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(6月20日の日記の続き) 先日から、「シリーズ・テーブルマナー」と題したカテゴリーを設けるようになりました。お客様へのアプローチへの取っ掛かりとして、「マナー」と言うのは非常に興味をそそる題材のようです。 そもそも、根本的に違うのは、日本を含む東洋の食事の風景が、「箸」という2本1対の道具だけで事が進むのに対して、フランス料理、ヨーロッパにおける宮廷料理から派生したものは、「フォーク・ナイフ」を基本に、「オードブル用、魚用、肉用」など細かに分類されていることです。 この事のベースにあるのは、日本とヨーロッパの比較に関してだけ述べるのならば、「人間みんな平等に優れているから道具の種類は変えなくても良い」とする日本と、「人間はそれぞれに様々だから、道具の方を目的にあったものを揃えてあげるのが平等だ」とするヨーロッパ。それぞれの歴史に基づいた意識の違いがあります。 「テーブルマナー」というものをつらつらと考えていて、ふと思ったのですが、そういえば現代から2600年前、既に洋の東西における食習慣に着いて書かれた文献がある事を思い出しました。 小難しい「文献」ではありません。「イソップ寓話」です。 イソップの寓話の中に「キツネとツル」という物語があります。「キツネがツルを食事に招きました。出したのは、平たい皿に入れたスープ。ツルの長くて細いくちばしでは、味さえもわかりません。キツネはその前で、美味しそうにそのスープを、なめてしまいました。今度は、ツルがキツネを食事に招きました。キツネが行ってみると、出てきたのは口の細いつぼにつまった豆でした。キツネはお腹をすかせたまま、ツルがくちばしを突っ込んでお腹いっぱい食べるのを見ているだけでした。」 イソップという人物は紀元前6世紀の古代ギリシア、サモス島の哲学者クサントゥスの奴隷でした。数々の伝説があり、その物語のいくつかも後世においてイソップの名で創作されたものも多いようです。 奴隷の「言葉」によるものが長い歴史の中で埋もれずに残ってきたわけですが、この「奴隷」というもの、非常にショッキングな話かも知れませんが、「奴隷=サーヴィスマン」だったのです。「サービス」も「コンシェルジュ」もその語源は「奴隷・(サーバント)」と意を同じくするわけですが、、、(話が長くなるので、このテーマは次の機会に書きます。) 話を元に戻して、この寓話は「意地悪したら、仕返しされる」という教訓をもって使われることが多いようです。ところがよくよく考えてみると、「食文化における西洋と東洋の差異」を表しているのではないでしょうか。 キツネはほとんどのイソップ寓話の中では為政者、または狡猾な自由市民を比喩として登場する動物でしたが、この物語の中では、平皿を使う西洋の食文化の例えとして、また、ツルはその容姿から箸の文化、日本を含めた東洋の食文化を表しているとも考えらるのでは無いでしょうか。 古代ギリシアでのお話ですから、何故に「ツル?」なのか考えてみると面白いものです。
Jun 30, 2006
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またしばらくブログをお休みしておりました(^^;)…と言うか、今月は30日間の内10日程しか書いていないという無惨な結果に!そもそもこの春に職場を変ってから、大分と生活のリズムが変化したように感じます。以前の職場は神戸市内にありましたので、毎日通勤に一時間あまりを掛けて通っておりました。滋賀県の大津から神戸の三宮までがJRの新快速で約一時間。その間電車に揺られるわけですが、なかなか思索に耽るには良い環境でした。 週刊誌に眼を通すことや、電車の中づり広告を眺めるて、社会の動きを知るにはちょうど良かったんですけれどねェ。 最近は自宅近くのホテルでアルバイトを始めるようになりましたので、通勤時間は車で15分と格段に便利にはなったのですが、ズボラな性格が露呈しつつある昨今です。 さて、それでも最近は日々のアクセス数も増えつつあります。少なくとも70~80はカウントされていますので、ブログを始めた当初から見ると3~4倍に増えてはいます。ブログを始めた頃は、記事を書かなければ、アクセス数が10少々と言う日もありました。 そう言えば、先週でブログがちょうど1年を迎えることが出来ました。一年で240件の記事ですから、結構頑張った方では無かったのでしょうか。 