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ジルは雪が好きだった。今にも雪が降り出しそうな日は心で雪が降ることを願った。雪が降るとじっとしていられなくて、部屋から飛び出して行った。白いマフラーと白い手袋と、白いスキー帽をかぶって。汚れた街が美しく見えて、取り巻く世界が違ってしまうことが好きだった。ジルの想像力は逞しく働いて、勝手に物語を作り上げる。見たこともない様な、素敵な男の子が現れて、2人で雪の降る街を歩く。男の子はジルの知らない世界からやって来て、ジルの知らない世界の話をしてくれる。2人は大きなガラス窓のある喫茶店で向き合い、ココアを飲みながら、外の雪景色を眺めながら、楽しく尽きることなくおしゃべりをする。そしてそろそろ男の子は自分の国に戻らなければならないと言う。男の子はジルに色鉛筆の白を1ダースもプレゼントしてくれる。黒い画用紙にその鉛筆で何でも好きな絵を描いて、それをスノーホワイトという宛名で、1500円分の切手を貼ってポストに入れると、僕に必ず届くから、絶対に送ってね。君の絵が僕の世界で認められたら、僕は君を迎えに来るから・・・。認められるには、心が必要なんだ。君の心が。心を使って描いてごらん。でもまだ君の気持ちも聞いてなかったね。ジルは心を使って、真っ黒な画用紙に真っ白な色鉛筆で、何かを描きたいと思った。男の子と一緒に男の子の国に行きたいと言うよりも、絵を描いてその国の人達に、自分と言うものを知って欲しいと思った。見たこともない人たちだけど・・・。ジルと男の子は、来年の2月の雪の日の午後に大きなガラス窓の店で会う約束をした。男の子はジルと握手すると、雪の中をジルに何度も手を振り、ジルは男の子が見えなくなってしまうまで見送った。
2005.05.31
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さよならもうお会いすることはないけれどあなたと過ごした僅かな時間が私とあなたの思い出になるのでしょうか?あなたはもう何もいらないと言ったけどそれが本心ではない事は判っています。あたなは優しい人だから、そんなことを言うのでしょう。でもその優しさが、返って残酷な時もある事をあなたも知るべきです。私は去って行かなければならないのだからそれは仕方のないことです。誰のせいでもなくて、私の問題なのですから・・・。私は多分北の方へ行くつもりです。白夜の国で私は、プーシキンやツルゲーネフと長い夜を共にすることでしょう。そして孤独を抱きしめて、あなたを想うでしょう。その手紙は夫の引き出しに無造作に入っていました。それまで夫の机の引き出しを開けたことはありませんでした。ただ夫の書斎を掃除していたとき、ふっと思って開けたのでした。それはほんの出来心のようなものでした。ブルーの透けるように薄い便箋に書いてあって、四つ折にされていました。私は少しためらいがちにその手紙を手に取ると、椅子に座って読みました。その手紙が一体誰が書いたのか、何時頃書かれたものなのか、私には全く判りません。それはどう見ても女の人の字で、その手紙にも書いてある様に夫はとても優しい人です。2人はどこかで会って、短いけれど同じ時を過ごし心が通い合ったけれど、必然的な別れが待っていた。もう何もいらないと言わせるほどの女性だったのでしょう。不思議と嫉妬のようなものはありませんでした。ただ一体何時どのように知り合い、どのように恋に落ち、どのように別れていったのか、その一部始終を知りたいと強く思ったのです。そう、その2人の短い恋物語の全てを知りたいと。けれど結局は夫には何も言いませんでした。黙って引き出しを開けてしまった事を夫に知られたくは無かったのです。私たち夫婦はお互いの領域に踏み込まないという暗黙の了解のようなものが出来ていたからです。私はその夜、皆が寝静まってから、久しぶりにプーシキンの「オネーギン」を開いて読みました。ツルゲーネフの「初恋」も読みました。そして白夜の長く寒い夜を想うのでした。一緒にいても孤独な私の事を知らないその女性を・・・。
2005.05.30
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それは私が二十歳になった頃のことだったと思う。母は私の部屋にやってきてこう言った。「今日からここに泊まるから・・・。今までお父さんに尽くしてきたけれど、これ からの人生はあの人の為に生きたいの。」父と母はその日から家庭内別居を始めた。母はもう父と同じ部屋で過ごすのが嫌だったのだ。同じ家にいることさえも嫌だったに違いない。家柄が違いすぎるために、母には身を引いた人がいた。その人はたまたま私たちの住む所の近くにお店やビルを持っていたので、その人が経営するレストランや喫茶店に母に連れられて良く通った。勿論父とは行かない。母は真面目すぎる人だったので、浮気心は無かったけれど、その代わりかなり真剣だったのではないかと思う。勿論父と別れてその人と一緒になりたいとか言うことではなくて、父と家庭内別居の道を選んだという意味で。父は昔かなり遊んだ人で、母の真面目さと、世間知らずなところを利用したようなところがあったのかもしれない。隣に住む独り者の女の人がいて、父とは幼馴染的存在だった。母のことをお姉さんといって慕っては良くうちに来ていた。まだ私が6,7歳頃のことだった。母が兄と買い物に行っていて、父と私だけが家にいた。隣のその女の人が来て、父と小声で話していた。その感じが、他者の入り込めない2人の世界みたいなものがあった。幼いながらも私は良からぬものをその2人から感じ取った。勿論その年頃では男と女の関係なんて知る由もないけれど、大人になった時、父とあの隣の人は男女の関係が確かにあったのではないかと思った。母はそのことを初めから知っていたらしく、子供部屋の電気が消えてから良く父とその人のことで口論していた。後にその人が結婚を決めるとき、しきりに父に逢いに来ていた。父に何かを迫っているような態度だった。父は面倒くさそうに受け答えしていた。父はその人だけではなく近所でバーをやっていたママとも親しかった。母が、好きでも一緒になれなかった人を懐かしむのも無理はないと思っていた。その人は普通の人だったし、私たちをかわいがってくれたし、母にも親切だった。私が18になってその人のレストランに友達と行ったとき、「お母さんはね、私の初恋の人だったんですよ。」とにこやかに言った。私は嫌な気はしなかった。むしろこの人がお父さんだったら良かったのにと思ったし、その方がどれだけ母も幸せだったかと思う。その後母は偶然その人とばったり会って一緒に昼食を食べたという。