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明日から夏期講習の第二タームが始まる。そして高校部では、ついにDVD講義が動き出す。このDVD講義は、「完全無料」だ。生徒達の反応が楽しみである。今日は昨日までの40時間講義の疲れを癒すと同時に、家族との触れ合いの時間でもある。家族に幸せを与えられない人間が、生徒達に幸せを与えられるはずもない。全ては「家族の幸せ」があってこそ。僕はそう思っている。明日からの第2タームは「中3」と「中1」がメイン講義となる。中2Aクラスの授業もあるが、こちらは「復習」が中心の問題演習だ。さて中1。これから一般動詞の「第2段階」へと入っていく。そう、「三単元のS」だ。この単元で、1人の脱落者も出さないように、「がっちり」とやっていく。Aクラスは昨日までの第1タームで、「Be動詞」と「一般動詞」の復習を徹底的に演習させた。だから大丈夫。「混乱」の「こ」の字もない状態で進んでいけそうである。
2007.07.31
今日最後の授業は中2Sクラスの英語だった。内容は「不定詞」。僕は不定詞を一日で終わらせるようにしている。テキストを見ると、名詞的用法形容詞的用法副詞的用法それぞれが1単元ずつになっている。これをカリキュラムごとにやっていくと、「不定詞って、結局何?」なんて言う子が発生するのだ。それは困る。中2の真ん中で学習する不定詞。長引くと「だらける」心配がある。すぱっと授業をやって、「あ~!不定詞って簡単ジャン!!それだけなの?」そう思ってもらうことが狙いなのだ。今日は「成功」だったね。授業前に「不定詞は中2のラスボスだ!!!!」と宣言して、たっぷりビビらせたからね。集中が半端じゃなかった。終わったあと、「え?これだけ?超簡単ジャン!」狙い通りの言葉も聞けてよかった。良かったー。さっきの記事に書いたとおり、今日は「残り汁」まで出し切った。もう何もでない。中2Aクラスの子達が社会の「勝ち抜きテスト」をやっているが、燃え尽きた僕は、マイルドな笑顔で「頑張れよー。」としか声をかけられない。ふ~。今日も無事、終わった。みんな、ありがとう。俺は幸せ者だ・・・。
2007.07.30
この4日間で、40時間の講義をした。問題演習の時間は減らし、極力「講義」をするようにした。全員の頭に「!!」が浮かぶまで。とにかく「伝えまくった」のだ。しゃべりっぱなしの40時間。ビリー隊長に入隊しておいてよかった。去年の自分だったら、この40時間講義は出来なかったと思う。体力がもたなかったはずだ。今年は大丈夫。まだまだフルフルだぜ!
2007.07.30
あと2時間。今日は「一滴の残り汁」も残らないくらいに、自分のパワーを使い果たせそうな気がする。ブログを書くために、今座ってしまったが、立てるだろうか・・・。が、頑張るしかないよね。今日も自分の全てで生徒たちに「伝える」!!!!うぉりゃああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!
2007.07.30
あと2時間。今日は「一滴の残り汁」も残らないくらいに、自分のパワーを使い果たせそうな気がする。ブログを書くために、今座ってしまったが、立てるだろうか・・・。が、頑張るしかないよね。今日も自分の全てで生徒たちに「伝える」!!!!うぉりゃああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!
2007.07.30
夏期講習は、「毎日講義」である。中3ではこの4日間で現在分詞と過去分詞を完成させる。ほぼ同じ文を何度も何度も何度も何度も「英作」する解説講義だ。日本文から「分詞」を見抜き、ルールに基づいて英文を完成させる。もう何個の英作問題を解いただろうか。100個の英作問題があれば、解説は100通りではなく「1通り」だ。全て「唯一のルール」として提示してあるルールで解ける。何度も何度も何度もそうこうしているうちに、今まで英語が苦手だった子達から「なんか分かってきた!」という声が出てきた。お、授業だ。
2007.07.30
少し小降りになってきたが、まだまだ雨がすごい。普段は外に昼食を買いに出かける中3生たちも、この雨で断念したようだ。僕らがいつも出前を頼む弁当屋さんに電話をかけていた。そこから「集金地獄」が始まった。「○○ちゃんに50円返して、あ、先生!!1000円札くずせますか?」そんなこんなで「ぎゃーぎゃー」言いながら。こういうことが「思い出」になっていくんだよね。秋くらいになって、ちょっと強い雨が降ると、必ず今日のことが話題になるはずだ。「夏期講習のときのあの雨には参ったよねー。」「だよねー。」そんな会話が聞けるだろう。受験という「壁」を前にした彼らだが、決して暗くなることなく、笑顔のイベントを日々楽しみながら進んでいるようだ。「知識」と「思い出」を貯めながら、ね。
2007.07.30
昼前から「超」すさまじい雨だ。塾の前の道が「川」になっている。去年の夏も発生した「松江川」だ。夕立や台風の時になると発生する「夏期講習の風物詩」なんだよね。中3生達は、午前中に高校部で授業をして、午後には中学部に移動してくるのだが、傘を持っていない子達は、「ずぶぬれ」で戻ってきた。みんな「きゃーきゃー」言いながら、めっちゃ笑顔。すぐにクーラーを切って、風邪をひくのを防ぐ。午後は「ムシムシ」するが、風邪をひくよりはましである。それにしてもすごい。今年は何回「松江川」を見れるかな。「床上浸水」はまだないが、今年はあるかもしれないね。
2007.07.30
学力向上に不可欠な「好奇心」。これは個人差が大きい。世界地図を見たとき、そしてその中の日本を見つけたとき、「うわー、小さいなー。」そういう感動の一つ一つが好奇心の種になる。この好奇心の種は、幼少期の意識付けが大事だと思う。散歩に出かけて、野原の虫たちを探す。綺麗な花を数えてみる。面白い形の石を拾う。旅行に行ったときに、周りの風景について話をする。おじいちゃんやおばあちゃんの話から、「昔のこと」、つまり歴史の話をする。家庭でできる実験をしてみる。目盛り付きのコップを使う。買い物ついでにおつりの金額を一緒に数えてみる。好奇心が強いか弱いかは、何かを見たときに「あ!」と思うか思わないかの違いが大きい。自分の周りには、いかにたくさんの「あ!」があるか。これを幼少期から気づかせてあげれば、子どもは自然と好奇心が強くなっていくと思う。それには、「親」の意識や行動が不可欠だと思う。テレビやテレビゲーム漬けの子どもたちは、好奇心の対象が「テレビ」や「テレビゲーム」の世界に限定されていく。