先週と言えば、「食材探究旅行」において泉大津市へ赴いた頃ですね、、、先週だけに、泉州!、、、(イマイチ、キレがありませんね~) そもそも、ブログを立ち上げたのはフレンチのサーヴィスにおけるテキストを作成しようとして、日々記述が残せていけるようなシステムとして採用したのが始まりです、これはホント。 そのため、アフェリエイトや広告を一切採用しなかったので、楽天ポイントは全く貯まっておりません(TT) しかし、良かったことは知人の方々が増えたこと。また、元から知人だった方々もご覧頂いているようで、少々気恥ずかしい思いもありますが。 検索エンジンにも登録していましたので、「メートル・ド・テル」のキーワードで結構上位にランクされるようになりました。 管理画面に残された足跡のうち、検索エンジンのロボットサーチによるものも結構多いですね。しかし、よく見られるのが、ドメイン「xxx.ac.jp」の文字。一日に1、2件はあるのですが、それぞれどうも大学のようですね。全国各地、聞いたような名前のところもいくつか見られまス。 きっと検索エンジンからキーワードが引っ掛かって見つけて来るんだろうな~とか思いながら、、、 「歴史と文化」とか言いながら、結構デタラメとかあるかも知れませんよ~ また、コメントでも残して下さると励みになります。 レストランサーヴィスの業界の方々とももっともっと交流の場を持ちたいですね。
Jun 29, 2006
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昨日は「全日本メートル・ド・テル連盟」の、題して「初夏の食材探究旅行」に参加してまいりました。行き先は大阪湾・泉南と堺市。それぞれ大阪湾の魚介、(特にこの季節はアナゴ漁が盛んなのですが)と堺市の「刃物」造りを見学しに行って来たのです。それぞれ、非常に好奇心をそそられる内容でもあり、また、新たな「人」との出会いがありました。 …内容についてはまたあらためて、、、(^^;) そういえば、前回からの続きが未完のままでした。 「マナー」というと、少々小難しい物と思われがちですが、些細なポイントを押さえれば、食べ慣れているように振る舞えますし、また結構綺麗に見えるものです。 例えば、座り方。と言っても、洋の東西を問わず、女性が椅子に深く腰掛けることは避けられます。背もたれにもたれ掛かってしまうのは、背筋が伸びていないので「美しく」は見え無さそうです。 さて、男女が対になってテーブルに着く時は、「男性から向かって右側の椅子にに女性が掛ける」と説明しましたが、マナーの如何に関わらず女性にとっても「有利」と言えます。 と、言うのも「人間」は左側の顔の方が、右側よりも優しくキレイに見えるのです。 人は眠る時、右側を下にして眠ることが多いのです。身体の中心より左側に心臓があるので、心臓が楽になる姿勢でもあり、胃は左から右にカーブしていますので、右側を下にして眠る方が身体は楽であると言えます。となると、知らず知らずのうち、眠っている間に右半身には圧迫が掛かっていますので、ストレスがかかり、結果的には「キツい雰囲気」が醸し出されるのだとか。 また、「理屈の右脳、感性の左脳」などと言われていますが、お相手となる男性にとって、自分の右側に女性が着座することは右方向に意識を集中する、つまり「感性の左脳」が刺激されますから「男性の右側に女性が座る」方が、感情的な昂りを促せる確率は高まります。 さて、本題ですが、女性がキレイに見える「フォーク」の使い方です。 簡単に言えば、 フォークは身体に対して直角に、つまり「タテ」にして使うことを意識する。 これだけです。 これだけなのですが、我々「箸」を持ち慣れた日本人にとっては、なかなか気付かないところであったのかもれません。 時々、テレビのリポーターなんかにも見られる行為なのですが、フォークをお箸と同じように横方向に握ってしまったために、料理を口に運ぶ時に顔が右側を向いてしまい、右方向に身体が開いてしまっています。 これがなんとなく、見た目に綺麗ではありませんし、また不安定な見た目を人に対して与えてしまっているようです。 「フォーク」を使用する時、右手に持ち換えることもあれば、左手でそのまま料理を口に運ぶこともあるのですが、いずれにせよ口に運ぶ時には「柄」が左右のどちらかの方向に大きく向いているよりも、身体の正面方向に向いている方が、口を大きく開けなくても済みますし、顔がよそを向かないので「キレイ」に映ります。 タテに使用する「フォーク」に対し、「箸」は身体に平行に用いられます。