その時この間あなたのお嬢さんが見えて、あなたの若い頃に瓜二つだったので、目を疑ったほどでしたと言ったそうだ。食事を終えた後、その人はこれから何処へ行こうかと言ったらしい。ホテル?それとも?母はあなたの奥さんを裏切ることは私には出来ないと言ったという。その人にしてみれば、勿論社交辞令もしくは軽いジョークのようなものだったのだろうけど・・・。そんな話まで母親が娘に言うのは耐え難いことだけれども、母があなたにしか話せないからと言うので、黙って聞いていた。何故その人と結婚しなかったのか?その人が大学を卒業して家業を継いだ頃、その人の実家に連れて行かれたという。立派な門構えの家で、使用人が何人もいたと言う。その時その人の母親から息子には親が決めた許婚がいるからと言われたらしい。その人が席をはずしている時に。だから母にしつこく付きまとっていた父との結婚を決意してしまったらしい。父が病気の両親を抱えて困り果てていたのが結婚の理由だと母は言った。その人は母にプロポーズしたけれど、父との結婚を決めたと母から聞いて、勿論振られたと思って、その人は母を諦めた。母は私が23歳で結婚するまでの3年間私の部屋で寝泊りしていた。私が仕事から帰ってくるとよくその人の話を私に聞かせた。もうその話をせずにはいられなかったのだろう。失ってしまったものを取り戻すことは出来ないけれど、せめて自分の中では、父とのけじめをつけて、その人に対して残りの人生を潔白で生きたかったのだろう。勿論それは母の勝手な想いであり、妄想みたいなものだけど、判らない訳ではなかった。その人は何不自由無い生活を送ってる人だし、家庭も平和そのものの様だった。私は余程その人に、母はあなたのお母様に許婚がいらっしゃると聞いて身を引いたんですよと言いたかったけれど、そんなことを今更言ったところで誰かが幸福になるわけじゃないので辞めたけど。父と母は相変わらず一階と二階に別れて住んでいる。父はあくまでも私にとってはどんな人でも血の繋がった存在だから、憎むことは出来ないし、私にとっては特ににひどいことをしたわけではない。父は父なりに今は随分反省していて、母の言いなりになっている。離婚した方がこの夫婦は良いのではないかと随分思ったこともあったけれど、今でも一緒にいてくれて良かったと思う。どんな形であっても。
2005.05.28
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2人は今同じ部屋にいて、1人はテレビの前に座り、1人はソファーに横になっている。2人とも何も話すことも無く、ただ1人はテレビを見続け、1人はソファーに横になり続けている。どちらとも無く立ち上がり、トイレに1人は行き、洗面所で1人は歯を磨く。お互いがバラバラに寝室に入り、背中を向けて横になる。どちらかが鼾をかき、どちらかが歯軋りをする。そして朝が来てどちらとも無く起き出して、どちらとも無くコーヒーを入れたり、トーストを焼いたり、サラダを作ったりする。それぞれが、別々の会社に行き、それぞれが別々の収入を得る。それぞれが仕事仲間と飲んだり食べたりして帰る。そして1人はテレビの前に座り、1人はソファーに横になる。休日はお互い遅くまで眠って、それぞれ勝手に食べたりする。2人とも仕事に疲れているので、何処へも行かない。たまに気が向くと、映画なんか見に行く。でも見たいものが違うから、お互いに好きな映画を観る。子供が出来ると1人は仕事を辞めて家庭に入るだろう。子供がある程度大きくなると、1人はパートに出るだろう。子供が大きくなって、結婚して、孫が出来るだろう。特に大きな災難も無く、無事に生涯を終えるだろう。平凡な2人だけれど、特に波風も立たずに平和に暮らしている。感性が鈍い2人だと思う人もいるかもしれないけれど、考え方によっては、仕事があって、住むところがあって、食べていけて、配偶者がいるという一見当たり前そうなことに満足しているのかもしれない。それ以上を求めない。そういうのも悪くないのかもしれないと思う。大して幸せだか不幸だか何だか判らないような2人だって、決して悪くは無いのだと思う。この頃そんな風に思ったりする。特別なことがあれば良いって訳じゃない。なんでもない事だって、素晴らしいんだと。ただ、生活して生きていく事だって、凄い事なんだと。普通であり続ける事だって結構大変なんだと思う。誰だって自分に合った仕事をしているわけじゃなくて、こんな仕事と思っても、我慢してやっている人の方が多いのかもしれない。誰もがカッコよく生きれるわけも無い。何だか最近そんな風に思ってしまう。だからもっと肩の力を抜いて、やりたいことだけをやれば良いんだと思う。やりたくない嫌なことをしなければならなくても、どうせやるならとことんやってみれば良い。それでも駄目なら、それは諦めもつく。つい最近そんな話をとある人がしました。そう思わない?と。だから、そうかもしれないと思うと言った。ホントにそう思ったから。
2005.05.21
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青山へ向かうバスの中でライズは今朝母親が言ったことについて考えていた。「今日はこれから雨が強く降るし雷も鳴るから、早く帰ってきなさい。雨に打たれても、どうってことはないとあなたは思うかもしれないけれど、その雨は窓を強く叩いて壊してしまうほどの雨かもしれないから、甘く見ては駄目。とにかく早いうちに帰ってきなさい。」母親は時々そんな風に言うのだった。天気予報とは全く逆のことを。そんな時にはほぼ間違いなく母親の予報の方が当たるのだった。空は青く何処までも広がっていた。雲ひとつ無かった。オレンジ色の太陽は7分前に放った光をこの地球に送り続けていた。人は7分だけ過去の太陽だけしか見ることは出来ない。今見ている太陽は、7分も前の太陽なのだ。その真実を心に納めるのに一体どのくらい掛かっただろう。今でも違和感を覚えるけど、それほど太陽は巨大で、遥か彼方にあるのだ。直ぐそこにある様に見えるけれど・・・。直ぐそこにある様に見えて、遥か彼方にあるもの・・・。あの男の子も直ぐそこにいるのに、遥か彼方にいるように遠かった。ライズは20年だけ過去のあの男の子を見ていたのだろうか?もしあの白い女が言ったことが本当だとしたら・・・。ライズはバスを降りると画廊へ向かった。画廊は開いていた。けれどあの絵は無かった。あの絵の場所には、真っ白な「セレスティーナ」が飾ってあった。黒のマントに身を包んだセレスティーナが白のマントに身を包んでいた。ライズはここで逃げてはいけないと心を強くして、中に入っていった。あの男の子がいた。ライズの胸は張裂けそうだった。感動だろうか?驚愕だろうか?