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次は名古屋だぎゃぁ~・・2月6日の愛知名古屋トリプル選挙の結果の報を受けて、 信長の時代と現在がタイムスリップしたように感じるのは吾輩だけでしょうか。今回の尾張名古屋選挙の洗礼は、単なる民主党・自民党等の既成政党への不満を越えて「政治屋でなく直接参加するボランティアが時間を捻出し、安いCOSTで政治をするもの」だと言うエポックメイキング’’峠’ではないでしょうか。面白そうな大村新知事は、2008年12月末’’年越し派遣村’’時に厚労省副大臣 だった。自民党の枠をはみ出して、湯浅派遣村村長の直接懇請を受け入れ、厚労省庁舎の一時開放に踏み切った決断の人物だ。愛知尾張の方々は、迫りくる財政難日本を明るく民間の力で立て直すのに、日本で最初に政治屋に『おわり』を告げたのでしょう。 変化をもたらした愛知・名古屋と関西は、共に日本の東京一極集中に異議を唱えている2大巨頭地域だ。名古屋と関西は、九州新幹線開通とJR東海による名古屋まで(いずれ奈良経由の大阪まで)のリニア中央新幹線の開通時期が決まり、中国・韓国との経済・観光拡大で関西空港や中部国際空港が活性化しだすこと、北陸新幹線の大阪への延伸費用を抑えて、米原までの延伸で大阪・名古屋・京都・滋賀等とは東海道新幹線へ米原乗換で北陸・関西&東海が繋がる。これで東京の一極集中に分散の芽が出て来るような予感がする。 そこで、東海(関東)・関西を隔てていた2ルート、北の不破の関「関ヶ原」(=関東・関西の言われ)か、南の「関(せき)の山」の東海道53次や1号線ルートの「関」かに話を移しましょう。 先ず、天皇制への権力集中と天皇制を核にした内乱を防ぐ手立てに使われたと推測される、日本史上最大の内乱「壬申の乱」672年が、なんと関ヶ原で行われたのです。関ヶ原に殺到している’’歴女’’にも知って欲しい戦いです。 南の「関」に通じる話としては、後醍醐天皇が、鎌倉幕府倒幕に挙兵し、最初に幕府軍とのドンパチ宣言したのは「笠置山」伊賀ルートとなっているが一挙には大勢を決められなかった。どちらが優勢かを決め、天下に広く示すには平面で谷が一本化していない「関」よりも、谷間伝いの「関ヶ原」の方が決着付けやすく信越や北陸も意識して要の決戦舞台として選ばれている。 その「関ヶ原」ルートの岐阜・大垣は信長(秀吉)のエリアであり、天下取りの戦国武将では最も有利であったとも言える。 好きな「奥の細道」も文芸の世界ではあるが、大垣が終点になっており、芭蕉の深層にこのような日本の『へそ』の意識があったと言えなくもないのではないかと。 岐阜を地盤とする大野伴睦(ばんぼく)自民党副総裁が、距離や降雪を無視して名神高速道路、東海道新幹線を岐阜羽島等経由の「関ヶ原」ルートを強引に決断したことに、学者&庶民が反論しなかったのも、天下分け目の歴史呪縛にかかっていたとしか言いようが無いのである。画して50数年振りの2008年新名神が「関」ルートで開通して、道路の方は関東を結ぶに東海道53次の穏当な路線に戻り、相当短縮出来た。有軌路(鉄道)の方もリニアで90数年振りにやっと「関ヶ原」の呪縛から逃れ、奈良ルートで東海・関西の最短直結になるだろう。 そんな尾張名古屋と関西の繋がりを関ヶ原・関を軸に、より大きな勢力にしてインパクトのある日本の‘’へそ‘’にしようでは無いですか。
2011.02.08
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1月21日(金)のアジアカップ準々決勝カタール戦、25日準決勝韓国戦、29日決勝オーストラリア戦と、若いサーカー日本代表‘’ザック・ジャパン‘’に心が躍った。アジアカップ最終戦の決勝点を延長戦でアシストしたサイドバック長友佑都選手が、名門インテル・ミラノに電撃移籍し、2月6日のローマ戦に後半30分から出場を果たした。インテルの監督は、鹿島でも活躍していたブラジルのソクラテス選手が指揮を取っているのでびっくりだ。長友55番の活躍が大いに期待出来そうだ。FIFA2014年ブラジルワールドカップ(W杯)が楽しみになってきた。期待を込めて、若手等の成長について述べてみたい。 MF香川真司選手は、2010年南アフリカW杯の際は前評判で代表確実と言われながら選出漏れで涙を呑んだ。 