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「白樺教育館とどんぐり倶楽部」でタケセンさんの記事を転載したところ、うり坊さんからとても貴重なコメントをして頂きました。初めはうり坊さんのコメントの意味すら判断できない私でしたが、理想を追うことの危険さを教えてくれたのだと思っています。このコメントのやりとりは「どんぐり」を実践している方も他の教育法を実践している方にも大変参考になるやり取りだと思いますので、記事にさせて頂くことにしました。 (字数に限りがある関係で一部省略しています。) Re:白樺教育館とどんぐり倶楽部(3)(06/02) うり坊さん >理想・あるべき姿を追わず、目の前の現実を素直に見て、それを肯定し、受け入れるのです。 同じことを昨日偶然考えていました。 何故なら自分(や友達、大人)に対しては「理想は要らない、邪魔なだけ」と思っていたのに、子どもに対しては「理想像」がまだ残っていた自分に気がついてしまったからです(><)イタタタタ。 どんぐりでいう「理想の子ども像」も要らない、今となってはそう思います。何故ならその理想に向かうための「手法」になるから。 ありのままを受け入れる、って「理想」も「手法」もないんですよね。 まだ考え中ですが・・・。(June 6, 2012 12:45:31) Re[1]:白樺教育館とどんぐり倶楽部(3)(06/02) にんじんレモンさん うり坊さんこんばんは。コメントありがとうございます。 確かに「どんぐり」も手法であることは確かですね。 きっと人間が人間らしく自然と向き合って生きることを選択していたら、教育の手法など何もいらないのでしょうね。すべての教えが周りにあるのですから。 「どんぐり」は今の環境の中で人間として生きてて行くための思考力を育てる具体的な手法を授けてくれたのだと思います。 これでもかと思考力を育てない教育・環境が意図的に推進されているのですから。ごめんなさい。答えになっていませんね。 うり坊さん、何か見えたらまた書き込んでくださいね。お願いします^^。 (June 8, 2012 23:21:02) Re[2]:白樺教育館とどんぐり倶楽部(3)(06/02) うり坊さん >これでもかと思考力を育てない教育・環境が意図的に推進されているのですから。 「何でもかんでも小さなうちから早く的確に色んな事を出来るように」を「理想」としている現代の教育方針は、そもそも「間違っている」、少なくとも今の私には受け入れられない「理想」だから、そこを排除して守るというのは重要だと思っています。 それは本人の意思とは関係なく、学校や教師という別の大人の思惑が子どもに作用することなので、子どもの「ありのまま」とは違うし、「好きなように遊べ」と言って地雷原を放置するようなことはないですよね。 私が「これは危険、または違和感がある、個人的に嫌」と思うものを取り除くだけ取り除いて・・・あとはもう「お好きなように成長してください」かなぁ。 (June 16, 2012 10:51:22) Re[3]:白樺教育館とどんぐり倶楽部(3)(06/02) にんじんレモンさん うり坊さん そうですね。今となっては理想像は作られて、宣伝されて飼いならされてと繋がっていくのが良く分ります。この社会における子供の理想像は間違っていると気付き、親が子供を守っていくことが今とても大切なのだと思います。 子供だけではないですね。まず大人たちこそ社会の真実にもっと目を向けて気付き、考えて行かなければいけない時期に来ている。そう思います。 >私が「これは危険、または違和感がある、個人的に嫌」と思うものを取り除くだけ取り除いて・・・あとはもう「お好きなように成長してください」かなぁ。 私も押し付けない程度に取り除いているつもりですが、難しいですね。特に意図的に発信されるものについては。 (June 16, 2012 18:00:54) 理想について。タケセンさん 理想について書いたブログがあるのですが、よろしければ読んでみてください。どう思われますか? 「理想を追う」という姿勢が、人間を不幸にし、社会をダメにします。 http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/b79f1d200d3bfde6ec88395e6cd017a9 (June 20, 2012 00:37:21) Re:理想について。