心身健康レシピ(@自宅)byはんなりシェフ
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なんとなく、今朝、プレステ2を片付けてみた。この年にもなって、仮想の中の信長相手にムキになっていていいのか、という疑問が、ちょくちょくあったこともあり・・・。それはそれで意味があったのだろうけど、いつからか、ゲーム自体も「形式化」していた感じがある。気休め、と自分の中で「位置づけて」いたけど、ふと見直すと、どうも、気休めになってない。意外にそういうことは多い気がする。自分の中で「一度決めてしまった位置づけ」がまるで『ラベル』のように貼りついてしまう。そうすると、中身が変質していても、気づかないでいる。自分や環境が変わっていくにつれて、昔は自分にとってプラスだったものも、その効果を薄めてしまったり、いつか体に合わなくなってしまうことがある。中には、そのものに「賞味期限」があるものもある。たとえば、ストレス解消のための運動が「義務化」してしまい、できてないことにイライラや焦りを感じる、とか。「これは俺の夢だから」と思い続けて、そのためにお金と時間と労力をつぎこんできたものが、ふと見直すと、今の自分にとっては、何の魅力もなかったり、とか。僕なりの結論。「ラベル貼り」は危険だ。考え方を固定化して、下手をすれば、人生を狭くする。たぶん、そんなに大げさではなく。あの人はいい人。とか、いつも嫌なことを言う人、というのも、同じかもしれない。ラベルを貼ると、その先を考えなくなる。思考停止がおこる。「でも、まてよ?」「そもそもは・・・」「だったら、こうしてみようか?」みたいな柔軟性や、可動性、可変性が死んでしまう。それは、毎日を、つまんないものにしてしまう。「俺は忙しい」もそうかもしれない。「飲まなきゃやってられない」も、同じかも。「自分じゃなきゃだめなんだ」も、ありがち。『俺ってこうだから』も、相当危ない気がする。「ラベル貼り」になりやすい、典型だ。本当にそうなんだろうか?本当にそれは、「自由な感じで、満足があるんだろうか」?ひとつひとつ、自分のラベルをはがしてみると、中身が変質していたり、ドキドキするのと同時に、ひょっこり自分の成長が見えたりして、とてもスリリングな楽しみがある。そんな「自分の思い込みのたな卸し」が、自分の「ムリのない歩み」を作るんじゃないか。自分らしく生きる、という理想も、ラベル貼りというワナがたくさん待っている場所だとつくづく思う。「ムリのない歩み」にしか、自分らしさはない気がする。それが一番速かったりもする。これは登山で、体感的に教わったことでもある。ムリのなさは、努力や頑張りをしない、ってわけではない。努力や頑張りにムリを感じない精神状態でいられる、ということで、納得しながら、そんな努力や頑張り自体に「ちゃんと満足しながら、必死になれること」。それはプロセスなんだけど、きっと、結果自体を変えてしまう、大切なプロセスだ。というわけで、プレステ2を片付けてみた。というか、プレステ2を片付けるときの決意が前回と違っていたので、こんなことを考えた(笑)。「禁止」という強いものではない。本当にやりたくなったら、またやるかもしれない。または、その時点で何か代替案を出すかもしれない。固定しない。そもそも、自由の反対は、「固定」かもしれないな。結論は妙にシンプルだけれど、けっこういろんなシーンで、「自分を固定すること」で苦しんでいたりするんだろうなぁ。
2006年04月02日
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