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兄(ポケ)と妹(プリ)のわくわく子供英語長い間ご無沙汰しているこのブログに、小学校2年生と年長さんのお子さんをお持ちのお父様から相互リンクのご連絡をいただきました。「赤ちゃんからの英語レッスン」を世に出して9年も経ちますが、このようにご連絡をいただけるなんて本当に感激です。赤ちゃんだった娘たちも、今は高校2年生と中学3年生です。本当に大きくなりました。もちろん「赤ちゃんからの英語レッスン」の効果は出ている!と思っています。相互リンクをさせていただきました、ポケくんとプリちゃんの英語レッスンを応援いたします。ポケちゃんは小学校2年でもう英検3級を受験して見事1次試験合格だそうです。明日の2次試験のテスト頑張ってください。
2013年02月23日
お子さんと一緒に参加するサイトワード講座セミナーを丸の内丸善で行ないます。この講座では、CTPのSight Word Readers絵本を使って、単語をお母さんと一緒にならべていきます。子どもが文字を読みながらカードを並べる姿は、感動です!カードにできるハンドアウト(カラー)は、当日会場で販売されます。これを使うとカード作りが簡単です。Sight Word ReadersはCTP(Creatitve Teaching Press)社の絵本セットです。著書でご紹介しているCTP96冊は、Learn to Readというジャンルで絵本を楽しみながら英語理解ができる絵本です。さてこのSight Word Readersの魅力を挙げてみると 絵がきれい繰り返しが多く暗唱しやすいCDではリズムにあわせて朗読している英語センス絵本12冊・CD1枚ついて3680円とお得。絵本は各8ページ0歳~3歳ぐらいまでは初めての英語絵本・暗唱用に。4歳~8歳ぐらいまでは、暗唱と文字導入として 新版「赤ちゃんからの英語レッスン」では絵で説明していますが、セミナーでは実際にお子さんに並べてもらいます。皆様のお越しをお待ちしております。 *************************************中村敦孔 & ミセス・ミヤコのためになるワークショップ (第1回目)中村敦孔:自分で絵本が読める!!CTP社のSight Word Readers を使って、目で見て覚える単語(Sight word)が沢山使われている絵本を、自分で読んでいくことが出来る画期的なアイデアいっぱいの方法をお見せいたします。<4歳から8歳までのお子様にぴたりとはまります><CTP96冊暗唱が終わったお子様にもぴたりとはまります><Sight Word Readers のためのワークシートの販売があります>ミセス・ミヤコ: お家でできるフォニックス フォニックスを知ると80%の文字が読めて書けるといわれております。お家でできるフォニックスをお教えいたします。<フォニックスとは?> <フォニックスの進め方> <絵本の中のフォニックス> <発音指導> 日時: 9月 21日(日) 10:15~12:15場所 丸善丸の内本店 日経セミナーハウス3F (東京駅北口 前) 費用: 3500円 お申込方法 電話 03-3300-7135 ファックス 03-3300-1728 氏名、住所、お電話番号を書いてお送りください。お申し込みフォームはこちら から 主催ctmホームページ
2008年09月19日
the look to go see what wantサイトワードとは、見て覚える単語のことを言います。このサイトワードは、どの英文にも良く出てくる単語でこれだけ読めるようになれば、簡単な絵本を自力で読めるようになります。お子さんと一緒に参加するサイトワード講座セミナーを丸の内丸善で行ないます。ぜひご参加ください。夏休みに、私の教室でこの講座(全4回)を開いたところ、4歳~8歳までのお子さんにたくさんご参加をいただきました。まずは絵本を暗唱します。そして絵本を見ながらその単語カードを並べていきます。暗唱をして並べていくことができるので、自分でその単語を確認して並べていくことが出来るのです。何度も繰り返し行なうことで、簡単な単語を読めるようになります。文字に興味を持ち始めたお子さんにぜひお勧めです。私ごとですが、自分の娘が「Yes」と「No」のカードをみて、それを読んだときの感動を今でも覚えています。生徒さんの保護者の皆様も、お子さんたちがカードを見て単語をどんどん読んでいく姿に目を細めて喜んでいらっしゃいました。私の感動を、皆様にもぜひ!との気持ちでこの講座を開催しました。セミナーでは、お子さんと一緒に絵本を暗唱するまで何度も読んで、絵本を見ながら単語カードを並べていきます。実際お子さんにその作業をしてもらうことで「楽しい!」「できる!」「読める!」という感動を持ち帰っていただければうれしいです。新版「赤ちゃんからの英語レッスン」では絵で説明していますが、セミナーでは実際にお子さんに並べてもらいます。皆様のお越しをお待ちしております。 *************************************中村敦孔 & ミセス・ミヤコのためになるワークショップ (第1回目)中村敦孔:自分で絵本が読める!!CTP社のSight Word Readers を使って、目で見て覚える単語(Sight word)が沢山使われている絵本を、自分で読んでいくことが出来る画期的なアイデアいっぱいの方法をお見せいたします。<4歳から8歳までのお子様にぴたりとはまります><CTP96冊暗唱が終わったお子様にもぴたりとはまります><Sight Word Readers のためのワークシートの販売があります>ミセス・ミヤコ: お家でできるフォニックス フォニックスを知ると80%の文字が読めて書けるといわれております。お家でできるフォニックスをお教えいたします。<フォニックスとは?> <フォニックスの進め方> <絵本の中のフォニックス> <発音指導> 日時: 9月 21日(日) 10:15~12:15場所 丸善丸の内本店 日経セミナーハウス3F (東京駅北口 前) 費用: 3500円 お申込方法 電話 03-3300-7135 ファックス 03-3300-1728 氏名、住所、お電話番号を書いてお送りください。お申し込みフォームはこちら から 主催ctmホームページ
2008年09月10日
the look to go see what wantサイトワードとは、見て覚える単語のことを言います。このサイトワードは、どの英文にも良く出てくる単語でこれだけ読めるようになれば、簡単な絵本を自力で読めるようになります。お子さんと一緒に参加するサイトワード講座セミナーを丸の内丸善で行ないます。ぜひご参加ください。夏休みに、私の教室でこの講座(全4回)を開いたところ、4歳~8歳までのお子さんにたくさんご参加をいただきました。まずは絵本を暗唱します。そして絵本を見ながらその単語カードを並べていきます。暗唱をして並べていくことができるので、自分でその単語を確認して並べていくことが出来るのです。何度も繰り返し行なうことで、簡単な単語を読めるようになります。文字に興味を持ち始めたお子さんにぜひお勧めです。私ごとですが、自分の娘が「Yes」と「No」のカードをみて、それを読んだときの感動を今でも覚えています。生徒さんの保護者の皆様も、お子さんたちがカードを見て単語をどんどん読んでいく姿に目を細めて喜んでいらっしゃいました。私の感動を、皆様にもぜひ!との気持ちでこの講座を開催しました。セミナーでは、お子さんと一緒に絵本を暗唱するまで何度も読んで、絵本を見ながら単語カードを並べていきます。実際お子さんにその作業をしてもらうことで「楽しい!」「できる!」「読める!」という感動を持ち帰っていただければうれしいです。新版「赤ちゃんからの英語レッスン」では絵で説明していますが、セミナーでは実際にお子さんに並べてもらいます。皆様のお越しをお待ちしております。 *************************************中村敦孔 & ミセス・ミヤコのためになるワークショップ (第1回目)中村敦孔:自分で絵本が読める!!CTP社のSight Word Readers を使って、目で見て覚える単語(Sight word)が沢山使われている絵本を、自分で読んでいくことが出来る画期的なアイデアいっぱいの方法をお見せいたします。<4歳から8歳までのお子様にぴたりとはまります><CTP96冊暗唱が終わったお子様にもぴたりとはまります><Sight Word Readers のためのワークシートの販売があります>ミセス・ミヤコ: お家でできるフォニックス フォニックスを知ると80%の文字が読めて書けるといわれております。お家でできるフォニックスをお教えいたします。<フォニックスとは?> <フォニックスの進め方> <絵本の中のフォニックス> <発音指導> 日時: 9月 21日(日) 10:15~12:15場所 丸善丸の内本店 日経セミナーハウス3F (東京駅北口 前) 費用: 3500円 お申込方法 電話 03-3300-7135 ファックス 03-3300-1728 氏名、住所、お電話番号を書いてお送りください。お申し込みフォームはこちら から 主催ctmホームページ
2008年09月10日
文字もすこし読めるようになったし、なにかすこし刺激がほしい時、英語学習がなかなか進まないとき、英検5級を受験してみては?お教室が試験会場となっている場合はリラックスできますが、公開会場でも準備さえしておけば、小学生でも大丈夫です。試験が始まるぎりぎりまで親がそばについていることもできますから・・・。新版「赤ちゃんからの英語レッスン」では、小学校入学後についての学習方法を新たに追加しました。書籍だけではなかなか分かりにくいので、今回セミナーで皆さんにその具体例をお伝えしようと思います。以前、自分の子どもたちに英検を受けさせようと書店に行き過去問題を見てみると、文字ばかりで「こんなの受かるはずない!」と問題集を見ただけでひるんでしまいました。とはいえ、勇気を出して問題集を購入し、当時小学2年生の娘にやらせてみるとボロボロ・・・。怒り心頭、落胆、苛立ちといろいろな気持ちが沸き起こってきました。今となって考えると、最初から問題を完璧にこなせる人はいませんし、得意な分野でも違った角度で質問されると戸惑うのは誰でも同じです。まず、英検合格にはコツがある、ということです。満点を狙う必要はありません。リスニングで9割以上を狙います。熟語、会話、整序作文は・・・・?このあたりを9月13日に行なうセミナーでお話しようと思います。英検5級に合格すると、4級、3級・・・と親子共に欲が出てきて、次のステップに進みたくなります。私の教室では、小学6年生までに英検3級合格を目標にしていて、今のところ全員が合格しています。わたしの教室は、近所にある普通の英語教室です。「日本の学校に通い、日本の生活をしながら英語力を伸ばしたい」と思っているお子さんのための教室です。「絵本で楽しむ英語の世界」の著者・リーパーすみ子さんはアメリカの小学校で図書館の司書をしていらっしゃいます。リーパーさんはアメリカでの英語の学び方を紹介してくださいます。中村あつことリーパーすみ子の日米英語教育情報交換内容 午前: 「暗唱絵本・副教材の効果的な使い方」 中村「耳をきたえると読めるようになるわけ:フォネミックアウアネスにについて」 リーパー午後: 「文字読みと教材の使い方・目標」 中村&リーパー開催日時 2008年9月13日(土曜日) (午前)9時半~12時半 (午後) 1時半~4時半開催場所 横浜有隣堂会議室(横浜駅下車)参加費 午前、午後各々3500円申し込み締めきり 9月5日(金) 問い合わせ先 メール
2008年08月19日
絵本100冊暗唱後は、どのように発展させていくか、そして小学生以上の勉強方法について、新版」「赤ちゃんからの英語レッスン」では加筆しました。6歳ぐらいまでは親子で楽しく触れ合いながら、英語を聞く、英語絵本を広げることが基本でした。さて、その後6歳以上は、文字を通して自分で読み進めながら自力理解を促進していきます。英語を読めることは親子共に感激します。私も娘が5歳ぐらいのときに、「Yes」「No」の文字を認識したときに(確かどちらかに○をするといった問題だったと思います)、ひどく感激したのを覚えています。著書では「文字を読めるようにする」ということを、主にCTP社の絵本12冊「Sight Word Readers」を使ってご紹介しています。9月13日のセミナーでは、私中村敦孔は、午後の部はフォニックスを中心に(フォニックスそのものについてはお話しませんが)、読みについてどのように指導していくかをお伝えします。決め手は「フォニックスは2年程度で終了する」ことです。小学校6年間もかけて、1ページに3~4単語程度の絵本が読めるようになっては、せっかくの小学生という時期がもったいないです。目標を高く持ち、英検3~4級ぐらいの長文を読めたらうれしいですよね。そんな秘訣をお伝えできればと思います。英検5級に合格できる秘訣も初公開します!ポイントはフォニックスは2年程度で終わらせるフォニックスのリーダーを読む簡単なストーリーを読む少しずつ難易度を上げていく英検に挑戦していくORT(Oxford Reading Tree)のステージ9レベルまでに持っていく「言うはやすし、行なうは難し」・・・。本当に難しいのは、英語学習そのものより、英語学習を続けていくことかもしれません。小学生になると興味も増えて、英語ばかりに時間をかけていられなくなるのも事実です。私の子育て(まだまだ短いですが)、教室の皆さんの子育ての例などを参考に、英語子育てについてのお話もさせていただく予定です。 英語子育て真っ最中のお母さまお父さま、英語教室主催の英語先生の方、そして将来英語教室を開こうと思っていらっしゃる方にもきっと満足できるものと思います。中村あつことリーパーすみ子の日米英語教育情報交換内容 午前: 「暗唱絵本・副教材の効果的な使い方」 中村「耳をきたえると読めるようになるわけ:フォネミックアウアネスにについて」 リーパー午後: 「文字読みと教材の使い方・目標」 中村&リーパー開催日時 2008年9月13日(土曜日) (午前)9時半~12時半 (午後) 1時半~4時半開催場所 横浜有隣堂会議室(横浜駅下車)参加費 午前、午後各々3500円申し込み締めきり 9月5日(金) 問い合わせ先 メール
