアキコとの事と勉強との両立で大変だったと思うけれど彼は何があってもとても落ち着いていた。けれど運命は二人を引き離す事に何のためらいもなかった。アキコの父親の仕事の関係でアキコの一家は横浜に引っ越すことになった。年が明けて、一月の終わりごろが引越しと決まった。東京と横浜なんて大した距離ではないけれど、その頃の二人にとっては北海道と沖縄くらいの距離感だたのではないかと思う。隣の学校に転校しただけでも、世界がガラッと変わってしまう年頃だった。引越しが決まった時それを言いに夜、家にわざわざアキコが来た。私の顔を見るなりいきなり泣き出して、それからずっと泣いていて涙が引いて、笑顔が戻ってから帰って行った。親と引越しの事で口論して家を飛び出して来たのだった。とにかく二人が幸せだったのはほんの一時で後はもうひたすら悲しい事ばかりだったけれど純愛ってそういう宿命なのだろうか?と思う。カゲロウのように短命なのだ。そして幸福感が大きければ大きいほど、悲しみはより深くなる。アキコは最後に私との思いでも作りたいといってくれてその頃「ベルサイユの薔薇」が流行っていてアキコがどうしても一緒に観たいと言ってチケットを取ってくれて、冬休みに二人で宝塚劇場へ観にいった。そして一緒に食事して家に泊まってくれた。その時のアキ子は本当に楽しそうだった。ムラタ君と付き合うようになってからアキコはムラタ君との時間を大事にしていてでもそれは仕方のないことだと思っていたけれど最後にこうしてアキコが私との友情を思ってくれたのがとても嬉しかった。アキコが引っ越す直前の日曜日に二人は最後に会っていた。そして二人で家に挨拶に来てくれた。その時二人はもうどこかでふっ切れていたのか、笑顔で楽しそうだった。アキコが横浜に越してから長い手紙が届いた。そこには「結局二人はお別れしました」と書いてあった。新しい人生をお互いが生きる決意のようなことが書かれてあった。それを読んで、大人だと感じた。二人の思い出は消えない。二人が一緒にいることがもう不可能ならばこれからをお互いが精一杯生きてその先にもしまた出会うことがあればそれでいいしもし出会わなかったとしてもそれは仕方がないことだと書いてあった。苦難を乗り越えての二人の人間としての成長と大きさが見えた。アキコがいなくなってからもムラタ君はいつもと変わらなかった。心の内がどんなだったのかはわからないけれど。
2005.11.20
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戸張りは帰りの電車の中で、自分が夏子に言った言葉を思い起こしていた。何故あのような言葉が自分の口から出てきたのかが不思議だった。「今日のことは無かったことにして下さい」と夏子に言われたことが引き金だった気がする。それは自分の頭にあった言葉だった。夏子に言われるまでもなく、戸張自身も思っていたことだった。そしてさらに追い討ちをかけるように夏子は「はじめからお互いに何の感情もないのに、会うって事が不自然だったのだと思うのです。」と言った。それも戸張も考えていた事だった。なのに「そうですね。あなたの言うとおりです。では、さようなら」という気持ちにはなれなかった。むしろそれとは反対の気持ちになっていた。初めは何も無かったかもしれないけれど、夏子とのこの奇妙な時間は戸張にとって決して居心地の悪いものでも無かったし、嫌な気もしなかった。でもだからと言ってそれ以上のものがあるわけでもなかった。夏子に今日のことは無かったことにして欲しいと言われたことで戸張のこころに仄かな火が灯ったのだ。それは燃え上がるような炎ではないにしても突然ポッとこころに火が点いたのだ。このままただの同じアパートの住人に戻りたくは無いと思った。夏子が明日になればこのことを忘れると言ったけれど戸張は決して忘れないと言った。夏子のこころに何かを残したかった。その気持ちがきっと、なんでもっと早くにあなたに気がつかなかったのだろうと戸張に言わせたのだ。その時、夏子の瞳が僅かに光を放したように戸張には見えた。夏子のこころに戸張の言わんとすることが伝わったのだろうか。そうであって欲しいと思った。電車に揺られながら、窓の外の暗い景色を何気なく見ればそこはもうかなり戸張の降りる駅を過ぎていた。自分らしいな、と戸張は独りつぶやくのだった。夏子はあれから戸張に会っていなかった。高田松代にはとりあえず会ったことだけを告げたが松代はもう戸張と会ったらしく「眠ってたんだって、あの男。しょうがないわねそんなんだから女の一人も出できないのよって言ってやったのよ。あんたに振られたって言ってたわ。だから当たり前よって言ったの。悪かったわね。あんな男紹介して」「いいえ、私も眠ってしまったんです。だから戸張さんだけが悪いわけではありません。それに私がふっただなんてお互いに気持ちが無かっただけです」「そうかしらね、あの人かなりショックを受けてたって感じだったわよ。夏子さんに悪いから、引っ越した方がいいとか言い出してさだからそこまであんたの事なんて、向こうは気にしてないわよって言ってやたけど」「そんな、とにかく、私のためにわざわざ引っ越される必要は無いとお伝えいただけますか?」「いいわよ。あの人なるべくあんたに会わないように気をつけてるらしいから。とにかくあんたに気を使ってるのよ」夏子は戸張に対して少し、つれなさ過ぎただろうかと思っていた。悪い人ではなかったのだから、もう少し柔軟な態度をすれば良かったと思った。戸張もきっと夏子と同じでただの義務のような気持ちで来ていると思っていたし食事に誘われたのも、義務的な行為だと思った。だから断ったというのもあるから、その後になにを言われても態度や調子を急に変えることが出来なかった。
2005.11.19
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映画のポスターというものがまだ十分社会に適応していたころのことだった。いつも通る道の塀は、映画のポスターの貼り場所となっていた。大体毎日そこを通るからいろんなポスターがかわるがわる貼られていたのだろうけれど鮮明に記憶があるのは、その二つの並んで貼られたポスターだけだった。後はどんなものが貼られていたのか、全く記憶がない。その並べて貼られた二作品のインパクトが強すぎて他の記憶が消されてしまっているのかもしれない。その作品とは、大島渚の「愛のコリーダ」とルキノ・ヴィスコンティの遺作「イノセント」だった。愛のコリーダ」のポスター自体がほとんど目隠しされて見れないような状態だった。見える部分には何カ国かで上映禁止になっているというような表示がされていた。一体どんな映画なのかと物凄く興味を覚えた。何故こんなに隠されているのかがとても不思議だった。「イノセント」のポスターには「ヴィスコンティの遺言」と書いてあった。ポスターの写真はラウラ・アントネリという艶かしい女優の全裸に近いものだった気がする。それを見て、何が遺言なのだろうと思った。それは高1の初め頃のことだったと思う。その頃は「愛のコリーダ」の原案になっている阿部定事件も知らなかったしヴィスコンティの「イノセント」を知るほど大人でもなかったし「イノセント」もラウラ・アントネリの全裸シーンがあって映倫に引っかかっていたのも後に知った。二作とも未成年は見てはいけないことになっていた。だから、二作ともポルノ映画だと思っていた。けれど大人になってから観れば、二作とも芸術性が高い作品だった。確かに際どい線ではあったけれど。二作に共通しているのはポルノ的要素と人間というものの闇が描かれている点だった。「イノセント」ではジャンカルロ・ジャンニーニが「愛のコリーダ」では阿部定がとても暗い闇を持っていた。光輝くような人の近くには、その輝く人の影=闇を背負った人がいるのではないかと思う。それは個人を超えているような気がする。人と人は共鳴し合っているのではないかと思う。いい意味にも悪い意味にも。いい影響も伝染すれば、悪い影響も伝染する。昔の人はその事をとてもよく知っていて、生活の中で、集団の中で何かしら工夫をしたり、神頼みをしたりしていたのではないだろうか。勿論昔の悪い習慣も沢山あるけれど。「地獄の黙示録」に使われた、ドアーズの「THE END」も闇を思わせる。この映画自体が「闇の奥」というコンラッドの小説世界を描いているのだからそれも頷けるかもしれない。