子どもの周りを見てみよう。数年後、10数年後、子どもたちが「勉強」として学ぶ事柄の「種」がたくさん落ちているだろう。学校で習うときに、初めて出会うのと、幼少期から「知っている」のとでは勉強の「楽しさ」が違ってくる。小さいころからテレビやテレビゲームに浸かってきた子達は、それらの事柄を「知らない」だけでなく「興味が無い」のだ。それでも「いい点数」を取らなくてはならないわけだから、それは苦痛だろう・・・。大人でもそうじゃない?例えばお父さん。目の前に女性用化粧品のカタログが置かれる。「今日は化粧品について学びます。」そう言われてどう思う?「うわー!知らねー。っていうか、興味もないー。知る必要性が感じられない!!」きっとそう思うだろう。例えばお母さん。目の前に1台のバイクを置かれ、「今日は、バイクの分解と組み立て、エンジンの構造を学びます。」そう言われてどう?「はっ?」でしょ?でも、やらなくちゃいけない。絶対に。どう?苦痛だよね?いざ勉強となる前に、「知っているか否か」興味を持ったことがあるかないか。こういったことに「年齢」は関係ない。早ければ早いほどいいと思う。そう思う。今、公民で国会や内閣の勉強を進めている。全く興味を持てない子達も数人いるようだ。幼稚園か、小学生時代に、親と「政治」や「選挙」に関して話をしたことがなかったのだろう。「選挙ってなに?」「政治家って、どんなお仕事をするの?」「選挙に行ってみたい?」「もし政治家になれるとしたら、何をする?」「お父さんに政治家になってもらいたい?」「それはどうして?」親が子どもにしてあげられることは、子どもを取り巻く「知らない」を「知っている」に変えてあげることだ。ここで、子ども側が「知らない」ということに気づくのを待つか、親側から問いかけてあげることで、子どもに「それは何?」と思わせるのか。この違いも大きいよね。子どもの世界はまだまだ狭い。周りを見れば、多くの「?」があるはずだ。人間は、自然と「知っていること」だけに囲まれて生活するほうを選ぶ。楽だからね。目の前に「?」があっても、自分の生活や行動に支障がなければ避けて通るのが普通だ。でも、そこで親がその「?」を子どもにぶつけてみる。「これが何だか分かる?」幼少期の子どもであれば、親の問いかけは「この世の全て」に匹敵するパワーを持つ。だから、その「?」を体全体で受け止め、そして考え、悩み、「知らない」と答える。「これって、何だと思う?」子どもの中に「?」を入れることができたら、ここからさらに質問をしていく。「食べ物かな。遊ぶものかな。」子どもは自然と「?」と向き合い、そして考える。ちょっと手渡してみても面白いだろう。「どうやって遣うのかな?」子どもは手に取ったものを、いろんな角度から見るだろう。上から見たり、下から見たり。実際の「物」だけじゃない。「言葉」だって同じだよね。「選挙の日だね。そういえば、選挙って何?」子どもが分かるわけがない。「センキョ?」「そう。選挙。」「分からない・・・。」そこからの会話は、確実に子どもの「好奇心」や「思考力」、「コミュニケーション能力」を鍛えるはずだ。親からすれば「知ってて当たり前のもの」でも、子どもにとっては「??」な物事などそのへんにゴロゴロしている。もう手当たり次第だよね。時計の見方。お金の数え方。足し算引き算掛け算割り算文字そういったものが「勉強」になってしまう前になるべくたくさんのことを「知ってるよ!!」というものにしてあげたい。そんな状態で学校に通ったら、学校の授業って楽しいだろうな。親ってすげー。
2007.07.30
僕ら講師は「芸人」だ。芸人はお客の反応でテンションが変わる。良く見て、良く聞いて、良く笑ってくれるお客さんがいっぱいいれば、どんどんテンションが上がってくる。芸人のテンションが上がれば、その芸はさらに面白さを増していく。だからそういったお客さんは、もっと面白い芸を見られるわけだ。ところが、良く見ず、良く聞かず、あまり笑わないお客さんだけだったらどうなるか。芸人のテンションはどんどん下がっていくはずだ。自分達が一生懸命に話をしても、聞いてない。見てない。笑わない。誰だってやる気がなくなってくる。テンションは激下がりだ。芸人のテンションが下がれば、その芸は精彩を欠く。つまり、「つまらなく」なるのだ。お客はますます「つまらない」と感じ、その場の空気は重くなっていく・・・芸人を面白くするのも、つまらなくするのも「お客自身」なのだ。塾や学校の授業も同じだ。一生懸命に聞いてくれる子達で満たされた教室では、講師は1.5倍の力を発揮する。一生懸命に聞いてくれない子達で満たされた教室では、講師の力は半分になる。勉強ができる子はどんどん出来るようになり、勉強はできない子はどんどん出来なくなるようになる理由はここにあるのだ。勉強ができない子達は、こう言うときがある。「聞いても分からない」だから聞かないのだ、と。ところが、この子達の「聞いても」という前提がそもそも間違っている。「聞いてる」のは、文字通り「音」を聞いてるだけなんだよね。そこに「理解」がない。メロディーを聞くだけで、「歌詞」を理解していない。僕が音楽を聴くときと同じだ。一通り聞いて、「今の歌は何を伝えたいのですか?」と聞かれても「分かりません。聞いてたのですが・・・」としか答えられない。講師の言葉を聞き、そしてそれを理解する。まずはそういった練習が必要かな。そうやって聞いていると、講師のテンションはどんどん上がり、授業がもっと面白くなると思うよ。
2007.07.29
夏期講習は50分授業だ。1日に10コマある。もちろん、夏期講習24日間全てで、僕は10コマ連続授業だ。つまり、240コマ。その全ての授業で「微塵の後悔」もしたくない。夏期講習を終えたときに、「もっと燃えたかった・・・」なんて後悔は最悪だ。そのためには、1コマに集中。1コマで燃え尽きることが必要だ。こうやって授業を終えてPCに向かっている瞬間に、何の後悔もないようにしたい。全てを出し切った50分間だったかどうか。後悔はない!!と確認できたら、次の授業に最高の気分で向かうことができる。あと3分。やるぜ。やってやるぜ。
2007.07.29
中3は3日連続で現在分詞。これでもか!これでもかっ!!というくらいにくり返している。「もう分かったよっ!!!」と生徒から言われるまで繰り返す。問題演習の反復も大事だが、夏期講習は「授業」にこだわりたい。伝えて伝えて伝えて伝えて伝えてみんなの頭の上にある「?」を「!!」に変える。現在分詞を徹底的に反復させることで、これから連続して出てくる後置修飾の感覚を叩き込みたいのだ。それにしても、休み時間になると口内炎が痛くなる・・・。不思議だ。
