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除隊の日
1991年(平成3年)3月下旬、卒業式も終わり除隊するだけとなった頃、有給休暇中で昼間から営内でひとり荷物を整理していました。就職先の都内の社員寮に荷物を運び出して、貸与されていた被服、半長靴等の個人装備を返納しました。
私の除隊日が日曜日だったので、除隊の挨拶回りは金曜日に出掛けました。勤務中でもあり、私に対して色々と思うところのある人もいたので、無暗に不興を買わないように手短に挨拶してその場を立ち去りました。火器工場には私が通っていた大学に1年遅れで入学した少工出身の某3曹がいて、挨拶回りが終わった頃に声を掛けてきたのでしばらく雑談をしました。某3曹は私より階級が上なので私を呼び捨てにしても問題はないのですが、気を使ったのか人の目がないときは私を「〇〇ちゃん」と呼んでいました。何を話したかはっきりとは覚えていませんが、大学のことや就職先のことを話したように思います。また、火器工場の某曹長は、事あるごとに助言を与えてくれて叱咤激励してくれた人物でしたので特に感謝の意を伝えました。当然、小火器班班長をはじめ、小火器班の人達にはこれまでの好意に礼を述べて小火器班を後にしました。
営内班は、課業後はいつも通り騒がしく、通学や遊びに外出する者、洗濯等の雑用に勤しむ者等、営内で日常生活が行われていました。私のすぐ下の後輩である某士長は、私に代わって陸士班をまとめていました。少々思慮が足りない男でしたが、積極性があるので私よりは良い先輩になるであろうと期待していました。その他の陸士もそれぞれ不安はあるものの、これまで大きな問題も起こさずにきたので、これからも自衛隊勤務をうまく凌げるだろうと思いました。
退職日前日の土曜日は、外出して社員寮に荷物を運び込み夜には営内に戻りました。営内班は、ほとんどの者が外出していたので静かでした。十条駐屯地での夜はこれが最後だと感慨深い感情もありましたが、それ以上に営内の劣悪な環境から逃れられることの嬉しさがこみ上げてきました。社員寮はワンルームでエアコン完備だったので、営内班とは雲泥の差がありました。ギシギシとうるさいベッドとも今夜でお別れです。
日曜日の朝、わずかな荷物を持って静かな営内隊舎を出ました。駐屯地の咲きかけていた桜を眺めて警衛所に向かい、窓口で身分証を返納して十条駐屯地の営門を出ました。定年退官する幹部や陸曹は部隊総出で見送りが行われます。しかし、任期満了除隊の陸士の場合は、営内者等の有志だけの見送りとなります。私の場合、除隊が日曜日でもあり見送りは遠慮しました。警衛司令に敬礼して営門を出て、十条駅から鉄道を乗り継いで都内某所の社員寮に向かいました。特に何の感慨もなく淡々とした除隊でした。
1998年、十条支処は部隊改編で廃止されて「陸上自衛隊補給統制本部」が設置されています。レンガ造りの工場や営内隊舎は建て替えられて、新しい鉄筋コンクリート造りの庁舎が立ち並んでいるようです。十条支処の勤務者は、武器補給処本処のある霞ヶ浦駐屯地等に異動したようですが、私の知る人は既に定年退官していると思います。


陸上自衛隊武器補給処十条支処勤務の顛末 … 2024.01.01
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