2005.11.18
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山科夏子は今朝も前から三両目の車両に乗り込み、進行方向に向かって左側の一番目と二番目のドアの中間辺りのシートに腰を下ろした。そこに座る事は習慣になっていた。それには理由があった。夏子がいつも乗る駅の次の駅から乗り込んできて、決まって夏子の目の前に立つ男の人がいたからだった。年頃は多分夏子とほぼ同じくらいに見えた。いつも少し不機嫌そうな顔をしていた。混雑した電車に乗っていれば誰でもそんな表情になるけれど。夏子が乗る駅は始発駅だからほとんど座れるけれど、電車が出るころにはほぼ満員状態で次の駅からは誰も降りずにただ乗り込む人が増えるばかりだった。夏子は大体下を向いて目を閉じているか、文庫本を読んでいるかのどちらかだった。夏子はとても固い職場にいたので、紺とかグレイのスーツに白のインナーコート類も至ってシンプルなデザインのものでやはり同じような色のものを着るように心がけていた。靴とバックは黒にしていた。髪形もストレートで肩よりは少し短めにして、髪が顔にかからないように気をつけていた。まるで新入社員や、大学生が会社説明会に行くようなスタイルだったけれどそれが決まりだった。政府のある機関に関係する職場だった。あまり公に出来ない内容を含む特殊な会社で、ほとんどがその機関の関係者で成り立っている会社でありその縁故関係にあるもの以外は事実上入社できなかった。夏子の母方にその機関関係者がいてどうしてもというので仕方なく夏子はその会社に短大を出て入ったのだった。仕事は本当にこま使いの様だった。とにかく一日に多くの来客があった。後は電話もひっきりなしにかかってくる。そして会議室の準備。それで一日があっという間に終わってしまうほどいそがしかった。つまり夏子あたりにはこの会社の内情などは知ることはできなかった。それにこれは会社などというものではなかった。連絡場所あるいは打ち合わせ場所として使われていた。表向きは事務用品を取り扱う会社となっているけれど、公的機関、民間のあらゆる要人が出入りしていた。夏子は毎朝決まって目前に立つその人を実は密かに気に入っていた。夏子のこのリクルートファッションとは違い、その人はラフなスタイルをいつもしていた。夏子はもっとその人をよく見たいとは思うのだけれど、あまり見ることは出来なかった。勿論ジロジロとは見れないにしても、ちょっと見るくらいなら出来るはずなのに意識しだすとまるで逆に見れなくなってしまうのだった。毎朝降車するときにはその人の脇を通らなければならない。しかもとても混んでいるので降りる為に立ち上がるとその人とほとんど同じ視線で立って向かい合う事になるので物凄く緊張するのだった。その時ももうひたすら下を向いてその人の直ぐ脇を通りすぎてドアへと向かうのだった。土曜日の出来事は悪夢の様だった。全てを消し去りたかった。高田松代の言うことなんて聞くべきではなかった。けれど最後の戸張の話は少なからずとも、夏子の心に思いがけない痕跡をのこしたのだけれど・・。夏子が目覚めると戸張赳夫はとても申し訳なさそうに謝って、自分が眠ってしまった事を夏子に詫びて夏子がマウンテンバイクで来たことを知ると、更に済まなそうにしていた。戸張は仕切りなおしに食事でもと誘ってくれたけれど帰るのに二時間近くもかかるしもうそんな気もなかった。お互いが眠ってしまうような間柄ではこの先何も生まれないというのが夏子の結論だった。それに夏子には電車の人がいたし、それは発展する確立は皆無に等しいけれどでもこころにその人がある限り、戸張の入り込む隙間など微塵もなかった。もっと違う展開だったら少しは変わったかもしれないけれどどう考えてもこれではお互いどうしようもなかった。だから夏子は今日のことはなかったことにして欲しいと言った。そして自分から高田松代には話をする旨を伝えた。戸張は少し考えてから表情を変えずに言った。「わかりました。あなたのおっしゃりたい事はよくわかります。今日のような日に約束をして、ちゃんと連絡が私の方であなたにつけばわざわざ大変な思いをしてまでここへ来ていただくことはなかったのです。そして来てみたら私が眠っていたでは、あなたも嫌になる気持ちはよくわかります。あなたが疲れて眠ってしまったのは仕方のないことです。ただあなたに何かお詫びをしたいのです。それももう嫌とおっしゃるのなら諦めますが」「あなたが嫌というよりもはじめからお互いに何の感情もないのに会うって事が不自然だったのだと思うのです。ですから、あまり気になさらないで下さい。私はよくバイクで遠出とかしますので。これからも同じアパートの住人として宜しくお願いします」「・・・わかりました。でも一言だけ言わせて下さい。眠ってしまったのは迂闊でした。けれど今日同じテーブルであなたは眠っていた。私は目覚めてからずっとあなたの隣にいた。初めは落ち着かなかったけれど、だんだん気持ちが落ち着いてきた。そして私には何かが起こったのです。ここへ来た時の私と今の私は違う私です」「でも大丈夫です。明日になればあなたもきっとこのことを忘れます」「私はわすれない。明日になっても。起こってしまったことはもう元には戻せないのです」「おっしゃる意味がよくわかりませんし、それほどのこととは思えませんけれど。とにかく失礼します」「何であなたにもっと早く気がつかなかったのかと思いました。遅すぎたのかもしれませんね。あなたを怒らせたのでしたら謝ります。私の話を聞いていただいて、それで十分です。では気をつけてお帰りになって下さい」それだけ言うと戸張は夏子が出発するまで黙って見送った。
2005.11.17
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元気ですか突然だからきっと君も驚いている事と思います。僕も信じられないけれどこうして君に手紙を書いている僕がいる。君はきっと今更何よって思うんだろうね。当たり前かな。そう思われても。それはそうだよね。君に何も言わずに僕は、ここへ来てしまったのだから。君はきっとそんな僕の気持ちをわかってくれると思っていたんだ。あの時君に説明する事が何故か出来なかったし説明なしの方がむしろ言葉を並び立てるよりは潔い気がしてさ。きっと君は長ったらしい説明なんて聞きもしないできっとただ一言「わかったわ」って言うと思って。君が今一緒にいる人が誰だか僕は友達に聞いて知っているけどいい奴で良かったと思ってる。僕は相変わらず一人だけど。何て言えばいいんだろう。今日雨が降っててさ、そして月曜日だった。君はいつも雨が降る月曜日が、大嫌いって言っていたでしょう。もの凄い雨で、でも出かけなくちゃいけなくて月曜日だから会議もあるし、でもあまり仕事も上手くいってないからきっと責められるのはわかっているし休んでしまいたかったけれど仕方なく行ってさ、何とか誤魔化してきたけど。