2007.07.29
口内炎ができてるっ!!痛いぜー。痛すぎるぜー。休み時間になると、思い出したように痛くなる。不思議だねー。授業になると、突然痛みが引くんだよね。
2007.07.29
昨日と今日は、川越の百万灯祭りだ。町中に提灯が飾られ、なかなか風情がある。だが、中学生にとっては「不満」の噴出する祭りなのである。なぜかといえば、「屋台がほとんど出ない」祭りだからだ。祭りのメインイベントは、各団体の「ダンスパレード」である。しかも、祭りの主催団体は「商工会議所」なので、盛り上がりがいまいちなんだよね。中学生にとっては、「屋台」がずらーっと並ばない祭りは祭りではない。川越の祭りといえば「川越祭り」のイメージが強いから、あの「超人出」を期待していくと・・・「何、これ?」と肩透かしを食らうわけだ。昼休みを利用して祭りに顔を出してきた子達が戻ってきた。「あんなの祭りじゃなーい!!」やはり今年も不満噴出である。
2007.07.29
子育てに関して、「明確な基準」を持つことは難しい。自分に子どもがいる立場から見ても、なかなか「ぶれない基準」を持ち続けることは難しいと感じている。そして、「明確な基準」を持とうとすればするほど、子どもと自分自身を「ぎゅーぎゅー」と締め付けていくことになってしまう。そうやって「がんじがらめ」になってしまっている親子を見ることも少なくない。「基準」「ルール」は、細部にまで行き渡る必要はないし、またそれはやってはならないことだと思っている。分かりやすく言えば、親が用意すべき「基準」は、「箱」であるのが良い。上が閉じていないダンボール箱のようなものをイメージしてみる。その中に「子ども」がいる。子どもはその箱の中で自由に動き回ることができる。ただし、親が用意したダンボールの壁を越えることはできないし、また底を突き破って下に行くことも許されない。ただし、ダンボールを上から出て行くことは全く持って自由にしてあるのだ。例えば早くから「プロスポーツ選手」という目標を持って子育てをしていくひとは、このダンボールが極端に細くなるはずだ。ゴルフならゴルフ。野球なら野球。それ以外のところに行くことは許さない。つまり、壁を越えることは許さない。その縦に細長いダンボールの中で子どもは上を向いて育っていく。イチロー松坂亀田兄妹横峰さくら福原愛松井最近のプロスポーツ選手は、その親にもスポットライトが当たることが多いから、こういったことが見えると思う。いわゆる「放任主義」は、このダンボールが無い状態を言う。子どもが横に逸れたけれ横に行く。下に行きたければ下に行く。それに対しては「別にいいんじゃない?」で済ましてしまう。これは「主義」でもなんでもなく、「手抜き」に他ならない。子どもを生み、そして育て、いずれは社会に出さなくてはならない親として、「ダンボール」を明確に持つことは絶対に必要だと思う。そのダンボールの広さや形は親が自由に決められるのだから、そこに子育ての「個性」や自分の考えを反映させればいい。親はそのダンボールを設定したら、あとは上から中を見ているだけでいいと思う。そもそも自分が設定したダンボールなのだから、その中でこどもが自由に動き回る分には何の心配もないだろう。ただし、そのダンボールの壁を破ろうとしたり、何かをきっかけにして破り出てしまったときは、親は自分の持てる精神力すべてを使い果たして子どもをダンボールの中に戻さなくてはならない。それこそ「命」をかけて。そこが「親の勝負どころ」だ。中には、ダンボールの中での「動き方」にまで命をかけてしまう親もいるが、それでは子どもが健全に育たない。あくまで「ダンボール」の壁を破ったとき、だ。僕は中学生のとき、父親が姉を殴った姿を一度だけ見たことがある。姉には「でろでろ」に甘い父だが、あのときのことは今でも鮮明に覚えている。何がきっかけだったのかは、当時の僕には知らされなかった。だが、その後激しく泣きながら自分の部屋に入っていった姉の姿と、姉を殴った父親の姿だけは忘れられない。おそらく姉は、親が設定した壁を破ろうとしたか、もしくは破ったかのどちらかだったのではないだろうか。それ以来、一度も父親が姉を殴る姿は見たことがない。ただの一度だけだ。ちなみに、僕はそういった経験はない。まあ、小さいころから剣道でコテンパンに殴られまくったけどね。おそらく僕には、姉よりも広いダンボールが設定されていたのだと思う。随分と泳がせてもらったなー。とにかく、日常の子どもの一挙手一投足にぴりぴりするよりも前に、「ダンボール」という基準を作るほうが大事だと思う。それが無いと、怒る理由がなくなっちゃうしね。さ、授業だ。
2007.07.29
さきほど参院選の投票を終え、今塾に到着。毎度のことだが、「投票しなければ政治に意見をする資格は無い」と思う。消費税を上げてほしくない。住民税が高すぎる。年金がもらえるか不安。大臣の不祥事は腹が立つ。テレビをつければ、毎日のように「政治」に関する話題が飛び込んでくる。そういったものに耳を傾け、そして意見を言えるのは、「投票をした者」だけだ。メディア政治と言われるようになっているが、それはそれで結構なことだと思う。選挙も「イベント化」してしまうのがいい。投票所も、あんなに「重い」雰囲気ではなく、みんなが行きたくなるような「華やか」なイメージを前面に出したほうがいい。「夏祭り」とセットにしてしまうとか、ね。屋台もバンバン出して。子どもたちは大騒ぎだ。「投票所に連れてって~!!!」なんて言ってね。どんな形であれ、まずは「接すること」が大事だと思う。接していれば、自然と見えてくるものがあるはず。「考える」ことは、そこから始まるよね。みなさん、投票には行きましたか?
2007.07.29
すでに夏期講習2日目が終了した。こうやって、一日また一日と時間は過ぎていく。時間だけは、望むと望まざるとに関わらず進んでいくのだ。待ってくれない。速くもなってくれない。それが時間というものだ。過ぎ行く時間の波に、今日の君は乗れただろうか。その波は、乗ろうとしなければ乗れないのだ。自ら追い求めないと駄目なのだ。それが分かっているのだろうか。時間は容赦なく進んでいく。いくらお願いしても駄目なのだ。泣いても駄目。頭を下げても駄目。甘えても駄目。怒っても駄目。すねても駄目。それが時間というものだ。分かるよね?こうやっている間も、時間はきちんと進んでいく。そういうものだ。
2007.07.28
朝からフルフルで授業だ。ここまでに8コマの授業を制覇したぜっ!!あと2コマで今日の授業が全て終わる。余力を残すつもりはない。何もかも出し切って頑張るぜ。ちょっと口内炎ができたのだが、問題ない。全く問題ない。燃え尽きてやるぜ!