喜びだろうか?言葉が出ないという状態になって、あっけに取られてただその男の子を馬鹿のように見ていた。男の子は「あなたが来ることは判っていました。だからずっと待っていたのです。」と血が通った人間らしい暖かさを込めてその子は言った。それはピカソ展で見た、神秘的な男の子ではなくて、生身を持った、ごく普通のちゃんとした、健康的な若い男の子だった。ライズはやっとの想いで男の子に聞いた。「何故それが判ったの?」「上手く言えないけど、ここにあなたが来ると確信していたから・・・。」「あなたとここの繋がりは?」「ここは僕の母の画廊です。でも母は少し変なんです。僕の絵を見に来た人の話を母から聞いて、その人はきっとあなただと思った。」「あの白い人があなたのお母さん?」「そうです。今日は家で休んでいます。僕を描いた作品にあなたが興味を持ったから。それで少し錯乱してしまったようです。ここは画廊といっても母が自分の作品をただ飾っているだけなんです。売る気なんてまるで無いくせに。」「でもお母様はあなたを描いた絵を売ろうとした。40万で。買うつもりだったし、欲しいと思っている。」「でもお金がない?」「今はね。でも必ず払う。」「だからはずしておいたんです。あなたの為に。」「ねえ、何故盲人の食事の前であなたは急に消えてしまったの?」「それはね、あなたが怖かった。執拗に僕を見るあなたが・・・。でもあなたが嫌だったというわけでもないんです。ただ僕はとても臆病で、怖がりだから・・・。見られてることに耐えられなくて、あなたがしゃがんだ隙に出口から出てしまったんです。僕は「盲人の食事」をただ見たかったから・・・。あの絵が大好きなんです。それで母に頼んで描いてもらったんです。」「でもあなたのお母さんは20年前にメトロポリタンで知り合った男の子を描いたと言った。」「そう母は作り話が得意なんです。格好も凄いでしょ?白い瞳のコンタクトを入れたりして。母は「セレスティーナ」が好きなんです。そして白という色が変質的に好きなんです。何でも白じゃないと許せないみたいで。だから僕が小麦色の肌をしていることが許せなかったんでしょうね。父と離婚して僕を父に任せきりにした。そのことを母は随分後悔して、今は一緒に暮らしてるんです。父は新しい人と再婚しました。」「そうだったの・・・。この画廊を見つけたのはホントに偶然だった。「セレスティーナ」が引き合わせてくれたのかな?ピカソ展で初めて「セレスティーナ」を見てこの絵を欲しいと思った。そんなこと初めてだった。あの絵には人を惹き付ける力がある。そして「盲人の食事」はあなたのおかげでとても好きなった。」「ありがとう。母が描いた僕の絵は来月から毎月一万円払ってもらえればあなたの家に送ります。毎月その一万円を持ってここに来てください。」「ホントにいいの?それで?」「勿論」「ありがとう。こんな嬉しいことってない。」ライズはアパートの住所を教えると画廊を出た。母親の天気予報は外れた。とても気持ちの良い宵闇が訪れていた。でもどこかで雨は大量に降り続け、窓を叩き、それを破壊しているのかもしれない。 終
2005.05.20
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ライズは後ろを振り向きもしないで走り続けた。今にもあの白い女に後ろから引っ張られそうな恐怖感があった。通りに出るとタクシーを拾って、実家へ帰った。1人でアパートに帰る気にはとてもなれなかったから・・・。実家のオレンジ色の明かりが見えたとき、ライズはほっとするのだった。母親は特に驚きもしないで、直ぐに畳の部屋に布団をひいてくれた。お風呂に入ってから母親が作ってくれた、夜食を食べた。煮込みうどんだった。父親は泊まりでゴルフだと母親は言った。何かあったの?と母親に聞かれたけれど、特に何も無いと答えた。ただ仕事を事情があって辞めたけれど、次の仕事は何とかなるからと言った。母親は何も言わなかった。全部自分で決めて生きてきたライズに母親は口出しすることはなかった。ライズはとても疲れていたので、うどんを食べ終えると直ぐに布団に入った。何も考えずに今日は眠ろう。全ては明日にしよう。ライズは目を瞑るとそのまま直ぐに寝息をたてて、眠りについた。次の日目が覚めるとライズは、シャワーを浴びて、トーストとベーコンと、オレンジと、牛乳と、トマトとコーヒーを平らげると、実家を出た。そのままあの画廊へ向かった。1人で怖かったけれど、どうしても明るいうちに行ってみたかった。画廊は直ぐに見つかったけれど、シャッターが閉まっていて中は全く見えなかった。今にもあの白い女が現れそうで、直ぐに来た道を引きかえした。通り沿いのコーヒーショップに入って、コーヒーを買って飲んだ。 とにかく決着を付けなければならないとライズは思った。このままでは前に進めなかった。あの白い女ともう一度向き合わなければならない。絵を描いた後、その男の子とはそれきりになったのか。それともその後も逢ったのか。何故同じ人間が過去と現在に存在するのか・・・。とにかくあの絵をもう一度見なければならないし、あの絵を手に入れなければならない。このまま引き下がることは出来なかった。ライズは自分のアパートに戻って、十分エネルギーを補給して、十分休んで、画廊へと出かけて行った。つづく
2005.05.19
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ライズはその絵の作者を知りたくて、画廊の中へ入っていった。このままでは帰れないと言う気持ちだった。画廊の中は白一色で、壁に掛けてある絵画だけが色彩を帯びていた。ライズはその大きすぎるほどの、あの男の子とピカソの「盲人の食事」が描かれた絵の前に立ち、写真のように良く出来ている絵を目の当たりにした。今にも男の子が出てきそうな気がしたし、その子の息遣いが聞こえてきそうでもあった。この絵の中にあの男の子が閉じ込められてしまっているような錯覚さえ起きた。それも悪くは無いとライズは思うのだった。そうであれば、この絵を自分のものにさえすれば、あの男の子を完全に自分のものに出来るのだから・・・。しかしそれはあまりに歪んだ考えだし、そんなことがありえる訳もない。けれど、じゃあ何故この絵が存在するのか?一体誰が描いたのか?ライズは冷静になって、この中へ入ってきた理由を思い出した。まるで現れるタイミングを見計らっていたかのように、真っ白な女の人が奥から現れた。その人は白のボブヘアをしていて、白のシャネルスーツを着て、白のヒールのある靴を履いていた。そしてその人の片方の瞳は白い色をしていた。ライズは雪女を連想しない訳にはいかなくて、もう少しで悲鳴を上げてしまいそうだった。「今から20年前にその絵を描いたの。」