こちらはつまり「ヨコ」向きに使用していると言うことです。 そもそも、テーブルに着いた時に、それぞれの食器が置かれている「形」を思い出してみて下さい。 「箸」は身体に対して、平行に、ヨコ向きに、さらに持ち手を右にして配置されています。対して、「フォーク・ナイフ」の類いは身体の方向から垂直に、タテに置かれています。 テーブルのコーディネイトとは、見た目の美しさもさる事ながら、実用性も充分に考慮されていると言えるでしょう。 東洋、西洋の食文化の連続してきた流れの中で、使われる方向に対して使用し易いように培われたものと言えるでしょう。 現代において言われる「テーブルマナー」は、高尚な技術を修得することでは無く、元々、スムーズに事が運ぶために配慮されたものが、事の起こりとプロセスがが忘れられたために、難しく感じられることが多いのです。 洋の東西の「食文化」の違いは、情報が溢れる現代に至って言い出されたことではありません。驚くべきことに、紀元前6世紀、今から2600年前の時代、古代ギリシアに「イソップ」と言う人物が現われます。多くの方々がご存知の「イソップ物語」の作者と言われています。 このイソップ物語の一節に「キツネとツル」というお話があるのですが、、、(、、、またまた続く)
Jun 20, 2006
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昨日の日記の続きから「右は左より強い!」と言っても、政治的なお話ではありません。昨日の日記、「マナー」に関する話の続きです。このマナーというもの、「~するべからず」的な規律ばかりで、少々堅苦しく感じられ、その要素が「フランス料理」などの西洋料理の敷居を高くしてしまっているのかも知れません。 しかし、マナーを覚えておけば、他人から見て『美しく見える』という効果もあるのです。「綺麗」に見えると言うのは、世の女性にとってもなかなかありがたいお話では無いのでしょうか。 と、こんな話から始まった昨日の日記でしたが、いつもご愛読頂いているVecchoの奥さんからコメントを頂きました。いつもありがとうございます。コメント全文は昨日の日記のページからご覧頂くとして、一部抜粋すると、>この前、「両手に花」状態で男性が真ん中に座った場合男性の右側にいる女性は、男性にとって「遊び相手」左側にいる女性は「本気に思っている女性」だと、話題に出たところでした。非常に興味深い内容です。Vecchoの奥さんは何気に書いて下さってますが、実は心理的に言って、人間というもの、右手側=強い=攻撃的左手側=弱い=安心・信頼感という事が成り立つのです。 生物としての「人間」が二足歩行を始めてから、常に内臓側を人目にさらす状態にあります。例えば犬やその他の4つ足の動物の場合、お腹を見せるというのは強い者に対しての「服従」のポーズです。 人間の場合、心臓は左側にありますので、(右側にあるのは、北斗の拳に登場する『聖帝サウザー』位でしょうか)自ずと左側を守るようになり、そのため、「右利き」が多いのです。 右側が強く左側が弱い、という法則は陸上のトラック競技を見ても明らかです。競馬ならば、左回りコース、右回りコースとあるのですが、人間の場合は常に左回りです。心臓のある左側を内側に走る方が、やはり理にかなっているからでは無いでしょうか。 ここで、マナーの話に戻りますが、「マナー」とは、「こうしなきゃいけない」というものでは無く、「7割から8割くらいの人が良しとするもの」なのです、そのため、やはり洋の東西を問わず、右利きの人間が多数派を占めますので、左利きの方には申し訳ないのですが、「右利きの方」向けに制定されているというのが実際のところです。 例えば、テーブルのセッティングがそうです。右手で使用するナイフは右側に、グラスも右側に配置されます。 また、お客様へのアプローチについても、この「右側が強く、左側は弱い」という法則は成り立ちます。メニューを渡す時、ドリンクを伺う時、お客様のアプローチも様々な状況がレストランでは想定されます。 この際に、初対面のお客様に左側から近付くのは警戒心を与えてしましまいます。また、逆に横柄な態度を取られるお客様にはわざと左側に立って、心理的に緩やかなプレッシャーを与えることによって、、、ああっ!ヤバっ!そろそろ仕事に行く時間になってしまいました。続きはまた次回に、、、そういえば、「フォーク」の話をするはずやったのになぁ、、、(^^;)
Jun 18, 2006