2007.07.28
中3公民の授業。小選挙区比例代表並立制議会制民主主義選挙区選出議員選挙ホワイトボードに漢字だけが列挙されていく。ANが一言。「中国語みたい・・・」確かにそうだ。そこで真島の必殺技。漢字だけの言葉を「中国語っぽく」読む必殺技の連打だ。メリハリが大事だよね。
2007.07.28
中3では現在分詞の用法を学んでいる。今日で2日目だ。Sクラスでの「仕上げ」の文章。『図書館で手紙を書いているその少年は、駅への行き方を知っていると思います。』最初に答えを完成させたのは、ERKだった。今日授業に出席しているメンバーの中では、「最古参」である。さすがである。今日で現在分詞はOK。明日からは過去分詞の用法に突入する。
2007.07.28
中3の英語は、ここから後置修飾の連続だ。毎日授業がある今だからこそ、しっかりと定着するまで「授業」をくり返していく。問題演習と通して理解を深めるのではなく、「授業」をもって理解を深めたい。自然と熱が入るが、どうしても「下ネタ」全開の講義になってしまう。こちらは「大真面目」なのだが、説明の流れがどうしても「下ネタ」になってしまうのだ。一度「下」に流れた流れは、もう止まらない。止まらない。止まらない。学生時代に、クソ真面目な関係代名詞やら分詞やらの講義を受けてきたご父兄の方々が松江塾の授業を受けたら、少なからず「ショック」を受けるだろう。「こんな説明の仕方があったのか!!」そう思われるだろう。ちなみに、こういった「下ネタ」全開の文法説明は、僕が高校生の時に受けた授業を応用させている。男子校だったからね。中には、「どんな文法事項でも絶対に下ネタに持っていくことが俺のプライドだ!!」と豪語する先生もいたからね。おもしろかったなー。そういう授業のほうが印象に残ることがあるから、授業はやめられないよね。さ、3時から授業だー。
2007.07.28
昼休み中の中3女子軍団の会話。「うちが惚れた男って、全員妻子持ちなんだよねー。」えっ?な、何ですと?惚れた男?妻子持ち?すげー。どうやら、相手は芸能人らしいのだが・・・。女子の空想力はすごいね。現実を全く見てないからな。惚れた男は妻子持ちか・・・「○○はイケメンだよね。あいつならOKかな。」ほ~。ほ~。でも、相手がどう思うかが大事なんだぞ?分かってるか?君がOKだと言っても、相手が何て言うかが大事なんだぞ?何の根拠があって、その「上から目線」なんだ?すげーなー中3女子。
2007.07.28
今日の小5の授業。教室に入ってみると、「たった一人」であった。理由は、小学校の「スーパードッジ大会」のためにほとんどの生徒が欠席したためである。ということで、今日はRSと一対一の個別指導になった。授業内容は「長文読解」だ。RSは国語がとてもできる生徒なので、文章の深いところまで読み込みながらの指導だった。「床の間」「勝手」「えんがわ」文章中に出てくる「ちょっと古い」言葉が分からなかったので、絵を描きながら教えていく。「あ、おばあちゃんの家にあるかも」そんな反応がダイレクトに返ってくる。さすがに50分間も一対一でやっていると、集中力が切れるようで、最後の方は雑談状態になってしまったが。普段は男子パワーに圧倒され気味の小5生だが、たまには静かな個別指導も楽しかったな。
2007.07.28
松江塾の壁には「う○こ」がついている♪食事中の人、ゴメンね?でも、ついているのである。授業中、壁に寄りかかっている生徒に向かって僕は言う。「おいおい、その壁にはう○こがついてるから寄りかからないほうがいいぞ。」すると生徒たちは、反射的に体を壁から離す。分かっているとは思うが、マジでう○こがついているわけではない。だが、壁に寄りかかった生徒には、「う○こ」がついていることにしてしまうのである。「はい、じゃあ今日お前はう○こマンね。やーい、う○こマーン!!」そういってキャッキャとはしゃぐのだ。生徒はニヤニヤし、「やめてくださいよー。」などと言って姿勢を正す。そんなことを数度繰り返すと、ぼくがチラッと見ただけで壁から体を離すようになる。誰だって「う○こマン」にはなりたくないからね。今のところ、壁に寄りかかる癖があるのは2名だ。中2の「T」と「E」である。2人とも運動部なので、筋力が弱くて姿勢を保てないわけではない。「気の緩み」が「姿勢の緩み」になっているだけなのだ。他の学年には、「う○こマン」候補はいない。これも、僕らが常日頃から「姿勢!!」と口をすっぱくして言っているからだろうか。すばらしいことである。ということで、今日も松江塾の壁には「う○こ」がついている・・・みんな、気をつけてね。
2007.07.28
今日は夏期講習2日目。熱い一日になりそうである。ところで、今日は幼稚園の「夏祭り」である。幼稚園周辺を、園児たちがお神輿を担いで練り歩くのである。僕が唯一、一度も見たことが無い幼稚園イベントが、この「夏祭り」である。奥様にビデオを託し、今日も一日燃えるぜ。
2007.07.28
今回の夏期講習では、大幅に「予習」の量を増やした。目標は2学期の全てを夏期講習中に終えることだ。ただし、復習にも手を抜かない。6タームある中で、「予習」のためのタームと「復習」のためのタームをきっちりと分けているのだ。使用するテキストも違う。予習の時はガンガン進み、復習の時はじっくりと学びなおす。中2の英語は、「比較」の手前まで終わらせる。文法事項だけでなく、学校の教科書も全てやる。ガンガンやる。復習の時には、「自分は分かっている」という心の油断が出る。それは授業態度にも現れる。ところが、新しい事を学ぶときには、その余裕や油断が消える。みんな真剣だ。初日を終え、夏が本当に動き出したことを実感している。貴重な夏休みだ。圧倒的な「差」をつけさせてあげたい。中3は北辰と中間・期末。中2・中1は中間と期末。2学期も学校平均をぶっちぎるぜ。やるぜ。やってやるぜ!!!!!!!!!!!!!!!!!