君がよくぼやいていた時は、だらしないななんて非難してたけど今の僕はあの時の君の気持ちが良くわかるよ。何もかもが上手くいっているときって、人の気持ちなんてわからないもんなんだね。仕事はね、それがしたくてこんなところまできてしているのだから今は駄目でもきっといつかは上手くいくと思う。積み重ねていけばね。でも人の気持ちはどうにもならないね。家に戻ってから僕はどうしてもあの曲が聴きたくて、ずっと聴いていたんだ。そしたら無性に君に手紙が書きたくなって。そして今こうして書いている。あの曲を聴きながら書いているとね、まるであの頃のきみがいるみたいで。そしてあの頃の僕も。だから君に、きっともう忘れてしまっていると思うからあの曲の歌詞を書いて贈ります。僕たちが残した大切な日々を無造作に置き忘れ取り戻せないあの頃を今再び取り戻そうと空しく振舞う僕という形をした孤独なピエロより・・ Rainy Days And Mondaysひとり言をいいながら 年をとったって感じるの時には、そんなこと終わりにしたいと思うの何ひとつ しっくりするものが無いみたいよぶらぶらする何もせずに顔を曇らせる雨の日と月曜日はいつも気を滅入らせるこういう感情を 昔の人はブルースと呼んでいた何かとてもひどいことがある訳ではないのただ感じている 居場所がないと歩き回る言わば孤独なピエロ雨の日と月曜日はいつも気を滅入らせるおかしいけど 私はいつも結局ここであなたといるみたい分かるっていい事よ 誰かが私を愛してるっておかしいけど する事ってこれだけみたい走って見つけるの 私を愛してくれる人を私が感じることは 以前にも 浮かんでは消えていたのそれを説明する必要はないでしょ私たちはそれについて全てわかっているんだからぶらぶらする何もせずに顔を曇らせる雨の日と月曜日はいつも気を滅入らせる(和訳 宮 寿陵 Lyric of Love&Lifeより)
2005.11.16
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戸張赳夫は夢の中で電車に乗ってうたた寝をしていた。それも、つり革につかまったままの立ち姿でうとうとしていた。そしてまるで階段を踏み外したように、がっくと身体が急に落ちて、目覚めた。するとそこは電車の中ではなくて、青山のカフェテラスだった。その事に気が付くまで暫く時間がかかった。同じテーブルには女がいて、その女はテーブルに伏して眠っていた。その女が山科夏子だということさえしばらく思いつきもしなかった。やがてバラバラになっていたジグゾウパズルが組み合わされていくように、その全貌がゆっくりと鮮やかに蘇ってきた。夏子を待ている間に迂闊にも眠ってしまったのだ。そしてその夏子まで眠ってしまっている。何ていうことだろう。初めて自分の周りを眺めてみると、呆れた顔をして、誰もが戸張を見ていた。そしてその彼らの視線は戸張から徐々にまだ眠り続けている、夏子へと向けられていった。どうするべきかと戸張は思った。やはり起こすべきなのだろう。戸張は思い切って夏子の肩をゆすってみた。その肩は一見華奢なように見えたが硬く引き絞まっていた。それでも夏子はびくともしなかった。完全に熟睡しているようだった。戸張はそれ以上夏子を起こし続ける事は出来そうにもなかったので、そのまま夏子の目が覚めるまで待つことにした。そしてウエイトレスを呼んで、メニューをもう一度見せてもらったけれど、飲み物とシャーベット、アイスクリーム、ケーキだけで、軽食などは取り扱いがなかった。仕方がないので、もう一度コーヒーを頼んだ。ウエイトレスはとても感じが良く、夏子を見ると「お疲れのようですね。ごゆっくりどうぞ」と、笑顔を見せた。時計を見ると、待ち合わせの時間から45分が過ぎていた。夏子はどうやってここまできたのだろう?電車は全線止まっていた。携帯を持っていない上に、夏子の電話番号を松代に貰っていながらそれを部屋に置き忘れていた。そのために夏子と連絡が取れなかった。取れていたら今日は中止にしていたのに。地震が起きたのは待ち合わせの時刻の二時間半前だった。夏子はきっと眠っている自分を見て、呆れただろう。そして待ちくたびれて迂闊にも自分も眠ってしまったのだろう。それにしてもこの緊張感のなさは何なのだろう。お互いによく見られたいとか、ときめきとか、そういったものが全くなかった。だから眠ってしまったりできるのだ。そんな状態からスタートして、果たして付き合うとか、付き合わないとか、そんな関係に発展するのだろうか?それとも、お互いがお互いの話をし合っていくうちに、特別な感情が芽生えたりするものなのだろうか。戸張にはそういった経験がなかった。好きだと思う気持ちがあって初めて付き合うという形以外は知らない。けれどこれはお見合いに近い形で、こういった始まり方は実際にあって、そして多くの人がこの形から始めて結婚に至っている訳だった。それはなにか不思議な現象のように思えた。昔の結婚のあり方に似ていた。家と家が結婚を決める。本人同士の感情は一切関係ない。本人同士は全くゼロの状態からはじめるのだ。まるで想像もできなかった。それともそういうものだとはじめから思っているからどうにかなってしまうのだろうか。けれどこの場合は断ることも出来るわけだし、強制ではない。ただ運よくお互いに気があったら、お付き合いしてみましょうか?という程度のものなのだ。大家の高田松代は「あんた次第なのよ。あんたが強引に引っ張れるかにかかってるのよ。もしあんたがあの子を気に入ったとしたらね。何しろ恵まれた環境にあんたはいるんだからね。近くにいるって事はそれだけでプラス要因が大ってことなのよ。何かにつけて、あんたの良いところをアピールするのよ」「たとえば?」とつられて松代に聞くと「そんなの自分で考えるのよ」と、あきれられたけれど。そんなものなのだろうか?夏子を好きになれば自分だってそれなりに行動はするだろう。ただ好きになるかどうかは今はまったくわからなかった。眠っている夏子は幼く見えた。余程疲れているのだろう。かれこれ一時間が過ぎていた。
2005.11.15
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こころは漂うこころは波に揺られ流され漂泊する時に荒波が周期的におとずれて何処かまるで知らない場所へと連れさって行くけれどこころは自由だからいかなる何ものにも、何ごとにも支配を受けはしないからただこころが在りたいと思うその場所へと自然に戻っていく人は弱いから、時に流される人は誰でも移ろいやすいしっかりしているようでいてだから確かな何かを求め生きている決まったものを欲しがる自由を尊重していても矛盾はついて回るそれがわたしでありそれがあなたであるのならそれが人というものならば迷いはしないこころがあるがままに生きればいいただそれだけになにもさまたげるものはないこころはそれを乗り越え困難と思われるものにも縛られず必ず行きたい場所へと行くのだから・・だから今こころを解き放ちその行き先を見極めるためにわたしは灯台の灯りとなって大きな海原を照らし続けるこころがちゃんと在るべき場所へとたどり着けるようにそしてそこにはきっと、待っていてくれる人がいるようにと願いを込めるそれがあなたであるように・・今日は感傷的な気分でこんな詩を書いてしまったけれど明日はきっと明るい未来が開けているってことです。明日を信じて生きていきたいといつも思うのですが信じ続ける事は難しい。けれど、信じなかったら何も生まれない気がして。
2005.11.14