女は遠い昔を思い出すようにうっすらと笑みを浮かべて言った。「まだその時は私のこの目も白くは無かったわ。綺麗な黒い瞳だった。」ライズは何も言えずにただ聞いていた。「私を怖がらなくても良いわ。あなたには何もしたりしないわ。」ライズは怖かった。その女は怖いほど肌が白く、片方の瞳は黒く輝いていた。肌色の口紅がとても似合っていた。ただ、輝くことの無い、マットな白い瞳が怖かった。とても不自然だし、あの「セレスティーナ」でさえ、灰色と白の間くらいの色だった。ライズはあなたには何もしない、と言う言葉の意味を考えるとますます怖かった。じゃあ誰か他の人には何かしたのか?という疑問が沸いてくるから。「メトロポリタンミュージアム、そうニューヨークにあるでしょ?そこで知り合ったのよ。その子と。いつもピカソの「盲人の食事」の前にいたの。だからそんなに好きなの?って聞いたの。こっくりと頷くから、じゃあ絵にしてあげるねって言って描いたの。」女はただじっと自分が描いたその絵を見つめながら、無表情で勝手に話していた。ライズに聞かせるというよりは、勝手に話しているといったほうがぴったりな話し方だった。「その子にはあげなかったわ。いる?って聞いたら首を横にふったの。気に入らなかったのかしら。でも悪くないでしょ。良く出来てるもの。」ライズは良く出来てるでしょ?と聞かれても、何も言えなかった。本当にライズに聞いているのかどうか確信が持てなかったから。「この絵が欲しいでしょ?40万でいいいわ。飛行機で運んできただけで凄くお金が掛かったのよ。でもいいわ。40万で」「その絵の男の子に約2ヶ月近く前にピカソ展で会いました。その絵の通り、その男の子は「盲人の食事」の前にいました。あなたが20年前に、ニューヨークで描いたその絵そのままの光景を目にしたのです。私はその子に強く惹きつけられました。けれどその子はちょっと目を放した隙に消えてしまったのです。それから、何もかも手につかなくなって、仕事も辞めてしまって、それでも何とか今日こうやって外出できるようになったんです。そしてこの絵を目にするなんて・・・。そしてあなたが描いた。20年前に?どう考えも、何もかもがおかしすぎませんか?あってはならないことが、普通に起こっている。でも良いです。その絵をあなたが言うように欲しいのです。けれど、なんと言っても失業中ですから、半年待ってもらえませんか?それまでに40万何とかしますから。」女はそれでも絵を見たっきり目を離さなかった。でも話だけは聞いていたようで、「駄目よ。今すぐじゃないと。半年なんて待てないわ。」「じゃ、どうすれば良いんですか?」「だから今すぐ払って。」「無いものは払えません。」女はいきなり、ライズの手を引っ張って、こっちへいらっしゃいと、甘くねだるような声を出した。「嫌とは言わせないわ。」今度は太く低い声だった。ライズは振り払おうとしたけれど、物凄い力だった。「無駄よ、自由になんてさせない。」ライズは奥のほうまで引きずられていった。奥は暗く何も見えない。ライズはこのまま連れて行かれたら二度とここには戻れないと感じた。これは冗談なんかじゃない。ライズは冷静になった。何とかしなければ。ライズはあらん限りの力を振り絞って、その女を突き飛ばして、素早く駈け去ることができた。画廊から飛び出るとダッシュした。背後から「逃げられないのよ。逃げたって。」その後に悲鳴のような笑い声が暗い通りに響き渡った。つづく
2005.05.16
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ライズはピカソを見に行った。朝目覚めるといきなり、「ピカソを見に行こう」と言う言葉が頭に飛び込んできた。それは、ライズの内部から沸き起こった言葉ではなく、外部から入ってきたものなのだ。ライズはピカソとは無縁だったし、果たしてピカソの絵を一体何処の美術館で見れるのかも知らなかった。本屋で情報雑誌を立ち読みすると、上野の美術館でピカソ展が丁度やっていた。ライズはそんなものかもしれないと思い、その勢いで髪もぼさぼさ、服も普段着、しかも手ぶらで、千円札5枚でだけGパンのポケットに突っ込んだまま、電車に乗って、上野に向かった。山の手線内のところどころにピカソ展の事が貼ってあった。何故ピカソなのだろう?今日は日曜日で、特に予定も無く、天気も良かったし、気分も悪くは無かったから、特にピカソに興味は無かったけど、成り行きに任せていた。ライズは割りに思いつきで生きているところが多かった。計画をたてて、それに向かって生きると言うよりも、とりあえず出来る範囲でやりたいことをやって、その中での出会いとか、偶然とかに頼って生きていた。中にはやりたくはない出来事もあるけれど、やれる範囲内はやるし、どうしても拒絶したいものは、しない。でも、「ま、いっか」と思うときは成り行きに任せる。あまり自分に限界を作らない。これは嫌、あれも嫌とは思わず、出来ればしてみようと考える。勿論若い頃は何も知らないから、いや、何でも知っているつもりで物を考えるけれど、年を重ねるに従って、自分自身の無知を知るようになり、何でも決め付けることは浅はかだと思うようになったのだ。美術館の前に着くと、すでに30分待ちの札が列の最後尾に立っていた。ライズはもうこうなったら何でも来いと言う気持ちで、平気で一番後ろに並だ。ライズは文庫本を持ってこなかったことを後悔した。出かけるときは、必ず一冊は文庫本を持ち歩くのだけれど・・・・。仕方なく、周りにいる人たちをつぶさに観察することにした。家族連れかアベックばかりが目に付いた。その中で1人だけ、とても若い男の子がライズの近くに佇んでいた。彼こそ、カバーの取れたむき出しの文庫本を読んでいた。少年なのか、青年なのか、とにかくそこだけが何か違う気配がした。その子は私たちを取り巻く空気とは違うものにつつまれているように、ひっそりとしていた。その子自体が何か違う作り物のように見えた。およそ人間の誰もが持つ煩悩のようなものがその子には見当たらなかった。その表情はうっとりするくらい美しかった。黒く艶のある髪にふっくらとした頬、浅黒いつややかな肌、黒く光を帯びた大きな瞳、長いまつげ、えくぼ、花びらみたいな唇。背は高く見えるし、高すぎもしない、ほっそりとしているようで、痩せてもいない。がっちりはしていないけれど、華奢でもない。チャコールグレイのシルクのシャツの袖を少しまくって、ブラックジーンズをはいて、ニューバランスの黒の皮のシューズをはいて、黒のキャンパス地のショルダーバックを下げていた。ライズがその子を見過ぎたので、その子はとても苦しそうな表情を見せた。ライズはその子を苦しめてしまったように感じて、深い罪の意識を感じ無いわけに行かなかった。