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(あんまり美しい写真じゃないけれど) 父の「見守り」がてら、午前中に、夜ご飯の仕込み。 両親には、おでん(もどき)。 自分には、豚肉とブロッコリーのアンチョビにんにく炒め(という調味料をいただいたので!)。 豚肉とブロッコリーも、思いのほか柔らかくなったので、これも親にもあげられるかな。 老老介護の母はもう手作りは、ほぼできない。 生協の冷凍惣菜か、私が見かねて買ってくるスーパーの惣菜や、私が自分用に作ったもののお裾分け。(同居だけれど、食費、日用品などはまったくの別生計、ご飯も私は、親に作ることはあっても、親に作ってもらうことはない) そういうわけで手作り料理を父はことのほか喜ぶので、早く楽しみにしてもらおうと、 「きょうの夜ご飯に、おでん(もどき)作った」とボードに書いて、見せた。 すると、 父「忙しいところ、ありがとう」 …あぁ、こういうところが、父には何かをしたくなる、根拠の一つでもあるんだな。 比べるようで何だけれど、一方、母は、私が何かしようとしていると 「あー、そんなことしないでいい、しないでいい!私がやるから!」(鬼ムスメの心の声→母がやれていないから、私がやってるんだけど) 「しなくていいから!あんたのほうが腰も悪いんだから」(鬼ムスメの心の声→もうやり始めている、またはやり終わったあとに言われても、やったことを否定される気持ちになるだけなんだよ…がっくり) そう、母は「ありがとう」と「お願いします」が、言えない人…。 2人の様子をみていて、私は、自分が老人になったときの心得?を学んでいる、と思う。 老人になって、人にお世話をしてもらうようになったら必要なこと。 「ありがとう」 「お願いします」 この二つが素直に言えること。 そして、「愛嬌」かなぁ。 素直で可愛い老人になろう。…あ、老人にならなくても、いまでも目指せばいいのか(笑)!
2021.10.16

フルタイム勤務の私が土日になると、 手ぐすね引いたように、親が2人とも、何かを頼みたくて様子を伺っているのを感じる。 今朝。 「お願いしていいか」と父。 銀行を二つ回り、振り込み手続き等々。 まぁ、大した手間でもない。 「もう一つ、お願いしたいことがあるんだ」 …また何⁉︎ とちょっとイラつく。 いま、いろいろ調整が必要な課題が持ち上がっていて、そのことか?と思うと、面倒な気持ちがむくむくと湧き上がり… 「お願いばっかりしてるよね」←(心の声) そんな心ない言葉を投げかけたくなった。 (父は耳が聞こえないので)ボードに書いてまでは…と思いとどまって、言わなかったけれど。 結局、「お願い」というのは、新聞の、読みたいページだけ破ってくれないか、ということだった。 (父は、新聞の、土曜に特集する読書欄をこよなく愛している) なんだ、それだけのこと… そっか、それだけのことも、人に頼まなくてはならないんだな… お願いしなくてはできないということ、 お願いする立場のほうが、きっと歯痒く、辛い。 私はまた、心ない言葉を投げつけるところだったよ…。 ↑ 大昔から大好きな書評と読書欄を読む父の顔は、緩んでいる。本当に、本が好きなのだ。 93歳、いまだに活字をたくさん読めて理解できる(たぶん)のはすごいなぁ。 私自身に、心と時間に余裕がないと、 心ない言葉をなげかけてしまいそうになる。 一人で外に出て楽しいことをしていると、いつも心のどこかで、私だけ悪いなぁ、とチクリと引っかかっている。 けれどきょうも、少しでも息抜きに外に出よう。(ごめんね、じーさん! いまは母が息抜き、自分の体操教室に行ってるので、私は父を「見守り」中) 写真は、先週訪れたコスモス「レモンブライト」の丘。たっぷりの息抜き、しょっちゅうしてます(笑)。
2021.10.16
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