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雨の日曜日、何年かぶりに風邪をひいた俺は、最悪の体調の中、夜明けからRCを聴くために車をブッ飛ばした。その後家に帰り着いた俺は、サニーサイド・アップの目玉焼きと雪印ネオソフトを塗りたくったトーストでブランチを済ませ、「マイルドセブン・スーパーライト6ミリグラム」にライター「TOKAI VESTA」(百円)で火をつけ、村上春樹訳、レイモンド・チャンドラー著「さよなら、愛しい人」(なぜ、「さらば、愛しき女よ」ではいかんのか?)を読み始めた。「ロング・グッドバイ」(なぜ「長いお別れ」ではいかんのか)でも感じたが、丁寧に訳しているぶん、ミステリを読むときに不可欠な「スピード」に欠けるとは思う。しかしまあ、当然その描写にはうっとりしますわな。「大鹿マロイ」をいきなり、「いえ、本当は「ヘラ鹿マロイ」です」とか言われても困るが、困るのはおじさんだけで、村上訳ということで初めてこの小説を読むであろう若いコたちは、ちっとも困らないであろう。「小説って面白いんだなあ」と思ってくれるだろうから、文句は言わない。次は「かわいい女」だそうだ。これも当然、「リトル・シスター」となるんだろうな。個人的にこの小説は特に好きなので、期待してしまうぜ。
2009年05月17日
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日曜日、車をぶっとばしながらRCの曲を聴いたあと、クリント・イーストウッド監督・主演の映画「グラン・トリノ」を観にいった。僕はもう、イーストウッドの映画しか映画館で観ようという気にならない。それも、イーストウッド「主演」でなければならない。この映画はイーストウッドの「引退作」と言われているようであるが、僕は信じたくなかった・・・のだが、観終わって、「もしかしたら・・・」と思わざるをえない。そういう映画であり、小林信彦が言うように、「クリント・イーストウッドが引退したら、映画は終わり」であるならば、これは「映画というメディアの終焉を飾る、最後の超傑作」ということになる。映画は、妻の葬儀から始まる。頑固(というより、笑えるほどハードボイルド)な老人は独居となり、折り合いの悪い2人の息子から、老人ホームへの入居を勧められたりする。あのクリント・イーストウッドが(!)。朝鮮戦争の英雄であるこの主人公は、直截的に、同じく監督・主演作「ハートブレイク・リッジ」(86)のトム・ハイウェイのその後を連想させる。老人の住む場所は、アジア系の住民が多い地域で、隣にラオス(?)のモン族の一家が越してくる。一家の息子タオ、タオの姉(魅力あり)との交流(というほどヤワではない、当然ながら)が中心になるが、年若い牧師(でいいの?)との「生と死」についての問答が、物語世界を大きくする。タオは同じアジア系のチンピラどもに付きまとわれていて、老人はこの青年を助けようとする。このクライマックス、僕は本当に本当に感動した。テレビ西部劇・マカロニ・ウェスタン出身、「ただのアクション俳優」、暴力主義の象徴(ダーティ・ハリー)、等々、いわれなく差別され続けたこの「映画の血をひく最後の男」が、自らの最後にどんな「決着」をつけたか。ぜひ、映画館で見届けてほしい。ラスト、タイトルに載って、イーストウッド自らが歌う主題歌「グラン・トリノ」が流れる。本当にこれで終わりなのか・・・。ポール・ニューマンでさえ、晩年は脇にまわったりした。クリント・イーストウッドは最後まで「主演」で通した(このあとも、主演映画を作ってくれることを望むが)。本物のスーパースターがここにいる。クリント・イーストウッドがついに、「生きる伝説」の高みまで昇りきったことに、僕は深い感動をおぼえる。また同時に、清志郎と同じように、いつかこの人にも会えなくなる日が来るのだと思うと、僕の胸は張り裂ける・・・。
2009年05月10日
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清志郎が亡くなって、もう1週間も経つんですね。まだ実感が湧きません。棺に向けてギターを掲げるチャボの写真を、ずっと見ていました。昨日は「青山ロックンロール・ショー」が開催されたとのこと、僕は「仕事がある」という理由で、出席できませんでした。歳はとりたくないものです。お詫びとして、今朝RCの曲を聴きながら車で走りました。「わかってもらえるさ」、「セラピー」、「世間知らず」、「からすの赤ちゃん」、「僕の自転車のうしろに乗りなよ」、「まぼろし」、「アイディア」、涙で前が見えなくなって怖かったです。ジョンが亡くなったとき僕はまだ二十代で、バイトを辞めてただただボッーと「もうジョンには会えないんだ」と泣き暮らしました。でももう僕は五十代なので、どんなに辛くても仕事はしなければなりません。仕事の合間にふと、城山三郎のように、「そうか、もう君はいないのか」とつぶやくだけです。
2009年05月10日
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朝のニュースで、清志郎さんが亡くなったことを知りました。今はただ、落ち着かなくてうろうろ立ったり座ったりを繰り返しています。気持ちの整理がついたら、いろいろな思いを書かせてもらおうと思います。清志にいさん、長い間お疲れ様でした。本当にありがとう。いちばん苦しかった時、「わかってもらえるさ」や「誇り高く生きよう」、その他多くの素晴らしい曲を知らなければ、もうとっくに僕は潰れていたに違いありません。 勇気がわいてくるよ 挫けそうだった心に 誇り高く生きよう 喜びにあふれさようならにいさん。ゆっくり休んでください。
2009年05月03日
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わしの最近の楽しみは競馬だけじゃ。軍資金6000円(しかなかった。涙)から始めて、単複勝負で連戦連勝、現在4万まで来た。楽しみとはいえ、遊びじゃねーからな。バカだと思われてもいい。自分の給料分は競馬で捻出するっ!。まあね、このブログはホントはテキトーに面白おかしくやり続けたいのよ。ホントはね。なので、ケーハクであることは承知で天皇賞の予想を書くぞ。でもって勝つぞ。本命はしょーがねーな、アサクサキングスだ。それほど強いとは思わぬが、今年は他が弱すぎる。対抗はヒカルカザブエというスゲー名前の馬。これが本命でもいいが、申し訳なくも、秋山真一郎が天皇賞を勝つシーンは思い浮かばぬ。▲はジャガーメイルとスクリーンヒーロー。アサクサを負かすとすればこのどっちか。。モンテクリスエス、アルナスライン、ドリームジャーニーはまとめて△ね。3着の大穴としてトウカイトリック。なので買い方としては、アサクサキングスの単勝3000円(1着になるってことね。あまり信用できないので、2倍台ならやめる)、複勝5000円(3着までに入るってこと。これは大丈夫だと思うけど、150円付かないようならやめる)。儲けが出ないようなら、アサクサから、ヒカル・ジャガー・スクリーン・トウカイに馬連1000円(トウカイは買わないわ。なんせ3着なんですもの。うふっ)、ワイド3000円(トウカイのみ1000円ね。でへっ)。まあすごい。フッサさんったら明日のお米もないくせに、いちまんさんぜんえんも競馬に賭けちゃうのね。すてきっ。バカだけどすてきっ!。
2009年05月01日
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久しぶりに、起業仲間のH君から電話があった。彼は法人ではなく、個人で開業したのだが(介護関係ではない)、非常にクリアかつピュアな心の持ち主で、話していると元気が出る。会話の半分以上はグチのこぼしあいなのだが、僕が給料を一応もらって、大部分をそのまま返してるというと、彼は「いいなあ、儲かったら返してもらえるんでしょ。僕なんか月4万しかない月もあるけど、誰からも返してもらえないよ」と笑ってた。なんと素晴らしいヤツ。そうなんだよね。利益がでれば返してもらえるんだ。二人の共通の認識は、「やってみないとわからないことはいっぱいあって、やってみて初めて気がついたことすべてを、周りにうまく伝えることはできない」ということであった。「グチをこぼしたくなったら、いつでも電話して」僕より一回り以上年若い彼は、そう言ってくれた。サンキュー・エブリボデー。おじさんも頑張るからね。というような感じで、僕はちゃんと生きております。一部の方々、ご安心あれ。
2009年04月30日
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これだけ間が空いてしまうと、照れくさくもあるし冒頭の言葉に困りますね。とりあえず、「やあ、元気?」というところで、お許しねがいたい。今月から安定して黒字になるはずが、世の中うまくはいきませんね。中旬から、バタバタバタと、利用者3名が入院し、売り上げが一気に40万円減になりそうです。「陽だまり」は、登録者が少なくひとりひとりの利用回数が多いので、こうなるとお手上げです。やっと資金繰りから開放される・・・と安心していたので、また一から出直しなんだと思うと正直気持ちが萎えそうですが、しょうがないです。僕は粘ります。ブログを更新できなかったのは、何度か書いたAさんに付きっきりだったせいもあります。徘徊の強烈なAさんへの対応について、スタッフから「Aさんにだけ全力投球なのはおかしい」という不満が出て、僕は、「利用者全員に全力投球」しているつもりだったので頭にきて、それ以後は僕がほぼひとりで対応していました。昨日も利用日で、僕が対応しました。帰りは天気もよかったので、「陽だまり」から家まで一緒に歩きました。「良い状態」のAさんは、ニコニコして僕と並んでゆっくりと歩いていました。途中で、満開の桜の下も通りました。「良い状態」のまま送り届けた・・・と僕は信じたいのですが、その5時間後、午後9時半、徘徊中に、車にはねられました。即死だったそうです。今日も利用日だったのですが、同居の奥さんが朝電話をくれ、「今日は休みます」ということだけで、電話は切れました。Aさんが亡くなったことを、僕は昼のテレビニュースで知りました。「悪い予感」とか「胸騒ぎ」というものが実際あることを、知りました。Aさんの周囲は僕を含めて、ここ2・3日みんなそういうものを感じていたようです。なにもできなかった・・・という思いと、それでも僕は少なくともAさんにイヤな思いはさせなかった・・・という感情が交錯します。どうか、最後に歩いた満開の桜の色が、Aさんの心に映し出されていましたように。今はそう祈るだけです。
2009年03月28日
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引き続き、Aさんのことを。相変わらずAさんは「街行き村行き」状態であります。ほぼ僕が中心になって個別対応しているが、「陽だまり」で怒りだすことはなくなった(というか、まったく言ったとおりにしてるので、怒る要素はないと思う)。現在は1時間ごとに区切って、ドライブ30分、その後「陽だまり」に帰ってきて(ギリギリ粘って20分くらいいてくれるかな)、そのあとまた歩いたりドライブしたりで過ごす。食事も30分居てくれることは少ないが、一応他の利用者さんと一緒にできている。進歩であります。散歩は、気分の落ち着いている日は街中、ちょっとアブない日は、遠賀川の河原を歩いている。気持ちの落ち着いているAさんと、通じないなりにおしゃべりしながら歩く古い町並みは、ぽかぽか陽気とあいまって、なかなかの充実感である。街を歩いていて感じるのは、一般の人たちの、「認知症の人」に対する理解のなさで、これは冷たいとか言うんじゃなくて、ただ単に知らない。市民に対する、「認知症」理解への啓発活動をもっとやるべきだと思うので、現在行政に「市民向けのセミナーやってくれ」と働きかけております。わしがやってもよいが、こういうのは、行政主体でのうてはやりにくいのココロ。で僕はですね、「認知症の人」の、徘徊見守りネットワークをつくりたいと思う。「徘徊発見」ではなくて、思う存分歩かせてあげたい・・・それを見守る地域ネットワーク。拠点は「陽だまり」に場所があるし。Aさんの「徘徊」ルートは決まってるんだし・・・と思っていた。ところがですね、先週Aさんは、どしゃぶりの中、夜外出し、まったく方向違いの場所で、河原をすべりおちて倒れているところを、明け方新聞配達の人に発見された。ズボンなし、上着なし、靴なしである。よくもまあ無事(でもない。顔面は傷だらけ、縫ったりもした)であった。相当な低体温で、救急車で運ばれた。当然のことながら、奥さんはショックで落ち込んでいる。警察には、「どうしてついていかなかったの?」みたいなことも言われたらしい。こりゃやっぱり、「啓発」は必要だわ。僕も、Aさんがいつものルートとはちがう道を歩いたことがショックだった。これはちょっと考えを改めるべきか。当のAさんはというと、「なんだかわからないが、どうも周りに迷惑をかけたようだ」ということはわかる(ここが大事。認知症の人も、こういうことはわかっている、と理解していただきたい)ので、2日くらいはシュンとしていたが、そのあとは、顔のガーゼをペリリとはがし、僕と一緒に、またも「街行き村行き」なのであります。しつこくてすまぬが、これが「陽だまり」だっ。手前の店舗部を、誰か使えっ!。光熱費だけでよし。左が美容室、右が魚屋さん。 商店街を抜けると、急に古い町並みに変わる。これは病院。 これも病院。現役。 これも元病院の美術館。こういうのが、1ブロックに連なっている。 遠賀川の河原。ここならいくらでも歩けるので安心。追伸こんな時間に更新しては、仕事をサボっていることが丸わかりですな。