2008年08月03日
2008年3月25日発売の「赤ちゃんからの英語レッスン」が世に出て早くも4ヶ月がたちました。初版は、CTP絵本をCDをかけながらめくっていくことで、英語力をつけるご紹介をいたしました。今回の改訂版では、小学生からの文字読みのご紹介もさせていただきました。さてそこで、著書「赤ちゃんからの英語レッスン」のセミナーを行います。「絵本で楽しむ英語の世界」の著者リーパーすみ子さんとの共同セミナーです。リーパーさんはアメリカの小学校で司書の先生をしていらっしゃいます。アメリカでの英語の学び方を通して、日本の子どもたちが英語を学ぶのに最適な方法をお伝えする予定です。私中村敦孔からは、午前の部では、CTP絵本の使い方とその効果、そして今まで外部には硬く閉ざしていた私のレッスン内容を一挙公開いたします。LUNOA English Roomでの毎月の課題MDの作り方、歌のCD、辞書の使い方などをご紹介いたします。語彙力をつけるには、辞書は欠かせません。私の生徒さんから得た経験をもとに、いろいろなお子さんに対応できる方法もご質問をいただきながらご説明いたします。絵本の効果と使い方は分かったけど・・・年少さんと、年長さん、小学3年生ではどのような内容にするべきか・・・そんなこともお伝えいたします。英語子育て真っ最中のお母さまお父さま、英語教室主催の英語先生の方、そして将来英語教室を開こうと思っていらっしゃる方にもきっと満足できるものと思います。午後の部についてはまた次回お伝えいたします。中村あつことリーパーすみ子の日米英語教育情報交換内容 午前: 「暗唱絵本・副教材の効果的な使い方」 中村「耳をきたえると読めるようになるわけ:フォネミックアウアネスにについて」 リーパー午後: 「文字読みと教材の使い方・目標」 中村&リーパー開催日時 2008年9月13日(土曜日) (午前)9時半~12時半 (午後) 1時半~4時半開催場所 横浜有隣堂会議室(横浜駅下車)参加費 午前、午後各々3500円申し込み締めきり 9月5日(金) 問い合わせ先 メール
2008年07月23日
横浜有隣堂 ライミングセミナー 「絵本で楽しむ英語の世界」の著者、リーパーすみ子さんと、わたくし中村敦孔(ナカムラアツコ)のジョイントセミナーを今週末9月22日(土)に横浜有隣堂で開催いたします。今のところ、2~3名ほどのお席があいておりますので、当日席をご希望される方はぜひご参加くださいませ。お支払いは当日お願いいたします。(午前・午後各3500円)なお、お席をお取りするために、私宛にメールをお願いいたします。午前は、「絵本のすばらしさ」を、午後は「自分で英語絵本を読むようにする秘訣」をお伝えいたします。セミナーで会いするのを楽しみにしております。
2007年09月20日
セミナーのご案内「絵本で楽しむ英語の世界」の著者・リーパーすみ子さんと「ライミングセミナー」を横浜有隣堂にて行います。ご興味のある方はぜひご参加くださいませ。リーパーすみ子さんは、アメリカの小学校で司書の先生をなさっています。セミナーでは、リーパーさんが、絵本から学べるライミングを中心とした英語学習のご紹介を、私は、リーパーさんの概念に基づき、日本における具体的な学習方法のご紹介をする予定です。おかげさまで、「赤ちゃんからの英語レッスン」 は完売となりありがとうございました。今回のセミナーでは、「赤ちゃんからの英語レッスン」でご紹介した内容と、そのほか6歳以下の「文字導入」なども盛り込む予定です。6歳以上の方の学習方法もご希望があれば、お話いたします。どうぞご期待くださいませ。 英語はおうちでやるのが一番です。その秘訣をお話させていただきますね。 9月22日(土) 午前:9:30~12:30 午後:1:45~4:45午前は、読み聞かせを中心としたテーマでお話をします。午後は、読み聞かせから、リーディング、ライティングへの指導法をお伝えいたします。6歳以下、6歳以上のお子様に分けて、お話します。自分で文字を通して絵本が読めるようになると、世界がぐんと広がります。<場所>有隣堂横浜駅西口ザ・ダイヤモンド店(JR横浜駅)<参加費>各3500円 各25名に達したら、閉め切らせて頂きます申し込みは lunoa@gol.comへ。
2007年08月07日
セミナーのご案内「絵本で楽しむ英語の世界」の著者・リーパーすみ子さんと「ライミングセミナー」を横浜有隣堂にて行います。ご興味のある方はぜひご参加くださいませ。リーパーすみ子さんは、アメリカの小学校で司書の先生をなさっています。セミナーでは、リーパーさんが、絵本から学べるライミングを中心とした英語学習のご紹介を、私は、リーパーさんの概念に基づき、日本における具体的な学習方法のご紹介をする予定です。おかげさまで、「赤ちゃんからの英語レッスン」 は完売となりありがとうございました。今回のセミナーでは、「赤ちゃんからの英語レッスン」でご紹介した内容と、そのほか6歳以下の「文字導入」なども盛り込む予定です。6歳以上の方の学習方法もご希望があれば、お話いたします。どうぞご期待くださいませ。 英語はおうちでやるのが一番です。その秘訣をお話させていただきますね。 9月22日(土) 午前:9:30~12:30 午後:1:45~4:45午前は、読み聞かせを中心としたテーマでお話をします。午後は、読み聞かせから、リーディング、ライティングへの指導法をお伝えいたします。6歳以下、6歳以上のお子様に分けて、お話します。<場所>有隣堂横浜駅西口ザ・ダイヤモンド店(JR横浜駅)<参加費>各3500円 各25名に達したら、閉め切らせて頂きます申し込みは lunoa@gol.comへ。
2007年07月30日
こんにちは。楽天の日記はだいぶご無沙汰しています。ここ1~2年ほど前、「えほんで楽しむ英語の世界」のリーパーすみ子さんとご縁があり、お話をする機会に恵まれました。リーパーさんは、アメリカの小学校で、図書館の司書をしていらして、絵本の重要性と文字を通して読むことにご助力されていらっしゃいます。さて、今回は、リーパーすみ子さんと、絵本のサークル活動でご活躍の金園明恵さんの講演が、アメリカのアルバカーキーで行われます。小学校の先生との交流など盛りだくさんです。お子さんの絵本の読み聞かせにちょっと幅を持たせたいとき、現地の小学校での授業は大変に参考になると思います。ぜひご参加されてみてください。Emergent Literacy Program Using Guided Reading ApproachCoordinated by Sumiko Leeper in Summer 2007 アルバカ-キ-の小学校でライブラリアンとして活躍されたリ-パ-すみ子さんと、英語絵本を基軸にレッスンを展開する金園明恵が、日本で英語を学ぶ子供たちのためのエマ-ジェント・リテラシ-・プログラムを今夏提供します。 英語力がいかに向上できるかは、リ-ディング力に大きくかかっています。 読めることは、子供たちに自信と喜びを与え、さらなる意欲を育てます。このコ-スは、アメリカの小学校で成果をあげているGuided Reading Programを、日本の子供たちの早期リ-ディング教育に役立つようにアレンジした6日間のコ-スです。 ポエトリ-、ミュ-ジック、バランスドリテラシ-、その主流であるガイディッドリ-ディング、ESLアプロ-チ、幼稚園授業見学、ライブラリ-見学及び文化交流、Jim Stoneのアニメイテッド リテラシー紹介、さらにアルバカ-キ-の小学校教師たちとのパネルディスカッション等、豊富な研修プログラムとなっています。日本の英語先生にとっては、アルバカ-キ-の小学校教師たちによる丁寧なリ-ディング教育指導を学べるめったにないチャンスです。 早期リーディング教育の理論的な枠組みと、日本ですぐに役立つ実践的な手法を身に付け、英語指導力を向上させましょう。 ~~~ コ-スプログラム ~~~日程 2007年7月25日~7月31日(6泊7日)研修先 アメリカ アルバカ-キ-滞在先 研修先ホテル 2名1部屋 研修費用 10万円講師 アメリカアルバカ-キ-の小学校教師研修はすべてアメリカ人が行います。集合場所 現地集合 申し込み期限 6月31日申し込み・問い合わせ先 金園明恵 (かなぞのあきえ) e-mail mininice@east.cts.ne.jp * 代金に含まれる費用:研修費、ホテル宿泊費(朝食のみ、夕食はつきません。)現地ホテルまでの旅行代金、保険料、現地での移動費用等は含まれません。研修費は事前振込とさせていただきます。詳しくは申し込み時にご案内します。 2007 Summer Intensive Program July 26 ~July 31 午前 (10時~12日) 午後 (1時30分~4時)(1日目)26日 (Thu) Public Libraryサマ-プログラム見学 日本の文化紹介、交流ライブラリ-で買い出し ScholasticWarehouse 20% discountWriting workshop/poetry(1時間)By Ms. Urich(2日目)27日(Fri) 幼稚園のクラス参観 (40分くらい)Balanced Literacy for Primary grades(1時間)Ms. Emmons Reading Recovery for struggling readers in the 1st grade(一時間30分) Ms. Emmons28(3日目)(Sat) 幼稚園の先生によるリーディング アプローチMs. Gonzales (1時間) リーパー家でランチ/色々な教師たちとパネルディスカッション29(4日目)(Sun.) 観光(Old Town) 本屋さんめぐり/英語教材店を見学(5日目)30日(Mon) Guided Reading Approach forBalanced Literacy by Ms.Verzosa(2 時間) Jim Stone’s Animated LiteracyTo Fluency (by Ms. Marcotte)(6日目)31日(Tue)(7日目)8/1 Phonemic Awareness through Music帰国 ESL approach to JapaneseChildren Ms.Seckebeck
2007年05月17日
丸善丸の内本店でプレゼンテーションを行います。 英語絵本CTPのLearn to Readを発売しているctmから、プレゼンテーションの依頼をいただき、このたび、丸善丸の内本店にてプレゼンテーションをさえていただくことになりました。これから英語子育てを始める親子が対象です。プレゼンでは、絵本の楽しさや魅力などをお伝えし、また私の教室の生徒さんにもご協力いただき絵本の暗唱も披露いたします。質疑応答の時間も設けましたので、疑問点やご質問などがあれば直接お答えさせていただきたいと思います。また私の教室の生徒さんの保護者の方へのご質問もお受けさせていただく予定です。皆様とお会いできれば幸いです。お申し込みは、こちらからお申し込みできます。トップページhttp://www.a-mall.co.jp/ctm/クリックすると、下のページの最後に、お申し込みフォームがございます。http://www.a-mall.co.jp/ctm/2006/akacyanlesson060326.htmお電話でもお申し込みできます。美容院に行って、新しい服も新調して、プレゼンに望みたいと思います。皆さんとお会いできるのを楽しみにしています。お知らせでした。
2006年03月17日
10月末に、目のレザー治療を受けてから4ヶ月が経ちました。それはそれは、もう快適で一日中、目のことを一切考えずにすごせます。今日は、良かったな~と思ったこととそうではないことをお伝えしたいと思います。まず、良かったな~と思うこと。1、目のことを朝起きてから夜寝るまで、目のことを一切考えず、また面倒な手間は全くありません。2、以前は、夕方近くなると、目が痛くなり、生徒さんの読む長文を追っていくのがすごく苦痛だったのですが、今は難なくできます。3、昼寝が大好きな私にとって、突然睡魔が襲ってきても、いつでも安心して昼寝ができます。だからちょっと昼寝の時間が長くなってしまうこともありますが・・・4、初期投資はちょっとかかりましたが、今は、コンタクトケア用品を買うこともなくなりました。もちろんめがねも、コンタクトも不要です。私のめがね、もう必要なくってよ。5、子供と思いっきりハグしたとき、目を圧迫されても痛くないし、邪魔なめがねもありません。子供とのスキンシップもバッチシ。6、なんといっても旅行へは、めがね、コンタクト用品は全く必要なし。温泉のお風呂場でも、目を細めることなく、子供の世話もできます。7、道を歩いていると、遠くのほうを見るたびに、「あそこにある電線の数だって数えられちゃうんだから」と、ひそかに自慢してほくそえむことがある(傍から見ていると、そんな私は気持ち悪いらしいが)。それとは反対に、レーシックで「まずかったな~」と思う点をひとつふたつ。1、目が見えすぎて、鏡を見るたびに、自分の小じわがよく見えるため、ため息が多くなった。生え際に白髪を見つけると、必死で抜く。以前は、そこまで見えなかったのに・・・2、その肌の老化を打開しようと、「コンシーラー」を駆使したり、「若顔作り」に関して、極度に感心を持つようになる。私って、こんな顔してたんだと、一抹のショックを感じる(今さらね~)。3、レーザー治療は、全くの自由診療だっただけに、「審美治療」や「プチ整形」も自由診療なんだから、手軽にできたりするかな・・・?と思ってしまうことがある。お金を出せば、もしかして、それも可能?と思ってしまうことがある。と、現実と直視しなくてはいけないことになってしまいました。よくレーシックで「老眼は治るのか?」と聞かれるのですが、老眼は「筋力の衰え」らしいのでどうにもならないらしいです。でも、今研究中だそうで、そうなったら私、真っ先に「老眼治療」を受けます。45歳前後で始まるらしいですが、せっかくめがね不要の生活になったのですから、ずっとその生活を享受したいです。「老眼手術」が一日も早くできる日が来ますように・・・。
