風が伝えた愛の詩
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父を見送りました。私の備忘録として書きますので詳細で読みづらい内容かと思います。どうぞ適宜飛ばしてください。「最期」前回の日記の時は退院後の話へと進んでいたのですが医師から呼び出されたのが先週の月曜日 先月27日のことでした。微熱が続き、炎症反応が起きている。調べてみると新たな肺炎を起こしている。心不全から肺に水が溜まり前回の肺と反対側に炎症がある。原因がわからず、抗生物質を与えているが炎症は広がるばかりだ。と。この時、最悪命を落とす危険性も考えられるとも言われましたが前回の肺炎を克服しているので、この時も乗り越えてくれるだろうと思っていました。次に呼び出されたのは 木曜日の夜 3月2日 母の誕生日・・前回の呼び出しとは違い、「顔を見に来てくれ」といった内容でした。まさかと思いながら夜の病院へ出かけました。顔を見ると 眉間のあたりが黄色のような青みがかったような、くすんだ黄緑色をしていました。「危ない」と察知しました。酸素マスクをつけた顎を突き出すように枕を首にだけ当てられていました。母と私が着くとすぐに病院が消灯時刻となったこともあり「個室でゆっくりついてあげてください」父はゆっくりとベッドごと 個室に移動されました。手を見ました。むくんでいました。手の先白くなっていました。入院してから入浴できずの父で面会時間の制限や面会自体の制限でゆっくりとできず、はじめて父の手を拭くことができました。足もみました。足もむくんでいました。足の先は赤紫色で足の裏の皮がカサカサになってめくれています。両足きれいに拭いて。それから父の手と足のマッサージをしました。「呼吸が落ちています」看護師さんが呼吸の数値の見方を教えてくれました 確かに35%とか15%とか・・少ない数値に思えました。ところが足裏をタオルでこしこしこすったり手でもんだりすると75%とかになるのです。「脈拍が少なくなりました」その数値も、手をさすったりもんだりすると90~100に戻るのです。私は手と足をもみさえすれば、もしかしたら父は峠を越えるのではないかと思い呼吸と脈拍の数値を見ながら手や足をもみ続けていました。11時半をまわり、母をソファーに休ませ、私は父の足元に体を垂直にするようにして体を休めながら父の足をもんでいましたがうつらうつらしたのでしょう看護師さんが入ってこられました。呼吸数や脈拍も落ちているとのこと。母と私が顔をのぞかせ声を掛け大きく息をしたまま脈拍が0になったり。それでも手をさすると数が増えるので呼吸が停止ているとも思わずに一所懸命さすったり。手を止めると数値は再び0になるのを見て、やっと・・手や足をさするその振動だけで数値が出るのだとわかり心臓マッサージをしたり左胸をさすったり・・数値は変動しても結局心臓自体が再び動き出すことはありませんでした。午前1時47分。3日の日付に変わっていました。そこから葬儀屋さんのあちこちに連絡をとり、午前3時30に引き取りに来てもらいました。病院の近くの会館へひとまず父を安置して、母と私は始発を待っていったんそれぞれの家へ。母は父の写真を。私は父の羽織(以前着物を預かって洗ってほしたまま置いていたのです)を。そして喪服をもって再び会館へ。午前9時の約束でした。葬儀の形と段取りいろんな手配をいっきに話し合いました。4日が友引でもあり、火葬場の都合などもありとのことで、翌日の通夜、翌々日の葬儀という段取りとなりました。お寺さんの手配は・・家の仏壇の50回忌も済んでおり、大阪にいたころに来ていただいていた住職様、私が以前嫁いだ先でご縁をいただいた大阪の住職様、いろいろ迷いましたが・・結局葬儀社にお任せをして、母の家に近い住職様にお願いすることとなりました。「通夜・葬儀」無事に執り行えました。喪主は兄でした。母の兄弟の叔父・叔母が飛んで来てくださり、通夜の前から支えてくださいました。知恵となり足となり心にも言い尽くせぬほどの支えとなってくださったことに心から感謝しています。通夜には家族葬であるし、親戚みな高齢で遠方でいろんな状況にあることを鑑みて初めは全て終わってからの報告にしようかと話していましたが、結局お耳にいれるだけ入れておこうとなって電話すると、高齢・遠方・いろんな状況の中たくさんの人が集まってくださいました。申し訳なく、有難いことでした。「母」父の最期の時もそれとわからずいるようでしたので「危篤の状態にあるよ」と伝えたりもしました。あっけなく逝ってしまってしばらくなんで?となっていましたが・・思えばそれとわからずでよかったのだと思います。また母がこんなふうに状況がうまく判断できずになっていたのは、疲れでしょうか。一時的な鬱の初期症状のようにも思えるのでしばらく気を付けておかなければと思います。全国のお城を見にいくのが好きでおとなしく物静かなのにかなり行動的な母。この母には歩くことが一番の健康法だと思うので、父のことでガクッとなる前に気持ちの方向を外に向けて、自然の力でもって元気さを取り戻してもらおうと思っています。「父」〇昨日家に行くと父の財布がありました。カードなど一枚ももたない父の財布の一枚だけ紙のカードがありました。引き出してみると、母と私と兄ふたりの携帯番号が並んで書かれていました。父の筆跡でした。〇父の手帳が出てきました。2016年の小さな手帳。ページを開くと一行目に昭和34年1月26日結婚記念日これだけ書かれていました。他になんにもかかれず手帳の中これだけがやはり父の筆跡でありました。父は新しい手帳を手にするとこれだけを毎年書き換えてきたのでしょうか。父が忘れずにいたいと思っていたものは私たちの連絡先と母との結婚記念日と。でした。「子」葬儀の後、4人で家に帰りました。兄は自分の部屋へ下の兄もテレビつけて母は洗濯物の取り入れあれれと思いながら父の祭壇を作りました。お骨をおいて遺影を飾りおろうそくに火をともし、線香にも火をつけました。それから言いました。「にいちゃんしんちゃんみな集合!」母さんもきました。まず父に向かい手を合わせまして母が「これからは家族4人で頑張ります」といいました。「父さんがいなくなったから、父さん、母さんのことは私たち3人で守ります」と誓いの言葉を述べて、さらに母のことを同居の兄に頼みました。光熱費やマンションの管理費の引き落としを兄の口座に変えてもらうなどもろもろのお願いをして、「解散!」「母さん、今日は帰ってまた明日来るわ」と言って帰ってきました。
March 7, 2017
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