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まずは、客観的に考えて、「AがBである確率はかなり高い」と考える。しかし、客観とは言うものの、客観的に考えているつもりなのは私なので、私の主観による客観である。そこで、もうひとりの私を持ってきて、「Aは絶対にBではない」と言わせてみる。妙なことを言ってるな、と思いつつ、もうひとりの私の言い分を聞いているうち、「AがBである確率は、思っていたほど高くないかもしれない」と考えるようになるかもしれないし、「AがBである確率はかなり低い」と考えるようになるかもしれない。
2014年05月30日
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暗号解読を試みる。暗号?暗号→あんごう→(さかさまにする)→うごんあ→(「うご」を「動」にする)→動んあ→(「動」を「どう」と読む)→どうんあ→(「うん」を「運」にする)→ど運あ→(「運」を「はこ」と読む)→どはこあ→(さかさまにする)→あこはど→アコハドどうやら、「暗号」とは「アコハド」のことらしい。では、「アコハド」とは何か?
2014年05月29日
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何かしら解決したい問題を抱えたとき、実感をともなう納得のゆく答は意外なところにあると思いこんでいるおかげか、予想どおり、予想していなかった答(?)が出現すると、うれしい。
2014年05月28日
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人から人へささやかれるのは、ひみつの情報じたいではなく、ひみつの情報が暗号化されたものらしい。すると、探偵たちが手に入れ、そして、ひみつの情報としてささやかれ伝えられた暗号を解読する人たちがいる。
2014年05月27日
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「自分とは何か?」というのを「何を自分とみなすか?」にしてみる。まずは、「何を自分とみなすか?」という文章は、あらゆることばと同じく、文字なり音声なりであり、ほんらい思考をこえている。まあ、これで、ああそうか ! わかった ! と感じれるなら、もちろんそれはそれでいいのだけれど、それでは実感がしない、とする。では、身心を自分とみなす、としてみる。これは、ふかくすすめると、身心を落とそうと試みることへとつながって、ほんらい自分は無い、という方を向く。こういうのは、もちろんそれはそれでいいのだけれど、こういうのとちがって、実体感が欲しいならどうするか?「この身心の周辺(この身心を含む)のエネルギーの濃度や分布状態」を自分とみなす。
2014年05月26日
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自分の未来が心配というとき、その未来は近すぎる。未来を遠くまでのばせば、自分は死んで消えている。じゅうぶん遠くの未来には自分はいないから、心配する自分が無い。まあ、もともと自分なんて無いとするほうが話はかんたんだけど…
2014年05月25日
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人生の残り時間を考慮に入れると、これまでとは別なふうに暮らすやり方を思いついたなら、本気で考慮してみるほうがいい。あとまわしにすると、時間切れになるかもしれない。
2014年05月23日
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じつのところ、多くの悩みを生みだすのは、世間からの疎外感よりは、世間へのまきこまれ感ではなかろうか?疎外されていると見なすのではなく、世間へ(あまり)まきこまれずにいられると見なせば、ありがたいことだ。
2014年05月22日
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情報は無数にふりそそいでいるのだけれども、どの情報の方を向くかは(あるていど)自由である。全体を見わたそうとしても、「「情報の全体」についての情報」の方を向いてしまう。全体を感じなさい、と言われたところで、なかなか…だから?だから、自身の身心がいま、どの方向に向いているのか、気づこうとしてみる。向きを変えたほうがいいと感じたなら、変向をこころみる。
2014年05月21日
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公園の水飲み場を監視しているからには、わけがある。スパイがやってくるという情報があるのだ。探偵たちはこのせかいのひみつをささやく。盗聴器もまた張りめぐらされているのだろうが、ささやき声までは聞き取れない。
2014年05月21日