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戸張赳夫は時間よりもかなり早く、待ち合わせの青山の洋菓子店のカフェテラスに着いた。コーヒーを飲んでいた。職場からは歩いてきた。会社は渋谷にあった。戸張は調理器具の専門誌の編集をしていた。特に調理経験など無かったけれど出版社に入った途端、その雑誌社に回されてそれ以来ずっとその仕事をしていた。調理器具や厨房機器のメーカーの取材をして記事も書く。人手が足りないから編集だけではなく、あらゆる事をしていた。戸張にとってはそれを仕事と割り切っていたから、興味のある分野ではなかったけれど、特に問題はなかった。問題はこれからだった。何故こんな事になってしまったのか、自分でもわからなかった。高田松代というアパートの大家さんに、二階に住んでいる山科夏子という30代前半の人とお見合いするようにずっと勧められていた。40代になる前に結婚しないとまずいわよ、と松代は会うたびに言った。戸張は今年39歳になった。はじめは聞くだけ聞いて、気にもしていなかったけれど、会うたびに言われると気になりだした。山科夏子についてもほとんど意識もしてはいなかったけれど、松代に「あの子いいわよ。真面目だし。ゴミもね、きちんと出すのよ。部屋もね、突然押しかけてもいつも片付いているし、朝帰りなんてしない子よ。だからチャンスなのよ。付き合ってる人がいないってことでしょう。あんたもいなさそうだし。年頃もあうでしょう。あたしが何とかしてあげるから、一度二人で会ってゆっくり話してみなさいよ。いいわね」といわれてからは、そうかな、なんて思い始めるようになって、たまに会うと今までとは違って見えたりしてきた。いつもわき目もふらずに足早に去っていく人だった。まるで隙というものがなかった。でもそれは戸張にとっては悪い印象ではなかった。けれど、一体何をどう話せばいいというのだろう。松代の話だと、あまり自分から話をしない子だから、とにかくいろいろこっちから話をしなくてはいけないと言われていた。戸張もどちらかというと、良く知らない人と話をするのは苦手だった。仕事と割り切ればそれは必要なことだからできるけれど、こういう場合は考えてしまう。それに山科夏子という人は本当に松代が言うように、自分とこうして会うことを望んでいるのだろうか?三日前にアパートの入り口で会った時には、挨拶をお互いに交わしただけで、さっさと階段を上がって行ってしまった。松代は「未婚の女の愛想の良過ぎるのも困りものでしょう?それくらいでいいのよ」なんて他人事のように言っていたけれど。山梨夏子はひたすらペダルをこいでいた。日ざしは強かった。けれどとても気持ちも良かった。目的を持って走るのは悪くはなかったけれど、明治通りから表参道に曲がってからはもう、降りて手押しではないと、とても進めそうにもなかった。ただ歩くだけでも人とぶつかってしまうくらいの混雑なのだから。しかしいつ来てもここは何故こんなに混んでいるのだろう?と夏子は思う。表参道を抜けて、青山通りを渡れば直ぐだった。二時間近く走るとさすがにふらふらした。けれど気持ちを引き締めて、汗を拭いて、水分を補給して、鏡を見た。頬は熱さで紅潮していた。熱が引くまでしばらくゆっくりとトレックを走らせた。時間ちょうど頃に店の前に着いた。バイクにチェーンをかけてテラスから入って行くと、真正面に戸張が座っていた。けれどうたた寝をしていた。多分日当たりも良くて気持ちよくなって眠ってしまったのだろう。そのまま帰ってしまおうかとも思ったけれど、ここまで苦労し来てそのまま帰るわけにもいかなかった。仕方ないので、同じテーブルの向かいに座って、とりあえずアイスコーヒーを頼んだ。多分起こさないと起きないかもしれない。戸張は足を組んで、腕組みをして、とても気持ち良さそうに眠っていた。でもせっかく気持ちよさそうに眠っているのに起こすのも悪い気がした。そしてそのうち、自分まで心地よい疲れともに眠ってしまいそうだった。 つづく
2005.11.13
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「天才バカボン」というマンガが好きだった。テレビのマンガよりも、マンガ本の方が好きだった。バカボンパパのような特別変わった人に、ママのような綺麗で聡明な奥さんがいることが気に入っていた。いつも不思議だったのは、二人の結婚への経緯は一体どういうものだったのかということだった。その経緯がマンガ本にあった。番外編のような形で出ていた気がする。読んだのは小学生の終わりごろだったと思う。そのマンガ本も手元にないので、細かいことは忘れてしまっている。はっきりしていることは、バカボンパパがママに「明日に架ける橋」の歌詞を捧げたということだ。マンガの最後の1ページまるまる使って、夕日の絵か、海に浮かぶ船の絵かなにかを背景に、その歌詞は三番までフルに書かれていた。確か二人は寄り添っていたような気がする。ママは女子大生で、セーラー服姿だったと思う。バカボンパパは角帽に詰襟を着て、下駄をはいていた。 その歌詞を読んでとても感激して、「明日に架ける橋」という音楽をちゃんと聴きだした。多分赤塚不二男はこの曲を聴いて、この歌詞の良さを知って、自分のマンガに使いたかったのではないだろうか?と勝手に思ってしまう。自分にも、大切な人にも、疲れてしまった時とか、苦しい時とか、道に迷った時とかに、この歌詞を捧げたら心がとても温まる気がした。だからこの歌詞を使いたかった。でも和訳が手元に見つからなかった。それで検索していたら、宮寿陵さんという方のブログに和訳が載っていたので、思わず拝借させてもらった。自分で訳せればいいのだけれど、自信もないし、上手な方のを使わせてもらった方が良いと思って。バカボンパパは意外とロマンチストだった。バカダ大学では何を専攻していたのだろう。ママがバカボンパパを好きになったのもわかる気がする。バカボンパパはと言えば、言うまでもなく、ママが大好きなのだ。
2005.11.12
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車が激しく行き交う国道沿いを、黒のトレックのマウンテンバイクで、時速15km程度で走っていた。車道を走るには車が多すぎた。だから仕方なく舗道を走っていた。人を抜いたり、よけたりしながら。11月にしては暑すぎる日だった。薄っすらと汗をかいていた。私は急いでいた。人と会う約束をしていた。気が進まない約束だった。電車はついさっきの地震でほとんど全線止ってしまっていた。震度5弱程度の地震では家屋は壊れないし、物もほとんどの場合は落ちても来ない。けれど交通や回線はパニックになってしまう。約束はキャンセルできなかった。彼はもう部屋にはいなかった。大家さんに聞くと彼は携帯を持っていないという。午前中だけ仕事に行っているのかもしれない、と大家さんが言うので、試しに彼の職場の番号をおしえてもらってかけてみたけれど、やはり通じなかった。そして彼からの電話もなかった。今日は土曜日だった。約束の時間は迫っていた。タクシーはきっとまるでつかまらないと思うからトレックで行くことに決めた。だからあらたまった格好なんて出来ない。Gパンにアリーナの上着を着ていた。まるで色気も何もないけれど、とにかく約束の時間にたどり着くことが先決だった。青山にあるヨックモックの本店で待ち合わせをしていた。一度だけ行ったことがあった。テラスもあって洒落た店だけれど、ケーキと飲みものの価格で、上の鰻かお鮨が食べられると思った記憶がある。たしか根津美術館に行った時に、何も知らずに入ってしまったのだったと思う。