2009年03月03日
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僕は経験がないので、マリファナがたいしたことないのか有害なのかわかりませんし、69年デビューなあなたが、マリファナと無関係でいられたとは思いません。そういうのは、どうでもいいです。相撲取りが捕まっても、芸能人が捕まっても、「フーン」という感想しか持ちませんでしたが、やっぱりファンであれば別なんですね。「元はっぴいえんどの鈴木茂、大麻所持で逮捕」みたいな記事は読みたくなかったなあと思います。「はっぴいえんど」と「大麻」って、大瀧氏と「下ネタ」が似合わないように、なんだかすごく居心地が悪いです。コンプリート盤の「バンドワゴン」も「ラグーン」も買いました。素敵ですよ。改心して(?)、ギターばりばり弾いてください。永遠の微熱少年様へ。「12月の雨の日」のイントロこそが、日本ロックの夜明けであると信じて疑わない男、フッサストラットより。草々。
2009年02月18日
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今夜は泊まりだ。「仕事のことは、しばらく書かない」などと言ったが、もういい。書く。真面目に書く。今日書くことについて、なにかいい知恵があったら教えてください。2ヶ月ほど前から、強烈な人の利用が始まった。男性。Aさんとしておく。アルツハイマー型認知症で、それほどの高齢ではない。認知症というのは、見当識(時間・場所・人物)の障害で、この順番で忘れてゆく。これを中核障害という。問題は、周辺(随伴)症状というもので、徘徊・異食・もの盗られ妄想などは、周辺症状という。中核症状は同じでも、周辺症状の出方がちがい、強烈に出る人と、それほどでもない人がいる。Aさんは、強烈な方で、徘徊(簡単にこう言っていいのかわからないが)がひどい。僕は、認知症専門棟で勤務したこともあるし、研修も受けてるんだけど、在宅の方では僕が会ったなかで、もっともスゴいと思う。とにかくじっとしていない。外に出ようとするのにはその方なりの理由があるわけで、1、自分にはやらなけりゃならぬ仕事があるので、こんなところ(施設)にいるわけにはいかない。2、なんとなく、ここは落ち着かないなあ。早く家に帰りたいなあ・・・。というのが、主なところでしょうか。2の、「家」というのは、必ずしも現在住んでいる「家」ではなくて、一番思い出のある(いい思い出かどうかは別)家、あるいは、漠然と「落ち着ける(ような気がする)」場所あるいは地域のことだったりする。しかし、落ち着かなるまでにはしばらく時間があるのが普通だと思うが、Aさんには、まったくロスタイムがない。だいたい僕が迎えにいくが、「陽だまり」に来たと同時に帰ると言い出す。止める(というか、まあまあお茶でも・・・とひきとめる)と激高する。なので、僕が散歩に同行するのだが、この方、信号を無視する。「陽だまり」は街中にある。僕は何度か心臓が止まった。奥さん(二人暮しなのだ)は、「事故にあったら天命ですから」と言われるが、こっちはそうはいかない。「陽だまり」利用中に交通事故にあって、「天命ですから」とは言えないし。で、ヒヤヒヤしながら歩く。「陽だまり」から自宅まで3キロぐらいだろうか。ここをぐるぐるぐるぐる歩く。歩きっぱなし。Aさんの顔はもうヘトヘトである。だがそれでも歩く。なんとかなだめすかし「陽だまり」に戻り食事になるが、当初は5分もいなかったと思う。「帰ります」と言われて、また歩く。夕方までずっとそう。では、夕方送っていくと、「やれやれ」という感じで、疲れきって休むかというと、ちがう。奥さんに、「そろそろ帰らせてください」と言って、また外に出て歩く。夜中もである。奥さんは疲れきっていて、Aさんが出かけてから何時間か経って、車で探しに行く。僕はこの2ヶ月、おそるべき勢いで、認知症についての本をかたっぱしから読んだ。最初は当然の如く、周辺症状への対処の仕方につて調べていたが、だんだんと「認知症とはなにか」という深いところの考察に入り始めた。帰宅願望が出てきたら、うまく話しを逸らしましょう・・・みたいなマニュアルは、あまり役にたっていない。そううまくはいかない。僕は以前に書いたかもしれないが、認知症の方の頭には「現在どんな風に、この世界が映っているんだろうか」といつも疑問に思っていた。今回怒涛のように読んでいった中で、もっとも心に残り、また役に立つであろうと感じたのは、認知症の方本人が書かれた本、「私は誰になってゆくの」(クリスティーン・バーデン)であった。オーストラリア在住の、アルツハイマー型認知症の方である。バリバリのキャリア・ウーマンでシングル・マザーである著者が、認知症と診断されたときからの手記である。この手記は、介護する側からは想像の及ばないことがいろいろ書かれてあり、目からウロコが束になって落ちる。なかでも、(たとえば)道に迷った時、近くにいる人に助けを求めないのは、「誰かに頼む」ということを思いつかない、というような記述は、介護する側は絶対に気づかない。次にあげる詩は、「パーソン・センタード・ケア」という認知症ケア理念の提唱者、トム・キットウッド(イギリス ブラッドフォード大学教授)が、認知症の人の心の内面を想像して書いたものである。「実践パーソン・センタード・ケア」(水野 裕)濃い霧のなかで薄暗く、そして霧が立ち込めている。なんだか知っている場所のような気もするし、初めて の場所のような気もする。ここがどこかわからないまま、ただ歩き続けている。暑いのか寒いのか、昼なのか夜なのか見当がつかない。(中略)濃いもやの中を歩いていると、周りの人たちがなにか不気味な話をしながら過ぎ去ってゆく。ところどころ、言葉の端々に自分のことを話しているようにも思える。時々懐かしいものがあるのに気づいて近づくと、急にそれは姿を変える。ひとりぼっちだ。どうしてよいかわからずすべてが恐い。(後略)僕は昔から、ものすごく記憶力がよくて自信も持っていたが、年をとるにしたがって、やはり記憶力は落ちてゆく。少しずつ少しずつ、頭のなかに薄い膜が張られていくような気がする。認知症の人は、ずっと厚く濃い霧がビッシリと頭に張り付いてるんだと思うけど、、時折その霧がスッと晴れる瞬間があって、ドキッとするほど「素」の顔になることがある。どう対応すればいいんですかね。Aさんに、おとなしくなってほしいとは思いません。それは、活動量というか、意思表示が減るということで、「良い状態」とはいえない。介護がラクになりゃいいってものじゃありません。かっこつけんじゃねえよ・・・って声も聞こえてくるんですが、でも、そうでなきゃ、本当の認知症ケアとは呼べないでしょ。誰かいい知恵があったら教えて。
2009年02月16日
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土曜日は、午後から小倉のセミナーへ行った。雇用についてのセミナーである。最近テレビで、需要はあるのに応募者が少ないとして、よく介護職がとりあげられる。ハローワークでインタビューしてたが、首切られたハケンの人たちは、「自分は製造の仕事しかやったことがないから・・・」とか「給料が安くて」とか答えていた。まあそうなんだろうけど、介護の世界にいる人間としては、あまりいい気はしないな。介護が、キツイだけの仕事だと思われてるんだろうか。もう少し、高齢者介護の面白さってものを(それは確かにあるんだし)アピールしたほうがいいよな。「人間相手の仕事は、やったことがない」っていうことなら、大丈夫だと思う。僕も、元々は人と話すのが苦手で、今でもパーティーとかあると逃げることにしてる。高校の頃、将来どんな仕事ができるかなあと考えたとき、思いついたのは「映画の脚本家」だった。これなら人と会わなくて済むんじゃないかと思って。挫折してからも、旋盤工とか自動車の部品の組み立てとか、そういうのばっかやってた。旋盤やってた頃は楽しかったな。朝、左に山になってる水道管を旋盤かけて右へ運んで山にする。目に見えて自分の成果が山積みになってゆく。介護の仕事に入ったのは40歳過ぎてからなので、その気になればできるよ。「その気」になるのが、「派遣切りにあったから」でもかまわんと思うけど。セミナーも終わり、駅ビルの中の和食屋でビールを飲む。でかいテレビの正面に座らされたんだけど、チャンネルはフジテレビ系列になってた。隣の席は、チャラチャラした初老おやじと中年前期の女のカップル。不倫だな。俺の目はごまかせんぞ。そしたら「ミュージュク・フェア」が始まって、岡林信康がいきなり「チューリップのアップリケ」を歌いだしたんでのけぞった。モロキュウ掴んだ箸が止まりました。岡林、綺麗に年をとりましたね。綺麗だと思った。となりのおやじは、中年前期に「誰これ、フォークの人?」と聞かれて、「そうかね、知らん。ケイコちゃん、次どこの温泉いこうか~」と答えた飛びかかって首絞めようとおもったが、実行すると、「中年男蕎麦屋で錯乱。隣席の男性にいきなり飛びかかり、連れの女性にも塩サバを投げつける。調べに対し男は、あっぷりけを買ってくれ、山谷を忘れるな・・・などと、意味不明の供述をしている模様」などと新聞に書かれるのでやめた。僕も、岡林や友部正人氏みたいに、「綺麗」に年をとりたい。晩年の高田渡氏までいくとちょっと困るが。うむ、またタイトルとは関係ないハナシになってしまったな。反省しよう。
2009年02月02日
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日曜日、こちらは大雪で、そんなとんでもない日に、新車が納入されてきました。車買うのなんか9年ぶり。猛吹雪のなか、「納車式」とかいってパネルもって写真を撮られました。クルマ屋さんも不景気でタイヘンねえ。9年ぶりの新車にふさわしい音楽は何かと考え、降りやまない雪のなか、RCサクセションの「ベイビー!逃げるんだ。」を選んで走ってみた。すかっとした。清志よ、永遠なれ。ブック・オフで「寺内貫太郎一家」(向田邦子・昭和50年、処女小説となっている)、「ザ・プレイヤー」(マイクル・トルキン)を見つけて、即購入。たまにはいいものも置いてあるじゃないの。「ザ・プレイヤー」は、昔観た映画の原作。ロバート・アルトマン監督、ティム・ロビンス主演の92年作品。映画はまあ面白かったが、僕はこの時分、ティム・ロビンスというトッチャンぼうやがあまり好きではなかったので(天下取るんだろうなあって思ってた)、印象は薄い。その後、クリント・イーストウッド監督作品、「ミスティック・リバー」を観て、敬意を払うようになった。ついでに言えば、ショーン・ペンも同様。まだ読んでないけど、こういう映画の内幕小説って面白いの多いからな。期待しよう。夜はずっと、CDで落語を聴いてた。「昭和の名人」っていうCDつきムックの第1巻。古今亭志ん朝。こういうムックって、最初の巻だけ半額なので、それが志ん朝なのはありがたい。「サンデー志ん朝」の頃からのファンだかんな、こちとら。この後の巻には、とても「名人」とは呼べない人たちも混ざってるので(名前出して悪いけど、桂小南とか柳亭痴楽とか。俺リアルタイムで聴いてるぜ)、もう1巻出る志ん朝のだけ買うつもり。次巻は志ん生だけど、僕はこの人、晩年しか知らないので、全盛期どれくらい面白かったのかよくわからない。自伝(というか、「びんぼう自慢」)の「なめくじ艦隊」はスゴいが。この「志ん朝」の巻には、「夢金」と「品川心中」が収められていて、どちらも30分程度なので、「堪能する」ところまではいかないが、それでも、いろっぽい志ん朝さんの語りが、クリアに聴けるのはうれしい。何枚かCDもってるけど、この録音はいい。関係ないが、パソコンに取り込んだら、タイトルが「居残り左平次」になっちゃったぞ。なぜだっ。止まらなくなって、次に柳屋小三冶の「芝浜」と「茶の湯」(どちらも1時間近い)を聴く。志ん朝さんが亡くなった今となっては、期待するのはこの人だけだなあ。とまあ、日曜日は「仕事から離れる」ことに決めたんですが、ブログの話題も、しばらく「仕事から離れる」ことにしました。とりあえず、♪ベイベー、逃げるんだあ~。げるんだげるんだあ~♪
2009年01月27日
