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試飲はひと通り終了したので、用意していた質問をした。=直販について=Q.ブルゴーニュの作り手は、直販についてどう思っているのか。プロしか訪問を受けない作り手や、大半を輸出にまわす作り手がいて、そういう人ほど海外で珍重されている。千砂さん(以下同じ)-うちは直販をします。ワインのストックがない作り手ではテイスティングのみというところもあるけど、こちらにはお客さんが買いに来ます。Q.昔のワイナートの記事で、たとえばコシュ・デュリやカミュ・ペール・エ・フィスの記事を読むと、直販を辞めた所は何かステージが上がったかのような印象を受ける。-毎年、(どこも)直販はしているんですよ。結構みなさん個人相手にやっています。だけど昔からのお客でも予約がいっぱいで、新しい人が参入できないということだと思います。Q.僕なんかはブルゴーニュの作り手から毎年、同じ量のワインを買いたい。ところが中には2005年は買う、09年は買う、という愛好家もいる。このため、毎年買いたいと思っても人気のあるミレジムだけ買えないということが起きる。日本の顧客が直接買うことはできないものか。-うちは直接日本に送っていますよ。航空便で。クロネコヤマトが入ってきているから。着払いにしてもられば。 (直販に)偏見があるわけじゃない。ただ、新しいところが参入する余地がない、というところが多いかな。Q.日本国内では人気のあるドメーヌのワインを堂々とオープンで売るところは多くない。最近のジョルジュ・ルーミエなど良い例。東急百貨店はオープンに販売しているが、そこで何が起きるかというと、買い占めたい方が人を雇う。先日など1人1本に購入本数を限定したら、渋谷本店に125人が並んだ。-ルーミエは買えないです。 うちはこっちに取っておいてありますから(笑)。01年から販売しています。 直販はどこもしている、ストックがなくなれば売れなくなるだけ、という説明は非常に興味深かった。需給のバランスが崩れれば稀少になり、売り手が自由に売れなくなる。それはそうだ。 細かくみていけば、そうとも言い切れないドメーヌもあるのかもしれない。日本の愛好家が「直接売ってくれ」とお願いしても売ってくれないドメーヌはあるかもしれない。そういう作り手のワインは、ワインショップから購入するよりほかにない。 だが、ブルゴーニュには、アクセスしてくる個人顧客に積極的に自分のワインを売る作り手がいることは事実だと思う。直販をするドメーヌのワインなら、本来なら日本でも、コストパフォーマンス良く購入できるはずである。ここのワインは、まさにそうした例だと思う。 シモン・ビーズが日本向けにワインを発送していることは、千砂さんと話しながら思い出した。インターネットサイト「ブルゴーニュ生活」では、過去に直接ワインを販売した企画が確かにあった。最近このサイトには訪問していなかったが、今でも個人客と直接のやりとりが続いているのだろう。 送料を考えれば割高になるかもしれないが、日本のインポーターが販売をしない銘柄も安定的に入手できる可能性がある。将来、シモン・ビーズの人気が急上昇したら買えなくなるワインも、定期的に買い続けられるかもしれない。活用するのもひとつの手だろう。 =ネゴシアン業について=Q.シモン・ビーズはドメーヌ物だけでなく、ネゴシアンものもかつて販売していた。今はどうしているか。-もうやってないです。Q.以前はモンラッシェとか、販売されていましたね。-シュヴァリエなら02、04、ガレンヌだと02から07までで終わりました。Q.辞めた理由は?-ネゴスマーケットって価格が変動するんです。お手上げで。Q.なぜ価格が上がったのか。-06年のヴィンテージの時に品薄になり、ぱんっと上がった。 以前、「モンラッシェが飲みたいと千砂さんがパトリックさんにお願いして、ネゴスものの白を始めた」という記事を読んだような記憶がある。モンラッシェやシュヴァリエ・モンラッシェ、ピュリニー1級ガレンヌで、日本国内にも少量が正規輸入されていた。もう入手できないと思うと少々残念な気がする。 なお、ワインの輸出先については米国、英国が多く、香港はとても少ないとのことだった。同席したフランス人男性からは、中国ではアルコール税が94%なんて紹介もあった。 訪問してから1時間ぐらい経過したころだろうか、1日に4件まわったことによる疲労が重なってきた。立ってテイスティングしていたので足も疲れたが、何より肝臓をはじめとする消化器系臓器がもう限界だった。 ミネラル水を飲む回数が増え、同席していたフランス人男性と同じように会話をすることが苦痛になってきた。うーん、やっぱりスケジュールの組み方に無理があったかなあ。酔っぱらいながら猛省した。先に帰ってしまったので、醸造所内の見学はできなかった。 夕暮れ時になると畑や醸造所での作業を終えた仲間の方々が集まってきて、テイスティングをしていた部屋が次第に賑やかになった。帰ろうと思い、購入したいワインを告げ、サインをもらって梱包もしてもらった。 この時にはパトリックさんも部屋に来られたので、「宛名に長男の名前を入れてもらってサインしていただきたいのですが」とお願いしたのだが、話を終えるまもなく、コルトン・シャルルマーニュのエチケットに銀色のペイントマーカーでどかーんとご自分の名前をお書きになっていた。