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今日は友達のお父さんの葬儀だった。今日も会計係りをした。棺にお花を入れてお別れをする時、おじさんがいつも被っていた帽子と、気に入っていたジャケットとズボンとシャツとステッキが入っていた。それを見たとき急にいろいろと思い出して悲しくなった。おじさんがそこに入っているものを全て身につけていた頃のことが鮮明に浮かんできて。恰幅が良くて貫禄がある人だった。棺の中のおじさんは別人のように痩せて小さかった。友達のお母さんは家事を一切しない人で、ただお金を使うだけの為に生きている様な人だった。とにかく薦められるままに値段など関係なく買う人だった。そしてほとんどのものが未使用のままに押入れに葬られていた。食事はいつも決まった店の惣菜とか刺身とかを買っていた。洗濯物のほとんどはクリーニング店に出していた。おじさんは羽振が良かったから好き勝手におばさんをさせていた。友達は堅い性格だけど、お姉さんはおばさんに生き写しだった。だからおばさんが早くに亡くなって、お姉さんが結婚して子供を産んでも、おじさんが面倒をみていた。仕事を引退してからは、お姉さんの家族と同居して娘がしない家事を代わりにしていた。癌になっても入院したくない、手術したくない、と言って家にいて、傷みに耐えながら孫や娘の面倒をみていた。でもとうとう極度の貧血を起こして倒れてしまった。入院を余儀なくされたけれど、もうそれこそ手遅れだった。ただモルヒネを打つ以外ない毎日だった。そんな訳で病院に入ってからは苦しむ事もなく、ひと月後に息を引き取った。お姉さんは自分の夫よりもおじさんに全てを委ねていたから、おじさんを失った悲しみは、だれよりも大きかった。そのお姉さんが酷く悲しむ姿を見ているのが辛かった。これからの自分の身を案じて泣いている部分もあったかもしれないけれど。それぞれの家族にはそれぞれの在り方があると思う。いい悪いは関係なく、ただそれはあるのだと思う。葬儀場に行くのに雨の中を歩いていた時、こうして雨の中を歩く事が嫌いではない事に気がついた。傘をさして歩いていると、あまり周りの風景が目に入らないので、内省的になる。普段落ち着いて考えられない事を考える事が出来る。最近の事について考えていた。どうしてよいのかわからないこととか、どうしようもないこととかについて。わからないことはわからないままにしておくしかないのかなって思ったりする。どうしようもない事はどうしようもない事で、諦めるしかないのかなとか。この頃そういえばあまり楽しい事もないなとか、書くことが暗いなとか、何か面白いことを思い出そうとしても、何故かあまり浮かばないとか。でもそのうち良い事もあるかもしれないし、良い事が起こっていても気がついていないだけかもしれないとも思う。荒井由実の「雨の街を」が好きだったとか、昔のソウルグループの曲で雨音がイントロだった曲があったとか、森瑤子の「情事」にレインという青い目のイギリス人の男性がいたとか。そんなことを考えて歩いていたら葬儀場を過ぎてしまって、慌てて引き返した所を友達に見られて笑われてしまった。
2005.10.27
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友達のお父さんが亡くなって、今日は夕方からお通夜だった。久しぶりに多くの友達に会った。前は結婚式でよく会っていたのが、この頃はお葬式で会うことが多くなってしまった。なかなか会えない人達に会う為にそういう儀式がある様に感じてしまう。それでいいのかもしれないと思う。親族の人々の哀しみをよそに、友達たちと会計係りをしながら取り留めのない事を話していた。最近また背が伸びた?と言われた。自分でも感じていた。なんか伸びたのかなって。みんなは毎年縮んでいくみたいな気がすると言った。あとはみんなは太ってしまう事を嘆いていた。どうして痩せてるの?と言われても痩せてはいない。決して。標準よりやや少ない程度だと思う。どうしても外見の事が話題になる。前に化粧品会社にいた時のことだった。駅ビルの中の化粧品店にある時期配属されていた。とても暇な日で、退屈していた。ショウケースのディスプレイを直していたら、目の前に1人の男の人が極端な内股で立っていた。その人は背が低く、少しぽっちゃりとした人だった。顔は、例えがなんだけれど、皇太子に似ていた。「すみません」蚊の泣く様な声だった。どういう用件か聞くと、暫くもじもじしてから「お化粧品が欲しいのですが、出来たらお化粧を教えて頂けませんか?」と言った。特に驚きはしなかった。そういう顧客もいたので、「そうなんだ」と思っただけだった。だた「今のその男性のスタイルでメイクをしてもいいのですか?」と聞くと、ハッとした顔をして「そうですね。今度女になって来ます」と言った。それを言われた時、この目の前にいる人が女になる姿が想像できなかった。「もしいらっしゃるのなら、平日の1時から4時の間だと時間をあまり気にしないで出来ますよ」と言うと、「ええそうします」と言って帰って行った。その去ってゆく後ろ姿は女よりも静々としていた。話のテンポもおっとりしていて、肌もまあキレイだった。ただからだの割りに顔が幾分大きすぎた。それがなければ、結構いい線をいくのではないかと思ったけれど。仕事仲間では、いわゆるニューハーフとか、オカマ(その二つの違いがよくわからない)と呼ばれる人達には決してメイクをしないという人が多かった。勿論仕事だし、サービス業じゃないから、買う見込みのない人にそこまではしなくてもいいけれど、化粧品を買いたくて来た場合はそれをしないのは差別だと思った。2日後にその人は来た。丁度1時に。几帳面な人なのだと思った。その人はセミロングの鬘をかぶって、おとなしそうな淡いピンクのワンピースを着て、白のヒールの靴を履いていた。薄っすらとお化粧をしていた。ちょっと驚いてしまった。こうゆう風に変身するんだと。顧客のそのての人達は、スレンダーな服を着て長い髪を掻き揚げるような、いい女風の人が多かった。口はとても悪かった。でもきれいに見せることに異常なまでに熱心だった。その人に「どんなイメージを持っているの?」と聞くと「私、いい女になりたいんです」とすかさず言った。「いい女って具体的には?」と聞くと「あなたみたいに」と言った。「私ですか?お上手ですね。でもとにかくやってみましょう」と言ってまずメイクを落として、ベースをきちんとしてからメイクをした。お嬢様風に可愛くしてみた。服もピンクだし。とても気に入ってくれて喜んでくれた。そして方法を教えて、図解したものを渡した。何度も鏡を見て満足した顔をしていた。なんだかとても嬉しかった。素直に喜んでくれている事が。とても初々しい人だった。いい女になりたいんです、と言った時、一瞬瞳がキラって輝いた気がした。誰か好きな人でもいたのだろうか?それとも女ごころと同じで、きれいになりたい、って単純に思っていたのかもしれない。その後何度か来てくれた。来る度に垢抜けていった。本当に女の人に生まれていたら良かったのにって思う。
2005.10.27
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川の流れは穏やかだった。鈍い銀色に輝いていた。川辺には何人かの人達が腰を下ろしていた。淡いフィルターがかかったように、現実性が欠如していた。遠い昔を見るみたいに、微かな記憶を辿った先の光景のように感じられた。暖かくもなく寒くもなかった。風も吹いてはいなかった。ただ静で全てのものがひっそりとしていた。気がつくと真っ赤な夕日の中、大きな寺の建物から建物をつなぐ、能楽の橋掛かりのようなところをゆっくり歩いていた。夕日はとても大きく、そして暗い赤をしていた。鐘の音が遠くから聴こえた。表現できないほどの寂寥感があった。「一切空」その場を満たすものが一切無い状態とでも言うのか。かつてこれほどの無常感を味わった事はなかった。それは体験だった。とても夢とは思えなかった。確かに僕はそこを歩いていた。目覚めた時もその感情はそこにあった。その日一日どうしようもなかった。あの夕日の世界から離れられずにいた。もしかしたらそこが本当の自分の居場所なのではないかと思った。そこへ戻りたいとさえ思った。誰一人いないあの場所に。何故人は人を好きにならなければならないのか、何故好きになる必要があるのか。人類が絶滅しない為の遺伝子のプログラムの一貫なのかどうか知らないけれど、何故苦しむほど好きにならなければならないのか。ただ好きじゃ済まないのは何故なのかと思う。苦しんだあげくそれはただの苦しみで終わってしまうことの苦しむ意味は何なのか。それは突然にやってくる。特に記すことのない、ごく普通のありふれた人生のその中にある日突然にそれは起こった。人を好きになることは別に珍しいことではない。職場の仲間だって好きだし、まあ嫌いな人もいるけれど、一緒に泳ぐ仲間だって異性問わずみんな好きだし、いつも買物に行くスーパーのレジのオバサンだって親切で好きだ。そのくらいの好きでいいじゃないかと思う。その程度の好きで結婚しても構わないし、付き合ってもかまわない。でもスーパーのオバサンはちょっと付き合うには渋すぎるけれど。そう思っていた。一緒にスイミングクラブで泳いでいるケイコとは気心も知れているし、いつ結婚してもおかしくはなかった。お互いがその気になれば。ケイコはさっぱりとした性格で、何でも気軽に話せる相手だった。一緒にいてもお互い気を使うことも無かったし、クラブでよく旅行にも行くし、二人で旅したこともあった。あまりにも仲間意識だけが強くて、何一つ色めいた事は起こりもしなかったけど。付き合っているという関係でもなかったし、お互い今更照れもあって付き合う付き合わないなんていうこと事態がもう似合わない二人になっていた。特に盛り上がる事もなく、特にお互いが熱を上げたとかそういうこともなく、ただなんとなく気がついたら二人は一緒にいることが多かった。それでいいと思っていたし、そんなものだと思っていた。そのレベルの好きという感情以外は知らなかった。それ以上のものなんて経験したことがない。経験したことが無いことは実感することは出来ない。実感できないものは無いに等しかった。でもそれは起こった。僕をありふれた人生の一員にしておいてはくれなかった。否応無しに僕をその僕の知らない世界に送り込んだ。一体どうしてそれが起こったのか。何のために。結局は僕は何も手にすることも出来ないままに、ただ苦しむだけ苦しんで、そしてこの元の住処のありふれた世界に放り出された。お前はもう必要は無いとでも言うように。僕はもう回復不能だと思った。僕はもう元には戻れないし、受けた傷は致命的だと思っていた。自己治癒の限界は過ぎていた。誰かの手を借りたとしても手遅れのような気がしたし、手を貸してくれる人などもういない。僕はただその傷を引きずって、あの夕暮れの世界に行くだけだった。そこだけは僕が最後の最後に行ける場所だと思っていた。あそこに行けば何もかもが消える。あそこはそういう場所だった。どうしたらまたあの場所に行けるのだろう。その方法を僕は知らない。
2005.10.26