(06/02) にんじんレモンさん タケセンさんこんばんは。ご紹介ありがとうございます。 ちょっと私には難しいので、少し考えてみますね。 (June 20, 2012 23:14:09)Re:白樺教育館とどんぐり倶楽部(3)(06/02) うり坊さん >「理想を追う」という姿勢が、人間を不幸にし、社会をダメにします。 最近夫婦でそんなことをよく話し合います。「理想」は自分自身に対しても、他人に対しても、そして他人から作られた自分の理想像も、往々にしてマイナスに作用する、と。 1年前の私です http://ricas.blog92.fc2.com/blog-entry-576.html 今の私です。 http://ricas.blog92.fc2.com/blog-entry-700.html 正直言ってどんぐりに出会った頃は「理想の子ども像」を目指していました。つい最近まで、かも。でも、それすら要らない。ここまで来たか、私(笑)と思います(^^;(June 21, 2012 18:03:59) 「どんぐり」もあるべき姿(理想)なのか? にんじんレモンさん どんぐりを知った時、この教育方法に間違いないと 感じました。どんぐり問題の絵のイメージが描けるようにしたい。解くことが出来る 子供にしたい。 と思った瞬間からそれはどんぐりが理想になり こどもにその理想を押し付けることになる。 だから思ったように子供が出来なかった時や 自分から進んでやらない子供に対して、 酷いことを言ってしまった。 理想から外れた子供に対してイライラしたのでしょう。 確かに私はどんぐり問題が出来る子供を理想として追っていたのです。 とても危険な状態にあった訳ですね。 どんぐりの手法は素晴らしいけれど、 どんぐり問題が出来る子供を理想としてしまう親は、学校や塾の成績に 一喜一憂している親とまったく同じで、小我ということでしょうか? では自らの経験から良いと感じ、ああなりたいという理想を持つことは どうなのでしょうか?それでも理想を追うことは、自己の思想や感情を絶対化させてしまうのでしょうか? たとえ自らの気持ちから湧き出た理想であっても、理想を追うことは意識の固定化を招き、ゆるぎない。頑固。硬い。 しなやかな思考が出来ないという感情支配に繋がるのかも知れないですね。 「憧れ・想う」とは固定化されない良いイメージを意識すること。自由な自分でいることが大切なのかな。 そして他者の考えも受け入れる自由さを用意をしておくこと。 「自由闊達で豊かな心、創意工夫、臨機応変、当意即妙」 タケセンさん、うり坊さん、私に考える機会を頂き感謝します。 (June 23, 2012 08:04:28) とらわれのない心 タケセン=武田康弘さん 考え方にしても、 よいイメージ、美しいイメージ、こころの想い、にしても、 固定化=定式化してしまうと、意識=精神は絶対化されて、ほんらいの自由を失い「もの」化してしまいます。意識の死です。 どのような思想やまた方法も、日々の生を輝かし、豊かにし、日々の学びを活かす一アイテムとして遇することが大切だと思います。 どんな本や教材からも、自由な精神があれば、それを活かすことができます。どんぐり教材しか見ないという絶対化は、どんぐりの目指す世界とは異なるでしょう。何事も一つに固定しない方がよいはずです。自由にのびのびと、大胆なまでに! (June 25, 2012 00:55:17)
2012.06.30
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新潟県知事のコメントです。 転載します。 原子力発電に関する野田総理の発言に係る知事コメント 2012年06月08日 本日、野田総理が、大飯原子力発電所について「安全性を確認した」と表明しました。 現在、福島原 発事故はいまだ収束しておらず、事故の検証も進行中であり、換言すれば、意思決定過程や組織のあり方なども含めた事故原因の特定も行われていません。事故 原因が特定されなければ、対策を講じることができないことは自明の理であり、専門家である原子力安全委員会も班目委員長が安全を確認していないことを明言 しています。 このような状況下で専門家でもない総理が安全性を確認できるはずもありません。 実際、「福島を襲ったような地震や津波が起きても事故を起こさない。」と限定付きでの「安全宣言」であり、福島を襲ったものとは異なる直下型の地震等の場合は再び「想定外」という言い訳が通る説明になっています。 