千砂さん「性格出るわよね~」だって(笑)。 結局、長男の名はビンのところに書いてもらった。語尾が微妙に違ってしまったりしたが、ご愛嬌。 「こいつが長男です」と写真を見せようとなにげなくアイパッドを取り出すと「おい、それはなんだ」と注目を浴びる。初めて見たそうで。 参考のために保存しておいた、誰が書いたかよく分からない英語のシモン・ビーズ訪問記のブログのスクリーンショットをぱらぱらとお見せすると、「おおー、オレじゃないか」と感激してる。 アイパッドは東京ではすっかりありふれているが、ここでこんなに受けるとは想像していなかった。記念に撮影させてもらった写真 さて。帰り際にお世話になった斎藤さん、「ブルゴーニュ生活」に登場する通称「せいちゃん」にも簡単に触れておきたい。 埼玉県のご出身で、シモン・ビーズでワイン作りを学び、今は別のドメーヌでも働いておられる。いつかは独立して自分のワインを作りたいそうだ。シモン・ビーズでは、あの「セルパンティエール」のワイン作りに深く関わっておられるらしい。 私が早く帰りたいといったばっかりに、ボーヌの駅まで車で送る役を負わせてしまったせいちゃん。本当に申し訳ありませんでした。 日本から来た方々がブルゴーニュのワイン作りを支え、ワインが日本に届くのかと思うと感無量である。シモン・ビーズの皆さん、これからも頑張ってください。「開いてますね」とおもむろにビンに手を伸ばしている真ん中の方が「せいちゃん」こと斎藤さん。
2011.01.30
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続いて赤を試飲する。開栓したワインが増えていきました赤・サヴィニー・レ・ボーヌ オ・グラン・リアール2008・サヴィニー・レ・ボーヌ1級 セルパンティエール2008・サヴィニー・レ・ボーヌ1級 セルパンティエール2006 オ・グラン・リアールは2005年を1本持っている。購入動機は「安いし、2005年なので何となく」だった。 千砂さんは2008年の赤について「素晴らしい。苦労しただけかわいい」と説明した。なるほど。05とか09とか、グレートヴィンテージといわれる年のワインが買えなかったといって、いつまでも追っかけている自分がつまらなく感じる一瞬である。 香りは、何か重い感じ。口に含むと、案外軽くてなかなか畑の個性を感じるものが立ち上がってこない。しかし、口の中で転がしているうちに、だんだんと要素が伝わってくるワインだった。はあ、グラン・リアールってこういうワインなんですね。 その時に続いてうかがった話によると、「うちで一番大きいのが、グラン・リアールとヴェルジュレス。常に安定したワインを作ることができ、その年の指標になる」。 畑が相対的に大きいと質が安定するという点は、ワイン愛好家にとっては「分かっちゃいるけど、、」という部分のある話である。 ここで脱線。例えば特級ミュジニの場合。最大の所有者はヴォギュエで次がミュニエだと記憶しているが(間違っていたらスミマセン。ご指摘を)、ミュジニのレア物が欲しいと思う愛好家が探すのは、やれドメーヌ・ルロワだ、ジョルジュ・ルーミエだ、フェヴレだとなりがちである。 たとえばクレジットカードが使えない店に来て、目の前にヴォギュエとルロワのミュジニがあり、どっちかだけしか買えないという状況になったら、よほどルロワが嫌いじゃない限りルロワを選ぶだろう。まず買える機会が少ないから。 じゃあ、ヴォギュエの価格の何倍も出して買うルロワが好きなのかというと極めて微妙であって。その1本の中身の良し悪しにかけるとなると、ヴォギュエを選ぶ方がましなんじゃないかという気がして仕方がない。 ヴォギュエは若木を1級にまわし、選別したブドウだけからミュジニを作る。その方が毎年、品質が安定するに決まっている。ルロワを買うのは「もうチャンスがないかもしれない」という脅迫感しか動機がない。ルロワのかわりにルーミエやフェヴレであっても同じことだ。 別の例も出してみる。ジャック・フレデリック・ミュニエのワインで、おそらく品質が最も安定しているのはNSGクロ・ド・ラ・マレシャルだ。他のワインが数樽しかないところ、NSGだけは150樽もある。できの良いものだけを1級で販売し、若木の方は「クロ・ド・ラ・フールシュ」として村名扱いで販売する。しかし、実際に日本のショップで最後まで売れ残るのはクロ・ド・ラ・マレシャルだ。量も多いが、なにより日本人愛好家が好きなシャンボール・ミュジニのワインではないからだ。高級品であるブルゴーニュ・ワインの売れ方には、どこかいびつな所があるのは否めない。 話を戻す。シモン・ビーズにとって安定している赤ワインはグラン・リアールであり、ヴェルジュレスであるということだ。今後の購入の参考になった。 では、続いて試飲したワインがなぜ1級セルパンティエールなのか。試飲の席では、ここから話題がビオディナミに移った。 シモン・ビーズは、ビオディナミに移行しようとしている。リアルワインガイドしか定期購読していないので、この情報がどこまで日本で流布しているのか知らないが、個人的には初耳だった。 千砂さんのご説明によると、2008年からセルパンティエール、2009年からは1級オ・ゲットと、先ほど試飲したヴェルジュレス・ブラン。