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私の癖がまた1つ増えた。私事を聞いても全然面白くないことはわかっているのだが、今日はちょっとした弱音を吐く場にしてみたいと思う。はっきり言って面白くはないだろう。駄文であることは重々承知していながらも書いてみようと思う。尚、ネタがないわけではないので悪しからず(笑)誰もいない、誰も友達がいないところに来ると淋しさは募るものだ。友達が沢山いて、生活も仕事も充実している人でもたまにはどうしようもない淋しさに襲われることはあるだろう。それが私のように誰も友達のいない県に来ると余計にその傾向は強くなる。私は特に淋しがりやであることをつい数年前から自覚しだしたので、その感覚に苛まれることも多い。そういう時の対処の仕方がまさに私の癖になってしまった。基本的に私は電話はしない人だった。それは周りに友達がたくさんいて、淋しくても友達とご飯を食べに行ったりすれば淋しさも和らいだからだ。しかし今の状態はそうではない。休みの日にもなると誰とも話さない日も少なくはない。自分の声を忘れてしまうという経験も何度も味わったものだ。だからかもしれないが、癖のようなもので…時間を問わずに友達に電話をすることが多くなった。勿論時間を問わないということで、かなり仲の良い友達ではないとそんなことは許されない。まぁ時間を問わないとは言っても流石に午前2時に電話したりするような常識を逸脱したようなことはしないが、午後9時くらいなら平気で電話をかけてしまう。これが今の私の淋しい生活を支えていると言っても過言ではない。勢い十分に関東に来たにも関わらず恥ずかしい限りだが、それでも正直に生きようと思った今年の私にとっては仕方のないことかもしれない(笑)何故電話なのか、それは簡単だ。相手の声が聞こえた方が安心するからだ。メールでは相手の「意図」しか伝わってこない。それが相手から確実に送られたものだとしても、温かみが感じられない。しかし電話ならそんなことはない。電話では相手の声から温かみを感じることが出来る。自分が話して相手がそれに反応する、または相手の話で自分が反応する、それが淋しさには一番の薬だ。一気に暖かい気持ちになる。電話をしてしまうと会いたくなる欲が高まるのだが、そこはどうしようもない。遠くに住んでいるのだから、すぐには無理な話だ。しかしそのような意図を汲んでかどうかはわからないが、私が電話をかける友人はいつでも「また近いうちに会おう」と言ってくれる。この言葉があるから私は頑張れる。勿論その全てが本当のことではないのかもしれない。しかし馬鹿な私はそれらの言葉を鵜呑みにしてしまう。また近いうちに会えるんだ、なら淋しい今も頑張って乗り越えてもっと立派になって対面しよう、いつもそう思ってしまう。単純な性格なのはこういう時には便利なものだ(笑)ただの弱音のような内容になってしまったが、私の唐突な電話にも出てくれる友人がいることが私の宝だ。例えば冬の寒い中、午前1時に電話しても出てくれるような。何度も電話してしまった人にはちょっと申し訳ない気もするが(汗)電話をかけている相手にはその気持ちが伝わっていないだろう。それでも構わない。だから久しぶりに会った時は目一杯楽しんでもらおうと思う。友人から貰った形のない贈り物に対するお返しをする為に。
Apr 22, 2009
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電話が鳴った瞬間に取れた時ちょっとだけうれしくなるがその事に集中し過ぎて電話の内容が散漫になってしまうことがたまにある。話をしながら書き物が出来る人がこの世の中にはいるようだが、私にはちょっと無理そうだ。どうしてもどちらかにしか集中出来ない。こういうことと多分同じことなのだろうと感じる。要するに手際の問題。2つのことを同時に出来るということは、ある意味では才能だと言ってもいい。何の役に立つのかは別にして(笑)2つのことを同時に出来ない私にも、唯一2つ同時進行できることがある。それは電話をしながらコロコロで掃除をすることだ。これだけは如何なる状況でも可能だ。これはきっと固定電話で長電話をしている時にコードをクルクルするのと同じ理由だろう。手持ち無沙汰対策だろうが、コロコロをする方が幾許か建設的だ。別に電話の内容に退屈しているわけでもないのだが。やっぱり長くなると何かしていることが多い、かと言って面と向かって話しているとそんなことはしない。何故だろう、ちょっとした不思議だ。さて、本題へ。先日、横浜駅に友人を迎えに行ったのだが、その時に駅前で献血の呼びかけをしているのを見かけた。待ち合わせの時間迄多少あったので、いつもはあまり興味を示さない献血なのだが、ちょっとだけ話を聴いてみることにした。ただ聴いてみるだけで、やるつもりはなかった。聴いてみると、私の持っている献血のイメージとは随分違っていることに驚いた。世の中は広いのだし、血液型の分布だって一定ではない。多くの人が献血に参加していると仮定した観点から、A型とB型とO型の血液型に関しては献血でまかないきれているものだと思い込んでいたが、どうやら献血で提供される血液よりも血液自体の保存期間の方が早く過ぎるということが日常的に起こっているらしかった。なので献血では型を問わずすべての血液型の種類が求められていた。多分これは私が見た時だけの現象ではないだろう。献血は今まで一度もしたことがなかったが、なんとなく私の血液型は献血する側にとっては垂涎物であると想像出来る。なにせ世の中で一番絶対数の少ない血液型だからだ。別に献血をやっていた人に喜んでもらおうという気持ちはなかったが、何事もチャレンジ精神をモットーしたい渡しは、人生初めての献血に挑戦してみることにした。今回はそんな話。いざ献血カーの近くまで行くと、受付にはちらほらと献血をしたいという人が集まっていた。完全に通行人に無視されているわけではないと、ちょっとだけうれしくなったものだった。こういうのは、同志がいた方が心強いものだ。そしていざ献血をしようと思ったのだが、なんだか結構面倒そうな手続きを沢山求められた。個人情報にあたるようなものを求められることに抵抗がないと言えば嘘になるが「こんなことまで聞いて意味あるのか?」と思うようなことも「問診」として聞き出された。まぁ別に私くらいの個人情報なら、さしたる価値もないだろうと気にしないことにした。その後は、やれ最近渡航したかだの、最近異性関係があったかどうかなど、質問攻めにあった。やはり血液を扱うということに関して万全を期してもし過ぎることはないということだろう。懇切丁寧に答えてあげた。そしていよいよ最期、昨夜の睡眠時間が何時間かという質問にうつった。私はその日の昨日は夜勤業務だったので、帰ってからちょっと仮眠をとった2時間だと答えた。すると今まで笑顔で接してくれていた職員さん(らしき人)の表情が突然変わった。「あぁ~、ダメですね。また今度いらしてください」これだけ告げると、私が頑張って記入した個人情報の記された用紙をいとも簡単にシュレッダーにかけてしまった。何故だかわからないが、どうやら献血をする上では睡眠時間というものは最も注視するファクタのようだった。自分から好んでいったわけでもないのだが、なんだか拒絶されたみたいで軽く凹んだ。告白してないのに振られるような気分に近い(笑)そうこうあって、結局友人と逢い楽しく過ごしたのだが、頭の片隅ではそのことが鎮火せずにそれなりに燻っていた。私が無知故に献血を拒否されたのだろうが、それでも献血に重要なのは持病の有無や異性交友ではなく、十分な睡眠時間だということを思い知った出来事だった。でもなかなか面白そうだし、今度は十分な睡眠をとってから挑戦してみよう。きっとAB型の献血は2割増で喜んでもらえそうだから(笑)
Apr 21, 2009