2005年02月22日
先週の木曜日2月3日のご近所の底力に出演するとのことで、楽しみにテレビの前に座ってみていました。ディレクターとの取材時間も、今回は短めでしたがそれでも4~5時間は費やしたと思います。テレビ撮影はほんの数十分でしたが、かなり協力はしてきました。で、番組を見ていても一向に映る気配なし・・・。ついにエンディングテーマに入ったときには、「ディレクターの携帯電話に電話して文句言ってやる!」と、夫婦して怒り心頭してました。あれだけ、時間かけたのに連絡もなくカットとは何事だ!と声を荒立てていました。で、エンディングテーマが始まって10秒ほどで、私たちの住む町が紹介されると、怒りが微笑みにへんし~ん!ほんのちらっとだけでしたが、安心しました。だって年賀状に大々的に宣伝してしまったんです・・・。前回、おととしの7月に放映された「住民ガードマン」として登場したときには、TAKE2も家に来て撮影したり、スタジオ撮影ありと、素人の割には、20分も出演していたので、それを期待してしまった方には、申し訳ないぐらいの時間でした。すみません。再放送は2月9日(水)午前1:10~<2月8日(火)深夜25:10~>〔総合テレビ〕です。それも、最後の3分ぐらいのところです。交通事故から身を守る20の鉄則お時間のある方はどうぞご覧ください。生徒さんに宣伝したら、「英語で出演するんですか?」と何人もの方に聞かれてしまいました。死ぬまでにはなんとか一度は出演したいと思っています。「昔をしのぶ」なんていうタイトルで80歳ぐらいになったとき(それまで生きるつもり?)でもいいかな・・・。
2005年02月07日
この日記にて、「ご近所の底力」の放送延期をお知らせいたします。来週の木曜日2月3日9時15分に延期になりました。プロデューサーから、2日前ぐらいに連絡がありました。その対応の遅さにちょっと不満。ということで、来週の木曜日、NHKで9時15分からの放送になります。朝早くからがんばってお化粧した私の部分がカットされていたら、ちょっとショックだけど、もしお時間のある方は、ぜひご覧ください。
2005年01月26日
こんな風に書いてみると、私が英語を学習した動機というのは、かなり幼稚じみた理由だったのかもしれません。つまらない意地とでも言うのでしょうか・・・。他の日本人留学生と一緒にされたくないとの理由で成績優秀からアメリカの大学を卒業するという目標、妊娠できずそれを逃れるために勉強したこと、それが大きな力になっていたのだと思います。私の英語は、20歳から真剣に学習したといえます。20歳からがまさに私の英語人生?の出発点だったのかもしれません。妊娠したのがちょうど30歳の時、つまり20代は、ほとんどの時間を英語に費やしていたわけです。全ての時間が全て自分のものであったのですから、勉強する時間はたくさんありました。こんなに勉強したのに、それほどの成果があったというわけではないのが、なんとも情けなく恥ずかしいです。具体的な学習方法としてまとめると、◎留学中大量に本を読むこと、大量に講義を聴くこと、自分の意見を述べること。◎帰国後、家庭教師をしながら、大学受験の問題集を総復習したこと、◎ニューズウィーク、タイム、英字新聞を毎日読み、英語のニュースを毎日聞くこと私は、自分はあまり頭が良くない、ということを知っています。「勉強もせずに、たまたまできた」なんてことは自分の人生で一度たりともありません。でも、私なりにがんばれるところまでがんばろう、という動機やら気持ちが良い時期にやってきて、それなりに努力したことは確かです。そして、28~9歳ごろだったでしょうか。TOEICを受けてみたら880点でした。900点を目指したかったのですが、それ以後TOEICを受けることなく今まできてしまいました。そして、妊娠と同時に「もうこれ以上英語は勉強したくない」と思うほどに燃え尽き、英語はもうどうでもよい事柄となっていってしまいました。余談ですが、全然英語の勉強をせずに20代を過ごした夫のTOEICはその当時、初めて受けたテストにもかかわらず950点で、一体私は何をしてきたのだろうと、愕然としました。夫も結果をみて素直に喜べず、私に悪いと思ったのか、自分のテスト結果をみせずにしばらく隠していました。今となっては笑い話ですが・・・。英検は、日本のなかでの英語力、TOEICはもう少し実践的に英語に対するPromptnessが試されるような気がします。どちらも試験のためだけに勉強するということは無意味だと思います。試験のために英語が存在するのではなく、英語を使って何かをすることが目的だと思います。ただし、英語の先生は英検とTOEICは必ず受けるべきだと思いますが・・。そして、英語の聴く力は、どの言語でも理解力がモノをいうと実感しています。私は、ときどき日本語でさえも、なぜ皆が笑っているのかわからない時もあるし、日本語でも時々聞き取れないことがあります。根本的に自分の理解力を何とかしなければ、もうこれ以上英語力は伸びないだろうと改めて思います。私は研究タイプでは決してなく、どちらかというと商売(というと悪く聞こえますが、ビジネスなら聞こえはいい?)が好きなのだと思います。大きなビジネスではなく、あくまでも身の丈でやるビジネスが楽しいです。以上をふまえて、自分の子どもの英語を考えると、子ども自信が自覚して英語を勉強しようと、思ってもらえることが一番重要なのではないかと思います。お金をかけても、親が何をしても、子どもが何もしなければどうにもならないことなのではないかと・・・。私はバイリンガルではありません。確かに、英語の全く不得意な人から見れば、「ペラペラしゃべれる」と思うかもしれませんが、ネイティブにしてみれば「通じから、大丈夫よね・・・」というぐらいのレベルです。私の親も、英語は全くダメでしたが、「英語はできるとよい」という考えを小さい頃から洗脳されて育てられ、またその環境はその当時私の親ができる限りのことはしてもらったと思います。長い目で見ると、細かいことはどうでもよく、親の考え方、親の愛情、思春期を迎えた時に子どもが英語に対してどのように考えるかによるところが大きいのではないのかと思います。私の好きな言葉に、You can take a horse to the water, but you cannot make him drink.というのがあります。本人が望まなければ傍からはどうすることもできない、という意味です。子どもには「本人が真剣に望むこと」を親としてバックアップしてあげたらと、まだまだ未熟な私は母親として思います。あまり小さな細かいことに捕らわれず、もう少し大きな枠の中で、子育てをしていかなければと自戒をこめて思います。あ~あ、また今日も小言をいってます。大きいことは書けるのに、自分で実際親となって実践することはどんなに難しいことか。。。私もまだまだ修行がたりませんね。
2005年01月24日
今年は、いろいろとやりたいことがたくさんあります。あくまでも希望ですが、やはりなんと言っても、小学生以上の英語学習法を、何らかの形でお伝えすることができればな・・・と思っています。6歳までは、英語に対して時間的には比較的余裕があります。しかし、小学生以上になりますと、自我も芽生えてくるし、子供本人もやりたいこともたくさん出てきて、英語だけをいつも気に掛けていることがとても難しくなります(親自身が)。また、お勉強も学年があがるにつれて難しくなりますし、英語より国語に時間を掛けなければならない状況もたくさん出てきます。いろいろな状況を考えた上での英語学習を考えなくてはいけないと思っています。また、個人個人でも英語に対する考え方は違いますので、一概には言えませんが、たとえば、毎日15分(1ヶ月9~10時間、BGMとしての聞く時間を除く)英語学習に費やした場合どのぐらいの英語力がつくのかなど、具体的な目標も必要になると思います。それと、6歳以降は、親の英語力や教室の指導方法なども大きく左右しますので、その点もお伝えすることができればと思います。なかなか文章でお伝えするのは難しいのですが、出版以外であれば、セミナーなどで、お伝えすることができればうれしいです。6歳以降は、英語を選択する人としない人に大きく分かれますので、なかなか読者層がつかみにくいかもしれません。。。。大きな抱負ですが、それにむけて、今年はなにかしら行動に移すことができればうれしいです。それと。。。1月27日木曜日NHKの「ご近所の底力」で、すこしだけ出演するかもしれません。お時間のある方はごらんいただければうれしいです。(今回はスタジオ収録はなしです)
2005年01月11日
帰国後まもなく、私には「子どもができない」という悩みがありました。初めて知った私の挫折?感です。今までは自分がしたことは自分に跳ね返ってきましたが、こればかりは、努力してもどうにもならなかったのです。そんな苦しい理由もあったので、英語の学習をすることによって、そのような心の葛藤から逃げていました。年賀状が来るたびに、「生まれました」の文字と赤ちゃんがはがきいっぱいに微笑んでいるのを見るたびにどれほど落ち込んだものか・・・。子どもが集まる場所を避けるようにもなりました。ファミレスは絶対に行かなかったし、昼間外を歩くのもいやだった。ベビーカーの親子を見るのがつらかったから・・・。旅行は、子どもが絶対に行かないところを選んだり・・・ハワイの隠れ家やアフリカなど。私より後に結婚した友達にどんどん子どもが出来ていく。焦りました。世間は「子どもを産んであたりまえ」の風潮があって、私が何を努力しようとも、なにを達成しようとも、「子どもがいなくちゃね」という目で見られていたような被害妄想まで感じていました。この厳しい現実から逃れるためにもなにかをしていないとやってられない、というのでしょうか・・。英語を勉強している時だけが、悩まなくてすむ時間だったのです。妊娠するまでのことは、ここでは省きます。ただ、とても苦しく、短い人生で最大に悩んだ時期だということだけは申し上げておきます。自分の力ではどうにもならないことがこの世には存在することを知りました。また主観的なパーソナルな質問を、他人には決してしてはいけないこと、他人の気持ちを大切にするために、「何も言わない」ということも大切であると教えられました。英語学習は、現実から逃避でした。そして、がむしゃらに勉強したことが、結果として英語力向上の助けになっていたのでした。
2004年12月21日
インターのクラスには、英検1級保持者がたくさんいました。私も英検でも受けてみようかな。自信がなく悩みましたが「1級なら落ちても恥ずかしくないけど、準1級に落ちると恥ずかしい」という気持ちから、なんとなく英検1級を「こっそり」受験することにしました。勉強は過去問のテキストを一冊やりました。試験当日、会場につくと、みなすごい。緊張がみなぎり、テキストを見たりしている。そのテキストもマーカーで塗られていたりして、「みんなすごい勉強してきたんだ」と思いました。私には会場に持参したテキストもなく、周りの受験生の観察をしていました。「こんな風にしっかり勉強しなくちゃだめなんだよね~」と反省しきり。その雰囲気でかなり滅入りました。テストは、過去問と同じレベルだったかな。さて、1ヵ月後にテスト結果が送られてきました。「不合格Cだったらいやだな。不合格Bでありますように・・・」と願いながら封をあけると、なんと「合格」の二文字が!うっそ~!という感じでした。人生で一番うれしかった。はっきり言って結婚よりうれしかった)。2次試験なんて考えてもいないのに、あと数週間後に迫っているわけです。それに2次試験日の当日までハワイに行く予定なのに、受験さえもできない!とりあえず1万円をかけて、前日に帰国する便に変更はしたものの、ハワイでは一切英検の勉強はせずに過ごしてしまいました。あたりまえか・・・。帰国翌日の2次試験。やっぱり不合格。当然よね。それからの4ヶ月間は、2次試験に向けてがんばりました。リスニングとスピーチ。スピーチは、その当時の試験内容が確か、何人かの受験者を一グループとして、自分の順番が回ってきたら起立して、自分の封筒を開けて紙に書いてある二つのトピックから一つを選び1分で考えをまとめる。「始めてください」という合図で、それに対する意見を2分間でスピーチするといったもの。試験官は、ネイティブと日本人が一人ずつ。スピーチに関しては、内容がなくペラペラと英語を話しても不合格になる、という話を聞いていたので、内容のある文章を組み立てる訓練をした。リスニングは、インターで今までニュース英語を聞いてきたので、過去問のリスニングはさほど難しくは感じませんでしたが、スピーチだけは、当日試験で、自分の順番が回ってきて自分の封筒を開けてトピックを見るまではなんともいえません。2次試験は3回まで受験できるチャンスがのこっています。でも、今回合格できないと、次の試験ではあまりにもプレッシャーがかかりすぎてしまう。この2次試験、私のスピーチの番は4番目か5番目だった。たしか「女性の地位」と、もう一つのトピック(完全に忘れました)から一つを選ぶものだったと思う。たいてい、内容からして、パーソナルの方が簡単だろうと思うのだけど、なかなか内容が作りにくいので、私は「ソーシャルなトピック」を選ぶと決めていた。「女性の地位」というトピックは、確か、今直面している女性の仕事状況や子供の数などをメインセンテンスに上げて、それをサポートする文章をいくつか言って2分になってしまった。私の後に、10人ぐらいの受験者がいて、ずっと聞いていると、面白い。「あ、この人絶対に受かるな」と思う人と「あ、無理だろうね」という人がはっきりとわかる。まず、無理な人。「I like curry rice. Because it is good.…」沈黙が続く。時間切れ。その他、「I am a working Mom. I work as an English teacher at high school. I am very busy. Before I work, I rush to the nursery school to pass my kids.」と一日のことを説明して時間切れ。試験官に、「あなたは忙しい毎日を過ごしているらしいけれども、何を言いたかったのですか?」といわれてしまった。内容がないと、やっぱり難しいのかな・・・と。合格しそうだな、という人は、短いながらも自分の意見がきちんと簡単にコンパクトにまとまっているスピーチをする人。話題はソーシャルでもパーソナルでもどちらでも限らず、自分の意見が簡単でもいいからきちんといわないとダメみたい。英検1級合格、27歳の時でした。この合格のおかげで、会話学校で「英検準一級講座」を受け持たせてもらえるようになりました。ちょっと得した気分でした。運転免許よりお金になると思いました。