2011年にはレ・タルメットとヴェルジュレスがビオディナミにかわる。「ビオディナミへの移行はパトリックの要望(ドゥマンド)ではない。彼は『ビズディナミ』といっている」とのことだった。自分からも、「なぜビオディナミに移行しようとしたのですか」と質問。すると千砂さんは「やってみたかったから」と大笑いした。 セルパンティエールを試飲することになったのは、ビオディナミに移行した08と、移行前で「密度が08と近い」(千砂さん)06を比較してみるためだった。このへんは一緒だったフランス人男性の要望で、私はよこでへらへらしているだけでした、はい。 試飲の結果はどうだったか。やっぱり、全然違う。06は普通にうまいが、08年は飲み始めのスタートダッシュから勢いを感じる。千砂さんの説明をそのまま書くと「ふわーっと重心が上がる。ウチのワインの中でも上昇率が高い」。後から来る畑の印象は同じだが、ビオディナミのワインの方が前がかりな感じがした。 これはよく、「ビオっぽい」といわれる味だなあと思い、「ビオっぽいっていいますか?」と尋ねたが、こういう言い方はネガティブな印象があるとのご指摘だった。ちなみに08年のセルパンティエールは、「まだ売りたくない」ので販売していないとのこと。テイスティングのテーブル近くにある暖炉(続く)=禁無断転載=
2011.01.15
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この日4軒目の訪問先である「奥さんが日本人のドメーヌD」とは、シモン・ビーズである。モレ・サン・ドニのレストラン「カステル・ド・トレ・ジラール」前で予約したタクシーを拾ったのが午後1時半ごろで、宿から宿へ荷物を運び、シモン・ビーズには午後4時に訪問するという強行スケジュールだった。 ブルゴーニュの作り手に行こうと思う時、どこを訪問先に選ぶか。最初は誰でも「DRCに行ってみたい」とか思うだろう。で、プロでもなかなか難しいと分かると、次にどこにいこうかと考える。私のようにツテがない(あるいは人によっては使おうとしない)DIY型の場合、自分が過去に飲んだことがあるとか、なにか思い入れのある所を選ぼうとすることになる。 私の場合は、シモン・ビーズの千砂さんにあいさつしてみたいと思った。これから先、何回かブルゴーニュを訪問できる機会はあるかもしれないが、シモン・ビーズにお世話になった日本のワイン関係者がたくさんいる中で、あえてそこを避けるというのはいかにも不自然だ。ミス・ソフィアという凄い経歴の持ち主でもおられるらしいし(←そこかよ)、以前から機会があれば訪問したいと考えていた。 狭い道のわりに車の往来は多い 日本からはファクスとメールで訪問願いを送り、ファクスは(よせばいいのに)日本語とフランス語の2種類を出した。どれを読んでいただき、返事がもらえたのかは不明である。 この日の宿からタクシーに乗り、3時30分にはサヴィニーに到着した。誰かのブログで「サヴィニーに行く日本人はみなシモン・ビーズだなあ」と笑うタクシーの運転手の話を読んだ記憶がある。しかし、今回乗ったタクシーはボーヌではなく、宿泊先のレストランホテルに近い場所の車なので、女性運転手は「サヴィニーのどこ?場所がよく分からない」という。時間に余裕があったので適当に町中で降り、アイパッドに保存したグーグルマップを参照しながらドメーヌを探し歩いた。 サヴィニー城 あと少しでシモン・ビーズという所。左手はサヴィニー城の壁。この道路の先に高速道路がみえる。 10分ほど前にドメーヌ・シモン・ビーズについた。グーグルで地図を検索すると分かるが、シモン・ビーズはボーヌから向かっていくとサヴィニーの街中を抜けた先、サヴィニー城を回り込んだ場所にある。ドメーヌ前の道路は南に向かって緩やかな上り坂になっており、坂の上にはパリとボーヌを結ぶ高速道路が左右に伸びている。歩いてみて分かったが、サヴィニーはシャンボール・ミュジニ村やヴォーヌ・ロマネ村に比べると住居が多く、はるかに町っぽい。車でボーヌに通うサラリーマンもいるのではないかと想像する。 ドメーヌ前でうろうろしていると、地元のおじさんとすれ違った。視線を合わせないのもおかしいので「ボンジュール」とあいさつ。「時間が余っちゃって」というと、どうしようかと真剣に悩んでくれる。関係ないのに、いい人だなあ。 そのほかに、もう1人うろうろしている若いフランス人の男性もいた。この人もどこかに訪問するのだろうか。軽く会釈して、サヴィニー城の写真を撮影したりして時間をつぶした。 もうすぐ午後4時なので、ドメーヌへ。すると、さっきの若いフランス人男性もいる。千砂さんも玄関に姿をみせた。今回の訪問はこの男性と2人一緒のようだ。 建物に入ると広い試飲場所があり、立ったままワインを飲む。既に何本か開栓されたワインがあったが、フランス人男性の求めによりワインを新しく開けてもらうことになった。 フランス人の男性は過去に日本のソフトウェア会社で勤務した経験があり、現在は中国で働いている、この近所の方。日本語も話せるので、フランス語と日本語の入り交じったやりとりになった。僕がフランス語をちゃんと話せたら、全部フランス語になったのにと思うと、何だか申し訳ない。