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久しぶりの夜勤、随分と疲れた。多分仕事をしている方なら…否、学校で勉強している方も主婦の方もそうなのだろうが、毎日ある程度のスケジューリングはすると思う。例えば今日の予定はこれこれだから、これくらいの時間配分をしようといった具合に。しかし長年そうやって毎日のスケジューリングをしても、当初の予定と同じレベルで実行されるということはそうそうない。大抵はイレギュラーなことが発生したり、逆に予想よりも工数が下がったりということになるだろう。実際見積もっている工数通りにはいかないわけだ。今日の夜勤もまさにそんな感じで、あることが予想されていた作業の負荷が思いのほか低かった。そのせいか、なんだか緊張の糸が切れてしまい、後半には疲れ果ててしまった。よくあることだ、不思議なもので、一生懸命に働き続けるよりも緩急つけた忙しさの方が体に堪えたりする。肉体労働をしている方なら尚更だろう。忙しい案件が片付いて落ち着くと、途端に疲れが顔を出す。毎日の定例の作業が終了したと同時に、一気に疲れが噴出してきた私は、業務の引継ぎもほどほどに、家に帰った。なんだか今日は異常なまでに疲れていた。そして掃除と洗濯をする予定だったのだが、それを順延して寝ることにした。差し込む日差しで暖かくなった布団に潜り込むと、すぐに眠ってしまった。どれくらい経っただろうか私は何故か体育館にいる。そして昔高校時代にラジオ体操の代わりにやらされていた体操をしている。本当に懐かしい。あの頃は毎日のようにやらされていたこともあって、精度には自信があったのだが、今となっては半分くらいは忘れてしまっている。しかもその体操は何故か間違った人から脱落していくようなスタイルのものだった。私はそうそうに脱落し、体育座り(通じるかどうかわからないが)をして見ていた。と、そこに私の横で体操をしていた女の子が難しい箇所の体操を間違えて…私の横に座った。よく見れば、その子は小学校の頃同級生だった子だった。しかも私にも気さくに話しかけてくれたような子、ちょっといいなと思っていた子だった。他の子の体操を見ないで、私はその子と話していた。何を話したのかはあまり覚えていない。ここでちょっと場面転換場面は保健室前の廊下だった。私は体操が終わり、教室に帰ろうとしていた。しかし何故だか、さっき話した女の子が体調を崩して保健室にいることを知っていた。この辺りのくだりに整合性がないのはきっと夢だからだろう。納得できる矛盾を整合性に感じるのは夢の特権だ。してなんやかんやあって、保健室に入ったのだが、そこにいたのはすっかり弱っている彼女の姿だった。私は彼女のベッドの横に座り、ずっと彼女と話をしていた。すると、彼女は私がしているネックレスの話をしだした。私が気に入って使っている鍵のネックレス、それが欲しいと言い出したのだ。なので私は、そのネックレスにつけていた指輪をくっつけて彼女にプレゼントした。彼女はネックレスをつけて凄く喜んでいた。鍵と指輪がかちゃかちゃと奏でる音はなかなか気分が良かった。そんな雰囲気の中、保健室に何やら怪しい人が入ってきた。彼女はその人に用事があるということで、私は席を外すことになった。そのまま保健室を出て行こうとしたのだが、その時彼女は私に何か言っていたような気がする。そこで目が覚めた。何故15年以上会っていない人の夢を見たのか、それは今となってもわからない。それでもなんだかちょっと心暖まる夢だったような気がした。ふと、今はどうしているのか気になったのだが…連絡のとりようもないし、何より連絡先を知ったところでどうしようもない。夢で見たからと言っても気味悪がられるのが関の山だろう。夢の最期、彼女が私に対して何を言おうとしていたのか、それだけが今でも謎だ。多分ネックレスのお礼だろうが…想像するしかないという状況が歯がゆい。うーん…たまには昔の知り合いに連絡をとってみるのもいいかなと感じた今日この頃だった(笑)
Apr 20, 2009
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もう桜は綺麗に咲き乱れ…すぐに散っていく季節になった。桜を見ていると、まるで私のように思えて仕方ない。桜が咲く季節は本当に短い。本当に刹那の刻だけ輝く瞬間のある花だ。長い人生を桜の木に模するなら、桜が一瞬だけ皆の目に留まるように、私も一瞬だけ皆の目に留まることになる。そして…季節を過ぎると忘れられる。まるで私ではないか。魅力ある時期はもうとっくに終わってしまったのだろう。後は静かに過ごすのみ。桜を見ているといつもこんな気分になる。前向きに明るく、そして愚直に生きる。そんな気分をちょっとだけ陰らせてくれる効果がある花、私の大好きな花だ。考えてみれば今年も花見をしなかった。と言うよりも、そういう季節の出来事から遠い位置にいるような気がしてならない。独り。さて、本題へ。少し遅くなったが、私の会社でも新入社員の発表があった。私の属しているような業界では、新人というのはそれだけでめでたいものだ、どこぞの企業では新入社員が100人レベルでいると聞くし、世の中が不況だ不況だと言いながらも必ず何処かの企業では何処吹く風となっているものだ。不況という名の横風をまともに受けて転覆寸前のわが社にも、遂に今年新入社員が入った。しかも3名だ、素直に喜ばしいことだ。新入社員歓迎会なるものがひらかれることになったのは、最早当然の成り行きかもしれない。入社2年目、厳密には1年と9ヶ月の私が間東部の幹事となっているので、飲み会もまた企画する立場にある。って言うか、入社1年と9ヶ月目で幹事って普通なのだろうか?どうにも時期尚早な気がしてならない。まぁそれはいいとして…。いざ始まった飲み会では大忙しだった。とても座ってのんびりとお酒を飲んでいるわけにはいかなかった。私のお酒の場でのスタンスは、静かに飲むというものだ。微かにかかった曲を聴きながらロックを傾ける。そんな飲み方が好きだ。しかし今回の場はそんな余裕を許さないような場だった。まずは幹事故に挨拶がある。飲み会の途中でちょっとした小話でもしなければならない。まぁ口上は挨拶なのだが、関西系の先輩もいることから、少し…もといかなりの勢いでネタを仕込まなければならない。まぁそういう系統は得意なので無難に挨拶をこなすことが出来た。笑いもついでにゲット♪次に料金の徴収だ。飲み会だってタダで出来るわけではない。皆から会費をせびりにまわることも幹事の仕事だ。そんなわけでネタもちょこちょこ挟みながら会費を集めてまわった。そして忘れてはならないのがメニューの注文だ。飲み物が飲み放題なこともあって、追加の飲み物は後を絶たない。故に廊下に一番近い場所を陣取り、飲み物のオーダーを一手に引き受ける必要がある。しかも自分のテーブルだけではなく、他のテーブルも率先して。まぁこうい系の仕事も慣れたものだ。苦ではない。そして更に、社長にお酌をしに行くことも重要だ、数多いる社員の中で、社長ほどの人が私を覚えているわけがない。まぁ打算無しにしても、顔を覚えてもらうのは重要だ、そんなわけでお酒を持って颯爽と社長のもとへ行きお酌をした。社長から「早く彼女でも見つけろ」と釘を刺されてしまったのはちょっとした痛手だった(笑)そして次に、新入社員にも挨拶しなければならない。私にとっては久しぶりの後輩だ。かわいがりたいと思いながらも威圧感を出してはいけないと、なかなか注意を払った。まぁもともとが関西のノリだから、後輩君も比較的リラックス出来ただろう。馬鹿な先輩だと思われれば本望だ。飲み会の場でははじけるが、仕事はきっちりこなす。口煩く説教する先輩だけにはなりたくない。教育とは主体性の支援にある、が私の教育論なのだから。いろいろあったが、なんとか飲み会は終了した。個人的には50点といったところか。もっと行動が必要だったのは反省点としておいておくとしよう。こういう飲み会があるとふと思う。この会社に来て良かったと。仕事柄、全員が集まることが出来ない。だからこそ、久しぶりに飲み会をすると馬鹿騒ぎになる。私も後数年したら、馬鹿騒ぎを肴にお酒を飲める立場になれるだろう。その時には…それなりに大人になっていたいと感じた今日この頃だった。
Apr 19, 2009
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なくなっちゃったまた作ってくれる?3日目の味は最高だったよ♪
Apr 18, 2009