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「愛と哀しみのボレロ」という、クロード・ルルーシュの映画があった。もう今から24年も前になるけれど。その映画のポスターには宙を舞うバレエダンサーがいた。身体は空中でえびぞりになって、その金髪は燃えるタテガミの様だった。上半身は裸で、その肉体は競泳や水球選手のそれと匹敵するほど見事だった。そのダンサーが目に焼きついて離れなかった。けれどその頃その映画を観なかった。男性のバレエダンサーに対する偏見を持ていたのかもしれない。時が過ぎてもそのダンサーのことを忘れる事はなかった。頭の片隅にいつもあった。そして今から12年前にやっとその映画を観た。そのダンサーはジョルジュ・ドンという名前だった。モーリス・ベジャールが率いる20世紀バレエ団のナンバーワンだった。映画の中でドンはヌレエフの役を演じていた。その宙を舞うシーンはベートーベンの交響曲第7番だったと思う。ベートーベンが初めて「舞踏」というテーマで作った作品だった。この激しいテンポの曲に合わせてドンは宙を舞っていた。でもそれよりも何よりも、この映画で一番の見所はドンのボレロだった。べジャールの振り付けによるボレロ。交響曲第7番の様な派手さはないけれど、赤い円卓の上で、円卓を囲むダンサーたちの王のように君臨するドンの存在は圧倒的だった。曲全体が巨大なクレッシュエンドのようなこの曲と同じように舞踏の方も段々に高揚して激しさを増していく。クライマックスに到達する時の感動を得たくて、何度もそのシーンだけを観てしまう。いつかボレロを踊り終えたドンが円卓の上で、消耗が激しくて、起き上がれずにずっとうずくまっている写真を見た事があった。ドンを知った次の年の11月30日、エイズによってドンはこの世を去った。新聞でその記事を見た時、バレエダンサーのエイズによる死亡が頻繁に起きている事への問題が提議されていた。でもそんなことは問題ではないと思った。問題はドンが死んでしまったという事なのに。知るのが遅すぎたと思った。やはりあの時、21年前に映画を観ていたら、ドンが日本へ来た時、ドンをこの目で見れたのに、と思う。いつも手遅れな事が多い。この手のことでは。ドンはベジャールのバレエ団に入りたくて自分からまだ16歳くらの時にベジャールを訪ねている。ドンとベジャールの関係は、ニジンスキーとディアギレフの様ではないけれど、二人は公私共に深い関係があった様だった。ベジャールという人は過去を一切振り向かない人だ。明日にだけに生きている人で、昨日の自分は他人と言い切るような人だ。そのベジャールが常に第一に認め続けてきたドンの努力を思う時、その身体一つで全てを表現していくことの厳しさ、年齢が増す事で衰えていく肉体に不安を覚えない事は無かったと思う。常に新しい何かを生み出して変容していくベジャールに、ついていく事も並大抵ではなかったと思う。マーラーの「アダージェット」をレーザーディスクで観たとき、それは死を演じているように見えた。いやそれは死そのものだったのかもしれない。死とはこうゆうものなのかと思えるほどそれは見事に言い尽くしていたと思う。年齢もとっていて肉体も「愛と哀しみ・・」の頃のようなシャープさは消え失せていたけれど、その分その表現するものは大きく変化していた。静かな動きの中で多くを語っていた。伝わるものが大きくて、観ている者の感情も大きく揺さぶられた。ドンにはドンだけに与えられた特別な何かがあった。それが私を惹き付けて止まなかった。ニジンスキーの動く映像があったらそれはやはり見てみたかった。ニジンスキーの事も知れば知るほど見れない悔しさに心が掻き乱れるけれど。ニジンスキーの頃は写真だけしかなかった。ドンは感情表現が卓越していた。その肉体とその精神との合体、そしてベジャールとの関係に於いても、揺るぎ無いものがあったから、出来たことなのだろう。
2005.10.25
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中学には入った頃仲良くなった友達がいた。「大雪の日に生まれたから雪子って言うの」と言って話しかけてくれた。小学校まで越境していたので、地元の中学に行っても知っている子はいなかったから、雪子という子が話しかけてきてくれたのがとても嬉しかった。雪子はお祖母ちゃんと二人暮らしだった。雪子は東北で両親と妹と暮していたのだけれど、いずれ東京のお祖母ちゃんとみんなで暮らす事になっていたので、先に雪子だけが東京のお祖母ちゃんの家に行かされた。高校、大学進学を考えると、東京の中学に行っておいた方が良いというのが両親の考えだった。雪子はまだ中学に上がったばかりなのに、哲学の本を既に読んでいたし、話す言葉が普通の子とはまるで違っていた。頭が良すぎるというのか、知識がありすぎるというのか、とにかく小学生のうちにあらゆるジャンルを読みつくしてきたような子だった。だから友達がほとんどいなかった。お互いよそ者だったから気軽に話しかけてきてくれたのだろう。そして雪子のその普通じゃないところに惹かれて親しくなった。部活のない日はほとんど雪子の家に寄った。土日も部活が終わった後や、ない日も行っていた。雪子のお祖母ちゃんは何故かほとんど家にいなかった。夕方にならないと帰って来なかった。だからいつも二人で勝手気ままに時を過ごしていた。雪子は博識だったから、いつも私が何で何でと聞いてばかりいた。それに対して雪子は明確に答えていた。文学、芸術、歴史と理数の両方が抜群だった。ただ宿命的に運動の方はまるで向いてはいなかったけれど。体育の時間に雪子が戸惑っているのを見ていて可愛かった。いつもはクールにしている彼女なのに。頭が良すぎて授業が面白くなかったから、つい先生の揚げ足を取ってしまって、先生たちの受けが凄く悪かった。成績はトップだったけれど評判は最悪だった。雪子は持て余していたのだと思う。認めてくれない大人に対しての不満があったし、ほったらかしにしている両親へも不満と寂しさがあったのだろう。私にしても雪子の相手にはなっていなかった。大人と子供程の違いがあった。もっと対等に話が出来る人が雪子には必要だったのかもしれない。その頃生徒会があって、雪子はその場で三年の女子の発言に対して、真っ向から異議を申したてて、討論になったあげく、相手が言い返せない程に言い負かしてしまった。トイレが臭いのは生活委員の怠慢という、どうでもいいような内容についてのことで。雪子はまるで上級生に喧嘩を売った様に思われたしまった。そして何度も上級生に呼び出されて泣くまで大勢に囲まれ言いたい事を言われたり、時には殴られたりした。雪子はなかなか泣かないから、余計に上級生の怒りを買って全てが長引くのだった。一緒に雪子についていくと、上級生が来るなと言って追い返すので、仕方なくいつも物陰から雪子を見ていた。何度も雪子に「早めに泣いちゃえばそれで向こうは気が済むんだから、嘘泣きして早めに終わらせた方が賢いよ」と言っても雪子はそれをしなかった。「いやよ!絶対そんなの。大した相手でもないのにこっちが降参したり、弱みを見せるなんて耐えられない。1年1人に3年が10人も相手にするような人達に負けたくもないわ」というのが彼女の意見だった。そんなこともあって、学校中で雪子は生意気な子として評判になってしまった。下駄箱にはいつも何か汚いものが入っていたり、体育着がトイレに落ちていたり、待ち伏せされて罵声を浴びせられたりしていた。その年頃の女の集団は余程暇だった。ほかにする事がなかったのかもしれない。そのうち強かった雪子もさすがに落ち込んで暗くなってしまった。学校も遅刻してきたり早退したりしていた。お祖母ちゃんも心配していたので、両親の近くにいた方が雪子には良いのではないかと思った。雪子にそれを言うと「あの人達は妹ばかりが可愛くて、私のことは嫌いなのよ。だから会いたくもない」と言った。そしてとうとう雪子が校長に呼ばれる日が来た。授業中に教頭が雪子を呼びに来た。校長室に来なさいと。それが二時間目の終り頃だとしたら、雪子が目を腫らして帰ってきたのが三時間目の中頃だった。席が隣同士だったから雪子にどうしたの?と聞くと、ワーって泣き出してしまった。たまたまとても優しい国語の先生で、ただ1人雪子を理解まではいかないけれど、雪子の才能を認めていた先生で、その先生が特別に二人で話していてもいいと言ってくれて、屋上へ行かせて貰った。雪子は自分でも何がなんだかわからないうちに夜、近所のゴミ箱に放火してしまったと言った。何度かしたらしいと言った。ただ何度したのかは記憶がないと言った。この2週間の間に小火騒ぎが近隣で何軒かあって、警察が近所に聞き込み調査をしたところ雪子の名前が上がって、目撃者も見つかったので学校の方に連絡が届いて、校長室に呼び出された。素直に認めなければ警察のほうで処分してもらうと校長に言われたらしい。あと何を言われたのかはわからないけれど、雪子は一日中泣いていた。給食も一口も食べなかった。昼休みも午後の授業もずっと机に伏して泣いていた。「もう、何もかも終りだわ」といい続けて。側にいても何もしてあげられなかった。何もしないでただ側にいるって結構大変なことだとその時知った。何か出来ることがあって動けたらどんなにいいだろうと思った。担任は出来たら東北に帰りなさいと言った。両親にもそう連絡したと言った。帰りに一緒に帰って雪子の家に寄った。もうここには住めないと雪子はポツリと言った。でも東北には帰りたくないと言った。無責任な言い方だったけど「大した事じゃないんじゃない?ただ火を点けただけで誰も死んでないし、誰にも被害はなかったんなら、ゴミ箱弁償すればいいんじゃないの。許されるでしょう?まだ12歳だしさ。ここにいればいいじゃない。ここに両親に来てもらえば。いままで雪子が我慢してきたんだから、今度は両親が雪子に合わせてくれるよ」雪子の両親はやはりこっちに越してきた。とても良い人達だった。雪子も初めは反発していたけれど、内心はやはり嬉しかったから明るさが戻ってきた。児童相談所に行かされたりして、情緒不安定と診断されたけれど、それはある一定を超えるほどではなかった。近所の人も雪子を1人で放っておいた両親に責任があると言って、雪子には同情してくれた。上級生もその頃はもう雪子にあまりかまわなくなっていた。いい加減相手にしている事にも飽きてしまったのだろう。それから彼女はみるみる元気になって、とても明るくユーモアのある聡明な人になって、友人も増え、すばらしい成績を残した。今は医者になっている。
2005.10.24
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昨日5年ぶりに友達から電話があった。年賀状だけのやり取りになってしまっていた。気がついたら5年も過ぎていた。お互いの近況を話して、それから映画の話になって、友達が「花様年華」を観たと言ったのでウオン・カーウワイとトニー・レオンについてとか話をしたけれど、「2046」だけは観ていないと言った。何故なのかは聞かなかったけれど、観るように薦めてしまった。「花様年華」も「2046」もトニー・レオンはとても好きなのに相手は友達の一線を越えようとはしない。「2046」ではフェイ・ウオンが木村拓也を忘れられず、「花様年華」ではトニー・レオンの奥さんと浮気している夫を、マギー・チェンは諦めきれずにいる。トニー・レオンは奥さんと別れてシンガポールへ行く。マギー・チェンに夫と別れて一緒に来て欲しいと言うけれど、彼女は悩みに悩むが一緒には行かなかった。トニー・レオンはカンボジアのアンコールワット遺跡に行って、マギー・チェンとの事を壁穴に封じ込めて、その壁穴に草を詰めて立ち去る。「2046」とそこが繋がっている。トニー・レオンとレオン・ライが出ているので「インファイナルなんとかパート3」(題名を忘れてしまった)警察とマフィアの話の映画を観たけれど、二人とも悪くはないけれど、やはりウオン・カーウワイが撮る二人には及ばない気がした。特にトニー・レオンの良さがあまり引き出されてはいなかった。トニー・レオンは実らない恋が似合う。特にマギー・チェンとの関係は良かった。マギー・チェンはトニー・レオンを本当は愛しているのだけれど、その時代の女の人は(1962年ごろ)中々離婚してまで好きな人と一緒にはなれなかったのかもしれない。いくら自分の夫が浮気していても。観ているとトニー・レオンが可哀想で仕方がないけれど、一緒に行けないマギー・チェンも魅力があった。アンコールワットのシーンも美しかった。「花様年華」って一体どうゆう意味なのか映画を観るまでまるでわからなかった。有名な中国の歌の題名だった。映画の中でその曲がラジオでかかるシーンがあるけれど、そのシーンも忘れられない。
2005.10.23
