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人気ブログランキングにほんブログ村昨年12月15日に肺癌摘出後今年に入って2回目の検診に行った。相変わらず食欲は無く、マルちゃんのカップラーメンを食べてみたりした。味噌バタラーメン、バターの塊が入っていてさすがマルちゃん!美味かった。リハビリで近所を1時間くらい散歩したりもするのだけど、雨の日やあんまり寒い日は引きこもってしまう。ネットで見たのだけど大ファンの吉田拓郎も肺癌でボクと同じく3分の1を摘出した過去があってちょっと嬉しかったりした。あと柴田恭兵も摘出とあったけど本当かな。とにかくこの日は病院。予約票には外来呼吸器外科としか印刷されてなかったので、気楽な気持ちで行き診察券を機械に投入して印刷して出てきたのを見たら検体検査(採血)単純撮影(レントゲン)もあって慌てた。検査がある場合は90分以上余裕をもって受付し検査をしてから各診療科受付へお越しくださいと書いてある。この時点で既に90分を切っているので急いで2階の採血受付に行きそれを終えたら今度は1階のレントゲン検査。そうしてようやく3階の呼吸器外科で受付をすると、丁度1時間前だった。ところがモニターを見ていると「現在40分遅れ」と表示されていてそれが最終的には50分遅れとなり、結局1時間遅れの16:40に診察となった。とにかく皮下気腫の痛みはだいぶ引いてきて肋間神経の痺れと痛みだけになってきている。しかし3日ほど前に思い切り超デカいクシャミをした時に、ビシっと鳩尾の下辺りに何かが裂けたような激痛が走りそれ依頼咳をするにも起き上がるにも強烈な痛みが出るようになってしまっていたのが気になる。結果、炎症の数値が異常に上がっていて尚且つレントゲンで両肺の下の方に肺炎の症状が写っているのだと。それで急遽CT検査を受ける事になり、また1階へ。戻るともう3階の広い待合には誰も居なくて各診療受付窓口のシャッターも閉まっていた。担当医の部屋に行くと、部屋の外でもう少し待っててって。中から何やらもう一人の人との話し声が聞こえる。呼ばれて中に入ると酸素を計る器具を指先に付けて測定。先生曰く「全然問題無いなぁ」。98%くらいあった。だけど血液検査の数値やらからすると即入院レベルなのだそうなのだけど私と会話して見ている限りでは、それほど緊急入院ってほどでもないようにも見えるし、と。元気そう。普通はもっと苦しくなっているらしいけど、ボクの場合はどいうわけか口も達者で苦しそうに見えないらしい。だけど大事を取って入院しましょうって事になったのだけど、ゴネてゴネて月が替わるまで、1日になってからにしてって懇願した。たとえ1日でも月をまたぐと、入院費も1ヶ月分請求されるので大変困るのだ。それで結局抗生剤?炎症を抑える薬を2日間飲んで2月1日に再度採血とレントゲンを撮って悪くなっているようだったら即入院っていうことで手を打った。ボクとしては仮にそうなっても通院による治療という選択肢は無いのか?とゴネるつもりだけど。どうせ毎日何時間か点滴するだけだろうから、点滴しに通院してもいいのじゃない?って甘い考えなのだ。とにかく2月1日の検査で数値なりが少しでも悪くなっていませんように、少しでも良くなっていますように。人気ブログランキングにほんブログ村
2024.01.31
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本・書籍ランキングにほんブログ村肺癌摘出手術の後の皮下気腫の痛みは、ほんの僅かづつだけど減少してはいるようだ。とにかくほんの僅かづつ・・・。1週間単位ではその差を感じるような気がする。クルマの運転は、何事も無ければする事は出来る。何事とは、突然目の前に何かが飛び出して急回避をしなければならないとかの類。あとはやはり段差や道のデコボコを乗り越える時に響いて痛みを感じてしまう。右腕は延ばすと痛みがあるし、上半身を捻ったりしてもそうだし、無理にやると一番大きい傷口に出来ている瘡蓋がパツっと開いてしまいそうな感じなので、まだまだ仕事に復帰できない。