約束の時間まで後1時間30分だった。時速15kmで走ってギリギリと言うところだ。信号待ちもあるし、混雑する場所もあるから。彼とはもう五年以上も前からの知り合いだったけれど、一度もまともに話をした事もなかった。ただ挨拶をする程度だった。同じアパートの一階と二階、というだけの関係だったから。親切なのかおせっかいなのか、世話好きの大家さんが何としても二人をくっつけようと、ああでもないこうでもないとうるさく言ってくるので、仕方なく会うことにしたのだった。それも同じアパートという超至近距離に住んでいながら、何故青山辺りの店まで会いに行かなければならないのか、全く理解できなかった。「初めが肝心なのよ、こういうことは。普段と全く違う場所で会うと、結構お互いが違って見えたりするのよ。それもとても良く見えたりするものなのよ。いいわね。面倒がらずに必ず行きなさいね。あの人真面目を絵に描いたような人だし、ああ見えて結構気がよく付く人なのよ。あんたなんかよりよほど繊細よ」お金があって暇がある年配の人はこういう事に熱心だった。毎日のように仕事から帰ると「いるの~おぅ」なんて甲高い声で喚かれたら、玄関のドアを開けない訳にはいかない。とにかく一度ゆっくり会ってみなさいと言われ続け、こういうことになったのだ。大家さんが言うには「あの人ね、あんたみたいな人が割りと好みのタイプなんだって。でもなかなか話しかけることも出来なかったらしいわよ。あんたも良かったじゃない。そんなふうに思ってくれている人がいて」私の気持ちなんて何も聞きもしないで、勝手に私が喜んでいるぐらいに大家さんは思っているけれど、これはあくまでもあまりのしつこさに負けただけで、彼と付き合う気なんて全然ないのだ。だって私にだって好きな人くらいはいるのだから。相手がどう思っているかはわからないけれど。まるで私がそんな気もない、でがらしの女みたいにあの大家さんはきっと思っているに違いない。とにかく、さっさとこの野暮な用事をかたずけてすっきりするために急がねばならない。私は青山めがけてペダルをこぎ続けるのだった。 つづく
2005.11.11
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寒い一日だった。駅はとても混雑して、周りの人々は皆、マフラーを口元まで巻いていた。そして咳き込んだり、がたがた寒さに震えたりしながら、絶え間なく降る冬の冷たい雨を、ただ見ていた。誰かが迎えに来てくれるまで、止みそうもない雨が雪に変わるまで。吐く息は白く、つくため息は重い。誰もが不幸で、誰もが凍えて、誰もが愛を求めているように見えた。これだけの人達も、きっといつかは消える。今日一日が終わる頃には、誰一人きっとこの駅にはいない。それぞれは、それぞれの在るべき場所へと帰っていく。やがて冷たい雨は氷のような粒になり、突然白くなって雪と変わる。人々はほっとしたような顔をして、いつしか歩き始める。コートの襟をたて、ポケットに両手を突っ込んで、寒さを耐える為に表情が硬くなるけれど部屋の温もりを求めて、足早に去って行く。そして彼らの去った後には、白い地面に黒い足の形が点々と残っていく。まるでヘンデルとグレーテルのお話のように、迷子にならないように来た道を間違わないようにパンくずを千切って落としていくみたいに・・。雪は重くのしかかるように降り続き、あっという間にコートを白くしてしまう。その雪をはらってもはらってもはらいきれずに絶え間なく降り続ける雪に、決して追いつく事など出来もしないのに。今はただ真直ぐに歩いて行くことが、ただそれだけが出来ること。ただ真直ぐに。迷わないように。そしてこころの中は、こんな言葉がいつしか浮び、絶え間なく降る雪をわすれてしまうほど、それを追いかけていた。忘れさった記憶をひもとくように、つぎつぎに浮かんでくるこのことばの群が、どれほど暖かかった事だろう。君が疲れきった時ちっぽけだと感じる時涙が君の目に浮かぶ時僕はその涙を全て乾かそう僕は君のそばにいるよつらい時期を迎えた時そして友達がまるで見つからない時荒れる水面(みなも)に架かる橋のように僕はこの身を投げ打とう荒れる水面に架かる橋のように僕はこの身を投げ打とう君が打ちのめされた時君が通りにたたずむ時とてもひどい夕暮れになってしまった時僕は君を慰めよう僕は君の一部を担うよ暗闇が訪れた時そして苦痛が全てを囲む時荒れる水面に架かる橋のように僕はこの身を投げ打とう荒れる水面に架かる橋のように僕はこの身を投げ打とう出航するんだ、銀色の少女よそこへ向けて出航するんだ輝くべき君の時が来た君の夢の全てが近付いているご覧よ、それらがどんなに輝いているかをもし友が1人必要なら僕は君のすぐ後ろを航行しているよ荒れる水面に架かる橋のように僕は君の心を安らげよう荒れる水面に架かる橋のように僕は君の心を安らげよう歌詞 宮 寿陵 Lyric of Love&Lifeより
2005.11.10
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野口米次郎は最終的には詩人であり、日本の伝統芸術等を世界に紹介する美術評論家になった。レオニーが日本にイサムを連れて来たとき、まつ子と言う女中だった人に子供を産ませ家庭を持っていた。便宜上日本人の妻と家庭を持っていたほうが、当時の日本社会で詩人として生きていくためには有利だと思ってのことだったのだろう。その松子との生活の中で九人の子供をもうけ、米次郎は日本文化を論じられる大学教授としてイギリスに招かれたり、詩人ヨネ・ノグチとして各国で認められ、当時の数々の著名なアーティストや知識人と交流する人となっていた。その影でレオニーは引き続き米次郎の詩作の手助けを続けていた。最終的には米次郎の共同制作者としての扱いを受けるようになっていた。米次郎は晩年、イサムに対して何でもしてあげて、力になりたかったけれど、まつ子がそれを許さなかったとイサムに言った事がある。レオニーに何もしない父親、自分を認知しない父親に対する恨みもあったけれど、イサムは世界に出て行くたびに米次郎の偉大さを知るのだった。米次郎という強烈な個性(晩年はまつ子の尻に引かれるが)と、レオニーという我慢強くて、イサムが幼い頃から、アーティストにする為ならどんな困難にも立ち向かっていく揺るぎない信念の持ち主と、混血という片子であり、自分を認知しない父親を持つ片親の子であるイサムの苦しみが混ぜこぜになって、それがイサムを突き動かしていたのではないかと思った。東京都現代美術館へ行く為に地下鉄を降りて歩いていた時、ちょんまげを地毛で結っている男の人とすれ違った。服装は黒っぽい何かを上下で着ていた。とても痩せている人だった。見てはいけないものを見てしまったように感じたのだけれど、視線はいけないと思いながらもその人を追っていた。後姿を確認したけれど、やはりちゃんと結ってあった。深川とかが近い下町だから、何かの芸人なのだろうか。イサム・ノグチ展でエナジー・ヴォイドが展示されていたフロアにはベンチがいたるところに置いてあって、それを眺めながら休憩できるようになっていた。歩いていくと正面のベンチに白人の男性と日本の女の子が仲良く座っていた。白人の男の人とたまたま目が合ったらにっこり微笑むので、自然に微笑み返したら、側にいた女の子が、ぎゅっとその白人の男の人を自分の方に引き寄せた。それを見て、つい気が緩んでいて微笑み返してしまったのがいけなかったと気がついが、白人の男性は困った顔をしてまた私に微笑むのだった。運が悪い事は続くもので、その後カフェテラスでコーヒーを飲み終え、帰ろうとホールを歩いていたら又その二人に会ってしまった。その白人の男の人は何か説明するためなのか何なのか、歩み寄ってきた。するとその女の子が、又腕を引っ張って、もう行こう!と言って、男の人の手を引いて行ってしまった。そして男の人は今度は苦笑いをして去って行った。女の子にしてみたら、まるで自分の彼が誘惑されているように思えたのかもしれない。彼といる時はいつも、そんな目に合っているのだろうかと思ってしまった。でもきっと彼をとても好きなのだなと思った。ある意味かわいい子だった。素直に私だけを見ていてって表現しているのだから。