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今日は書評であります。F.W.クロフツ「クロイドン発12時30分」。35年ぶりの再読でありまして、どうして今更こういうものを再読したかというと、「図書館で見つけたから」であります。クロフツの作品というと、創元推理文庫からドカドカ出てたけど、図書館には、これと「樽」しかなかった。フーンと思って調べたら、創元でももう、「樽」、「クロイドン」、その他2作くらいしか手に入らないんですね。クリスティはハヤカワから全部出てるのに。クロフツというと、まず地味なアリバイトリックってすぐ思われるけど、実はストーリーも面白かったりする。僕は熱心なファンではないけど、出張に出かけるフレンチ警部(後に警視)の描写が好きで、たま~にトラヴェローグとして読みたくなります。この、捜査のためにいろんな場所に出かける、というのを、西村京太郎とかが直接的に受け継いだんでしょうね(「ミステリー列車が消えた」とかの、初期のもの以外、ほとんど読んでないけど)。で、「クロイドン」ですが、これずっと再読してなかったのは、高校生の頃読んでサッパリ面白くなかった、という記憶のせい。ご存知の方も多いと思いますが、この小説はいわゆる「倒叙型」というやつで、まず殺人が起こり、そこからさかのぼって犯人がどういう動機で、どういうトリックを使って犯行を決行し、後半現れたフレンチがそれをどう暴くのか・・・という形式になっている。バリバリの本格物ばかり読んでいた高校生には、じぇ~んじぇん面白くありませんでした。ところがです。今回僕は、手に汗握って読み終えました。「他人ごとじゃない」って感じ。読みながら、息が詰まるようでした。読み手の立場により、リアリティーというのは大きく変わるんだなあ、とため息をつきつつ、イノセントな高校生(わしのこと)に、わかるわけないよなあ・・・と、納得もしたのでした。犯人・チャールズは、中小企業の経営者。業績は悪化していて、今回大事な受注をとり損ねた。業界や銀行関係者の間では、どうやら「あそこは危ない」という噂が流れているらしい。チャールズは人員削減で乗り切ろうとするが、側近から、新しい工作機械(それほど高くない)を入れればもっと安く受注できると聞き、その気になる。銀行に融資を持ちかけるが断られ、遺産の一部をもらえることが決まっている叔父に相談すると、逆に叱責される。もう、にっちもさっちもである。身につまされるなあ。チャールズは、金持ちの女に恋していて(片思い)、この女を手に入れるためには、絶対に破産など出来ないと考えている。この、自己中チャールズは、「もらえることが決まってるものを、先にもらってなにが悪い」と、叱られたこともあって、叔父の殺害を決意する。僕の現在と異なるのは、1、遺産を残してくれる叔父などいないこと、2、恋焦がれる女性も残念ながらいないこと。あ、もちろん殺人も計画していません。僕は無実だっ。殺人方法は地味で、まあ現実的です。中盤以降、フレンチが顔を出すようになりますが、ロンドン警視庁の警部が捜査に乗り出したときいて、身構えていたチャールズは、やってきた警部が平凡な質問しかしないのでやや安心する。おお、この作品から「刑事コロンボ」に直接繋がるわけね。クロフツは、この地味な殺人ひとつではもたないと思ったのか、犯人確定の決定的な場面を目撃した男に恐喝されたため、チャールズにもうひとつ殺人を行わせています。個人的には、この恐喝シーンがもっとも面白かった。金は払うと約束したチャールズだが、もし何度も金をせびりにくるようなら自分は自殺する、警察に駆け込むなら自分は自殺する、と開き直るのです。こういうの、ありそうでなかった気がします。その迫力に恐喝者は、「絶対1度だけだから」とかえってビビる。面白い!。このあと、完全犯罪ウッシッシと思っていたチャールズが、死体を沈めた湖底をさらえと指示したのが、忘れかけていたフレンチだと聞いて不気味に思うのも、まさしくコロンボですね。結末は型どおりとはいえ、ガッチリと構築されたミステリが読めて、余は満足であります。小説を面白がれるかどうかは、かなりその時の環境や立場に影響されます。きっと、なんだこれ、と途中で放り出した小説の中にも、今読むと滂沱の涙が怒涛の如くあふれ落ちるものが、いっぱいあるんでしょうねえ。
2009年01月20日
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昨日は、父の命日でした。もう10年になります。10年前の1月17日は日曜日で、FMで「大瀧詠一・山下達郎 新春放談」を聴いているときに、父の心臓が止まったという連絡が、病院から入りました。なんだかそれ以来、あれほど楽しみにしていた「新春放談」も熱心には聴けなくなりました。夕方、父の遺体を家に連れ帰ってきて、親戚たちが来るのを待ちながら、声もなく母と一緒に阪神大震災(発生からまだ4年でした)の番組を、ボーッと見ていたのを憶えています。仕事は半日にしてもらい、午後から納骨堂にいきました。夜は、小倉まで出て、「ゴッドファーザー」のデジタル版を観にいってきました。DVD版のレビューをみると、「まるで別物」という感想が多いし、久しぶりに大きなスクリーンで観たいなとも思ったので。といっても、僕は「ゴッドファーザー」がそれほどの傑作であるとは思っていません。少なくとも、「映画史上のナンバー・ワン」になったりするのは、いくらなんでも・・・と思います。ブームになってた封切り時(36年前!僕は高校生でした)も観ていますが(奇しくも小倉で観ました。PART2は東京・有楽座、3はDVD、ぐるっと廻ってまた小倉だ)、その後は、テレビの吹き替え版を観たくらいです。宣伝文句には、「この作品の基調である、《黒》がくっきり鮮やかに」みたいなことが書いてありましたが、僕は特に印象が変わるほどの違いは感じませんでした。むしろ、ラジオ・シティ・ミュージック・ホールや、マイケル(アル・パチーノ)が悪徳警官らを射殺するレストランのネオンサインの鮮やかさに、心震えました。今回見直して思ったのは、時間経過があいまいなために、一番重要であろうと思われる、マイケルがどういう気持ちの変化で「戦争の英雄」から「マフィア・ファミリー」のドンになることを決心したのかわからないこと(この大事な1年間は省略されています)、「家族」を描こうとしているのに、「母」が点景としてしか描かれていないこと、でした。僕の不満はこの2つです。しかし、ドルビー・サウンドで鳴り響く「愛のテーマ」(封切り当時は、空前の競作ブームでした(アンディ・ウィリアムズから尾崎紀世彦まで)から、スクリーンから流れてきた時客席がざわめいたのを憶えています)にはやはり感動するし(シモネッタ・ステファネッリ素敵っ。僕の高校時代の憧れっ!)、考えてみれば、この作品の成功がなければ、「仁義なき戦い」(当時の東映岡田社長が、脚本家笠原和夫に「ゴッドファーザーみたいな家族愛のヤクザ映画をつくれっ!」って命令したのがキッカケ)も、「うわさのチャンネル」の「ゴッドねえちゃん」も、石野真子の「わたしのドン」も生まれなかったわけで、そう考えると、やっぱり偉大な作品なのかしらねえ。
2009年01月18日
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僕がもっとも敬愛するミステリ作家、ドナルド・E・ウェストレイク氏が12月31日に亡くなりました。この作家は、英米の作家によくいる多数のペンネームを使う人なので、翻訳された小説すべてを読んでいるとはいえないのですが(タッカー・コー名義のものは読んでいません)、ウェストレイク名義のものは、すべて読んでいます。ドナルド・E・ウェストレイク。日本ではそれほどメジャーな名前ではないのでしょうが、この人ほど「活字の笑い」に関してセンスの良いミステリ作家はいません。もちろん同タイプの、トニー・ケンリックなどよりレベルは上です。初めて読んだのは、映画化に伴って翻訳された「ホットロック」(71年、訳されたのは72年。僕はまだ高校生でした)。その後、亡くなるまで(・・・)書き続けられた、ジョン・アーチボルト・ドートマンダー シリーズの第1作目。映画では、ロバート・レッドフォードがドートマンダーを演じていました。以来僕にとっては、ドートマンダー=レッドフォードです。ちなみに2作目「強盗プロフェッショナル」はジョージ・C・スコット、3作目「ジミー・ザ・キッド」はポール・ルマットがドートマンダーです。あきれて物も言えません。他に映画化されたものでは、悪党パーカーを、リー・マービンとメル・ギブソンが演じています。「活字で笑わせてくれる人」といって僕が思いうかべるのは、小林信彦(大統領の晩餐)、筒井康隆(俗物図鑑)、東海林さだお(全部)、(初期の)夏目漱石(坊ちゃん)、リング・ラードナー(アリバイ・アイク)、デイモン・ラニアン(マダム・ラ・ギンプ)などですが、ウェストレイクにも、それらの作家に勝るとも劣らず、心から笑わせていただきました。ウェストレイクの「笑い」の決定版として、僕は「ジミー・ザ・キッド」の次のシーンを挙げたいと思います。「ジミー・ザ・キッド」は、リチャード・スターク(ウェストレイクと同一人物)の悪党パーカーシリーズの一編「誘拐」を、そのまま実行しようとするドートマンダー一味のスカタンぶりを笑うドタバタコメディですが、この中で、息子(ものすごくイヤな天才少年)を誘拐された父親が、身代金要求の犯人と電話で話した後、録音したテープを警察に聞かされる。自分と犯人とのやりとりです。「この声に聞き覚えは?」という警察の問いに、父親は、「二人とも知りません」と答えます。爆笑。もう新作が読めないんだと思うととても寂しい気持ちでいっぱいですが、まだ未訳のドートマンダーものがいくつかある筈です。ハヤカワ書房さん、よろしくお願いします。ここで本棚から目をつぶって引き抜いたら、ノン・シリーズの「聖者に救いあれ」(75)でした。マンハッタンのど真ん中にある古い修道院が取り壊されることになり、「移動しないこと」を宗旨とする修道僧たちが、トラブル解決のため「初めて」院外の俗世界(マンハッタンですよ!)に出てゆくというコメディ。原題は「BROTHERS KEEPERS」、ウェストレイク本人によると、元々のタイトルは「セロニアス・モンク」、素敵な小説家でした。今夜はこの小説を読んで、追悼させていただきます。。謹んで、ご冥福をお祈りします。
2009年01月03日
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にゃはあ。大雪の中での営業も無事に終わりました。やっと明日一日休めます。うふっ。何して過ごそうかなっ、ルンルン(古い)。えーと、まず競馬(京都・中山の金杯)の予想をしてと。次は読書ですな。正月三日にふさわしいのは、アガサ・クリスティ初期のユルい本格物のよーな気がする。「青列車の謎」、これですな。で、音楽だ。ホレス・シルバー「ソング・フォー・マイ・ファーザー」、松尾和子「ラプソディ」。わしゃこの2枚にハマっていて、何度聴いてもうっとりしますぜ。「ラプソディ」は、アマゾンでレビューを書いたが、「参考になった」は0だ。ふん、どうせそうだろうよ。よし、いやがらせにこっちでも感想書いてやろ。というわけで、ちょっと明るくなってきたわしでした。雪のわが町。川は遠賀川。河原はまっ白。それなりに綺麗な町じゃないの。ねえ。
2009年01月02日
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げっ!。ずっと「陽だまり」で仕事してて、さあ帰ろうかと思って外を見たら大雪だっ。これはもう帰れぬ。「陽だまり」に泊まる。それはいーが、明日は利用者がいるぞ、どーすんだ。うーむ、これからじっくり考えよう。これが現在の「陽だまり」の庭だっ!!。
2009年01月01日
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皆さん、明けましておめでとうございます。ここ福岡では夜中に降ったようで、庭はうっすらと雪を被った、寒い元旦になっております。なかなかうまくはいきませんが、それでも時間は経ってしまうので、やれることをやってゆくほかはありません。手帳には毎年、いろいろな目標を書き込むのですが、今年は「胸をはって歩く」とだけ書きました。今年もどうぞ、よろしくお願いします。
2009年01月01日
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もうなんというか、ただただボーゼンとしているうちになんと大晦日だそうで、どうしたらいいのかしら。ずいぶん更新をサボッてしまったが、あたしゃ遊んでたわけじゃなくて、ただひたすら仕事をやっておりました。そしてまた、年末年始も仕事をやりますので、このままでは気が狂います。どうしたらいいんでしょう。狂うわけにはまいりませんので、今日は書店を廻って本を買いまくりました。「江戸川乱歩の推理教室」、「密室入門」(有栖川有栖)、「名探偵たちのユートピア」(石上三登志)、「メロンの丸かじり」(東海林さだお)、「リーダーシップの旅」(野田知義・金井壽宏)、「悪魔はここに」(鮎川哲也)。ああスッとした。ざまみろ。そして今夜は、「海辺のカフカ」を徹夜で再読し、僕の正月はそれで終わり。皆様、良いお年をお迎え下さい。来年こそは、ちゃんと書きたいと思います。
2008年12月31日
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昨日は、「街づくり」についてのセミナーに行ってきました。あまり役はたたなかったような気もするけど、ボッーと聞いていて突然思ったのは、自分が住んでいる(生きている)町を批判的に見ているだけでは、何も始まらないし誰も助けてくれないっていうことでした。僕はずっと隣の北九州市で仕事をしていて、この市で事業をはじめてから、「(いろんな面で)やっぱりちょっと、差があるよなあ」と、ずっと批判的に見てきたし、ここでも書いてきたような気がします。でもそれじゃあダメなんだろうと反省しました。この町を好きになろう、この町のいいところを見ていこう・・・そう決めて、今日は銀行にいくついでに、商店街を歩いてみました。するとあらフシギ。今まで、「こんな疲弊した商店街なんて見た事ない」って(失礼にも)思ってたのに、「うーむ、この人通りのないなかで、なんとかやっていけてるのはすごい」と、素直に思えたのでした。。考えてみると、この町には山も川もあるし、路面電車は走っていて、暴力団の事務所もない。のんびりしてていい町じゃないのよ(僕は単純なのだ)。よし、みんなで元気を出しましょう。で、その元気の中心にあるのは、何を隠そうこの「陽だまり」であるのだ・・・って来年言えるようにしますです、ハイ。見よっ!これが本日昼11時の、わが町メインストリートだっ!まいったかっ!。
2008年12月08日