きっと執拗な視線だったのだろう。ライズも黙って見知らぬ人に見つめられる程不快なものは無いことを知ってたから、自分を許せなかった。ライズが見るのを辞めると、その子の息が吹き返すような気配をライズは感じることが出来た。きっとこの子はこの世の中の良くないものに敏感で、それによってその子は苦しむのかもしれない。そうこうしているうちにいつの間にか美術館の入り口に近づいて行った。2列に並んでください。係員が皆を 誘導していた。1人で来ているもの同士、ライズとその子は隣同士に並ぶことになった。直ぐ隣にはその子がいる。ちょっと手を伸ばせばそのこに触れてしまうのだ。けれど、そんな至近距離にいながら、ライズにとってその子は何億光年も遠くにいるに等しかった。その子に触れたらその子が消えてしまいそうな、その子が壊れてしまいそうな、その子が穢れてしまいそうな予感がして。だからその子の読んでいる本を覗くことさえ許されなかった。その子がどんなものを読んでいるのか、知りたくてたまらなかったけど、とても出来なかった。受付を通って入館したときも、みんな押しあって、われが一番としているのに、その子は誰にも触れずにその子の周りだけ人が何故かすっと引いて、あっけなく入っていってしまった。ライズはあせってその子を追った。フロアに入ると、人々は順番に並んで見ていっていた。ライズは人が並んでいないところまで一気に行ってしまう。その男の子を捜していたのだけれども、ライズの目の前に現れた絵に愕然とした。黒い服に身を包んだ老婆。片方の目が白濁色だった。頭が良さそうな、ずるがしこそうな、抜け目のない目。けれどその下品ぎりぎりのところにライズは品格のようなものを見るのだった。ずるがしこさぎりぎりに知性を感じるのだ。醜さの極みに美しさを見てしまう。いや実際美しい。ライズはその絵を欲しいと思った。この絵は私のものでなければならないのに何故ここにあるのか。ライズはありありとその絵を自室に飾る光景を見ることが出来た。初めてだった。絵が欲しいなんて思ったことは。いやそんな生ぬるいものじゃない。自分のものでなければならないと言う必然だった。その絵はライズの隅々に刻み込まれてライズのものとなるだろう。それでやっとその絵から目を離す決心がついて、男の子を探した。ライズは先に進んだ。フロアの中心に男の子は立っていた。肩にかけていたショルダーバックは無かった。男の子は今まさに一枚の絵に向かってゆっくりと進み始めていた。ライズは男の子の後ろに忍び込んだ。男の子が向かう絵はブルーのバリエーションで描かれた絵で、ジャンルイ・バローのような貧しい盲人が貧しい食卓に1人で着き、今まさにテーブルに置かれた、パンに手を触れようとしていた。その絵のアクセントとして、唯一赤みを帯びた水差しがあった。男の子はその絵の前で佇んで、ふわっと立っていた。まるでその絵だけが目的だった様に。男の子の肩が震えるのが見えた。その時だった。ライズは手にしていたバッグを落としてしまう。慌ててしゃがみこんで拾う。また立ち上がる。男の子は消えていた。ライズはあたりを見た。360度見渡した。けれどいない。ライズは一階をすべて探した。二階へも行った。ライズは狂ったように探した。けれど何処にもいなかった。ライズは出口は1つなので出口で待った。ずっと待っていた。そう一時間、二時間。その子は現れなかった。その子が現れたらライズはどうしたと言うのだろう。考えてもいなかったけれど、とにかく何かを言いたかったし、何かを話すべきだった。多分言葉に詰まってしまったかもしれないけれど・・・。ライズはその後仕事が出来なくなって、家に籠もりきりになってしまった。仕方なく仕事を辞めて、気が済むまで、お金が続くまで、好きにしていた。ライズはその日からピカソの青の時代の作品を目にしないでいられなくなった。とりわけ「セレスティーナ」と「盲人の食事」は図書館でピカソと言う分厚い画集を借りてきて、自分の手で模写し部屋に飾った。ライズはあの男の子に会いたくて気も変になりそうだった。殆ど食事も喉を通らなかった。ただただベッドの中でその子とであった時の事を反芻していた。一月が過ぎると少しはものを食べたくなって、少しは元気になった。少しは何処かへ出て行きたくなった。ライズは代々木プールへ泳ぎに行った。50mプールでたまに泳ぐのがライズのストレス解消法だった。何も考えずに泳ぐ。力を抜いて、手を大きく掻いて、クロールを何時までも泳ぐ。その帰りに青山まで歩いて、ビーフシチューの美味しいお店に行った。フランスパンもきちんと温めて出してくれるし、バターも本物だし、トマトサラダもひんやりして美味しいし、食後のコーヒーもちゃんとサイフォンで入れてくれる。チーズタルトも手作りでしっかりして美味しい。殆ど満足して店を出たらあたりはもう冷え込んでいて、真っ暗だった。ライズは裏通りをぶらぶらしてから帰ることにした。オレンジ色の明かりが見えてそこが画廊であることが近くに行って判った。チラッと中を覗くと、そこにはあの男の子があの「盲人の食事」を前に佇む絵が飾ってあった。それはライズがあの美術館で目の当たりにした光景そのものだった。 つづく
2005.05.12
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あなたは私を見ていた。あなたの視線を感じない日は無かった。けれどあなたの視線はまだ幼くて、私はただあなたに微笑むより無かった。あなたの暑中見舞いの中に私と会えなくなると心が淋しいという行を見つけたとき、私はそれを良くあるファーザーコンプレックスだと決め付けました。私はとても不安でした。私はあなたの一途さが怖かったのです。いえ、あなたが怖いのではなくて私が怖かったと言うべきでしょう。わたしはあなたに引き込まれそうな自分が怖かったのです。だから私は当時付き合っていたガールフレンドと頻繁に会うことよって、あなたへ行ってしまわないようにする必要があったのです。あれは夏も終わろうとしていた最後の夏休みの日でしたね。私はもう多分来る事の無いあのプールへ行きたくなって、ガールフレンドと、友達のカップルと4人でぶらぶら出かけました。プールの前に白の服を着た長い髪の少女が立っていた。それがあなただと判るのに時間はかかりませんでした。あなたの良い人ねとガールフレンドは言いました。そんなんじゃないよ、教え子だよと私は言って、皆を置いて歩き出しました。あなたは急に大人になったように、気高く立って私を見ていた。元気だった?と聞く私を一瞥してあなたは私から離れていった。私はあなたの手をひっぱて何処かへ行ってしまい衝動に駆られながらもどうすることも出来ないことを知っていました。けれど私はまだ何も手にしてはいないのにもう二度とあなたを取り戻すことは出来ないのです。あなたの心はもう完全に私から離れてしまったことがあなたの表情から、あなたの視線から確実でした。私はとんでもない間違いを起こしてしまったのです。ガールフレンドは綺麗な子ね、でもきっとあなたを不幸にするわと真面目な顔でいいました。それから私たちが上手く行かなくなったことは言うまでもありません。私は結果的にガールフレンドと疎遠になり、自然消滅しました。私は何時でも会いに来て欲しいとあなたに手紙を出しましたね。けれどあなたはびくともしなかった。私は今でもあのプールの前に立つあなたのあの姿をありありと思い起こすことが出来ます。あの時のあなたはあの時だけに限定された、少女から大人へ変わるその瞬間のあなたでした。私はあの時のあなたをはっきり言えば欲しかったのです。けれどどうすることも出来なかった。手が届きそうで届いてしまったら壊れてしまいそうな危ういあなたになすすべが無かったのです。
