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■グチから出るマコト なんでこんなに疲れるんだろう・・・ 自分はなんて無力なんだろう・・・ 思い通りに行かないことが多すぎる・・・ いろいろな愚痴がある。 疲れたとき、悩んでいるとき、 ふっと力が抜けてしまうようなとき。 ・・・と、思っていたけど、順番は逆だった。 自分の頭に浮かぶ言葉。愚痴。 それが、疲れを生み、悩みを作り、 体の力を奪っていた。 そんなことに気がついた。■僕らのこころの癖:テーマ 「ああ、自分はまた間違っていた」 僕がよく落ち込み始めるときに、 頭の中に浮かぶ言葉。 小さなミスや、他人の言葉、指摘、ときには アドバイスに対してでさえも。 こんな言葉が浮かんで、 嫌な思いにとらわれることがある。 でもあるとき僕は、きっかけがあって、そんな 自分の心の流れを、「うざったい」と思った。 いつも、同じサイクルを繰り返すこと。 実は、どこかで自分は知っていたのだろう。 じっくり考えてみる。 間違っていることに落ち込むのはどうしてか? って考えてみると、 「自分は間違いなんて犯さないはずだったのに」 という気持ちがあって、じゃあその奥にあるココロには、 「間違いを起こすのは、能力がないからだ」 なんていう思い込みがある。そしてその奥にある基準として、 「能力がない人には、価値がない」 という、強烈な不安が、じっとこっちを見ている。 監視に近いほど、強い目で、もうなんだか、こっちを見張っている。 だから、あらゆるシーンで、 『自分は正しいのかどうか』なんていうテーマを、 僕は無意識に、自分の頭の中に持っていたのだ。■自分のパターンを疑うと、抜け出せる。 これは実は、単なる僕のココロの『癖』だ。 同じパターンに、いつも入ってしまう、というだけ。 考え方や理念、価値観。 こういってしまうと、なかなか変わらないものに思える。 でも、その中には、もう考えることは昔に やめていて、ただ『癖』になっているだけのものが、 実はたくさんあるんじゃないか。 そんな『癖』を疑ってみると、テレくさくなってしまうほど、 色んなことが見えてくる。 自分の心の癖を改めて疑ってみと・・・ ・自分が正しいかどうか、って、24の若造が、アホじゃなかろうか。 経験も智恵も上手な大人の周りで、思い上がりも甚だしい。 正しいかどうかにこだわってても、回りは敵だらけになるだけだ・・・。 ・能力がない人には価値がない? じゃあ、赤ちゃんには価値がないのか? 何もまだできない新人でも、ものすごく好かれて大事にされている 同僚には、価値がないのか? 何か特別な能力があっても一人でムスっとしている人より、 よっぽど周りの人を楽しい気持ちにしているな・・・ という風に、恥ずかしくなるような、 幼い価値基準を、いつからか『癖』として、 強烈に持ち続けてきてしまっていた。■小さい頃からずっとつけてきた、足かせ。 その幼い価値基準は、ずっと僕の足かせになって来たのだろう。 だって、間違ってる物差しで、自分の価値をはかってきたんだから。 でもそれを「バカらしい」とか「恥ずかしい」とか、 「もったいない」って思えたとき、僕は少し、変わった。 一瞬で治るものではないけれど。 落ち込み出す前に、「このパターンか、アホらしい」って、 ナイスな距離をおけたりして。 今の自分(24歳のおっさん臭い男)が、 小さい頃のおもちゃを大真面目な顔で いまだに大切に抱えているようなもので。 そんなアンバランスな景色が、可笑しく思えたりして。 そうやって、一つ一つ、『ココロの癖』を ほどいていけたら。 いろいろと、気持ちのジャマをするものが減っていく。 『失敗には意味があるんだ!』なんて、頭で覚えた意味付けを するよりも、「そもそも失敗を嫌がっていたこと自体が思い上がりか」 なんて、自分を笑えた方が、 どこにも無理がないんだから。 落ち込みを止める、というより、 落ち込まなくなる、っていうふうに。 でもきっと、そんな『ココロの癖』は、 まだたくさんあるんだろう。 