2005.11.09
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日曜日は雨空だったので比較的空いていた。チケットもほとんど並ばないで買えたし。展示室が狭くて作品が押し込まれている感じがした。展示は50点弱だった。エナジー・ヴォイドという高さ4m近い作品は別に大きなホールに置かれていた。見る角度によって三角形に見えたり四角形に見えたりした。この作品ももっと違う場所なら違う感じ方が出来たのではないかと残念だった。彫刻はそれに相応しい場所というものがあるような気がした。彫刻のワークシートも展示されていた。消しゴムで消した後や、何かのシミがついていたりして、イサム・ノグチが今から60年くらい前にそれをしたのだと思うと、人知れず感慨に耽るのだった。外国人も結構多かった。年齢は若い人の方が多く、大体男女ペアで来ていた。東京都現代美術館はアクセスが悪い場所にある。上野辺りだったらもっと人が入ったのではないだろうかと思った。いつも思うのは、絵でも彫刻でもそれを描いたり造ったりする人が見るようには見れないということ。だから本当に作品を見ることが出来ない気がする。ただ感じることはできるけれど、それだけでいいのかもしれないけれど、いつもジレンマが残る。自分が見ることが出来るのはそれを造る人についてならかなり見れる気がする。つまりその人を通してなら作品を見れる気がする。でも作品にもよると思う。作品が強い場合がある。その場合はその作品だけに心を奪われるけれど、イサム・ノグチのブロンズや真鍮の作品の場合は洗練されすぎていて、何処をどう見ていいのかがわからない。よく出来すぎていて何がいいのかがわからない。ただ自分に見る目がないだけかもしれないけれど。プロの演奏家が引退すると、やっと気楽に曲が聴けるようになったと言う人がいるらしい。自分が演奏する立場にいるときは聴き方が違ったと。だから自分が描けない造れないなら逆に気楽に自由な目で見ることが出来るとも言えるのかもしれない。けれど、結局は好きか、好まないかの選択しかないのかな?とも思ったりする。これはすばらしい文学ですと言われた本を読破できない事が多々ある。どんなに世間がすばらしいとか、世界が絶賛しても全く読み進めることが出来なかったりするのだ。自分の見る目だけしかないのなら、その目で見続ければいいのかもしれない。
2005.11.08
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今日は何の予定もなかったので、朝起きてなんとなくそういえば「イサム・ノグチ展」がやっていた事を思い出して行ってみた。東京都現代美術館というところでやっていた。イサム・ノグチの父親は詩人で、母親は英語で詩作する夫の手伝いをしていた。そして夫婦は別々に暮していたということ以外詳しくは知らなかったけれど、その事が前から気になっていた。特に深入りする事も無く時が過ぎていた。かなり複雑な夫婦関係の中で育ったイサム・ノグチについての興味があった。先ず部屋に入ると「2mのあかり」があった。ほとんどの作品はノグチ・ミュージアムのものだった。個人的には晩年の石の作品が好きだ。行ったことはないけれど、イサム・ノグチ庭園美術館には、明治時代の酒蔵があって、そこを展示室にしている。そこに配置された石の作品たちは写真で見る限りとても居心地が良さそうに見えた。無機質な空間にただ置かれただけでサマになるものもあるけれど、今日展示されていた石の作品に関しては、木や土や水や緑の中にあった方がサマになる気がした。それはその作品自体があるがままの自然な形を極力崩さずに造形されたものだったからだ。どうしても作品を作る人そのものにも興味を持ってしまう。それはイサム・ノグチにかかわらず、絵でも映画でも小説でも音楽でも。それが気になってしょうがなくて、その人が書き残したものや、その人について書かれたものを読まずにはいれない。だから今日もドウス昌代という人が書いたものを帰りに買って読みふけっていた。まだイサム・ノグチの両親についてのところまでしか読んではいないけれど、とても面白い。イサムの父親である野口米次郎という人の特異さには絶句してしまう。その行動力と、人の気を引きその相手に合わせた態度や言葉で自分を有利に運んでいくその手腕には呆れる程だ。自分が得たい目的の為には同性愛だろうが、二重結婚だろうが、手段を選ばない貪欲な人だった。それに引き換え、イサムの母親であるアイルランドの血を引くレオニー・ギルモアは自分の足でしっかりと立っていられる人だった。米次郎は写真で見ても、係わった人達の態度や言葉からも、確かに魅力ある人だったのだろう。レオニーでさえ、不実な夫(最後まで籍は入れなかったけれど)を心から愛しすぎるほど愛していたのだから。だから彼には何一つ自分から要求はしなかった。イサムができた時も自分から離れて行った。父親無しで育てていく覚悟があった。アメリカで成功することが日本で成功するための必須条件と思っていた米次郎は、英語で詩作するのが不自由で、レオニーに編集を任せていた。レオニーに文才があるから勝手に書き換えることさえ託していた。そしてとうとう作品が認められ、日本でも自作が知られるようになると帰国した。妻子を残して。けれど帰国しても、英語でしか詩作が出来なくなっていた。日本語は、標準語はまるで話せなくなっていたから、当然日本語で詩作も出来ない。だから英語で書いたものをアメリカのレオニーに送って又手直ししてもらっていた。レオニーは米次郎をとても愛していたので彼と作品を共有する事についての喜びや生きがいのようなものがあったようだ。後は仕送りをしてくれない米次郎の作品を手直しする事によって、アメリカの出版社に手配して、原稿料を折半してもらっていたのでそれが生活の助けになっていたと言う理由もあった。米次郎はこれまでの間にも様々な女の人にアタックしていたり、日本に帰ってからも女中をしていた人に子どもを産ませて籍を入れていたりと、本当に不実な人だけれど、何故か憎めない人でもある。一番の目的がやはり「詩を書きたい」というところにあるからかもしれない。彼には彼なりの苦悩もあった。アメリカで成功する為に英語で詩を書いていたけれど、アメリカでは英語の詩よりは日本語の詩の方がもっといいのではないか言われ、日本では日本語の詩はまるで駄目と言われ、萩原朔太郎には日本人が書いた詩ではなく、異国の人が書いたものと言われていた。日本人なのに日本語が不自由で、しかも英語もレオニーなしでは詩作もできない、中途半端な人間になってしまっていた。それはそのままイサム・ノグチが持っていた、自分は日本人なのか、アメリカ人なのかという自分の存在の疑問へと引き継がれていった。父親というのは側にいなくても、何か形のあるものを残せばそれでいいのではないかとさえ思ってしまった。それは生き方でもいいのだろう。生きた軌跡をしっかりこの世で刻めば、子供はそれをわかる日が来るのかもしれない。
2005.11.07