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満員の電車に揺られながら、つり革につかまった手の後ろから目の前のシートに座っている君を見ていた。君はいつもこの時間にこの車両に乗っている。そしてこの辺りのシートに座って、きちん両足を綺麗に揃えて、その膝の上にバッグを載せて、うつむき加減に目を伏せている。毎朝君を見る。必ず君はそこにいる。そして僕もここにいる。それだけの事だけど。もう1年以上もこうして君を確認してきた。君は僕に気がついているのだろうか。君は僕を知らないだろう。僕が君をいつも見ていることなど、まるで知りもしないで、君は今日も僕の降りる駅の一つ手前の駅で降りていく。君は僕の横を通り過ぎていく。君は微かにシトラスの香りがする。そしてその香りと共に僕に切なさを残して行くことも君は知らないで。僕のすぐ横を過ぎていく君と僕の間に距離などないのに、君を何一つ知ることのない僕がいる。君が去った後の車内はまるで光が消えたみたいに僕には見える。そして僕は今日もいつもの駅で降りて、会社に行って、仕事をして、家に帰る。そしてまた朝が来て君がそこにいる。仕事の帰りに友達の哲生と会った。哲生は結婚したばかりだった。同じ職場の子と。「大体毎日会うし、性格もわかるだろう。一緒に仕事してればさ。俺の悪いところも、何でも知ってるから、結婚してもあまり変わらないけどね。でもそれでいいのかなって思ってさ。お前はどうなんだよ。誰かいるのか?」何て言えばいいだろう。君を好きな人と言えるのだろうかと思う。でも確かに今の僕の心は君が中心だった。「電車で毎朝見る子がいるんだけど、でもだからって何がどうなる訳じゃないけど、ただ凄く気になる。初めて見たときから、ずっと。目立たない子だし、ごく普通のOLって感じだけど、ただそこにいるだけでほっとするんだ。今日もいるなって。ひっそりとそこにいて、うつむき加減に本を読んだりして、髪を耳にかけたり、サラサラした髪をしていて、誰にも迷惑をかけないで生きてるみたいな感じの子だよ」「ふ~ん、話しかけてみればいいじゃないか。思い切って」「何て言うんだよ。大体混んでる電車なんだぜ。無理だよ。降りる駅も違うし。朝はみんな急いでいるしさ、そんな事」「俺は別にいいけどさ。お前はずっとそのままでいいんだな」「わからないよ。考えてもいなかったし」「恋するだけじゃ何も進まないんだぜ。子供じゃないんだから、もっと前向きに考えてみろよ。世の中にはそういうことがきっかけで結婚する奴だっているんだぜ」「別に結婚のことなんて考えてないよ。そこまで」「わかったよ。ところでさ・・・」哲生は結婚してすっかり現実的になっていた。まるで説教されてるみたいな感じだった。みんな変わっていくんだ。現実というものに飲み込まれるみたいに。君がもし結婚していたとしても、君が誰かと付き合っていても、君が毎朝僕の前にいる限り、僕は僕の気持ちを変えることは出来ない気がする。その時僕は満員の電車の中で君だけと向き合っている。他の誰もそこにいないに等しい。でも君が何も感じていなければ、それもただ空しい絵空事にすぎないけれど。君は僕を知っている?僕に気がついているの?一度くらい僕を見てもいいのに。でも君のそのひっそりとした朝の時間を僕が台無しにしたくないし、君の静かなその心の湖に石を投げるような事も僕はしたくない。君はいつかそこから消えてしまうかもしれないけれど、君がそこにいる限り、それで僕はいい。
2005.10.22
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黄金色の絨毯を引き詰めたような落葉の銀杏並木を歩く時に、このピアノコンチェルトが聴こえてきそうな気がする。秋と冬の間がこの曲に似合う。数ある中で初めてピアノ曲でマイナーを書いた、モーツァルトのこのコンチェルトの第一楽章はまるでドラマみたいに起伏がある。いろいろな顔を持っている人の様だ。昔の人は何故こんな事が出来たのだろう。何故このような美しい音楽を残せたのだろう。いつも音楽の事で頭が一杯だったのだろうか?モーツァルトは言葉遊びが好きだったり、いわゆるその当時あたり前に日常的会話に入り込んでいた下ネタやスカトロジー的表現を好んでいた。モーツァルトの書簡集を読むと、姉のナンネルに宛てた手紙や、妻のコンスタンツェに宛てたものなど、今の時代では考えられないような馬鹿げた表現が尽きる事無く繰り返されていたりする。そのモーツァルトと、この美しすぎるニ短調のコンチェルトなどはまるで結びつかない。映画「アマデウス」の中でサリエリが「あんな馬鹿げた奴が、こんな美しい曲を作るなんて」と確か弦楽四重奏か何かのスコアを観て嘆くシーンも頷ける気がする。このニ短調のコンチェルトはある意味モーツァルトが勝負に出たような作品だった。聴衆の期待を裏切るような作品だった。自分の言いたいことを初めて露骨に出したようなものだったと思う。ただ楽しまれるだけの音楽ではなくて、自分の言うべき事を自分の言葉で語った。その言葉は音楽という言葉だったけれど。モーツァルトはいつもお金に困っていた。浪費家だったこともあるけれど。とてもおしゃれでつい綺麗な服を見ると買ってしまった。なかなか思うように事が運ばなくて、でもいつも諦めないで状況が良くなると信じていた。そうしてあの厳格なお父さんを安心させようと熱心に手紙を書いていた。読んでいるととても健気だ。そしていつもあのふらふらしているコンスタンツェを心から愛している。ラブレターみたいなものを毎回毎回書けることが信じられない。結婚して子供がいても尚、あんなに愛せるものかと思う。離れている事も多かったから、普通の夫婦とはまた違うのだろう。それに当時はいつ何が起こるかわからなかった。いつも死と背中合わせのような毎日だった。そんな背景があって強い絆を求めていたのかもしれない。コンサート活動が盛んだった29歳頃につづけざまにピアノコンチェルトを6曲も書いた。その次の年30歳の時は3曲書いた。その中の一曲がこの二短調だった。1年の間には他の楽器の曲も書くわけだけど、創作の泉は溢れ出るばかりで、尽きる事はなかったのだろう。一体何処からそれはやってくるのだろう?バッハは努力と勤勉さにあると言った。モーツァルトは何て答えるのだろう?バッハのそれとは随分違う答えが返ってくるように思う。モーツアルトはバッハの影響を早くから受けていた。対位法も極めて、バッハの作品を変奏したりして自分のものにしていた。モーツアルトも父親の指導の下に勤勉に音楽を学んでいた時期が確かにあった。そしていつしか誰も真似できないような音楽の世界を築き上げていった。この時期になるとモーツァルトのこのDマイナーのピアノコンチェルトを聴きたくなる。それは多分これからもずっと変わりなくこの季節が来ると聞き続けるのだろうと思う。それがある限り。
2005.10.21
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この曲を初めて聴いたのは中二の頃だった。誰もがこの曲に心惹かれていた。この曲を朝目覚めに聴くのが流行っていた。鳥のさえずる声で、透明感のある綺麗なミニー・リパートンの声で目覚めたら、その日一日が素晴らしいものになる様な気がしてた。でも夜の間もずっと聴いていた。友だちがこの曲をテープ1本分全部に録音してくれたのを。だからいつもLOVIN’YOUが自分の中でかかっていた。その曲といつも一緒だった。つまらない日常がまるで違う一日に思えるほど、心が浮き立つような気持ちになった。見飽きた部屋も、同じ通学路も、ありふれた町並みも、マンネリ化した学校生活さえも、特別なものに感じる事が出来た。違う世界に連れて行ってくれるような、現実を変えてくれるような、夢を見てるみたいな気持ちを与えてくれた。この曲が子守唄だったなんて知らないで、恋の歌だと思って聴いていた。恋する気持ちを歌ってるって思っていた。でもレコードを買った友達がこれは自分の赤ちゃんを寝かしつけるのに作った曲なんだよ、って教えてくれた。赤ちゃんに対する思いは恋する気持ちと同じなんだって思った。もう何年前になるだろう。中学の時、カセットに目一杯“LOVIN’YOU”を入れてくれた友達は人を好きになっていた。結婚している人だった。好きになった人が結婚している事を友達は知らされていなかった。友達にその彼と会って欲しいとある日言われた。特に断る必要もなかったから会うことにした。二人は車で私の職場の近くまで来てくれた。仕事を終えて友だちの彼の車に乗り込むと“LOVIN’YOU”がかかっていた。「懐かしいでしょう?」友だちは助手席から振り返って私に聞いた。だから「懐かしい。あの頃狂ったように聴いていたものね」と言った。友だちの彼はあまりそれを聴いてもいい顔をしなかった。影のある人だと思った。言葉も少なかったし、笑顔もあまり見せなかった。思いつめたような表情をしていた。後から思えば、それはそうだと思った。結婚していることを隠していたのだから。ある日友だちが彼の部屋を訪ねると女の人がいた。彼の奥さんだった。二人は上手くいっていなくて、度々奥さんが遠い実家に帰ることが多かった。彼はあまり用心していなかった。だから友だちと奥さんが鉢合わせしてしまったのだ。でも彼はそれを望んでいるようなところがあったような気がする。友だちはその時初めて彼に奥さんがいたことを知ったけれど、奥さんは友達の存在に気づいていたと言った。彼は家とは別に自分の部屋としてアパートの一室を借りていた。友達は彼と会う時はいつもそこで会っていた。鍵も渡されていた。そして奥さんも鍵を持っていた。実家から帰って来て、何か予感がしてその彼の部屋に来たと奥さんは言った。友達は何も言わなかった。言えなかった。でも奥さんは友達を責めなかった。「あの人が悪いのね」と言った。「いつもあの人は女を不幸にしてばかりなの。今までも同じ事が何度もあったの。あなたには悪いけれど。そういう人なの。あの人って。ずっとね、前からなの。私たちね、同じ小学校、中学校で、ずっと好きだった。そしてね、大学を出ると結婚したの。ずっと私と一緒だったから、もっと違う人を求めているのね。・・・でも別れられないの。想い出がありすぎて。付き合ったのは中学の三年だった。彼はね、朝目覚めた時に二人で“LOVIN’YOU”を聴けたらいいね、って言ったの。そんなことを言う人だった。その頃とても流行っていて、いつも二人で聴いていた。彼の車にテープがあったの。彼は私との想い出はもうあまり思い出したくないから、LOVIN’YOUなんて絶対聴かないの。それでピンってきたの。誰かいるって」気がつくと入り口のドアに彼が立っていた。友達は彼に気がつくと押さえていたものが一気にあふれ出て、思わず部屋から、二人から、離れて行った。彼は奥さんの言う事を聞かないで追いかけて来たけれど、友達は彼が掴む手を振り切った。その帰りに友達は私の家に来た。真っ赤な目をしていた。何もかもが終わったと言った。そして最後にあの曲を聴きたいと言った。1人ではとても聴けないから一緒に聴いてほしいと言った。大好きな曲だから、聴き納めにって。いつ聴いてもどんな時に聴いても色あせる事はないけれど、友達はきっともう聴けない。でもこの曲には私と友達の思い出だってある。それを言うと友達は泣き顔でくすっと笑った。
2005.10.20
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ガラスの向こうの雨の街を見ていた。人はあわただしく動いていた。タクシーに手をあげたり、傘と傘がぶつかったり、通り過ぎていく車が上げていく水しぶきに迷惑したり、一つの傘の中で囁き合うカップルを横目で見ていたり、人それぞれだった。店内は暖かいけれど、外はもう充分寒かった。ガラス窓は白く曇って時々擦って曇りを消した。二杯目のコーヒーを頼んでそれももう飲み干してしまった。でもそこを動く事が出来なかった。「恋人を待っているのなら、これ以上待っても来ない。」隣のテーブルの年配の男の人が新聞を広げながら、そこから目を離さないまま言った。それはひとり言のように聞こえたけれど、次にはこっちを見ていたので、それが自分に対して発せられた言葉であることを知って驚いた。顔と服装を見るとサラリーマンではなさそうだった。髪は白く髭も白かった。しかも髪も長かった。ちょっと早いけれどツイードのジャケットを着ていた。下はGパンだった。何処かで見たことがあるような人だと思った。内田裕也と真木クロードのお父さんのマイク真木に似ていたからそう思ったのかもしれない。黙っている事も出来ないので仕方なく返事をした。「誰も待ってなんていません。ただ時間を潰してるだけです」「何の為に」間髪を入れずに返ってきたその言葉は、強く突き刺さるような言葉だった。何の為に・・・。「時間を潰すのはもっと後でいいから、今は時間を生かしなさい」とその人は背筋を伸ばしながら言った。そして今度はこっちに身体の向きを変えた。その目はとても澄んだ瞳だった。子供の頃の光を失ってはいないように見えた。そしてその言葉もどうしようもなく引っかかった。見ず知らずの人だけれど、一体この人は何が言いたいのだろう。何故この人はやはり見ず知らずの自分にそんなことを言うのだろう。そして何故こちらも身を正してしまうのだろう。