2007.07.27
夏期講習初日が終わった。今日も笑いに溢れる授業だった。楽しかった。みんなも楽しかったと思う。僕は自分の持てるものを全て伝えた。だからみんなは新しいことをたくさん学んだ。受験生を除いて、根を詰めて勉強し続ける必要はない。メリハリが大事。新しいことを学ぶときは、脳みそが「ぱかっ」と開いた状態が望ましいのだ。脳みそを「ぱかっ」と開かせるためには、笑いが一番。講習は毎日授業がある。忘れる前に授業ができる。最高だ。明日も「笑い」をベースに「真剣な授業」を繰り広げていこう。それでいいと思う。
2007.07.27
初日にして喉が危険な状態だ。授業に熱が入ると、どうしても声が大きくなってしまう。「伝えたい!!」という気持ちが声を大きくしてしまう。これは仕方のないことなのだろうか・・・気持ちは「底なし」情熱も「底なし」体力は「底あり」だが頑張れる。だが、喉は・・・・・う~ん発声法をマスターしたいぜ。高校時代の吹奏楽で腹式呼吸はマスターしたのだが、授業になるとなかなか難しいな。むむー。
2007.07.27
夏期講習、中3の初日が終わった。みんなの口から「受験だ~」というため息にも似た言葉が出てきていたことに驚いた。心配していたけど、みんな受験生になってきたじゃないか。感心。感心。今日だけで、かなり大量の知識を得たはずだ。これをどう料理するか。これが「受験生の腕の見せ所」だ。これで帰宅する中3生達。これからの時間をどう使うか。明日の授業で全てが分かる。頑張ってほしいよね。
2007.07.27
受験する高校の偏差値が高いからと言って、レベルの高い問題を多く解かなければならないということはない。秋以降、そういった問題を解くことは必要になってくるが、今の時期は「基本」に徹したい。いや、徹するべきだ。この夏に徹底的に基礎を身につけた者が、秋以降に伸びる。どんな世界でも、「一流」の域まで到達する人間は、「基礎」を大切にしているはずだ。基礎の「ランニング」「キャッチボール」などの練習をせずに、「ダブルプレー」の練習ばかりしている野球チームが勝てるだろうか。基礎の「ダッシュ」「パス」などの練習をせずに、「コーナーキック」の練習ばかりしているサッカーチームが勝てるだろうか。誰だって基礎の反復が大事なことは分かっているはずなのに、受験となると「応用」「発展」「過去問」といったものに意識を持っていかれてしまう。受験だけが例外なはずがない。勉強だって、「基礎」が大事。基礎をどこまで「完成」させられるか。まだまだ基礎の時期。まだまだまだまだ基礎の時期。応用は基礎の組み合わせだ。組み合わせるべき基礎が未熟な者が、応用問題など解けるはずもない。それを間違うと、気持ちばかり焦ってしまって結果がついてこないことになってしまう。気をつけないとね。
2007.07.27
今日は午前中に高校部を使って中3の一斉授業だ。朝から高校部と中学部を行ったり来たりしているのだが、中学部から高校部に向かって歩いていると、今日から夏期講習の小5生たちが続々と塾に来るのと遭遇する。みんな笑顔だ。まだ「真っ黒」になっている子はいないが、なぜかみんな「笑顔」なのだ。笑顔の子達が続々と集まってくる塾。なんかいいよね。
2007.07.27
今日から夏期講習だ。毎年のことだが、昨日の夜はあまり眠れなかった。緊張のためだろうか。「あれもやろう」「これもやりたい」そんなことばかりが頭の中を駆け巡ってしまう。とっくに立て終わった夏期講習のプランだが、前日になっても完璧なプランを追い求めてしまう。だが、焦りは禁物だ。「あれも」「これも」は僕ら側のスタンス。生徒たちには、「一つでもいいから完璧に」ということを徹底させていこう。その積み重ねが秋の実力アップにつながるからね。
2007.07.27
長期休暇の講習では、「予習型」と「復習型」がある。去年までは僕らは「完全復習型」だった。ところが今年からは定期テスト前の「爆裂月間」があるために、どうしても「予習」の部分を多く取らなければならなくなった。立て続けに定期テストがやってくる2学期は、夏休みに予習をやらないと間に合わないのだ。だが、復習もきちんとやりたい。そこで今年は「予習復習併用型」にした。そこで大幅な授業時間数アップになったわけだが、これによって、2学期の学校の授業が楽に理解でき、さらに定期テスト前にも余裕ができるはずだ。1学期の期末前に行った爆裂月間では、同じ内容を1ヶ月にわたって繰り返してきた。これで十分な復習にもなっているはずだ。去年までとは「知識の残り具合」が違うと思う。さあ、いよいよ明日からだ。朝から晩まで、連続10時間授業が始まるぜ。体力的には問題ないが、毎年、「喉」との戦いになる。今年は何日目で喉が潰れるだろうか。やるぜーやってやるぜー髪もばっさり切って、気合十分!うぉりゃあああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!
2007.07.26
夏休み。わが子をしっかりと見つめて欲しい。昨日は奥様と入れ違いで美容院に行ってきた。子どもの面倒をバトンタッチするための入れ違い大作戦だ。川越駅のすぐ近くの美容院だったのだが、駅前で遊ぶ小中学生が多い多い・・・。その子達の大半が、目を覆いたくなるような服装。夏休みだな。落ちていく子は、どんどんと「遊びの快楽」にはまっていく。落ちるのは勝手だが、芯を持たずに落ちると、這い上がるのは至難の業だ。遊んでいる中学生に芯などないから、この夏休みに落ちる子は、今後数年間は落ち続けることになるんだろうな。親は何をしてるんだろう。子どもの髪の毛が金髪になってるんだよ?半分尻が見えてるスカートはいてるよ?あんたら、自分の子供を見てるの?「仕事が忙しい」なんていうのを口実にして、現実から目を背けてちゃ駄目だよ。あなたたちの子ども、この夏で「別人」になっちゃうよ?子どもの目を見て、しっかりと会話をして欲しい。「本当の会話」を、ね。
2007.07.26
明日から夏期講習が始まるが、昨日から娘が「手足口病」になっている。病名を聞くと、一瞬「どきっ!」とするような感じだが、何のことはない。手と足と口に赤い湿疹ができる夏風邪の一種だという。発熱もなく、本人はいたって元気である。今日は幼稚園の夏季保育で「スイカ割り」があったのだが、欠席。息子だけが登園した。あと30分でお迎えだ。
2007.07.26