試飲はこんな感じ 日本でだけブルゴーニュワインを買っている人なら共感してもらえると思うのだが、サヴィニーのワインを買う場合、手掛かりがあまりない。日本人の奥さん千砂さんと、日本好きの当主パトリックさんがいるのだからシモン・ビーズにしようと選ぶことはあっても、ではどこの畑のワインを選ぶのかとなると、これにしようという、という理由がない。 これまでシモン・ビーズを購入してきた経験でいうと、店に手頃なシモン・ビーズのワインがあり(しかもそれは安売りだったりする)、1種類しかないのでそれを買うという受動的なケースがほとんど。今回の訪問を機に、サヴィニーの畑の中で「これ」という好みを見つけられればいいと思っていた。このため、今回の試飲のラインナップは興味深いものだった。白・サヴィニー・レ・ボーヌ・ブラン2008・サヴィニー・レ・ボーヌ・ブラン2007・サヴィニー・レ・ボーヌ1級 ヴェルジュレス・ブラン2008 まず白を試飲 まず白の村名2つを試飲。2008年は口に含むと甘く感じる。千砂さんによると「やや貴腐がついている年。傷んだブドウが多かった。将来はさらに、甘いというか、アカシアっぽい香りが出てくる」という。 2つめの2007年は比較のため開栓。「2008年とは全くタイプが違う。07年は多くの酸があり、いきいき、きりっとしている。軽い」。ミネラルにあふれ、酸が多め。 これに対し「08年はもっとリッチで構造的である」(千砂さん)。 私のこの時、「持っていたいのは2008年」という感想を口にした。 次の飲ませていただいた白の1級、ヴェルジュレス・ブランはやはり一段上のワインだった。ヴェルジュレスの白は珍しい。「ブルゴーニュ生活」内のドメーヌ・シモン・ビーズの説明から引用する。 96年にピノノワール種が植わっていたところを、シャルドネ種に植え替えた区画。パトリックのおじいさんの代にはこの区画にシャルドネ種がもともと植わっており戦後の白ワインの低迷そしてパトリックママの「赤にしましょうよ」の一言でシャルドネは一掃された。つまりベルジュレスブランの復活。ブルゴーニュの白ワインに要求されるすべての要素が品良く備わったタイプ。(Savigny-les-Beaune 1er Crus Les Vergelesses) ヴェルジュレス・ブラン2008は精密な作りで、前の2つのワインを上回る味がする。口に含んだときはそれほどでもないが、あとから酸を感じる。千砂さんは「売れ筋商品です。サヴィニーって白っていうイメージがないですが、これを飲むと、ああー、って」。輸出用の価格は20ユーロ。日本への輸出はとても少なく、遠方への輸出自体、あまりしていないという。ここに来て、見て、これくださいという需要が多いようだ。白はこの上にコルトン・シャルルマーニュがあるが、試飲はしなかった。(続く)熱心に説明する千砂さん=禁無断転載=
2011.01.15
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2010年フランス旅行のエントリーは、原則として週末に記事をアップする予定です。22日、23日は更新できなくなりました。来週はなんとかしたいと思います。
2011.01.10
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1日4軒の訪問予定先のうち、3軒目となったドメーヌCとはジャン・ラフェである。30分も滞在しなかったが、今回の旅行の中では、いろいろな意味で興味深い訪問になった。いくら感謝してもしきれない。 シャンボール・ミュジニ村を出て、ボンヌ・マールを左手にどんどん進むと、モレ・サン・ドニに入る。「クロ・ド・タール」の看板がある広場を通り、まっすぐ北方向にのびる坂道を登る。小さなロータリーに出て、そこを過ぎた左手にジャン・ラフェ氏のご自宅がある。隣はドメーヌ・アルローだ。この辺は、昨年現地ドメーヌを数多く訪問された食の旅人さんのブログ「横浜基点 食の探索」の記事(「Domaine Jean Raphet(ジャン・ラフェ) ドメーヌ訪問」)の説明が詳しく、スケジュールがタイトな中で大変役に立った。情報までいただき感謝です。 もう一つ、この村の高級レストランホテル「カステル・ド・トレ・ジラール」のソムリエール、花田さんのブログ「カステル・ド・トレ・ジラール」の記事(「ドメーヌ・ジャン・ラフェ(モレ・サン・ドニ村)」)も読んでいた。ワインを購入させてもらったという内容が書かれていた。 記事中の「とにかくポンポン開けて、どんどん飲ませる」って本当かな?と興味がわく。都内某ショップがプッシュするこちらを訪問するいい機会だ、そう考えて電話をかけてみたら、わずか30秒でアポイントをいただけたのは前述の通り。 坂道を登り、ロータリーを越えると到着。確かに微妙に分かりにくい。 ラベルでお馴染みのドメーヌ建物 やや遅刻気味で訪問すると、ラベルでおなじみのドメーヌにすぐ気が付いた。しかし、どうもひと気がない。横をみると、住宅らしき入口に続く階段が2階に続いている。ネコがいて、こちらをみている。やや逡巡したが、かまわず階段を上がって鈴を鳴らすと、ジャンさんが登場した。下の応接ルームに移動する。ジャン・ラフェさん。後ろにはまねき猫も。 ここに来る前に訪問させてもらったジャック・フレデリック・ミュニエとアミオ・セルヴェルでは、試飲とはいえ、素人なのでそれなりに飲ませてもらった。