「電源が失われるような事態が起きても炉心損傷に至らないことが確認されている。」との発言についても、現実には、「電源が失われなくても、炉心冷却に失敗すれば、大惨事になる」ということが福島の教訓であることを無視した説明です。 さらに、政府の安全性の基準は暫定的なものであるとまで説明し、責任回避が可能な内容となっています。 この他にも指摘しなければならない事項が含まれていますが、新たな安全規制機関も未設置であり、万が一の事態が生じた場合の対策も固まっていない中で、「安全を確認した」と表明することは、新たな「安全神話」を創造することとなり、極めて無責任であります。 米国NRCでは、爆発や火災によってプラントの重要な部分が失われるようなシビアアクシデントに備えて対応(B.5.b[※])を準備しています。 国民生活を人質にして、安全を軽視した宣言となっていることは極めて遺憾であります。 ※ 米政府の原子力規制委員会(NRC)が9.11テロの翌年に米国内の原発に対し策定命令を出した「原子力施設に対する攻撃の可能性に備えた特別対策」
2012.06.10
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教育の本質 受験を目的に生きる!? 体遊び→豊かな心→優れた頭 白樺教育館館長 武田康弘 受験を目的に生きる!? そういう少年・少女時代をおくった人は、人間的に豊かでしょうか? 自他への愛が育っているでしょうか? 生きるよろこびを広げているでしょうか? 芯の 強さをもった優しい心の持ち主になっているでしょうか? 余裕のある心身、豊かな実力をもった魅力ある人間に成長しているでしょうか? 私 は、30 年間、多くの子どもたちと深く交わってきました。多くの相談を受けてきました。多くの家庭崩壊を見てきました。目先の狭い了見や外的価値に基づくプライド によって、人生を暗く、重く、悦びの少ないものにしている人たちを見ると、「ほんとうに不幸だな」、と悲しくなります。自分で自分の首を絞めている、でも そのことに気づかない。形だけを整えようと必死になり、どんどん中身は狭く固くなる。情報に振り回され、他者の目を気にして自分の心のありよう・物事の本 質を見ようとしないために、「出口のない世界」でもがき苦しむ。 そのことで一番犠牲になるのは、誰でしょうか? ほんとうは、一つも難しいことはないのです。 自分と子どもの「ありのまま」をよく見ること。善悪を抜きに、まず、そのままを受容すること、それがはじめの=絶対の一歩です。理想・あるべき姿を追わ ず、目の前の現実を素直に見て、それを肯定し、受け入れるのです。 そういう心が基本としてあれば、自ずと心身は動き出します。ありのままを受け入れると、世界が変わるのです。受動的な意識・脅迫神経症(きょうはくしんけいしょう)のような不安定な心・他者の評価に怯(おび)え る弱い精神は、だんだんと薄らいでいきます。そうして、自分がよいと思うこと、自分がほんとうにしたいと思うことに「真っすぐ」になれると、心は、積極 的・能動的に、強くなります。他者がどう言うか?ではなく、少しずつ自分を信じられるようになり、心は安定を得るのです。 大 人(親・ 教師)子ども共に、そのような心の安定・広がり・発展があってはじめて、「勉強・学習」に落ち着いてとり組むことが可能になります。「心」を豊かに強いも のにすることと一緒にでなければ「頭」も鍛えられないのです。これは人間の生の原理です。けっして切り離すことはできません。 では、豊かな心を生むための基本となる条件は何でしょうか? それは、心身全体で子どもと交わることです。抱っこ、オンブ、たかい・たかい、ふざけ合い、取っ組み合い、肩もみ(足もみ)し合い、いろいろ工夫して体遊びをすることが必須です。率直、自由、柔軟、臨機応変・当意即妙のしなやかな心は、【心身全体による豊かな触れ合い】が生み出すもの。一本調子、融通(ゆうづう)が利かない、頑固、臆病、ギクシャク、固い自我、厳禁(げんきん)の精神、暴力性、居丈高(いたけだか)、尊大・・・は、豊かな体の触れ合いのなかった人に共通する悲劇(人生の失敗)です。 このような心の持ち主は、生きた有用な頭の使い方ができません。意味をつかみ、全体を把握(はあく)できる健康な頭脳とは無縁です。公理・公式にあてはめるだけ、ハウツーによるパターン思考、丸暗記の事実の羅列(られつ)、情報に操(あやつ)られる判断。