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寒いです。雪です。ここは本当に九州かっ。よりにもよって、今夜は忘年会。すべて会社持ち。えらい。9年乗った車(ほとんど事務車と化してる)を正式に会社の車にして、自分の車を買うことにした。金は全然ないけど、なんとか給料ももらえるようになったし、もう社長としては車くらい買ってもいいんじゃないかと思って。もちろん会社の金じゃなくて、個人で買う。あまり車には興味がないし、だいたいそんなには乗らないんだけど、対外的に社長がボロボロ(ドライブシャフトが折れてたってよう。ホントか?怪しい)の「軽」ではまずかろう。といっても、もちろん高級車など買えないんで、決めたのはニッサンの新型キューブ。60回払い。わはははは。死ぬまで乗るぞ。ちょっと前の「行列のできる法律相談所」を見てたら、カンボジア(だった?)に学校をつくるためのオークションをやってて、そこでは著名人の描いた絵画が、ウン百万でバンバン売れてた。それだけの価値があるのかどうかしらないが、買った人の何人かが、(そんなお金だせるの?っていう島田伸助の問いに答えて)「明日からがんばって稼ぐ」と答えていた。僕もこの考えを採用することにした。うまくいかないことを、ひとのせいにするのはもうやめたし(うーん、まあそういう方向でということですね)、ひとが動いてくれないことをうらむのもやめる。ひとはどうあれ、僕は僕のやらなくちゃいけないことを、ただ黙々とやっていくだけです。ね、だから許してね。「明日からがんばって稼ぐ」から。
2008年12月06日
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「陽だまり」2年目に突入です。特別なことはしませんでしたが(忘れてた)、やはり、去年の今日はどうだったかなあ・・・と考えてしまいます。何人かのお客さんと見学者、あとはすることがなくて、午後からポスティングに廻ったような気がします。1年経って、今夜は泊まり。忙しすぎて考えることができないのが、現在の一番の悩みですが、ヒマでヒマでどうすればいいのかわからなかった頃に較べれば、贅沢な悩みですね。軌道に乗り始めるまで、僕はもっと真摯でエネルギッシュだった気がします。うまくいき始めたとたんに、疲れはじめました。でもそれではダメです。もう一度、誰のせいにもしないで、自分が動くことにします。融資が受けられそうなので、空いたままの店舗部分で、ケアプラン・センターと、ここで書いた「コミュニティ・レストラン」に着手します。昨日、北九州市小倉北区の京町商店街というところに、「一丁目の元気」という障害者が自主運営するお店ができたので、そのセレモニーに行ってきました。ここにコメントをくれる、ゆうちゃんの関係です。市長や商店街のお歴々の挨拶を聞きながらつくづく思ったのは、「行政も巻き込まないとダメだ」ということです。明日から初心に戻って、がむしゃらに進んでみることにしました。結果はまあともかくってことで。心臓が止まっても、もうダンスは止まらないゼっ。
2008年12月01日
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11月30日、今日でついに「デイサービス 陽だまり」開設から、まる1年が経ちました。なんとかもった、なんとかもたせた・・・というのが実感です。結局1年で黒字にはなりませんでした。目標の売り上げには到達したのですが、なかなかうまくはいきません。それは、経営者として失格ということになるんでしょうが、一定の給料水準を保ち、なお且つ基準よりかなり多い介護職員をおいて良心的なケアをする、という方針でもなんとかやっていける・・・ようにしようという気持ちに変わりはありません。一人分の人件費が浮けばそれで黒字になるし、少しづつ給料を下げてしまえばラクになります。でもそれでは、「介護職の給料水準は低すぎるのは間違っている」という起業理由のひとつを裏切ることになるので、そんなことはしません。税理士さんや起業セミナーで相談すると、「どうしてあなただけが、そこまでリスクを負う必要があるの?」と必ず言われます。答えは、「僕が誘って始めたことだから」となるのですが、正直に言えば、僕自身も「何で僕だけが・・・」という気になることもあります。きっとスタッフは賃金をもらいすぎてるとは思ってないでしょうし(当然とはいえ)、ボーナスもないことに不満も持っているでしょう。会社という船を率いていく者と、そこに乗り込んでいる船員とに、同じモラルやリスクを持て、というのは酷なんでしょう・・・っていうふうに、すぐ相手の立場に立ってしまうのが、僕の欠点(もしくは長所)。この1年、なにもできなかったしどこへも行けませんでした。でも、このブログで泣き言を書くのは、精神衛生上すごく良かったし、もっとも辛かった4月下旬(潰れてしまうと思いました。会社も自分も)には、多くの方にコメントで励ましていただき、ずいぶん勇気づけられました。1年経って痛感したことは、「友達どおしで起業するのは止めたほうがよろしい」ということです。つらいことですが、実感です。ずっと友達でいたいなら止めたほうがいい。僕も仲間も、スタートは一緒でしたが、僕は1年間、打たれっぱなしになりながら、それでもなんとか耐えて耐えて「経営」というもの、あるいは「会社」というものを勉強してきたつもりです(あんまり頭良くないので、それほど進歩はしてませんが)。もう潰すわけにはいきません。「陽だまり」に来るのを楽しみにしてくれている人が多数いる以上。先日、初めてのケアマネジャーさんから電話が来ました。「○○さん(お世話になってるケアマネさん)に、この地域で一番認知症の方に誠実に対応してくれるところはどこ?って聞いたら、そちらを紹介されたので」ということでした。すぐにその○○さんからも電話がありました。「教えたくないけど(利用者の枠がいっぱいになると困るから)、教えちゃいました。うふっ」(おちゃめなケアマネさんなんです)。もう潰すわけにはいきません。さあ、明日から2年目が始まります。追伸ウチの会社名「リスペクトライフ」は、創業のときはエラソーに理由を書きましたが、実はアレサ・フランクリンの「リスペクト」(オーティスより、こちらのほうが好き)と、ジョン(というか、ビートルズ)の、「イン・マイ・ライフ」をくっつけただけです。「ライフ・イズ・リスペクト」(でしたか?)なる曲があるなど、ワタクシ誓って知りませんでした。それにしても、「リスペクトってどういう意味ですか?」と聞かれまくるのには困ってます。もうみんな、アレサもオーティスも聴かないのかしらねえ。
2008年11月30日
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ふぅわ~、なんか面白いことないかね。なんもないので、久しぶりに競馬の予想でもすっかね。「マイル・チャンピオンシップ」今年秋まで、競馬どころじゃなくて、全然やってない。小倉開催にも行かなかった。こうして競馬をやろうかという気になっただけでも、少し余裕が出てきたのかもしれない。「ははあ、久々にスポーツ新聞の競馬欄を見てみると、ほとんど浦島状態だ、こりゃ。スーパーホーネットかあ。あ、思い出した。去年、ダイワメジャーに最後のところでコドモ扱いされて、抜けそうで抜けなかったあいつだ」「この馬強いですよね。だいたいこのレース、2年連続連対って多い。本命はこれだな」「一番人気でしょ。つまんない」「いや社長、つまるつまらないの問題じゃなくて、ウチ資金繰り苦しいんでしょ。まずは当てることが先決。地道にいかなきゃ、ビジネスも競馬も」「仕事はコツコツやってんだから、競馬くらい穴ねらわせろや」「急にえらそうになりましたな。んじゃ社長の本命はなんですか」「エイシンドーバー」「根拠は」「ない」「ないわけないでしょうが。内田が乗るから?」「ちがう」「じゃなぜ」「教えない」「教えないって、これ競馬の予想してんでしょ。本命対抗印つけといて、理由は教えないとか言ったら笑われますよ」「笑え」「がはははは、ってそういうことじゃなくて、真面目にやってください」「誰もこんなブログの予想なんか、あてにしないもん」「でも、かりにもこうやってページもらって書いてるわけでしょ、責任もちましょうよ」「持ちません。匿名だし」「あらら、それはマズいんじゃないの。今までそういう気持ちで書いてたの」「は~い」「喧嘩売ってんですかっ」「ぷっ、今「ケンカ」って間違えて「献花」でエンター押したね」「・・・」「何か言って」「・・・」「うふ。今「なんか」って変換したら、最初に「軟化」って出てきた。面白いね」「・・・面白いですか」「すご~く」「いやそうじゃなくて。こういう文章だとスラスラ出てくるでしょう、社長って」「才能ある?」「こういうの、才能っていうんですか」「いいます」「社長がそう思うなら、それはそれでいいですけど。普段は、経営がどうだとか介護のあるべき姿とは、とかエラソーなこと書いてるでしょ。そういう社長がいきなりこういうの書いたら、真面目に読んでくれてる人たちはどう思います」「素敵?」「違います」「フッサさんって、いつもはキリリとした未来ある社長さんなのに、こんなお茶目な一面も持ってるのね。また惚れ直しちゃった?」「ばか」「ば、ばかだと。黙って聞いてりゃいい気になりやがって。お前平社員だろ、わし社長よ」「社長、そこの弁当とって」「は~い」「ねえ社長。いつもどおり収拾がつかなくなってきたから、もうこのへんでやめません?ほんとにバカだと思われますよ」「その意見に一票をさしあげるっ」ということで、私も反省しつつ印を打つのであった。◎エイシンドーバーこれを本命にする理由は馬に喰わせるほどあるが、めんどくさいので割愛する。○スーパーホーネットしょうがない。▲ローレルゲレイロ実はこれが一番強いのかもしれない△カンパニー今度こそっ、て時は必ず負ける馬。以下、ファイングレイン、スズカフェニックス、ブルーメンブラッド、リザーブカード、サイレントプライド、スマイルジャック。◎○と◎▲、◎△2頭軸の三連複。エイシンドーバーがくれば万馬券じゃわい。うしし。
2008年11月23日
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ああ、忙しいなあ、もうっ。今日は、午前中は年末調整の説明会、昼飯は食いはぐれて午後は融資の相談、夕方利用者を送ったあと会議があって、現在は泊まり利用者に対応中。わは、わはははは。もう年末調整の時期かあ。去年はまったくなにもわからないまま、なんとかでっちあげたのであったなあ。1年経ったのか。いろいろあったよなあ。それにしても、税金はなんとかならんか。ウチくらいコンプライアンス(だっけ)な、清廉潔白な素敵な会社はないぞっ。その素敵さに免じて半分まけろっ。やっと黒字になるかと思ったのに、7年乗った車はドライブシャフトが壊れやがるし、忘年会はやらにゃならんし、健康診断はありやがるし、職員どもは社長の苦労も知らず、「クリスマス会は、一周年記念を兼ねて豪華にいきましょう、うっしっし」などといいやがる。く、くそ。どいつもこいつも。「えー、突然ですが、今月から給料半分にします」とか言えたら気持ちいいだろうなあ。あはは。でもそうは言えぬので、社長は暖房も使わず、ひとり孤独に経費節減に励むのであった。うー、寒。
2008年11月20日
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今日もまた、岡林信康のアルバムの話です。「1973PM9:00→1974AM3:00」というライブアルバム。金がないないとか言いながら、またも買ってしまった・・・反省。バックは、細野・松本のはっぴいえんど組と、鈴木慶一、伊藤銀次、矢野誠という、ちょっと不思議なメンバー。先日書いた、1970年のライブ(はっぴいえんどがバック)の熱気とは較べようもなく、松本隆のドラムは洗練されていて、自身がプロデュースしたアルバム「金色のライオン」の曲を中心に、時代の違いのせいもあって、憑きものがおちたように淡々とすすんでいく。ラスト近くの「ホビット」や「黒いカモシカ」は、アルバム(金色のライオン)よりずっとファンキーで、細野のベースが際立って上手い。「おお、スライみたいだあ」とか思いながらのんびり聴いていたのだが、アンコールの「アイ・シャル・ビー・リリースト」で、印象が一変する。歌の途中で、いきなり岡林が泣き出すのである。「泣きながら歌う」んじゃなくて、「歌いながら、泣き出す」。あの岡林信康が、である。音だけでは、その時の岡林の感情のゆれ、みたいなものは把握できないが(解説もないし)、その一気の感情の噴出は、なんだかわからないが聴く者(僕)の心(おおげさに「魂」といってもよい)を揺さぶる。1974年の正月。僕は19歳。東京は北区王子のアパートで、寒さと未来への不安に震えていた。もう、中上健次「十九歳の地図」や、丸山健二「夏の流れ」は読んでいただろうか。大瀧の「ナイアガラ・ムーン」や、細野の「トロピカル・ダンディー」の発表は翌年である。大塚まさじは、「男らしいってわかるかい。ピエロや臆病者のことさ」と歌い、清志郎は、「頭の悪いやつらが圧力をかけてくる」と歌った。そして岡林は、「いつだって何かにつつまれ いつだって何かをうばわれ」と歌う。もう35年も昔のオハナシだが、相変わらず僕たちは、今日をこえて明日に生きなければならない。いつの日か、「私の光が光ってくるのが見える」んだろうか。見えないのかもしれないが、見えるんだと信じて進むしかないのか・・・。曲の後半、 I see my light come shining From the west unto the east. Any day now, any day now, I shall be released.何度も何度も繰り返して英語で歌うが(もしくは泣く。もしくは叫ぶ)、その英語のきれいな発音にも、なぜか感動してしまった僕でした。