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今夜は、家でのんびりとテレビを見ていました。「ビーバップハイヒール!」(なんちゅう題や)関西ローカルかも知れませんので、全国の方はご存知無いかも知れませんが(^^;) 今夜のゲストが竹内一郎氏。最近のベストセラー「人は見た目が9割」の著者です。 この「人は見た目が9割」私も人前に出る職業でもありますので、非常に気になっていました。発刊された当初から本屋で立ち読みをしていたのですが、非常に興味深い内容です。しかし、、、まだ買ってません。 人間というのは、言葉で発せられる「言語」よりも、「ノンバーバル・コミュニケーション」と呼ばれる視覚的な情報、つまり「見た目」を実は重視している。その割合いは言葉:見た目=7:93であると言う。「見た目」の威力はそれ程に強力であるらしい。そう言えば… さて、ここから私なりの「テーブルマナー」について考察が導かれます。 テーブルマナーとは、「他人を不快にさせない行為」と広くは定義されています。テーブルマナーで禁止されている行為とは、例えば食事中にクチャクチャと音を立てて物を噛んだり、また極端な例では食事中に鼻をかんだり、、、など、「人が見て不快に感じる」行為とされています。 しかし、よくよく考えてみると、 他人を不快にさせない→不快で無いと言うことは快い→快いとは、見た目が美しい事であると言う3段論法が応用できるのでは無いでしょうか。では、「美しく」見える要素とは何でしょう?ここで登場するのが「クロスライン」という振る舞いです。 「クロスライン」とは、男性が女性をセクシーと感じるのは、例えば腰のラインにかけての「くびれ」だとか、あるいは男性に女性が対峙する時は半身に構える方が「美しく見える」といった要素です。 耳に付けたイヤリングを外す時、意識的に左耳に付けたイヤリングは右手で、右耳についたイヤリングは左手で外す方が、美しく見えます。セクシーアイドルのグラビアに見られるような、身体をひねる姿勢に男性は「女性的な美しさ」を感じるのです。 で、話は飛びますが、男女2人のアベックでレストランを訪れたとします。 向い合せに座るテーブルでは無く、丸テーブルや正方形のテーブルに90度の位置をとって座る場合、上座は常に右側とされていますのでレディファーストの意味から言うと、女性が右側、男性が左側に座る。この様に「マナーブック」等では規定されています。 一説には「レディファースト」の起源は中世の「騎士道」に由来しますので、男女が並んでいる時に危険が訪れたとして、左側の腰に差した「剣」を抜きます。この時に女性が左側に位置していると剣を抜いた拍子に守るべき女性を傷つけてしまうかも知れない、また、男性が右手でエスコートしやすいように女性は男性の右側にいるのが望ましいから、とされています。 しかし、この説は男性からの視点に立ったものです。 女性の視点から「マナー」を見ると、やや目的は違ってくるのでは無いでしょうか? 男女を問わず、人間は右利きが多いですから、女性が左側に座った男性に何かをして差し上げる時、右手を左側に持って来ます。この時、自然に左側に身体をひねる姿勢になります。ここで美しく見える「クロスライン」が生まれ、女性は綺麗に見えるのです。 また、フランス料理で使われる「フォーク・ナイフ」この、「フォーク」の扱いひとつにとっても、クロスラインを応用した「美しさ」を演出する簡単な方法があります。…長くなるので、次回に続きます。
Jun 15, 2006
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料理店、レストランと一口に言っても、そこには数限り無いジャンルが存在しています。 ざっと日本国内の料理を見渡しても、「日本料理」「中国料理」「フランス料理」「イタリア」「スペイン」…様々です。 さて、ことフランス料理となると、「日本人はどこまで行っても日本人だから『本当の』フランス料理は作れない」「スタイルだけ取り入れても、フランス料理には成り得ない。」といった言葉を耳にすることもあります。果たしてそうなのでしょうか? もし仮に国境を全く越えた、余分な物を一切取り除いた「料理」があるとします。 塩も胡椒も、何ら食材さえも使わない料理。 それは「水」そのものであると言えるでしょう。 さて、その「一杯の水」が供される際、「器」は何を用いますか? 「掌」というのもありですね。たった一杯の水がリーデルのグラスを用いて供されたなら、それは「フランス料理」になるでしょうし、景徳鎮の磁器であるなら「中国料理」、さらには節から切られた竹を器にすれば、「日本料理」を想像させずにはいられません。 