しかし独ブンデスリーガ ドルトムント移籍後得点ラッシュでトップ独走に貢献し、新生日本代表攻撃陣の‘’要‘’に成長した。残念ながら香川選手はアジアカップ韓国戦で骨折をし、3カ月のリハビリを余儀なくされた。タフそうなので独ブンデスリーガの今シーズン最終局面には復帰し活躍が可能だ。このアクシデントをバネにして、精神的に成長してくれるだろう。 次に、アジアカップMVPのMF本田圭佑選手は、延長戦が度重なったものの運動量は落ちず、MF遠藤保仁選手の攻撃組み立てに沿って八面六臂の活躍だった。確かに香川選手の骨折欠場がなければ、MVPを香川選手に奪われていた可能性も有り得たが、やはり今年度の年間最優秀選手賞も含めて順当な受賞だ。2006年独W杯の際、MF中田英寿選手、MF中村信輔選手とスタープレーヤーがいる中で、チーム全体が勝利に向け突き進むというまとまりに欠けていた。特にレッドカードの退場者が出た局面では、独W杯代表チームより新生日本代表の方が現場での即座な連携と再構築が機能していた。若手の強気そうな本田選手やアジアカップは故障欠場していた松井大輔選手等が、年長者の遠藤選手等に敬意を払って、温厚な長谷部誠主将の元に結束して和が乱れなかった。 その次に、勝敗は監督の力量・采配に左右されるとよく言われる。伊アルベルト・ザッケローニ監督(通称ザック)が、アジアカップ決勝戦の0:0から延長戦突入後に、長友選手を防御中心のDFから攻撃的サイドバックに専念させることに切り替えてから得点チャンスが一気に増えた。素人でも良くわかるぐらいの名采配だった。これからブラジルW杯に向けて、各選手が欧州リーグやJ-リーグで個人のレべルを磨きアップし、監督がそれに若干の修正味付けをするのみでは‘’ザック・ジャパン‘’のブラジルW杯での上位進出は厳しいだろう。1960年代独クラマーコーチにサッカー日本代表の戦術や基本をたたき込まれ、FW釜本選手やMF(ウィング)杉山選手等の活躍で1968年メキシコ五輪大会銅メダルに結実した。その後も海外から伝手に頼って‘92年からハンス・オフト監督を皮切りに、ファルカン監督、フィリップ・トルシェ監督、ジーコ監督、イビチャ・オシム監督と招聘した。岡田武史監督の南アW杯を経て、伝手に頼らない海外大物監督の交渉による招聘に舵を切った。ここで登場したのがイタリアのザック監督だ。やはりイタリア セリエAの有力チームで実績を挙げたザック監督はプロの監督だなぁと思わせる。南アW杯迄の日本代表の戦術的特徴は、守備を多数で集中して行い、カウンターアタックにより速攻で得点する。攻撃の際は特にセットプレーを重視する等が挙げられる。この特徴をどこまで生かし少しの味付けではなく大幅な戦略注入により、ザック流の’‘得点力’‘を挙げるかに期待する。萌芽として、長友選手を昔のウイング様に攻撃的サイドバックで多用する。それを香川選手や岡崎選手、或いは李友成選手、更にはオランダ フェイエノールトでデビューしたFW宮内亮18歳等がFWとして得点に繋げ、本田選手や松井選手等が相手球を奪い、縦パスで前に中継する方式が見えてきている。 欧州サッカーリーグへ多数の名選手を送り出している南米選手権に、今年半ばオープン参加が決まっている。味付けした‘’ザック・ジャパン‘’がどこまで通用するのかを首を長くして待ちたい。また、22歳以下のロンドン五輪大会を目指す、若手宮内選手等若手の活躍も見ておきたい。このような話はほんまにワクワクする。政界や大相撲の八百長事件で鬱蒼している世の中の閉塞感には、‘’ザック・ジャパン‘’が世界に目を向け、羽ばたいているのを応援するのは,前向きで大いに結構だ。
2011.02.08
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美に関しては、口が裂けても偉そうなことは言えない。しかし健康に関しては毎日朝の散歩30分は汗をかく程度と週1回程度のペースで温泉に浸っている。爽快感があり健康が保られている秘訣と思っている。
2011.02.03