2004年12月13日
帰国後、私が留学で得た英語力は、英語を使って何かをしようと思うには本当に低いもので、なんの役にもたたないものでした。帰国後1年ぐらいで、ある英会話学校に務めることになりました。「子ども英語」が中心でした(詳しくは「赤ちゃんからの英語レッスン」をお読みください。そのときの苦悩の日々をご紹介してあります)。私も講師として、自分の英語力にはまだまだ満足はしていませんでしたので、アルクの「TIME マラソン」というのを受講することになりました。む、難しすぎる・・・.。毎月のテストもこなすのですが、いるんですよね、毎回満点取る人が・・・.。私なんて優秀者名簿にかすりもしませんでした(毎回ちょっと期待して提出するのですが)。そこで、友達の紹介で、インタースクールに通い始めました。通訳にも興味があったので、トライアルクラスを受講してみると、「この世界は向いていない」とすぐに思いました。理由は「大変すぎる」「厳しすぎる」から。通訳の時間は「15分から20分」刻み、つまりあまりにも神経をつかうのでこれ以上の時間は無理とのこと。それにいつもいつも国際情勢やその他の分野に精通していなければ、英語力だけでは決して勤まらないこと、などなど考え合わせると、私の器量では無理だとすぐにわかりました。当時、私が入ったコースはアドバンスドリスニングとライティングのコースだったと記憶しています(もう10年以上も前のことなので、今はかなり変わっていると思います)。ここでは、ニューズウィークやタイム、その他の雑誌の記事を読み、英語のニュースを聞いてそれに対しての議論が中心でした。そして毎回そのテーマについてのエッセイを書かせるのが宿題。アメリカのカレッジのクラスより難易度ははるかに高かった。アメリカのカレッジは、高校の授業内容程度で、日本語で受けていたらそれほど難しいものではなかったからです。でも、アメリカの大学では本を何冊も読まなければいけないので、時間的に苦しかったが、インターのクラスで出る課題は、週に2~3時間ぐらいの勉強量で何とかなる感じ。内容難しいけど。私のとったクラスは午前中のクラス(自分の勤める英会話学校は夕方からが忙しくなるので)で、お医者さんや学校の先生もいれば、私みたいに単なる「英語が好きな主婦です」という人も結構多かった。クラスの後、みなでお茶をすると、英語の話で盛り上がる。みんな自慢するわけでもなく謙虚で本当にいい人たちばかりだった。なんというか「心に余裕がある」といった感じで、いつも余裕のない自分を反省したものでした。 英字新聞は、社説をノートに要約するのが日課でもありました。今思うと時間がないとなかなか出来ない作業だな・・・と思います。子どものいないお気楽主婦のなせるワザかな。。。と。インタースクールには、2年ぐらい通ったと記憶しています。(あまりに遠い話で、詳細に覚えていないのが悲しい・・・)
2004年12月09日
帰国したら25歳ほどになっていました。若かった私もお肌の曲がり角、といったところ。日常会話や、興味のある講演会なら英語で聞き取れるほどの英語力は出来ていたと思います。ただ、その英語力でなにか即戦力というほどのものではありませんでした。帰国後まもなく、知り合いのお子さん(中学2年生)の英語を見てほしい、と頼まれました。断ることも出来ず(あまり乗り気ではなかったのですが)、引き受けることになりました。彼女は、中堅の私立の中学に通っていました。彼女から聞く学校の雰囲気とか、学習態度とか、先生の熱心さとか、私立の持つ特性に感心し、公立出身の私は、彼女からたくさんのことを学びました。みな生徒がまじめに学習している、というきちんとした雰囲気が伝わってくるのです。彼女も英語をとてもよく勉強していて、私が出した宿題をとてもよくこなしてきます。いつも彼女の英語は上位の成績でした。彼女も勉強すればするほど、成績がよくなるのですからきっとうれしかったのだと思います。彼女とは受験期を向かえる高校3年生までのお付き合いでした。3年生ともなると、(私の覚えている限りでは)「日本ではゴミ問題が深刻で、汚物処理施設を作らなければならないという問題を抱えている」という英作文もすらすらと書けるようにまで進歩していました。反対に指導する方の私の英語力も問われてきますので、私も、受験英語をもう一度勉強する決心をしました(彼女には内緒で)。数年前受験で学習した参考書を実家から持ってきました。「出る単」「出る熟」(関西では「しけ単」って言うらしいです。夫に「しけてるみたいだね」といったら、「しけているもん」との返事。ほんまかいな?)、駿台シリーズの英作文、文法、長文問題など「難解」といわれるシリーズも大学受験のときに、思えば納得するまできちんとこなしきれていませんでした。それをもう一度勉強しました。彼女は、無事、大学にも合格し私も責任を果たすことが出来、またお月謝もいただきながら、自分の勉強までさせていただきました。この家庭教師のおかげで、日本の大学受験英語には、かなり明るくなりました。
2004年12月05日
それほど能力のないわたしが死に物狂いで勉強したことによって、英語力は留学前とは比べ物にならないぐらい伸びたと思います。反対に、アメリカにいても、全く勉強しなかったら全くといっていいほど延びなかったであろうとも思います。ただ、クラスに出れば、毎日4~5時間講義を聴いてノートを取らなくてはいけないのだから、リスニング力はある程度はついたのではないでしょうか。ただ、このぐらいのリスニング力は、日本でもつけられると思うのですが、私にとってはこの留学のおかげで大量に聞き理解する訓練が出来たのかもしれません。また、「卒業」という、かなりの強制力の下、発表(Presentation)や、記述試験なども経験しました。つらくて、夜うなされる夢を何度も見たことを覚えています。留学についての英語以外に学んだことは、「HELLOの幼稚園」を。2年間で、「文化人類学」一科目だけBで、ほか卒業に全て必要な科目は全てAで卒業することが出来ました。あこがれの黒いマントとハットに見を包み出席した卒業式Commencementも、Honor(成績優秀)生徒として表彰されたりもしたんですよ。それほど能力のないわたしにしては、よくがんばったと思います。「つらかったほど勉強した」というのは、たぶん身の丈にあった能力でないものが勉強したからだと思います。もう、これ以上は、高等教育は受けたくない、受ける器ではないと卒業式のときに思いました。「つらい留学なんてもう二度とするもんか!」って思いました。学期末テストに向けて猛勉強中卒業式(24歳)
2004年11月21日
今日で手術から1週間が経ち、アイメイクもできるようになりました。どうも「アイメイク」ができないと、「化粧しました」って気にならず、着るものもいまいち気が乗らない・・・。夫からは、「そんなに小さいところに塗りたくっても変わらないって」と言っているけど、耳は貸さず。昨日の日記で「南青山クリニック」を紹介したのですが、日本にもいくつかクリニックがあります。私は、知り合いの先生に手術をしてほしいばかりに、はるばる横浜まで行きました。桜木町駅が最寄駅なのですが、すごい都会でビックリしました。ランドマークタワーがそびえ、高層ビル群と観覧車、そして日本丸が停泊し、ここはどこだろう?と日本であることをうたがうような気持ちになりました。ランドマークタワーも、高級なブティックが入っています。私にはちょっと場違いな感じ・・・レーシックの検査は、2時間かけて丁寧に説明してくれます。説明中には、コーヒーも出してくれます。レーシックは、タレントやスポーツ選手がたくさん受けているというので、クリニックに来ている人の顔を一人一人チェックしました。う~ん残念!誰かに会えるかな~なんてちょっと期待してたけど。視野検査というのをしなくてはいけないのですが、夫から「そんなのしなくたって、視野は狭いよ」と言われ、なんとなくナットク。確かに私って、英語のことしか考えていないかもしれない。手術後は、大きな保護めがねを1週間外出時にかけなくてはなりません。ちょっと恥ずかしいけど、知り合いにあうと、「どうしたの?」といわれるので、ここぞとばかり、目の悪い知り合いには、宣伝しちゃってます。レーザー治療の話をすると、目の悪い人は身を乗り出して聞いてくれるんです。みんな、目には悩んでいるんですね・・・。私もその気持ちよくわかります。だからこそ、この快適さ!を皆さんにお伝えしたいんです。先生がおっしゃっていた、Quality Of Life (QOL)。生命を維持するのに決して無くてはならないものではないけど、より良い生活を求めるための一つの選択肢であると思います。
2004年11月05日
なんと世界が明るいんでしょう!得られたものは、「感動」と「快適」!!! 今裸眼で1.2まで見えるようになりました。あぁ、20年早くこのレーザー治療を受けたかった。私の右目は、0.08の近視で、左は1.0の遠視のガチャ目。もちろん視力表の一番上の文字は左眼では全く見えません。思い起こせば、小学校4年生から、めがねやコンタクト(ソフトにハード)、視力回復トレーニングセンターとありとあらゆるものを試してきました(親にも感謝です)。16歳でようやくコンタクトレンズに落ち着くものの、長時間つけているとごろごろしたり、痛かったり、曇ったりといつも不具合の連続でした。めがねにするも、目の度数も違うし、遠視と近視なので、頭痛がして、何をつけてもすっきりしないまま、今の歳になってしまいました。以前から話に聞いていた「レーザー治療・レーシック」。レーザーなんて目に当てて本当に平気?失明したら、コンタクトやめがねの不具合どころじゃない!失明しないっていわれても、もしかしたら、私の場合だけ失敗したら??と思うと自信が無いし踏み切れない。それに、手術ってもしかして痛い?私は痛いのが大キライ。歯医者で親知らずを抜くとなると、温存してくれるよう先生に懇願する私。「虫歯にならないようにちゃんと磨きますから抜かないでください!」って。私がレーシックに踏み切ったのは、夫がレーシックの第一人者である先生と知り合いになったことでした。知っている先生に手術してもらえるなら、失敗なんか無いわよね。。。失明なんてこともないわよね・・・。ドキドキ。その先生に手術を施してもらえるなら、遠くても横浜まで行くわ!(本院は南青山)レーシックが受けられる適性もあるらしいので、まず検査に行くことにしました。そのクリニックは、受付から、検査まで本当に親切で、患者さんが「お客様扱い」なんです。病院でこんなに気持ち良い思いしたことは無いです。先生もとても親切でよく説明してくれて、フレンドリーで、お話をしているといつも楽しくてこちらが笑ってばかりです。さて、手術の日(先週の金曜日)まず、目の周りを消毒して麻酔目薬を指してもらいます。この麻酔目薬をすると、眼球に何を触れられてもぜんぜん感じないんです。手術室に通されると、大きい機械があって、なんだか「怖い」雰囲気。「私は痛いのは苦手です」というまもなく、あれよあれよと言う間に横たわり、目の周りにいろいろな器具をつけられると、先生が「さあ始めますからね」という。「あ、ちょっとまだ心の用意が・・・」と思っている間に終了。手術時間ほんの5分(左眼のみ治療)。あれ?痛くなかった・・・。し、失明しているかな・・・? おそるおそる周りをみると、うわっ!なにこの世界。手術室にいるもう一人の先生の顔を見ながら、「き、きれいですね」と言っていた。手術後3日ぐらいは、目を休めるために、家族には「私は術後の身体」と宣言し、ずっと寝ていました。昼寝もできるし、家事はしなくていいし、最高! とにかく一日が「快適」です。朝起きた時に、めがねに手を伸ばす必要もないし、コンタクトの洗浄もいらないし、コンタクトの不具合もなし。旅行の時もコンタクト用品はいらないし。時々クセで、めがねを探している時がありますけど・・・。目のことは一切に気にせずに暮らせるこの幸せ。この幸せを皆さんに知ってもらいたいです。(ホントは、この幸せは私だけの独り占めにしたいんですけどね。。。)レーシックでは失明はありえないそうです。でも、レーザー専門医で、最先端の技術を持っている熟練した先生にやってもらった方が絶対に安心です。金利ゼロキャンペーン今30000人達成キャンペーンをしてますくわしくはHPを見てくださいね手術の流れがよくわかります。さて、気になるお値段。ケチな私でも、この治療はナットクのお値段だと思います。試算しました。あと、30年(!)生きるとしてコンタクト代、4万円ぐらい×5回(6年おき)=20万円。めがね代 3万円ぐらい×5回(6年おき)=15万円。コンタクト代のケア代、1ヶ月800円平均×12ヶ月×30年=30万円!!!!手間代(コンタクトのケアや、めがねを探したり、きれいにしたり等)、一日5分×365日1800時間 ⇒ 30時間 自分の時給を最低500円と見積もって年間15000円の手間 15000円×30年=45万円。合計100万円以上。ケチなわたしも、納得のお買い物でした!あと20年早く受けたかった。長女は、私に似て目が悪いので、18歳になったら迷わずレーシックを受けさせてあげようと思います。