となると、料理の背景にある「文化や歴史」を考える時、いかにその水の出自が何処であるかと言うことが初めて意味を持つことになります。たった「一杯の水」が何処から用いられたものか、を知ることがそれぞれの「料理」を深く知ることになるのです。 中国料理なら5000年の歴史を持つと言われます。その深さは滾々と水を貯える湖に似ています。「日本料理」であるなら、そのキラキラとその姿を変えながら、しかし一点に集中して水が淵を打つ滝の様に。 さて、フランス料理とはその歴史、感性は様々な要素を取り込んで現代に至っています。そもそも、塩・胡椒と言われるように古くから調味料に用いられる「胡椒」ははるか南方から。食器に用いられるフォークはイタリアから持たらされた道具です。順々に一皿々々料理を提供するスタイルは「ロシア式サーヴィス」と呼ばれ、日本料理の技法、例えば生魚を食す事、器を様々に変化させることなど。 それは河に注ぐ支流のように、大河を成す要素となっているのです。 行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。(鴨長明 「方丈記」) 料理を「フランス料理」中国料理」「日本料理」と分け隔てるもの。すべては提供する側の意図にあると言えます。提供する側が、「これはフランス料理である」と主張するなら、いかなる見目形を持とうともそれは「フランス料理」であると言えるのです。
Jun 8, 2006
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(昨日からの続き)…驚いたことに昨日は一日のアクセスが200を越えてしまいました。う~ん、、、もしかして期待されててもなぁ、、、と言うわけで、ほぼ自爆状態の「昨日からの続き」になってしまいそうな予感です。 さて、ホスト・テイスティングを行って頂いて、お客様から、「ところで、もし私がこのワイン、『ダメ』って言ったらどうするん?」と尋ねられとしたら、私ならどう答えるか!? 答:「身近な例を挙げて言いくるめます!」 さて、例えば「床屋さん」へ行ったとします。とある奥様からの期待もあって、「爽やか系で甘い福山君。もしくは、医龍の坂口君みたいにして欲しい。」と、お願いしたとします。 床屋さんのオヤジさんは非常に腕の立つ職人なので、見事に「爽やか系で甘い福山君」または、「医龍の坂口君」そっくりになったとします。髪型だけは、、、「何か、、、違う、、、」と思ったところで、さてカットした髪型を交換してくれるでしょうか!?また、お代金は返金してくれるのでしょうか!?残念ながら、それはあり得ません。(大きな声では言えませんが、「もともと土台が違う!」のです。)しかし、福山君や坂口君でないにはしてもカッコよくなれば、それはそれで良しじゃあありませんか! そういう意味でワインも同様である、と言えます。品質に問題が無く、ニュアンスも適当であったのなら、申し訳ありませんが、この抜いてしまったワインのお代金は頂戴します。と、いうことです。 さて、前述のような内容から、私どもの「レストラン」と言う職業においては様々な要素が溢れているのです。今回、「ワインのホスト・テイスティング」を「床屋さんの散髪」に例えてお話した訳ですが、他業種の仕事の様子を俯瞰的に知ることによっても、レストランへの応用のヒントがあります。 お客様の目にするワインリストは、通販カタログのデザイナーだったらどのように仕上げるでしょうか?ゴージャスな空間を演出するのに、高級車の内装はヒントにならないでしょうか?接客の言葉ひとつひとつにテレビのニュースキャスターのボキャブラリ-は応用出来無いでしょうか? 私たちは「サーヴィス」というソフト商品を扱っています。ソフトとは人々の持つ「知識」や「知恵」であるとも言えます。「教えてもらう」「知識を盗む」如何に関わらず、「知恵」を共有し応用することこそ、社会の変化が求めている未来であるのかも知れないのです。
Jun 7, 2006