2008年11月13日
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昨夜は泊まりの利用者さんが寝てくれなくて、なかなかヘビーな夜となりました。廊下の非常灯(一応小さくても施設なので、そーゆーものも取り付けてあります)が気になったみたいで、叩き落そうとしたりでタイヘンではありました。でもまあ、1対1なので何とでも対応できるし、特にあわてたりはしませんけど。この方は暴力行為があって他の施設で断られたのですが、ウチではあまりそういう面はみせません。ただ先日、他の利用者さんにイスで殴りかかろうとしてちょいとトラブったんですが、基本的には、「本人の中に」、殴らなければならない理由がある、わけです。そこのところを理解しとかないと、「認知症の年寄りは、何をするかわからん」みたいになってしまう。僕はその現場にはいなくて、報告を受けて「アハハ」と笑っちゃったんですが(イスを持ち上げようとして、重くてやめたらしい)、そういう場面に初めて遭遇した職員には、相当ショックだったらしい。僕はもうそういうの慣れてしまってどうということもないんで(ホントに殴っちゃったら別)、後から(ショックだったと)聞いて、自分の配慮のなさを反省しました。自分が認知症(10年前当時は痴呆症)の人と初めて対峙したとき恐かったかどうか憶えていません。たぶん恐くて震えてたんでしょうね。長く介護の仕事をやっていると、いろんなことを忘れていきます。一番早く忘れてしまうのは、「高齢者にも羞恥心がある」ってことだと僕は思います。なので僕は、介護でもっともデリケートな気持ちで接しなければならないのは、排泄介助だと思っています。誰だって(特に女性は)、ウンコと一緒にオナラばりばり出てるとこなんか見られたくないし(しかも傍にいるのが、若いあんちゃんだったりする)、そういう音聴かれるだけで死にたくなると思う。自分でトイレに行って座れるなら、そりゃ自分で行きたいですわな。でも、できないから、「偲びがたきを偲び、耐えがたきを耐え」、スタッフに「トイレに連れてって」って頼むわけなので、そこで「ちょっと待って」と言ってはいけない。入浴も同じで、大きい施設(小さいからいい、というわけでもないんだけど)で、どんどん脱がせてがんがんシモを洗う・・・みたいな、吐気がするような光景も、「羞恥心はボケない」ということを忘れてるから発生してるんだと思います。(サディストみたいな、年寄りをイジメることが「好き」な馬鹿も中にはいますが。)不潔行為も、汚してしまったのを隠そうとしてトイレを詰まらせる・・・みたいな原因が多いわけで。僕はちょっと前まで、「ボケるのはイヤだ、ボケる前に死にたい」と思っていましたが、最近、若干考えが変わってきました。「まあ、ボケてもしょーがねーかなー」みたいな気持ちになりつつある。年とったんでしょうか。もし僕が認知症になったら、僕みたいな介護士に相手をして欲しいと思います。うぬぼれと取られると困るけど。僕は認知症の人でもそうでない人でも、どんな人にも同じように接することができる。処世術としてやってるんじゃなくて、そういう気質、というかそういう人間。何が嫌いって、ひとを見て自分の態度を変えるヤツほど嫌いなものはないです。ああ、早く「陽だまり」が、理想の施設にならないかなあ(なってないのかよ)。「理想」だけでは経営者として失格って言われるけど(もう言われ飽きた。言わんでくれ、言ってもムダだ)、金もバックもなくて、僕は「理想」と「理念」だけでここまで引っ張ってきたんだもんなあ。今更言われても困ります。愚痴が多くなるのも、年とったせい?とりあえずタイトル決めて書き始めたけど、「人生は野菜スープである」という結論までは辿り着かなかった(というか、序論で飽きた)。許してたもれ。いつものことだし。まああれだ。人参として生きるひともいればカブとして生きるひともいる。牛肉のひともいれば、鶏がらスープで人生を終えるひともいると。しかしそういうゴッタ煮であるからこそ、いろんな味が溶け合って人生は面白いと。人参もカブも、ミネストローネにして面倒見ちゃおうと。リスペクトしちゃおうと。そういうことです。ね、10CCさん。え、違うの。
2008年11月12日
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今夜も泊まり。今日の利用者さんは徘徊があるので、デイルーム(さ、寒い。経費節減!)のソファで、毛布にくるまって一夜を明かす私です。利用者さんと泊まるんで、夜は一緒にテレビを見ることも多くなっている。よく大きなデイサービスで、レクリエーションとして、昔の映画を流していたりするが、僕の経験でいうと、車イスに乗った高齢者(乗らなくても)が、2時間近く集中して物語に入り込むのは無理だと感じている。それがどんなに若かりし頃夢中になったスターのものでも無理。歌はまた別なんだけど、ドラマは1時間ものがちょうどいい。ウチの利用者さんは、月・木に泊まりがあり(今日火曜日の方はまあちょっと別として)、月は「水戸黄門」、木は「渡る世間は鬼ばかり」を見て、就寝する。「渡る世間」は午後9時からなので、そこまで持たず眠っちゃうことも多いけど。で、この利用者さんに限らず、年寄りは好きですなあ、この2つが。僕はしょうがなく付き合ってるんだけど、今日は、この2つのドラマから気がついたことを。「水戸黄門」1、内藤剛志の殺陣はあんまりうまくない。2、由美かおるは、皆様がおっしゃるとおり、「バケモノ」である。 この人、僕が中学生くらいの時に、「11PM」に出てた人だからねえ。3、「格さん」はいつも素手で立ち向かうが、自分も刀を使ってみたいと思わないんだろうか。しょうもないことばかりで気がひけるが、僕が一番気になるのは、「助さん」「格さん」がひと暴れした後印籠をみせて、一同が驚愕(笑)し畏れいっちゃうわけだが、その時助格どっちかが「この者どもをひったていっ」と叫ぶと、悪代官の手下(というか、部下ね)だった人たちが、「ははっ」とか言って、つい今まで助格と斬りあってたことなんか忘れて、上司(?)をふんじばっちゃうところ。なんという変わり身の早さ!。忠節の心はどこにいったのだっ。だが本当に問題なのは、「渡る世間は鬼ばかり」の方だ。このドラマが人気があるってのが、僕には全然わからない。これいったいなんだ。すごいと思うのは、セリフがすべて、「その時の状況の説明と、自分の気持ちをひとつ残らず説明する」ことに費やされていること。作者の橋田って人は、昔なにかのインタビューで、「私は映像を信じてないんです」みたいなことを言ってたけど、「じゃ、ドラマなんかやめりゃいいのに」って思うけどな。「おしん」(見たことない)の頃から、こうだったの?このドラマの登場人物みたいに、24時間むきだしに自分の気持ちを相手に説明してたら、あっという間に血の雨が降るか、気が狂うぞ。個人的にイヤなのは、佐藤B作とか、山本コータロー(特に好きではないが、仮にも、元「武蔵野タンポポ団」の一員だろうが)とか、それなりに昔は突っ張って、「表現」というものを模索したであろう人たちが、この、説明セリフのみで成り立っている、薄っぺらでひらひらなドラマに、「嬉々として」出演している(ように見える)こと。「これから俺たちの、第二の青春が始まるんだ」とか、真面目な顔して言わんでくれんか。頼む。
2008年11月11日
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自分でもびっくりしたんだけど、今日が母の命日であることを忘れてた。ひどいヤツだなあとは思うが、今夜も明日も泊り、昼間も仕事してるしな。「とにかく年寄りには、やさしくしてあげなさい」介護についてはそれしか言わなかった母なので、許してくれるんじゃないかな。母が亡くなって5年が過ぎた。4年前の今日は四国の山の中をお遍路で廻っていて、3年前は新前のケアマネジャー。2年前に起業を決意して、去年は開業直前だった。5年は長い。11月末で、開設から1年になる。最初の目標だった月の売上は10月でクリアしたが、まだ赤字。でも、僕みたいな「ぼんくら」が始めたことに、多くの人(まあ、ほとんどは保険収入だが)が、信頼してお金をくれる(っていう言い方はヘンだけど)なんて、なんか信じられない。売上が月百何十万なんてのは、大手の人たちにとってはハナクソみたいなもんだろうけど、でも僕には大金だし、感動する。利用者からいただく、食費とか保険の負担金とかの現金も30万円を超えた。今年1月の現金収入は「4000円」だったんだけど。忙しすぎて、ずっと頭は霞がかかったようにボーッとしてて、身体の調子も悪いけど、それでも負けるわけにはいかない。先日のセミナーである人に、「自分が起とうと決めた時、誰を助けたいと思ったのか。それさえ忘れなければ大丈夫」と励まされた。忘れてはいないつもりなので、「大丈夫」ってことなんだろうな。そう信じてやっていくしかないよね、お母ちゃん。
2008年11月10日
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10月24日に、待望久しい岡林信康のアルバムの再発が始まった。僕がもっとも聴きたかった、1970年12月1日のライブもめでたく発売された。今日は、そのアルバムについて書きます。今回、ライブ・アルバムは3種類再発されているが、このライブは、「はっぴいえんど」がバッキングで、単独でも「かくれんぼ」と「はいからはくち」を演奏するのが目玉。高田渡、加川良もゲストで登場し、それぞれ「生活の柄」(素晴らしい!)、「教訓1」を歌う。前半の弾き語りも当然良いが(部落差別を歌った、痛切な(最注意放送禁止曲)「手紙」を聴くことができる。)、なんといっても「性と文化の革命」に始まる、後半のロックン・ロール(でしょ、こりゃ)が興奮させる。いつもの端正さを脱ぎ捨てた、ワイルドかつ攻撃的(特に松本隆のドラム。ケンカ売ってるみたいだ。見直した)な「はっぴいえんど」があおりまくるんだけど、岡林の「歌」がそれに負けないのがすごい。細野晴臣・大瀧詠一・鈴木茂・松本隆、この4人を「ねじ伏せて、従わせる」ことができたのは、この時代の岡林信康だけだったってことか。あらためて、「岡林信康」という人間の大きさを感じた。「はっぴいえんど」ファンの僕がうれしかったのは、・「はいからはくち」が、他のどのライブよりもクオリティが高く、完璧なロックン・ロールになっていたこと。・「だからここにきた」で、岡林のボーカルにのせて、大瀧・茂がハモること。スタジオ盤では大瀧とのデュエットだが、ホント少年のような茂の声が聴けてうれしい。茂のギター、細野のベース、大瀧のシャッフル・ギターがうなりをあげて荒れ狂うのを聴いてると、なんだか、ビートルズの「ヘルター・スケルター」思い出しちゃったりもするな。関係ないかもしらんが。「これくらい、やろうと思えばいつだってできるんだけどさ」ってなもんだ。かっこいい。でも一番感動したのは、岡林が、「はっぴいえんどとは、今年の4月に出会ったんだけど、もう離れられなくなった。彼らに会わなかったら、自分は音楽やめてたと思う」と、柔らかい関西弁で語るところ。MCでは、「お○○こ」などという言葉が乱舞するので、後ろの大瀧氏や細野氏が、どんな顔しながらそれを聞いてるんだろうと想像すると、おかしい。ラスト2曲、「私たちの望むものは」、「今日をこえて」の、はっぴいえんどと岡林の張り裂けんばかりのシャウトは、40年近く経った現在でも、空を飛んでやってくる中央線のように、僕の胸に突き刺さる。 今ある幸せに とどまってはならない まだ見ぬ不幸せに 今飛び立つのだ・・・う、うるうる。 なんとでも言うがいいさ 良い子でいたい おりこうさん あんたにゃわかるまい 今日を乗り越えて 明日に生きることなんか・・・おーいおいおい。
2008年10月30日
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一昨日、昨日と、一泊で久留米に行ってきた。「小規模多機能ケア全国セミナーin久留米」という長たらしい名前の大会。「小規模多機能」つうのは、「通い」、「泊まり」、「訪問」を組み合わせて、トータルでケアしようというもので、2006年4月に制度化されたもの(居住はない)。この制度について、あまり興味はなかったのだが、現在「陽だまり」の自主事業(介護保険外)である「泊まりサービス」を利用してもらってる方(定期的に2名、単発で他2名が利用中)のこの先を考えると、ウチが、「小規模多機能型」になるのが一番いいのかなと思い始めてるわけで・・・。書かなきゃならん書類は山積みだったのだが、ま、行き帰りの電車とかセミナーの合間とかホテルで書きゃいいやと思って出発したが、結局書類は書かなかった。では、行き帰りの電車とかセミナーの合間とかホテルで何をしていたかというと、音楽を聴いていた。わはははは。「はじめぼくはひとりだった」「どうして旅に出なかったんだ」「奇跡の果実」以上、友部正人。「ラプソディ」(泉谷しげるプロデュース)松尾和子「1970年12月1日 岡林信康ライブ」これでは、セミナーを聞きにいったのか音楽を聴きにいったのかわからんな。わは、わは、わはははは。このうち、「はじめ・・・」と「岡林」は2枚組だぞっ。岡林のライブと、松尾和子については、改めて書く。改めて書くといって、書いたためしはないがな。どはははは。帰りは博多から高速バスに乗ってきたのだが、まわりは、ブランド品(よく知らんが)の紙袋を抱えた少女たちばかりであった。それほど遅い時間ではなかったが、少女たちは例外なくグッタリしていて、バスが走り出すと、みんな眠ってしまった。このバスは、僕の住んでいる「N市」という田舎町行きである。日曜日、「N市」ではあまりみないような、超ミニ・スカートやホット・パンツ(っていうのか、今でも)でキメて、博多という大都会に買い物に行ってきたんだろうね。途中、その中の一人が、ケイタイ電話をかけ始めた。化粧(メイクって言わないとダメか)はすごかったが、その声は「コドモ」だった。バスを降りると、そこは過疎の町だ。駅前にあるコンビニで弁当を買って外へ出ると、さっきの少女は、暗い駐車場に座り込んでまだ電話中。別の二人組は、「これからどうしようか」的に佇んでいる。淋しいのはお前だけじゃない・・・とも思うし、友部正人「僕のこと君にはどうみえるのか」の歌詞、 夜更けの新宿中央公園を歩いていたら にいさん寂しそうだねって ふたり連れの乞食に声かけられたが頭に浮かんだりもした。全然関係ないか。まだ先は長いからね。辛いこともいっぱいあるんだろうけど、負けずに頑張ってね、少女たちよ。