こういう死んだ頭・機械のような不幸な頭は、上述した固く貧しい心がつくるもの。 囚(とら)わ れの少ない意味をよくつかめる生きた頭は、情報に操作されずに、自分が真に自分自身としてよく生きるための絶対条件です。自立した優れた頭を、私は民知と いう知=頭と呼びますが、この民知の頭をしっかり育てれば、特殊な受験校(不健全な学校)以外ならば、特別な勉強などしなくても、入試は簡単です。私は 30年間、哲学しつつ教育に携(たずさ)わってきた者として、自信をもって断言・保障できます。 楽 しく・面 白く触れ合い、たくさんおしゃべりすることが、力のある優れた頭脳を育てる必須の条件。どんな話でも、「へ~、そうだったの、そうなのか」と聴くことが何 より一番です。それは子どもの心を心地よくヌクヌク満たします。そういう心になってはじめて、いろいろな知識や考えを吸収する準備が整い、頭が回り出すの です。子ども・人間は機械=ロボットではありません。心と頭と身体は切り離せないのです。悦(よろこ)びのないところに、よきものは何一つ生まれません。みなの役に立つ優れた頭脳は育ちません。 心身の豊かな触れ合い、楽しい対話、この何より一番大切なことが極めて不十分にしか行われていないところに、教育からはじまる日本のすべての人間・社会問題の元凶(げんきょう)があります。これが、型はまりの様式主義の文化を生んでしまいます。 子どもの話を聞かずに、「こうしなさい、こうすべきです」、という躾(しつけ)と称する言説は、正直な心、自分の感じるところ・思うところにつき、そこから真に自分の頭で考えるという何よりも重要な営みを元から潰(つぶ)してしまいます。哲学は成立しようがありません。 頭の芯に「脅迫観念」が植えつけられて、紋切り型(もんきりがた)の面白みのない人間や、肩書きだけで実力と魅力に乏しい人間しかつくりません。テレビで政治家や官僚の顔を見れば誰でも分かるでしょう(全員とはいいませんが・笑)。まさに「顔は顕現する」(レヴィナス)です。 子どものありのままを受け入れ、よく付き合い、それを楽しむこと、それが教育の本質=原点です。理想・あるべき姿を追う愚かで弱い精神からの脱却が急務です。「幸福をつくらない日本というシステム」(ウォルフレン)を変えていくためにも。有用な優れた頭を育てたいならば、何よりもまず楽しくなれる「心の環境整備」が必要です。闘争・蹴落(けお)とし・勝ち負け・ギスギスの心は、遅かれ早かれ必ず人格破綻(はたん)をもたらします。 他者への優越・抑圧に過ぎない単なる「事実学」の集積ではなく、生活世界に根差した生きたほんものの知=「意味論」でなければ、有用な価値ある「知」にはなりません。心身全体による豊かな交流が、意味の分かる生きた有用な頭を育む、が結語です。 (2007.3.19) 武田先生ありがとうございます。
2012.06.02
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認識における言葉 体験能力 よき生 武田康弘 教育が普及した近代社会―啓蒙時代以降、私たちは、事象―事態を言葉や数字等の記号に表すことで「分かった」と思うようになってしまいました。それがしばしば的外れの「確信」(紋切り型で形式的―表層的な理解)でしかないことに気づこうとしません。 元来、言葉や数字は過剰になると物事は見えなくなるものです。 肝心なことは、心身の全体を使って直截に知ろうとすることーよく 見て、よく聴いて、よく触れて、よく味わうことです。言語化したりされたりする以前の豊かで大きな世界を心身の全体を使ってよく経験すること。言語によっ て観念化される前の事象―事態そのものを全身で感じ知ろうとすることです。 言葉に言葉がもつ以上の役割を与えてしまった言語中心主義、言葉を神にしてしまう言語教が、世界を小賢しく小粒にしてしまい、神経質でかつ鈍感な人間を生み出してしまいました。言語だけを明確にする技術を仕込まれた哀れな「優等生」は、自分には何も見えていないことに気づきません。柔らかく掬い取るように対象と触れ合うことのできない本質的に鈍感な人間を、私たちの社会では優秀と呼んでいます。 だがしかし、偽善―形式主義―紋切り型の言葉=社会システムを変えていくにもやはり言葉を使うしかありません。 言語を神にしてしまう上記のような逆立ちを防ぐために注意しなければならないのは、 1. 