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フランス料理店でワインを注文すると、最初にソムリエが少量のワインをグラスに注いで味見をすすめてくれます。これが、いわゆる「ホスト・テイスティング」です。「ホスト~」とあるので、味見をする人はイケメンで無いといけないのかというと、必ずしもそうではありません。ここでいう「ホスト」とは「食事の席に招いた側の人」または、食事代を支払う人、あるいは、「そのワインを注文した人」の事です。 さて、この「ホスト・テイスティング」一応は注文したワインの味を確かめる。ということになってはいるのですが、現実のレストランにおいては、非常にセレモニーめいた感も強く、せっかくワインをボトルで注文しているのに「ホスト・テイスティング」をソムリエがやってくれないと、なんだかそのお店のサービスに手抜きされてるような気分になってしまいます。 そもそも、「ホスト・テイスティング」は、フランス中世の貴族社会の風習の名残りであるともいえます。フランス貴族といえど、その当時はワインに毒薬を混ぜたりと、物騒な世の中でもありました。それでまず、招いた館の主人がワインに口を付け、同じボトルから皆に振舞うことによって、「毒は入っていませんよ。」ということを明らかにしていたのです。(参照:「フランス料理と毒薬」05年8月7日) この風習が現代に至っても名残りを残しているようにも思われます。 昨今のほとんどのお店では、ボトルを抜くと先にソムリエがテイスティングしていまいます。それはホストがテイスティングを行う前ですので、実際にお客様に「傷んだ」ワインが提供されてしまうことは稀でしょう。 日本ソムリエ協会におけるマニュアルでは、テイスティングをする前に、「私の方で先に少量テイスティングさせて頂いて宜しいでしょうか?」と、お客様の承諾を得てから、ソムリエはテイスティングを行うこと、と、されています。しかし、現代では多くのお店で不文律の約束事みたいになっていて、そういった光景はあまり見られません。 実際にワインは「自然から作られた酒」ですので、何十本かに1本くらいは提供できない、お代金を頂けないワインがあるのも確かです。そうッ言ったワインはあらかじめ、ソムリエがテイスティングを行った際に除かれますので、まず、お客様のグラスに傷んだワインが注がれることは無いと言えます。 そうなって来ると、「ホストテイスティング」は益々儀式的な行いとなってきます。そもそも品質に問題のないことが大前提になっていますので 、またまたソムリエ協会の規定などでは、テイスティングをホストに行って頂いた際には「温度の方はお好みでしょうか?」という感じでお客様の確認を取ること、となっているようです。 で、しばしば食卓の話題として上るのが、この時点でお客様の好みに合わなかった場合などの対処の仕方です。 ソムリエの説明が、実際のワインの味と大きく掛け離れていた。という場合は、ソムリエの技術不足と言う点でワインを交換するのは当然です。しかし、ニュアンスが違う、とかフィーリングが合わないと言った点では、交換させて頂くにせよ、抜いたワインのお代金は請求書に載って来ることとなります。…と、言うような説明をお客様とするわけですが、あくまでも食卓の笑い話としての話題であって、実際には「交換して欲しい」とおっしゃるお客様は、ほとんどいらっしゃいません。 それよりも、重要であるのはお客様の食卓の場が「いかに楽しく過ごしていただけるか。」が重要であって、ワインの特徴を議論で押し付けても、お客様にはありがたくも無いのですから。 さて、と言うわけで、ホスト・テイスティングを行って、もし、私がお客様から、「ところで、もし私がこのワイン、『ダメ』って言ったらどうするん?」と尋ねられたら、、、、(この続きは明日。乞うご期待!、、、)
Jun 6, 2006
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、、、昨日からの続きさて、ここまででも見られるのが、フランス料理の三大原則とも言える、・同じ食材は用いない・同じような調理法は繰り返さない・同じ味付けをしない。という手法です。お客様、つまり「食べ手」を飽きさせないテクニックです。その為、フランス料理のコースにおいては、日本料理に見られるような、「~づくし」といったメニュー構成は行われないのが普通です。品数、量を「多く食べさせる」という目的を行うにあたっては、食べ手が次々と興味をそそられるような試行が繰り返されているわけです。 さて、メインディッシュと呼ばれるのが、「肉料理」としての位置付けです。やはり「メイン~」の名が冠せられている以上、コースのここまでの料理は、「メイン」までの導入、つまり、メインディッシュを上手く引き立てるストーリーであったからなのです。 肉料理が、主役=メインであることは、ヨーロッパの人々が古代、狩猟民族であったことにまで遡ると言えるでしょう。