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最悪の天気が最高の天気へと変わったこの時期にこれだけあれるのは珍しいだろう。春一番とよく言うが、それに近いものがある。尤もただ近いだけで春一番とは別物だ。意味合いが違うのだから。まぁそれはいいとして…。雨の上に強い雨がたたきつけるような最悪の天気だったのが、今日は打って変わっていい天気になった。風が強いのは残念だが、それでも十分な日差しは差し込んでくる。洗濯物も喜んでいることだろう。さて、本題へ。天気の話を冒頭でしたが、今日の内容も関連する項目。私はよく雨男と言われる。雨男は基本的には忌み嫌われる存在だ。特に外出する時にhいると、かなり疎まれる。やっぱり誰だって外出する時はいい天気の方がいし、第一悪い天気の方が楽しめる状況はそうそうない、となると、遊びに行くのにも雨男は喜ばれない存在というわけだ。雨男は不幸なのか?この命題が今日のテーマだ。私自身がそう呼ばれることも多いことから、雨男はそこまでいい思いをしているわけではない。となると不幸なようにも思えるが、実際はどうなのか。考えてみるとしよう。まず上述した通り、雨男は外出しようとすると雨を齎すことの多い男のことだ。何処に行くにしても移動は必須だ。そして雨の中での移動は鬱陶しい。となると、雨男は疎まれ不幸だという認識ができる。だが、考え方を変えてみればこうも考えられる。まず天候として…雨が降る確率と降らない確率を考えてみるとしよう。天候の割合は季節によって若干の差異があるものの、おおよそ降らない方が多い。もちろん統計学的な見地ではなく、単純に確率論の話だ。雨は空から雨粒が降ってきてはじめて雨と認識されるものだ。雨が降らないのであれば、曇りも晴れも定義の上では動議となる。つまり図式としては「雨:晴れ+曇り」となる。考えなくても比率の違いはわかるだろう。天候上では雨が降るよりも降らない方が多い。そうなると、外出しようとした時に雨が降ることは、ある意味では少ない確立から選ばれた結果なのだ。しかも雨男と呼ばれる人物が外に出ようとした時だけ雨が降る。これは少ない可能性を確実に拾うという意味でも、ラッキーという評価になってもおかしくはない。極論かもしれないが。外出したい時に雨が降られると外に行く気がなくなるということは実際にある。だがこれだって一概に不幸だとは言えない。外出する気がないのであれば、家の中でまったりすることもできるだろう。率先して外に遊びにいくような人ならなおさら、そうやって家の中でまったりすることで新たな一面が見れたりする。大勢でいるなら余計に、いつもとは違う楽しみ方もある。「料理なんてしないと思っていたあの人が実は料理が出来たなんて!!」ということも発見できたりする。これは偏に雨が降り、出かけることがなくなったからこそ見つかったものだ。となると、雨男もあながち不幸だとは言い難い。むしろいつもと違う楽しみを見出してくれるという個性として認識するのもアリなのではないだろうか?勿論上記のことがある種の曲解であって真理ではない。しかし考え方次第ではマイナスと認識されているものでも幾らでもプラスに変えることが出来るというわけだ。私がそうであるように、世の雨男にもそう考えていただきたいものだ。まぁ深く考えていない人が殆どだろうが。だからだろうか、私の周りには晴れを齎す人が多い。やっぱり磁石が引き合うように、相反するものが引き寄せられるのだろう。中和されても尚晴れるということは、相当な力を持っているということだろう。羨ましい話だ。そういう風に羨ましいと思ってしまうこと自体が、晴れの方が雨よりも気持ちがいいものだという認識につながる。プラスに考えてみてもやっぱり雨はよくない。これぞ理論の破綻か…(笑)
Apr 17, 2009
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大切な日々はきっと言葉では上手く感動を伝えることが出来ない何故なら言葉はいつも大切な気持ちの上辺をすべるものだから午前6時、目が覚める。いつもと同じ朝のように思えて…それでいて違っている。いつも寝ているベッドが半分しかない。それがきっと理由だろう。同じベッドでも、見える光景が違えば違うものになる。きっとそういうこと。季節外れの分厚い布団がいつもより熱を帯びている。横に体温を感じる朝。昨日は遅くまで飲んでいた。そして2年という時間を何とか取り返そうと遮二無二なっていた。上手く言葉で埋めることも、相応しい態度で示すことも、不器用な私には出来ない。だから無骨でも…その時感じた感情を一番大切にしていた。不恰好な言葉に最大限の気持ちを乗せて。夢のような1週間が始まって、私はそれに溺れていた。仕事で上手くいかないこともあった、他にも嫌なこともあった。そういうことがあったから…否、それは言い訳に過ぎない。何時だって私はあの人を求めている。多分何時でも私を見てくれていて…それでいて怖じずに気持ちを伝えてくれる。そういうところが人として好きになった理由だろう。恋愛感情を超越した存在、言葉の深みが他の人とは違う。優しくもあり、それでいて厳しい。甘さと厳しさを併せ持つ存在。男とか女とかではなく、人として気持ちいい存在。何時だって想定していたプランの通りに動いてくれない人、良い意味で裏切ってくれる人。私を子ども扱いする人、それでもそこに優しさのある人。初めてを教えてくれた人、気持ちいい人。媚びない人、ある意味では達観した人。疲れない人、そして私を休ませてくれる人。あの人を形容する言葉は幾らでもある。しかしどれも完全に人間性を表現するには至らない。きっとそれはそういうこと。言葉じゃ人の本質は計れない。あの人の匂いがする。良い匂いだ。香水とかじゃなく…その人本来の匂い。好きな匂いだ。その匂いが急激に遠ざかっていく。寂しさが隠し切れない。あの人を見送り、そして家に帰ってきた。役目を果たしたかのようにきれてしまった電灯、冷蔵庫にはあの人の作った料理。机の上に置かれた灰皿には、煙草の吸殻。あの人と同じ、すっとする香りの煙草だ。濡れたタオルとコットン、そして数切れの野菜。あの人が残していったもの、部屋に残る微かな意思。思い出の品。気のせいじゃなくあの人の香りが部屋には残っている。それがどうしようもなく切ない気持ちにさせる。寂しい気持ちが昂ぶる誰もいない部屋この気持ちを抑えるには、数日じゃ足りないだろうでもそういうことばかりも言ってられないセンチな気分もいいが、私は前だけを見て歩いていくとしよう今度は転がされ過ぎないように男を磨きますか♪またその日迄、勾玉は私の首に光る約束を形にする為に
Apr 16, 2009
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料理をしなくなってどれくらいの時間が経つだろう基本的には料理がそんなに好きな方ではなかった。実家で暮らしていた頃には、色々揃っている調味料に興味が沸いて、簡単な料理を作ったことはあった。実際それで足りるような料理しか作ったことがなかった。小さな冊子で書店で売っているような、男の簡単な料理特集とかいう本に載っていそうな領域を出なかったわけだ。料理をする必然性がなかった、少なくとも実家で暮らしていた頃は。それでも一人暮らしをはじめるとそうも言っていられなかった。確かに料理に必然性がないというのは実家で暮らしていた頃とそう変わりないのだが、それでもやはり一人で暮らしている以上は料理を出来た方がいいのは否定しようがない。だから小さな本を買ってちょっとだけ料理をしていた時期もあった。大学生ということで、時間は豊穣にある。後はやる気がものを言うということだろうか。料理が向いていないと感じたのは何時頃だったか。多分簡単な料理を作ろうとして、それで失敗したことが原因だった。要するに不器用なのだ。野菜を切るにしてもそうだし、調味料を入れるにしてもそう。本に書いてある通りに出来ないことが少なくない。そんなことがあってからか、自分で料理を作るにしても、凝ったものを作ることをしなくなった。炒飯とか、カレーとか、所謂「定番」がメインになってしまった。しかも王道的なスタンスのみになる為、これまた王道となるような調味料も家から姿を消すこととなったというわけだ。前置きが長くなったが、何故こんな話をしているのか…。それは、今まさに人生で初めてと言うべき、手料理を作ってもらっているからだ。勿論肉親以外の人に。いざ料理を作ろうと思うと、わかってはいたものの家に何もないことを責められた。まぁ仕方ない、こういう時に「仕事が忙しいから」と言い訳をしたくないが、似たようなことを言ったのを覚えている。料理が男のステータスではないことはわかっているが、それでもだからと言って全くしないのもまた評価上宜しくないということを知った。作ってもらう料理は手料理の王道にして…それでいて私の大好きなものだ。世の男性諸君は肉じゃがを作ってもらうことを夢としているらしいが、私もその例外に漏れることはなかった。手作りの肉じゃがを食べられるなんて夢のようだ。お店で食べるのとはまた違う感動がある。実際のところ作ってもらう時のメリットとしては、好きな味に近づけてもらえることがある。そういう意味でも非常に喜ばしいことだ。最近は関東の味付け…総じて濃い味付けにはへきへきしていた頃だ。楽しみで仕方ない。最大限の力を発揮していないキッチン、実力の半分の力も発揮していなかったキッチンから今良い匂いが立ち込めている。そろそろ出来上がるのだろうか、楽しみで仕方ない。きっと凄く美味しいだろう。悪いことが続いた後は良い事が起こる、ゼロサム理論はこういう時に私の味方だから喜ばしい。この幸せがどの不幸を宿木としているのか大体わかる。あの時のショックと同等の幸福が訪れることに若干の戸惑いと、それ以上の期待を持っている私は…きっと現金な性格なのだろう(笑)