ここ数日、まったくブログを更新していなかった。「意図的」に書かなかったのだ。理由は簡単。「親業」に徹するためだ。僕が記事一本に使う時間は3分から5分。その時間がもったいないのである。今は夏期講習前の休塾期間。とにかく、朝から晩まで子どもたちと接している毎日だ。僕ら塾業界で働く人間は、とにかく自分の子どもと接する時間がない。だから、こういった数日間の休みの日には、「これでもかっ!!」というくらい、わが子と接するようにしたいのだ。ということで、いろんなところに遊びに行っている。子どもたちと遊び、話し、抱きかかえ、叱り、親としてできることは全てやっているのだ。だが、毎度毎度のことであるが、行く先々で見かける光景に腹が立つ。「携帯ゲーム機に夢中な子どもと、携帯を見つめる親」の多いこと多いこと・・・。先日、ポケモンの映画を観に行った記事を書いたが、そのときも、映画が始まる直前までDSに食いつき、映画が始まると映画を観て、そして映画が終わると再びDSを始める子どもたちが大勢いた。親はくたびれた感じで一緒にいる「だけ」である。子どもは親と一緒にいないと生きていけない生き物である。だが、やがて1人で行動できるようになる。そのときまでに、親は自分の持てる「知識」と「経験」を子どもに伝えなければならないはずだ。それは行動であり、会話であるはずなのだ。そんな貴重な時期に、親子の会話なくゲーム機にはまる子どもたち・・・。子どもが悪いわけではない。ゲーム機を買い与えた親が悪いのだ。「ゲームばかりで勉強しない」そんな悩み相談はいくつも受けている。だが、解決策は簡単だ。お父さんが登場し、「ゲームばかりやってないで、勉強をしろ!勉強を!!ばか者!!!」そういって、ゲーム機を壊せば終了である。ゲーム機などを買い与えられたら、子どもは勉強などやるはずがない。ゲーム機売り場で、「ちゃんと勉強もするのよ?」なんて言葉を発しながら子どもにゲーム機を買い与える親の姿を見かけるが、「アホ」の極みである。子どもにゲームを買い与えないか、もしくは、買い与える際に「厳格なルール」を設定するべきだ。そのルールが破られたときは、「お父さんが破壊」である。絶対に。我が家の長男も幼稚園の年長になり、そろそろ周りの子達も「ゲーム機」を買い与えられ始めている。だが、我が家では「ゲーム機禁止」である。幸いにも、2人の子どもは「テレビよりも本が好き」であり、食事中もテレビを一切見ない。というか、そもそも我が家でやテレビがついている時間があまりないのが現状だ。地デジにも対応してないしね・・・。このままデジタル放送に切り替わったら、テレビそのものが我が家から消滅しそうな勢いである。その代わり、徹底的に「会話」をしている。誰も話をしていない時間がほとんどない。子どもに投げかける言葉は、ほとんどが「質問」である。そして、子どもの答えに対して、「第二」「第三」の質問を浴びせかける。おそらく、テレビを観ているときと比べれば、数百倍の情報量と思考を与えられているはずだ。それでいいと思っている。「ゲーム機を持っていないと、友達と遊べない。」そんな悩みを持っている保護者の方もいると聞く。では、わが子に「ゲーム機を持っていないと友達と遊べないような子ども」と一緒に遊んでもらいたいのか。「お前、ゲーム機もって無いじゃん。だから遊ばないよ。」そんなことを言うような子どもと遊んでもらいたいのか。大体、ゲーム機を持ち寄って遊んでいる子達の姿を見たことがあるのか。彼らは、「一緒に遊んで」はいない。ただ、それぞれがゲームをやっている時間と空間を共有しているだけだ。会話などない。言葉は発してるが、会話が成立していない。あくまで意識の中心はゲーム機の画面なのだ。なんとも「しらけた」空気が漂うのだ。わが子にもゲーム機を買い与え、「これで仲間はずれにならなくて済む」そう考えるのならば、それは「前提」が間違っている。そもそも、「仲間」状態になっていないからだ。「はずれ」も何もない。これからも、子どもの意識もひっぱろうとするゲーム機やソフトはたくさん出てくるだろう。親としての選択肢は3つ。「買い与えない」「超絶対的なルールを設定して買い与える」「現状がやばいのであれば、即破壊する」である。2つ目の「超絶対的なルール」が破られたときには、3つ目の「即破壊」を必ず実行することだ。ゲーム機など、たかだか数万円だ。子どもがゲーム機から受ける被害を金額に換算すれば、数千万円にはなずはずだから、安いものである。ゲーム機を壊すことや買い与えないことで、親子の関係が悪化するようであれば、それはそもそも、今までの「親子関係」を反省すべきだろう。貴重な貴重な夏休み。親たちよ。ゲーム機などに子どもの意識を持っていかれるな。夏休みこそ、「親」の存在を子どもの心の奥底まで「染み込ませ」なくてどうする。今すぐに子ども部屋に行き、子どものゲーム機を持ってきて「お風呂」に沈めよ。そのときから本当の「親業」の始まりである。
2007.07.25
この夏から入塾した中3生。今、昨日のテストの追試を受けている。正直、今までの成績は・・・・勉強に対する意識も低かったとは思う。でも、今は違う。昨日渡した10枚の爆弾HW。持ってきたと思ったら、「9枚しかやってません。あと1枚は、塾に来てからテスト直前にやろうと思って・・・」そういって、黙々と最後の1枚をやっていた。たった今、英語のテストを終えた。もちろん「100点」でクリアーである。第5文型の重要な文章に関するテストだ。そしてすぐに社会のテストに取り掛かった。公民の「人権」に関する部分の教科書虫食いである。もちろん、フル漢字。今までここまで勉強に対して精度を高めることはなかったかもしれない。だが、明らかに「変わって」きている。そうなのだ。生徒達には、それぞれの「戦闘態勢」がある。これからの戦いを前にして、「態勢」を整えなければ、自ずと負けは見えてしまう。勝ちたいから。最後の最後で笑いたいから。だから、自分にできる精一杯の戦闘態勢を取るんだと思う。頑張れ!!!!
2007.07.20
中学に入って初めて「数字の通知表」をもらった中1生達。この1学期で万全の「自分の定位置」を決めることを目標に頑張ってきた。中1松江っ子たち。学年トップ10に入ったのは「4名」だ。去年の中3がたたき出した「学年トップ10に6名」という記録は破ることはできなかった・・・。それでも、学校平均が「I中326点」、「H中317点」の期末で、塾平均「419点」はすばらしい。まだまだ努力の全てが結果に反映されなかった子達も多い。やっぱり、「10」の努力をしたら、結果に「10」反映されるのがうれしいよね。努力の質を上げる。「頑張っている!」と自覚している時間の中に、「無駄」な時間がないように。このままの勢いで、夏に突っ込む。夏は2学期の内容全てを制覇だ。そして勝負の2学期。25人の中1松江っ子達が、1位から25位までを独占すること。あくまでそれが目標である。
2007.07.20
生徒達が通知表を持ってきているが、なかなか帰ろうとしない彼らを見ていると、自分が中学生だった頃を思い出す。通知表をもらった日の夜は、自分の部屋で何度も何度も見返した。もう目に焼きついているはずなのに、何度も何度も見返した。喜びとか、後悔とかではなく、ただ自分に下された評価を見つめ返した。誰かよりも上だったとか、下だったとかも関係なかった。僕が両親に指摘された項目は唯一つ。「文字を丁寧に書く」僕の歴代の通知表の90%以上は、この項目に「※」が書かれていた。高校に入って、雑な文字で書かれた答えは全て×にされた。それで目が覚め、文字を丁寧に書くようになったんだよね。懐かしい。みんなの通知表には、みんなの数ヶ月間の頑張りが記されている。じっくり見よう。全ての評価が頭に入るまで、見つめよう。勉強を頑張っている子は、前学期の数字を全て覚えている。前より上がった?と聞いて、「前のなんか覚えてないよー。」そういう子の評価は・・・・まずは自分に下された評価とじっくりと向き合うことかな。
2007.07.20
中1のYKが、I中の学年1位を獲得。I中の学年1位は、現高2のKが獲得して以来のことだ。おおおー!おめでとう!!!!!!!!!