「ジビエ」と呼ばれる、狩猟獣においてはその際たるもので、ある意味、自らの狩猟の腕前を披露することに目的があったのでしょう。 いよいよ、次がデザートです。デザートには本来、「片付ける」の意味がありました。その為、現代でもメインディッシュの後に「辛いデザートにしますか?甘いデザートの方がお好みでしょうか?」と問われるレストランも本国フランスではあります。 ここで言う「辛いデザート」とは「チーズ」の事です。チーズは確かに高カロリー、高タンパクの食品なので確かにダイエットを志す方々には「太りそう…」との思いもあるようですが、既にメインディッシュまで食された後ではもう手後れです。(^^;)と、言うよりも、チーズはそのタンパク質から、胃の粘膜を保護する意味もありますので、メインディッシュの後にチーズを食すことは、理にかなっているとも言えます。 続いて本来の「デザート」、お菓子が提供される時間となります。 「デザートは別腹よ」と申されて、ワゴンサービスなどになると、全種類を注文されるお客様もいらっしゃいます。ところが、、、これは当然と言えば当然で、ここにもコースメニューに隠された「罠(?)」が仕掛けられているのです。 実は、案外気付かれないことなのですが、フランス料理、または多くの「西洋料理」と呼ばれる物においては、料理に「砂糖」を加えません。もちろん、ソースや付けあわせなどにフルーツを使用したり、野菜や油脂分の甘味を強調することはあります。しかし、直接、料理に調味料としての「砂糖」は使用しない事が原則でもあります。 料理の間において、「糖」を摂取しないと言うことは、すなわち体内の血糖値の低下に繋がります。そこで最後のデザートにおいては「血糖値」の向上を求める、気付かない生理的な欲求が起こるのです。 ヨーロッパに旅行に訪れられた方々から、「いやぁ~、向こうのデザートは甘い甘い、、、」というお話をよく耳にされたことは無いでしょうか?これこそ、最後に身体が欲する「糖」を求める欲求に対する答えだったのです。さて、昨今ではダイエットに励む女性の方々も増えてまいりました。これが100年前なら「太っていることは裕福な証拠」でもあったのです。これは、絵画史を見れば一目瞭然で、昔の「女神像」「美人像」は皆ふっくらとした体型を持っています。ふっくらした体型を維持できることが「豊かさ」の象徴でもあったのです。さて、時は変わって現代は、豊かさの象徴では無くなり、健康面の影響もあってか、やはりスリムな体型が好まれるようになりました。 フランス料理においてもヌ-ヴェル・キュイジーヌの時代を経て「軽さ」が求められるようになりました。 フランスにおけるグランシェフ、ピエール=ガニエール(だったかな?)は「美味しく食べて、太らない料理」を提唱しました。 が、ここにも西洋の料理観が見られます。目的はあくまでも、「美味しく食べる」こと。お腹一杯食べることが大前提の上で、「太らない」を提唱している姿勢が垣間見えます。
Jun 5, 2006
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レストランを利用されたお客様。私どもから「今日のお料理はいかがでしたか?」などとお声をお掛けすることもしばしばです。「いやぁ~、もう満腹ですわぁ~お腹いっぱいになりましたわ~。」(註:あくまでも関西の方です)とのお答えを頂くこともあります。…実は、このことに「レストラン」本来のレゾン・デートル(=存在理由)があります。西洋料理、特にフランス料理においては、「お腹いっぱいに食べさせる」様々な「罠」が仕掛けられています。もし、一度に目の前にコースメニューの全品が並べられたら、、、その量の多さ(、に見える)にそれだけでお腹いっぱいになってしまうかも知れません。 フランス料理における「コース」とは、実はお腹いっぱい食べられるよう「綿密な計算が施されている。」というのが真実なのです。 西洋で言う「レストラン」とは「ハレの日」の料理を提供する場所なのです。 「ハレの日」だから、お腹いっぱい食べられるように画策されているのです。 ある意味、カトリックにおける「カーニバル(謝肉祭)」に通ずる部分もあるのです。と、いうのも本来生活が貧しければ年に一度の「ハレの日」以外は慎ましやかな食事で我慢することも当然多くなります。と、なるとせっかくの特別な日にはお腹いっぱい食べたくなるのが人間の心理と言うものなのです。さて、フランス料理のフルコースとは、現代でも以下のような順序で供されます。