Apr 15, 2009
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夢を見たきっと夢の私は幸せだったのだろういつもより早めに目が覚めた。そう言えば、随分と長く眠ってしまった。あったことを思い出し、その時の自分自身の気持ちをトレースする。そんな読書感想文のような行為も、物事が主観的になると結構難しいものだ。遠い何処かで起こったことならば、それも容易だろう。なにしろ自分とは関係ないからだ。だから気持ちも入らない。思ったことが事実だとしても、真に迫る内容にはならないものだ。しかし自分が実際に体験したことを書くとなると話は別だ。その時どのようなことを感じたか、それは本人しかわからない。主観的読書感想文というのは、なかなかに刺激的なものだ。大切なことだから尚更。と、長い間ボーっとしているわけにもいかない。今日からまた仕事という名の現実と戦わなければならない。夢は一時的にだが終わったのだ。この気持ちは宛ら、好きなビデオを途中で一旦停止させられている気分だ。あまり気持ちのいいものではないが、すぐ目の前にまた新しい楽しみがあると思うとそうでもない。そんなわけでコーヒーをゆっくり楽しんだ後、すぐに仕事に出かけることにした。久方ぶりの仕事、業務に関する幾つかの変更点。そしてメールサーバに溜まっている大量のメール。まずはそこのところから処理しなければならない。私ももう新人ではない、こういうことを通常業務をこなしながらしなければならないが、まぁそこはキャリアが物を言うというところだろう。すぐに片付けることが出来た。今日は比較的暇な方だったので、ゆっくりと数日前のイベントについて思い出すことが出来た。春の日差しが眩しい中、なんとなく椅子に凭れて反芻する。今回はそんな追記的な内容。考えてみればかなり出来すぎなシナリオだったように思える。所謂「観光スポット」をまわる旅行だった。私にとっては地元なのだから、余程のことがない限り新鮮味はないはずなのだが、それでも誰かとまわるとなると別なのかもしれない。蓋を開けてみれば、新鮮味で溢れていた。中華街だって、もう3回は行っている。慣れたはずの場所も不思議と楽しい気分でいっぱいだった。とは言っても、一番の思い出はやはりクルージングだろう。これだけはきっとずっと忘れられない思い出になるだろう。何と言ってもオープンテラスから見る夜景は、何物にも変え難い感動があった。ただそれを素直に表すことが苦手だったので…余計に口数が増えていたのかもしれない。恥ずかしい限りだ。船の上では、どのような罵詈雑言も聞こえてこない。まさに別世界。知っている人が横に座っている姉だけであるということ、そのことが余計に現実から乖離した世界を見せてくれたのかもしれない。未だに脳裏に焼きついているあの時の光景が、セピア色になることを拒んでいるようだ。と、そんなことを考えている間に仕事が始まる時間になった。私はいつものよう、いつものようにまた仕事を始める。まるで何も無かったかのように。喜びを自分の中だけでじっくり焙煎することを学んだような気がした。切れかけていた電池が復活するように、枯れかけていた花が水を喜ぶように、まさにそのような感じで、私のテンションは上げ止まりだ。かなりすっきりした気分だ。こんな気分のまま仕事をするのも…まぁ悪くないと感じた今日この頃だった。
Apr 14, 2009
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今はただ一人部屋の中なんだか随分と静かだ。雨が降っている。久しぶりの雨だ。そう言えば出かける前に洗濯物を干していたことを忘れていた。まぁこの天気じゃ駄目になってしまうだろう。諦めて次の晴れの日を待つとしよう。洗濯物も気になるが、久しぶりの楽しい時間を終えての今の私の気持ちの方がちょっとした問題だ。周りに沢山の友達がいて、いつも誰かから電話やメールが来る人にとっては、或いは私のような悩みを抱えることもないだろうと感じる。それは羨ましくもあり、それでいてちょっとだけ寂しい気分になることだ。なんだろう、一言で言うなら今は寂しい気持ちでいっぱいだ。不思議だ、こんな気持ちになるのも珍しい。小学生が楽しみにしていた遠足が終わってしまって、明日からまた普通の学校が始まることへの寂しさに似ているような気がする。それは当然と言えば当然であり、それでいて人の生活の根幹に根ざすものであると思う。私は昔からそうだった。楽しい時間が終わると、その楽しかった時間で大きく震えた目盛りが元に戻ろうとするように寂しさが募る。それはどうすれば解決するのか、それは今を以って尚わからない。多分こういうことは時間が解決してくれるのだろう。忙しい毎日、そういうある意味では「日常」に身を投じることで、寂しさを忙殺する。きっとそれが上手く生きていくこと、人との交流の中では重要なのだと感じる。1人で発生させた楽しみならば、ずっと反芻することは出来る。それは楽しい時間であって、自分の中よりいずるものだからだ。消化の仕方は生きてきた人生の時間と比例して増えていく。丁度体温を計るように、自分自身に自問すればいい。だが、誰かと一緒にいることによる楽しみの後の寂しさは何とも言えない。一人の時間が長く感じられる。しかしそれと同じように、掛け値無しで私と付き合ってくれることに深く感謝出来る。私は自慢ではないが、人に好かれるような立派な人間ではない。今までも数人の人から呪詛の詞を吐かれたことだってある。魅力あって素敵な人間だとは口が裂けても言えない。そういうことは自分が一番よくわかっている。だからこそ、そんな私と笑顔で一緒にいてくれる友人に感謝の気持ちが尽きない。今回のこともそうだ。今回のことも、私一人ではここまで楽しくは出来なかった。それは偏に一緒に楽しんでくれた人がいるからだ。面と向かっては恥ずかしくて言えないが、私はいつも感謝し、ありがとうという気持ちでいっぱいだ。こういう気恥ずかしいことは、このブログだから言えること。普段はあまり言わないこと。お礼を言われる道理は私にはあまりない。何故ならきっと、遊んで楽しかったと言ってくれる人よりも私の方が楽しませてもらっているからだ。数少ない友人かもしれない、でも大切にしたいと心から思う。友達でいてくれてありがとう、私と一緒にいてくれてありがとう。感謝すべき人は多くいるが特に…掌の上で転がして私の反応を見て楽しむ、デートしてくれた姉物静かだけど時々毒舌、それでもやっぱり可愛らしいねーさんそして部屋は汚いけど真面目な話もまた似合う小粋なバンドマンこの3人に感謝の言葉をそっと捧げる
Apr 13, 2009
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ぽにぽにぽにぽに…至高♪こんなことを言うと怒られそうだが(笑)最近仕事が本当に忙しかった。3月の決算期を前に、私の現場でも例外なくその渦中に身を投じることとなった。大体2年ぶりに稼動させるシステムの試運転をするのは構わないが、何も3月の決算期にかぶせることはないだろう。倉庫の奥底から引っ張り出してきた自転車に乗ろうと思ってもなかなか動かないように、2年の眠りについていたシステムが順調に動くわけがない。結果的にシステムが上手く動かないことに対する尻拭いのようなこともさせられ、不必要な労働を強いられた。そんな雑多な仕事が片付いたのがようやく今、こんな時期になってだ。考えてみれば、何処の企業だってそれなりに3月の後半は忙しいものだ。不況不況と言われている昨今、景気を度外視しても余りあるほどに、決算期は忙しい。まぁそれはもう済んだからいいのだが。そんな時期に休暇をとろうということ自体が、そもそも後ろ指を刺される行為に等しい。だがそんなことは関係ない。夏休みもろくすっぽ貰えず、年末年始だって仕事をしていた。そのことを考えると、多少の融通は利いても罰は当たらないはずだ。そう言い聞かせ、予定していた休みを捻じ込んだ。こういうところが怖いもの知らずの為せる業か(笑)まぁ前置きはいいとして…そんなわけで休みをとった日、私はデートに出かけることにした。相手はそう…私の姉みたいな存在だ。年齢もそれなりに離れているが、それでも仲が良いと自負している。もう随分と長い付き合いになる。私にとっては忘れようとも忘れられないような…そんな存在。勿論姉だから、恋愛感情なんてない。そこのところはいくら私でも履き違えたりはしない。まぁそういう落ち着ける関係だ。この約束は随分前から取り付けられていたものだった。