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帰国後まもなく、私には「子どもができない」という悩みがありました。初めて知った私の挫折?感です。今までは自分がしたことは自分に跳ね返ってきましたが、こればかりは、努力してもどうにもならなかったのです。そんな苦しい理由もあったので、英語の学習をすることによって、そのような心の葛藤から逃げていました。年賀状が来るたびに、「生まれました」の文字と赤ちゃんがはがきいっぱいに微笑んでいるのを見るたびにどれほど落ち込んだものか・・・。子どもが集まる場所を避けるようにもなりました。ファミレスは絶対に行かなかったし、昼間外を歩くのもいやだった。ベビーカーの親子を見るのがつらかったから・・・。旅行は、子どもが絶対に行かないところを選んだり・・・ハワイの隠れ家やアフリカなど。私より後に結婚した友達にどんどん子どもが出来ていく。焦りました。世間は「子どもを産んであたりまえ」の風潮があって、私が何を努力しようとも、なにを達成しようとも、「子どもがいなくちゃね」という目で見られていたような被害妄想まで感じていました。この厳しい現実から逃れるためにもなにかをしていないとやってられない、というのでしょうか・・。英語を勉強している時だけが、悩まなくてすむ時間だったのです。妊娠するまでのことは、ここでは省きます。ただ、とても苦しく、短い人生で最大に悩んだ時期だということだけは申し上げておきます。自分の力ではどうにもならないことがこの世には存在することを知りました。また主観的なパーソナルな質問を、他人には決してしてはいけないこと、他人の気持ちを大切にするために、「何も言わない」ということも大切であると教えられました。英語学習は、現実から逃避でした。そして、がむしゃらに勉強したことが、結果として英語力向上の助けになっていたのでした。
2004年12月21日
インターのクラスには、英検1級保持者がたくさんいました。私も英検でも受けてみようかな。自信がなく悩みましたが「1級なら落ちても恥ずかしくないけど、準1級に落ちると恥ずかしい」という気持ちから、なんとなく英検1級を「こっそり」受験することにしました。勉強は過去問のテキストを一冊やりました。試験当日、会場につくと、みなすごい。緊張がみなぎり、テキストを見たりしている。そのテキストもマーカーで塗られていたりして、「みんなすごい勉強してきたんだ」と思いました。私には会場に持参したテキストもなく、周りの受験生の観察をしていました。「こんな風にしっかり勉強しなくちゃだめなんだよね~」と反省しきり。その雰囲気でかなり滅入りました。テストは、過去問と同じレベルだったかな。さて、1ヵ月後にテスト結果が送られてきました。「不合格Cだったらいやだな。不合格Bでありますように・・・」と願いながら封をあけると、なんと「合格」の二文字が!うっそ~!という感じでした。人生で一番うれしかった。はっきり言って結婚よりうれしかった)。2次試験なんて考えてもいないのに、あと数週間後に迫っているわけです。それに2次試験日の当日までハワイに行く予定なのに、受験さえもできない!とりあえず1万円をかけて、前日に帰国する便に変更はしたものの、ハワイでは一切英検の勉強はせずに過ごしてしまいました。あたりまえか・・・。帰国翌日の2次試験。やっぱり不合格。当然よね。それからの4ヶ月間は、2次試験に向けてがんばりました。リスニングとスピーチ。スピーチは、その当時の試験内容が確か、何人かの受験者を一グループとして、自分の順番が回ってきたら起立して、自分の封筒を開けて紙に書いてある二つのトピックから一つを選び1分で考えをまとめる。「始めてください」という合図で、それに対する意見を2分間でスピーチするといったもの。試験官は、ネイティブと日本人が一人ずつ。スピーチに関しては、内容がなくペラペラと英語を話しても不合格になる、という話を聞いていたので、内容のある文章を組み立てる訓練をした。リスニングは、インターで今までニュース英語を聞いてきたので、過去問のリスニングはさほど難しくは感じませんでしたが、スピーチだけは、当日試験で、自分の順番が回ってきて自分の封筒を開けてトピックを見るまではなんともいえません。2次試験は3回まで受験できるチャンスがのこっています。でも、今回合格できないと、次の試験ではあまりにもプレッシャーがかかりすぎてしまう。この2次試験、私のスピーチの番は4番目か5番目だった。たしか「女性の地位」と、もう一つのトピック(完全に忘れました)から一つを選ぶものだったと思う。たいてい、内容からして、パーソナルの方が簡単だろうと思うのだけど、なかなか内容が作りにくいので、私は「ソーシャルなトピック」を選ぶと決めていた。「女性の地位」というトピックは、確か、今直面している女性の仕事状況や子供の数などをメインセンテンスに上げて、それをサポートする文章をいくつか言って2分になってしまった。私の後に、10人ぐらいの受験者がいて、ずっと聞いていると、面白い。「あ、この人絶対に受かるな」と思う人と「あ、無理だろうね」という人がはっきりとわかる。まず、無理な人。「I like curry rice. Because it is good.…」沈黙が続く。時間切れ。その他、「I am a working Mom. I work as an English teacher at high school. I am very busy. Before I work, I rush to the nursery school to pass my kids.」と一日のことを説明して時間切れ。試験官に、「あなたは忙しい毎日を過ごしているらしいけれども、何を言いたかったのですか?」といわれてしまった。内容がないと、やっぱり難しいのかな・・・と。合格しそうだな、という人は、短いながらも自分の意見がきちんと簡単にコンパクトにまとまっているスピーチをする人。話題はソーシャルでもパーソナルでもどちらでも限らず、自分の意見が簡単でもいいからきちんといわないとダメみたい。英検1級合格、27歳の時でした。この合格のおかげで、会話学校で「英検準一級講座」を受け持たせてもらえるようになりました。ちょっと得した気分でした。運転免許よりお金になると思いました。