ミュニエのミュジニ2009年とか、アミオのアムルーズ2008年とか、素人がぺっぺっ吐いていたら申し訳ないからだ。しかし、下のクラスのワインなどはある程度は吐き出して、なんとか正気を保っていた。 ところが、ジャン・ラフェさんの遇し方。これが全然違う。「何を飲みたい」というので、食の旅人さんのブログのことを思い出し、ここが重要だぞと思って「シャルム・シャンベルタン」と申し上げた。すると、2001年のワインを気前よく開けていただいた。 どうもすみません ジャン・ラフェさんはすでに息子さんのジェラールさんに代がかわっており、この2001年はジャンさんの名義では最後の年だったという。だからアポイントが入りやすかったのかもしれない。ノースバークレイのボトルなどラベルが何種類もあるが、これはドメーヌの建物を描いたあのラベルだった。 ひと口飲むと、シャルムの力強さにうちひしがれた。「う、うまい」。俺はシャルム・シャンベルタンだ、とワインが訴えかけてくる味。酸、果実味とも際立ち、本当に9年前のワインなの、と疑いたくなるくらい素晴らしい。すっかりトリコになってしまった。 原さんのサイトを検索してみたら、ジャン・ラフェについて「シミジミ染み入り系癒し味」と書かれているが、ここではもっと強い印象を受けた。ブルゴーニュワインってこんなに力強い味だったのか。シャンボール・ミュジニの作り手のワインを試飲してから来たので、ことさら強さを感じたのかもしれない。 話をしながらワインを飲んでしまうと、もう本当にどんどん、「おう、グラスが空いてるぞ」ってな感じで、まるでお茶か焼酎の水割りみたいに注ぎ足していただいた。せっかくのご好意、しかしこれは後でまずいことになるかもしれないなと考えながら、勧められるままにいただいた。 なぜこちらを訪問したかったのか、持参したアイパッドを使いながら説明する。語学に自信がない自分にとっては、こういうデバイスはやっぱり便利だ。タッチパネルで食の旅人さんの見事なブログ記事のスクリーンショットをスライドショーでお見せすると、興味をもっていただいた。 部屋の中には、所狭しとワインが並ぶ。 2人で話した内容は、かつてノースバークレイボトルを詰めていたのが「米国市場のためである」とか、今も仕事をしているが腰が痛くてね、とか。真剣なテイスティングというのではなく、楽しく雑談させてもらったという感じ。私のひどいフランス語にも、丁寧に答えてくださった。「日本のものがいっぱいあるんですって」ときくと、喜んで招き猫とか手ぬぐいを見せてくださった。招き猫は案外小さかった。 ワインのほうは、相談の結果、以下のワインを1本ずつ購入。シャルム・シャンベルタン2001クロ・ド・ラ・ロシュ1998クロ・ド・ヴージョ2000 残念ながら、クロ・ド・ベーズは売るものはないとのことだった。もう全然問題ない。 価格を尋ね、お支払いする。記念なので3本ともサインをもらった。ドメーヌの名前が入った粘着テープで、3本用の段ボール箱に収納してもらう。 「もう少し古いのがあれば買い足したい」とお願いすると、「ちょっと待ってろ」といって外へ出て、以下の2本を持って戻ってこられた。シャルム・シャンベルタン1990クロ・ド・ヴージョ1988 ここのやりとりについてはっきりした記憶がないが、どれかについては「きみへのカドー(贈り物)だ」とおっしゃる。なんだか申し訳なく思ったが、ご好意に甘えることにした。なので、全部でいくら払ったかは、ここではとても書けない。花田さんのブログをご覧いただければ、だいたい想像してもらえるかと思う(花田さんすみません)。これは宝物だな。パーカーにも高く評価されてきた生産者であり、あと数年したらジャンさんの時代のワインの入手は難しくなるだろう。「しみじみ感」を追体験するためにも、今回は購入しなかった下のクラスのワインも飲んでみたいと思っている。 「どこに戻るの?」と聞かれたので、タクシーを予約しているので結構ですと申し上げた。いつものことなのだろうが、お気遣いに感激する。すてきなジャン・ラフェさんとお別れし、お昼どきのモレ・サン・ドニの静かな街並みを、鼻歌をうたいながら、ふらふらな足どりで後にした。(続く) 温かみのある方で大好きになりました。=禁無断転載=
2011.01.09
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その時、忘れていたものを思い出した。私「これはおみやげです。日本のお菓子のカステラです」 フランス人におみやげを持っていくならカステラが無難だ、というのは2003年の訪問の際に参考にした現地ジャーナリストの堀さん(「リアルワインガイド」という書籍を書かれた方)の記事に、そんな話題があったような気がする。それ以来、もうなんとかのひとつ覚えという奴で、渡仏前にはカステラを買う。 おみやげを渡すと、「試飲するかい」といって開栓済みのハーフボトルを何本か出してもらう。なんだか順番が違う気がするが、いいか。 試飲はハーフボトルで4種類。すべて2008年。 保管はこんな感じ。 ここのドメーヌはシャンボール・ミュジニ村の1級畑をたくさん所有しており、その比較試飲となった。銘柄はプラント、シャルム、デリエール・ラ・グランジュ、アムルーズだった。