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何かしら自分に関係があると思われることが起こると、ぼんやりしていると、その影響を大きく受けてしまい、なんとなく、そのことについて考えたほうがいいような気がしてぼんやり考えてしまうのだが、ぼんやり考えるというのは(ぼくはこれまでじつに多くのじかんをそのようにすごしてきて反省するのだけれども)退屈なすごしかたなので、ぼんやりせず、きちんと考えて、それが考えをすすめたほうがいい何かなのか、考えてもけっきょくのところ退屈な何かなのかを判断して、考えると決めたのなら考えをすすめる、そうでなければ、それについて考えるのは、終わる。何も考えないと決めたときには、たとえ体を動かしているばあいでも、できるだけ身心に言葉を流さず、まわりの物事を見たり聞いたり感じたりしようと試みる。
2014年05月20日
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思考を落とそうと試みて元気になれば、元気になった身心には思考が新鮮に感じられる。身心をととのえてから思考すると、新鮮な驚きがひろがっているのに気づいて、たのしい。
2014年05月19日
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iTunesで見たのですが、映画が始まってとうぶん、いったい何が起こっているのかよくわからず、見終わっても(個人的には)さほどおもしろいとは思わなかったにもかかわらず、風と、風の吹く草木と、風を走る自転車の風景が、とにかくすばらしく、もういちど見たいと思いました。
2014年05月18日
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(生と覚醒(めざめ)のコメンタリー(第4巻):p124:クリシュナムルティ(著):大野純一(訳)春秋社)より引用『推測と想像は注意の敵である』■推測や想像なしで暮らすわけにはいかないので、せめて、推測しているということに注意し、せめて、想像しているということに注意してみる、といったところか…
2014年05月18日
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具体的な出来事に対して、いちいち評価してゆくと、気分が落ちつかなくなる。具体的な出来事から直接影響を受けるのではなく、何であれ具体的な出来事が出現することの不思議を感じるようにすれば、気分がよくなる、と思う。何かがうまくゆくのも、何かがうまくゆかないのも、どちらにせよ、不思議といえば不思議である。何もかも不思議と感じているとき、気分はいい。
2014年05月17日
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アメリカは、去年の終わり頃から、アメリカ国内での米国債の購入を減らしており、また、ロシアは、ウクライナ危機の影響で、ロシアがこれまで買ってきた米国債をアメリカ国内に凍結されたら困るので、米国債を売る、もしくは、別のところへ移しているらしい。にもかかわらず、米国債の価値はこのところ上昇している。ということは、どこかの国が米国債を大量に買っている。日本もある程度は買っているだろうが、どうやら、それ以上に大量に買われているらしい。どうやら、ベルギーの国際債券決済所で、このところ、毎月300億ドル分の米国債が買われつづけているらしい。といって、ベルギーにそんな金があるはずもない。どうやら、なんとなんと、アメリカがベルギーの中央銀行の名義を借りて、買いつづけているらしい !うーん、すごい !なるほど、そういうことなんだろうけど、それにしたって、すごい !
2014年05月17日
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人類がいま不意に全員死んだって、いまからしばらくは、この部屋は私が死ぬ前と同じように存在する、と、あたりまえのように考えているのだけれど、よく考えてみると、私の死体のあるこの部屋が、死ぬ前の私が想像するように存在するためには、この部屋を観察する人間が必要だ。この部屋がこのようであると人間が知覚・認識するのは、人間の大きさ・硬さ・感覚器官、その他もろもろがこのようであるからで、人間がいなければ、この部屋をこのように知覚・認識する観察者がいない。それでもあるしゅの動物は、人間と似たようにこの部屋を観察するだろう。そういうまぎらわしさをなくすには、動物がいま不意に全部死んだとすればいい。動物がいま不意に全滅したなら、動物の大きさ・硬さ・感覚器官、その他もろもろが知覚・認識するような現象としてのこの部屋は、成り立たない。人間が想像できるような観察者が全滅すれば、人間が想像しうる「観察」ということが成り立たない。存在ということが何のことやら、理解することもない。
2014年05月16日
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考えるときに、「問」の形式にして自身に質問してみるのも、おもしろい。まずは、その問が考えた方がよさそうな問かどうか考える。考えると決めたら、しばらく集中して考えてみて、答がひとつ見つかる、いくつかの答が見つかる、もしくは答が見つからない。答が見つかったなら、答を疑ってみる。有効な答は、単純な答か、それとも、予期していなかったおどろく答だ。答が見つからない場合は、きちんと考えていないからかもしれないし、いまのところ答が用意されていない問なのかもしれない。