2008年10月27日
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うひゃひゃ。みんな誕生日へのコメントありがとね。うひゃひゃ。なんかこの歳になって「おめでとう」とかいわれると居心地が悪いようなうれしいような。でも僕は、なんだかそういう方々に支えられて、少しずつやる気も戻ってきたようであります。今日、収入明細のグラフを作ってて驚いた。なんと、9月の時点で、1年目(11月)の目標にしていた金額に到達していた。わはは、のんびりしたもんでしょう。世の中うまくいかんもんで、収入が増えるとその分支出も多くなって、未だ「黒字」にはなっていないのだが、なんというか、やればやれるもんだよなあ・・・と思う。経営にはド素人なわけで、コストとかもっともっと削ったりもできるんだろうが、わしゃそういうのはよくわからん。くわしい人からみれば、バカみたいな経営者だろうし、僕みたいなアンポンタンが、なんとか1年もたせたのが不思議だろうと思う。いろいろ批判も受けるが、シビアな経営者にはやはりなれないので、僕はこれからもこのスタイルで行く。「目の前の利用者、およびすべての高齢者に誠実に対応する」僕の武器はそれしかない。僕の料金設定は安すぎるっていろんな人から怒られるが、少しでも利用者の負担は減らしてあげたいと思うし、そういうのは儲けとは関係ない(関係ないこたあないんだろうが、でも、料金設定するときに、僕はこれだけもらわないと採算がとれない、とか頭に浮かんだことがない。ばかだと思われるだろうけど、そうなんだから仕方がない)。でもさあ、なんとかここまでやれてるし、給料もちゃんと払ってるしな。大丈夫。ばかでも経営できることを証明してみせるから。だまって俺についてこい・・・とまあ、今日は無理やり強気でまとめてみました。
2008年10月16日
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えへへ、というべきか、トホホというべきか。嬉し恥ずかし、誕生日であります。いくつになったかは、忘れたい。信じられない。ずっと以前に書いたけれども、「その時公開されてる中で、もっとも難解(と思われる)映画を観る」ことを、誕生日の儀式としていた。「家族の肖像」、「エロス+虐殺」(吉田喜重監督。ワン・シーンたりとも理解できなかった)、「トロイアの女」、「パリ・テキサス」(観ないでもよかった)、「叫びとささやき」、などなど。居眠りしてしまった作品が多いが、どこの映画館で観たかは憶えてるし、いつも孤独だった僕は、その年の秋風の冷たさの違いさえ忘れない(わしを詩人と呼びなさい)。もうそんな儀式を行う時間も気力もない。だがしかし。誕生日なにするものぞ。僕はこれから、難解ではない素敵な映画、「アパートの鍵貨します」をDVDで観て、幸せな気分になるつもりだ。清志郎が、「世間知らず」で歌うように、 もうあんまり大事なものもないのではあるが、今夜はそうかたいこと言わずに、ジャック・レモンとシャーリー・マクレーンに、「生きるってのも、そう捨てたもんじゃないな」と思わせていただきましょう。ハッピー・バースディ。
2008年10月15日
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今日は体育の日ですか。僕なんかの世代ではどうしても、「体育の日」が10月10日でないのは気持ち悪いですが。こちらはまさに体育日和、雲ひとつない秋晴れでした。僕は一日、通りに面した店舗部で、ポーッと外を眺めて過ごしました(ちょびっと仕事もしましたが)。大和生命が破綻したそうで、僕は契約してるんですが、どうなるんでしょう。僕が契約した生命保険会社が破綻するのは3回目(!)。過去2回は、ハガキ一枚で済まされた。先月、法人の契約しないかって担当のおばちゃんが来たけど、そんなことでいいのか?毎月ポストに入れてくれてた「PHP」が入ってなかったので(ん?)とか思ったんだけど。GMが危ないとか、信じられないニュースも入ってくるし、なんだかもう、外の小春日和とは違って「明日なき世界」状態ですね。三浦和義元社長(こういう言い方は、この人から始まった)の自殺には、ある感慨を持つ。悲劇の主人公にインタビューし、思わずもらい泣きする逸見政孝さんとか、まさしく「あらえっさっさ~」状態だったあの頃のワイド・ショーとか、現在の奥さん(ずっと一緒にいたんだね。なぜか今回は「妻」としか呼ばれない)と、スワッピング・パーティー(?)に参加しているところを撮られた無修正の写真とか、ひょうきん族の「フルハム三浦」とか、いろいろなことを思い出す。逸見政孝もフルハム三浦こと景山民夫も、もう亡くなっているし、「今は昔のこと~」ではありますね。現在だったら、あんなには騒がれなかったのかもね。緒形拳が亡くなり、今日は峰岸徹が亡くなった。緒形拳は、若い頃から老け役もやっていたので、もっと上かと思ってた。「復讐するは我にあり」、「鬼畜」ほかいろいろあるが、「砂の器」の、気のいい巡査が、感じが良くて僕は好きだ。もうひとつ、昔のテレビ・ドラマ、「豆腐屋の四季」というのも印象深い。林隆三の弟と、2人でやっている小さな豆腐屋の話で、なんかいつも兄弟でケンカばかりしていたが、豆腐屋さんが主人公なんてシブすぎて、僕のクラス(子供だったのです)では、誰も見ていなかった。峰岸徹は、隆之介時代のほうが印象が強い。この人はもう、いうまでもなく赤木圭一郎そっくりで、時代がよければ、日活で主演できたのにね。「ニッポン無責任時代」の、かわいい高校生(植木等に、「おじさん、イカシテルなあ」などという)が印象に残ってる。お二人のご冥福をお祈りします。などと、死んだ人のことばかり思い出しながら、今日も(明日も)、泊まり対応の僕です。
2008年10月13日
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ふぁー、のんびりじゃのう。シャバでは連休かあ。わしには関係ないが。しかしそれでも、今日のわしは仕事もやめて休息じゃあ。ビール(じゃなかった、韓国の発泡酒1本68円。どうせ味なんかわからん、わしにゃあ)飲みながら、ネットで2009年版の手帳をどれにするか選んでおった。手帳なんかどれでもいいようなもんだが、「夢に日付けを」だの「願いがかなう手帳」だのいろいろあって楽しいぞ。この季節になると、どの手帳にしようかワクワクしながら選ぶ(か、悲しい)。わしが使ってるのは、高橋書店の「フェルテ2」というB6サイズ(文庫より2廻りくらい大きい)のものだが、来年は変えてみようかと思ってる。わしがどんな手帳選ぼうが君には関係ないんだろう?(お、こういう語りかけの文章もいいかもしれんな)、でもまあ聞いてくれたまへ。わしは数年前までデジタル馬鹿だったので、「ザウルス」を使っていた。わしってカッコいいなあ、と思っていた。イカシてるぜっ、と思っていた。でもある日、気がついたのね。「紙に書くほうが早い」。デジタル馬鹿は卒業したのだが、アナログのほうでも、「システム手帳」やら「超整理手帳」やらいろいろあって、それぞれ使ってみた(馬鹿は直らんなあ)。システム手帳は「数年前の手帳を読み返す」楽しみがない。ジャバラの「超整理手帳」は、人前で出すのハズカシいぞ。熊谷という人の「夢手帳」は冗談みたいだし(これはさすがに使ったことない)。ユーキャンから出ている「ケアマネ手帳」は、介護保険の単位表やカロリー表が載っていて便利なのだが、表紙が「紫色」。なに考えてんだ。ケアマネは女性が多いからか。さ、差別だっ。結局今は、B6の「フェルテ」に単位表やスタッフの勤務表、利用者リストなどを糊付けして使ってるが、来年は「ほぼ日手帳」というのを使ってみようかと思っている。誰か、この手帳がいいというのがあったら、おせーて。などと迷ってるふりして、こういう迷いが楽しかったりする。もう一度言おう、馬鹿は直らん。
2008年10月12日
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土曜日は、一週間のうちで唯一ややのんびりできる日であります。行政も事業所も休みのところが多く、電話がかかってこないので事務仕事に精を出している。利用者のNさんが連れてくる、愛犬チビちゃんのお散歩も、土曜日の僕の大事なお仕事。このチビちゃんはホントにかわいくて、すぐに大の字になって「まいった」の姿勢になる。僕は犬を飼ったことはないんだけど、お遍路以来、犬とは相性がいいので、チビちゃんにも好感を持たれている(ハズ)。散歩の途中で近所の人に話しかけられるし、これも営業のひとつといえましょう。「陽だまり」で、犬を飼おうかという話はスタッフの間では出ていて、僕も飼いたいとは思うんだけど、いつも「陽だまり」に泊まってるわけじゃないし、利用者さんの中には、生き物まったくダメという方もやっぱりいるわけで、難しいところ。飼うなら、捨て犬の譲渡会みたいなところから・・・と思ってるけど(北九州市では、毎月第二土曜日に、「ワンニャン譲渡会」というのをやってます。処分(という言い方はヒドイが)される犬は、福岡がダントツ1位だそうです。恥ずかしい。アニマル・セラピーというのは確かに効果があるし、一人暮らしで犬を飼ってるから外へ出られないという高齢者も多い。犬を連れてきてもいい・・・ということで、「陽だまり」を見学にくる人もいるし。今度、初めて泊まる方がいて、情緒的にやや不安定。僕ひとりでは不安なので、看護師さんにも夜勤をやってもらうんだけど、母子家庭なので子供さんも一緒に泊まってもらう。もうすぐ開設1年だけど、こんなふうに、「なんでもあり」が少しずつでも定着していけばいいと思ってます。今みんなは、コスモスを見にいって留守。仕事をさぼって書きました。クリスくん、内緒だかんな。
2008年10月11日
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今日は午後から、自動車免許の更新に行った。都会では警察署とかでも更新ができるんだろうが、ここは田舎なので、更新は試験場まで行かなければならない。5年に一度の試験場は、行く度に寂れてゆく。試験場の前には、写真撮影や申請書作成(昔はタイプで打ってもらってたのよね)の店がむなしく空き家になっている。5年前更新に来たときは母が危篤状態だった。10年前は、僕が介護の世界に入った年で、父は寝たきりだった。新しくもらった免許証の有効期限は、平成25年。ずいぶん先のことだなあ。5年後僕は、今日の日を思い出して、「ああ、あの頃は、やっと軌道に乗り始めたときで、辛かったなあ」と感慨に耽るんだろうか。それとも・・・。
2008年10月10日
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すっかり秋ですねえ。こんな気持ちのよい季節、ワタクシが何をやっているかというと、昨日、一昨日は泊まり対応、今日はフラフラになりながら、午前中はネット・カフェで仮眠をとり(家に帰ってる時間はないし、陽だまりにいるとやっぱり仕事の電話とか入っちゃうので)、午後からは再び陽だまりにやってきて、経理担当者と密談。疲れて死んでも責任取らんからな。ネット・カフェは、大阪の事件があってから初めていくんだけど、別にピリピリしたムードはなかった。そりゃそうか。こういう事件があると最近は、「これでまた、消防規制が厳しくなるなあ」って、パッと頭に浮かぶ。犠牲者のことはその次で、いかんなあとは思うものの、立場で見方が変わるってことか。去年は、介護保険事業者の申請の頃に、「コムスン」や「あねは」(ズラの建築士ね。どんな字だっけ)の事があって泣かされたもんでねえ。こういうのがあると、ズドンと厳しくなる。しかしネット・カフェには、朝の9時だってのにいろんな人が来てる。泊まってそのままの人が多いのか。僕は、ネット・カフェで夜を過ごしたことはないが、特に楽しくはないと思うぞ。きっと、両隣の個室の人(どんな人かわからないにしろ)にすがりつきたいような、狂おしい気になると思うな。でもそんなことはできないので、一層孤独感はつのっていくと・・・。大阪の火事で亡くなった方で、介護職の方の報道がある。ケアマネジャーを目指されていたそうで、そういう方が、ネット・カフェ(じゃなくて、ビデオ喫茶か。個室にテレビとDVD機器だけ置いてあるんだろうか?なんだか一層つらい気がする)と介護現場を往復する毎日であったと思うと、胸が痛くなる。年金の改ざん問題で、基準報酬額を五等級下げてたとかムチャクチャ言ってるが、これホントにムチャクチャで、そんなことできるのが不思議だし(そうできるならどんなにラクか)、そういうことやるヤツらって、もらう側のこと考えないのか。この国はダメだな、もう。自分を律する心がない。バレなければ何やってもいいと思ってる。なんだか、書いてるうちに腹たってきた。金返せ。誰に言ってるんだ。この間、ある掲示板にコメント書きこんだら、「書きたいことは、頭の中で整理して書け、バカ」とコメントされた。く、くそっ、ガキめっ(ガキに決まっとらい)。おじさんはなあ、さめざめと泣いたぞ。当たってるだけに、なおさらつらい。書きながら考えんだよ、おじさんはなっ。考えがまとまらないままに、こうやって書いていくのがカッコいいんじゃねえか。なんとなくだけどな。で、今日おじさんが何を言いたいか。世の中は汚いことで満ち溢れてるんだけんども、「よし、俺もいっちょ甘い汁吸うたれっ」と考えないところが、おじさんの素敵なところだってこと。このページに来ていただいている数少ない方々は、きっと自分を律する心をお持ちのことと思う。負けずに生きていきませうね。そういうことだっ。って、そりゃ、頭の中で整理しろってのもわからんでもないな。この日記では。反省はせんが、遺憾に存じます。