これが結構精神的に辛くてストレスになる。雨が降っていなければ、全部で1時間くらいの散歩をしている。リハビリなのだな。だけど毎日毎日こうだと気分も滅入ってくるので、思い切ってお墓参りに行ってきた。先祖代々の何十個もある墓石の全てに線香をあげてきた。その墓地のすぐ近くの川沿いに氷がオブジェのようになっていて不思議な光景だった。気分も滅入っているし、当然食欲も無いのだけどお墓参りに行く途中の道の駅で、もっと軽いものを食べたかったのだけど、飛騨牛焼き丼を食べた。プラス50円の味噌汁も付けた。たまにお昼には、カップヌードルだったりする。いつかは、トムヤンクン仕様のを食べた。夜はやっぱり読書になって、それもどうせ仕事に行けないので深夜まで読みたいだけ読んでしまう。それから、hotchocolateさんにご紹介頂いたカズオイシグロのわたしを離さないで。この1冊はちょっと、というかhotchocolateさんのコメントにあったように琴線に触れるものがあり読み終えたあとしばらくの間、考えこんでしまいました。そしてそれは翌日もさらにその翌日も続いたのでした。次は1月26日公開映画のサイレントラブ。これはただ単に以前「君の膵臓を食べたい」を読んで映画も見たのだけど、ヒロインが浜辺美波で、まあ単純に気に入ったみたいな乗りで。これはこれで良かったのだけど映画を見に行くかどうかはまだ決めてない。ただ、ガムランボールという鈴?には興味が出てきた。しかし復職出来ないでいるのは精神的にもだいぶストレスになり焦りもかなりある。年金機構に行って繰り上げ受給の説明を聞いてきた。本・書籍ランキングにほんブログ村
2024.01.23
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自動車(スバル)ランキングにほんブログ村タイヤ空気圧センサーをレガシーに装着したのは、2022年4月で購入してからそろそろ2年が経過する。数週間前、いやもう少し前からかな?時々蚊の鳴くような音?ピーピーっていう警告音っぽい音が走行中に聞こえる事があり何だ?何だ?どこ?どこ?っていう間にその音は消えてしまうので、なんだかわからなかった。そうしているうちに、何度か警告音っぽいのが鳴った時に、気を付けていたのだけどTPMSのモニターに4本のタイヤの空気圧が表示されているのだけど、その1本が点滅しているのに気が付いた。さらに電池マークが点滅しているのに気が付いたのは、ずっと後でその頃には他のタイヤが点滅し出していて、結局4本とも点滅と警告音がするようになった。そうなってからだいぶ経過するのだけど、入院したりしたりして1ヶ月以上は楽に経過しても現状の空気圧を表示し続けていので、いきなり消滅する事はなかった。だけど、そろろそ交換時期なのだろうからと、電池調達。ホームセンターやらコンビニやらダイソー、行く度にその価格をチェックしていたのだけど、食品スーパーが一番安かった。CR1632 税込み305円。他では20円、30円は高かった。まあね、そのくらいとは思うのだけど、4個なので。購入はしたのだけど、寒いので中々交換できなかったのだけどようやく交換。以前設定空気圧は、2.6とか2.8だったと思うのだけど気温が、低いせいか、2.3とかになっていて走行し始めると何とか2.4に上がっていた。電池交換して、再度空気圧を2.8にセットした。温まると、2.9とかに上がるけど大丈夫でしょう。自動車(スバル)ランキングにほんブログ村
2024.01.13