事実、私もその用事を最優先し、仕事の忙しいこの時期に穴を穿ったのだ。それくらい重要だということだ。あったことを時系列で書くのもいいが、どうもその精神には同調出来ない。だから少しばかり割愛しながら…それでも克明に記してみよう。今こうしてブログを書いている間も片時も忘れられない。オトナな時間のことを。神奈川と言えば何があるか、まぁそう聞かれても人によって認識は異なるだろう。神奈川と言えば鎌倉だという人もいる。それも正解だ。だがしかし、私にとっての神奈川はみなとみらいのことだ。横浜から石川町にかけての一帯、そこのこと。だからデートをするならそこしかない、最初からそう考えていた。幸いにしてその辺りには少しばかりだが土地勘がある。まぁ完璧ではないにしても案内出来るレベルだろう。中華を食べることは、ある意味では王道かもしれない。今回もその例外に漏れず、中華を食べることになった。それにしても、中華街というのは何時行っても何処に何があるのかを完璧に把握することが出来ない。慣れるとそうでもないのかもしれないが、私にはまだまだ慣れそうもない。案内すると大見得を切ったのはいいが、結局私も観光気分でまわることになった。大人なエスコートとしては…及第点くらいか(笑)その後は夜の帳のおり始めた山下公園を歩いた。私の中では山下公園は「何もないところ」という印象しかなかった。だから行くことに対して過度な期待はしていなかった。だがしかし、そこに今回のデートで最も有力なスポットがあったのだ。クルージングと言えば聞こえがいいのだろうか?横浜、殊更みなとみらいの夜景を一望出来る一時の船旅。それを見つけた時に私の心は決まっていた。乗るしかないと。結構大きめの船に乗り込み、2時間かけて夜景を見てまわる。なんと豪華なことだろうか。横浜に住みながらも、そういうスポットがあることを全く知らなかった。いやはや恥ずかしいものだ。そしていざ入船。船の中は結構豪華な造りになっていて、景色を眺めることの出来る場所も多くあった。オープンデッキもあり、まさに潮風を感じながら夜景を見ることが出来る最高のロケーションだった。そこに二人で並び夜景を見る。私にしては願ってもない演出だ。予定はなかったにしても、如何にもデートという感じが出ていた。夜景は綺麗だし、船は豪華だし、お酒は旨いしで…まさに言うこともない。絶景を前にしては、言葉は無粋だ。気恥ずかしさにまぎれて何か喋ろうと思っていた私も黙らされてしまった。彼女も喜んでくれていたみたいだ。急な取り付けクルージングだったので食事は出来なかったが、それでも十二分に楽しむことが出来た。船だからタイタニックの真似でもしようかと言っていたが、やはり止めておいて正解だったのは言うまでもない(笑)イルミネーション輝く観覧車帆船のようなホテル8階豪華な部屋久しぶりの2人思い出は急速に接近し、言葉を塞ぎ繋がった至高の夜は更けていく大切な事、教えてもらった同じ立場になってもまだ君には勝てないね何もかもでいつも手玉にとられるだから私はサプライズで歓迎するとしようほら俺もオトナになって…上手くなったっしょ?(笑)少しは見直してくれたら嬉しいかな♪
Apr 12, 2009
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小さいキーボードは最高だ♪打ちにくいという軋轢さえ我慢出来れば、これ以上ないくらいお洒落だし、汎用性も非常に高い。こういうパソコンが欲しいと常々思う。私はパソコン関係に属していながらも、パソコンはそこまで好きな方ではない。むしろ生活に根ざしたレベルでのパソコンは必要最低限でいいと考えている。実際、私のパソコン…これまでこの場に多くの言葉を残してきたパソコンは、スペック的に非常に弱いものとなっている。同時作業不可であることは言うまでもなく、オンラインゲームなどには対応出来ない。否、正確にしているのだが、容量的な部分で無理が生じるのだ。まぁやりたいとは思わないからいいのだが(笑)話が大きくずれた。私が何故パソコンの話をしているのか、それは某有名ホテルのインターネットブースのキーボードが素晴らしかったからだ。そしてその感動のまま…久方ぶりに家のパソコン以外からこうしてブログを更新することとなっている。何度も言うが、このキーボードは最高だ。今度パソコンショップ行った時でも本気で検討してみようかとも思った。主に書くことがあるわけでもないからこんなものだろうか。今、私はホテルの1階のロビーである人を待っている。その人はある視点から見ると最も私とは疎遠な関係であり、そしてもう1つの視点から見ると、最も私を理解している人でもある。抜け目ない、そんなイメージが纏わりつく。勿論悪い意味ではない。ホテルなのだから勿論部屋もおさえてある。今しがたその部屋を見てきて、その感動を持ち合わせたまま今に至る。まさに最高の部屋だった。横浜の…あの有名なホテルも見えるし、ライトアップされた観覧車も見える。十分過ぎるほど素敵なところだ。久しぶりの邂逅の場がそのような場所であること若干の気恥ずかしさがあるが…まぁそんなういことを言うほど他人でもない。さて、では食事にでも行ってくるとしよう。まだまだ待ち合わせまでは時間がある。楽しい時間は待っている時間が最高潮、そこからを楽しく出来るかは…アームがスピークするのだから。元ネタがわかる人いたら嬉しいと感じた今日この頃だ。
Apr 11, 2009
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負けられない戦いがそこにはあった。勝負に勝ちたいと思うか負けてもいいと思うかは、その勝負に対する意気込みによって違ったりする。どうでもいいもののかかっている勝負であったり、自分の苦手な項目での勝負だったり。尤も、どの勝負でも確実に勝ちたいと思う人はそんなことはないだろうが(笑)而してかつか負けるかというどちらかしかない状態である異常は、どちらかは必ず勝ち、どちらかは必ず負けるという図式が完成する。例外はない。私は本来勝負にはあまり拘らない性格だった。むしろ、勝負を挑まれた場合、いつもぎりぎりまで競ってその結果負けるという図式を作ることを非常に得意としていた。まぁ平たく言えば接待だ。友人関係以外、つまり会社の先輩等と勝負になる場合、私はいつもぎりぎりまで競って負けを演じてきた。その腕には自信があったし、実際勝って喜んでくれている先輩を見ると、そっちの方が嬉しかったからだ。だが!!友人関係以外で、遂に私にも負けられない勝負が現れてしまった。大概のことならば、負けてもどうということはない。特に勝負となる項目…ビリヤードやボーリングやダーツ等であれば尚更、負ける勝負を演じることに何の躊躇いもなかった。そんな私に今回、勝利褒章が焼肉代という勝負が挑まれた。その内容は「みんGOL」だった。上述したように、私は勝負に於いて真剣勝負を行うことも当然ある。自分よりも上手い人なんてそれこそごまんといるし、別にその中でトップになろうという考えなんてない。ただ今よりも少しくらいは上手くなりたいという一握の欲だけはあった。ただ、それはあくまで一般的な勝負の内容に限る。しかし今回は違う。「みんあGOL」…正式名称「みんなのGOLF」言わずもがなゴルフのゲームだ。特にゲームが上手いでもない私だが、これだけは人に負けたことはなかった。勿論世の中には私よりも上手い人なんてそれこそごまんといる。しかし、あくまで身近レベルでは最強を誇っていた。実際、今まで何人もの知り合いと勝負してきたが、その全てを悉く返り討ちにしてきた。自信があると自負している人でも、終わってみれば私の圧勝、そんな結果が日常になりつつあった。勝負のきっかけは何だったか…。確か仕事中に得意なゲームについて話をしていた事だった。今回勝負を挑んできた先輩もまた絶対の自信を持っており、そして私も揺ぎ無い自信を持っていた。そうなれば勝負にならないわけがない、それが男だ。シフト制であるが故に休みを合わせるのが難しいところだが、そこは何とか折り合いをつけ…遂に激突する時がきた。勝負に真剣味を出す為に、1万円以上のデメリットが発生する焼肉奢りという罰ゲームもつけた。練習期間もそれなりに設け、満を持しての勝負とあいなった。絶対に負けられない。先輩の方がモテるしカッコいい。だからこれだけは、こんなことだけは絶対に譲れない。矜持何やら先輩の家に向かう電車の中で勝負熱に燃えていた私は、ほかの人からは変な目で見られたことだろう。勝負の刻はもう間近。 ~続く~
Apr 10, 2009