2004年11月04日
カリフォルニアには、アメリカでも優秀な大学がたくさんあります。UCバークレイ・UCLA・USC・Caltech、University of California、Stanfordの数々。留学するには、有名大学だから、というより、有名な教授がいるから、という理由で大学を選んでいることに、日本での大学選びとの違いに驚くことがありました。有名大学に通う日本人留学生は「英語だけ得意」な人ではなく、「何かに秀でていて、且つ英語も得意」な人が留学していることも知りました。ネイティブだから、みんなハーバード大学に行けるわけではないのと同じです。優秀な人は、国境を越えて、頭がいい。本当にそう思いました。世界の国々から優秀な人がたくさんアメリカの有名大学に押し寄せてくる、といった感じです。留学前の私は、「ハーバード大学」しか知らず、「ハーバード」か「その他」でくくっていました。ま、私は、アメリカの優秀な大学には入れない「留学生」ですが、そんな人たちに触発されて、自分の実力なりに私もがんばらなくちゃ、って思いました。
2004年10月28日
エッセイの書き方はきちんと雛型みたいなのがあり、そのとおりにきちんと理論立てて説明していかなければならない。いろいろあれこれ説明しようとして、あいまいな文章を書くとすぐに先生に削除されてしまう。Writingのクラスと、それを補助するWritingのクラスがあった。この補助クラスでは、正規のWritingのクラスでのエッセイを、チェックしてくれるというもの。先生2人が一人ずつエッセイ見る。をこのクラスは、卒業のための必須単位ではないが、私にとってはとてもありがたいクラスだった。自分の英作文が逐一チェックされ、「なぜこう思うか」「どうしてこういう文章になったか」とたずねられながらエッセイをPolishしてくれる。まさにPolish(磨き上げる)というのがピッタリ。その他、毎日Journal(日記)を書く宿題も出た。英作能力なんて、留学当時の私にはあるはずもなく、英和辞典と和英辞典にどれだけお世話になったか。。。。同じ単語を10回もひくと、ほとほと情けなくなってしまう。でも、訓練というのは本当に不思議で、今までまるきり出来なかったことが、2年間ほぼ毎日Journalを書き、ある程度まとまったエッセイを2週間に1回ほど書くことによって、書くことがつらくなくなってきた。自分ひとりなら、ここまで英語に時間を掛けられないが、授業での宿題ならやらざると得ない。それと、不思議なのだが、話すことがすこしだけ上達したように思う。話すことは、日本人なら(少なくとも私は)まず構文を見つけ、単語をどんどん入れていくことをすると思う。書くことによって、この作業がかなり速くなった。話す時に、もたついている時間が、時が経つにつれて少しずつ短くなっていくような気がした。でも、毎日が本当につらくてつらくて、ちまたでイメージされている「花の留学生活」とは程遠かった。本当につらかったのよ~ん。
2004年10月18日
ネイティブは英語ができるのだから、さぞかし成績もよいだろう、と思っていたけどそうとも限らなかった。日本の大学受験で使われる程度の単語が使えなかったり、エッセイの内容の低さに唖然としたこともあった。「ネイティブなのになんで?」と思った。英語が堪能なメキシコ人の友達もあまり成績が振るわなかった。クラスであんなに発言していたのに。。。なんで?英語のエッセイの時間(あるテーマについて作文を書く)では、やはり言語ではなく「いかに深く考えられるか」がモノを言うのだと気づいた。また、やっぱり文法をきちんと学んでないときちんとした英語が書けない、ということも実感。きちんと文章が書けない人は英語力が低いとみなされ、ネイティブでも外国人留学生でも成績が悪い。話し言葉のエッセイはやっぱり幼稚だし、内容もない。だからこそ、「エッセイ」を書く時に一番助かったのが、高校の時にならった文法だった。文法に当てはめて自分の考えを当てはめていけば、それなりのエッセイも書くことが出来たから。。。学校英語も捨てたもんじゃない、いやいや、学校英語、つまりしっかりとした文法がこんなところで役に立つとは、やっぱりすばらしい、と認識した。だから、「英語を書くこと」が苦手な人は、文法をもう一度学習することを私は今でもオススメしています。
2004年10月12日
「全ての教科をAで卒業したい!」なぜなら、こんないきさつがあったからです。私の行くカレッジには日本人留学生がたくさんいて、多くの生徒が「日本の大学に失敗したから」「とりあえず留学でもしてみる」という理由で在籍している人が多く(私もそうですけど)、ほとんど勉強もせず、日本人仲間で毎日遊んで暮らしている生徒がたくさんいるのを、入学後まもなく知りました。しっかり勉強にいそしんでいる、いわゆる日本人留学生は少数派でした。ベンツにのり豪華なアパートに住んでいる若い(18歳から20歳ぐらい)日本人学生達までいました。自分も「同じ留学生」としてくくられてしまうのが、すごく悔しかったのです。私は一応大学受験もしたし(えらそうなことはいえないけど)、英語にはちょっとだけ自信があった(今から見ればたいしたものでは全くないが)。それなら、私ができることは「優秀な成績で卒業すること」で、自分自身を納得をさせたいと思い始めたのです。彼らとは、いい関係を築きながら(無視することもないですよね)、自分は自分という気持ちで、2年間を過ごしました。はっきり言って「遊んでいるヒマなどない」ほど勉強に忙しかったです。そんな彼らがいたおかげで、日本の大学で全く勉強しなかったことを逆に反省し、私は気持ちを新たにして勉強しよう、という決心ができたのです。「できることは精一杯がんばろう」と。それに学費も全て自費ですから、無駄にしてはならないと。ま、自費といっても夫の給料。夫のお金は私のお金。私のお金は私のお金。高校の頃キライだった数学もなぜか本当に楽しく、もっと勉強したいと思ったほどです。栄養学、ビジネス関係論、地理、歴史、音楽、英語(国語)も楽しかった。体育もゴルフのレッスンが取れたし・・・。留学半年で、ようやく先生の言う英語が聞き取れるようになった時は、長いトンネルから光が見えた感じでした。毎日、緊張を強いられていたためか、朝起きるたびに頭痛がしました。毎日カレッジに通い、帰宅後はお昼から11時まで勉強。時間の取られる家事をするのがつらかった。唯一の楽しみといえば、金曜日と土曜日に、外食に行くこと。その他は、セメスターが終わって次のセメスターが始まるまでの数週間はもうまるで天国のようでした。
2004年10月04日
ようやく、幼い頃からの夢「留学すること」が他人の力で叶いました。「やったぞ~」という気分でした。遊びほうけた大学時代でしたが、「英語がペラペラになりたい」という気持ちはメラメラと燃えていたのです。夫の留学時代、私も時間を無駄にしてはならない、せっかく便乗留学できたのだから、私もどこかの大学で勉強しなくては、との気持ちでTOEFLを受けたりしました。その当時の私の英語力はたったの500(旧スコア)。これは、4年性の大学に入学可能な最低ラインでした。 そうして、夫の大学に一番近いカレッジを選んで、そこにTOEFLスコアと大学時代の推薦状を郵送して入学が可能になりました。でも、アメリカのカレッジなんてそんなに手続きの難しいものではなく、窓口に行ってお金さえ出せば誰でも入学可能であると、現地で知りました。そして、夫の大学院のクラスが始まると同時に、私も近くでのカレッジでのクラスがスタートしたのです。 「留学生活」というと、芝生に寝転んで厚い本を読んだり、テキストを腕にかかえスケートでキャンパスを駆け巡ったりとそんなイメージがありました。しかし・・・現実は、「地獄」のようでした。まず、先生の話すことがわからない。テキストは分厚く(半端でなく厚い)、一セメスター(5ヶ月ぐらい)に、5冊ほど読みこなし、それについてのテストが課される。たいして英語力のないわたしが、辞書片手にこの分厚いテキストを読みこなすのはいかに大変だか、想像がつくというものでしょう。「文化人類学」「英語」「栄養学」「ビジネス」「地理」など。それに、発表もある。自分が選んだテーマをみんなの前で発表することはこれまた憂鬱の種。とりあえずいうべきことを全て英語で書き留め、それを必死で暗記したりしていました。能力のないわたしが頼れるのは、このときも唯一暗記のみ。このときも暗記だけで切り抜けていたような気がします。ただ、この暗記ですが、何度もしていると、文章をそのまま覚えて自分のものになっていくという利点がある、というのを発見しました。暗記はつらかったですが、今考えると、とてもよい方法だったのではないかと思います。
2004年09月25日
私の結婚はとても早かったです。このことは「HELLOの幼稚園」でも紹介してありますので、そちらをお読みくださると幸いです。当時夫と付き合っているとき、夫が「会社でね、アメリカの大学院に留学できる制度ができたんだ」と聞かされました。「え?留学?」一瞬私はニヤリとしました。「よし、これに乗るしかない。自分で留学までは出来ないけど(その勇気もないし、お金もないし、能力もない)、配偶者と一緒にアメリカに行けるなんて、これはもう“棚からぼた餅“というもの。うっしっし」とほくそえみました。自分の計算力の高さにうっとりしていました。そして、結婚後2年で、アメリカのキャンパスを自分が踏むことになったのです。利用できるものは何でも利用しなきゃ損だ!と思いました。
2004年09月20日
正直言って、なにもかもがカルチャーショックでした。食べ物、習慣、言葉。言い尽くせません。19年生きてきて、最大の驚きでした。英会話学校ですこし練習したことの実践版ですが、自分が、いかに英語が話せないか、というのがよくわかりました。話す時は、頭の中で一生懸命英作文をしているのですが、遅くて遅くて自分でもいやになるぐらいにもどかしかった。ホームステイのママは、ゆっくりしゃべってくれるのにそれでもよくわからない。それなのに、だれかとの内緒話は、なんだかよくわかる。地獄耳ってこういう事をいうのかな、と思ったものでした。ある日、ホームステイをしたグループの一人に用件があり電話をかけることになりました。ドキドキ☆ 心の中で練習した通り、May I speak to ○○?というと、「Hold on!」との家の人の返事。え?なんだって?「Hold ON?」HOLDは「持つ」だし、Onって、上に置くってことよね。つまり。。。「持っている受話器を置けってこと?今いないから、出られない、ってことかな~?」と悶々としながら、受話器を置きました。ママに、「いなかったの?」と言われたので、Hold on!といわれたから、受話器をおいた、ということを、がんばって伝えていたら、まもなくその相手から電話が鳴りました。「Hold On!はお待ちください、という意味だったのね。お待ちくださいなら、Wait a minute.だろうが…」1ヶ月の滞在でしたが、「もっと英語勉強しなくちゃ」という気持ちを作るには充分でした。そして、毎日甘いお菓子を食べていたら1ヶ月で5~6キロも増えての帰国となりました。寝る前に、冷蔵庫から、アイスクリームを3スクープもお皿にもって食べて、スプライトで水分補給する毎日ってやっぱり、太るのね。。。若い私には、美容より食い気だけでした。だって、アイスクリームがそこにあるんだもん。やっぱり食べちゃうよね。
2004年09月13日
さぁ、待ちにまった憧れの大学生活。ハンドバックにブックバンド、パンプス(そんな言葉もあったっけ)に、バッチリ化粧をして、ブックバンドを小脇に抱えて「花の女子大生」(そのころ、そんな言葉が流行っていました)を謳歌し始めました。オシャレも雑誌を見て研究し、勉強はもちろんそっちのけでした。とりあえず、難しそうな洋書を抱えて、女子大生風の格好をして歩くことだけが、「かっこいい」と思っていたのです。合コンも楽しかった。合コンも回数を重ねると、ついに「東大理科三類(医学部)限定」「女性は1000円」というケチをつけたりして、今から思うと「なにやってんだか」という感じの言葉しか出てきません。 英語は、高校の進学指導の先生が言っていたとおり、みな「同じぐらいの実力」の生徒が集まっていた。入学後英語科内で英語の実力テストがありました。なんとリスニングは下から数えてたぶん10位ぐらいだったと思います。なんにも勉強してこなかったし、急にテストされてもねぇ、などと開き直ったりもしていた。成績はどうであれ、とりあえずキャンパスライフが楽しければそれで良し、というような気持ちしかありませんでした。 授業は、ペーパーバックを読むクラス、英会話、文法、タイプ、エッセイを書く時間など、あまり真剣に受けていないので、授業の内容も、今でもおぼろげです。そういえば、あの頃ベストセラーになった、「シンデレラコンプレックス」という本を読んで、それについての質問や意見を書くという、テストが出たことを思い出します。その時は、みんな「日本語訳」を最初に読んで、重要個所を、英文の中から探して、対処していました。あ、あたしだけじゃなくってよ。み~んな「日本語訳」読んでいたんですから・・・。 今から考えてみると、何のために大学に行ったのだか全く意味のない生活を送っていたような気がします。「無意味」とはこういう事をいうのかな・・・と。英会話学校に、親に高いお金を払ってもらって通ったのが、結構楽しかったかな・・・?一生懸命英語を話したいという気持ちは「少し」あったので、小さい頃からの夢だった、「アメリカホームステイ」を1年生の終わりに一ヶ月間体験することになりました。つづく~