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にほんブログ村本・書籍ランキング肺癌の手術で入院した日から翌日の手術前までに読み終えたのが、原尞さんの「さらば長き眠り」で、手術後からは持参していった同じく原尞さんの「愚か者死すべし」を読んだ。これで原尞さんの本は全部読んでしまい、もう読めないと思うと寂しいのだな。それからニーアル・ファーガソンの「カタストロフィ大惨事の人類史」というのを読み始めた。ノンフィクションで大惨事の一般史で地質学的なものから地政学的、生物学的、テクノロジーにかかわるあらゆる惨事の歴史を扱っていてスペイン風邪もあるしコロナもある。タイタニック号沈没、飛行機事故、スペースシャトル事故、原発事故・・・。結構長文物で暇つぶし的にはいいのだけど、ちょっと離れてみたくもなってきて中断。1階のコンビニで食事制限は無いので、色々と食べたいものや飲みたいものを買ってくるのだけど本も少しおいてあり、その中から原田マハさんの「あなたは、誰かの大切な人」という6編の短編集を調達して読んだ。こういうのは結構泣けちゃうから、渇き気味の目にはいいかも。すぐに読み終えてしまったので、また大惨事に戻ったり、持参してきた中村天風さんの「運命を拓く」を再度読み直したりしながら、福富満久さんの「戦火の欧州・中東関係史 収奪と報酬の200年」という欧州視点でとらえた新しい中東史を読んでみたりする。この頃にコロナに院内感染し個室に隔離されて何だかやる気も失せてきてこれらの本は全て中途半端になって読み切れなくなっていた。4人部屋ではカーテンで仕切られてはいるものの、他の3人の患者さんが看護師と会話する内容とか聞こえてしまうので知りたくなくてもある程度の個人情報がわかったりして、なかなか面白かったりした。隣のベッドの方は80歳で毎月抗がん剤治療で入院しに来ていて退院しても一人暮らしで誰も待っている人は居ないとか。また別の方は寒い寒いと大声でわめくので看護師さんが来るとどうやら動けない人でオムツらしくそれを取り換えるのだけどその患者さんは大声で「やめろー!何をするー!寒いー!」とありったけの大声で抵抗するのだ。相当な抵抗なので複数の看護師さんで「濡れているから替えましょーね」とか優しい声なのだけど実際にはみんなで押さえ付けてかなりの重労働的な作業のようだ。そしてこれは深夜でもおこるのである夜、強制的に個室に移動させらたようだった。この患者さんはかなり具合が悪いらしく「このアホオンナー!」とか暴言というかとにかく大声が半端ないのだった。そうして看護師さんがボクのところのカーテンを開けて両手を合わせ「ゴメンなさい、勘弁してね」っていうジェスチャーをしていった。ボクとしては、うんうん大変だねっていう表現でお返ししたのだけど、まあこれは大変ひどい例だけど4人部屋は退屈はしなかった。しかし個室で隔離となると、ドアも2重になっていてそれなりにイヤホンを使わずにテレビが見れるというメリットはあるのだけど、ボクはあまりテレビを見なかったから部屋の中は無音で雑音が無いのだ。これでコロナで隔離でなければ自由に散歩に院内をうろついたりコンビニに行ったりできるのだけど、じっとしていなければならない。ほぼ独房と言ってもいいくらいで食欲も失せるし運動不足だし肺の空気漏れもあるのでだんだん気持ちもネガティブになってきて正常な人でも病気になってしまいそうな環境なのだな。時々部屋に来る看護師や医師も一々部屋に入る度に全身防御のフルマスクにフルエプロンみたいなのを身に着けるからあんまり長居をしたくないような感じ。相手がコロナ感染者だから、まあそりゃそうだろうなと思うから、こっちも気を使ってあんまり長話にならないようにしたりして。入院するから沢山本が読めると思っていたのだけど結局精神的にあんまり安定しなくて2冊半しかまともに読めなかった。退院してからも、皮下気腫の痛みがひどくて仕事にも行けずにいて、何とかリハビリで1時間くらいの散歩には出るのだけど読書っていう気にあんまりなれずにいるのだな。痛みは不安を呼び、気分転換に本を読むという気力さえも奪い本当に無気力になってきていて、何とかこの気持ちを打破する決定的な一打は無いものかと思うだけの毎日が続く。更に八代亜紀さんの訃報、それに寒さが追い打ちをかけてくれるから、更に気持ちは沈んで行ってしまう。にほんブログ村本・書籍ランキング
2024.01.11
