中高年の生涯学習

中高年の生涯学習

2024.06.30
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​WEBを色々見ていたら、 「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」 が東洋英和女学院の大学院棟へ移ったというニュースが目についた。NHK朝ドラの「花子とアン」で注目をあびた村岡花子。主演は吉高由里子であった。吉高は今年の大河ドラマでは紫式部を演じている。吉高は文学者に縁がある俳優のようだ。​
​大森の馬込文士村散歩の帰りに、この記念館まで足を延ばしたが、予約制になっているのは知らず、住所のマンションまでたどり着いたが入ることができなかった。お孫さんの村岡恵理さんの編による「花子とアンへの道」(新潮社)という本を入手した。この 記念館がビジュアルに再現されている。 明治時代の女性文学者の生き方、苦労がよくわかる。この本により村岡花子の足取りを追ってみる。​
​なお、東洋英和女学院の住所は、このブログ最後に入れる。 男性の方も歓迎 とのことである。アン・シャーリーを「腹心の友」にした男性も多いだろう。「赤毛のアン」は児童文学と考えられているが、英米文学の粋が詰まった、大人が読んでも耐える文学である。​
モンゴメリーの英文は、日本人英語学習者が読むのが難しい。
本のトップページは花子の晩年の書斎が写されている。女性文学者の書斎らしく整理整頓されて美しい。飾られている本は表紙が向けられている。作家の書斎は戦闘場所なので、大抵は乱雑である。次の仕事の資料が山積みになり、灰皿には煙草が山となっている。奥にはそのまま寝ていいように布団が積まれている。しかし、この写真の書斎は見学用に作られたようで、ただ静寂がただよっている。
次のページは花子が翻訳した児童書の表紙が並ぶ。次のページは夫から贈られたウェブスター英英字書とルーペ。次が和服姿の花子の肖像写真。花子は和服姿を通した。次がプリンス・エドワード島の美しい風景写真。「赤毛のアン」の世界に引き込まれる。残念ながら花子は、この島を一度も訪れることができなかった。
​村岡花子は、1893年(明治26)山梨県甲斐市で茶商をしていた安中逸平と母てつとの間に生まれた。花子は2歳で洗礼を受けたが、妻の実家の人々は キリスト教に嫌悪感 を抱き「女の子に学問はいらない」という考え方で家の中で衝突が絶えなかった。逸平はしがらみを逃れて一家で上京、東京の南品川に居を構える。逸平はカナダ・メソジスト派が設立した東洋英和女学校に受け入れを切願した。左翼運動家だった逸平からすると、この学校選択は異常だが、お金が問題だったようだ。給費生として編入した。給費生にはメソジスト派が運営する孤児院の奉仕活動が課された。不思議な縁だが、後に翻訳する「赤毛のアン」のアンも孤児院からやってくるさびしい女の子である。​
​東洋英和女学院は山の手の令嬢が通う学校。この雰囲気と午後の授業はすべて英語で行われる授業は花子にとってカルチャーショックだった。日露戦争が始まり国の教育方針は忠君愛国へと傾く。ミッションスクールには政府から圧力が加わる。校長のブラックモアは 文部省の通達を握りつぶし 、キリスト教育と英語教育を貫いた。寄宿舎に歌人の柳原白蓮(びゃくれん)がいた。白蓮は柳原伯爵令嬢燁子として編入するが政略結婚を破棄して、23歳でこの学校へはいった。白蓮は花子を短歌の師佐々木信綱に紹介した。ここで日本古典文学を学んだ。図書室には日本語の本はなく、英語の本ばかりである。ほとんどの学生は、この図書室に寄り付かないが、ここで花子は子どもの本から古典まで英米文学を読破した。信綱の短歌指導で言葉の感覚が研磨された。これが後の翻訳活動に生きてくる。信綱教室で片山廣子と出会う。片山は信綱門下の代表的歌人であり、松村みね子のペンネームでアイルランド文学の翻訳者として知られる。一方、白蓮は親子ほど年の離れた炭鉱王伊藤伝右衛門との再婚で福岡の飯塚に去った。二度の政略結婚は花子は許すことが出来ず 絶交を言い渡した 。語るべき友を失った花子は大森の片山の家を訪れ本を借りた。ここで日本近代文学を学んだ。​
​​東洋英和を卒業した花子は21歳で山梨英和女学校に英語教師として赴任する。1919年(大正8)、教師を辞し、東京の日本基督教興文協会に編集者として勤務。後に 銀座の教文館 として和洋書をとりそろえる書店、出版社として発展する。教文館の裏手にあった福音印刷で夫となる村岡敬三と出会う。1923年9月1日、関東大震災で印刷中の聖書も廃塵に帰した。復興の見通しは立たず、自宅に 青蘭社書房 という印刷所兼出版社を起こした。市川房江の婦人参政権運動が高まり、長谷川時雨が「女人藝術」を創刊。花子は家庭文学を提唱し、雑誌「家庭」を創刊した。婦人矯風会の書記、「婦人新聞」の編集もしていた。さらにNHKラジオで「子供の時間」で、その日の出来事を子供にわかりやすく伝えるという仕事もしている。1939年(昭和14)、ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発、日本と諸外国の関係は悪化し、駐日の連合国関係者は帰国を始めた。カナダ人宣教師ミス・ロレッタ・レオナルド・ショーがカナダへ旅立つ朝、教文館に送別に来た花子に、 かなり読み込んだ跡のある一冊の本 を「友情の記念」として手渡した。それはルーシー・モンゴメリー著の「Anne of Green Gables」だった。世界平和を愛し、クリスチャンとして、祖国の偉大な物語を手渡してくれたショーの深い思いを花子は受け止めた。どんなことがあっても翻訳して日本の読者に手渡そうと誓った。しかし鬼畜米英が叫ばれ、国家総動員法の下、文学者も戦争動員の駒にされ、貯蓄を呼びかける講演に借り出された。英文の本を持ってることさえ、官憲の目が光っていた。東京空襲がはじまり、焼夷弾が落とされる。花子は本と訳稿をかかえ、本門寺の防空壕へ逃げ込んだ。​​
1945年(昭和20)、第二次世界大戦終結。「Anne of Green Gables」の訳了。1953年(昭和27)「赤毛のアン」という題名で三笠書房より刊行された。村岡花子は1968年(昭和43)死去。75歳だった。
村岡恵理さんの挨拶 (冒頭部分)​
1991年より、東京大森の自宅の書斎を「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」として予約制で公開してきましたが、この度、蔵書や資料、愛用品を花子の母校である東洋英和に寄贈させて頂きました。
麻布、鳥居坂の通りに面した大学院棟の入口「ブルーシアター六本木」の向かい、「国際文化会館」のはす向かいに、慎ましやかに「学院資料・村岡花子文庫展示コーナー」と書かれたパネルが立っています。男子禁制ではありません。どなたでもお入りになれます。(以下略)
村岡花子展示コーナー
(東洋英和女学院大学院棟1階ロビー 東京都港区六本木5-14-40)





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最終更新日  2024.06.30 10:01:19コメント(0) | コメントを書く


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