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チュニジア民主化を導火線にして、あっと言う間にエジプトへ伝播し、これからヨルダン、イエメン、更にはサウジアラビア、モロッコ等の王国にも民主化の動きは飛び火しようとしている。各種メディアの報道では、反イスラエル、反米の流れで、イスラム原理主義が台頭し、それを懸念する欧米の介入等が中東の政治的不安定要因となり、今後石油・天然ガスの高騰が予想されるとのことらしい。インターネットのFacebook等SNSによる情報の瞬時のやり取りを、権力側がインターネット回線の遮断とか試みても、電話に転送される等されて、権力側の思う様な通信規制が効かなくなっているのが、民主化の伝播力に輪を懸けているようだ。 日本人にとって、イスラム原理主義は良く判らない、遠い中東の話という訳には済まされない様な、世界の緊急事態となりつつある。そこで中東アラブ社会の歴史を少しおさらいしてみよう。 先ずエジプトは、世界4大文明「ナイル文明」の発祥の地だ。その世界遺産でも特に有名なのがピラミッドとツタン・カーメン王黄金の墳墓(紀元前1333年に王に就任し、9年在位し、19歳でマラリヤ説が高いが病没、或いは暗殺されてとも言われている。)だ。その後ローマ帝国が幅を利かしていた時代は、世紀の美女クレオパトラに代表される如く、ローマ帝国の支配が強い時代が続く。その後、アラブ世界では、1300年前イスラム教の布教が始まり、オスマントルコが台頭し、西欧ハプスブルク家や東ローマ帝国等と拮抗する時代が続く。オスマントルコが没落する過程で、イギリス・フランスがスエズ・イスラエル・パレスチナ地域に植民地として君臨し、エジプトにスエズ運河を開通させる。この流れと並行して、旧約聖書にでてくる「モーゼの十戒」ユダヤ教の聖地であるエルサレムから、ユダヤ人が追い出される事態がおこる。ヒットラーのユダヤ人虐殺(ホロコースト)を契機に、イギリス等の後押しで、第2次大戦後世界中から戻ったユダヤ人によってエルサレム拠点のイスラエル建国が為される。当然パレスチナ人が追い出されてユダヤ人が入植した形を取ることになり、これがアラブのイスラム社会が結束した「防衛ジハード(聖戦)」が今日まで続くことになる。 1956年エジプトの自由将校団ナセル中佐(為せる)が、1次中東戦争に勝利し、スエズ運河の権益を持つイギリス・フランスからの奪取に成功する。一方イスラエルは、米国からの近代兵器導入により、2次、3次中東戦争に勝利し、アラブ世界に対し軍事的な優位性を保持する。極めつけは、南アフリカがアパルトヘイト(人種隔離政策)で国際世論の反発を受け、開発済核兵器を廃棄した。その間超極秘にイスラエルが、南アの廃棄前の核兵器技術を導入したと噂されている。そんな中で、ナセル大統領没後のサダト副大統領(自由将校団出身)が、大統領就任し、イスラエルとの兵力格差を認め支援を受けたソ連と決別し、米国寄りに舵を切った。サダト大統領が暗殺された後も、同じ軍隊出身の現在のムバラク大統領が権力を継承し、親米路線を踏襲して今日に至る。 途中対イスラエル包囲網でアラブの盟主として、1958年シリアとアラブ連合共和国を作ったが、‘61年シリアが離脱、国名はエジプト・アラブ共和国(エジプト)で、アラブの盟主としての名を留めている。 エジプトが親米路線となった為、「防衛ジハード(聖戦)」は頓挫するが、そんな中、オサマビン・ラディンのアルカイダがイスラム原理主義を旗印にアラブの若者に浸透していくことになる。皮肉にもオサマビン・ラディンは、アフガニスタンにソ連が進駐していた際、米国から軍事支援を受けた。また、イラクの湾岸戦争を起こした故フセイン元大統領がイラン・イラク戦争を起こした際も、米国は反米のイランに対抗する為に、フセインに相当肩入れした経緯がある。そのような中でエジプトの民主化は一気にイスラム勢力を勢い付かせ、先進国が危惧するエネルギー資源の供給不安定に結ぶ付く可能性がある為、ソフトな政権移行を祈らざるを得ない。 今回の民主化の流れは、アラブ社会に留まらず、共産党一党独裁の中国にも及んでいく可能性がある為、日本が経済的に大きく依存している中国市場が不安定にならないよう、仮にそのような動きがあったとしても、ソフトな民主化の流れを取り入れて貰うことを祈り、常日頃から中国の色んな層の方々に助言を続ける必要があるだろう。
2011.02.02
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