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にほんブログ村自動車(スバル)ランキング12月14日入院肺癌の摘出手術で昨年12月14日に入院し翌日15日が手術だった。14日入院当日は朝入院したのだけど、この日は血液検査からレントゲンに口腔外科から麻酔科の説明に手術前のリハビリなどで着替える暇もなく大忙しだったので翌日の手術への恐怖心を紛らわすには丁度良かった。午後遅くになってようやく落ち着いてベッドに横たわると、持参してきた原尞さんの「さらば長き眠り」の続きを読み始めた。12月15日午後手術そして翌15日、手術は14時からの予定だった。点滴が始まり家族は11時頃からロビーで待機。ボクはひたすら気を紛らわせるしかなかった「さらば長き眠り」を読み終えてしまった。そうしてうとうとしている間に眠ってしまったところを起こされた。いよいよだ。長い長い通路を通ってどんどん奥に進み、いくつもある手術室のうちの一つにたどり着いた。手術室に入ると、そこはかなり広い部屋で様々な設備?なのか何なのか色々あって中央に手術台らしき台に乗せられた。その手術台のマット?は透明の幾何学的な形状のブロック形状で中に空気が入っているような緩衝材みたいな感じで何だか、部屋の雰囲気からしても何だかSFの世界のような感じがした。そうしてその透明の緩衝材のようなマットに乗せられると体が完全にマッチした状態で沈み込みそしてその樹脂製?と思われる透明の材質の肌触りは非常に心地よくそして適度に暖かくとても快適だった。手術はロボットでダビンチ手術システムというのでやるらしいがもし手術を始めて癒着などの不具合があった場合には急遽切開手術に変更になる事もあるらしい。とにかくマスクがあてられてしばらくした後の記憶は無く次の瞬間はもう手術は終わり病室に向かっている最中だった。手術時間、意識の無い時間は6時間にもなっていた。病室に戻って、かみさんや母親や弟と面会というか「帰るわね」という言葉を聞いてうなずくと再び深い眠りについた。まだ麻酔が効いているのでなんの苦痛も無い無意識の時間が流れた。その間の感覚は、いまだに記憶しているのだけど、真っ青な青空の中で、ところどころに真っ白な雲が浮いていて、そうウインドウズ95の壁紙みたいな空間を自分が風を切って飛んでいるようだった。しかし風圧も感じないし寒くもなく暖かくもなくて、とにかく気持ち良く何のストレスもなく何の悩みも心配も無くとても晴れがましくて何でも全てが可能で恐れも何もない超ハッピーな感覚なのだ。もしもこれが死後の世界なら死んでもいいかな、なんて思ったり。それがだんだん夜が明けて恐らく麻酔が切れてきたのだろうか、だんだん少しづつ現実という意識が戻ってきたようで、少しずつ心配ごとやらが意識の中に戻ってきて少々、もう少しあの感覚の中に留まっていたいと思ったのだけど、それは無理だった。もしあの感覚の世界が「あの世」なのならボクはそこに行ってもいいと、かなりの割合で思ったりしたのだけど戻って来てしまったからにはこの現実世界で、もう少し生きて行かないといけないのだな。手術翌日の16日からいきなりリハビリが始まった。まだ胸には1本管が機械に繋がっている。そしてその機械に時折ポコポコと空気の泡が出ていた。リハビリは最初は立ち上がったりして、それから院内を歩くというものだった。院内1周約100m。ポコポコ空気の泡が出てるのは、残っている肺からの空気漏れなのだそうで、それが止まらないといけないらしい。正常な肺?肺癌なのに正常な肺っていうのも変だけどボクの肺はかなり痛んでいて胸膜と肺が癒着していて剥がすのが簡単では無かったようでしかも残っている肺から空気が既に漏れていたらしい。通常は残っている肺は、切除した肺の隙間をふさぐように膨張してくるのだけど空気が漏れていると完全に膨張できず縮小してしまうらしい。それで機械で陰圧を掛けて引っ張り縮小しないようにしているのだが、ボクの場合は咳をしたり息を大きく吐いたりすると空気が漏れているようだ。ただレントゲンでは徐々に隙間は埋まってきているので残っている肺は膨張してきてはいるようだ。空気漏れの無い人なら数日で管を抜いて更に数日で退院出来るらしいのだけどボクは中々空気漏れが止まらないのだった。それでもリハビリをすると治りが早いというので毎日毎日院内を歩いた。