2008年10月08日
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音楽に打ちのめされる・・・という体験は、いつ以来だろうか。友部正人「奇跡の果実」。1994年のアルバムを今頃誉めてどうすんだとも思うし、知ってる人には「馬鹿が」と笑われるんだろうが、それでも僕はこのアルバムの素晴らしさについて、書いておきたい。僕の知っている友部正人は、1976年のアルバム「どうして旅に出なかったんだ」で終わっている。その後、「奇跡の果実」までの20年近くのことは、ほとんど知らない。再び友部正人を聴き始めたのは、「はっぴいえんどBOX」に入っている「まちは裸ですわりこんでいる」を久しぶりに聴いてからだ。お遍路中には、この曲や「一本道」を何度も聴いた。20年の時を経て流れてきた友部正人の歌声の、なんと伸びやかでふくよかなことだろう。僕は1時間8分のアルバムを2回続けて聴き、それでも足りず一曲づつ噛みしめるように聴いている。ボ・ガンボスのどんと(嗚呼、涙)やKYONが協力しているためか、ディランより、「カフーツ」の頃のザ・バンドを思わせるが、こんな開かれた友部正人は、少なくとも僕には初めての経験だ。圧倒的な力を持ったボーカルにのった言葉が、空間を広く広く漂ってゆくのが、感覚で実感できる。「歳を重ねる」とは、こういうことかと思う。「丸くなった」のではなく「大きく広くなった」。もちろん若い頃の、トゲトゲで、そっけない素振りの歌も大好きだが(というか、今までは、それしか知らなかったのだが)。と、ここまで昨日書いた。今日、友部正人事務所に直接注文していた、「1976」というアルバムが届いた。(こんなに金使って大丈夫かと思うが、今の僕には必要なのです。)これは、上に書いた、僕がもっとも好きなアルバム、「どうして旅にでなかったんだ」のリマスター盤(ミキサーは吉野金次)。アナログ盤は発売日に買ったが、その後4、5日で発売中止になった。「びっこのポーの最後」という曲が、差別用語使用ということで。お遍路中、苦しくなったときいつも、 どうして旅に出なかったんだ ぼうや あんなに行きたがっていたじゃないか どうして旅に出なかったんだ ぼうや 行かなくても同じだと思ったのかいという歌詞が、頭を駆け巡っていた。今日届いたCDの裏ジャケットには、友部正人氏のサインがあった。僕の名前と、日付けが書かれていた。僕はもう、年甲斐もなく胸がいっぱいになりながら、昔々、詩集「名前のない商店街」にサインをしてもらったときのことを想い出した。もうあれから30年。これから僕は、「どうして旅に出なかったんだ」からの30年を、少しづつ埋めていこうと思う。それが、「奇跡の果実」という素晴らしい音楽に会わせてくれた友部正人氏への、僕からの感謝だ。追伸日記のタイトルは、「奇跡の果実」の中で、ベストと思う曲からとりました。アルバムの素晴らしさを、結局伝えられず、申し訳ありません。
2008年10月02日
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どうせおまーら、「男はつらいよ」観なかったんだろ。昨日、20年ぶりくらいに観て、気がついたことをいくつか。1、さくらの見合い相手が、広川太一郎だった。2、博の同僚工員の中に、激ヤセの石井愃一がいたこと(この頃、石井は渥美清の付き人だったと思う)3、さくらの結婚式、笠智衆と志村喬は同席していたが、同時に映るカットはなかった。4、記憶では、結婚式はラスト近くと思っていたが、ほぼ中盤に位置していた。5、寅次郎が「失恋して泣く」上野駅のシーンが、かなり痛切だったこと。6、車寅次郎が、ハッキリ「ヤクザ」として描かれていること。 など。さすがに第一作目、熱気がこもっていてスゴく脂ぎっていた。志村喬(博の父、大学教授)のスピーチも感動的。ミヤコ蝶々が寅の母親になる二作目も面白いので、ついでに放映してくれ。この一作目から四作目まで、わずか半年の間に封切られてる(!)んだからスゴすぎる。そういうのとは別に、今から40年前の東京(丸の内も出てくる)が観られて楽しかった。東京。もう、20年以上行ってない。今行っても、浦島太郎なんだろうな。行きたいな、東京。でももう、大瀧詠一は「ファースト・ナイアガラ・ツアー」やってないしな。行ってもムダかあ。国分寺や国立や豊田は変わってないかね?。あの夏に帰れないことはわかっているけどな。「男はつらいよ」を観て、国立の夏の夜明けを思い出す俺もどうかと思うが、B型だからな。しょうがないわい。他に書くことはあるんだけど、たまにこういう気分になるのも「B」だからつうことにしといてくれ。タイトルはねえ、山下達郎ね。内容がタイトルと関係ないといけないんだろうけど、俺には、東京っていうとこの曲なんだもん、しょうがないんだもん。どうせB型だし。山下氏は、福生の夜明けをイメージしたらしいけど、俺にとっちゃ国立の夏の夜明け。福生、行ったことないし・・・おーいおいおい。
2008年09月26日
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25日、無事に(でもないが)給料を支払うことができました。Oさん、Hさん、心配しないでね。僕は大丈夫です。こんなボロ船に乗ってしまった縁を恨んで、一緒に漕いでいきましょう。一人欠けてもこの船は沈んじゃうんです。情けない船長ですまんと思うが。とりあえず、最後(とりあえず、ですが)の大波もドンブラコとやり過ごし、あとは黒字ともっとグローバルな(笑)夢に向かって邁進するのみであります。給料をりっぱに払えたご褒美に、友部正人「奇跡の果実」を注文した(なんというひどい社長!)。でもこれくらいの贅沢(300円はポイント使ったし)は許されることと思う。今夜は、「男はつらいよ」1作目のテレビ放映があるので、ビールを飲みながらのんびり観る。中期以降の寅さんは痛々しいが、これは傑作なのでみんな観るよう願いたい。さくらの結婚式には、「渥美清」と「志村喬」と「笠智衆」が同席しているぞ。これは、わからんやつにはわからんだろうが、たとえてみれば、ウディ・アレンとクリント・イーストウッドとビング・クロスビーが同席しているようなものなんだぞ。さすがにこのたとえは僕にもわからんが。わかった人はすぐに風呂に入って、放映に備えなさい。以上。
2008年09月25日
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ここ3日ほど調子が悪く、「陽だまり」に来てはいるが、ほとんど戦力になっていない。火曜日、木曜日(今日です)と敬老会をやったが、僕はまともにみんなの前には出られなかった。主に(というか、全部なんだけど)お金のことだが、うれしそうに昼食のお刺身を食べてる利用者さんたちの声を聴いていると、もう潰すわけにはいかないんだなあ、と(当たり前だけど)思うと、人前にはでられなくなってしまった。自分はなんて失礼なヤツなんだろうとと思いながらも、どうしてもダメだった。ただただ事務室で耳をふさいでた。もちろん吐き気とかめまいとかもしてたんだけど。今日は改装していない二階の畳で、大の字になって寝てた。階下のパーティの楽しそうな声を聴きながら、僕は去年の今頃のことを想いだしていた。改装工事も仕上げに入っていて、僕は同じように二階で工事の音を聴きながら、予想以上にキレイになってゆく「陽だまり」を、なんだか怖ろしいような気持ちで見ていた。僕はほんとうに、リーダーとしてやっていけるんだろうかと。1年経って、利用者は増えても僕は不安の中にいる。この心配性は変わらないね。きっと。まあ、なんでも自信たっぷりっていう人になりたいとは思わないけど。今夜は泊まり。こんな気持ちでの夜勤はつらいけど、こういうのを乗り越えると、もう少しタフになるのかね。我ながら打たれ弱いよなあ、実際。
2008年09月18日
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おはようございます。敬老の日、僕は今夜は泊まりですが、もう仕事をしております。エライ。疲れたので(こんな早くから疲れててどーする)、ちょっと息抜き。今日の日記タイトルも、友部正人からいただきました。どんな曲か知らないのですが(申し訳ない)、傑作に違いない。素晴らしいタイトルですね。明日は「陽だまり」でも、敬老会をやります。個人的には、「敬老会」とか「クリスマス会」とかは、地味につつましくやればいいと思うんだけど、スタッフも楽しそうだし、これでいいのかな。お酒も出すぞ。新聞に、福岡の100歳以上の人の名前が載ってたんだけど、そのうちの2人は、僕やりゅう君の勤めてた施設にいる。2人とも107歳。「陽だまり」の最高齢は98歳のおばあちゃん。すこぶる元気。経験から言うと、90歳を越えた人はだいたい元気ですね。弱る人は、90までもたない(っていう言いかたはヘンか)。で、元気なのはみんな女性。男性で、100歳近くて元気な人って、会った記憶がない。やっぱり、日常の中に喜びを見出すことができる人は強い。長寿の人はみんなそう。「陽だまり」最高齢のSばあちゃんは、俳句・俳画が趣味。 風鈴や 吾(われ)転寝(ころびね)の軒に鳴る 露草の 花は可憐よ こむらさき 蝉啼けり 栃の大樹の 静森に 昇天の 死者渡らぬか 天の川以上、Sばあちゃんの作品。僕もつくって、Sばあちゃんにみてもらいました。 顔をだす 亀も一役 陽だまりの庭 陽だまりの 空に消えゆく 上げひばり僕「えへへ、どうですか」Sばあちゃん「しょうもない」毒舌も長生きの秘訣とみた! 年重ね 奇跡の果実 匂う秋 福生 酢虎都途おそまつさまでした。
2008年09月15日
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昨日、basilさんからコメントをもらったので、「Amazon」で友部正人のアルバムを見てたら、「夢がかなう10月」というタイトルのアルバム(曲のタイトルでもある)を発見。あまりにも素晴らしいので、今日の日記のタイトルに使わせていただきます。どんな曲かは知らない。内容にあわなかったらゴメンなさい。どっちにしろ、たいした内容の日記にはならないことは保証します。僕は十月生まれ、てんびん座。未年でB型。B型の代表というと、長嶋茂雄、横山やすし、田中角栄、森繁久弥。イヤになるメンバーだが、なんだかよくわかる気がする。「だからB型っていうな」(だっけ)っていう本は広告でしか見たことないけど、そこには「計画好きで、実行が伴わないB型」って書いてあった。そのものズバリですな。昨夜は、日記を書いたあと、去年の2月頃に書いた起業計画書と、アイディア・ノート(笑)を引っ張り出して読み返してみた。ほぼ計画倒れではあったが、いくつかは実現してるのがスゴイと思ったな。忘れてたけどそこには、「障がい者が自主運営するレストラン」って、ちゃんと書いてあった。「夢は、ノートに書くと実現する」みたいなのはあまり信用してないけど、一応書いておいて、何ヶ月か経って読み返すと面白い。ハナシは急激に逸れるが、麻生のタロちゃんは首相になるんだろうか。「陽だまり」は、タロちゃんの地盤の真っ只中にあり、3軒隣はタロちゃんの事務所であります。一昨日くらいから、事務所にわかに活気づいております。ここはもうすごいんだぜ。セメント会社(とてつもなくデカイぞ)から病院、介護の学校からスーパーマーケットまで麻生なんだからな。(ここ筑豊では、コムスンの後を「アップル・ハート」という麻生系の訪問介護が引き継いだ)泣く子も黙るんだぜ。タロちゃんの顔が怖くて。(麻生事務所の人が読んでいないことを、切に願う)昔、泉谷しげるがインタビューで、「総理大臣になったら、何がやりたいですか?」と聞かれて、「バカヤロー解散」と答えていたけど、タロちゃんはきっとそうなるね。あ、すぐ解散するのか。ね、メリハリもないし、全体的に何が言いたいのかわからない日記でしょう。予想通り、タイトルも関係なかったし。僕が審査員なら(何の?)、こんな日記0点だな。まあ、このページに行きあたったのが、諸君らの不運と思ひたまへ。
2008年09月12日