それは僕だけではなく、色んな人に 透明な鎖の足かせとして、くっついているんだろう。■子どもの頃の傷を、今回復しているのかもしれない。 子どもの頃に言われてきたこと。 「そんな点数とってたら、全然ダメだ」 「お前の兄貴はそんなことでヘコたれなかったぞ」 「そんなこともできないの?」 それは傷となって残る。 幼い僕らはバンソーコーを用意することしか知らない。 だって子どもの自分は価値を作る側じゃなくて、 大人に価値を決めてもらう立場にいたから。 (思い込みだったとしても) 『テストでいい点数を取らないと、嫌われる』 『兄ちゃんと同じようにやれないと、認められない』 『できないことやミスがあると、バカにされる』・・・ 僕らは、 「テストでいい点数を取る!」とか 「兄ちゃんと同じがコトがやれるようになる!」だとか、 「失敗は絶対にしちゃいけないっ」などと、 無理なバンソーコーをはって、傷をうめようとする。 もう傷を見ないように、ひねくれる子もいるだろう。 でも、それがうまくいくことは、 そんなに多くはない。そして、そのバンソーコーが はがれるときには、傷はさらに膿を増していたりする。 ―ほとんど、恐怖だ。 それぞれに程度はありそうだけど、 僕はその恐怖が、とても強かった。 その恐怖から、僕の中にテーマができあがる。 『自分は正しいのかどうか』 『自分は周りに評価されているかどうか』 狭い視野の中で、自分のことばかり考えるようになる。 それが、ココロの癖になっていた。 中には、コンプレックスのように、むき出しの膿みたいに なってしまったものも、あるのかもしれない。 ココロの癖をほどいていくことは、 そんな、子どもの頃の傷から、 自分を自由にしてくれる作用があるかもしれない。 ■テーマを、設定しなおす。 意識はしていなくても、日々、 どんなテーマで生活をしているだろうか。 「自分は間違っていないか」 「誰か自分を嫌ってやしないか」 「どうしてこんなにつまらないのか」 ふと、探し物はなんですか? と、思ったりしてみる。 それを探していたら、見つかるのは当たり前のことで。 そんな良くないココロの癖に気付いたら、 一つ一つ、ほどいてみる。 そしたら、はじめて、新しいテーマを設定できるはず。 「場を最大限に楽しむためには、何ができるか」 「目の前の出来事から、何を学び取れるか」 なんて個人的なこともあるし、 「この人を喜ばすには、どうしたらいいだろう」 「この場が盛り上がるように、なんかやってみようかな」 って、他の人にプラスの影響を与えることもできる。 ものは言い様だ。 もう、ほんとにその通りだ。 ココロの言い様によって、カラダも ものごもと、他の人も変わってくる。 いいテーマは、ココロにいい癖をつける。 それはきっと、「センス」と呼んでもいいもの。 生きるセンス。 さぁ今日はどんなテーマで、自分を自由にしようか。
2006年01月15日
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雪明り(ゆきあかり)の中を走る。寒さの厳しい北国に生まれた。そのことに感謝するほど美しいものがいくつかある。その一つが、今電車の外を神秘の青に染めている、雪明りだ。だだっぴろい田んぼだらけの平野。ふくよかにつもり、汚れの気配さえ見せない雪。誰にもさえぎられることのない、やわらかな月光。そんな大自然の優しい掛け算が、あたり一面の世界を、きれいな青にする。こんなにも、青にする。日本の東から西に渡る境界線。電源の切り替えのアナウンスがあり、電車は一時、社内のライトを落とす。一瞬、社内のざわめきが消えた。外の青色が、車内までを染めたからだろうか。本当は冷たく、未も凍えさせるようなものが、とても優しい色を湛えて、静かな時間を見守っている。一瞬の中にしか永遠はない。そんなことを、誰かが言った。これから、祖母を訪ねて、ほくほく線。僕は、そんな土地で生まれた。
2006年01月03日
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