2007.07.20
授業中に意識が勉強以外のことに向いてしまう子がいる。こういった子は学校にも塾にも必ずいる。幼稚園にも小学校にも中学校にも高校にも。そして予備校にも大学にも、さらには専門学校にも・・。自分自身にも経験があるが、授業時間全てにおいて完全に集中しきることは「不可能」だ。中学であれば毎日6時間、週6日。その全てで集中しきれる人間など存在しない。必ずどこかで「抜ける」ときはある。それは仕方のないことだ。だが、「抜ける」のレベルが周りのこと比べて高い子が問題なのだ。前で先生がしゃべっているのに、隣の子と普通の声で話をする。後ろを向く。いわゆる、「空気が読めない」子達。まあ幼稚園の保護者会などで話しまくっている親もいるから子供だけじゃないか・・・。なぜこういう子達が出てきてしまうのか。こういう子達は、もうその子たちの「性質」として空気が読めずに話をしてしまうのだろうか。僕は違うと思う。こういった子達だって、きちんと場をわきまえて、おとなしくすることはいくらだってできるはずなのだ。結局、その場所を支配している人間の「力量不足」に他ならないんだよね。学校なら「先生」の力量不足。塾なら「講師」の力量不足。先生や講師の「場所支配力」が教室の四隅にまで完璧に行き届いていれば、嫌でも「びりっ」とした空気が広がるはず。何も、怒られそうな空気のことを言っているわけじゃなくて、生徒にとって、「今この空間を圧倒的に支配している人間が前で話をしている」という感覚を持たせる、ということね。その「圧倒的支配者」の意識は、話を聞いている自分の頭の先から足の先まで行き届いており、話すことはもちろん、ちょっと身体を動かすことさえ憚られるような・・・。そんな圧倒的は支配力を持てるかどうか。話の面白さや、話し方のテクニックだけでこういった支配力を発揮することは難しい。もっと「本能」に訴えかけるような・・・「オーラ」みたいなものだろうか。圧倒的な力量差を見せ付けられると、人間は言葉を失う。目が離せなくなる。例えば、やんちゃな野球少年30人が教室にいるとしよう。休み時間は、それこそ大騒ぎだ。あちらこちらで「ふざけあい」や「小さい喧嘩」がおきている。そこに、1人の講師が入ってくる。その講師が・・・「松坂」や「イチロー」や「松井」だったら?野望に燃える若き経営者の卵達が50人いる会場に、ビルゲイツが講師として来たら?最初の「どよめき」はあるだろうが、そのあとは「水を打ったように」しずかになることは間違いない。オーラは教室すべてに行き渡り、建物全体を包み込むかもしれない。そんな中で、隣の人と普通の声で話ができるだろうか。絶対にできないはずだ。如何に「圧倒的」なオーラを出せるか。僕は、野球に関しては「イチロー」や「松井」「松坂」に及ぶはずもない。経営に関してだって、ビルゲイツには負ける。だが、自分の塾の中で「勉強を教える」ということに関しては、誰にも負けない。つまり、圧倒的なわけだ。生徒達は、少なくとも自分の足で塾に来ているのだから、「勉強は出来たほうがいい」と思っているはずだ。ということは、僕らのオーラの影響を間違いなく受ける。もっとオーラを出す。もっともっと。教室の四隅の端の端まで。
2007.07.20
塾に来ている時に、生徒達のモチベーションを上げることは容易い。目の前に生徒がいるんだからね。でも、難しいなと思うのは塾に来てない時のモチベーションを上げること。これは本当に難しい。だから、ちょっとでも長く塾にいさせたい。一日でも多く塾に来させたい。高校生になると、自分の「上がりたい!」という意志をもって学力を上げていく子達が多いけど、中学生の大部分は、「気がついたら上にいた・・・」というパターンが多い。成績上位者の多くは、自分自身の中に「上がって来た」という意識を持っていないことがほとんどなのだ。当たり前のことを普通にやってきた子達だからね。まだまだ未熟な子供だ。学力の伸びを、自分のスキルアップと捉えることができていない。そうね・・・身長や運動能力みたいに、「なんだか伸びてきた」みたいに捉えるのかな・・「自然に上がる」みたいな感覚なのかもね。成長の実感が、自分の努力の感覚と結びついていないのかもしれない。だからこそ、他者からの力が大きいんだよね。さあ、夏だ。今日はみんなの通知表を見せてもらう日。一人ひとりと目を見て話そう。
2007.07.20
迷子面談ではない。「マイ語」面談である。僕は「マイナス」な発言が大嫌いである。「マジうざい」「やりたくない」「めんどくさいんだけど」「いやだー」「辞めたい」「帰りたい」自分が発した言葉には、「言霊」が宿っている。マイナスな発言をしたものには、マイナスの言霊が戻ってくる。塾の中で、僕は「マイナス」な言葉を聞きたくはないのだ。マイナス語の発言量は、期末の点や偏差値と反比例すると思う。点数や偏差値が低い子達は、何が不満なのだか分からないがいつもいつも「ネガティブ」は発言ばかりを繰り返している。それがある種の「ガス抜き」になっているのでは、とも思うが、それなら塾以外で思う存分ガスを抜いてくれ。ここは魂に「やる気」を注入する場所だからね。マイナスな言葉を発する子達って、何かを「溜め込んでいる」んだと思う。不満や怒り、ストレスは孤独・・そういったものがマイナス語になって表に出てくるのかもしれないね。よし。塾の中で、僕の耳に「ちょっと」でもマイナス語が届いたら・・・・授業後にその生徒と面談をしよう。一日でも早く、一時間でも早く、彼らから「マイナス」を取り除いてあげなくちゃ!!マイナス語、つまり「マイ語」である。明日から始まる、「真島代表のマイ語面談」!!!!まずは耳レーダーの感度を上げておこう。
2007.07.20
今年の中3生、夏期講習の日程は去年と同じ。全員が受ける必修講座は168コマ。さらにオプションの個別指導も加えると・・・今回、このオプション講座も6セット中5セットも受ける生徒がいる。合計授業時間は・・・・必修講座と合わせると、228時間!!!!今まで部活に燃えてきた生徒である。部活引退によって、その情熱が全て勉強に向いたようだ。明日、個別指導のカリキュラムを組む相談をするのだが、さっき話した時点で、すでに「燃えて」いた。ひと夏の偏差値最高アップ値「+14」を抜くことになるのか!?今から楽しみである。
2007.07.19
今年の中3生は、ちょっと特殊な学年だ。今の中2生は、1年の最初からほとんどメンバー交代がない。中1も同じ。だが今の中3生は、1年の時からいる子が「2人」しかいないのだ。中2のスタート時にも「5人」にしかならなかった。1学年上も、1学年下も20人以上いたので、いつも肩身の狭い学年だった。それが中3になって、一気に19人にまで爆発した。本当に毎授業ごとにメンバーが増えていく感じだった。そうなると、「松江っ子」としてのまとまりがなくなった。人数が増えるだけで、お互いの結合力が弱い感じだ。でもどうだろう。最近の中3生。何だかまとまってきた。いいよね。この雰囲気で夏に突入できて良かったと思う。
2007.07.19
中3Aクラスの子達が、ようやく「焦って」きたようだ。ただし、それはまだ「口だけ」のようにも見える。そこで、「受験の現実」の話をした。つまり、「受かる子は受かるけど、落ちる子はマジで落ちる」という話。誰だって落ちたくはない。でも、誰かが落ちるのが現実。勉強に「本気」になればなるほど合格に近づき、勉強に「本気」になれなければ不合格近づくのだ。それが受験。やらなければならないのだ。本気にならなければ駄目なのだ。それが受験。この夏が勝負だ。そんなことはもう何百回も言ってきた。まだ何千回も言ってやる。頑張ろうぜ。もっともっと上に行こうぜ。行きたいんだろ?落ちたくないんだろ?受かりたいんだろ?だったら本気になってみろよ。
2007.07.19
車が謎の故障・・・。僕の車はエンジンをかけるとステアリングがメモリーしたポジションまで下がってくるようになっているのだが、それが突然下がってこなくなってしまった。さらに、電動シートも動かない~!!授業前だったが慌ててディーラーに持っていったが、調べるのには1時間以上かかるとのこと・・・む、無理だ。授業に間に合わなくなる。ということで、ステアリングが異常に上の位置のまま塾まで戻ってきたという感じかな。シートは動かさなくてもベストポジションのままなんだけど、ステアリングはちょっと困るな。明日朝一でディーラーに入院だ。明日は朝から「フルフル」だ。奥様は仕事。子ども2人は午前保育で11時半には迎えに行く。幼稚園には午前9時には連れて行く。子どもを幼稚園に送っていったら、すぐに車をディーラーへ。9時半には到着できるかな。チェックに1時間。修理に・・・・何とかして11時までには家に戻らなければ。逆算すると修理に30分・・・無理かなー。頑張らなきゃ!!いや、ディーラーの修理工場の人に頑張ってもらわなきゃ!!