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今日は(も)泊まり。利用者さんが、6時半に寝てしまうという暴挙に出たため、僕はとりあえずのんびりと、図書館で借りてきた、植草甚一の「モダン・ジャズの勉強をしよう」という本を、パラリパラリとめくっているところ。僕の年代では、「植草甚一」は一時期カリスマだったわけで、ソフトカバーで出ていた「植草甚一読本」シリーズは何冊か持ってた。もうどこへ行ったかわからんが。これはそのシリーズとかなり重複してると思うが、「コーヒーと古本とモダン・ジャズ」なんていうエッセイははっきり覚えてるので、懐かしいな。内容が重複してても、読みたい章が少しでもあれば気軽に借りられるから、図書館はいい。読もうかどうか迷ってた、村上春樹翻訳版の「グレート・ギャツビー」も借りてきた。「ロング・グッドバイ」や「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は買って読んだんだけど。太宰治にはまだハマってて、ついに「人間失格」も読んでしまった。そして、あろうことか、それなりに感動してしまった。なんたること。さっき「Amazon」で、「生き残るヤツ」(71年の映画。アイヴァン・パサー監督、ジョージ・シーガル主演)のDVDを見つけた。こんなもの誰が買うんだ。僕が買う・・・かもしれない。この主人公の情けなさは、「人間失格」といい勝負なので、今度ゆっくり書く。はあ~、また金策に走り回る、月の後半がやってくるのなあ。月の売り上げは、やっと100万を超えたが、まだもうちょっとなあ・・・。今年1月の売り上げが1万だから、伸び率はすごいと思うがな。わはは。誰か、金貸してくれっ。偶然ではあるが、「逆デイサービス」(老人ホームなどの「入所施設」から、逆にウチのデイに通ってくる)も受けることになったし、ケアマネさんには、「陽だまり」さんに来ると、みんな別人のように明るくなるわねえ。「陽だまり」さんには魔力があるんじゃない」と言われたし(わは、わは、わはははは)、ホント、あともう少しなんだけどなあ。誰か、金貸してくれっ。「陽だまり」従業員の諸君、君たちに頼みがある。3ヶ月ほど、ただで働いてはくれぬか?だめ?あ、そう。
2008年09月11日
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昨日は、このブログにも時々コメントをくれる、友人のゆうちゃん(といっても、もう28歳だがな)と、障がい児支援のNPO法人立ち上げを準備しているSくんと、Y市にある幼児通園施設「M学園」の先生に会いにいってきた。「陽だまり」の壁面に絵を描いてもらう生徒さんを紹介してもらう時に、ゆうちゃんを通じて知り合ったのだが、会うのは初めて。広いし、子供たちは元気だし、コミュニティ・レストランについてのいくつかのアイディアももらえたし、行ってよかった。電車で遠出するのは久しぶり。ずっと仕事してたもんなあ。片道1時間半かかったが、ずっと音楽を聴いていた。帰りの電車では、友部正人の「にんじん」を聴いた。窓の外はもう暗くなっていて、田んぼの向こうのマッチ箱のような家々には、手をかざすと暖かいのかもしれない灯りが、ぽつりぽつりと点いている。 どこへ行くのかこの一本道 西も東もわからない たずねてみても誰も答えちゃくれない だから僕ももう聞かないよ不覚にも涙がこぼれた。乗客が少なくてよかった。わからないまま、道は進んでいかねばならんのよな。あともう少しだ。
2008年09月07日
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うーんと、これは映画のタイトルなんですけど、たしか、これをそのまま使った曲(夏木マリ?アン・ルイス?)があったよーな気がする。今日は、この映画について書きます。ご存知でしょうか。「女はそれを我慢できない」。知る人ぞ知るカルト・ムービー。1956年、フランク・タシュリン監督、トム・イーウェル、ジェーン・マンスフィールド主演。これ、このタイトルからは想像できないと思うけど(原題通りではあるのだが)、音楽業界を舞台にしたコメディなんです。で、なにがカルトかというと、当時のリアルタイムの、ロックンロール・スターが、ドカドカでてくるところ(1956年という制作年度にご注意あられよ)。とりあえず出演してる人を書くと、エディ・コクラン、ジーン・ヴィンセント、リトル・リチャード、ファッツ・ドミノ、プラターズ、ジェリー・ロンドン、ニノ・テンポ(!)、レイ・アンソニー、エディ・フォンティーン。どうです。すごかろう。僕にとってこの映画は、幻の1本で、ずいぶん昔、テレビの深夜劇場でカット版を観ただけ。なにも知らずに観て(このタイトルに魅かれちゃったのね。いけないボクちゃん。うふっ)、ビックリ仰天した。いつか完全版を見たいなあと思ってた。DVDで出てるのは知ってたけど、今の僕の財力では3000円はキビシイのであきらめてた。だがしかし。昨日の日曜日、CDショップのワゴンセール(1000円!)に紛れ込んでいるのを発見、こけつまろびつレジへ向かったのでした。こういうお話。落ち目のギャング(エドモンド・オブライエン)が、情婦(ジェーン・マンスフィールド)と結婚しようと思っている。だが、自分を大物と思っているボスは、自分の妻は「スター」でなければならないと思い込んでいる。そこで、これも落ち目のエージェント(トム・イーウェル)を脅し、ジェーンを6週間以内にスターにするという契約を結ぶ。このジェーンが、見た目はお色気過剰のイカレ娘だが、内実は料理上手で家庭的な純情娘という設定。そのセクシーぶりはすさまじく、彼女が街を歩けば、氷はとけ牛乳は沸騰しジイさんのメガネは割れる。トムは、ジェーンにナイトクラブをハシゴさせ、「あの色っぽい女は誰だ」とみんなが噂しはじめるという作戦をとる。このナイトクラブのハシゴで、クラブで歌ってるのが、リトル・リチャード、アビー・リンカーン。「レディ・テディ」を歌い踊るリトル・リチャードは、もうほとんどプリンス。目が完全にイッちゃっててかっこいいぞ。トムは以前、ジュリー・ロンドンのエージェントで、恋人でもあったらしい。酒を呑むと、ジュリーの幻影が現れて、「あなたのせいで、私は河のように泣いたわ」(クライ・ミー・ア・リバー)と歌いかけてくる(当然本人出演(笑))。幻影なので、逃げようとしても、ドレスの色を変え、階段・キッチン・ベッドと現れ、「クライ・ミー・ア・リバー」と責めてくる。ここのジュリーは、ハスキー・ボイスと、次々変わるドレスも手伝ってすごくキレイ。僕は昔このシーンを観て、レコードを買いました。作戦通り噂になってきたので、次は歌のレッスンを始める。このレッスン・スタジオで歌ってるのが、ジーン・ヴィンセント(仲井戸麗市に似てる)。「ビー・バップ・ア・ルーラ」を歌うのだが、バックメンバーとジーンが、水色のハンチングを被っていて、ストンプに合わせて首をふって帽子を落とす。シブい。さて、歌ってみるとジェーンがとんでもない音痴であることが判明。当然、家庭的な女性であるジェーンに魅かれ始めていたトムと、もともとスターになんかなりたくないジェーンは大喜び。「こんな完璧な容姿の女性が音痴であるはずがない」と信じないボスの前でジェーンが歌うと、電球が割れる。しぶしぶ一度は納得したボスだが、テレビでエディ・コクランが歌う姿を見て気が変わる。「こいつも音痴だがスターになったぞ!これからはロックだ!」(ひでえ(~o~)、エディ・コクラン、よくこの役引き受けたな)。ジェーンは、レイ・アンソニーのグループで、「悲鳴」担当でレコーディング。これが評判となりスターになる(ここは強引)。ジェーンは、ロックロール・ショーに出演することになる。共演者はファッツ・ドミノとプラターズ(!!黄金期のメンバーだ)。ファッツ・ドミノはけっこう映画とか出てるが、(黄金期メンバーの)プラターズ(「ユール・ネヴァー・ネヴァー・ノウ」を歌う)の動いてる映像は珍しいと思う。ここで気がつくのは、ダンスしながらうっとり聴いている観客が、(映画の中とはいえ)ほとんどロー・ティーンだということ。出始めの頃のロックンロールやロカビリー、そしてスイート・ソウルがどういう聴かれ方をされていたかを知る、貴重な資料だと思う。このあと、オチがあって(このオチはイカシてて、笑えるぞ)映画は終わるのだが、シネマスコープ画面いっぱいに、リトル・リチャードやジーン・ヴィンセントが跳ね回る場面だけでも観る価値がある。絶対のお勧めだあ。
2008年09月01日
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今夜も泊まり。利用者さんはもう寝ちゃってヒマなんで、とりあえずなんか書こ。タイトルはあとでテキトーにでっちあげる。お盆は3日間、陽だまりをお休みしました。僕は仕事してたんだけど。半年ぶりに泊まりのない一週間だったけど、はあ、夜勤(というか、その前後の日中も仕事してるんだけど)のない生活は、こんなにもラクであったか。ここ何ヶ月か、頭がボーッとして何ひとつ考えられなかったんだけど、久しぶりにたっぷり寝られて、多少は脳みそもクリアになったかな。なので、スタッフも増えたことだし、泊まり明けの日はなるべく休もうと思い始めた。今週火曜日の泊まりの方も、無事9月から火曜日利用が決まった。僕は来週から、月・火・木が泊まり。タダ働き。で、もらった給料の半分は会社に戻してて・・・おっと、また金のグチをこぼしてる。いかんいかん。「起業バカ」という本があって、僕は読んでいないのだが(当たり前か)、仕事がうまくいかなくなると、このタイトルが頭に浮かんで離れなくなる。でも、金がなくて何も買えなくても、会社経営ってやっぱり面白いな。綱渡りの毎日を楽しめるならっていう前提でだけど。どうやら僕は、楽しめるほうの人間みたい。先日、恥ずかしながら、太宰治の「お伽草紙」を初めて読んだ。冒険なんかキライだという「浦島」を「亀」が諭す。 冒険なんて下手な言葉を使うから何か血なまぐさくて不衛生な無頼漢みたいな感じがしてくるけれども、信じる力とでも言い直したらどうでしょう。あの谷の向こう側にたしかに美しい花が咲いていると信じ得た人だけが、何の躊躇もなく藤蔓にすがって向こう側に渡って行きます。(中略)藤蔓にすがって谷を渡っている人は、ただ向こう側の花を見たいだけなのです。自分がいま冒険をしているなんて、そんな卑俗な見栄みたいなものは持ってやしないんです。信じているのです。花のある事を信じきっているのです。「亀」に清き一票を差し上げる。ただし、このテキトーに書き始めた日記にまとまりはない。それは確かに。おやすみなさい。
2008年08月28日
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こんばんは。昨日、今日と、連夜の泊まりであります。泊まりなのにこうやって更新できてるのは、やっと我が社(笑)にもLANなどというものが導入されたと。そういうことですね。めでたい。今夜の利用者(初日!)はやや問題ありで、陽だまり中の戸締りを確かめ、万全の状態で臨んでおります。今夜は「寝ずの番」のつもり。では昨夜は寝たのかというと、寝てないんだけど。とりあえずここまでは問題なし。利用者はもう寝ちゃってるけど、どうなることやら。よそ(の施設)では対応できないと泊まり(ショートステイ)を断られてるので、外泊は今日が初めて(!)。ご家族・僕ともに緊張するわけで、なにかあったらすぐ電話することになってるんだけど、そうならないことを祈る。でも、子どもさんの家族と住んでて、「下(しも)のほうがわからなくなるまでは在宅で過ごさせてあげたい」と家族に言われては、がんばるしかないもんな。今日はテストで、これがうまくいったら、9月からは定期的に利用になる。夕食・朝食(僕がつくる)込みで4000円(泣)であります。今夜は僕が引き受けました。どうぞご家族はゆっくりお休みください。で、僕はいつになったら眠れるんだ。
2008年08月26日
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はあ~、今月もなんとか給料払えた。ご無沙汰しました。僕が更新しなくなった時は、資金繰りに困ってるんだと認識せよ。最後の(そう願いたい)ビッグ・ウェーブも乗り越え、荒波に立ち向かうフッサである。オリンピックもあんまり関係なかったなあ。それどころじゃなかった。ただ北島くんや上野さんには、勇気を与えてもらった。僕も頑張らなきゃと素直に思った。オリンピックはあまり見なかったが、本はゴッソリ読んだ。金がないので、図書館で借りるようになった。いろいろ読んだのだが、なぜか太宰治を見直した。というか、太宰ってほとんど読んだことがなくて、「人間失格」も「走れメロス」も読んだことない。読みたくなかった。ところがどういうわけか、「グッドバイ」を(「青空文庫」で)読んで、すごく面白いんで驚いた。イメージと全然違うじゃん。「トカトントン」とか「女の決闘」とか、読むほうの「引っ掛け方」がうまいな。更新サボってる間に、職員が3人増えた。みんないい人たちで良かった。7人の似顔絵を載せてみた。けっこう似てると思う。しかし毎月毎月、金の心配するの飽きたなあ。早く黒字にならないかなあ。馬鹿社長フッサ。相談員りゅう君。イケメンもついに三十路をこえたか。むふふ。介護Tさん。すごーく気がきく。看護師Kさん。苦しい冬、文句も言わず、ポスティングに走りまわってくれた。新人介護Kさん。美人。新人調理員Oさん。娘さんがこのブログ読んでるそうだ。どーも、いつもお母様にはお世話になっております新人介護Hさん。この人も、ブログ読んでた。※似顔絵は、似顔絵イラストメーカー( http://illustmaker.abi-station.com/ ) で作成させていただきました。
2008年08月25日
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