2014年05月15日
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「死んだらどうなるのですか?」といったムダな質問はしたってしかたがない、とは言われているけれども、考えてみれば、何をムダと見なすか、によると思う。そういう質問の答によって、楽しめたり気分がよくなったりするのなら、それでいいのではなかろうか。ひとつの答として、「いまのあなたの状態が、まさにあなたが死んだ状態です」とか言われてみて、「ああそうか、そう言えば、ここは死後の世界かもしれないなあ」と不思議に感じれたなら、しばらく楽しめて気分よくなるかもしれない。あなたは、あの世で死んで、この世で生まれた。
2014年05月14日
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「人はそもそも社会的なネットワークにおいてしか生きられない」ということと「かなりなところ、直接的な人づきあいをしないほうが、この私は楽なので、そのように生きるよう試みてみよう」ということとは、対立しているわけではないので、わざわざ対立させることはない。
2014年05月13日
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先入観なしでは思考はなりたたないのだけれども、ひとつの考え方にこだわるのは暴力的だからといって、複数の考え方をたんに集めただけだと、複数の先入観が重なり合って混乱する。思考するなら、複数の先入観を組み合わせて自分なりに整理して、薄い膜のような先入観にしようと試みる。
2014年05月12日
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身心をたとえば「暗号変換器」ととらえてみる。「暗号変換器」が調子よく機能するよう、睡眠・食事・運動に気をつけ、「暗号変換器」に積もったホコリや虫を減らすべく、思考を落とそうと試みる。そうしておいて、世界からの無数の暗号(情報)のうち、何かしら引きつけられる暗号(情報)を「暗号変換器」に(意図的に)入力する。(もちろん、意図しない暗号(情報)もまた、いやおうなく入力されつづけているのだけれども)変換された暗号が、いつ、どこで、どのような姿で出力されるかを、「暗号変換器」は知らない。
2014年05月11日
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こんな小さく退屈な公園を監視するからには、何か理由が必要だ。監視しているひとたちもまた、監視されている。監視されていると見せかけて、監視しているつもりのひともいる。それとも…映画のなかの探偵たち(刑事たち)は、そのとき、犯人たちを監視しているつもりが、撮影カメラに監視されているばかりか、いずれ、観客たちに視られる。
2014年05月11日
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時間は便利な道具にもなる。したいことがいくつかあるとき、自由時間をいくつかに区切って、したいことを順番にすることにして、途中、時間を忘れてしているなら、それでいいし、予定した時間が来たことに気づくなら、時間割に合わせて次に移ればいい。
2014年05月10日
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身心がからっぽになってゆく感じがして、身心に元気がひろがってくるぼんやりはすぐれている。なんとなくしんどいぼんやりは、身心につまらない感情(言葉)がうごめいているので、すみやかに対策が必要である。
2014年05月09日
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考えと現象は別とみなすと、論理的に考えようとするときとか、人に説明するときとか、でなければ、いやな感じの現象に言葉を貼るときに、「しんどい」とか「つかれた」とか「いやなかんじ」とかの言葉を頭に流さず、「プリンがころんだ」とか「青い雲はおいしい」とか「たのしいなあ」とか考えるのは自由である。歯をみがくのがいやなら、「歯をみがきたくない」と考えるのではなく、「いまから不思議なことをしよう」とか「どうしても歯をみがきたいのだ、このわたしは」とか「いまからケーキを食べる(歯をみがく行為を「ケーキを食べる」という文章で表わす)」とか考えながら歯をみがくなら、いやな感じはかなり薄まる、と思う。どんな言葉を頭に流すかは、それなりに自由である。まあ、頭に文章を流さず、目・耳・味・匂い・触感、などに集中して、言葉抜きの歯磨きをするのが、すなおで有効だとは思うけれども。ということで、ぼくは、きょう、「不思議の世界へようこそ」と考えつつ起きあがった。Welcome To Your Wonderful World
2014年05月08日