言語を明確にすることではなく、言語は、意識を明晰にする手段として使うこと 2. 言語によってできることと、言語ではできないことを区別すること です。 心と体で感じること、想うこと、五感の全体で感じ知ることー感覚の明晰と悦び、感情の豊かさと深さ、それこそが核心です。人間の幸福=よき生とは、詰まるところ心身の快活と充足であり、魂の覚醒と喜びなのですから。 よき生のためには、記号化(言語化―数字化)したことで「分かっ た」―「知った」と思う単純で硬直した意識を繊細でしなやかなものにする必要があります。観念が優先して言語に囚われている人は、目の前の物、事象、事態 が全然見えません。感覚が鈍磨して空気を読むことができません。気配を察することができません。心身が硬く、型はまりで、自己の観念に閉じこもっている と、自分を取り巻く世界からエロースを汲み取ることができなくなります。 豊かに感じ、豊かに知ることが、よく生きることです。心身全体で感得し、心身全体で生きたいものです。よく見、よく聴き、よく触れ、よく味わう力=体験能力を養うことが、人間に言語使用を可能にしている想像力の世界を広げることになるのです。体験と想像の力が乏しいと全ては砂上の楼閣(ろうかく)となって、生きる意味が消えてしまいます。 認識における言葉は、意識を明晰にするためや、既成社会に囚われ ている心を解放するためにこそ使われるべきものです。言葉によって固定観念に縛られ、身動きがとれなくなったのでは本末転倒です。価値ある認識をもたらす 生きた言葉の使用には、体験と想像の力が不可欠です。頭と心と体のすべてを存分に使って、生き生きと知りー生きようではありませんか。 (2004.2.29)
2012.06.02
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以前に記事を転載させて頂いた武田康弘氏の HP「白樺教育館」にはどんぐり倶楽部じゃないの? と思うほど共通した理念が書かれています。 ここで転載させて頂きたいと思います。 躾(しつけ)と称して子供の心を抑圧していませんか? 武田康弘 お母様、お父様、 教育とか躾(しつけ)と思って(妄想してー失礼!) 子どもの心を抑圧し、歪めてはいませんか? 発育、発達には順番があります。子どもは、十分にふざけ、おどけ、ばかを言い、けんかをし、悪さをしなければ、まともな大人にはけっしてなりません。 早く大人にしようとすれば、小利口のつまらない人間か、外見だけを整えた偽善者か、心の深部に不満を抱えた犯罪予備者にしかならないのです。 高校生になり、二十歳になって「狂って」いる青少年は、幼少期―小学生までの時期に、十分にばかを言い、やれなかった(保護者―親によって抑圧された)子どもたちの姿です。 自然な<順番>をわきまえない大人の迷いや身勝手が、子どもを狂わせるのです。生まれつき悪い子どもなどいません。いるのは、いやらしいエゴや偽善や権威主義や集団同調の外面(そとづら)人間としての大人だけです。子どもの問題?などはないのです。あるのは、大人である私やあなたの問題だけです。 楽な、時間と労力を省いた手抜きの教育や、見栄を張り上辺(うわべ)だけを整えるゴマカシの教育が、ダメな人間を輩出するのです。 点数にしか興味をもてない実力のないオタクや、流行と情報に踊らされる軽薄者や、暴力を肯定するおぞましい犯罪者は、型にはめられた良い子―大人にとって都合のいいこを作ろうとした結果生み出されたものです。 順を踏むこと、「飛ばし」の英才教育(見世物としての子どもをつくる上げ底教育)をしないこと、これは教 育の原理です。子どもは自分でいろいろと試してみる精神的余裕が持てないと、主体性のある人間にはけっしてなりません。子どもを「病気」か「ロボット」に するために必死で努力する!? もうそろそろこんな「狂って」いて「損」で「愚か」で「非現実的」な行為は、やめにしたいものです。 子供の心が真に解放されないと、本当の知識や知恵の教育も始まらないのです。○△式や進学塾のシステムに乗せてマニュアルに従わせ、現実への応用の利かない頭脳をつくっても本人が不幸なだけですし、今の世の中には通用しません。子どもには、日々の経験に根差した意味をつかめる<ほんとうの勉強>をしてもらいたいものだと思います。 (2004.3.5)
2012.06.02
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