メモをとらずに飲んだため記憶がおぼろげで、どれもおいしかったが、意外にもデリエール・ラ・グランジュが一番良い印象だった。ここはアルコール度数が低めとなる作りをするといわれており、そのせいか畑別の特徴をつかみやすい。デリエール・ラ・グランジュはレ・フュエのすぐ下にある小さな畑で、1級ではアムルーズの次に蔵出し価格が高い。 この銘柄は以前、原酒店のご主人に勧められたことがあり(買わなかった)、販売所で「原さんすごいな」と感心したのだった。しかし、先行きを考えると4本でも十分多いので、結局買わなかった。なんだか惜しい。 ちなみに価格表によると、ここのドメーヌには1級のフスロットもある。村名も通常のシャンボール・ミュジニと、畑名付きの村名「レ・バ・ドワ」がある(グロフィエの1級レ・ゾー・ドワの下側)。特級はクロ・ヴージョ1つ。そのほかに、ACブルゴーニュ、同ブラン(白)、ロゼ、ブルゴーニュ・アリゴテ(白)。フィーヌやマールのボトルもあった。販売は基本的に750ミリリットルのボトルで、ハーフは主にレストラン用だそうだ。 アミオさんとはほぼ雑談に終始した。飲酒運転は日本では厳罰で、勤め先をクビになる理由になるのに、なぜフランスでは少しぐらい飲んでも走っていいのかね、みたいな。 アミオさんと取引のあるインポーターの評判を伝えた(悪口は言っていません)。また、フィーヌやマールを売ろうと思っても、日本市場はコンプリケ(複雑)だと思うとのことだった。大変楽しい時間を過ごし、さよならした。しばらく歩いてから、ボトルにサインをもらうのを忘れていたことを思い出した。 さようなら。最後まで感じのよい、いい人でした。 いざ、モレ・サン・ドニのドメーヌへ! ちなみに、ここと目と鼻の先にユドロ・バイエがある。連絡してもなしのつぶてだったが、訪問者のものとみられる車が出て行くところが見えた。 「直販してます」という看板も出ていた。いくら直販するといっても、こっちからメールを送っても何も返事が来ないのでは、、。正確には自動返信メールは来ました。別にいいけど。次の機会があれば、改めてお願いしてみよう。 (続く)=禁無断転載=※この記事を書き終えてから、ミュニエ氏のところで見かけたリアルワインガイド(徳丸編集長の方)最新号をようやく入手した。アミオ・セルヴェルの08年の評価が低く、びっくりした。「肉がない」と。 そういわれてみると、そうかも…なんて考えた。しかし、自分の感想は正直に書いて、テイスティング能力に乏しいところも示す方が素人の訪問記らしく思えるので、あえて修正はしません。ティスティング時期が半年遅いこともあるし。私は、デリエール・ラ・グランジュに好感をもった。いずれ国内で購入してみたい。 徳丸さんはおそらく、日本の市価のことも念頭に書かれていると思う。当然ながらドメーヌ販売価格はずっと安い。08年はアムルーズ1本しか購入していないので、まあなんともいえないけれど。 ついでに、徳丸さんはなんであんなにメオ・カミュゼを嫌うのか、いつか背景を知りたいな。「いろいろな意味でイヤなところ」って、すごい表現。
2011.01.08
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(6)アミオ・セルヴェル―上 アミオ・セルヴェル外観 旅行前の最後に訪問予約が入ったドメーヌBはアミオ・セルヴェルである。ワインを直接購入しようとして、まずここに電話を掛けたのは、ドメーヌが直売をしていることを知っていたから。 昔読んだワイナート9号の28ページ、写真のキャプションに「ストックがある限り直販するのが嬉しい」という一文がある。別の方のワイン訪問記では、「アポイントさえとれば、売ってもらえる」という記事も読んだ記憶がある。彼のワインは飲んだ経験がなかったが、いつかは訪れたいところだった。 ミュニエ氏のところから5分ほど歩いて販売所に到着。彼の自宅からは少し離れている。ボンヌ・マールの下を通ってモレ・サン・ドニに続く道が、ここの前から枝分かれしている。 手前が村の中心部。左に枝分かれした道がモレ・サン・ドニ方面。 ほぼ同時に、ご主人のアミオ氏も車でやって来た。建物の外の階段から地下に降り、カーヴに入る。ずらっとワインが並び、試飲もできるスペースになっている。天井は少し低い。 クリスチャン・アミオさん 天井が低くて狭いが趣のある販売所 試飲用のグラス ここではICレコーダーによる録音はせず、メモも何もとらなかった。ご主人の名前すら確認し忘れた。アミオさんと呼んでいたが、ファーストネームはクリスチャンさんだそうです(ワイナートより)。 ミュニエに比べると脱力しきった訪問で、まるでワインショップでのやりとりのようになった。 ワインを買いたいとはっきり伝えてきているので、心おきなく欲しいワインを伝える。私「2005年のワインはありませんか。アムルーズとか」アミオ氏(以下、ア)「ないなあ。うーんと、シャンボール・ミュジニのレ・プラントならあるな」 1級レ・プラント。さっきミュニエ氏のところで聞いたばかりの畑。これも何かのご縁かと思い、2本購入する。私「あとはアムルーズかクロ・ヴージョがいいな。2008年を1本ずつ」ア「クロ・ヴージョは2008年がない。2000年と2004年しかない」 なんと販売用の在庫がないという。代わりに販売しているヴィンテージが00年と04年で、なぜこの年なのかもいまいち分からない。特級を喜んで買う特級大好きな私だが、集めている08年がないというのは少し残念だ。私「むむむ。じゃあアムルーズ2本にします」ア「両方08年でいい?」私「というと?」ア「06年もあるぞ」私「08年より高いんでしょ」ア「いや、同じ」 おおおっ。価格表に書いていないワインがあると。私「じゃ、それください(笑)」 購入した4本 4本を紙を巻いてもらった。(続く)=禁無断転載=