2004年09月07日
私は、早く世に出て働きたいと思っていましたので、大学に4年もいくことは考えられませんでした。高校の勉強が大変だったのに、これ以上勉強するなんて・・・。早く働きたい、できれば「英文学」ではなく、実践的な英語を学びたいとの理由で短大を迷わず選びました。 まず、受験科目として、「国語」「英語」「社会」の三つだけですから、共通一次(古い言葉ですよね)を受ける生徒の多い中、大学受験とはいえ、ちょっと肩身が狭かったです。「いいよね、3科目だけで」という風に言われるとちょっと悔しかったけど、目的も違うし、私は早く働きたい!と高校3年生で早くも思っていたのです。高校3年生から教科が選択になり、理科系の一切の科目とはおさらば。あ~、すっきりした!物理、化学、生物、数学がなくなってすっかり肩の荷が下りました。 この大学受験の模擬試験などで、自分の、日本全国での順位が位置付けられることになりました。高校受験は、狭い狭い世界。せいぜい学校の中か、もしくは近隣町の中での順位です。それが大学受験となると、全国規模での順位になるのですから、自分の実力を目のあたりにすることになるのです。世の中には、「英語得意」なんてウン十万人もいるんですね。私はなんて小さい世界にいたのだろう・・・と。そしてもっと困ったことが起こりました。なにが困ったかというと、私は「国語」が不得意。英語と社会は好きなので、受験には大丈夫だとしても、「国語」が一番足を引っ張ることになるとは・・・。進学指導の先生に言われました。「英語科といっても、みな英語の得意な人が行くんだし、みな実力は同じ。社会はみな受験に向けてがんばるからそれなりにまた同じ。差がつくのは「国語」なんですよね。国語はいまさらやってもあまり実力は伸びませんが、問題集を一冊がんばってみてください」と。ガ~~~~~ン!いまさらやっても遅いって?いまさらあきらめるわけには行かない!今まで「国語」をおろそかにしていた自分を悔やんだ。教科書もロクに読まないで、テストを適当に受けてきたし、古文もその回のテスト限りの勉強で真剣にやらなかった。「国語」だからその場でなんとかテストを解けばいい、とおもっていた私。 ラッキーなことといえば、私が受験した頃の英語なんてものは、机上で勉強していればどうにかなる、狭い狭い日本の中での英語力でした。「書き換え」と「長文」が主な英語のテストで、ヒアリングなどは、英語科なのに受験したところでは全く出題されませんでした。ラッキ~!「日本の学校英語」だけで受験できた時代に生まれてきた良かった・・・とその時思いました。ヒアリングなんかあったら、多分〇点間違えなしだったでしょう・・・。あ、でも他の受験者も同じような境遇で勉強しているのだから、困るのは私だけではなかったかもしれません。 この頃使用したテキストは、「出る単」「出る熟」「駿台の問題シリーズ」「英語長文問題精講 標準問題精講シリーズ 中原 道喜 (著) http://esearch.rakuten.co.jp/rms/sd/esearch/vc?sitem=%B1%D1%B8%EC%C4%B9%CA%B8%CC%E4%C2%EA%C0%BA%B9%D6++++%C9%B8%BD%E0%CC%E4%C2%EA%C0%BA%B9%D6%A5%B7%A5%EA%A1%BC%A5%BA&sv=30」(←ちょっとよく覚えていませんが、本屋に平積みされていたので適当に買ってやってみた覚えがあります。あの当時、この問題集は「かなりよい」と高校生ながらに思っていた覚えがあります)周りの皆が使っているから、私もとりあえずそれをやっておこう、という安易な気持ちでやっていたと思います。自分の器ではないぐらい、結構難しかったと記憶してます。 世界史は苦手。どうもカタカナの名前が出てくると誰が誰だかさっぱりわからなくなる。日本史は、漢字なのでその点ラクチン。あ~、私って日本人だわ~!特に鎌倉時代と江戸時代以降の歴史が大好きでした(単に東京にすんでいるというだけで親近感!)それに、世界史はあちこちの国の歴史を学習しなくてはいけないので(それが世界史ってもんだけど)、頭のなかはぐちゃぐちゃでした。あ~、私って頭悪~!年代もゴロで覚えたりもしたけど、ゴロを覚えるのが大変だった。あんまりゴロを覚えるのは意味ないね、と思ったりしました。短大に合格したときは、やっぱりうれしかった。「もう、勉強なんかしないぞ!めいいっぱい遊んでやる!」って思いました。
2004年08月26日
高校に、いわゆる「帰国子女」がいました。彼女は、フランス語や英語の発音がずば抜けてよく、いつも英字雑誌などを持っていたり、授業中英語を読むと、先生も生徒も一目置いていました。正直、私もすごくうらやましかった。「帰国子女はいいよね。な~~んにも努力しないで発音がきれいなんだから」って妬みもありました。「なんで、私の両親は海外転勤と無縁なのよ!あ~あ、不幸な星の元に生まれてきたよ」と自分の境遇を嘆いたりもしました。私はいつも他力本願。でも、その彼女、学校の英語の成績がそれほど良くなかったんです。あんなに発音もいいし、英語雑誌もよんでいるのに・・・。それを見てわたし思いました。「いくら発音がよくても、学校の成績が良くなくちゃダメよね」って。一種の嫉妬というか、そんな気持ちでした。だから、学校の英語はしっかり勉強しよう!ってまた思ったんです。
2004年08月24日
高校とは、自分と同じ実力の生徒がたくさんいるわけですから、ちょっとでも勉強しないと、テストでは最下位なってしまう恐れがあります。ちょっとなまけるとどん底の成績になってしまうのです。 そんななか、中学での私の成績は、数学は5段階相対評価で5でしたが、高校では10段階絶対評価でなんと「4」。がんばっても「5」か「「6」にしかならないんです。高校に入ってまず思ったことが、「授業が中学に比べて半端でなく難しくなった」ということ。そこで思いました、わたし。どの高校でも同じことを勉強しているわけだから、私より成績の悪かった中学時代の友達はいったいどうしているのだろうかと・・・。数学の虚数とかでてくると、「なんと細かい」と嫌気がさしました(言い訳です・・・)。数学や、物理化学の予習をしようとしても、難しくて予習さえ出来ない。つらいつらい高校時代でした。そんな中、英語だけは唯一の心の支えというか、心のよりどころとでもいうのでしょうか、自分が唯一優越感に浸れる科目でした。といっても、ちょっと勉強しないと、得意な英語もどんどんとおいていかれます。私から英語をとったら何も残らない、なにもできない、自分の存在理由さえ失われていくようで、そんな気持ちと焦りの中での英語の学習でした。英語だけは不得意科目にできない理由がありました。「英語ができる自尊心」を持続させるにも、努力が必要なのだと、高校生の私は気づきました。 高校の英語は文法を中心にといていくと、本当に楽しい。パズルのように文章を組上げていくと、英語になるのだから、ここでも文法は魔法の杖のようでした。そんな私でも高1の時に学習した「仮定法」と「比較級」は厄介な単元でした。高校の英語は、「文法Grammar」「Reading」「作文Composition」の3種類。あまり覚えていませんが、たしか週に5~6時間あったような気がします(都立高校)。その時の私の勉強方法も、教科書の丸暗記。教科書の数も多く、文章も難しく大変でしたが、「丸暗記」する以外私には何の手立てもなかったのです。とりあえず口慣らし的に丸暗記していれば、どんな問題が出ても太刀打ちできました。なんとか、10段階で「10」か「9」を保っていましたが、自分なりに努力はしたつもりです。なんせ、「私の存在理由」がかかっているのですから。 初めて「英検」というものを知り、高校2年生ぐらいのときに、英検2級をとりました。あの当時は、受験英語そのままでしたから、今に比べてそれほど難易度も高くなかったのでしょう。
2004年08月19日
中学にあがると、その英語の先生は転勤で、引越しをしてしまったのです。焦った母親は、どこからか、またいい英語教室がある、という評判を聞いてきました。早速、その先生のうちに菓子折り持参で私と妹と母でたずね、その場で入会することになりました。 この先生の指導力は、本当にすばらしかったです。お月謝もすばらしく高かったですけど。今でも覚えています。1週間1回45分プライベートで18000円です。つまり一時間6000円です。1978年ごろでこの値段です。それでも、たくさんの生徒さんを教えていました。月謝が高くてもみな辞めないし、それどころかどんどん生徒は増えていく。中学生ながらすごいと思いました。そして、親に「高い月謝を払わせているのは悪い」という気持ちも芽生えていました。姉妹ふたりで、英語だけで36000円です。すごいですよ。自分が母親となった今でも、自分達の娘に月36000円は払えないです。今はその金額の価値は6万ぐらいになっているかもしれません。決して私の家は裕福ではないですが、なぜかまじめに勉強すればお金を払ってくれる環境ではありました(高校までは公立でした)。 その先生は、文法を中心に進めて行き、文法事項を理解すると、こんどは問題集をどんどん解いて行かせます。宿題は一切ありません。お月謝が高かったので、私も真剣でした。文法がわかると英作文も長文も面白いようによくわかっていきます。この先生にならって英語がよ~くきっちりとわかる世界に入り込むことができました。文法は、魔法ようです。どんなに難解な文章でも文法を当てはめるとなぜかスルスルッとわかってしまう。学校での英語の成績は絶好調でした。(あくまでも学校内のテストで絶好調というだけで、全国レベルではありません。)やり方としては、教科書を全て口に出して丸暗記をしました。全部覚えてしまえば、英作文だって文法だって、穴埋め問題だってへのかっぱ。丸覚えは大変でしたが結果がついてくるので、それなりにがんばりました。そのころ、私は「将来英語の先生になる」という夢が出来てきました。理由は「中学の英語のテストの点がよかったから」です。 小学生時代は、英語を勉強していたもののそれほど実力がつくわけでもなく、反対に自尊心だけが育っていきました。中学時代は、いい先生に恵まれたこともあって、「学校英語」は本当によい成績でした。(今思うと、「中学時代、英語は得意だった」という人は星の数ほどいますよね)無事、希望の都立の高校にも合格すると同時に、個人指導の英語教室も終了となりました。後日談その先生のお子さんは、女一人で世界旅行をし、それについての出版をしました。先生とお別れの日、その本をいただきました。世界旅行なんていう言葉は、私にはまだまだ理解できない15歳の春でした。
2004年08月16日
英語は私の得意分野?近所の英語教室の先生との出会いは、たぶん私の英語人生?始まりだったと思います。その先生は、以前中学校で英語の先生をしていた経験があり、中学生の英語の教科書中心に個人指導をしてくれました。急に文字を読ませ、日本語を理解させます。ノートも学校の先生らしく、ノートの左に教科書の英文を2行おきに書き、右ページ半分に一行おきに日本語訳を書きます。右ページのその半分には、文法事項や単語を書き込みます。新しい世界に入ったように思えた私は、なんだかよくわからないけれども、「英語の勉強はとっても楽しい」と思えるようになりました。ヒマさえあれば、英文をノートに写し、辞書で単語を調べていたのです。理解しているわけではなくただ教科書を写すその「作業」がとても楽しかったのです。それを見ていた両親は、英語を勉強している(ように見える)私をすごく褒めてくれました。だから私も自然に「もっと勉強してほめられたい」と思うようになっていきました。私の親は英語には全く素人ですから、「今からそんなに勉強していたら、将来は通訳だね」とまで言ってのけていたのです。そのうれしそうに話す両親の言葉を鵜呑みにし、「通訳」という言葉もわからないまま、親のいうことを素直に聞いて、私は将来通訳になるんだと思い始めました。その先生も私をとても気に入ってくれて、「あっこちゃんは、将来きっと通訳ね」なんて言ってくれました。小学校3年から6年生までの4年間をこの先生から、中学校の英語の教科書を中心とした英語を習いました。これだけを読めば、「さぞかし英語の実力がついたでしょう」と思われるかもしれませんが、長くやっていたわりには、小学6年生になっても「話せない、読めない、書けない、聞けない」私がいました。そんなことも気づかないまま、自分の実力とは裏腹に、私の英語に対する自尊心だけは大きく大きく成長していってしまったのです。友達に対しても私はある種の優越感もありました。英語が読めるたり(字面だけ、筆記態が書くことができたり、友達からも尊敬の的になります。すごくいい気持ちでした。他の皆ができないことを私はできる!と思っているわけですから、こんなにうれしいことはありません。実力がそれほどついていないとは知らぬまま中学1年生を迎えることになりました。
