2004年02月02日
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音楽におけるある傾向性について





音楽の歴史を遡行することには、その探究、研究のために役立つ部分とそうでない部分とがある。優れた音楽史は後者を巧みに排除している。

そしてまた、音楽史を語るとき肝要なのは、どんな視点がそれを見つめているかである。

いかに正確かつ利便性ある音楽史を編んだとしても、それはすでに完結したプロジェクトであり、今日における意味を見出すことはできない。

一つの、己が語らされる業をもった何かによって記述されなければ、音楽史論に意味はないのだ。

わたしがここで試みるのは歴史の進展と歩みをともした音楽というジャンルを基本的には時系列にそって素描してみることである。

そのとき、歴史ということばは特定の意味を持つ。
「人類の歴史は脱呪術化、耐えざる啓蒙」
「わたしたちは信じたいとは思わない。ただ知りたい」

無意識の映像を明るみに出す」
「自由連想法は両者が対等に語り合うカウンセリング形式へと変化していった」
「映画の制作において、人間は機械との関係性形成の方法論を会得する」
「貧困→技術、大量生産大量消費→個別、特別製、独自」

何れのことばも著名な作家によるものをパラフレーズし、あえてその統一感にはこだわることなく列挙したのが上のパラグラフだ。

今少しの間、にたような試みを行おう。

「ユニクロは時代遅れだ。これからは自分のデザインを含めたオーダーメードへと近づいていく」
「今の時代にコンセンサスはない。ヒーローもいない。」
「コンピュータの優れたエディタは、優れた文書を市井の
人々にその形成契機を与えている」
「コンピュータは歴史的にフリー、共有のものである。UNIXの精神を受け継ぐ勢力が、共同と共有のソフトウェア伝統の維持に力を注いでいる」


そしてその意図は、これに続く一つの歴史認識へのおぼろげなヴィジョンを消費者各々が無意識里にいだくであろうことを予想し、記述を具体性高いものへと移行させていく、の
流れにある。

もっとも原初的な音楽は、儀式、とりわけ呪術、宗教的儀式においてむしろ祈りのことば、感謝の発声などのかたちであらわれた(音楽ということばは、ここでは広義に用いられている)。

このとき音楽を支配できるのは村の祈祷師であり、村長、長老といった特別な存在がそのコントロールを行った。このとき、例えば雨乞いの祈りの場合を考えてみよう。
祈祷師は何か道具を振り回すかもしれない。聞き取れないことばを発するかもしれない。



クラシック音楽ということばがある。古典、という広い解釈をなすならば、民族音楽なるものもこれにふくまれることになる。民族音楽とは、しかし、屈辱的な名前であると考えねばならない。それはローカル音楽というネガティヴな意味合いをもつものであり、その内実においてもまた、ローカルにしか通用しない力量、少なくともそういった性質があるのだ。

いわゆるクラシック音楽において作曲家を作るのは才能の他にあまりに多くのお膳立てが必要とされる。当時のまさに特権階級にあった人間たちが特権的にピアノを所有し、特別に音楽の教師をつける。そしてごく少数の音楽家が生まれる。さらに、その音楽を聴くことのできる階級、できない階級とは厳然と存在し、前者は氷山の一角である。

しかし、これらは白人特権階級の快楽文脈に奉仕するものしか作ることのできないメカニズムであると言える。少なくとも、そうした性質を帯びてしまうことは回避できない。

そのことに対し批評的であったシェーンベルクらは調正の解体を試みた。しかし、そういった音楽は逆にどのローカル共同体にとっても安心感を与えることができなかった。音楽芸術の域をでなかったのである。

ヒンデミットやヴァイルは時代が特定少数者の独占から大衆主役へと移行していくことを看過しなかった。かれらの音楽には、より広い人々へのメディアたりえるものがあった。

シャンソン、ロック、ポップ、ゴスペル。本格的な大衆音楽の到来である。ここで前パラグラフまでと決定的に異なる地平に、音楽はいたる。3歳からピアノを習って無くても、音楽をならすことができるのだ。

これらの音楽を語弊があることを承知の上で広義のポップミュージックと呼ぼう。ポップは、多くの人間を作る側として受け入れる。しかしなによりその特性はポップという名自体が既に表明している汎用性、通俗性である。

ビョークは「ポップミュージックにこそ一番可能性がある」と言った。それはとにもかくにも伝播していく力がそこにあるからだ。

’70年代後半に現れたパンクという手法(あえてスタイルとは呼ばない)は、高度なギターテクニックも、幼少期からの音楽との親しみも必要としない。スリーコードのマジックは、言いたいことがあればそれで十分に効果を発揮するのだ。

同じ時期に生まれたHIP-HOPにおいては、もはや楽器すら必要ない。HIP-HOPの特長は、ミュージシャンの真似をリスナーがするのではなく、その逆だというところだ。ミュージシャンはストリートからファッションを拝借する。
このころには、ヒーロー的ミュージシャンは消えていた。カリスマ的ミュージシャンがポップの主役ではなくなっていったのだ。

80年代はじめの日本でネオアコと言われる系統の音楽をならした若者たちは、ハンサムでファッショナブルだが、威厳だとか迫力はない。普通の男の子たちであった。フレディ・マーキュリーや初期デビッド・ボウイを、ロディ・フレイムやエドウィン・コリンズと比較してもらいたい。