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鉛筆で字を書いていて間違えた時修正しようとしてまた同じ間違いをしたことがあるだろうか?私は自慢ではないが何度もある。シャーペンで何か文字を書いている時に、間違った文字を書いてしまい、修正する為に消しゴムで消すのだが、その後また同じ字を書いてしまうという失態だ。これは誰しもが一度は経験しているのではなかろうか。では何故このようなことが起こるのか、それは間違った字を書いていることに自分で気づけていないからだ。字が間違っているということはわかっていて、消しゴムで修正をかけるところもまでは意識があるが、正しい文字を書くということに気がまわっていない。だから同じ間違いをする。こういうことは人の性格にも言える。同じ間違いを繰り返す人がそれにあたる。一度やってしまって後悔したことを長いスパンを経てまたやってしまう。こういうことはよくあることであり…そしてその人の人間性を如実に示すものだ。後悔しているならまだやり直しは幾らでもきく。だが世の中には、間違った字を記しながらも、その修正を後悔せずに出来る人がいる。今回はそんな話。例えば上記の例のように、間違った字を書いたとしよう。その時どう思うか、それで人の考え方は大きく二分化出来る。後悔して次に同じ間違いを繰り返さないように注意する人と、そうではない人だ。特に後者は「間違ってもまた消せばいいのだから」という考えに陥りやすい。こうなると、もう後悔すらしていない。取り返しがきくことに対する甘えが悔やみ改める気持ちを殺す。こうなってくると人はどんどん澱んでいく。考えてみるとわかる。文字を書いて修正をかける時、いくら綺麗に消したとて必ず字を書いた「痕跡」は残る。そして紙を透かしてみれば、何を書いたのか、どう間違えたのか、そういう情報は明白になる。そして間違いの修正は少なからず紙に影響を与える。それが微々たるものであったとしても、紙に与える影響は0ではない。繰り返す毎にどんどん表面化し、紙全体…即ち人の心を侵食する。折れ曲がり汚れて。そうならない為にはどうしたらいいのか。それは間違った時に、ちゃんと間違ったことを教えてあげることだ。その書き方は間違っている、その指摘が肝要だ。しかしながら、指摘されたことを疎ましく思う人もいる。他人のアドバイスを聞けない人というのも存在している。勿論それが悪いことだとは言わない。自分を崩さないということで、むしろ褒めてもいいくらいだ。だが、100%良いことだとは言えない。字を書く上で間違いは防げない。故意に間違っている場合を除き、間違いを100%防ぐことは不可能だ。誰だって間違いは犯す。重要なのはそのことに自ら気づいて間違いをしないようにすることだ。それが出来ないならば、他人からのアドバイスに耳を傾けることだ。そのどちらかが出来るならば、字を書く上で間違えても同じ間違いをする可能性は非常に低くなる。だがもしも、他人のアドバイスさえも聞けない人に直面した場合どうしたらいいのか…。それはただ放置し、自ら気づくのを待つしかない。例えば自分が最も正しいと思っている道を他人の価値観で否定された場合、もしもアドバイスしてきた他人に是があったとしても、アドバイスを受けた側はいい気がしない。むしろ自分の意見に反対するということでアドバイスをくれた人を敵対視し、より自分の考え方が絶対的普遍性を持っているという殻に閉じ篭った考え方へ扇動してしまうかもしれない。そうなると、是へ導くことが極端に困難になる。このようなシチュエーションを起こさない為にも、時としてアドバイスは無言で行うものであるべきだ。言葉をかけることが必ずしもアドバイスではない。相手のことを本当に思っているのなら、無言の説得も十分に効果があるだろう。勿論…相手が自分自身に少しでも非があったと感じなければ水泡に帰すが。放置は無関心の表れではない。自分で動き自分で気づく、その上で自分で新たな価値観を見出す。そのような気持ちを起こさせる上ではかなり有効な方法だ。何度も間違った文字を書いている人に対して何か言うのではなく、思いっきり書かせることで間違いに気づかせる。そうすることで、自分で間違いに気づいたという「証」が出来る。だが、放置は誰にでも通じるものではない。他人のアドバイスを受けられない人専用のものだ。だからこそ駆け引きが非常に面白い。こういう事象展開は、心理を学ぶ上でこれ以上ない愉悦だ。
Apr 9, 2009
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最近本当に物忘れが激しくなってきている。どうも気のせいだと思い込もうとしてのだが、それでも明らかに物忘れは激しくなってきている。最近ブログの更新が滞り気味だったのだが、その滞り気味のブログに一滴の潤いを与える為に、書く内容を記憶していたのだがその内容もいざ書こうとなると簡単に出てこないような状況だ。まさにヤバいとしか言いようがない。物事を忘れてしまうのは何故か、それは単純に忘れてしまうほど覚えていた内容に価値がないからだ。かような言葉があるくらい、価値あるものだけで頭を埋め尽くすのは非常に難しい。やはり人生を生きていく中で、大切なことは勿論だが、どうでもいいようなことだってあるわけで。例えば今日中にクリーニングに出していた服を取りに行かなきゃならないだとか、洗剤が切れちゃってるから買いにいかなきゃだとか。そういう覚えておかなきゃいけないと思う「脳内メモ」というものは、誰しもがくだらないことで埋め尽くされている。逆に考えれば、そういう「くだらないこと」があるから大切なことの価値が増すのかもしれない。例えば何かのテストで100点満点中80点とったとしよう。点数だけ見れば8割もいっているのだからいいと感じるかもしれないが、相対的に見た場合、そのテストを受けた人の平均点が90点だったとしても…同じことを感じるだろうか?否、感じない人の方が多いだろう。同じこと。ほかのテストが軒並み20点台だったら…たとえ平均点90点のテストだとしても、80点をとったテストは「価値あるもの」という認識をされるだろう。人は何か根幹的な指標となるものと相対さないと、自分の中にあるものの価値には気づけないものだ。真っ直ぐに前だけを見て立っているつもりでも、必ず誰かを見たり何かに凭れたりして立っているものだ。比べるという行為を度外視することはできない。「あの人より頭がいい」「あの人より仕事ができる」「あの人よりモテる」そんな他者との比較を介してでないと、人は己が価値を客観的に判断することは出来ない。悲しいものだ。と、まぁそんなことを言いながらも、私も他者との比較はやってしまう。別に私は強い人間ではない。むしろ、誰かと比較しないと何も出来ない。まぁ私の場合は、どのようなパラメータで比較したとしても、相手より劣っているのだが(苦笑)多分こんなことを考えてしまうのも、最近仕事の会議中に、仕事のやり方を褒められたことが原因なのだろう。私が褒められたのなんて…一体何年ぶりだろう。昔はたまーにあったのだが、最近では全く褒められなくなった。それは私が凡庸な人間だからだろう。そんな中で褒められたものだから、思わず声が上ずり顔が熱くなってしまった。恥ずかしい話だ(苦笑)比較することを一意に悪いことだとは言わない。そのことを否定することは、社会の中に身を投じる上ではただのエゴでしかないからだ。他人との共存が存在する以上は、比較することは避けられない。自分の価値や考えを比較することでしか量れないことが一番悲しい。多分大人になるということは、比較の概念から脱却することなのだろう。私には…まだまだ無理かなぁ(笑)
Apr 8, 2009
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木を植えたとても大きな木になる予定だったでも枯れた何故だろうきっと天気が悪かったり開発区域に入ってしまったからだろう私はもうそれを悲しいとすら思わなくなった忘却か或いは諦めか木は二度倒された例外はない機会という名の土地を拓きお金という名の肥えた土で信頼という名の種を植える育った木はどちらもまだまだ未熟なものだったそしてそれは2度とも倒された幸せという名の更なる建設的目的の為木っ端微塵に砕かれた跡形もなく元から何もなかったが如く壊した人はそこに木があったことすら気づかないそれくらい矮小な存在切捨て易い脆き物それでも私は木を植える機会という名の土地を拓きお金という名の肥えた土で信頼という名の種を植えまだ木は育っていない必然それでもいい私は木を切り倒す側にはなりたくない育てた木をあっさり切り倒される悲しみを誰よりもわかっているからだから私は木を植える今日もいい天気だ
Apr 7, 2009