2005.05.09
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コンサートをしないピアニストは、細々と子供にピアノを教えながら、叔母の残した家に住んでいた。ピアニストは徐々にゆっくりと手伝い女を愛することになる。手伝い女には夫がいて、夫は囚われの身だった。女は医学を学びながらピアニストの家に住み込んで手伝いをしていた。愛を打ち明けたピアニストに女は、私の夫を返してと叫ぶ。ピアニストは叔母が残した値打ちのある芸術作品を次から次に売り払って、とうとうピアノまで売ってしまう。家の中はがらんとして、何も無い。女の夫が釈放されたことを女は知る。そしてピアニストがそれをしてくれたことを・・・。何もかもを失くしてまで・・・。2人は愛し合う。そして明け方女の夫がその家のブザーを鳴らす。無償の愛。自分を棄てることで、愛を得たピアニストはデヴィッド・シューリス。本当に欲しいものを得たのに、本当に欲しいものを失いそうなシャンドライはサンディー・ニュートン。
2005.05.09
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その人は何時も素晴らしい笑顔をしていた。何時如何なるときでも、常に笑顔を絶やさないような人だった。私はその笑顔に会いたくて、毎日のように学校のプールへ通った。その人は大学3年生で今年が最後だった。来年の夏は就職活動で、母校の夏のプールの指導は出来ないから・・・。私はその人を何時も見ていた。その人はそれに気が付くとにっこり笑った。でも私は笑い返せなかった。多分真剣だったのだろう。プール指導も最後の日に、その人は皆を目白の喫茶店に連れて行ってくれた。皆に好きなものを頼ませた。12人くらいはいたと思う。私は英語を習いに行かなくてはならなくて、最後までいる事が出来なかった。その人は皆に文庫本を一冊買ってあって、好きなのを選んで良いと言ってくれた。私は「若きウェイテルの悩み」を選んだ。私はお礼を言った。その人は元気でねと言った。その後私は残暑お見舞いをその人に書いた。皆を喫茶店に連れて行ってくれた上に、文庫本までくれて、きっと指導料が消えてしまったのではないかと書いた。そしてあなたの笑顔が私は好きでしたと。あなたにもう会えないと思と心が淋しいと。直ぐにその人から返事が来た。中学時代は大事だから、しっかり勉強して、しっかり運動して、1日1日を大切にした方が良いということと、君はひょっとしてお父さんがいないの?私はその時何もかもが終わってしまった様に、私の中の大切なものが消えてなくなってしまったように、空しかった。確かに私は父と上手行ってなかったけれど、父親はしっかりいた。そんな風に思っていたのかと思うと、自分の若さが恨めしかった。けれど、何故判ってくれなかったのだろう?そんなんじゃないのに。確かに私はその人を愛していたのだ。夏も終りの日に、私はプールにふらっと出かけていった。このプールで出会った人と本当の別れを告げるために。秋を含んだ風が吹いていた。私は白いワンピースを着ていた。何もかも全てをこの風に流してしまいたかった。プールを背にして帰ろうとしたとき、向こうから4人の男女が歩いてくるのが見えた。男2人女2人。その人がその中にいた。後の三人を後ろに残してその人は私の方にやって来る。けれどなんの感動も無かった。その偶然を私は無感動に流した。元気?とその人は言った。あの笑顔で・・・。けれどもうその笑顔は私の胸に響かなかった。それはもう消えてしまったのだ。私はその人の彼女らしき人を見た。少しだけ心配そうな顔で見守ってるような感じがした。私は何も言わずに出来るだけ静に一瞥して去って行った。仕方が無かったのだと思う。14の女の子をどうすることも出来ないし、まさか21の男を本気で好きだなんて、想像も出来なかったのかもしれない。その人がくれた手紙には、何かあったら、何も無くても、いつでも良いから、好きなときに遊びに来て欲しいと書いてあった。それから20年後、その人とばったり池袋の銀行で会った。私が自動ドアを開けたらその人が目の前に立っていた。けれどその顔はその人でも、あの無垢な美しい邪念の無い清い笑顔の微塵も無かった。その人は明らかに何処かでそれを失ったのだ。それは人を疑い、人を見下し、人を攻撃する目だった。一体何がその人のあったのだろう?その人の後ろには12、3才の男の子と女の子がいた。どう見てもその人の子で、2人は兄弟のようだった。私は何も言えずに、その人を避ける様に中に入っていった。用事を済ませて外に出ると、その三人はまだ近くにいて何か相談しているようだった。その人は険しい表情で子供たちと話していた。子供たちもなにか困惑しているようだった。私は帰りの電車の中で、考え込んでしまった。もしかしたらあの頃のあの笑顔はその人のほんの一面であって、普段は元々そういう人だったのかとか、結婚して奥さんに裏切られて、人を信じられなくなったとか。でもそんなその人を見て、あの頃のその人を酷く懐かしく思うようになった。人は変わってしまう。何時までも綺麗なままじゃない。勿論そのままでいる人もいる。でも誰でも何かあったらどうなるか判らない。だからあの頃のその人がとても大切に思えて、とても大事にしたくなった。今はもういないあの人を・・・。その頃はしっかり存在して、私を魅了したその人を。
2005.05.07