その人には確かに何かがあった。それが何なのかは簡単には言えないけれど、自分の本質に迫ってくるような迫力があった。真から言葉を言っていた。それはわかった。でもそれだけに答えることがとても難しかった。でも良く考えて出来るだけ正確に言おうと思った。「たまにこんなふうに街を歩く人を眺めているといろいろ考えるんです。人を眺めているんですけど、自分自身が急に見えたりするときもあるし、ぜんぜん関係ない事柄が浮かんできたり、それもずっと前の忘れていた出来ごとだったりして、でもそれは思い出すとかなり重要なことで、それがまたとても新鮮に感じる事が出来たりするんです。そうゆう時間がたまに私には必要です。でもそれを一々説明するべきかどうかと思ったので、簡単に時間を潰しているって言いました」その人は納得したような表情を見せた。そしてゆっくりと椅子の背にもたれた。新聞は閉じられて脇に置かれていた。「今はまだそれも早い。今できることはもっとある。誰でもいいし、なんでもいいから、一つにだけに集中しなさい。一つを徹底的にやりなさい。眺めて考えるのはもっとずっと先にとっておきなさい。今はまだそれをしなさい」その瞳はよく見ると優しさを含んでいた。そしてその人の言うことを聞いていて思いついたのは、井の中の蛙の話だった。「井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知れり・・・。一つを知ることは多くを知るということですか?」その人はただ聞いていたけれど、特に何かを感じたようではなかった。何事も無いような表情をしていた。そして話を続けた。「とにかく何も考えないで、その事だけを考えてやってみなさい。余分な事はいいから」それを言うとそれっきりその人は黙ってしまった。そしてまた新聞を広げた。新聞に目を向けるその人はもう、ちがう人になって自分の世界に帰って行ったみたいに見えた。言いたいことだけを言って、背中を向けるように。1人取り残されたみたいに感じてしまう。話しかけられる前の状態にはもう戻れなかった。そしてそこに居続ける事は場違いのように感じた。だからその店を出ることにした。だた一言だけメモをして、その紙切れをその人のテーブルにそっと置いてレジに向かった。その人はびくともしなかったけれど、本当にほんのちょっとだけ視線が動いた。それを認めることが出来た。それでいいと思った。店を出ると雨は止んでいた。青い空がすこしだけ雲の隙間に見えた。そして光が差し始めていた。何の為に…それはメモに残した一言だった。
2005.10.19
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数日前の朝の事だった。食器棚の方で食器が割れる音がした。いつも使っていたティーカップが一つだけ食器棚の中で真っ二つに割れていた。もしかしたらどこかにひびが入っていたのかもしれない。でもなんの圧力もなく勝手に割れるなんて。去年の夏の嵐の夜中、物凄い風の音で目が覚めた。風の音と雨の音が凄かった。そしてその途端、何かが割れる凄い音が部屋中に響き渡った。その音を言葉で表現できない。あえて言えばパッツキーンて感じだろうか。明かりを点けて辺りを見まわしたけれど何も変化はなかった。確かに聞いたのに、何も起こっていない事に納得が出来なかったけれど、考えても何も変わらないから忘れて眠る事にした。次の朝、壁に掛けてある絵の額のガラスの中央が、横一線に割れていることを発見した。でもその額のガラスが割れたにしては余りにも壮大な音だった。昨日の日曜日、水泳の大会が辰己であった。身内が出るので見に行った。50mのバタフライのタイムが2秒近くも縮んだ。だから冗談で、地震が起こったりしてね、と言った途端に地震が起きた。そんな取り留めのない事をあれこれ考えながら夕方の雨の降りしきる街を歩いていた。何かは起こる。それは起こる時は起こるし、起こらないときはなにをしても起こらない。起こってしまったことは元の形には戻せない。良い事も悪い事も否応無しに変わって行かざるを得ない。変わらない方が良かったと思うことが変わってしまうことは淋しい。人は何かをそうして失い、違う何かを得る。でもそれはきっと後悔するべき事ではないのかもしれない。よりよい変容なのだと思いたい。経験すべき事柄であって、意味がないわけではない。それはそれに繋がっている。それは切断された何かではない。いつかたどり着くはずのその場所には、その失ったものがしっかりそこにあるような気がする。割れたティーカップの割れた意味は次ぎに繋がるということなのかも知れない。繋げるためにそれは割れたのかもしれない。
2005.10.18
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朝起きたらどしゃぶりの雨だった。地面を強く叩きつけるザーッという雨音が部屋の全ての音を消していた。ただその雨音だけが聞こえた。窓の外は暗い灰色をしていた。休む事無く降り続ける大量の雨を見ていると気持ちが洗われるような気がした。きっと子供だったらそのまま雨の中を走って行ってしまったことだろう。それは凄く気持ちが良いことの様に思えたから。そしてこの雨のザーッという音はベートーベンの第九を思い出させる。第九はどこからか降って来るような音の塊に聴こえる。だから大雨が降ると第九が鳴り響く。雨の日に男の子に会った。その子はまだ10歳にもなっていないような子だった。その子は傘も差さずに歩いていた。雨に打たれながら。「どうしたの?」って傘を差し出して聞くと泣き出してしまった。泣き止むのを待ってよく聞いてみると、鍵がかかっていて家に入れないと言った。外で遊んでいたけれど、突然雨が降って来て、家に帰るとそんな状態だったので、途方に暮れて母親の仕事場へ向かっていた。合鍵を持たせて貰ってはいなかった。母親の仕事場は五つも先の駅だった。お金も持っていないし、六時まで帰ってこないと言った。まだ朝の10時だった。その日は日曜日だった。記憶の何処かで子供の頃に雨の中を傘も差さずに歩いていた自分がいた。やはり家に入れなくて、行くあてもなくて、途方に暮れていた。その時の自分とその子が重なって見えた。いけない事だったのかもしれないけれど、着替えを買ってあげて、その場で着替えさせて、電車に乗って、一緒に映画を観て、食事をしてゲームセンターで遊んで、本屋さんで好きな本を買ってあげた。そして六時ごろその子の家の明かりが灯っているのを確かめてからその子と別れた。今その子は二十歳を過ぎている。
2005.10.17
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尚人からはそれから暫く連絡もなかったし、書店に顔を出す事もなかった。思い詰めているのかもしれない。余程電話して、やはり彼女には会わないで欲しいと言ってしまおうかと思った。このまま尚人をあっけなく渡してしまって自分は本当にいいのだろうか?それがどうゆう事なのかわかっているのか?二度と会うことが出来なくる事だって考えられるのに。尚人は器用ではないから、彼女に会いに行ったら、エリとは会わないだろう。二人で楽しく過ごした時間はもう二度と戻らないかも知れないのだ。彼女が短期間で治る見込みなんてありえないし、治ったら治ったでそれで終りに出来るものでもないし、ずっと治らないことも充分考えられる。いろいろ1人になって考えてみると、自分の言ったことがそれで良かったのか悪かったのかがわからなくなってしまうのだった。一週間が過ぎた頃尚人が書店に来た。元気が無かったし、顔色も悪かった。でもエリはその姿を見とめた時、眩暈がするほど嬉しかった。仕事もほったらかしてそっちに走って行きたい気持を抑えて、尚人が目の前に来るのを待ていた。「ごめんね。心配してくれていたんでしょう?」エリはきっと泣き出してしまいそうな目をしていたのだろう。「そう、心配していたわ。ずっと。でもあなたもきっと1人で考えたかったのね」店では話が出来ないので、丁度昼休みをまだとっていなかったので、尚人と一緒に近くのレストランに入った。昼食時を過ぎていたので店はとても空いていた。「まだ決めてないんだ。昨日も母親から連絡があって、段々酷くなるし、僕の名前をずっと呼んでるって言われた。身体に受けた傷は良くなっているらしいけど。なんでそんなに僕の事を気にするんだろうね。付き合ったのが僕じゃなかったとしても、彼女はこうなったと思うし、彼女は僕じゃなくてもよかったんじゃないのかな。だったら僕には君がいるのに彼女に何かをする必要なんてないんじゃないかって思う」「あなたはそう思いたいのね」「だって僕は彼女とは別れたかったんだから。でも彼女が別れたくないって言った。それから始まったんだけど、彼女の病気が。やっぱり僕が引き金だったのには違いないんだね。それは動かせない」「でもそれはきっかけに過ぎないのよ。遅かれ早かれそれは起こったと思うの」「とにかく一度病院に行ってくるよ。エリにはちゃんと連絡するから。だから心配しないで」それから2日後に尚人から夜電話があった。彼女の状態を見て尚人は余りの変わり果てた姿にショックを受けていた。人はこんなんに変わってしまうのかと言うほどの変わりようだった。病気は人を容赦なく蝕んでいく。若ければ若いだけそれが顕著だった。彼女はそれでも尚人が来ると顔をくちゃくちゃにして喜んだそうだ。そして名前をずっと呼んでいた。確かめるように。エリは言葉が出なかった。何を言っても慰めにもならない気がした。ただ自分を責める事はしないでね、と言うのが精一杯だった。尚人はまた電話すると言って切った。もう駄目かもしれない。エリは自信がなかった。尚人を本当に必要なのは彼女ではないのかという気がしてならなかった。やはり何も出来なくても尚人が側にいるだけで違うのだ。尚人を諦めるのは自分だと思った。それを思うととても苦しいけれど、もっと苦しんでいる人がいるのだから、それを1人で乗り越えなければならなかった。そしてとうとうその日が来た。「やっぱり、もう忘れて欲しい。もっといい奴がいるから・・。僕みたいな奴の事は忘れて、もっと君に相応しい人を探して欲しい。そして君に何もしてあげられなかったことを許して欲しい。」尚人はそれを言う為にどれだけの時間が必要だっただろうか。それを言うまでに電話の前に二時間は座っていた。気がついたら日付が明日に変わっていた。エリは心の準備のようなものはしてあった。けれど、自分の気持の何処かで、それを言わずに、諦めないでいて欲しいという気持がなかった訳ではない。期待していた気持もあった。でも、やっぱり尚人は心が病んでしまっている彼女とは別れることが、出来なかった。エリはもう何も尚人には聞かなかった。ただもっと時間が経って尚人も落ち着いたら連絡をくれるように言った。そんなに簡単に忘れられる訳ではないのだから、何かあったらいつでも連絡して欲しいということも。エリは電話を切ると、窓を開けて夜の空気を部屋に入れた。夜空には半月が懸かっていた。それはこの夜に不似合いな形に思えた。半分というのはあまりにも情緒がない。割り切れ過ぎるような気がする。そんなに割り切れるものじゃないのに。でも月が悪いわけではない。誰のせいでもない。ただそれはそうなる以外にはないのだから・・・。 終
2005.10.16