2004年08月13日
しばらく書き込みをしてなくて、日記もチェックしていなかったのですが、気づいてみるとなんだか小さな字になって見難くなってしまったような気がします。ま、いいか・・・。先日、生徒さんのお母さんから、私がどのように英語を学習してきたか教えてほしい、とたずねられました。そんな経緯もあってしばらくこの話題で日記をつづってみようと思います。自分の子どもについては、どうも母親としての主観が入ってしまいがちですが、自分の英語人生(大げさですが)、比較的冷静に見れるような気がするので、素直につづってみたいと思います。英語の世界を知る (5歳から小2まで)私が英語の世界をしったのは、5歳ぐらいの時だったと思います。ある日、父親の知り合いのアメリカ人(どういう経緯があったのか知りませんが)が、私たち家族の住むアパートに訪ねてくることになりました。そのアメリカ人は家族とともに、大きなキャディラックでたずねてきたものだから、アパート中の人たちがみな外に出てきたと、父は私によく自慢していました。父は英語が話せませんが、なぜか度胸だけはある人で、そのアメリカ人と英語で話すのをみて、「かっこいい」と素直に思いました。それからというもの、私はABCに興味を持ち出し、クリスマスソングを英語で歌ってみたい、と思うようになったのです。親にクリスマスソングのレコードを買ってもらい、それを必死に「ひらがな」で紙に書き留めました。とにかく、日本語とは違う「英語の世界」があることを知り、自分も「かっこよく話せたらいいな」と思うようになりました。私の親も、小さい頃から「英語はできないないとこれからの将来は使い物にならない」とことあるごとによく言っていました。それなのに、親は何をするわけでもなかったのです。小学校一年生の頃、近くの教会でやっている英語教室に通うことになりました。その教会の天井は高く、窓も上下にあくもので、日本の家とはかなり違って、なんとなく薄暗い室内でした。数人の子どもと牧師さんであろう先生が、単語をリピートしていたような記憶があります。なぜか母がいつも同室(教会内の離れた席に座って)しいたので、先生が「Close the door.」と私に言うと、私は母親にジェスチャーで「ドアを閉めろって言っているの?」と目でたずねていました。母親がうなずくと、私は自信をもってドアを閉めることが出来たのです。「お母さん、英語わかるんだ、すごい」と密かに思いながら、ドアを閉めていた記憶があります。母は、英語は全くダメです。そんななか、ラボパーティの話が近所であり、友達数人で通うことになりました。その頃はラボ専用のカセットを再生できるレコーダー(当時1万円ぐらいだったと思います)というのを買わなければなりませんでした。母はぶつぶつ言いながらは仕方なく購入していましたことを記憶しています。ただ、そのレコーダーをいつも寝る前に聞いているせいか、私も妹も絵本の内容を全て覚えてしまいました(今で言う暗唱ですね)。絵本の劇をしたりしてとても楽しかったのですが、なぜかあまり英語が上達した感もないまま、2年あまりでやめてしまいました。母は、「せっかくレコーダーかったのに・・・」と最後まで往生際の悪いことを言っていました。やめた理由は、すぐすぐ近所に英語教室をしている先生を紹介されたことでした。つづく。
2004年08月12日
ケチシリーズもかなり続きました。いろいろな方から、「つぼ八というところに行くんですね!」と言われましたが、私はかなり庶民のなかの庶民だと思います。というより、かなりケチ臭いことばかりしているとよく思います。今日は、娘たちの出費について。お稽古事は、私が英語教室を始める3~4年ほど前の長女が年中さんだった頃までは、比較的いろいろと習い事をしていましたが、自分で教室をはじめてから、母親の私が連れて行くことが出来なくなったので、いくつか習い事をやめたことがあります。現在は、子どもの足で通うことのできる近場(所要時間5分から10分のところ)の習い事(ピアノとプールと絵)に行っています。(LUNOAの生徒さんは遠いところから通ってきてくださるというのに、私は情けないです・・・)私は結婚以来引越しが多い(6~7回)ので、そのたびに整理が大変でした。引越し前夜はなぜかいつも徹夜になってしまいました。度重なる引越しのおかげか、モノは買わないで済ませることが多くなってきたように思います。引越しは整理する絶好のチャンスで、「3年も見ていなかったもの」「存在すら忘れていたもの」はすっきりと処分してしまいます。だから、買い物が多いと、捨てるものも結果として多くなってしまいます。また、整理や収納に大変になり、部屋がモノであふれている状況になり、自分で自分の首をしめなくてはいけない、ということも引越しでよくわかりました。さて、それをふまえての娘の洋服や靴ですが、収納や整理が面倒なので、1シーズン4組ほどあれば充分だといつも思っています。買い物は、いいものを少なく買い、ほしいものは定価でも買うことがあります。そして、次女にお下がりに出来ないぐらいに、その洋服をとことん着れば完全も元は取れます。次女にもできれば新しいものを買ってあげたいと思うからです。そんななか、うちでは「オンリーワンシューズ」という言葉があります。良い靴を1足だけ買って、それを毎日毎日きつくなるまではきつづけます。きつくなる頃にはボロボロになりますから、気兼ねなくゴミに捨てられます。そしてまた、良い靴(とはいっても一足3~4000円ぐらい)を買います。とはいっても、お出かけ用の靴も1足ぐらいは必要なので、一応用意しておきますが、あまり履かないのできれいなままきつくてはけなくなってしまうこともよくあります。足の形はみなそれぞれ違うので、靴は、お下がりなどしてはいけない、というのを聞いたことがあります。だから、うちはいつも「オンリーワンシューズ」!です。そして、際目付けが公立の小学校。お金が本当にかからないんですね。私立の幼稚園はそれなりに月数万円かかりますが、公立の小学校は、給食代が一日220円と学期ごとの教材費ぐらい。全て税金でまかなわれているのかと思うと、本当にありがたい限りです。公立の小学校というのは、無料で教育を授けてくれるところ、と思っていれば、それほど腹の立つこともありません。娘達がハッピーに通ってくれているのであれば、それだけで私たち親は大満足なのです。普段の生活にはあまり子どもにはお金はかかっていませんが、強いて言えば、英語に関する教材は、比較的お金をかけてきたかもしれない・・・と思います。
2004年07月23日
「ケチシリーズ」は、なんだか順調に「その4」までになってしまいました。またまた、私は「ケチだな。。。」と実感。思い当たれば出てくる出てくるケチな話し。結婚が早かった私たち夫婦の20歳代前半の生活がきつかったことは前にも述べましたが、夫が20歳代後半になってくると、週末の「外食」もだいぶできるようになってきました。でも、「ケチ」がシミついた私たちの生活習慣はなかなか抜け出せることができなくなっていました。私が確か、20歳代半ばだったころ、待ちにまった「夕食を作らずに外食を楽しむ土曜日」がやってきた日のことです。夫「今日はどこ行く?」私「やっぱり、安く上げるためにも、”つぼ八”でしょ!」夫「そうだよね。あそこなら(財布)気にせずにたらふく食べれるしね。」すると、夫が急に「あ!今6時5分まえだ!まずい!たしか、6時までに入店するとビールが半額だった!ま、間に合わない」私「あんた、走って先にビールジョッキ2杯注文しておいて!」夫「(血相を変えて)わかった!」というなり、風のように消えていきました。のそのそと後から入店した私は、店の奥で夫が手をふって幸せな顔をしているのを見つけました。なんとテーブルにはめでたくビールのジョッキが2つ!私「でかした、でかした!」私たちは、飲み屋にはいっても特に何も話すことはない。もっぱらすることは、隣に座った人たちのウォッチング。夫「となりの大学生、女の子口説いているね・・・」私「ほんとだ、あれじゃ口説けないでしょ。。。」夫「男はみんながんばっているんだよ。そっちの(私の隣)おじさんはどお?」私「会社での愚痴じゃない?サラリーマンも大変だよね」←のんきな私という風に、なぜか飲み屋にはいると、耳だけをそばだて、みんなどのような会話をしているのかを聞いているはとても楽しかったです。夫婦の会話なんてなし。食べるのみ。あとは飲んで…。20歳代後半は、20歳代前半と比べて、外食できるようになった私たちの家計もすこしずつ楽になってきました。
2004年07月05日
私は買い物が嫌い。スーパーも行くのは面倒だし、バーゲンも今まで行ったことはない。ほらほら、冷蔵庫や家の食品庫に、賞味期限が切れてしまった食品がたくさん入っていることってありませんか?そういうときは、結構「損したな~」と感じる。あのとき、安いからってたくさん買わなければ良かった・・・と後悔しても後の祭り。だ・か・ら、食品がないときは、食品庫をがさごそさがして、干物などで乗り切る。ひじきとか、変色しているかんぴょうとか、いただいた缶詰とか、古くなって黄色くなっている干ししいたけとかは、使いきる絶好のチャンス! 賞味期限?買い物をする時には、もちろん新しいのを買うけど、家で古くなった場合は、期限が切れていてもへっちゃら。うちの家族って胃腸は強いんです。昔、結婚当初夫の給料だけではやっていけない時に、パートで勤めていた会社で、仕出し弁当がでた。やった~!これで一食浮く!さらに、仕出し弁当がいくつか余ったので、会社の冷蔵庫にいれて明日のお昼に食べよう!とナイスなアイディアを私が提案。そして次の日、そのお弁当を皆で温めて食べたんです。お昼休みも終わって、仕事に戻って1時間ぐらいして、「中村さん!大丈夫だった?」と血相を変えた社員が私のところにやってきました。その人曰く、そのお弁当を食べた社員が、みな気持ち悪くなり吐き気をもよおしているとのこと。「あのお弁当どうもいたんでいたらしい・・!」え~~~~~~!そういえば、酢の利いたから揚げ弁当だと思っておいしく食べていたけど、あの酢は、もしかして・・・。私だけ何ともなかったということ?なんだか、「何でもありません」というのも恥ずかしいぐらいだった。腐った弁当食べても「酢が利いていておいしいな」と思っている私はいったい・・・?このことは、今でもちょっと腐りそうになった食品を見るたびに、いつもいつも思い出す。「腐ってるものは、捨てなきゃね」って。
2004年06月28日
私は結婚が早かったため、結婚当初はあまり豊かな生活ではなかった。新卒2年目の夫の給料は17万円で無理やり残業してようやく20万円ぐらい。税金保険家賃となんだかんだひかれると、手取り4万円。私も事務員のパートに出て月8万程度。なんだか超貧乏な暮らし。他の20代の若者は、給料全部自分のものになるのに私は、なんでこんなに苦労しなくちゃいけないんだ・・・くそっ!で、ひらめいた!そうよ、どのぐらいケチることができるか、試してみようじゃないの!そう思ったらなんだかとっても楽しい!まず、お風呂に入る時は、部屋の明かりは全て消す。(お風呂に入っているんだからいない部屋の明かりはつけておく必要なし)シャワーは厳禁!全て湯船のお湯を使ってでてくる。歯磨きは、最後はチューブをしごく。さらに、チューブをはさみでひきさいて使う。マヨネーズやケチャップも同様。買い物は、身体に必要のないものは一切買わない。つまりジュース、お菓子類。でも、痩せなかった・・・お米は、届けてもらわず自分で取りに行けば割引になるというのでお米屋へ自分で行ったら、重いのなんのって・・・。雨の降る日だったので、手にはかさとお米と、買い物袋で、手にお米の袋が食い込んできて本当に痛かった。トホホ・・・私が働きに出ていた会社は、制服があったので、冬なんか、朝起きた時にもう制服を着てしまう。それでコートを着て会社へ。会社では面倒な着替えもいらないし、コートをさっと脱ぐだけ。もちろん帰りも、コートをさっと来て帰宅。帰りがけにお茶でも誘われちゃうとコートの下は制服なので、「今日はちょっと・・・」といつも断っていた(お金ないんです~)。帰宅後も、制服は脱がずそれで家事をする。制服のクリーニング代は会社もちだから、汚れてもへっちゃら・・・(ご、ごめんなさい)私服は必要なかったな~。外食も厳禁!お金ないし・・・。だから毎朝お弁当作る。飲物だって水筒もち。徹底してくると結構楽しい。お小遣いはその頃たぶん、私が1万5千円ぐらいで、夫が3万円だったような気がする。そのころは、20歳代の若者を見るとうらやましくてうらやましてくて仕方がなかった。どうしてこんなに若くして家事しなくちゃいけないんだ~!といつも愚痴っていました。私の青春返せ!10数年ほど前のあの頃に比べ、生活はかなり楽になりましたが、あの頃染み付いた私のケチ癖は、しょっちゅう顔を出します。
2004年06月14日