テクノロジーの発達は音楽にも当然大きな影響をあたえる。シンセサイザーやサンプリングがどれだけ多くの作曲家を養成しただろうか。

90年代の主役はオーディエンスだ、といったジョン・スクワイアのことばはまさに喝破というにふさわしいものであろう。

クラブ、レイヴの対等、も非常に大きな意味を持つ。そこには作曲家はいない。音楽を鳴らすものはターンテーブルの前にいるが、ライトを当てられることもあまりない。DJと呼ばれるその人々は、ステージを降りたのだ。

カリスマDJなどというのはカリスマ流通業販売員と同様、退行であり反動であり、恥さらしの宣伝だ。

PCのマルチタスクは文書を作成しながら音楽再生ソフトで音楽を聴くことができる。歴史を振り返ってみてほしい。原初の音楽を思い出してほしい。わたしたちは、気軽に音楽を聴いている。音楽に対して、人間は優位に立ったのだ。そして音楽は広義のTextとして明示的にできる。

補足ながら90年代に大活躍したオエイシスというバンドの音楽は「みんなの歌」と呼ばれ、ローゼズがダンスのグルーヴによる一体感までたどりついたあとに、合唱という領域にまでたどり着いた。その音楽の中には、どんな民族音楽にも真似のできない汎用性がある。

シェーンベルク架空インタビュー






シェーンベルク Arnold Sch#nberg [1874-1951]
オーストリアのユダヤ系作曲家。ウィーンに生まれ,
作曲は後年ツェムリンスキーに短期間学んだ以外ほとんど
独学で修めた。20世紀音楽の方向を決定づけた作曲家の
一人で,無調音楽からさらに十二音音楽を築き,門下の
ウェーベルン,ベルクとともに第2次ウィーン楽派(新
ウィーン楽派)とも呼ばれる。ウィーンではマーラーとも
親交を結び,弦楽六重奏曲《清められた夜》(1899年,
のち弦楽合奏版に編曲),交響詩《ペレアスとメリザン
ド》(1903年),語り手と独唱,合唱,大管弦楽のため
の《グレの歌》(1900年-1911年)などで後期ロマン派
の表現様式を極限まで突きつめたのち,《室内交響曲第
1番》(1906年)などで徐々に調性からの離脱を示した。
《ゲオルゲ歌曲集,架空庭園の書》(1909年)などで無調
時代に入り,《3つのピアノ曲》(1909年)などを経て,
モノドラマ《期待》(1909年),声と室内楽のための
《ピエロ・リュネール(月に憑つかれたピエロ)》
(1912年)などの傑作が誕生。この2作はベルクのオペラ
とともに,音楽における表現主義の代表的作品となった。
1923年発表の《5つのピアノ曲》から12音技法を採用し,
同年完成された《ピアノ組曲》でその手法を確」立。1925
年にベルリンに移り,《管弦楽のための変奏曲》
(1928年),オペラ《モーゼとアロン》(1930年-1932年,
未完)を作曲するが,ナチスの台頭により1933年に米国へ
亡命,1941年米国市民権を取得。その後も,ナチズムの犠
牲者に棒げられた《ワルシャワの生残り》(1947年),
バイオリンとピアノのための《ファンタジー》(1949年)
などの密度の高い作品を残した。





お会いできて光栄です。

「よろしく」

先ずお聞きしたいのは、貴方のラディカルな作曲法に
ついてです。黒鍵と白鍵の差別を排除し、全ての音を
12に分け、一つの音を使ったら、他の11の音を使うま
でその音は使わない。この手法は一体どうして生まれ
たのでしょう?

「それは当然ロシア革命の影響、社会主義の音楽への
適用だね。音楽の世界で平等ということを実現したかった」

あなたは現代の音楽をどうお考えですか?

「わたしはもう音楽には興味ないよ」

それはどうしてですか?

「わたしはね、自分が音楽を終わらせたと思ってる」

音楽を終わらせた?それはどういう意味ですか?

「20世紀に入るに及び、世界に生じた変化は分かるね?」

ええっと、情報網、交通網の発達によるグローバル化、
そして大衆化ですか?

「そう、その通り。グローバル空間において音楽は
鳴り得ない」

そこのところをもう少し詳しく教えてほしいのですが…

「音楽というものはローカル共同体の中で自分がその約束
事に従っているという安心感を与えてくれるものだ。
従ってローカル共同体の中で生きることができなく
なった時代に、音楽は共通言語とはなり得ない」

大衆化、階級の問題はどうでしょう?

「もちろんそれもある。旧来の音楽、いわゆるクラシック
音楽は白人特権階級の快楽文脈に奉仕するものだった。
大衆の台頭移行、音楽は変質を迫られて当然だ」

それでは、ジャズやシャンソン、ロックのような大衆
音楽はいかがですか?

「そういった音楽はある意味で巧みに作られている。
たとえばビートルズは世界的に流行した。しかし、
このことは彼らの音楽が本当に共通言語に、音楽の
エスペラントになったということを意味してはいない。」

もう少し詳しく訊きたいですね。

「たとえば黒人音楽を考えてみよう。そこで使われる
手法にわざと音を半音高くするブルーノートというものが
ある。この“ずらし”によって本来ローカルにしか
響かない音をごまかし的に広く届けているというわけだ」

ビートルズの場合はどうなんですか?

「ロックの場合ブルーノートではなくノイズがずらしと
ごまかしの手法として使われている。グローバルに通用
する音楽の文脈というものは存在しないが、ノイズに
よってぶれる音は曖昧にならやや広い範囲に届くことになる」

それでは最後に一つ伺います。音楽を離れた貴方が
今興味を持っていることはなんでしょう?

「プログラミングだね」





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最終更新日  2004年02月02日 01時06分41秒
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