空気漏れが止まらない場合は癒着剤を入れて胸膜と肺の隙間に強制的に炎症を起こさせて癒着させる方法をとるのが一般的で、ボクもそろそろその方法を取る段階になっていた。ただだいぶ空気漏れは少なくなっているし隙間も少ないから癒着剤も少なくする方向で考えていたその矢先、発熱、そして何となく喉に違和感。まさかのコロナ陽性念のためにとコロナとインフルエンザの検査をしたところ、まさかの陽性。その日のうちに個室に隔離となった。こうなるとコロナが完治しないと肺の癒着剤を使った処置が出来なくなる。癒着術をすると炎症を起こすため発熱して癒着していることを確認出来るのだけどコロナで発熱していると、炎症の熱なのかコロナの熱なのか判断できないのだ。それでコロナが陰性になるまで待たなければならなくなった。病室で迎えるクリスマスクリスチャンでもなんでもないから関係ないのだけどクリスマス。担当?看護師の女の子からその日の担当の看護師の女の子が預かってきたので、というクリスマスカードを受け取り嬉しかったりする。病院食の夕食も小さなケーキやメッセージカードがついてたりして、少しだけクリスマス気分を味うのだけど、外出禁止の隔離個室の中はほとんど独房だから気を確かにしてるのが精一杯かな。空気漏れを止める癒着術陽性になった21日から4日後の25日にようやく平熱になっていたのでレントゲンで再確認したうえで癒着術を行った。癒着剤を胸に繋がっている管から注入し、仰向け、うつ伏せ右横向き左横向き、座位を15分間隔に2周(2時間)して胸膜と肺の隙間に万遍なく癒着剤を行きわたらせる。個人差はあるのだけどボクの場合、急激に反応したようで術後すぐに気分が悪くなりとても苦しくなると同時に強烈な悪寒に襲われガクガク震えだし血圧が一気に下がり死ぬかと思った。靴下をはかせてもらいタオルをマフラー代りに首に巻き湯たんぽも入れてもらった。翌日のレントゲンと翌々日の採血で炎症を起こしているのを確認して28日に胸に繋がっている管を一旦カットして様子を見る。29日に採血で炎症が治まっているのを確認し管を胸から抜いた。そしてこの日ようやくコロナ隔離が解除になる。個室隔離の間に動かないからか食欲も無くなりマズイ病院食がさらに食べられなくなり気持ち的にも病んできたようだ。何とか早く退院したい。年内には退院したい。1日でも月をまたぐと費用が倍になる。それさえなければボク的には月をまたごうが、年越しを病院内で迎えようがどうでもいいのだけど費用を考えると何としてでも年内に退院したいのだ。主治医(執刀医)との話で何とか年内退院出来そうな感じになってきたのだけど隔離の影響?があるのか何だか無気力で何もやる気がしなくなってきていて、主治医もその辺りは「精神的に良くないかも知れないし、病院にいる事によって病人になってしまうっていう事もあるかも知れないし」なんてとても理解のある先生で、何とか31日には退院出来るようにと考えてもらっていた。12月30日退院30日朝のレントゲンの結果、これなら明日の31日には退院できると言われたのだけど、「何なら今日でも」と申し出るとそういう用意をしていないので午後の退院になってしまうけどいいですか?って。いいも何も、今日出られるのならいいに決まってるでしょ。という事で当日、この日に無事退院することが出来た。ただ、空気漏れの影響というか、皮下気腫と言って皮膚の下に漏れた空気が入り込んでいて、それが胸、腕、首にまで及んでいて、更にそいつが痛いのだ。自然に治るらしいのだけど、けっこう痛いのだな。いやな感じ。1,2ヶ月はクルマの運転もしないようにと言われた。実際痛いので咄嗟のハンドルサバきには支障がありそう。とにかく肺癌の見付かった右肺の3分の1を摘出し、無事に戻ってくることが出来た。いやぁ、それにしても肺癌、摘出手術、人生何が起きるかわからないなと。いやぁマジに驚いた。思い起こせば2023年は、牡蠣の食中毒とかもあって最後は肺癌で大変な年だった。今回は年末年始どころではないのだな。にほんブログ村自動車(スバル)ランキング
2024.01.04
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