子供達が使った短くなった鉛筆。小さく短くなった鉛筆は本当に持ちにくい。だからウチには、捨てられない、センチ寸の鉛筆がたーくさんある!5センチまでキャップとかつけて使わせてしまう母親の私。そこで、考えた!いいアイディアを・・・!私って結構天才かも?そうそう、その短くなった鉛筆を真新しい鉛筆に、アロンアルファでくっつけるんです。それで、すご~~~~~く長くなった鉛筆を使って、これ以上けずったら、真新しい鉛筆が削れてしまう!ッてところで、短くなった鉛筆を、また次の5センチ寸の鉛筆と交換!永遠に、なが~い鉛筆を持つことが出来て、なんだかいつも新品気分!子どもも「長い、長い!」って喜ぶし。お外で、「おうちで持つ鉛筆はいつも長いの!」と子どもが誰かに言えば、「あ~ら、中村さんちって、いっつも新品鉛筆ばかり使っているのかしら・・・?お金持ちね~」なんて思われちゃうかも?でも、この方法に、不向きな鉛筆もあるのです。かわいいファンシー系の鉛筆で頭のてっぺんがカバーされていて、鉛筆の芯が剥き出しになっていないものは、駄目。だってアロンアルファでくっつかないし、一度ナイフでこの部分を削ってみたのだけど、曲がっちゃうしで、涙をのんでこの鉛筆は、3センチまで使わせてあきらめました。クスン・・・なんだか、こうなると家中の短くなった鉛筆がみんな出番を待っているように光って見えます。なんだかお宝をもう一度発見したような気分!鉛筆なんてそんなに高いモノではないのだけど、どうしても短くなった鉛筆がもったえなくて仕方ない。でも、学校へ持っていくふでばこには、そんな長い鉛筆は入らないので、ノーマルなものを入れさせています。だから、短くなる鉛筆はたまる一方・・・。家でももっとしっかり勉強しないと、なくならないな~。
2004年05月30日
長女が、この春から小学校3年生になった。教科書を見てみると、唖然!か、漢字が多い!それに、生活科から理科・社会になって、より専門的になってきた(感じがする)。(理科は、私は不得意ですわよ。。。)通常、子どもが帰宅する時間帯は、私は仕事なので、子どもの帰宅から6~7時ごろまでは、子どもの好き放題になってしまう!こ、これではまずい・・・!と私も一念発起(大げさな言葉・・・)!漢字の宿題ノートを出しておき、帰宅後にするようにと一応朝、言っておくが、たいていは、子どもは遊びに行ってしまう。この4月から、国語の教科書の音読をしなさい、漢字練習をしなさい、だのうるさく言っていたら、「ママ、英語はやらなくてもいいの?」という。「英語はやらなくていいの!とにかく漢字は、日本人にとっては大事なんだから、そうよ、日本人の心よ!漢字がないと、一人前になれないんだから・・・。音読と漢字!これが終わるまで英語はやってはいけな~い!」とまくし立ててます。3年生になって、英語をやる時間がだんだん少なくなってきてしまいました。というより、今差し迫った「やるべきこと」が目前にあるので、切羽詰っていない英語は、なかなかやる時間が取れないのが現状です。音源教材は、比較的楽に聞けますけど、それでも、年々聞く時間が少しずつ減ってきています。だからこそ、忙しい時間のなかで、英語のための学習時間をきちんと確保することが大切なのだと思います。一般的に、多かれ少なかれ、あんなに熱心だった幼児期の英語熱も、小学校で学年が進むとだんだん、薄れてきてしまうのでしょうね。もちろん、それも自然なことだとは思いますが、ここで一番重要なのは、「続ける気持ち」なのではないかと思います。幼児期のある一定の時期、猛烈に勉強しておしまいでは、高い英語力は望めないでしょう。「続けることの大切さ」は、だれでも平等にできる公平な、努力だと私は思います。今日は反省の意味をこめて・・・。「漢字の宿題終わったの~?」毎日漢字漢字とうるさい母親です。漢字ができないと、ほんと恥ずかしいですよね・・・。
2004年05月25日
TOMATOMAという通販雑誌が送られてきてまもなく、「いずみ書房」の児童英語教材カタログが送られてきました。この冊子にも、「赤ちゃんからの英語レッスン」が紹介されています。いずみ書房無料カタログはこちらからこの冊子カタログに掲載されることを、出版社経由で知ったのですが、どのように掲載されるかわからず、届いた時は、目を皿のようにして探しました。後ろの方のページの「お母さんの本棚」というページを一冊一冊見たのですが、載っていないし・・・。そして、予想外にも、あの大人気ORTと一緒の「枠」に掲載されていて、私はニッコリでした。たとえ3行の宣伝文句でも、あのORTと一緒に載せてくれるのであれば、身に余る思いです。このカタログからも、いろいろな商品をいままで注文をしてきました。「マザーグースコレクション」や「ピーターラビットのCD付き絵本」など。このあたりは、使いこなしている、とはいえないですけど、なんだかついつい教材を注文してしまう私のクセは、子どもが生まれてからずっと続いていて、これからも確実に続きそうです。あ、早くTOMATOMAの商品を注文しないと、売り切れになっちゃうから、今週末に注文しよ~っと。スクール水着に、プリンセスバスタオル、私用のお部屋おくつろぎパンツとシャツ。酔い止めリストバンドに、ゆで卵の黄身が星型になる便利グッズに・・・。あ~~止まらない!あ、そうそう「赤ちゃんからのレッスン」をTOMATOMAで購入くださると、送料500円のところが300円になります。1万円以上で送料無料です。送料無料になるまで、1万円以上にして商品をまたまた購入しまう私です。
2004年05月21日
子どもが生まれた時に知った、ちょっとオシャレな通販雑誌カタログ「TOMATOMA」! 思えば今までそのカタログから、いろいろな育児アイディアグッズを買いました。中でも、「本の森」セクションにはいろいろな絵本が紹介されていて、なかなか本屋さんに買いにいけない子育て中は、とても楽しみなページでもありました。人気ナンバー1から10までのランク入りの絵本の紹介、それに、お母さんのための子育てエッセイや指南書まで満載です。また最後のページには、読者が作る子育て中の悩みも書いてあり、悩み多き母親には、心の支えでもあります。長女が1歳ぐらいのころ、このカタログが到着すると、夢中になって子どもそっちのけで見たものでした。さて、今回、その「本の森」のセクションに、私の著書「赤ちゃんからの英語レッスン」が紹介されました。絵本を使ったレッスン風景やQ&Aなどが半ページ(!)にのっています。英語育児に興味のある、お母さんに読んでいただけたらな~と思っています。この雑誌の主力商品は、なんと言っても、育児にとても便利なアイディア商品が満載というところです。たとえば、「お名前付けグッズ」はとても充実していて、アイロンで抑えるだけで、バッグやらくつしたにも名前をいれられたり、また名前シールや名前キーホルダーや、ベビーカーや車のお助けグッズもあります。洋服も他のカタログに比べてオシャレです。今回のカタログからも、プール商品を中心に注文する予定です。ぜひぜひ、無料カタログを注文してみてくださいね。TOMATOMA 53号(04夏号)です。きっと大好きになると思います。そして、「本の森」セクションもぜひご覧ください。
2004年05月08日
フランスに転勤すると予想していたのに、なんと転勤先は、私の希望どおり「メキシコ」に決定!小学校1年生になって、約3週間で皆とさようなら・・・ということになってしまった。入学式の日に、「転出届」を出した。「フランスより、メキシコの方が肌にあっているんじゃな~い?」実は、妹家族が、今日メキシコへと日本を旅立ちました。この話しを聞いた時、「じゃあさ、インターナショナルスクールに入れてみたら?」と無責任にも妹に勧めてみた。そうしたら妹は、「日本に帰国した時に勉強大変だから、日本人学校に入れるよ。インターは、サマースクールとかだけ利用してみる。下の子は現地の幼稚園しかないみたいだからさ」と、てんで英語育児などは眼中にない様子。私がこれだけ、早期英語教育研究に熱心でも、実の妹は、まったく興味なし!「”赤ちゃんからの英語レッスン”を、友達に貸したらさ、その友達が絵本を買いたいって言ってたから、お姉さんのホームページ教えておいた」と、英語絵本にも全く興味なし。英語といえば、ヤマハの英語教室に通わせているぐらいでした。妹は、二人の娘達を、義弟のスペインに赴任中に出産。上の子は、現地の幼稚園に通っていたので、一人遊びもスペイン語でやっていたし、日本人との友達ともスペイン語で会話をしていた。でも、日本に帰国後は、スペイン語はきれいさっぱり忘れ、スペイン語を話している小さいころの自分のビデオを見ると、不思議でならないらしい。日本に帰国しても、妹は特にスペイン語に未練があるわけでもなく、日本語どっぷりの生活にとても満足していた。そして、今日メキシコへと旅立ったのである。「メキシコ楽しみ?」と聞くと、「うん、楽しみだけど、その前の飛行機に乗るのがすごくいや。」という。JALのビジネスクラスに乗れるのに、「子どもが騒ぐことを考えると、とにかく憂鬱!」とず~と言っていた。騒がないための対策をどうしたらいいか、いろいろと思案していたらしい。今ごろ、飛行機の中では、姪達は静かにしているのだろうか・・・。遊びにいけるようにお金も貯めなくちゃ!メキシコへの航空運賃はめちゃくちゃ高い!それより、今習っているスペイン語ももっと勉強しておかないと…。何年経ってもうまくならない。そんな自分が情けない・・・。
2004年05月06日
先日、児童英語研究所の船津先生と電話でお話しする機会がありました。「通信のころはどうも・・・」とご挨拶してくださり、あのころを思い出しました。長女が、パルキッズを始めたのが、1歳半ぐらいのときで、4歳半には終了していましたので、もうかれこれ、4~5年前のことになります。あのころ(は、英語教材も今ほど豊富ではなく、CDもまだ少なかった時代でした。もちろん、パルキッズも全てテープで聞いていました。そして、インターネットも今ほど盛んではなく、私もそのころは、数人の知り合いとメールをするぐらいで、一日1回のメールチェックだけでも充分な時でした。そんななか、パルキッズの通信講座は、日本のどこにお住まいの方でも簡単に受講することが可能で、ましてや小さい子を連れて教室に通うのには、難しい方には、ピッタリのシステムだと思います。英語のことを聞かれると、「パルキッズをやってみたら。。。」とよく勧めていたものでした。そのとき、「もし、やるんなら教材は絶対に買った方が良いよ。買わないと、その気になれないでしょ。ましてや、他人にタダで借りたものを、使い切るなんてこと絶対にないと思う。お金を出すということは、自分の決心と真剣さを買うことだと思うから」とちょっと説得したりもしました。絵本は、もちろんパルキッズと平行して進めていたのですが、わたしも当時は、やり方を模索していたので、英語が得意でないお友達に勧めることはありませんでした。娘の方はというと、パルキッズのことは、今となっては全く覚えていないでしょうが、娘の根底には、英語回路の核を作り上げるための、大きな因子になっていたことはゆるぎない事実かもしれません。今日はお礼方々、児童英語研究所のパルキッズをこの日記でも紹介させていただきます。ご興味のある方はぜひこちらのHPもご覧くださいね。著書では紹介しなかった「リタラシーリンクス」という絵本もあります。要チェックです!
2004年04月26日
1月下旬のある日、某区の職員の方からご丁寧なメールをいただきました。「赤ちゃんからの英語レッスン」を読まれたお母さんでもあるその方から、「区の講座で、英語絵本を通してお母さんたちの交流を深めたい」という主旨で、英語のレッスンを頼まれたのでした。私は今までレッスンといえば、自分の教室で自分の生徒さんとしかレッスンをやってこなかったので、もう少し大きな枠の中で、英語絵本を紹介する機会に恵まれたことは、新たな一歩を踏み出したような気がいたしました。自分の教室と講座のレッスンとは、多少異なりますが、あくまでもおうちで実践できる「赤ちゃんからの英語レッスン」をご紹介できたらと思います。対象は、3歳以下の小さなお子さんをお持ちの方対象です。昨日、担当の職員の方と講座が始まる前の打ち合わせに行って来ました。昨日が締め切りで、予想募集人員を遥かにこえるご応募がありました。久しぶりに満員電車にのって、毎日通勤の皆さんご苦労様、という気持ちでした。サンシャインビルのある駅は、本当に人がいっぱいでした。昨日は、新しい出会いがまた始まるかと思うと、ウキウキとした春の一日になりました。
2004年04月15日
ようやく大掃除をしました!下の娘が幼稚園を卒園したこともあって、幼稚園時代の作品や、洋服や、その他もろもろが家中散乱していて、この春休み中は、それが一気にゴミ溜めのような部屋と化していたのです。ようやく、特に何も予定の入っていない先週末に、まず自分の洋服を処分。10年前、ボディコンシャスがはやっていたころ(長いソバージュ系のゆらゆらの髪で)、当時私は、20歳代後半だったにもかかわらずに、どうしてもそういう洋服が着たいがため、年齢も顧みずに、何着か購入していたのです。そのような洋服が10年以上もの間、洋服ダンスに大事に防虫剤と一緒に保管されていたのです。いったい、こんなひざ上10センチの服をいつ着るわけ?子どもが生まれてからというものスカートもほとんど着ないし、ましてやミニスカートなんて、考えたこともな~い!(あのころ、ミニスカートが流行っていたんですよ・・・)「もしかして、娘達が大きくなって、こんな服きたいな~、なんて思った時にあげられるかな。。。」と夫に言うと、「そんな昔の服、自分だってイヤでしょ?」といわれる始末。ええ~い、こうなったら、大きなゴミ袋に、片っ端から昔の服を(好んで着ていたのに・・・)つめはじめました。大きなゴミ袋3つがいっぱいに・・・。 モスボックス3つ分なくなりました。す~~~っきり!あさっての古着回収で持っていってもらいます。婦人服は、フリマでも売れないし、だれも引き取ってくれない。だから、こうするしかなかったんですよね。引き取ってくれる人がいるなら、送料もちでもいいから送りたいけど、なんとなく失礼な気がして送れない・・・。だって、自分の着古した流行おくれの服なんか・・・。部屋も結構すっきりしてきました。これで気分一新、新年度を迎えることが出来ます。そして、今日は次女の入学式。桜の花びらがきれいに散る中での入学式となりました。明日からすこし早く起きて、ちょっと勉強してから、学校に行かせようと思います(新年度の私の抱負です)。早起きはつらそう・・・、
2004年04月06日
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