障害者福祉 の分野には日本人にとって意味のわからない概念がある。たとえば インクルージョン という英語がある。日本語にすると 包摂 、包み込むということになる。これだけだと全く意味不明である。社会的な文脈なしで理解しようとするとむずかしい。反対語を考えるとわかってくる。 包摂の反対語は排除 である。障害児は普通学校から排除されて、養護学校、特別支援学校という所に隔離されてきた。とすると日本の文部科学省の政策は、インクルージョンという世界の流れから 逆の方向 に向かっていることになる。インクルージョンとは、障害のある人、ホームレスの人、外国人、若年失業者などを社会の構成員として包み込み、社会の中で互いに支え合うことを目標として、 誰もが共に生きる社会 を目指す概念である。養護学校と言う特別の場所に障害者を保護することは必要だという考え方に文部科学省は配慮して、今の政策を続けているのだろう。養護学校が無くなってしまった場合、ここに勤めている教員の処遇はどうするのだという、障害者の存在を無視したような議論もある。
インクルージョンと似た概念に ノーマラーゼーション というのがある。障害があろうとなかろうと、社会の中で普通のあたりまえの生活が出来る社会こそ 正常=ノーマル だとして、目指すべき方向性としてノーマライゼーションという概念が出てきた。これは福祉国家スウェーデンから生まれた言葉である。これも日本の場合を考えてみると建前としてはノーマライゼーションを標榜しているが、実体はノーマルではない。
先のインクルージョンは 障害者問題に特化していないのが ポイントで、これはヨーロッパ全体の共通のテーマになっている。ナチズムのユダヤ人排除という歴史性を感じる。ノーマラーゼーションもインクルージョンも日本語に翻訳できない概念である。関係者はカタカナ語のまま使っている。ともかく、この概念は人類が目指すべき歴史的方向性であることはまちがいない。障害者福祉と関係ないところでも「インクルードする」という表現が出ている。
文部科学省を批判しても始まらない。日本人にはこの概念を実践する歴史的段階に至っていないと考えた方がいいかもしれない。
追記
11月30日の朝日新聞に次のような記事が出た。
「文部科学省が29日、一定の研修を受けた介助員らがケアを行うことを認める指針を定めた。障害のある子の就学先を広げるのが狙いで、来年度から実施する。...来年4月からは社会福祉士及び介護福祉士法の改正により、都道府県の登録機関で9時間の講義と実地研修を受ければ誰でも 介助員として特定の人への医療的ケアができるようになる
」
注意しなければいけないのは、これは全面的なインクルッシーブ教育への転換ではない。熱心な地域と不熱心な地域の差が拡大するだろう。
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