2004年12月13日
帰国後、私が留学で得た英語力は、英語を使って何かをしようと思うには本当に低いもので、なんの役にもたたないものでした。帰国後1年ぐらいで、ある英会話学校に務めることになりました。「子ども英語」が中心でした(詳しくは「赤ちゃんからの英語レッスン」をお読みください。そのときの苦悩の日々をご紹介してあります)。私も講師として、自分の英語力にはまだまだ満足はしていませんでしたので、アルクの「TIME マラソン」というのを受講することになりました。む、難しすぎる・・・.。毎月のテストもこなすのですが、いるんですよね、毎回満点取る人が・・・.。私なんて優秀者名簿にかすりもしませんでした(毎回ちょっと期待して提出するのですが)。そこで、友達の紹介で、インタースクールに通い始めました。通訳にも興味があったので、トライアルクラスを受講してみると、「この世界は向いていない」とすぐに思いました。理由は「大変すぎる」「厳しすぎる」から。通訳の時間は「15分から20分」刻み、つまりあまりにも神経をつかうのでこれ以上の時間は無理とのこと。それにいつもいつも国際情勢やその他の分野に精通していなければ、英語力だけでは決して勤まらないこと、などなど考え合わせると、私の器量では無理だとすぐにわかりました。当時、私が入ったコースはアドバンスドリスニングとライティングのコースだったと記憶しています(もう10年以上も前のことなので、今はかなり変わっていると思います)。ここでは、ニューズウィークやタイム、その他の雑誌の記事を読み、英語のニュースを聞いてそれに対しての議論が中心でした。そして毎回そのテーマについてのエッセイを書かせるのが宿題。アメリカのカレッジのクラスより難易度ははるかに高かった。アメリカのカレッジは、高校の授業内容程度で、日本語で受けていたらそれほど難しいものではなかったからです。でも、アメリカの大学では本を何冊も読まなければいけないので、時間的に苦しかったが、インターのクラスで出る課題は、週に2~3時間ぐらいの勉強量で何とかなる感じ。内容難しいけど。私のとったクラスは午前中のクラス(自分の勤める英会話学校は夕方からが忙しくなるので)で、お医者さんや学校の先生もいれば、私みたいに単なる「英語が好きな主婦です」という人も結構多かった。クラスの後、みなでお茶をすると、英語の話で盛り上がる。みんな自慢するわけでもなく謙虚で本当にいい人たちばかりだった。なんというか「心に余裕がある」といった感じで、いつも余裕のない自分を反省したものでした。 英字新聞は、社説をノートに要約するのが日課でもありました。今思うと時間がないとなかなか出来ない作業だな・・・と思います。子どものいないお気楽主婦のなせるワザかな。。。と。インタースクールには、2年ぐらい通ったと記憶しています。(あまりに遠い話で、詳細に覚えていないのが悲しい・・・)
2004年12月09日
帰国したら25歳ほどになっていました。若かった私もお肌の曲がり角、といったところ。日常会話や、興味のある講演会なら英語で聞き取れるほどの英語力は出来ていたと思います。ただ、その英語力でなにか即戦力というほどのものではありませんでした。帰国後まもなく、知り合いのお子さん(中学2年生)の英語を見てほしい、と頼まれました。断ることも出来ず(あまり乗り気ではなかったのですが)、引き受けることになりました。彼女は、中堅の私立の中学に通っていました。彼女から聞く学校の雰囲気とか、学習態度とか、先生の熱心さとか、私立の持つ特性に感心し、公立出身の私は、彼女からたくさんのことを学びました。みな生徒がまじめに学習している、というきちんとした雰囲気が伝わってくるのです。彼女も英語をとてもよく勉強していて、私が出した宿題をとてもよくこなしてきます。いつも彼女の英語は上位の成績でした。彼女も勉強すればするほど、成績がよくなるのですからきっとうれしかったのだと思います。彼女とは受験期を向かえる高校3年生までのお付き合いでした。3年生ともなると、(私の覚えている限りでは)「日本ではゴミ問題が深刻で、汚物処理施設を作らなければならないという問題を抱えている」という英作文もすらすらと書けるようにまで進歩していました。反対に指導する方の私の英語力も問われてきますので、私も、受験英語をもう一度勉強する決心をしました(彼女には内緒で)。数年前受験で学習した参考書を実家から持ってきました。「出る単」「出る熟」(関西では「しけ単」って言うらしいです。夫に「しけてるみたいだね」といったら、「しけているもん」との返事。ほんまかいな?)、駿台シリーズの英作文、文法、長文問題など「難解」といわれるシリーズも大学受験のときに、思えば納得するまできちんとこなしきれていませんでした。それをもう一度勉強しました。彼女は、無事、大学にも合格し私も責任を果たすことが出来、またお月謝もいただきながら、自分の勉強までさせていただきました。この家庭教師のおかげで、日本の大学受験英語には、かなり明るくなりました。
2004年12月05日
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