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あまり詳しくは知らないが、イスラム原理主義組織が武装勢力となり、テロ行為を繰り返している。元々イスラム教自体は平和主義で、過激なことは好まないと聞いている。特に自殺することは御法度のようだが、ジハード(聖戦)の名のもとに自爆テロを行うと聞いたことがある。このように宗教の名のもとに武力行使するのはイスラム教に限ったことではない。近代ではパレスチナ問題などがいい例だ。またキリスト教においては、中世に十字軍などを組織して侵略を繰り返していた。キリスト教といえば、「隣人を愛せよ」という教えがあるにもかかわらず、平気で侵略を繰り返す。これも歪んだ解釈によるものだと思われる。日本においても延暦寺をはじめとして、多くの寺院が武装化していった。大阪城も元々は石山本願寺という寺院で、武装化していたというのを聞いたことがある。このように平和や安泰を願う宗教であっても、解釈を歪めれば武装勢力になりうる。自暴自棄になって「神は守てくれない、神を信じない」と言う人もいるが、そうではない。どんな宗教であろうと、心のよりどころであるのだから、都合のいいように解釈を歪めてしまえば宗教上はどんなことでも許されるはず。ただし、法律的に許されるかどうかは別問題だが・・・。自分も解釈を歪めて、闇の部分を正当化しようと思う。 これ、自分流。
2019年12月16日
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前から書いているとは思うが、自分はかなりのネガティブシンキングだ。これは性格や考え方の問題なので、おそらく変えられないだろう。今までネガティブな思考やコンプレックスを原動力としてここまでやってきたと思っている。しかしそのやり方なのか方向性なのかはわからないが、何かが違っていて思ったような成果にならない。だから、またそこからネガティブな考え方になってしまう。この繰り返しを長年にわたって続けてしまっていたことにより、精神的な病気なったこともある。今は病から立ち直ってやる気もあるのだが、やっぱりネガティブにはなる。だから、いっそのこと暗黒面に入ろうと思う。力こそ全て、破壊、反逆、主従関係。幸いなことに自分には知り合いは多いが、友達と呼べる人間がいないので、友情というものは存在しない。愛情は、家族がいるので多少なりともあると思うが、北斗の拳のサウザーの「愛ゆえに人は苦しまねばならん。愛ゆえに人は悲しまねばならん。」という言葉が示すように愛はただただ負担になるだけだ。実際に愛を感じないと言われたこともあるし、捨ててしまってもいいのかなって思うこともある。別に犯罪を犯そうとか、反社会的勢力に加担しようとか思っていない。負のオーラをそのまま力に変えたい。 これ、自分流。
2019年12月15日
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生きていれば必ず先が見通せないと思うときが多々ある。誰も未来のことはわからないので当たり前といえば当たり前なのだが、先々について確信というか安心感が欲しいと思う。実際には霧がかかったように先が見えず、不安に陥ってします。こういう時は、危険を冒してでも前に進むか、霧が晴れるのを待つかという選択をせざるをえなくなる。本当に濃霧注意報が発令されているとき、多くの人は危険を冒して通勤や通学のために霧の中を車や自転車で走っている。当然のことながら、自分も無理にでも出勤しようとする。霧が晴れるのを待てる人は、時間の制約があまりない人や、いろんな意味で余裕のある人だと思う。話を元に戻すが、先が見通せない状況で前に進むということは、リスクもあるが得るものも多いと思う。しかし晴れない霧はないし、明けない夜はないのだから、安全を確保できるまで待つという選択もありだと思う。また霧は低いところにかかるわけだから、前に進まず上に昇れば雲海を眼下に眺められる絶景が見れる。視点を変えれば困難な状況も娯楽になる。 これ、自分流。
2019年12月09日
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