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事帰りの電車の中でメールが入った。元の彼女の母親からだった。読むのは止めて消去していまおうと思ったけれど、それが出来なかった。エリの顔が浮かんだけれど、読むだけは読もうと思った。直ぐに病院に来て欲しいという内容だった。やはり読まなければ良かった。母親が目を放した隙に非常階段から飛び降りたらしい。3階だったのと、植え込みに落ちた事が幸いして奇跡的に、打撲とかすり傷で済んだけれど心に受けた傷のほうが大きくて、見ていて忍びないので、一度自分の娘に尚人の顔を見させてあげたいという内容だった。身勝手な話だった。でも本当に飛び降りてしまったことは尚人をとても驚かせた。それがもっと上の階で、植え込みも何もなかったとしたら、と考えるととても暗い気持になった。医者は二度と会ってはいけないと言った。出来ることは何もないとも。でも平気でいられる事柄ではない。そんなことがあって普通でいられたらおかしいと思う。自分を責めてもしかたがないけれど、自分を責める気持だってある。何も出来ないけれど、何か出来る事はないかとも思ってしまう。エリは何でも話して欲しいと言ったけれど、話すべきなのだろうか。話せばきっと、会ってあげなさいよと言うだろう。決して彼女を今でも好きな訳ではない。人の目を気にしているわけでもない。ただ自分の気持として自分に出来ることをしたいだけだった。同情ではない。もしも何もしないで、彼女に何かがあったら、きっと自分は何もしなかった事を悔やむと思う。一生自分を責め続けるだろう。何もしないでいることが一番いいことなのかもしれないけれど、自分の生き方として、それが出来なかった。でも、エリが本当にそれをしないで欲しいと望むのなら、それをしないでいる勇気が持てるだろう。会わないで、と言われたいと思った。それが尚人を押しとどめる大きな力だと思った。もしも彼女に会いに行ったら、エリとはもう付き合うべきではないと思う。今度会いに行ったらもうずっとこの先彼女が回復するまで会い続けることになるだろう。尚人はエリに電話してみた。エリは今日は早上がりで家に帰っていた。「今から会える?」と聞くとエリは「何があったの?」と言う。だから「会って話したいんだ」と言った。「勿論悪い話ね、きっと」「いまからエリの家の近くまで行ってもいい?」「わかったわ、駅に着いたら電話して」二人はエリの家の近くの大きな夜の公園をぶらぶら歩きながら話をした。エリは話を聞くと黙っていた。「僕としては病院に行ってあげたいと言う気持がないわけではない。それは人として当たり前の事だと思う。でも、エリが止めてくれたら、行かない勇気が持てる気がするんだ。1人で乗り切るには僕には荷が重たすぎて、君の力が必要なのかもしれないって思うんだ。だから君に言ってほしい。会わないでって。それは責任を二分する為じゃない。それだけはわかってくれる?」「わかるわ。あなたの言うことの意味が。よくわかる。・・・・・でも言えない。私には言えないわ。あなたがしたければする、あなたがしたくなければしない。それしかないと思うの。あなたがしたいことなら私は平気だわ。たとえあなたがもう私と会わないと言っても。あなたが選んだ道だとしたら。それを立派な事だと思えるし、誇りに感じる。思ってもいないことは言えないの。それにあなたはそれをするべきなのよ。彼女に。好き嫌いじゃなくてあなたに与えられたものなんじゃないかしら」「本気で言ってるの?」「そうよ、本気。だからあなたもよく考えてみて。私はあなたを嫌いになれないし、きっといつまでも好きでいるかもしれない。先のことはわからないけど。私はなにも気にしないから、あなたが彼女と会っていても会いたいと言えば会うし話したければ話すし、あなたがそれが出来ないのならばそれでもいい。私は変わらない、今は」「良く考えてみるよ。ありがとう。君は強いね。僕は何ていえばいいのか・・。」「何言ってるのよ。そんなに強い人なんていない。誰だって弱いのよ。でも出来ることと出来ないことがあるだけ」自分みたいな女は欲しいものをきっと手にする事は出来ないだろうと思った。欲しいものを欲しいと言えない自分を恨めしく思う。自分の中で譲れないものがあって、それを捨ててまで何かを得たいとは思わない自分が。それも仕方ないことだと思う。それこそ自分が決めているのだから。尚人が好きだと思う。彼女を放っておけないと言う尚人が好きだった。信じられる気がした。きっと自分が弱い立場になったとしても尚人は側にいてくれる人だろう。勿論いつでも普通のカップルのように会っていられたらどんなにいいだろう。でもその相手が尚人でなければ、違う誰かでは駄目なのだ。それはよくわかっている。だから尚人を失いたくはない。でもこの場合はどうする事も出来ない。そうゆう尚人が好きなのだから。尚人が彼女にはもう会わないことに決めたと言えばそれでいいだろう。それを自分で決めたのならば。でも尚人はたぶん病院へ行くだろう。彼女に会いに。エリはそんな気がするのだった。
2005.10.15
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まだ祖父が健在だった頃、よく聞かせてくれた話があった。祖父は戦時中捕虜の監視をしていたことがあった。捕虜をいたぶる日本兵士がいる中で、祖父は気が優しかったのか気が弱かったのか、捕虜と自分の違いがわからなかった。一体何処が違うのかということが。戦時中思っていた事は、殺されるものも殺すものも、死んでいく者も、生き延びたものも、同じにしか思えなかったということだった。ただ敵と味方の違いと言うけれど、味方同士でも、敵対する事もあったし、味方でも裏切られる事もあった。今、殺し合っている敵にだって家族はいる。自分と何処も違いはない。何故それなのに殺しあうのか。でも殺さなければ殺されてしまう。ただそれだけだった。上官にいたぶられた捕虜が独房に入れられた。オーストラリア人だった。祖父は上官に気づかれないように食べ物を与え、塗り薬を与えた。少し良くなるとタバコも渡した。日本が負けることはわかっていた。けれどそれを言うことは出来ない。押し黙ってその日を待つだけだった。自分もいつ捕虜になるか知れない。とても生きて帰れる気もしなかったけれど、とうとう生き延びて日本に帰ることが出来た。けれど祖父は終戦後、戦犯にかけられた。祖父の上官が派手に捕虜を傷つけていたから、その直属の部下である祖父も死刑を言い渡された。なのに祖父は何故かいつまでも生きていた。まわりがどんどん死刑になっていく中で。そしてある日突然釈放された。何故かと聞くと、祖父が助けたオーストラリア兵が陳情してくれたおかげだと言われた。祖父が亡くなって、伯父が仕事でオーストラリアへ行くことになった時、伯父はそのオーストラリア兵が存命しているか、今何処に住んでいるかを調査した。伯父は調査会社にいた経験があったので、そのノウハウは心得ていた。その結果その人は生きていて、住んでいる場所もわかった。伯父は仕事を終えると、その人に会いに行った。けれど、日本人と聞いただけで会おうとはしなかったと言う。日本人恐怖症になっていたらしい。それほど日本兵の仕打ちは酷かったらしい。何処の国にも酷い人はいるし、いい人もいるのだろうけれど。ちゃんと事情を話すとやっと会ってくれることになったそうだ。そして祖父の事はよく覚えていてくれたけれど、日本人に対する恐怖心が今でも消えなくて、祖父のことを思い出すことは、その時自分が受けた拷問を思い出す事に繋がると言ったそうだ。戦後40年以上が過ぎていた頃のことだけれど、その人の傷は癒えてはいなかった。
2005.10.14
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イズミさんは中華街では名の知れた日本人だった。それが東京の副都心の高層ビルが完成して、そのテナントの中国料理店の経営者に引き抜かれて、中華街を離れた人だった。イズミさんには独特のムードのようなものがあった。長い間中華街で中国人と仕事をしてきたせいなのか、日本語のアクセントとか話の間の取り方が日本人らしくなかった。イズミさんは醜いものが嫌いだった。美しいもの以外認めないようなところがある人だった。その店の看板むすめの小百合さんはとても美しい人だったから、暇さえあれば側に寄って行って、いつも可愛いねとか、今日も綺麗だねなんて言いながら小百合さんの豊かな胸をいつの間にか撫でていたりした。イズミさんには何故か小百合さんはそれを許していた。イズミさんにはそうゆう得なところがあった。憎めないところが。小百合さんのお姉さんのトモ子さんとう人がいて、その人はまた極端に小百合さんとは違って、あまり美しいとは言えない人だった。小百合さんが綺麗過ぎるので、トモ子さんがいつも損をしているといった感じだった。そしてイズミさんはトモ子さんとは一切話というものをしなかった。トモ子さんは店の経理を仕切っていたから、金銭的な話はトモ子さんにしなければならなかった。けれどイズミさんはそういったことでも口を利かなかった。その頃高校生でバイトしていたのは私だけだったので、若い=可愛いに繋がるらしくイズミさんに毛嫌いされる事はなかった。その頃は余り突き詰めて考えてはいなかったから、トモ子さんをイズミさんが嫌っていても、お互い様くらいに思っていた。イズミさんは普段ちゃらちゃらしていたけれど、仕事は凄腕だった。中華街の頃のお客さんがわざわざ横浜から来たりしていた。同じものを作ってもイズミさんが鍋を振るとまるで違ったものが出来るみたいに美味しかった。開店前の賄い料理をイズミさんが作ってくれるのがとても愉しみだった。宴会が入ると、イズミさん以外の人は仕込みだけで、鍋を振らせてもらえなかった。その特別なお料理をよく食べさせてくれたのもイズミさんだった。だからトモ子さんには悪かったけれどイズミさんを責められなかった。でも一度だけイズミさんに聞いたことがあった。何故トモ子さんをそこまで嫌うのかを。その時醜いものが嫌いだと言ったのだけれど。「なにもね、外見ばかりの事を言ってるんじゃないんだよな。あの人醜いでしょう?心がさ。ハートなんだよ。ハートが。だからあんな人と話すくらいなら、可愛い子と話していた方がいいでしょう?」さすがにまだ高校生には手を出さなかったけれど、そこには何か理解を超えたものがあった。なんとなくだけれど、イズミさんの言うことがわからないわけではなかった。小百合さんには毅然としたところや誇りのようなものがあったと同時に可愛げもあった。けれどトモ子さんには可愛げというものがもしかしたら不足していたのかもしれない。でもイズミさんに気にいられる必要も無いのだから、トモ子さんはあれでよかったのだと思った。その頃ワキヤさんという19歳で結婚している女の人がパートで入ってきた。ワキヤさんのご主人は当時まだ二十歳そこそこなのに中華街では若きエリートだった。ワキヤさんのご主人とイズミさんは中華街で知り合っていて、イズミさんはワキヤさんのご主人は必ず日本一の料理人になると言っていた。そのくらい凄いと言っていた。とても勉強家で料理の事についての知識に貪欲で中華に限らず、世界中の料理を食べたり、作ったりしていたらしい。あまり同業者を褒めないイズミさんが絶賛していたから、ワキヤさんに「凄い方なんですね」というと「いつも喧嘩ばかりしてるの。何時も料理の事ばかりで忙しいから、全然構ってもくれないし、優しくないのよ」と言った。「本当はね、違う人と結婚するはずだったの。その人はとても優しくてね、仕事場に毎日迎えに来てくれて、申し分ない人だった。でもね、ユウジが現れてからはね、その人が目に入らなくなってしまったの。お互いに一目ぼれだった。親に反対されたけど、結局はユウジを選んだの。いつもいて欲しいときにいてくれる人ではないけれど。だから親はね、ユウジさんより前の彼にしておけば良かったのにって言うけど、後悔はないわ。彼にはね目的がある。まだまだだけどね、若いし。でも夢があるから輝いてるの。優しいだけが魅力じゃ無いと思うの」ワキヤさんはその後、直ぐに辞めてしまったから一緒に仕事をしたことは数回だったけれど、とても忘れる事の出来ない人だった。目が大きくて、ほっそりとした、美人だった。大人になったある夜、「料理の鉄人」という番組を見ていたら、挑戦者にワキヤユウジという人が出ていた。NHKの「今日のお料理」でも顔を見たことがある人だった。その家族席には、あの中国料理店で一緒に仕事をしたワキヤさんが男の子二人と座っていた。
2005.10.13
