真理を求めて

真理を求めて

2003.01.17
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僕には、14才になる息子がいる。この歌は「お前が二十歳になったら」というフレーズを繰り返すんだけれど、それを聞くたびに、僕も「お前が二十歳になったら」ということを想像する。

僕は、特にそんなふうに育って欲しいと思って育てたわけじゃなく、ほとんど放任していたんだけれど、自分が子どもの頃の感じとよく似ているような気がする。この歌では、「男は生意気くらいがちょうどいい」といっているけれど、僕の子どもの頃も、僕の息子も、全然生意気じゃなかった。その代わりにとっても頑固だったけれどね。これは、もしかしたらトランペッターの親父から受け継いでいるものかもしれないな。

僕は、ほとんど手がかからない子どもだった。放っておけば一人でいつまでも遊んでいるような子どもだった。自分だけの世界にいるときは、完全な自由を感じていて、好きなものだけに没頭していられる子どもだった。だから、好きじゃないものはほとんどやる気がしなくて、もしそれをやるように干渉されたら、ゆがんだ育ち方をしたかもしれない。幸いなことに、両親とも全く干渉することはなく、僕のやりたいことをやらせてくれて、ただ見守っているだけだった。

今の時代に子ども時代を過ごしていたら、僕もちょっと危なかったかもしれないな。あの頃はいい時代だった。学校でも、手のかからない子どもは放っておいてくれたからね。今は、手がかからないことを心配されたりするから困る。僕の息子も、今の時代では生きにくいと思っているかもしれないな。

親父は、音楽をやりたくて仕方がない人間だったから、自分のことで忙しくて子どもに干渉する暇がなかったのかもしれない。今の僕と息子の関係みたいだ。僕も、自分でやりたいことがたくさんあって、息子のことまでかまっていられない。違うところは、僕は息子が小さい頃は良く連れて出歩いたことだろうか。動物園や博物館に行くことが多かったけれど、弁当を持ってよく一日歩いたものだ。小さい頃の可愛さは、一日いっしょにいても飽きなかった。親父は、日曜が休みになる仕事じゃなかったから、僕が子どもの頃は、親父と出かけるのは年に何回あるかという感じだったけれど。

僕は、二十歳を過ぎてから酒を飲み始めたけれど、親父といっしょに飲むようになったのは仕事に就いてからだっただろうか。「思い出話」でいっしょに飲めなかったのが、親父には申し訳ないと思う感じだった。でも、家を離れて暮らすようになってから、時々手紙を書くようになった。直接話しにくいことを手紙にし、その中で思い出話が語れるようになって、ようやく「思い出話」で飲めるようになったのが、息子が生まれたくらいの頃だっただろうか。

僕は、想像力だけは発達していたので、荒唐無稽な大きすぎる夢はよく見ていたけれど、息子も似たようなところがあるといいと思っている。夢は理想と同じ意味を持っている。理想は、あくまでも高く掲げていた方がいい。実現しなくても、それが憧れであっても、いつもそっちを向いている目印になるのが夢とか理想とかいうものだろう。

お前が二十歳になったら、いっしょに飲めるのかな。水で薄めるような酒は飲みたくないな。酔いが回らないような酒ではなく、ちょうどいいほろ酔い気分になれる酒を飲みたいものだ。





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最終更新日  2003.01.20 00:18:17
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