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昔の恋人が隣に越してくる。かつて激しく愛し合った2人だった。男はごく普通の女と結婚して子供もいて、普通に幸福だった。女は落ち着いた男と結婚して子供はいなかった。2人は一緒にいると愛しすぎて憎しみ合ってしまう。けれど離れると生きてゆけない。だから2人が選んだのは・・・。ファニー・アルダンが映画の中で、誤って服が脱げてスリップ姿になってしまうシーンがとても素敵だった。ジェラール・ドパルデューはまだ若くて、痩せていた。初めてこの映画を見たの20代で、愛し合う者同士は勝手で残酷だなと思った。残された者は一体どんな風に生きて行けば良いのだろうかと。ファニー・アルダンみたいな女が相手だったらそんな風になっちゃうのかな?彼女が一番美しい頃の作品かもしれない。つい最近、イタリア映画に彼女が出ていた。リストランテの女将さんの役で。年を取ってもスタイルのよさはそのままだったし、美しくもあった。もうきっと60に近いのかもしれない。
2005.05.07
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その当時は子役モデルなんて誰も見向きもしなかったし、そういうことをしている子は、感心されなかった。同級生の男の子がたまたま青山にあるモデルクラブにスカウトされて、だれかお友達を紹介して欲しいと言うことで、そのクラブに所属することになる。色が白くて、背が高くはあったが、あまりそうゆうことに興味が無かった。ただかわいい子供服が着れて、ロケバスでいろんなところへ行って、美味しいお弁当(その頃は、大きなバスケットにサンドウィッチや、おにぎりや、フライドチキンや果物なんかを用意してくれていて、ピクニックみたいだった。のんびりして楽しくて、平和そのもの)があって、遊べて、だからロケは嫌いではなかった。スタジオで撮るCM、写真はもう本当に疲れた。何枚も何枚も撮られるし、常に笑顔でなければならない。じっとしていることなど出来ない子供にとっての待ち時間の長さにもうんざりだった。高学年になると1人で仕事に行かされた。学校を早引きしたり休んだりして。コカコーラのCMのオーディションに普段着で髪も綺麗にブローさえせずに行ったりしていた。だから宣伝用の写真と実物が違いすぎると言われた。クラブで撮ってもらった写真は実物以上に良く撮れていたから。プロ意識も無いままにやっていた。もうこれ以上こんなことは出来ないと思ったのは、あるデパートの子供服の撮影だった。その頃はデパートの中にスタジオがあって、そこで撮影していた。約束の時間に行っても、必ず待たされるけど、行かないわけにも行かない。案の定まだ大人の撮影が終わらないから3時間後に又来てとあっけなく言われる。あと3時間。つまり5時まで時間を潰さなければならない。小5だった。お金なんて交通費とプラス500円しか持ってない。とにかくソフトクリームを食べたり、おもちゃ売り場へ行ったり、本を立ち読みしたり、屋上へ行ったりして、それでも3時間も潰せなくて、4時には又スタジオへ戻っていた。そこに座ってればとヘアメイクの男が長い髪をぐちゃぐちゃにしながら言った。ストライブのベルボトムをはいて、訳のわからないベストを着て、ヒッピーみたいな人だった。モデルの女の人が何処で着替えようかなとあたりを見回していると、(信じられないけど、更衣室が無かった)モデルだから何処でも着替えなくちゃ駄目だよと言った。女の人は諦めたように、そのヒッピーの前で着替えだした。その着替えている姿をそのヒッピーはずっと至近距離で見ていた。そして君って以外に脹脛が太いねと言った。スリップ姿の女の人は、美人だし、足だって綺麗だった。なのに何故、こんな汚い男にこんなことまで言われて、こんな目の前で着替えさせられて、一体何なんだろうこれはと激しい怒りがこみ上げてきた。そのまま帰ってしまおうかとさえ思った。大人の撮影が終わって、女の人が何人か帰り支度をしていた。皆であの気持ち悪いヘアメイクの男の悪口を言っていた。そして、着替えるときはそこの奥にカーテンで仕切られた小部屋があるからそこで着替えなさいと教えてくれた。その後ヘアメイクの男が現れて髪をいじりだした。君ってかなりの癖毛だねと言った。それでもこてを使って何だかくるくるした髪にされた。撮影が終わったのは8時近くだった。デパートはとっくに終わっていて、社員通用口から出た。直ぐに公衆電話で家に電話して、池袋まで迎えに来てもらった。お腹もペコペコだったからとんかつ屋さんで食べて帰った。母に普通の神経ではやっていけないと話した。自分はそういうところに居たくは無いと。もう辞めさせて欲しいと。けれど事務所も子役が足りなくて中々辞めさせてくれなかった。それで結局辞めたのは中学生になって、部活があるからということで辞めた。中学生からはモデルクラブではレッスンを受けなければならなかったから。歩き方や、ダンス、歌、芝居まで。楽しいこともあったし、子供だから親切にもされたし、良い人も一杯いた。テレビにも出たし、コマーシャルにも出た。今では有名な写真家にも駆け出しの頃撮って貰って、アンアンの第一号に写真が出たりした。良い経験になったと思う。今では考えられないけど・・・。
2005.05.07
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ラスト近くで、男は自分の女の正体を知る。そして護送車の中で2人は初めて男対男として向かい合うことになる。女であったはずの男がスーツを脱ぎ、シャツを脱ぎ、とうとう裸体となる。愛し合いながらも女は一度も男に裸体を晒しはしなかったし、女は何時も男を慰めても交わりはしなかった。男はそれを中国の女性のある種の在り方と思っていた。女であったはずの恋人が男であったことに強いショックを受け、拒否反応を示す男に、女はもう一度男の愛を裸で求める。けれど男はどうすることも出来ずに、ただただ目を背ける。女はしくしくと泣き崩れる。男は若き日のジェレミー・アイアンズ。女はジョン・ローン。
2005.05.06