2011.01.08
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樽から試飲した09年は非常に良い味がしたが、いかんせん香りが立たない。こんなものかと考えていたら、ミュニエ氏は「他のミレジムも試してみないか」といい残し、樽がある階よりさらに下にあるカーブへと降りていった。 出してもらったのは、ラベルのないNSGクロ・ド・ラ・マレシャル。「とても違うよ。飲んでみれば分かる」 08年のNSGクロ・ド・ラ・マレシャルを開き、ヴィンテージの違いについて語るミュニエ氏 ポン、とコルクを抜く音。ひと嗅ぎしたミュニエ氏、ここから饒舌になった。 「2008年はとても力強く、豊か。2009年もそうだが、08年はもっとエレガントでファン(細かい、繊細)、生き生きとしている。アロマはとても純粋だ」 「2008年はずいぶん09年と違う。09年は長熟向き。08年は若く飲めて、感じが良く興味深い(アグレアブル エ アンテレソン)ヴィンテージだ」 飲んでみると、確かにまったく違う。香りのたち方はまさにいつもの豊潤なミュニエ氏のワインそのもの。1級とはいえ、NSGでここまでいい香りを嗅ぐことはそうそうない。もちろん、味も複雑味があって素晴らしい。 「09年はグレートヴィンテージといわれていますね」とこちらから質問した。ミュニエ氏は、「グレートヴィンテージというのはおそらくコレクションのヴィンテージのことだ。20年、30年後に飲むワイン。08年もグレートヴィンテージだと思うよ。そしてイージ・トゥー・ファンだ」と答えた。単純な比較はできないが、早く飲むなら08年だとおっしゃる。 直売はしないというので、ブロションとニュイ・サン・ジョルジュにあるワインショップを紹介してもらい、予想よりも短い40分程度で訪問終了。開栓したクロ・ド・ラ・マレシャルをお土産にもらった。 パソコンで取扱店の地図を印刷してくれるミュニエ氏。机の上には真新しいリアルワインガイドが置かれていた。徳丸編集長が前週に訪問された模様。 翌日のネゴシアンE訪問後、教えていただいたブロションのお店に行ったが、ニュイ・サン・ジョルジュしか残ってなかった。ディスプレーにはミュジニがあったが「あれはお客さん用。もう決まっている」だと。残念。 店にあるワインが実は予約済みって、さいたまの原酒店(ノイジーさん)みたいだ。結局、08年ヴィンテージは、数日前の小田急オンラインの新春セールでようやく入手できたのであった。(続く)=禁無断転載=
2011.01.08
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ラフィット2008年の小売価格は20万円だとエノテカの人が答えていた。おいおい。20万円てなんだよ。もう買い増しできねーじゃん。松澤屋がプリムールで1本しか売ってくれなかったことが、かえすがえすも残念だ。
2011.01.06
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再訪したかったドメーヌAとは、シャンボール・ミュジニ村のジャック・フレデリック・ミュニエである。ここには2003年に訪問させていただいており、今回は2回目となる。 徒歩圏内のホテルを出発し、午前10時前にドメーヌに到着。7年ぶりの訪問に胸が高鳴る。呼び鈴を鳴らそうとすると、主人のミュニエ氏が難しい顔で電話をする様子が目に入る。建物の中に入り、ドメーヌ関係者の方に出迎えていただく。玄関に入りすぐの場所にある階段の下でしばらく待つ。階段脇の壁には、販促用とみられる昔(第一次大戦前)の巨大ポスターが2枚貼られていた。 しばらく後に、ミュニエ氏と7年ぶりに対面。拡張された建屋に向かい、1対1でデギュスタシオン。新しい建屋に備え付けられたステンレスタンク試飲は前回同様、村名シャンボール・ミュジニからボンヌ・マールは全部で5樽 試飲は樽から2009年ヴィンテージを一通り。村名シャンボール・ミュジニ、1級フュエ、特級ボンヌ・マール、ニュイ・サン・ジョルジュ(NSG)1級クロ・ド・ラ・マレシャル、1級アムルーズ、特級ミュジニの順。NSGの白は試飲させてもらえなかったし、こちらからもお願いしなかった。 雪が外に残っていたのが災いしたか、香りが立たない。2003年に来た時も12月だったが、あの時の02年ヴィンテージの試飲とは様子が異なり、かなり当惑する。それでも口に含むと、ミュニエらしい奥行きのある複雑な味わいが広がった。 ミュニエ氏は村名シャンボール・ミュジニについて「コンブドルヴォーと1級のレ・プラントのアッサンブラージュ」と説明。インターネットで検索していると、よく「特級ミュジニの若木を使用」と説明しているワインショップがあるが、だいぶ違う。