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「ねえ、何故私なの?何故他の誰かじゃなくて、私?」エリは前から聞きたいと思っていたこと聞いてみる。尚人は少しぼんやりしていたけれど、そのエリの問いかけを聞いた途端、我に返ったようだった。「考え事していたのね。彼女の事気にしてるの?心配だったら行ってあげればいいのに。本当に私、そう思う」「違うよ、今考えてたのは君のとこだよ。エリを一番に考えないといけないなって思ってたんだ。もう済んだ事をいつまでも引きずっていたら、君に悪いなって」「そうなの?本当に?心ここにあらずって感じがしたけど」「何故エリなのかって事だろう。それはね、エリといるとね、違和感がないんだ。それが凄く自然な事に思えて、無理がない。無理する自分がいないし、ありのままの自分でいられる。それって何でもないことのようだけど、それほど大切な事もない気がしたんだ。書店で初めて話したころからずっと思っていた。だから毎日のように顔を出したんだと思う。会って一言でも二言でも言葉を交わすのが楽しかったし、そうしない訳にはいかなかった。僕は普通そんな事は決してしないタイプだから、それはとても珍しいことだったし。君に1日会わないとまるでどこかに大切な何かを忘れてきてしまったみたいに落ち着かなかった・・・。納得してもらえたかな?」「それって喜んでいい事柄なの?要するに気を使わない相手って事でしょう?」「ほらね、またそんなふうに君は言うけれど、でもそんなところがいいのかな。とにかく普通でいられるってエリにはわからないかもしれないけれど、僕にはとても大事なことなんだ。静かな波が押したり引いたりするようなそんなささやかな浮き沈みの中で、ゆらゆら揺れていられるような心地良さを君に感じるんだ」「ふ~ん。なんか年寄り臭いけど、まあいいわ。あなたが良いって思うのならそれで」エリは尚人の言葉が嬉かったけれど、性格上そっけない返事しか出来ない。優しい言葉とか、甘やかされることに慣れていないから、どう受け止めて良いのかがわからないのだ。両親は、感情というものを出来る限り排除するような二人だったから、甘えた事もなかったし、優しい言葉をかけられた事もなかった。それを心から望んでいるのにいざそれが目の前にあると、持て余してしまう。尚人にはその事を話してあるけれど、本当に理解してくれているだろうか?尚人にだけはわかってほしいとエリは思う。そっけない子だと思って、離れて行かれてしまう経験が多かった。わかってはいてもなかなか自分の性質を変える事は出来ない。でも尚人は唯一今までにない人の様に思える。そっけないエリのその裏にある本当の気持をわかってくれるような人ではないかと。
2005.10.12
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尚人とエリはそれから週に二度か三度は帰りに会っていた。二人の関係はよく話をするけれど、その割りにあまり親密ではなかった。二人とも何処かで病気の尚人の元の彼女に遠慮があるのかもしれなかった。そんなある日尚人が家に帰ると一通の手紙が届いていた。元彼女の母親からだった。尚人は重い気持ちでその封を切って手紙を取り出すと上着も脱がずに、ベッドに腰掛けて読んでみた。その内容はとても控えめなものだった。今まで迷惑をかけてきた事への詫びと、彼女の病状が書かれていた。一時は酷い時もあったけれど、薬が効いて何とか落ち着けるようになったこと、けれど油断が出来ない事。薬が効かなければいつ何が起こるかはわからないと言うことが書かれていた。発作が起きると、何処からでも飛び降りようとしたり、先の尖ったもので自分自身を傷つけようとするのだった。母親もきっと付ききりで大変だろうと思った。いつも高圧的だった彼女の母親がこんな手紙を寄こすとは以外だった。憔悴しきって弱気になっているのだろう。エリと会ってもとても楽しい気持ちにはなれなかった。「何かあったでしょう?」エリは直ぐに気づいた。「彼女の家から何か連絡でもあったのね」仕方なく尚人は頷いた。本当はエリにはもう前の彼女のことは話したくなかったし、気にしないでいて欲しかったのに、自分からそれを悟られるような態度を見せてしまった事に自分が腹立たしかった。「自分ひとりで抱え込まないで。何でも言ってよ。それに自分を責めないで。秘密にされるよりなんでも話してくれたほうが私はいいのよ。初めからわかっててこうなったんだから。何も知らない訳とは違うでしょう?」尚人はエリの言葉に心を許して、昨日の手紙について話をした。エリは何だそんな事?と言った。もっと何か重大な事でも起きたのかと思ったと。「でも今は薬で落ち着いているのでしょう。とりあえず良かったんじゃない」エリは尚人を安心させようと、そう言ったものの、実際は一度そうゆう癖がつくとなかなか治らないと言う事を心配していた。でも中には治ってしまう人もいるし、治らない人もいるし、こればかりは何とも言えなかった。出来る事ならば治って欲しい。普通に生活できるように。尚人と会えなくなった事がショックでたぶん発作が起きたのだと思うけれど、それに変わるものがなにかあれば良くなる見込みも大きいかもしれない。でもそれを探すのは尚人ではなくて、彼女の身内やケアしている人達なのだ。でもだからと言って、楽しい雰囲気になれるものでもなかった。定期的に彼女の母親から手紙が来るようだったら医師に相談した方が良いと尚人も思っていた。なにも知らなければ段々に忘れていくことが出来るけれど、度々知らせてこられたら、忘れる事は出来ない。今はいいけれど、そのうちエリとの関係もおかしくなってしまうだろう。手紙が来てもそのままゴミ箱に放り込める程強気になれないのは、意思の弱さなのだろうか。優柔不断とか。エリを好きだったらきっぱり切ってしまうことが大切なのだ。1人の人を幸せに出来なければ、他の人も誰も幸せになんて出来ない。自分の一番大事な人を一番に考えるべきなのだ。
2005.10.11
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フェラガモというブランドがある。靴の革が上質な上に足にとてもフィットするという事で、日本でも瞬く間に有名になったイタリアのブランド。そのフェラガモのブティックにたまに行くことがある。自分の為のものを買いに行くのではなくて、お返し物を買いに行くのだ。1年に一度くらいの割合で。その人はいわゆるブランド愛用者で特にフェラガモが好きだ。その人は年配者で、子供の頃からお世話になっていた人だった。たまに会うととても良くしてくれるので、そのお礼としてフェラガモの小物類か靴を贈る。ついこの間あるデパートのフェラガモのブティックにそのお礼の品物を買いに行った。経済が良かったころは高級ブランドの人達は、高飛車な人が多かったけれど、今では小物類を買うだけでも大げさ扱ってくれる。気恥ずかしい程に。新しい型のサングラスがあったので、それを買うことにした。それを包んでもらっている間に、1人の華奢な男の人がけだるい感じで店に入ってきた。チャコールグレイのスリムで短めのこの時期に相応しい生地のコートを着ていた。見るからに上質でとても上品な光沢があった。その男の髪型は「野獣死すべし」の頃の松田優作みたいだった。大体松田優作を一回り小さくしたような人だった。黒のフェラガモのビジネスバックを持っていた。仕事の途中なのだろう。男はサングラスをかけていた。それはさっき私が買ったサングラスと全く同じものだった。どんな職種の人なのかちょっと見当もつかない。品がいい人とは言えない。かと言って薄暗い世界の人とも違う気がした。勿論常連客のようで、その店のチーフのような年配のスタッフと気軽に言葉を交わしていた。フェラガモで全身を固めていても、その人にはどうしようもない軽薄さ、薄情さ、残忍さ、のようなのもが透けて見えてしまうのだった。人としての暖かさが絶対的に欠けているように。そしていくら高額な収入があったとしても、その身に着けているものの全てを剥がしてしまったら、その男に残るのは多分ハングリーな精神だけなのかもしれない。その人は地の底から這い上がってきたような人に見えた。決して恵まれた環境に育った人ではなかった。いつかみていろよ、と心に秘めて生きてきた人のある意味強さがあった。身体は華奢でも中身は筋金入りのような貪欲さが。店の中のテーブルを挟んで男と私は向かい合って座っていた。男は横を向き、私も男の方を見てはいなかった。が、突然横を見ていた男が被りを振るようにこっちに顔を向けた。そしてじっと見られているのがわかった。思わず立ち上がって、反対側の方へ歩いていった。そして冬物のコートやセーター類を見ていた。男の視線に耐えることは出来なかった。それは貼り付くような視線だった。気がつくと男は私の後ろに立っていた。そして「久しぶりだな。・・・元気そうだな。何してるんだ今は。」と男は笑もしないで言った。その話し方は唇の片方を斜めに吊り上げて話すような話し方だった。男は誰か違う女と間違えていたのだ。男は多分それなりに遊んでいて、女の人には不自由していないように見えた。「覚えがないですね。申し分けないですが」と言うと男は「忘れてないよ。あの夜の事は。いい感じだったよな。悪くなかったし。名残惜しかったけれど、いろいろ忙しいかったから連絡も出来なかった。最近はやっと暇が出来てね。そろそろ連絡でもしようかと思っていたんだ」男は印象付けるように執拗なほど目で訴えていた。何処かで聞いた事があるような映画の台詞みたいだった。飽きもせずにこんな言葉を誰にでも繰り返すのだろうか。そんな言葉を本気で信じる女なんていないのに。もしいるとしたら、信じるふりをしているだけだと思う。「大変お待たせいたしました」と言ってお店の人が丁寧に包装して袋に入れて持ってきてくれた。私は男を無視して、お金を払った。それからレジのあるところまでお店の人は行くので、また男と二人になってしまう。「怒ってるんだろう。わかってるよ。でもちゃんとその償いはする。俺はそうゆう男だろう」男に背中を見せている私の耳元で男は囁いた。私は呆れてしまった。そこまでの女の顔もちゃんと覚えてもいないのかということに。それともサングラスをかけているから、間違えやすいのか・・。さもなければ新種のナンパの仕方なのか?レジからお店の人が戻って来てお釣りを貰った。私は男の耳元に「私の気持ちを取り戻したかったら、今付き合っている全ての女と手を切ってから連絡してくれる?」と囁く様に捨て台詞を残して店を出た。男はハッとした顔を見せると、慌てて追って来た。けれど、私は運良くドアが閉まる寸前のエレベーターに乗り込んだ。男は閉まるドアを開けることが出来なくて、エレベーターのドアを蹴っ飛ばした。
2005.10.10
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「それでもう、彼女のお母さんから連絡はないの?」「今のところはないけど。でもどうかな?今日きっと入院して、医者といろいろと話をしたと思うから、明日あたり電話でもくるかもしれないな」「彼女の症状が悪化して大変だって言われたらどうする?」「気持がないのに手出しするべきじゃないって気がついたんだ。今までは人にどう思われるかを気にしていたけれど、彼女の為にも、自分の為にも何もしない方が良いんだと思う。医者にも言われたし、その通りだと思うから」「ちゃんと話をして別れた訳じゃないんでしょう?彼女はそれで納得できるの?」「そういう問題じゃもうないんだよ。彼女と話し合うって事さえ今はできる状態ではないんだ。会いに行かないとおかしくなるから会いに行っていただけだった。この一年間は。話なんて特にしなかった。ただ何時間か一緒にいれば、ただ付き合っているという状態であればそれで彼女は良かったんだ。別れ話なんてしたら、発作が起きて手におえなくなるから。何度もそれを繰り返してきてたし。だから今更ちゃんと話して別れられるっていうものじゃないんだよ」「でも何だかかわいそうね。私だったら凄く悲しいと思う。病気なのに。でもあなたには迷惑な話よね。初めからそんな病気があるってわかってたら付き合わなかったのね」「それを知っていたら付き合わなかった。確かに。君は何も知らないから彼女に同情するけれど、もし君に彼氏がいたとして、そんな状態だったらきっと凄く怖いと思うよ。何されるかわからないんだから。おかしくなると凄い力になるし、何も怖くなくなるみたいで、何処からでも飛び降りちゃいそうな状態になったりするんだ。殴りかかってきたりもするし。あまりこうゆう事は言うべきじゃないけれど、君に僕が薄情な奴ではないってわかってほしかったから、つい言い訳のように話してしまったけれど・・」「そうね、私が思うほど簡単な事じゃないわね」「でももう忘れる事にする。考えない事に。せっかく自由になれたんだから、これからは自分の為に生きたいと思ってる。それでなんだけど、これからもこうして会える時に会ってくれる?」「別に良いけど」「そうじゃなくて、僕が言いたいのはね、君とこれからもずっと会っていきたいって事なんだ」「だから良いって言ったでしょう」「君は鈍感だな。僕の言いたいことがわからない?」「わからない。まわりくどい言い方は通用しないのよ。言いたいことがあるのならはっきりとわかり易く言って頂戴」尚人は笑っていた。そして、僕と付き合ってくれる?ってとても照れくさそうに言った。と言うよりエリに言わされたのかも知れないとエリは思う。嬉しかったけれど手放しでは喜べなかったのは否めない。誰かが不幸で、自分だけが幸せになれる訳がない。だから普通だったらその喜びに酔ってしまいそうだけれど、心は醒めていた。多分彼女の母親から尚人に連絡があるだろう。尚人も今は否定していたけれど、いざとなったら彼女を放っておけなくなるかもしれない。そうすれば、一度顔を出せば、それは一度で済まなくなるだろうし、母親も期待してしまうだろう。尚人に対して。エリは尚人が心配と言うよりも、むしろそんな彼女をきっぱりと切ってしまえる人ではあって欲しくは無いと思うのだった。それに尚人が自分に心が向いてくれていても、それは今までの不自由な生活の反動で、誰でも良く見えてしまうのではないかと思ったりもした。何故自分でなければならないのかを尚人に聞いてはいない。いつかそれを聞いてみようと思うのだった。