2007.07.19
小学生の国語力にばらつきが目立つ。文章が目の前にある。それを「見る」→「読む」→「理解する」→「思考する」というステップを踏んでいける子は問題ない。だが、国語ができない子達は、「読む」の部分をすぽっと抜いたまま先に進んでしまうように思う。つまり、「見る」→「理解する」→「思考する」という具合に。もちろん、文章を「見た」だけでは「理解する」ということは無理だから「見る」→「理解しようとする」→「理解できない」→「思考できない」→「問題が解けない」→「分からない」→「国語嫌い」→「勉強がきらい」こんな経路をたどっている感じがする。なぜ「読まない」のか。それは、彼らの身の回りに「見る」ことだけで理解することが出来る文字情報があふれているからである。今、周りを見てもらいたい。どうだろう。僕らの周りにある「文字情報」は、「分かりやすく」「大きく」「目立つ」ようになってはいないだろうか。商品のパッケージに「読む」作業をしないと中身が分からないほどの文章しか書いていなかったら、その商品は売れるだろうか。もちろん、中身の良さが口コミで広がれば別だが、多くの商品は、陳列棚から手にとってもらわなければ売れないわけだから、なるべく「一目見ただけ」で中身が分かるようになっている。子供がゲームとテレビにどっぷりと浸かっているようならなお更だ。文字情報は、画面の内容に合わせて「瞬時」に読み取れなければならないわけで、自然と短くなってくる。つまり、それは「読まなく」ても、「見ただけ」で分かるように工夫された文字情報なのだ。そういう文字情報に小さい頃から慣れてきた子達は、「文字情報」=「見て分かるもの」という状態に慣れてしまっている。だから、ぱっと見て分からなければ、その時点で「分からない」となってしまうのだ。文字情報が「記号化」してるわけだね。ロゴマークみたいなイメージだよね。「ガンダム」と書いてあれば、「ガ」「ン」「ダ」「ム」と一文字ずつを読み、そして「ガンダム」と理解するわけじゃないんだよね。「ガンダム」でもう一つの記号なんだよね。昨日も高校生とそんな話をしたのだが、文字情報を「見る」習慣がついてしまった子にとっては、「読む」ということは慣れるのには相当の苦労が必要だと思う。音読をさせると一発で分かることだが、「見る」ことに慣れた子達は、「単語」から「単語」へと音読をしていく。つまり、間の助詞を飛ばしたり、自分で勝手な助詞をつけて読む。瞬時に意味が分かる単語に視線が飛ぶんだろうね。すごい子になると、隣の行の単語に飛んだりする。文は上から下に読んでいくものだ、ということが全く習慣化してないんだよね。これは徹底した「正確な音読」の練習で克服していかなければならないと思っている。まだまだ心配なレベルの子も多いが、それでも3月と比べれば、ものすごく上達したよね。これって、親であってもなかなか気がつかないことだと思うんだよね。「見てる」か「読んでる」か。もう一度言っておこうかな。「読まない」と「理解できない」よ。当たり前だけどね。
2007.07.19
この数週間で6人の体験申し込みがあったが、そのたびに「ぐっ」と堪えていることがある。それは、「営業トーク」である。僕が絶対に言わない営業トークとは・・・「うちの塾はこんな塾ですから、お宅のお子さんにぴったりだと思いますよ」こんな内容の話である。生徒募集は塾の生命線だ。生徒が集まれば塾は存続するし、生徒が集まらなければ潰れる。それが「経営体」としての塾だ。だから、体験申し込みをしてくれた方には、何が何でも自塾に入ってもらいたい。そう思うのが当たり前の姿だもちろん、僕だって同じ。だが、あえて「あなたのお子さんに合う塾だ」という言い方はしない。洋服を売っていると仮定してみる。どんなお客さんが来たとしても売れそうな服は、「無色透明」の服か「全色入り」の服だと思う。つまり、「無個性」か「全部の個性入り」の両極端だ。これらであれば、どんな趣味のお客さんにもどうどうと営業ができる。「あなたの持っている全て服にぴったり合う無色の服です!!」もしくは「あなたのお気に入りの色が全て入っている服です!」こんな感じで、ね。赤い服を売る場合は、そうはいかない。「赤に合う色の服を持っていない人」と「赤が嫌いな人」には営業トークができないのだ。1人でも多くのお客、ということを考えると、どうしても「無個性」か「全個性対応」か、ということになってしまうのがお分かりいただけるだろうか。いわゆる「大手」がこの道を進んでいる。「分かる楽しさ教えます」「全ての子どもの都合に合わせます」前者は「無個性」、後者は「全個性対応」というわけね。僕らにはこういった道を進むほどの資本力もないし、そもそもそんな気すらない。自分たちの思う道を、ただただ突き進むことしかしない。「こういうやり方が生徒の成績を上げると信じてやっています。」こう伝えることしかできない。あとはそれをどう判断してもらえるか。最近では、いろいろな塾を体験したり、説明を聞いたりしている熱心な保護者や生徒も多い。いわゆる「塾の営業トーク」にも慣れていらっしゃる方も多いだろう。だからこそ、全く営業トークをしない松江塾のような塾が逆に新鮮かもしれないよね。ということで、これからも「来たかったら来て下さい。来たからには激烈で超絶に成績が伸びるようにガンガンやるのみ!です」というスタンスを貫く。それが今日現在、総生徒数150名超えの原動力だと思うから。
2007.07.19
小学生や中学生にとって、「誰が教えるか」は非常に重要なことだと思っている。「1たす1は2になるんだよ。」っていうことを、A先生とB先生が教えるのでは、子どもの理解度や反応が異なるのだ。たとえ同じ台詞であってもね。なんだろうね。声の調子?にじみ出る雰囲気?信頼度?慣れ?いろんな要素が絡み合って、「その先生じゃなきゃ!!」という状況が出来上がっていくんだと思う。僕らはそのことをよく理解しないとね。まず自分がその生徒にとって、「この先生じゃなきゃ!!」という存在になれているかどうか。先生と生徒という関係も、人間関係の一つだからね。
2007.07.19
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