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あなたが夜勤のとき、私はうまく寝付くことが出来ない。深夜あなたが巡回で病室にやってくるまで大抵起きている。
患者の寝息を確認するように、あなたはゆっくりと病室を往復する。懐中電灯の遠慮がちな白い光が、あなたが今注目している場所を教えてくれる。あなたが病室を出て行くまでの間、私は私も注目されるだろうかと気が気じゃない。
私は薄闇に流れるあなたの気配を、薄目を開けて感じ取ろうとする。消灯後、こんな時間まで私が起きていることを知ったら、あなたはどうするだろうか。考えるだけで私の胸はドキドキする。その感じがたまらなかった。
ある日の夕方、病室で、あなたと二人きりになった。私はベッドに上体を起こした格好で、白衣のあなたが目の前に立っていた。静かで、カーテンの開いた窓から西日が注がれ、真っ白なベッドのシーツを染めていた。私は沈黙を埋めるように、聞かれてもいない私の個人情報を一方的にあなたにしゃべった。あなたに私を知ってもらうために。
私は三十歳で、独身で、無職だった。映画俳優を目指していたが、鳴かず飛ばずだった。当然あなたの好きな貯金もない。恋人もいない。普通に考えれば将来性もない。そんな私の自己紹介を最後まで黙って聞いて、あなたは一言、ダメじゃんと笑った。
退院のメドが立ったある日、我々だけの喫煙場所で、私はあなたにあなたの連絡先を尋ねた。退院してからもあなたに会うために。
「会ってどうするのよ?」
とあなたは言った。お金もないくせにと。もっともっとあなたと話がしたいんだと、正直に私は答えた。あなたのことが好きで、あなたのことを深く知りたいのだと。
あなたは私の目をジッと覗き込んだあと、私の手を取って甲の部分に携帯の番号を素早く書き込んだ。まるで毎朝の患者の体温を記録するように。
退院するとすぐ、私は菓子パンを包装するアルバイトを始めた。シフトが週ごとに自由に組めるのが、このバイトを選んだ一番の理由だった。撮影で何日間も拘束されることがあるので、勤務に融通の利くバイトじゃないと長く続かないのだった。仕事の帰り、パートのおばちゃんが形の悪いパンをこっそり持たせてくれるのもありがたかった。形は悪くてもパンはパンだ。パンだ!
退院してまともに生活が出来るようになってから、私は初めてあなたに電話をかけた。看護師と患者という関係じゃなく、男と女の関係として。
電話に出たあなたの声はなぜか遠くてすぐに切れてしまったが、あなたは私の誘いを断らなかった。
一週間後の夜、我々は初めてのデートをした。くすぐったいような緊張に包まれながら、私は約束した駅前のオブジェの傍であなたを待った。
ところが、待ち合わせの時間を過ぎてもあなたは現れない。周りにいる待ち人の顔触れがどんどん変わっていく。それに応じて私の不安もどんどん募っていくのだが、それでもあなたにメールを打つことも電話をすることも出来ない。怖いのは、ちゃんとあなたを好きだからだ。
持っていたタバコを吸い尽くし、さすがに諦めかけた頃、あなたは何かのついでのようにふらっと私の前に姿を現した。
「お待た」
とぶっきらぼうに笑う。
「べつに、そんなに待ってないよ」
言いながら私はスニーカーの先で足元の吸殻を蹴散らす。ずっと立ちっ放しで、その足が少し痺れていた。
「何よジロジロ見て、文句でもあるの?」
「・・・いや、そうじゃなくて」
初めて目にするあなたの私服のコーディネートを私が褒めると、あなたはさっと頬を赤らめ、死ね、と吐き捨てた。だけど、あっさりしたベージュのニットと花柄のスカートの組み合わせは本当にあなたに似合っていたし、看護師のときには塗らなかった口紅の色が私をドギマギさせたのも事実なのだ。あなたはやっぱり素敵だった。
私は無理をしてあなたを寿司屋に誘った。入院中、病院の外階段の踊り場で、好きなだけうまい寿司が食べたいよと、溜め息交じりにあなたが呟いたのを覚えていたから。