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気にしてもしかたがないと思うことを気にしているとき、「気にしてもしかたがないのに気にしている」ということに気づいているにもかかわらず気にしているのなら、じつは、気にしてしっかり考えたら何かに気づける場合とか、じつは、いまのところ気づいていない何かから気をそらそうとしている場合とかがある。そして、驚くことに、いまのところ気づいていない何か、というのは、探せば思わぬところで見つかってしまう。
2014年05月07日
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「新鮮な何か」に当たる確率を高めるため、何かを(何であれ)新鮮だと感じれる心身状態なり状況なりへと、自身をあるていど整えてから、ぼうだいな物事のひろがりを眺めようと試み、そうしておいて、「新鮮な何か」に近づきそうに感じる方向へと心身を踏み出そうと試みる。
2014年05月07日
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そもそも、物質とか生命とか含まない宇宙が無数(物質とか生命がない宇宙には数も無さそうだけれど)にあってもいい、と思う。
2014年05月06日
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人生ゲームはあまりに複雑で、終わりそうにもないのだけれど、いつのまにやら終わる。
2014年05月05日
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体調を整えようと試みることでもたらされる享楽と、思考を落とそうと試みることでもたらされる享楽と、あるしゅの思考のもたらす享楽とは、たぶんつながっていて、順序としては、まずは、体調を整えようと試みることでもたらされる何かを楽しみ、そして、思考を落とそうと試みることでもたらされる何かを楽しみ、それから、あるしゅの思考のもたらす何かを楽しむ。
2014年05月04日
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(大乗仏典3:八千頌般若経:p157:梶山雄一(訳):中公文庫)より引用『身体で触れえず、 ことばで語りえず、 心で考えられない、 そういう本性をすべてのものはもっているのです』
2014年05月03日
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きのう、トム・ドワンさんが、おととしのマカオの高額ポーカーで1回(数分)で1億5000万円以上勝った、と驚いたのですが、なんとなんと、ことしの1月には25億円ほど勝ったらしい !マカオの高額ポーカー(クリックしてね)興味があるからといって、日本語の記事が見つからないからといって、英語の記事を読むのは、ぼくの目標である英語の聞き取り勉強にはさほど役に立たないようにも思うのですが、まあ、すこしは役に立つでしょう。
2014年05月03日
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以前(2009年4月)、携帯写真の編集を楽しんでいたころ、たまたまポーカープロのトム・ドワンさんを使わせてもらったことがあるのですが、
2014年05月02日
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ヘレン・ケラーの驚きの逆向きの驚き(クリックしてね)のつづきです。ヘレン・ケラーの場合は耳も聞こえなかったのだから、「water」という音声と「water」そのものとの関係や、「water」という音声と「water」という文字との関係は存在しなかったのだけれども、「water」という音声と「water」という文字と「water」そのものとが深く結びついてしまっている健常者は、「water」という音声と「water」そのものとが別であるばかりでなく、「water」という音声と「water」という文字とが別であるとふと気づいて、めちゃくちゃ驚く。と書いてから、なんかへんだな…どうして耳が聞こえないのにヘレン・ケラーは話せるんだ?ということで調べてみたら、しゃべるヘレン・ケラー(その1)(クリックしてね) しゃべるヘレン・ケラー(その2)(クリックしてね)なるほど、このような学習と、それと、ヘレン・ケラーは1才半くらいまでは健常だったらしいので、それで話せるのか…
2014年05月01日
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「あ、5月なんだな、うれしいな」と、ふと思った。5月になったからといって、うれしい理由などないので、まずはうれしいと感じてしまえたのは、うれしい。
2014年05月01日
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ストレスに強い精神へ変えようと試みるよりは、ストレスの少ない状況へ身心を移動させようと試みるほうが、簡単でうまくゆくことが多いように思う。
2014年05月01日
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