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AB型の特徴として何があるのか?血液型で人をわけるということは全くもって非科学的だ。人は感情の器だという話をよく聞く。それは言うなれば感情というものが入った入れ物のようなものだ。感情とその人となりは比例するのだから、血液型で人をわけるということは、世の中の人間が4種類しかいないという理論に帰結する。多かれ少なかれ変容する部分はあろうが、ざっくりとその本質を4種類にわけるということと同義になる。どう考えても説得力も科学的根拠もない。だから私は血液型というものを信じていない…ある1種類の血液型を除いては。A型もB型もO型も、その存在する人数が多すぎて所謂血液型を決定付けるおおまかな「性格わけ」にぶれが生じる可能性が高い。実際几帳面だと言われているA型にだって部屋の綺麗じゃない人や、神経質じゃない人だっている。B型もまた然りだ。O型は八方美人というが…その点は当たっているかもしれない(笑)しかし結論から言えば、型に嵌らない血液型として存在しているのが上述の3種だ。しかし1つだけ完全に別の次元にいる血液型がある。それがAB型だ。この血液型だけは完全に違う。まず何が違うか、それは本当に人によって性格が完全に違うということだ。概ね型に嵌めることは可能かもしれないが、所謂上述3種ほど形式ばって決め付けることが出来ない。これが最も顕著なAB型の特徴だ。そして次に目につくのが、かなりの変な人だということだ。常識から著しく外れた存在、それがAB型の特徴だと言える。実際、こうしてこれを書いている私自身もAB型だが、自分では普通だと思うことでも、周りの他の血液型の人からしたら頭の上にはてなマークが浮かびそうなことを普通の顔をしてやってのけることが多い。そして考え方も凝り固まっている。自分があると言えば聞こえがいいが、要するに「綺麗な形」で順応することが出来ないのだ。間違っていることは間違っている、長いものに巻かれない、着眼点が斜め上、これが私の知っているAB型の特徴だ。まぁ私も含まれているが。これはあくまで一般的なAB型の対外的な特徴だが、私が気づいたのはもう1つある。それは…人間関係についてだ。AB型の隠れた特徴、それは人間関係に最もよく表れている。ここからの内容は特にO型の人には理解できないことかもしれない。だが、確実にAB型の人間の多くに存在している考え方だ。例えば学校だったり仕事場だったりで…・自分の意見をはっきり言う人・話が通じやすい人・理路整然としている人・理論武装している人・筋の通っている人のような「自分の理想に近い人」「好ましい人」に対してはすぐに友好的な空気を出す。そしてその人とはすぐに仲良くなる。要するに人を好きになるのが早いのだ。短所より先に長所に目が行く、それが特徴だ。だから人を好きになるのが早い、いいところを先に見るから。こう書くといい血液型だと思われるかもしれないが、本当はそうではない。これで済まないのがAB型の厄介なところだ。好きになるのも早いが、嫌いになるのもあっという間だ。一旦嫌いになってしまうと、よっぽどのことがない限りその評価が裏返ることはない。そしてその嫌いな人に対しては、好きな人に優しくする以上に冷たくなる。好きな人に優しく出来るのは、嫌いな人に対して冷血無比だから。例えば私にしてもそうだ。私は好きな人には優しく接するらしい。別に故意に優しく接しているつもりはないが、そうとられることが多い。男女問わずだ。友達としている友人には全て平等に接している。それは何故か、好きだからだ。しかし一旦嫌いになってしまうと、もうその人とは二度と連絡を取ることはない。会うなんてもってのほかだ。その人との連絡手段を全て断ち切る。メールであろうと電話であろうと全てだ。好きな人にはちょこちょこ連絡をとったりするのだが、嫌いになるとそれが全くない。まさに完全消去。実際、最近個に対する全てのデータを消去したことがある。携帯電話に入っている全ての情報を削除、纏わる物品の排除、その作業をものの数分でする。まるで作業のように。こう言ってしまうとかなり厄介な人格に思われるかもしれないが、実際のところそうでもない。あくまで私だけかもしれないが、私の場合は相当なことがないと嫌いにはならない。非人道的な行動をした人や、道義に反するようなことをした人がそれに該当する。他のAB型の人がどのあたりに線引きをしているのかはわからないが、おおよそ同じような性質を持っている可能性が高い。まぁ厄介なことには変わりない…かな(苦笑)この内容を書いていて思った。やっぱり私は変人なのだと(笑)
Apr 6, 2009
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退屈だ…。どうにも最近休みの使い方が下手くそな気がしてならない。いつもならば大きな休みになれば何処かへ出かけようとか、そういう前向きな考え方も出来そうなものだが、今月の休みに至ってはそういう考え方も出来ない。何せ、今月から来月にかけてはお金が少し入用になってしまうからだ。まぁ貯金が苦ではないにしても…やはりド頭から強烈に拘束されるのはあまり頂けない。まぁ好きでやっていることなのだから仕方ないのだが。名古屋に住んでいる友人の所に急に行ってやろうかとも考えたが…よく考えると今回の連休は平日となっている。いくら3連休とは言っても、友人の仕事の都合を考えると…どうもそういうわけにはいかない。サプライズは実らないというわけだ。はぁ…退屈だ。こういう時にどう過ごすか、それを考えながら掃除をしていた。これじゃあ仕事と仕事の間に出来た飛び石連休の過ごし方と同じじゃないか。家の雑多なことを片付けてのんびりとコーヒーを飲みながら日が落ちていくのを見ている。まるで今までと変わらない。近くに友人でもいれば、鎌倉や中華街等といった所謂「観光地」に行ってわいわい騒ぐことも出来るだろう。その意味では、私の友人の少なさを呪うばかりだ。にしても…やっぱり退屈だ。仕事の都合をおしてまで休暇希望を出し、その上での連休の時はこんな気分じゃない。そういう時はわくわくして気がはやるような…そんな素敵な気分でいられる。何時まで経ってもこの心のざわめきは消えない。まるで小学生の頃、遠足の前の日に練られなかったような、雪が沢山降り続いた夜に次の日の積雪を期待するような、そんな心躍るような感覚がこんな歳になってもまだある。やはり私もまだまだ子どもだ。感情を押し殺すことだけが大人への道ではないが、それでももう少し落ち着きを持った方がいいと感じる今日この頃だ。電気代を払い、インターネットの使用料を払い、ワイシャツをクリーニングに出す。そんないつもと同じ休日の過ごし方をしていた初日だった。明日も予定はない。こんなことなら仕事をしていた方が幾許かマシだったかなぁ(苦笑)
Apr 5, 2009
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先日なかなか面白いものを見た。私の今出向している会社の前には、大きな郵便局がある。恐らくはその地域の手紙等の炊く廃物を全て一手に担っているような規模なのだろう。普通の郵便局よりも遥かに大きいことを考えると、地域に於ける役割というものは見て取れる。その郵便局なのだが、建物としての規模が大きいだけに、配達に使う車も沢山ある。乗用車と原付だけでも10台以上はあるだろうか。そんな大容量を持っているのだから、必然的に車の出入りも頻繁に行われる。そしてその出入りは道路に面した場所で行われるのだが、頻繁に出入りが行われるということで、車が郵便局内に入ろうとしたり出ようとしたりした時に、アナウンスで「車が出入りします、ご注意ください」という勧告が入る。丁度大型のトラックがバックする時に「バックします」というアナウンスが流れるのと同じだ。かようなシステムは対象物の規模が大きくなればなるほど必然性を増すといったところか。駐車スペース自体も堅牢で、外からは見えない工夫がなされている。そんな工夫をすることに如何ほどの意味があるのかは別にして。私自身もう何度も車が出入りする場面を見てきたので、そのアナウンスが聞こえると車が来ると察知して立ち止まるようにしていた。先日、仕事終わりに車の出入りスポットに差し掛かった時、例によってそのアナウンスが聞こえてきた。面倒に思ったが、轢かれるのは気持ちいいものではない、そう思った私は立ち止まったのだが、一向に車の出入りがない。待てど暮らせど車の出入りはない。その様子は欠片もないのだ。面する道路はそれなりに大きいとは言っても、所詮は田舎道だ。入ろうとしてくる車にはすぐに気づく。だが、その様子が欠片も見受けられないのだ。しかしアナウンスはなり続けている。これは車を出すのを手間取っているのだろうかと思い、堅牢なゲートの端っこから中を覗き込んだのだが、そこには…悠然と歩いてくるおばちゃんが一人…あのおばちゃんの苗字が「車」だったら100点満点をあげたいところだ(笑)