2005.10.09
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「哀しい時には笑っていなさい」と教えてくれた人がいた。「哀しい時に哀しい顔をするのは、あまり素敵な事じゃないから、そういう時は、そっと微笑むのよ」その人はいつも素敵な微笑をする人だった。唇の端をキュっと上げて微笑んだ。その人は多くの哀しみを飲んできた人だった。けれどその人を見て過去に想像を絶するような悲劇に見舞われた人だなんて、誰も思うことはなかった。恵まれた環境で生きてきて、才能もあって、容姿にも配偶者にも全てに申し分のない人に見えた。「何もかもを忘れるなんて出来ないけれど、私は不幸ですって、人々に宣伝する必要はないのよ。何も知らない人は何も知らないのだから。知っている人は知っている。知っている人は、可愛そうな人だと思うだろうし、知らない人は、普通の人と思うだけでしょう。哀しんで失ったものが返ってくるのならいくらでも哀しむわ。でも、何一つ返る事はないのよ。それはもう消えてしまったのだから。取り戻す事は出来ないの。だから私はね、明日に生きるのよ。そう決めたの。もう振り返らないって。だからあなたもちょっとした事なんて気にする事はないのよ。人は誰でも間違うし、失敗するものだから。誰かに何かを言われても気にしては駄目。人は勝手な事を言うものなの。結果だけしか見ることが出来ないの。でもね、自分には自分の事がわかるでしょう。自分は何をしたいのか、何が必要なのか、何が嫌なのか、何が良いのか。その自分の判断を大事に生きるのよ。人に何を言われても自分の選んだものに忠実に生きるの。たとえそれが間違っていても、取り返しはつくのよ。大事なのは自分が選ぶ事。回りに左右されない事。そうして生きていれば必ず何かを掴めるから。まだその本当の意味があなたは若いからわからないかもしれないけれど、いつかきっとわかる日が来るから」十代の終り頃だった。その人が何を言いたいのかがはっきりとはわからなかった。その頃は手探りで生きていたから、まるで余裕がなくって、いつも迷っていた。その人の言う通りになんて生きることは出来なかった。その人と自分は造りが違うと思っていた。哀しい時に哀しい顔をしてしまったし、まわりの人の言うことが気になって仕方がなかった。自分が正しいと思っても、誰にも賛同されないと、引いてしまった。だから自分の意見を人に言わない事にしていた。わからない人に言っても仕方がないから。たまたまここには自分の言う事がわからない人が集まっているだけだと。でも自分を信じる事はその頃はとても難しい事だった。やはり随分悩んだ。まわりと自分の違いを何て説明すれば良いのかがまるでわからなかった。何故皆の考えと自分の考えが違いすぎるのか。だから本当に話したい事はまるで話すことが出来なかった。1人で対話するようなものだった。自問自答の世界。でも物語の中には同じような考えの人がいたし、もっともっと魅力に富んだ人が。そんな人の中にいると安心できた。だから本を手放す事が出来なくなった。今その人のあの時の言葉はわかる。その人が今何処でどうしているのかは、分らない。ただ、その言葉を残した後に、会社を辞めて、離婚して、全てを清算して、ニューヨークへ行ってしまった。若い頃から好きだったニューヨークヘと。そしてその人の消えてしまった会社には、もう何の魅力も残ってはいなかった。「10年はいなさい」と言われていたけれど、4年半が限界だった。
2005.10.08
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「とりあえず明日から入院してもらう事にしました」医師は言った。「あなたと会わないようにするには、その方法しかないでしょう。患者の親御さんはあなたに甘えているようですから。私の方からも親御さんにあなたに迷惑をかけないようにと言っておきます。ですから、何か言われても、絶対もう患者さんとは会わないで下さい。それが患者さんの為でもありますし、あなたの為ですから。同情はしないで下さい。今日限りで忘れて下さい。わかりましたね」「ええ」「自分を冷たい人間だと思わないで下さい。あなたに治せるものではないのですから。それに、結婚している訳でも、婚約していた訳でもないし。ご家族に任せておけばいいのです。今までこの1年間充分誠意は示したのですから」尚人は医師の言葉に感謝はしたものの、どこかで自分を非難する声が聞こえた。それはどうしても消えなかった。多分彼女の母親は尚人に泣きついてくるかもしれない。それをハッキリ拒否できるだろうか。医師は同情は禁物だと言った。そう、同情はとても卑劣な行為だ。されるのもするのも・・・。だからやはりこれ以上係わる事を避けなければならない。どんなに非難されたとしても・・。仕事の帰り書店寄ったら、エリが文庫本の階にいて、夏目漱石の文庫を補充していた。「漱石の何が一番売れるの?」背後から話しかけた。エリは驚いた顔をして振り向いた。「来たなら来たって言ってよ。急にびっくりするでしょう」「だって、驚かしたんだから、びっくりしてもらわないと」「今日は随分饒舌ね。なにか良いことでもあったの?」「どうかな。良いのか悪いのか。自分では良くわからないな。だから話を聞いてもらいたくてさ。今日も誘ってもいい?」「今日は駄目って言いたいけど、何もないわ。生憎」「じゃ、昨日の店にいるよ」「昨日の店はうるさ過ぎて、大きい声でずっと話さなければならくて、声が枯れるから、違う店にしましょう」「じゃ、駅ビルの地下にある串焼き屋知ってる?」「知ってる」「そこのカウンターにいるよ」エリはこの自然な感覚がとても気に入っていた。二人には壁というものがなかった。何故だろう。とにかく尚人とは、無理なく、友だち関係でいいから、付き合っていきたいと思った。どっちにしても尚人には病気といえども付き合っている人がいるのだし。尚人は駅ビルに向かう人通りの中で、自分がしていることは間違ってはいないと自分に言い聞かせていた。自分はもうフリーなのだ。誰と何処で会おうと、それはもう、尚人の自由なのだ。今までずっと義務のようにしてきたから、自由でいることがまるで悪い事のように思ってしまうのだった。医師の言葉を思い出そう。もし、彼女の母親から連絡があっても、医師に会わない様に言われたとハッキリ言おう。そして自分にもそのつもりはないことを。エリといることは楽しい。今まで忘れていた世界だった。尚人は自分はまだ若くて、人生はこれからだということをずっと忘れていたのだ。エリはそれを思い出させてくれた。エリには今日医師が尚人に話した事を、聞いてもらおうと思う。エリはなんて言うだろう。
2005.10.07
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夜マウンテンバイクでDVDを返しに行った。その帰り道、夜の暗い緑道で霧雨が降っていた。空気は冷たくて、細かい霧のようなシャワーを浴びるようにバイクで走っていたら、このまま何処かへ行ってしまいたいような衝動に駆られた。身体がそれを求めていた。エネルギーを出し切らないといられなかった。プールはもう、終わっていたから、泳ぎに行く事も出来ない。バイクでその辺を走っているだけでは、燃焼出来そうもなかった。プールで全速力で1500mくらい泳ぎたかった。そうすれば何もかも忘れられるくらいに疲れることが出来たのに。この悶々とした思いは一体なんだろう。何かが溜まって、それを無くしてしまわなければ、すっきりしないのだ。今もその悶々とした思いを抱えている。明日は絶対一杯泳ごうと決めた。腕も足も動かなくなるくらいに。そうしないとずっと何かが溜まっていって、重くのしかかる様に心を圧迫するから。何故そんな事が起こるのだろう。突然それは起こる。なにかが不完全燃焼しているのかもしれない。意にそぐわない事をしたり、言ったりした時に起こったりするかもしれない。心にもないことを言ってしまうことがある。本当はもっと違う事が言いたかったのに、不本意な事を言ってしまうのだ。でもいつも思うけど、その出してしまった言葉にはそれなりに意味があるのかもしれない。言う気じゃなかったといっても、心にも全くないようなことがいきなり現れたりはしないから、心のどこかでずっと思っていたことなのかもしれない。それは時期を待って出てきたのかもしれない。
2005.10.06
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エリと尚人はその混んだ店で、カウンターに並んで座って、大きな声で長々とお互いについて話をした。まわりの話し声に負けないように。尚人はエリと話をしていて、今付き合っている人がいるのかどうかとエリに聞かれたときだけは、ためらう気持があった。どう話せばいいのか。全てをあからさまに話すべきなのかと。「いるけど、病気なんだ。心の。だから今は普通に付き合っているのとはちょっと違うんだ」「心の病?」「病名はあるけれど、よく覚えていなくて」「そうなの。回復の見込みはあるの?」「わからない。先天性だと医師が言っていたから、器質的に問題がある病気なのかもしれないね。心の病というよりは。だとしたら、回復は難しいかもしれない」「そうだとしたらどうなるの?」「一生その病気と付き合ってくんだろうな」「あなたも?」「この先の事は誰にもわからないよ」「ごめんなさいね。いろいろ聞いちゃって」「いいんだよ。ところで君は?君にはいい人がいるの?」「えっ、私?ねえ、どう思う?いると思う?いないと思う?」「そうだな・・、友だちならいそうだけど・・、付き合ってる人っていうとどうなのかな?」「何でわかるの?」「なんとなくね」「なんとなく、コイツには彼氏なんていないな、なんて思うのね」「そんな風に僕は思わない。君の事を。ただ君は誰とでもフラットに付き合える人なのかなって思ったんだ。特定の誰かとだけ付き合うというよりも」「特定できる人に出会ってないだけ」「じゃ、出会えるといいね」エリは余程、もう出会ったのよ、と言ってしまおうかとも思ったけれど、尚人の彼女との事情を考えると、そんな事は言うべきではないと思うのだった。自分が良いと思う人には何かがある。何かがある人だから、惹かれるのだろうけれど・・。尚人はエリといろいろ話をして、こうゆう関係が普通なんだと思わずにいられらなかった。自分と彼女の関係は、ただの義務になっていた。そんな気持でいるのは相手にも申し訳ないけれど、でもその彼女自身が、尚人がそんな気持でも別れようとはしないのだから、救いがなのだ。けれど、医師が尚人のことも考えていてくれている。明日、その医師と面談する事になっている。その時にこれからの事を話せるだろう。尚人としては、はっきりさせたかった。少しでも愛情があれば、どんな状態でもやっていけるけれど、愛情はなかった。それは彼女の病気が表に現れる前に失せてしまっていたのだから。そして自分で自分を冷たい人間ではないのだと、言い聞かせていた。 つづく
2005.10.05
