目の変化びと

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2006年09月24日
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カテゴリ: 覚醒
「私」とは「脳の知覚/認識」である。
「誰かある人」とは「脳の知覚/認識」である。
 よって、「私」は「誰かある人」である。

 人は皆、私である。

 誰かが誰かをほめるだとか、誰かが誰かをけなすだとか、人が皆、私なら、私が私をほめたって、私が私をけなしたって、(私が私をほめたりけなしたりすることもあるけれども、そのときには、「ほめる/けなす私」と「ほめられる/けなされる私」とに分離してしまっている)まったく意味を成さない。





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Last updated  2006年09月24日 16時55分09秒
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Re:覚醒(09/24)  
serna  さん
本来は、「私だけがある」と「私は無く、ただ世界だけがある」は全く同じ事実を指していて、でも、とても表現が難しいのだと思います。思うに、「私が世界である」という言葉は、「世界が私である(人は皆、私である)」という、その気付きなしには意味が無いどころか、むしろ危険なものなのでしょうね。私はそう思います。

それにしても、gaMeさんの説明は順序立っていて、本当にわかりやすいですね。
「全てであるものは、(限定された)何ものでもありえない。だからこそ全てでありながら無であることができ、その時には二元性の分裂はない」というのが、今の私には表現の限界です。抽象的になり過ぎるのが問題ですが。 (2006年09月25日 02時17分10秒)

Re:覚醒(09/24)  
天使 さん
私は、以前にも書いたようにgeMeさんは考えることがすきなのだと思います。そして考えることにより、間違った方向へ行っているのだと思います。
○○とは○○である。とか よって○○であるというのは数学的考え方で、条件付のように思われ、瞑想には相反すると思います。ここ2~3日のgeMeさんの文章を読んでいて、考えることの楽しさにはまり言葉の罠に嵌ってしまっているのではないでしょうか?本来、”きれい”だとか”気持ちいい”などの恍惚感になるのは、無条件だからこそでです。
考え過ぎることにより、言葉により惑わされ見失いかけていませんか?
瞑想に執着する事で、本来の瞑想の大切さが違った方向へと行っているのだと私は思います。
また、きっと以前よりgeMeさんは楽しんでいると思います。それは、大好きな”考える”という事を繰り返しているからだと思います
(2006年09月25日 19時40分09秒)

「実感」  
gaMe  さん
sernaさんへ。

「私だけがある」「私は無く、ただ世界だけがある」というのは、「色即是空 空即是色」なんかとつながっていると思いますが、頭ではそれなりにわかったつもりになれても、それらの表現では、僕としては、どうしても実感できませんでした。
 今回、瞬間ごとの「脳の知覚/認識」という表現を使うことで、僕にとっては、それなりの実感が出てきたところです。
 実感が出てくると、「脳の知覚/認識」自体が実感に合わせて変化してゆくのだと思います。

「私が世界である」という言葉は、それだけだと危険だと、僕も思います。

「全てであるものは、(限定された)何ものでもありえない。だからこそ全てでありながら無であることができ、その時には二元性の分裂はない」
 うーん、これは、僕にとっては、頭ではわかる(わかったつもりになれる)のですが、頭ではそのとおりだと思うのですが、僕にとっては、実感は難しいですね。sernaさん自身が書かれているように、「抽象的」な感じがして、具体的な「物」(のようなもの)として実感するのが困難なんでしょう。

【「私」とは、瞬間ごとの「脳の知覚/認識」である。】というのは、僕にとっては、抽象的ではなく具体的な「物」(のようなもの)であり、だからこそ、それなりの実感があるんでしょうね。(ただ、この「大発見」を何人かにしゃべってみて、そんなの実感できないよ、と言われたので、これがかなり個人的な「実感」だというのが、ようやくわかってきたところなんですが) (2006年09月26日 05時54分03秒)

「言葉の罠」  
gaMe  さん
天使さんへ。

 天使さんの書かれていることは、頭ではわかる(わかったつもりになれる)のですが、どうしてもそれでは「実感」が伴わないのです。
 じつのところ、「言葉の罠に嵌って」しまうことの危険性を、僕自身が、これまでこのブログでずいぶん書いてきたわけですが、それらはみな、今回の「実感」のための準備だったと思います。もちろん、それらの(かなり多くの)準備なしでは、今回の「実感」もやってこなかったと思っています。
 今回の「実感」が「言葉の罠」かどうかは、僕自身がこれから、この「実感」と付き合ってゆくうち、わかってくると思います。 (2006年09月26日 06時17分56秒)

「実感」  
gaMe  さん
いや、まいったな。

『今回の「実感」が「言葉の罠」かどうかは、僕自身がこれから、この「実感」と付き合ってゆくうち、わかってくると思います。』(2006年09月26日)

だなんて自慢気に書いてて…

【「私」とは、瞬間ごとの「脳の知覚/認識」である。】というのは、今となっては、いまの僕にとっては、頭ではわかる(わかったつもりになれる)けど、ほとんど「実感」できない表現です…

まあ、やはり、何と言っても、言葉は言葉に過ぎず… (2018年09月01日 21時36分55秒)

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ミズナ@ Re:ミズナさんへ(12/10) gaMeさんへ お返事をありがとうございます…
gaMe @ ミズナさんへ 「悟りについて」をおもしろいと言っても…
ミズナ@ Re:悟りについて(その33)(12/10) こんにちは。 「悟りについて」 なんか、…
gaMe @ まちがい けっきょくのところ、この頃(2006年)や…
gaMe @ もがいていた時期 この頃(2006年)書いてた、【私=瞬間ご…
無空無限@ Re:川を渡る(01/06) 幾月か幾年かは存在にまかせて、喜び祝い…
gaMe @ これ書いて、4〜5年経って、思うこと。 こんな文章を自分が書いただなんて、ほん…
gaMe @ 結末を知って見ると… この前(2018年8月19日)見ておもしろかっ…
gaMe @ 約 数 「同じ個数に分けられない(1個ずつは除く…

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