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彼女は高校の時の友達だった。部活が一緒で仲良くなった。けれど私は1年の夏合宿が終わって、新人戦を最後に部活を辞めてしまった。二年が二人だけで後は1年ばかりという中で、期待され集中的に厳しい練習を強いられた。負けると自分だけ試合中だろうとなんだろうと大勢の前で見せしめの為に殴られた。今はその時辞めた事を後悔しているけれど、その時は辞める以外考えられなかった。男子は殴られて鼓膜が破れた子もいた。その頃はそれでも全く問題にもならなかった。部活だから当たり前で通っていた。部活を辞めた後はほとんど自分を見失っていた。何をしていいのかわからなかった。だからアルバイトをしたりしてふらふらしていた。大学に行こうと思っていたけれど、そんな気も失くしていた。部活の友達とはその後も付き合っていた。皆は適当に練習をこなしていた。適当に出て適当にサボって、怒られて、でも辞めないでいた。仲が良かった友達は紗江といった。紗江とは気があった。初めからずっと前からの知り合いのように感じた。紗江は体が弱かったから練習中に倒れたりしていたので、ほとんどマネージャー的存在だった。私が辞める時も随分先生にいろいろ言ってくれた。「そんな弱い奴は必要ない」と言うのが先生の答えだった。高校を出て彼女も大学には行かないで信販会社に就職した。そしてあっと言う間に結婚してしまった。彼女が結婚して割とすぐに家に遊びに行った。仕事は辞めて料理教室に通っていた。自分の夫に美味しいものを食べさせてあげる為に。そして手の込んだ日本料理をご馳走してくれた。まだ二十歳を過ぎたばかりだった。来年には赤ちゃんが生まれると言っていた。紗江の夫は五歳くらい年上だったと思う。それから十年後、紗江は絶望的な恋をしていた。紗江の夫は同じ職場の人と仲がよくなっていて、公然と付き合っていた。紗江が問いただすと、「好きになってしまったから、仕方がない」と言った。夫は「多分一時的な気持ちだから、ある時期が来ればきっと終わると思うから、それまでは自由にさせて欲しい」とも言うらしかった。紗江はまだ子供も大きくはなかったし、給料とかはきちんと入れてくれていたので、とりあえず夫との事は保留にしていた。時期が来たら別れようと思っていた。紗江はその頃設計事務所で事務をしていた。そこに三歳年下の建築設計士がいた。彼と気が合って、話していると楽しくて、いつまででも一緒にいたい気持ちになった。そしていつの間にか彼を好きになっていた。彼の方も悪くは思ってはいなかったらしく、仕事の帰りに一緒に食事をしたりして、楽しいひと時を過ごしていた。子供は一緒に住んでいる実の母親が見ていてくれた。話があるの、と紗江から電話があって、家に来てもらった。誰にも言えないから聞いて欲しい、と言って以上のことを初めて話してくれた。幸せに暮しているとばかり思っていたから驚いた。紗江の夫のやり方も凄いと思った。そこまで開き直れるものなのかと思った。自分の気持ちを設計士の彼に言わなければいられないと紗江は言った。彼には彼女がいるけれど、彼は彼女とは今疎遠になっていると言っていた。「どうしたいの?ご主人と別れて彼と一緒になりたいの?」と聞くと、出来ればそうしたいと言った。「ご主人と上手くいっていたとしても、彼を好きになった?」と聞くと、わからないといった。「もう何もかもがわからないの。ただ彼が好きで仕方がない。一緒にずっといたいって気持で一杯なのよ」「でもね、何もかもわからない気持ちで好きになられたって、相手も困るでしょう?」「ただもうこの気持ちを言わずにはいられないのよ。何故人は人を好きになるとそんなことをしようとするのかしらって思うけれど、気持ちを伝えずにはいられないのよ」と言って彼女は泣き出してしまった。多分とても辛かったのだと思う。紗江の夫の色恋沙汰もあって淋しかったのかもしれない。その淋しさを埋めるために彼が必要なのではないかと思った。彼でなければならない理由は紗江にはなかった様な気がする。彼でなければならなかったらもっと違う出方をしたと思うし。もっとしっかりしていたとも思う。結局紗江は彼の家に行って気持ちを打ち明けた。彼は「あなたが好きだけれど、彼女を裏切る事は出来ない」と言ったという。「私も夫と別れるから、あなたも彼女と別れて欲しい」と言うと、彼は相当悩んで、「暫く考えさせて欲しい」と言ったそうだ。そこで初めて紗江は彼を苦しめている事に気がついたと言った。その時我に返ったと言った。そして急に気持ちが醒めていくのがわかったと言った。結局紗江はその次の日仕事を辞める旨を経営者に伝えた。そして彼には何もかも忘れて欲しいと言った。彼は一言だけ「忘れなければならない理由は何もない。出来たらずっと覚えていたい、あなたの事を」と言ったという。その一言で彼女は救われたと言っていた。何もかも乗り越えていける気がしたと言った。紗江の夫はそれからしばらくして、「全てが終わった」と紗江に哀しげな表情で言った。
2005.11.06
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中学3年の夏はとても暑かった記憶がある。自分の部屋ではとても勉強など日中出来なかったから、近くの予備校の夏期講習に行かせて貰った。二週間くらいのコースだったと思う。数学のクラスだけ取っていた。初日に行くと知っている顔が勢ぞろいしていた。それも遊んでいる子達だった。その子たちはみんな大体は私立の女子校に推薦で入るような子達だった。どぢらかと言うと勉強しないで高校を決めてしまいたいグループで、予備校に来ているのは気休めか親を安心させる為だった。友達に流された訳ではなくて、本当に授業が全くわからなかった。聞いていても、問題が解けなかった。余程数学に対しての脳の働きが悪いのか、拒絶反応を起こしそうだった。ひとクラスに50人以上はいた。詰め込むだけ詰め込んでいる感じだった。大体の生徒が授業を聞いてなかったし、教える方も最前列に座っているやる気のある子だけしか、相手にもしてはいなかった。それにレベルが高すぎた。どう考えても公立の問題に出そうなのもではなかった。そのクラスのレベルは都立校の試験問題に沿ったもののはずだったのに。結局丸々その時間を無駄に過ごすことになった。予備校に行かないで、そのグループの子達に誘われるままに近くの映画館に映画を観にいったりして、サボる日もあった。その時観た映画で印象に残っているのはフランコ・ゼッフェリの「ロミオとジュリエット」と、出演者が全て子供の「ダウンタウン物語」の二本立てだった。思春期だったから、友達たちも「ロミオとジュリエット」を観て感慨に耽り、「ダウンタウン物語」のジョディー・フォスターの当時の美しさに憧れたりしていた。フォスターは「タクシードライバー」を撮り終えたばかりだったと思う。フランコ・ゼッフェリがヴィスコンティの助監督をしていたことを大人になってから知った。一時ゼッフェリはヴィスコンティと一緒に暮らす仲だった。そしてアラン・ドロンという人は「太陽がいっぱい」で知名度が一気に上がった人だったけれど、アラン・ドロンを育てたのはヴィスコンティだった。ヴィスコンティはアラン・ドロンを酷く気に入っていた。「太陽がいっぱい」の前に、ヴィスコンティの「若者のすべて」という映画にアラン・ドロンは出ていた。丁度その頃運よく「若者のすべて」を上映している聞いたこともない映画館があった。今から15年位い前のことだった。繁華街の外れのビルの地下にある妙な名前の映画館だった。行って見て驚いた。映画館というよりは映写室だった。