店の信頼性の試金石になるので活用を。もちろん、ちゃんと説明している優良店もある(例=アサヒヤワインセラー http://www.rakuten.ne.jp/gold/asahiya-wine/newarrival101021.html)。インポーターもちゃんと説明しているのに、どういうことだ。ボンヌマールのパーセルの説明図。Rがテッレルージュ、Wがテッレブラン、Cがシャンボール・ミュジニ村、Mがモレ・サン・ドニ村。点線が村の境界線。なぜかNSGクロ・ド・ラ・マレシャルの樽に書かれている。 パーセルがRとWにまたがっていると説明するミュニエ氏。 アムルーズの樽。所有地が多いといっても、樽にするとこの程度しかない。ミュジニは撮影し忘れ。 話がずれた。村名としては非常にレベルが高いおいしいワイン。フュエは、村名より素材が上質。ボンヌ・マールは5樽、アムルーズは8樽、ミュジニは聞き忘れたがそれ以上。NSG1級クロ・ド・ラ・マレシャルは150ピエスとけた外れ。 少しずつ飲んだ感想では、ミュジニは集中感のある味わい。アムルーズも03年に訪問した時の02年ヴィンテージの試飲に比べて香り高く、とっつきやすい。畑の格の順番に良い評価をつけたくなる印象だった。前回訪問時はミュジニとフュエの印象が突出して良く、今回とは受け止め方がだいぶ違った。(続く)=禁無断転載=
2011.01.03
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幸いなことに、12月に入るとアポイントが入り始めた。突然、ネゴシアンEから「今日もどって来てメールを見た」とメールがあり、訪問OKという。その日のうちに何度かメールでやりとりをしていると(←律儀な方なので、こういうことも起こる)、入れ違いにドメーヌAから「来ていいよ。デギュスタシオンOK」という返事がくる。日時もだぶっていない。この日、Eあてに「今日はいっぺんに2件もアポイントが入って幸運な1日でした」とメールをしたのが午前2時過ぎぐらいだった。 数日後、ドメーヌDからも承諾のメールをもらう。これで予定は3件になり一安心した。AとDは同じ日だが、午前と夕方とだいぶ間がある。 ところが、渡仏一週間前になり、「せっかく行くんだから」と、直売してくれるドメーヌも訪問しようと思い立った。この頃、現地で発行されている雑誌などを読むと、連絡先として電話番号しか書いていないことが多い事実に気がついた。 実はメールとかファクスは邪道で、電話でアポをとるのが王道ではないか? そんなことを考えながら、シャンボールのドメーヌB、モレサンドニのドメーヌCに電話を掛けた。どこか一軒、当たりがあればいいと考え、とりあえずという感じであった。 ドメーヌBに電話をすると留守電だった。留守電ではかなわない。自分の名前を告げ、「メールするので見てください」といって電話を切った。 次にドメーヌCの連絡先をネットで調べて掛けた。ここはホームページがなく、海外のどこかのワイン関係のサイトに掲載されていた番号に、とにかく掛けてみた。間違っていたら謝ればいい。 「もしもし。ドメーヌCですか」「そうだよ」。いきなり本人が登場。 「ワイン買いたいんですが」「いつだ」「月曜日の午後」「2時ぐらいか」「ええー、正午ぐらいがいいです」「君の好きな時間にしろ」。 30秒で終わり。確認のファクスを入れたところ、30分ほどで「この住所で正しい」との返信のファクスが届いた。アップルのiPadのように立ち上がりの早いおじさんだった。 こういう「売ってくれ」という頼み方は本来、ブルゴーニュの著名ドメーヌにするべきではないらしい。しかし、仏語の能力に限界があるため、こうでもするほかなかった。 ああ、これでまとめまった本数のワインが買える。 週明け、驚いたことにドメーヌBからもメールが来た。OKだという。お願いしていたのをすっかり忘れていた。大丈夫かなあ。AとB、BとCの訪問予定は1時間刻みで、前の訪問の時間が延びたらアウトだ。急に心配になる。 Bには「直前にも別のドメーヌに訪問するので、もしかしたら遅れるかもしれません」という趣旨のメッセージを1本入れた。Cはまあ、電話すればどうにかなるだろうと楽観していた。 ちなみに、ユドロ・バイエからは最後まで返事はなかった。ムルソーでのドメーヌ訪問も時間的に無理になった。 今回のブルゴーニュ滞在は、日本から到着して寝るだけの初日の土曜日を除くと、日曜、月曜と火曜午前の2日半。日曜日の訪問予約は入りにくい。このため、月曜日に四軒(A、B、C、Dの順)プラス夜はレストラン、火曜日は最後のネゴシアンEという非常に窮屈なスケジュールになってしまった。体が持つかどうか、時間に間に合うかどうか、当日まで不安を抱えたまま、寒波の襲うフランスへと旅立ったのであった。(続く)補足=初売りで賑わう東急本店でマッキー氏にお会いできたので質問したところ、「彼らはファクスとか見ないですよ。返事が来るのは2か月後」とのお答え。やっぱりそうかー。過去2回はメールとファクスだったが、もし次の機会があれば電話中心に変えないといけないかも。=禁無断転載=
2011.01.02
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