●アミューズ・ブーシェ●オードヴル●スープ●魚料理●ソルベ、またはグラニテ●肉料理●チーズ●デザート●コーヒー、または紅茶 アミューズ・ブーシェは平たく言うと「お付き出し」一口サイズの食前のおつまみであることが多いのです。 さて、一品目として供されるのがオードヴルです。前菜とも訳されますが、得てして軽い食感のものが多く、温かい「温前菜」冷たい「冷前菜」と分けられることも多いようです。 ここでは、胃を活性化させることに主眼が置かれます。まず、サラダ系などの酸味を使った料理。また、多くの場合味が濃くても少量であることが主流です。 2品目にスープが登場します。が、最近では各々の料理人の見解もあって、「すぐにお腹が膨れてしまう。」ことや、「作り方において料理人の腕が発揮されない。」との理由でオードヴルと呼ばれる形態に近い料理が供されることもしばしばです。 続いてが、「魚料理」当然の事ながら、肉料理に比べて魚料理の方が比較的軽い料理に仕上がることが多いので、肉と魚の料理が前後することは稀です。その際において、一旦口を休める、休めると言うことは続いての料理をまた食べられるようにする。と言う意味において、ソルベ、またはグラニテと言う「氷菓」を間に挟みます。(ソルベとグラニテの違いはその製法で、いづれにしても果汁を氷らせたお菓子であることです。)唐突に「明日へ続く、、、」
Jun 4, 2006
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このブログも開設してから、今月末で間もなく1年になります。書きはじめてから何を思ったのか、230あまりの日記となりました。最近では、もともとの知人の中にもこのブログを見つける者も居て、結構毎日でも読んで下さる方もいるようです。「いやぁ~なかなか面白いですねぇ。毎日楽しみにしてますよ。『メートル・ド・テルとぜんそう』」…「とぜんそう」やなくて、、、「つ・れ・づ・れ・ぐ・さ」!ですから!(^^;)まぁ、なんとなく始めたブログですから、最初はあんまり考えずに表題をつけちゃった訳です。「徒然草」…む~、ダサいかなぁ。もうちょっと、キャッチ-で、ナウなヤングに受けそうな、それでいて粋で賢そうな題名に変えようかなぁ、、、…と、思いながら、この「徒然草」とは、そもそも日本三大随筆のひとつ、吉田兼好の手によるもの。学生の時分に皆さんも勉強されたと思うのですが、私自身はこういう、兼好法師みたいな「バカボンド(=放浪者)」になんだか憧れを抱いてしまうんですよねぇ。学生のころに勉強した「徒然草」の中に忘れられない一節があります。ちょっと長いですが引用します。●第八十五段: 人の心すなほならねば、偽りなきにしもあらず。されども、おのづから正直の人、などかなからん。おのれすなほならねど、人の賢を見てうらやむは尋常なり。至りて愚かなる人は、たまたま賢なる人を見て、これを憎む。「大きなる利を得んがために、少しきの利を受けず、偽りかざりて名をたてんとす」とそしる。おのれが心に違えるによりて、この嘲りをなすにて知りぬ、この人は下愚の性うつるべからず、偽りて小利をも辞すべからず、かりにも賢を学ぶべからず。 狂人の真似とて大路を走らば、すなはち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。驥を学ぶは驥のたぐひ、舜を学ぶは舜の徒なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。まあ、人によって捉えかたはいろいろとあるのですが、私のような「サービス」を生業とする者としての解釈は、サーヴィスとは、「心」である。これは大儀であるにせよ、その方法論は様々で、お客様に伝わるのはやはり「行い」であると考えています。 ならば、それが「形」だけであろうと「このように決まっているから」といって「悪いサーヴィス」を行ってしまえばそれはすなわち「悪いサーヴィス」であって、「誰それの真似だ。」としても「心地よいサーヴィス」はすなわちお客様にとっても「良いサーヴィス」であると思うのです。ソムリエの資格を取ろうとする。サービスの検定を受ける。他の素敵なサーヴィスマンの真似をする、、、私は「形から入る」という事は、決して悪いことだとは考えていません。むしろ「形から入ろうとする」気持ちこそが「サーヴィスの心」であると思います。
Jun 3, 2006
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