小さいスクリーンに映画を映していた。映写機はその部屋の後部にあった。席は20席もなかったような気がする。驚いたのは、映画にも驚いた。アラン・ドロンがまだとても若くて、家族の為に犠牲になる、ボクサーの役を演じていた。好きな女をやくざな兄に自分の目の前で犯されてしまうという悲劇的な役でもあった。ストーリーをほとんど知らずに観にいったので、そのシーンの時は思わず、悲鳴を上げてしまいそうになった。あまりの残酷さにショックを受けて。淡々とした撮りかたをしているので、何の前触れもなく、何の予測もないままにそれが起こったので、不意打ちを食らったような衝撃だったとも言える。観にきている人はすべて男の人ばかりで、それもどこか現実性を欠いた人達ばかりだった。映画は白黒で、ネオリアリズム(ネオリアリズモ)の流れを汲んだ作風だった。だから淋しくて、暗くて、救いが無い。明るい事なんて何一つない映画だった。観終った後の後味の悪さは最高級だった。何をしてもその暗さが消えないような気がした。地下から地上に出た時は日が暮れていた。誰でもいいから電話して、誰かと会って、何でもいいから話をして、何もかも忘れてしまいたいような衝動に駆られた。明るい場所で、美味しいものでも食べて、楽しい気分になりたいと思った。でもきっと何をしてもそれは消えないような気がした。だからその日はそのまま家に帰った。その悲しみをしっかり受け止めようと思った。どうせ明日になればきっと、仕事に追われて忘れてしまうのだから・・。でもアラン・ドロンが出演した作品の中で一番いい映画だと思う。ヴィスコンティの「山猫」は彼の野心作だし、「太陽がいっぱい」も捨てがたいけれど、あの暗い目をして、いつも人間性を欠いた兄の犠牲になるアラン・ドロンはほとんど台詞らしい台詞もないけれど、その寡黙な中に言いようのない彼の悲しみが溢れていた。すべてを受け入れて、あの残酷で非情な兄を許していく事が、誰のためにもならないのに、家族という絆だけが彼を動かしていたのだと思う。予備校に行ってわかったことは勉強は自分でするべきだということだった。だから塾にも行かなかった。ただあの暑い夏、予備校をサボって繁華街をぶらぶら歩いて観にいった、あの映画は今でもいい想い出になっている。二作ともいい映画だったし。思春期に観れたことも良かった。数学は捨ててしまった。国語と英語に賭けて。数学が得意な人に今でも羨望を覚える。
2005.11.05
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話を創ることは生きることに似ている。その中で生きていないと書けない。小手先だけでは何も出来ない。話の中で迷いに迷う。でも決めなければならい。その時その時選んでいかないといつまでも終わらないから。大体は不思議と流れるように文章が出てくるけれど、書き進めないときがある。分岐点のようなところではやはり立ち止まる。どっちに行くか、何処へ行くか。話を創っていると何が現実で何が作り事なのか、見境がつかなくなることもある。だんだん現実の自分が話の中の人のようになってきたりする。どっちが本当の自分なのかわからなくなりそうで。それがとても怖い。感情移入してしまいすぎるのもよくない。冷静に自分を見ているもう1人の自分がいなければならない。だから話の中に医師が出て来たのかも知れない。話の中で医師と話をしなければ、あっちの世界に行ってしまいそうな気がした。医師がでてこなかったら、多分喜田川という人と語り手の女は一緒にあっちの世界に行ってしまっただろうな、という気がする。夢の中で会うことは甘みがある。現実を生きるとしたらそれは死ぬほど苦しいだろう。だったら楽な方へ行ってしまってもおかしくはない。夢の中でねちねちしている事が耐えられなかった。それも必要だったのかもしれないけれど、現実の厳しさの中で生きて欲しいと思っていた。これを書いていて、自分の中の弱さや甘えを知った気がする。死んでしまった人も成仏できないと思っていた。自分の悲しみだけを考えて、相手への思いやりが欠けていた気がする。死んでいく人の方が辛いのに。計算は出来ない。何が出てくるのか書いていかないとわからない。生きるために書くのか、書くために生きているのか、よくわからないけれど、ただ言える事は、書く事が好きということと、作ることが嫌いではないという事、書かないでは何故かいられないと言うこと。そんな自分て一体何なんだろうと思うけど。
2005.11.04
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今日は用事があってさっき帰った。街のパン屋さんに寄ってパンを買っていたら「明日の朝、どのパンが食べたいの?」と、母親が10歳くらいの少年に聞いていた。少年は「今そういう事を聞かないで。そんな事何も考えられない今は。明日の僕に聞いてくれる?」と言った。夜の街はきれいだった。今日は特にそう感じた。夕暮れの頃からオレンジのライトが灯り始める頃が特に美しかった。空は深い青色をして、所々赤い夕暮れの色が入り込んで陽が沈み、やがて夜の闇が訪れた。風もなくて、静かな夜だった。一つだけ願い事をして下さい、とその人は言った。この橋の下を通る時願い事をすると叶うと言った。一番欲しいものはある。それは自分がなりたいもの。けれど違う事を気がついたら願っていた。まるでその一番のものを思い出しもしなかった。明日の僕は、明日になれば今日の僕に変わる。心の中を彷徨いながら・・・今日は終りを告げ明日がまた始まる。
2005.11.02
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この曲を聴きながら、この二、三日書いていた。ずっと前の曲だけれど、いつ聴いてもいい曲だと思う。歌詞もとても斬新で好き。何もかも曝け出して生きる強さを感じる。自分のいい事も、悪い事の全てをも。シャーリーンが作った歌詞ではないけれど、彼女の生きてきた道をつい連想してしまう。Took the hand of preacher man and we made love in the sunという歌詞の部分を聴くといつも森瑤子の「情事」という小説の一場面を思い起こす。と言うか、森瑤子はこの曲のこの部分を参考にしたのではないかと思わざるを得ない。この曲が発売されたのが1976年、森瑤子が「情事」を書いたのが1978年頃だった。当時売れなかったこの曲だったけれど、森瑤子が聴いていた可能性はある。この間の雨の日に「情事」のことを考えていた。そして「シベリア寒気団」のその後を書きたくて、題名は「愛は陽炎のように」が浮かんだ。仏教ではこの世も幻に過ぎないと言う考えが根本にある。でもそれをまだ理解することはとても出来そうにない。ただなんとなくわかる気がしないでもないが。まだ十分に俗人しているし、煩悩も多少はあるような気がする。たった一度の人生だとしたら、やはり何も恐れないで生きてみたいと思う。その結果がどうであったとしても。自分にとってそれがかけがえのないものだとしたら。もしかしたらそれを失ってしまうかもしれないけれど。失いたくはないという気持ちが強ければ強いほど、人は臆病になる。それも必要なことだと思う。大体そこで踏みとどまるものだと思う。それでいいのかもしれないとも思う。そこまでしなくても人は生きていけるし、人にはそれぞれの生き方がある。ところで、鼻くその話は真面目に面白かったです。
2005.11.01
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