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1995年の1月の中ごろ、香港にいた。3泊4日のツアーで来ていた。人との付き合いでの旅行だった。だから特に行きたくて行った訳ではなかった。自由な時間も限られていたから、ペニンシュラホテルでゆっくりお茶も出来なかった。ただ、夕食をとる為に夜の街に出て行った店の、蝦蛄の料理が忘れられない程美味しかった。香港の蝦蛄は伊勢えびみたいに大きい。それを切って、油で揚げて、豆鼓 (ドウ・チー:味噌なっとう)で炒めてあった。その大きな蝦蛄の身の味がとても良かった。海老に近かったけれど、またちょっと違う。油で揚げてから調味するのが、一番美味しい食べ方らしい。ふらっと入った店だったけれど、その蝦蛄の料理だけは本当に美味しかった。マカオのリスボアホテルへ行った。マカオはまだポルトガルから中国に返還される前だったから、開発が中途半端で所々で放置されていた。リスボアホテルの外観がとても好きだった。何処かの国の帽子みたいな形をしていた。香港には自然がほとんどない。夜景は美しいかもしれないけれど、心休まる場所ではなかった。人々は買物をする為に、またさせられるために、香港に行くようだった。買物とかに興味のある人には楽しい街かもしれないけれど、それを目的としない人にはあまり意味がなかった。その1年前に香港の街で「恋する惑星」という映画をウォン・カーウワイが撮っていた。そのころその監督もその映画も知らなかった。今年になって「恋する惑星」を観た時、とても懐かしい気がした。香港の空港、街中をすれすれに飛ぶジェット機、夜の街、昼の街、金城武やフェイ・ウォンのファッション。あの頃の香港が映画の中にあった。そしてあの頃、道に迷ったみたいに途方に暮れていた自分が見えた気がした。あの映画の中で一番気になったのは、あの金髪のカツラを自分の男の好みで被っていた女だった。男に仕事を言いつけれられて、インド人を雇って、麻薬を密輸する為に香港の夜の街を、重慶森林というインド人が多く住む薄汚いホテルの部屋部屋を縦横無尽に行き来する女だった。そして挙句の果てに、出国直前にインド人に逃げられてしまう。麻薬は彼らの服や靴やトランクの中に縫製の段階から縫い付けてあった。今度は復讐の為に翻弄する。ピストルで打ち合ったり、子供を誘拐して、情報を知っている男を脅したり、息つく暇もなく動き回り続ける女。偽者のマリリン・モンローのようなカツラをかぶって、レインコートにハイヒール姿で。そして最後は自分を欺いたひもの様な白人男を撃ち殺して、その男の好みだったカツラを脱ぎ捨てて、全てを終わらせて去って行く。香港旅行の最後の日、ホテルの部屋のテレビをつけると、街中が崩壊して火の海のような神戸の街が映っていた。日本では阪神淡路大震災が起きていた。
2005.10.04
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エリは尚人をずっと前から気にかけていて、尚人が書店に現れると心が弾んだ。尚人が現れない日はとても疲れを感じた。一日中待ち続けて、心が擦り切れてしまうみたいだった。でも次の日、尚人が現れて、買って帰った本の感想を話しに来てくれたりすると、それだけで生きていることが楽しくなってしまうのだった。単純過ぎるけれど、以外に人間なんてそんなちょっとした事で喜んだり憂いを感じたりするのだとエリは思う。ただそれを感じるか感じないかの違いだけで。感じない人は何もない1日で終わるし、感じる人はとても嬉しい1日だったり、とても悲しい1日だったりする。どっちがいいのかはわからないけれど・・。なにがあっても動じる事がない人は、それはそれで周りに振り回されることなく、落ち着いた人生を送る事が出きるかもしれない。心が何ごとにも乱されない人生。冷静に見つめて、冷静に対処して、自分にそぐわないものは処分して、必要なものだけを取っていく。無駄がない。何が正しくて、何が間違っているかが自分の中で明確になっている。コンピューターみたいに二進法のような頭をもつ人達。でも割り切れないものはどうするのだろう。割り切れないものは四捨五入して、切り捨ててしまうのだ。エリは思う。その切り捨てられたものにこそ、一番大事にしなければならない真実があるのだということを。エリはその切り捨てられたものを拾い集めては再生を試みた。けれど、捨去っていく人には、所詮ただの不必要なものでしかない。エリはそんな人達に囲まれて育った。割り切れるものだけを評価して、割り切れないものは無価値だと言われ続けてきた。けれど、エリはそんな考えに染まる事は出来なかった。だから父も母もエリを扱いにくい子と捉えて、まるで理解しようともしなかった。理解できないもは放っておくというのが、二進法の答えだった。冷たい両親だと思った事もあったけれど、彼には彼らの世界があって、その考えの下に生きていたのだから仕方なかった。エリが両親を理解できないように、両親もエリを理解できないだけのことだと思った。彼らの良い点は、自分たちの考えを強要しないところだった。放っておかれたほうが押し付けられるよりも遥かに良かった。自分の世界を持つ事が出来たし、何をしても良かったのだから。尚人は外見的に何処にでもいるサラリーマンに他ならない。特におしゃれをしている訳でもなく、かといって見苦しい訳でもなかった。中肉中背で背も高くもなく低くもない。ハンサムでもなければ、カッコ悪くもない。テストに例えたら、まさに平均点というところだった。尚人はエリの勤める書店の並びにある、不動産会社の人事部で仕事をしていた。仕事も平凡きわまりなかったし、人にも好かれもしないし、嫌われもしないというタイプだった。自分の意見というものをほとんど仕事で言うこともなかった。営業とか、開発部とかと違って、給料計算の日と、人事異動時を除いてはほとんど定時に上がれたし、仕事のプレッシャーもなかった。ただ決められた事を間違いなくこなしていけば、問題はなかった。尚人に平凡ではない部分があるとしたら、それは普通に話をしている時でも、本の感想を話してくれる時でも、静謐な森の奥深に流れる、水の流れのように、透き通った気持にエリをさせるところだった。エリはそれを感じる事が出来た。それを感じない人は尚人を何処にでもいるありふれた青年に過ぎないと思うだろう。尚人は、エリについては気を使わないでいられる子、と思っていた。意識しないで話せる子で、まるで壁がなくて、すっと入っていける子だった。だから尚人は気軽にエリに話しかける事が出来たし、エリもそれに対して、構える事無く、会話を楽しんでくれている気がした。毎日のように重いものを背負わされて生きているような尚人にとってそれは砂漠のオアシスのようであった。水分は取らなければならない。失った分をとらなければ生きてはいけない。それは尚人には必要だった。けれど尚人にはそれほどの自覚がまだなかった。だからエリがあっけないほどに、尚人の誘いに付き合ってくれたことにも、特に驚きもしなかった。多分エリも自分と同じで軽い気持だと思っていた。 つづく
2005.10.03
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「やっぱり、もう忘れて欲しい。もっといい奴がいるから・・」尚人はそれを言う為にどれだけの時間が必要だっただろうか。それを言うまでに電話の前に二時間は座っていた。気がついたら日付が明日に変わっていた。エリには尚人がいつかそれを言う為に電話してくることはわかっていた。だから驚く事はなかった.ある程度の心の準備のようなものはしてあった。けれど、自分の気持の何処かで、それを言わずに、諦めないでいて欲しいという気持がなかった訳ではない。期待していた気持もあった。でもやっぱり、尚人は心が病んでしまっている彼女とは別れることが出来なかった。エリは都心の書店で働いていた。尚人はほとんど毎日のように仕事の合間に、帰りにと書店に顔を出す客だった。特に用事がなくても書店にいて様々なジャンルの本をチェックするのが気晴らしになっていた。だから二人は気づかぬうちに顔見知りになった。会えば軽く言葉を交わす関係に。尚人は本当に軽い気持である日、エリに一杯飲みに行かない?と誘った。下心も何もなかったから、別に断られてもいいという気持ちでいた。尚人にはもう5年も付き合っている彼女がいて、その彼女とはすでに愛は尽きてしまっているのに、別れることが出来なかった。人に何かをしてもらう事だけを要求して生きてきた子だった。自分が人に何かを与えるという発想がなかった。してもらって当たり前と言う考えが染みついていた。初めはそんな甘える彼女が可愛かったのだろう。外見もとてもかわいいし、話し声も可愛かった。愛くるしい程の子だった。けれど段々に尚人は束縛されて、自由というものが消えうせていた。何度も話し合ったけれど、分かり合えなかった。尚人が初めて別れ話をしたときの、彼女の憤りは度を越えていた。それはとても普通ではなかった。明らかに何処か病んでいるのではないかと思われた。そして実際病んでいた。それは元々だったらしい。尚人と付き合ってそうなったわけではない。けれど精神科の医師は出来るだけ環境の変化を今は避けたほうが良いと尚人に言った。だからしばらく様子をみてくださいと。尚人の友だちは、そんなの構わないから、ほっといて別れちまえ、そんな女、と言うけれど、尚人は出来ることなら、納得して欲しかった。彼女に。それが1年前のことだった。一日に三度は最低連絡を決められた時間に入れて、2日に一回は彼女の家に顔を出す事も決めれていた。医師はあなたの人生も大事ですから、そろそろ何とかしましょう、と言ってくれていた。多分尚人と別れたら入院を余儀なくされるだろう。そして薬で興奮状態を抑えて、回復を待つ。医師のその言葉にほっとして、先が見えてきて、心が少し軽くなっていたので、エリを誘ったのだった。エリは小さな声で、店と時間を指定した。尚人は先にエリの指定した店に行ってエリを待っていた。その日は勿論彼女の家に顔を出さないでいい日だった。昨日会いに行ったから。彼女は仕事も今ではしていなかった。ただ家にいて、何もしないでいた。母親が何でもしてあげていた。エリは約束の時間よりも15分遅れて来て、尚人を見つけると、とても嬉しそう笑った。尚人は久しぶりに重苦しかった心に軽やかな風が吹き抜けて、淀んだ空気を入れ替えてくれたように感じるのだった。 つづく
2005.10.02
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今日は頭が重い。「世界の中心で愛をさけぶ」を観て、泣き過ぎた為に。いつものことだけど、頭がボーっとして考えが纏まらない。だから久しぶりに、パット・メセニーの「スティル・ライフ」というアルバムを聴いた。1曲目の「ミヌワノ(68)」という曲の「ミヌワノ」とは南部ブラジルの冬の厳しい季節風のことを言うらしい。(68)の意味は不明。フュージョン・ミュージックに属するけれど、パット・メセニーはその枠では括れないらしい。ずっと前に聴いていたので、今のパット・メセニーはどうしているのだろうと思う。美しい綾を織り出すようなメセニーの世界は今も健在だとは思うけど。それを音楽といって良いのかどうかと思うような、かなり前衛的と言えば聞こえは良いけれど、はっきり言って訳がわからない音楽をしていた人がいた。アマノ君という人だった。その人はムコウヤマちゃんという仕事上の後輩の子の彼だった。二人は良く揉めていた。アマノ君は人を惹き付ける魅力はあったから、ファンの女の子がいた。音楽的才能もあったのだろう。ただ私が理解できないだけで。先を行っていたのかもしれない。今もライブ活動をしているらしいけれど。ただメジャーではない。その頃、音楽をしている人がとてもモテるというのを目の当たりにした。ムコウヤマちゃんはとてもヤキモチ妬きだったから、大変だった。音楽をやっている以上ファンがいなければ話にならないのに、ファンの子と話をしてはいけないとか言って、話すことを禁止させていた。大体音楽をしている人は生活がとても大変だ。三畳間に住んでいる人も多い。食べものも絶対残さないし、残す場合は持ち帰ったりする。だからファンの子はとても尽くす。勿論ムコウヤマちゃんが一番世話してあげていたけれど。でも結局二人は別れてしまった。アマノ君はファンの子に困らないので、何とかなっているらしい。ムコウヤマちゃんは普通の人と結婚して、普通の人生を送りたいと言って、何でも言うことを聞いてくれる優しすぎるほどの人と結婚した。そんな事を今日は思い出していた。何が言いたかったのか思い出せない。この話には何か教訓のようなものがあったのだけれど・・・。
2005.10.01
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