Apr 4, 2009
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部屋の模様替えに挑戦♪大きな家に住む人ならば、この部屋の模様替えというものが、苦労するものであるという認識は薄いと思う。部屋の面積に於ける家具の占有率というものは、面積が大きくなればなるほど比例して小さくなっていくものだ。部屋のところどころに家具を置こうなんていう酔狂な人で無い限りは。その観点で言えば、狭い部屋であればあるほど…必然的に模様替えに掛かる労力も大きいものになる。なにせ模様替えだ、部屋の家具の殆どの配置を変えなければならない。この苦労は思いのほか大きい。重くて運びにくいものも例外なく模様替えの対象であることを考えると、一人では正直辛いところだ。とは言っても、気分を変えるという意味で模様替えは非常に有用だ。いつもと同じ部屋が家具の配置変えを行っただけでがらっとその表情を変える。この瞬間が何とも言えない快感だ。変だろうか?さて、本題へ。先日恥ずかしい目に遭ってしまった。今回はそんな話。先日、いつものように仕事に行こうとしていた時のことだ。その日は夜勤で、午後4時半くらいには家を出なければならない時間が迫っていた為、気がはやっていた。ちょっと巻き気味でスーツに着替えネクタイをし、上着を着て出かけようと思った矢先、部屋の隅っこに紙切れが落ちていることに気づいた。なんだか見慣れない紙切れだなぁと疑問に思いながらも、その紙切れを拾う為にちょっと屈んだ瞬間、微かだが何か音がしたような気がした。すぐに気のせいだと思い、いつも通りマックでコーヒーを飲んでから仕事に行く為に足早に家を出た。この後災難が降りかかるとは露知らず。その後マックでコーヒーを満喫し、仕事に向かった。いつもと同じ仕事の内容、ちょっとだけ違う面子、くだらない話…。そんな本当にいつも通りな仕事の雰囲気で滞りなく時は過ぎていった。もう数時間で夜勤も終わろうとしている午前7時、私は急にトイレに行きたくなった。なので、同勤の先輩に断ってトイレへ向かった。その後早々とトイレから戻ってきた私は、何かいい知れぬ違和感を覚えた。何だかお尻のあたりが変だ。そう思ってスーツのお尻の辺りを触ってみた時…きょうに電流走る…!!!スーツのお尻の部分が見事に真一文字に破れていた(涙)何かの芸術かと言われれば納得できそうなくらいにズボンは綺麗に真一文字に破れていた。そしてそこからは当然のようにパンツが見えているわけで…_| ̄|○わかった途端に赤面してしまった。同勤者には大いに笑われてしまったのだが、今から未来軸にかけての辱めよりも、私にはもっと気になることがあった。それは「何時からこの状態だったのか?」という点だ。最も有力なのは夜勤に出かける前、着替えて家から出ようとした時…部屋に落ちている紙切れを拾おうとした時だ。しかしながら確実にそうだとは言えない。もしかしたら綻びのようなものがもう既に形成されていて、トドメとなったのが夜勤前のしゃがみかもしれない。そうなったらもう最悪だ。仮に夜勤前のしゃがみによって破れたのだとしたら、13時間の辱めという結果だが、もしもそれ以前に兆候があって…最悪それ以前から破れていたのだとしたら、辱めの時間は爆発的に増大する。恥ずかしさは天井知らずというわけだ、どちらにしても楽観的観測は非常に難しい。思えばスーツを駄目にしたのは2本目になる。しかもどちらもズボンの致命傷による殉職だ。まだ社会人になって2年目なのだが、2年目で2本いわすのはどうなのだろうか?普通じゃないような気がしてならない。スーツだって安いものではない。こうなった結果、また新しいスーツを仕立てる必要が出来てしまった。思わぬ出費となってしまった。恥ずかしいわ財布は厳しいわで…なかなか波乱の幕開けとなった4月はじめだった。これがエイプリルフールだったらどれほど安堵したか(苦笑)
Apr 3, 2009
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強い風と雨が降った。最近珍しいくらい嵐のような天候だった。そんな中仕事というのはなかなかにテンションのあがらない状況だと言える。而していざ仕事が始まってみると、室内で行うだけに、天候とテンションは関係しないことの方が多い。私の仕事もそうだ。だがしかし、そこは通勤という逃れようのないジレンマを抱えながら仕事をしているわけで…。結論から言えば、仕事は室内でもテンション的な部分でもいい天気の方がいいわけだ。気分が気持ちよくなる。いい天気の日に並木道を歩くというのは、本当に気持ちがいい。そうなってくると仕事なんてやめて日向ぼっこでもしたいと思うものだが、それがうまくいかないから切ない。今度の休みにとっておこう。さて、本題へ。仕事がちょっとだけ面白いと思えるようになってきた。最近仕事が上手くいっているわけでもないし、特筆するような変化があったわけでもない。しかし、確実に仕事に対する意欲は沸いている。以前はこんなことはなかった。多分以前は仕事のことを給料を稼ぐ為の方法としか見ていなかったのだろう。実際仕事よりも面白いことは沢山あるわけだし、仕事はあくまでその手法でしかないという認識だtった。やっている仕事だって本当に興味がある内容かどうか聞かれると逡巡してしまうレベルのものであることは否定できない。だがしかし、そこに小さな穴が穿たれた。何がきっかけだったのかは明確にはわからない。多分以前に書いた会社の規定が新しくなったことだろうと思う。給料面でも待遇面でもかなり大きな保障を受けられるようになったこと、上を目指すことに対する責任感のみの増大やバイアスが緩和されつつあること、そのような面で恐らく仕事…否会社に対する主観的な評価が上がった。結局会社とは言っても対法人の相手ではなく、機械相手の仕事だ、そこに纏わる些細な人間関係もあるにはあるが、基本的には上手く乗りこなしているから問題はない。視界は良好というわけだ。機械のご機嫌を伺うには…スキルがものを言う。その面で頑張ることが認められることに繋がるのだから。仕事が面白いと思えるのはきっといいことなのだろう。人生に於いて睡眠時間を除けば殆ど仕事をしているのが日本人だと聞く。となると、そこに興味がもてるか持てないかで随分と人生に対する負荷が違ってくる。仕事を人生の重荷と感じるかエッセンスと感じるかで、考え方も生き方も変わってくる。きっと、今までの私はそれ以上に重視すべきものがあったのだろう。だが、それも無くなった。今は仕事で信頼感を得られることに奔走しよう。キチンと仕事がこなせる、そういう評価を得ることに頑張ろう。それだけが今出来ることだと感じる。関東に来たことを一瞬の評価に終わらせるのではなく、永続的に評価され続けること、ひいてはわが社の関東メンバーに必要不可欠な人材になるべく、これからもコンスタントに自分らしく頑張っていこうと思う所存だ。なんだかよくわからない内容になってしまったが、たまにはこういう感じの内容もいいだろう。詭弁も弄すれば実となる、詭弁を弄するだけが本質ではないが…口に出すことで意思の力は現実味を帯びる。具体的に中身がないことも…複雑且つ混迷を極める人の心には芽生えるものなのだから。
Apr 2, 2009
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でっかい蟻が沢山いる私の能力は空を飛ぶことしかないしかもかなり短い時間だ戦闘にはおよそ向かないような短いスカートを履き、背中にはちょっとした機械を背負わされるそれで空を飛ぶ最高滞空時間はおよそ10秒にも満たないいつもと同じ格好だ全くいつもと同じ綺麗な服を着せてもらえるわけでもなくカッコいい武器を持たせてもらえるわけでもない私の武器はいつも同じ右手にはミラージュ-5W左手にはサンダースナイパーC威力も弱いし、射程範囲も短いたまにイクシオンを持たせてもらえるが3Wくらいじゃ大変わりしないだろう(笑)それでも変わらないのはきっと私を操作している操縦士が頑固だからだまた任務が来た今度はイギリスで蟻が大量発生したらしいまたあのゴリアスをぶっ放す陸戦兵とコンビか…でもまぁいいこういう任務も悪くない巨大な敵を殲滅することが私の生き甲斐私の名はペイル空を翔ける者体はちょっと弱いけどそれでも頑張る地球防衛軍
Apr 1, 2009
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