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月はそこにあるのにそこにない。光が射さないと見ることが出来ない。それは無いに等しい。新月はただ見えないことだけの月。見ることが出来ない月。ある日新月の夜、池にはくっきりとしたほの白い満月が浮かんでいた。それは何て言えばいいのか、それを何と呼べばいいのか、僕には判らない。日比野は言った。それは恋愛でもなければ、性欲でもなく、恋でもなければ、遊びでもなかった。ただそれは起こったとしか言えない。そしてその記憶だけが残ったと。それは僕が入社して3年が過ぎた頃のことでした。1つの店を任されるために僕は研修に行きました。そこで僕はその人と会ったのです。研修の最後の夜のことでした。誰かの部屋で集まって飲むことになりました。僕はあまり乗り気がしなかった。出来ればそのまま自室でビールでも飲んでゆっくしていたかった。けれど、何度も誘いに来るので仕方なく出かけて行ったのでした。ドアを開けた途端、タバコの煙で何も見えないような感じでした。狭いシングルルームにこれでもかという人が詰め込まれていて、入り込む余地など無いほどでした。僕はそのままドアを閉めて帰ってしまおうと思いましたが、中から僕を呼ぶ酔った声がしました。無視することも出来ず、人々の間を縫うようにして僕は知り合いのところへ辿り着きました。ベランダ沿いにその人は座っていました。黒くて長くてさらさらとした髪に小さな白い顔が人形のようでした。けれどその人は僕を見て微笑んだ。その時その微笑みは非常に人間味があった。こころからその人は微笑んでいた。無表情のその人とはまるで別人のように。何だお前もういかれちまったのかよぉ。無神経な僕を呼んだ知り合いが言いました。こいつ、結に釘づけだぜ。結というのがその人の名前でした。研修中僕はその人を一度も見かけなかった。会っていたら見逃しはしない。見逃すはずが無かった。僕の心を読んだかのように、結は言った。私研修中は髪を纏めて、黒縁のめがねをしてしたから私だって判らなかったと思うわ。僕はただ結の言葉にだまって頷くだけだった。いいから座れよ。でも僕は座らなかった。僕は何故かベランダに出て夜の冷たい空気を吸いたかった。僕がベランダに出ると皆が一斉に笑い出した。僕は構わない。なんて思われようと。僕は1人になりたかったから。月はただ白くて丸くて何処も欠けてはいなかった。満月の夜には多くの馬が死ぬと聞いたことがあった。そんなことが本当にあるのだろうか?僕はこの目で見るまでは信じることが出来なかった。結という女の子は一体何なんだろう。僕は彼女のあの微笑がただ忘れられなかった。そんな風に微笑まれたことは無かった。勿論誰にでもそんな風に微笑んだりするのだろうけれど。毎日が忙しすぎて、仕事にも疲れて、神経がざらざらして、なんか自分が汚れてしまった機械のように感じていた。僕はその穢れを拭いたかった。拭えるものなら。月の光は何だか僕の心を綺麗にしてくれる様に思えて、僕はただ月を眺める。ただそこにあるだけで僕を癒してくれるなら、僕はまだ月にはウサギがいて、かぐや姫が住んでいるところだと信じよう。僕は月に話しかける。クレイターだらけの死の星ではなくて。
2005.05.06
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ジルはソレルを愛してはいなかったけれど、その誠意に心を打たれて結婚した。ジルは本当の恋愛を知らなかったから。ソレルは誠実で、慎ましく、心からジルを愛していた。それは傍目からは痛々しいほどに。ソレルはジルが自分を愛してはいない事を良く判っていた。ジルはソレルに対してトキメキなど無かった。ただ若い娘の恥じらいがあるだけだった。ソレルはジルが自分を愛してはいないことが不満だったけれど、どうすることも出来ない。私を愛してくださいと何度言ったところで、愛したことが無いジルに判るはずもなかった。ただ、多くの男たちがジルに求愛をした中で、自分を選んでくれたことに満足するより無かった。自分を愛してくれる女は他にいるだろう。けれどジルのような女はいない。ジルは天が与えた完璧なまでの美そのものだった。ジルは自分の美しさを知ってはいたけれど、それをフルに活用するような女ではなかった。むしろ自分が美しいことなど知らないように振舞った。謙虚で、やはり慎ましかった。ジルはソレルの友人の結婚式で、アレンに出会った。アレンはソレルの友人でもあったが、この1年アレンは海外へ行っていたので、ジルはアレンを知らなかった。けれどジルの周りの女たちがよくアレンの噂をしていた。アレンほどの男はいないというのが、彼女らの言い分だった。アレンを見てアレンを知って、アレンに心を寄せない女なんていないと言う。そしてアレンが大臣の娘と婚約寸前という噂が流れていた。アレンはジルを見るなり、それが誰であるか直ぐに理解できた。ジルはアレンがこちらに向かって歩いてくるのを見たとき、それがアレンでなければならないと思わずにいられなかった。ジルは女たちの話を聞いていて、アレンという男に興味を抱かずにはいられなかったから。そしてこの目でアレンを見たその時から、ソレルに対して抱かなければならない感情が芽生えてしまうのだった。アレンはソレルが結婚したと聞いていて、それが絶世の美女であるとの評判はアレンがこの1年住んでいた北欧の国にまで知れ渡っていた。アレンはジルを見た途端、大臣の娘への興味をまるっきり失くしてしまった。もともと相手に望まれてはいたけれど、アレンの心を惹いたのは、その娘よりも大臣である父親にであった。野心家でもあるアレンは勿論打算があったのだ。けれどもうそんなことはどうでも良かった。目の前にいる光り輝く真珠のようなジルを、放って置くことなど出来るはずも無かった。たとえそれがソレルの愛妻だとしても、それが何だというのだ。アレンは花のミツを求めて飛び回る蜂の様に、いつでもジルの近くにいたかった。こうして2人は引かれたもの同士が感じあうシンパシイで結びついたのだ。それは何よりも強かった。けれどジルはそのことを誰にも知られないようにする必要があった。この気持ちは止められないけれど、夫であるソレルに知られることは避けたかった。それは明らかに彼を苦しめることになる。「夫以外の人に心を寄せるなんて」ジルは自分を酷く責めるのだった。けれど、たびたびジルの家に訪れるアレンは、生き生きして話も楽しく魅力に溢れていた。人並みならないおしゃれな人でもあり、センスも抜群に良かった。誰もがアレンに引き込まれて、アレンがいなくなると、火が消えたように感じるのだった。「私は駄目だわ。あの人がいるとあの人ばかりを見てしまうし、あの人も私を見ている」何時か何かが起こりそうでジルは不安だった。
2005.05.05
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人に期待することで自分が疲れる。自分に期待する方がいい。自分がやればいい。自分に一所懸命になれば。人を動かすよりも自分が動く方が速いから。けれどもし本当に人を動かそうと思ったら、それはひたすら出来るだけ、必要以外は言葉を口にせずに、じっと待つしかない。そばにいて。一番難しいことだと思う。何もしないでいると言うことは。言いたい気持ちを抑えて、ただ何もせずに、相手の心に出来るだけ添うように。周りに惑わされずに。信じて。生きる。
2005.05.05
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